帝王院高等学校
ワンコを怒らすと多分怖いんです
渋滞に呑まれていく車体が、見えなくなるまで見送ってしまったのは、ひたすら混乱を極めていたからだとしか言えない。

「ぁ」

徐々に腹から競り上がって来る苛立ちに体が震え、遂に目が据わった男は牙を向いた。

「あ、の…俺様野郎ーっ!あったま来た!もう本気で怒ったぞっ、僕はー!」

見た目に全く似合わない涙混じりの僕発言に、周囲の人間は目を見開いている。

「…加賀城家家訓、部下に優しくない上司許すまじ。」

ふ、ふふふ…と怪しげな笑みを浮かべたセレブは、すちゃっと取り出した携帯を素早くプッシュ。

「あ、パパ?僕だけど」

息子からの電話に喜ぶ父へ、しゅたっと立ち上がった男は据わった目で辺りを見回し、通り掛かったタクシーを呼び止めた。

「嵯峨崎財閥の長男、知ってるよね?あのさぁ、お願いがあるんだ」

両親は息子に甘い。
それはもう、素直過ぎる性格の獅楼が如実に示している程、どろどろに甘い。

『おお、嶺一の倅か。勿論、知ってるとも。パパが学園の理事になった年に、嶺一が中央委員会長に就任してなぁ』
「そんな事どうでもいいよ。言っとくけど僕、怒ってるんだからね」
『獅楼が怒るのは珍しいな。加賀城家家訓、仕返しは命懸けで…仕方ない。何が望みかね?』

とりあえず、カルマで最も下っ端の赤毛が何をおねだりしたのかは、次の機会に記そう。








所変わりまして、嵯峨崎財閥の会長と言えば。

「じゃあ何、アポ取ったの?!冗談でしょ?!」

黒いサテンのスリップドレス、蝶々の刺繍。長い足には黒の網タイツ、剥き出しの腕にも網の手袋が肘までを覆っている。
けばけばしい派手な長身に、周りの人間は皆、目を逸らした。

「何て事!馬鹿っ、ボーナス全額カットしてやるわーっ」

ヒステリックな声でまくしたてる人の傍ら、神経質げな眼鏡を押し上げたスーツ姿の男が肩を竦めている。

「まぁまぁ会長、お心お鎮め下さい」
「鎮められるか馬鹿が!何で俺がちょっと出掛けてる間にンなっ、」
「ほらほら、言葉が汚い」

愛する妻の為に、我が身を犠牲にして女装に励む男は口を閉ざした。

「私は判らなくもない。気の毒と申しましょうか」

一度目のプロポーズで振られ、未だに妻がバイだと信じて疑わない上司に、間違いを訂正しない秘書は全てを承知した上で放置している鬼畜だ。
顔も頭も良いのに自分に自信がないのは、恐らく育ちによるものだろう。

「何が気の毒よ…」
「気の毒に。グレアムの名ではなく帝王院の名を出されてしまえば、我が嵯峨崎財閥の役員にはどうしようもない」
「だからって、」
「零人さんの見合い話で心中穏やかでないのは承知しておりますが、最重要なのはクリス様と佑壱さんの身。帝王院…つまりグレアムを敵に回すのは、どうでしょうか?」

とうとう屈み込んだ上司に僅かばかり同情し、携帯を開いた。

「おや、クリス様が帰国なされたそうですよ」
「え?今回の撮影は来月まであるんじゃなかった?」
「いえ、佑壱さんに会う為だけに一時帰国なされたみたいですね。すぐにマレーシアに向かわれた様です」

そのままカメラモードで煌めく天守閣の鯱をパパラッチ、

「それにしても、見事な反り具合ですねぇ。流石は成金都市名古屋、嵯峨崎財閥の拠点に相応しい」
「言ってる場合じゃないでしょコバック!ああもう、何でこう次から次に…!」
「祖母君のお墓参りに行かれてはどうですか?会長就任以来、殆ど足を運ばれていないでしょう?」
「コバック!」
「小林です。」

城見物などしている場合ではないと、ファーのストールを巻き直した長身はワインレッドのサングラスを外し、ハイヒールブーツにも構わず駆け出した。

「何処に向かわれるおつもりですか会長、午後のパーティーが始まりますよ」
「急いで東京に戻るのよ!プライベートジェット飛ばせば間に合うわ!」
「まぁまぁ、急がば回れと言うでしょう?」
「巫山戯けんじゃないわよ!見たでしょ、さっき!プレゼンに紛れ込んでた餓鬼をっ」

