帝王院高等学校
さァ奴隷らしくはしゃぎましょう!
呆れるほど従順に。
下らないほど言いなりの、それは恐らく奴隷の様な生活だ・と。


嘲笑ったのは少女の純粋さを失った女。勝ち誇った口元、甘える様な眼差しとはミスマッチだった。

その純潔を奪った本人でありながら、涌いたのは殺意でも嫌悪でもなく、『それがどうした』と言うある意味開き直りに近い感情だった筈だ。


他人が不幸になろうが他人を不幸にしようが。同情も共感も罪悪感も湧かない。
酷い男だろうか?



「おーい、大変だー」

快気祝いじゃあるまいし、と。
溜息混じりに折り続けた何匹目かの折り鶴、羽根を広げながら震えた携帯に目を向ける。
鶴しか折れないのか、と揶揄いめいた笑みを浮かべながらなじる相棒は居ない。慕う相手の来訪に浮かれる店内は、ある意味奇妙な熱気で包まれていた。

「あ?何が大変だって?」
「何処でサボってたんだよ、おめぇ。こっちは朝から駆け回ってるっつーのに」
「まぁまぁ、人手が増えた事を良しとしよーぜ♪」

カウンターの上、客扱いされないグラスはコースターなど敷かれていない。性悪マスターのミクロな優しさは、消費期限切れのスーパーのお握りに現われている。
夏場なら殺人事件だ。

「皆、元気だねー…」
「サブボスー、お握り食べないのお?だったら頂戴ー、梅干し味ー」
「うん、俺は寧ろ神崎の食欲が不思議ですよ。何でそれで太んないの?」
「はっはーん、隼人君は成長期だもんねえ、サブボスとは違うんですー」
「どこまで成長するつもりやね〜ん」

食中毒は勘弁とばかりに、カウンターの上、乱雑に放られたお握りのパッケージには手を出さない。

「割引のお握りはやっぱ当たり外れがあんな。トリオの一人がイクラで中ったっつってたろ、昔」
「あー、あれ梅雨時だったからだろ?」
「今日もどしゃ降りじゃねぇか!俺おかかしか食えねぇよっ」
「ざけんな、お残しは許しませんよ」
「北緯さんっ、真顔で言うの勘弁して下さいよー。獅楼に食わせれば良いでしょ、生もんはっ」

佑壱なら手作りサンドイッチなりドーナツなり、見た目に似合わない腕前で皆の腹を満たしただろう。

彼は見返りを求めない愛情の塊だ。

見返りを求めないからこそ、何に付けても見返りを求める女の欲求を満たさない。モテるのと同程度に振られるのは、物事の表と裏だ。
善が等しく全て良いとは限らない様に。悪もまた然り。

好かれるのと同程度に憎まれる世の中の摂理、他人を憎む事で自分を正当化しようとする可哀想な人間。
間違いを間違いだと指摘するのが正しい事かどうか、答えはない。

「おーい、トイレットペーパーがなくなってるぞー。誰だよウンコした奴」
「パンシロンとキャベジンの違いが判らん…おぇ」
「全くの別もんだろ。だから卵使ってる奴はやめとけっつったのに」
「ユウさんのカツ丼喰いてー」
「同感。そう言えば、前に総長がカツ丼作ってくれなかったっけ」
「醤油とコーヒー間違えた奴だろ」
「あれは…奇跡の味だった」
「無駄口叩く暇があるなら手を動かしなさい。間に合わせる気がないなら出ていけ」
「すいませんカナメさん」

溶けた氷、薄まった烏龍茶、硝子から滴り落ちた水滴がカウンターの上に湖を作り、それは徐々に広がっていく。
ティッシュ、とカウンターの向こうに声を掛けたが、優雅に煙草など吸っている唯一の社会人は、「は?」と言う表情で見事に聞こえない振りをした。

「あー、二十歳過ぎると耳が悪くなんだよなぁ」
「あはは…、この台拭き借りますねー。はい、藤倉」

数分で彼の性格を把握したらしい太陽が渇いた笑みを浮かべ、カウンターの端にあったダスターを寄越してくる。



「…結構、保った内かよ。」

開いた携帯、湿ったダスターでグラスの外側を拭った。

「何か言った?」
「いや。女から別れようっつーメールが入ってただけだぜ」
「ふーん…って、え?大丈夫なのそれ?」
「さーな、大丈夫だろ。他に男出来たらしいぜ」
「いやいやいやいや、大丈夫じゃないんじゃないかなー、それ…とか、思ったり」

回りくどいにも程がある別れのメールは、陳腐なポエムか安い小説か。どちらにしても悪いのは自分だろうなと他人事の様に考えながら、買い替えたばかりの真新しい携帯を閉じた。

「何かあった?」
「何もねーな。逆に、何もないのが理由じゃねーか?毎日会いたい言われても無理だろ、面倒臭ぇ」
「でも、頻繁にメールとか電話とかしてただろ?それ、あっちの方が酷いんじゃない?怒ってもいいトコだって」
「面倒臭ぇ。そっちこそどっかの眼鏡会計と婚約