懇意にしている企業のプレゼンを閲覧していた時に、いち早く気付いたのは秘書だった。

「見間違えではないと思いますがねぇ。恐らく、あれは文仁の娘だったと」
「何であんな所に叶一族が居るのよ!信じらんない、誰を暗殺するつもりかしらっ」
「社長、隠密と暗殺は別物ですよ。ただのスパイ活動かも知れないでしょう?」
「だったらアンタが警察官になった理由は?!」

キッと睨まれ、眼鏡を押し上げた秘書は心持ち目を逸らしながら、

「甥っ子達が殺人犯にならないように?」
「コバックぅ?」
「万一罪を犯しても揉み消せる様に、とも言えます。元々、叶は警察の家ですからねぇ」
「いやーっ、日本の将来は真っ暗よー!」

崩れ落ちた人にどうしたものかと首を傾げれば、丁度停止したセダンから降りてきた長身が肩を叩いてくる。

「よぉ、小林のオジサン。そこのオカマ大丈夫かよ」
「零人さん、良く此処が判りましたね」
「名古屋観光は鯱と赤味噌だって相場が決まってっかんな。おい、親父」

げしっと父親の尻を蹴った息子、サングラスをもぎ取った人は震える肩をそのままに痙き攣った笑みを浮かべた。

「テメェ、ゼロ…。親を足蹴にするたぁどう言う了見だコラァ」
「テメェが押し付けられた見合いにわざわざ顔出してやってんだろうが、有り難く思えや糞ジジイ」
「ぶっ殺すぞ糞餓鬼ぁ!親にどんな口の利き方してんだテメェ!」

遂に恒例の親子喧嘩。
犬も喰わないそっくりな親子は嬉々として殴り合い、罵り合い、最後は駆け付けてきたお巡りさんによって職務質問である。

「はぁ、つまり親子喧嘩?まぁそっくりなお二人だがね、こんな所までやって来て喧嘩するのはあかんと思うよ」
「大変失礼しました。鯱の見事な反り具合にテンションが上がってしまった様でして…」
「家族仲良く観光したってちょ」
「ご迷惑お掛けしました。では」

落ち着いた二人は、決まり悪そうにそっぽ向いていた。事情聴取に応じていた秘書はふるふる震えている。怒っているのではなく、笑うのを耐えている様だ。

「名古屋の方言は…食文化に続き、何とも独特ですよねぇ。熊本に近いものを感じます」
「「…」」
「そう言えば、昔おでんに赤味噌が付いていないと暴れ回った人が居ましたね」
「おでん?」
「悪かったね!豚カツとおでんにゃ味噌がお決まりだがねっ、田分けもん!」

首を傾げる零人の隣で、50越えたおっさんは叫んだ。

「ぶっ。だっさ!何だよ親父、家の中じゃ英語しか喋んねぇのはそう言う理由かよ!」
「…ダサくないわよ!馬鹿にしてんのアンタ?!」
「ほんまにおもろい。自らダサい訛り封印する言うたのは、中等部の時やったか?」
「コバック!」
「おー、ネイティブ関西弁ブラボー」
「嫌ですね零人さん、私の場合は京都ですよ」

朗らかに笑い合う秘書と息子を前に、オカマは噎び泣いた。









『十人十色なんて言うけど、人間には二通りの違いしかない。単純で判り易い生き物って事だねィ』

確かそれは雨の夕暮れ。
久し振りに外の街に出た日の午後、見知らぬ男と歩く愛しい人を見掛けた。
酷く仲睦まじい二人をただ呆然と。車の中から見つめ、鉄の塊の様な息を呑んだ。

頭の中で警笛が鳴って。
(それは踏み切りのサイレンに似ていた)(カンカンカンカン、耳の奥で絶えず)(加速する加速する)(魂が壊れる程)


飛び降りた後部座席、運転手が悲鳴染みた声を放つ。隣に乗っていた女の事など考える余裕すらなく。鼻に付く香水が移っている事にも構わず。

駆け出した。
真っ直ぐ、真っ直ぐ、真っ直ぐ。

小さな背中を見失わない様に。愛しい人を、見失わない様に。


踏み切りの手前。漸く追い付いた背中は、然し遮断機に遮られた。
喉が痙き攣る音。
カンカンカンカン鳴り響くサイレン、近付いてくる電車の音が地面を微かに震わせている。

忌々しい黄色と黒。
妨げる遮断機を越えようと手を掛けた。お節介な通行人に掴まれた肩、視界を奪う電車は嫌になるくらい長く、悲鳴染みた叫び声をきっと、掻き消していた筈だ。


頭の中で何度も。
捨てた癖に幾度も。
想像の中で繰り返された妄想の産物、愛しい人をいつか、そう呼ぼうと思っていたから、無意識に。


『シエ』

叫びは一度だけ。
革靴にスーツで全力疾走を果たした哀れな高校生は、絶望で真っ暗に染まった目を手で覆った。
大丈夫かだの死ぬには早いだの、訳知り顔で語るお節介な他人、突き刺さる視線、鳴り止んだサイレン、遮断機が上がる気配。

走り出す車の排気ガス、ぽたり、と。その時初めて零れた天の涙は、それから一週間続く豪雨の幕開けだった。

肌寒い秋、冬が近い神無月。
神が居ない十月の午後、世界を濡らし始めた雨の中、崩れ落ち掛けた膝を気力で立たせて顔を上げる。


『なァにやってんだよ、お主』

呆れた声を放つ人は頬を濡らし、記憶より伸びた髪を掻き上げて晴れやかに笑っていた筈だ。

『生まれつき目と耳はイイんだ。動物並みにねィ』

人間には二種類しか居ないらしい。

『あの映画、もう終わったんだけど?』

目で行動する人間と、耳で行動する人間。脳で考えてから行動する人間と、直感的に行動する人間。


『脊髄反射だ。…何も考えてなかったよ』

雨宿り。便利な言葉だ。
雨を避ける様に二人、近場のホテルへ飛び込んだ。平日のステーションホテルはビジネスマン一色で、ずぶ濡れの男女は浮いている。

お腹空いたと彼女は呟いた。
それまで無言で走ったからか、僅かに擦れた声だった。
うん、と頷いた自分は真っ直ぐフロントへ向かった。レストランを通り過ぎても、彼女は沈黙したままだった筈だ。

何で追い掛けて来たの。背後からそう聞かれている気がした。何で、何で、何で。何で、居なくなったの、と。何で約束を破ったの、と。繰り返し繰り返し。

何も考えてはいなかった。
その時はただ、繋いだ手を離したくなかったのかも知れないが、その時そんな事を考える余裕など無かっただろう。

プレートには味気ないツインのナンバー、スイートにまで気が回らなかった惨めな高校生に、社会人だった愛しい人はやはり何も言わない。
エレベーター、沈黙、然程長くない廊下の果てに目的地。鍵を開けるのももどかしく、振り払うように開いたドアを潜るなり唇を奪った筈だ。

『な、んで』

幻聴は漸く、頬を紅く染める人の唇から音となり、

『…会わないつもりだったのに、実際見てしまうと、頭が真っ白になった』

久し振りに喋ったかの様だった。今頃、置き忘れてきた女性は酷くご立腹だろう、などと。酷い事を考えている。
欲求不満解消に誘った上等の異性、目的地は洒落たレストランでのディナーと、愛のないセックスを営むだけのホテル。

『…臭ェ。お主、シャネルの匂いがする』
『やきもち』
『ぶっ殺すぞ糞餓鬼』

けれど、実際には寂れたステーションホテルの狭いツイン、ずぶ濡れの自分と、中学生かと思わせる幼い容貌の愛しい人。

『もう、子供じゃない。18歳になったんだ。…春には卒業する』
『学校、楽しい?』

見上げてくる人の眼差しから逃げる様に奪った唇、授業などもうずっと受けていない。

『餓鬼の癖にエロい事すんな』

悪魔の言うがまま、外と蠍の往復。赤い塔には家族が居るけれど、人質の様なものだ。大切な親友二人、悪魔から守る為には隷属するしかない。

『茶化さないで』
『茶化さずにいられっか!俺ァお主と違ってなァ、』
『結婚だって出来るんだ、俺は』

その時は。何も考えて居なかった。
どうせ死んだように生きるだけなら、死にもの狂いで生きてみたいなどと、考えたのはまだずっと、後。

『ねぇ、先生。妊娠が判るのってどのくらい?』
『はァ?早くて一週間、ってトコか。外科担当にンな質問すんな』
『じゃあ一週間で良い』
『なに?』
『一週間、此処から出られないんだ』

冬が近い。
肌寒い秋の日。


『ちょ、それ監禁っつー…』
『女の子の名前、早く考えなきゃね』

悪魔を殺す直前の。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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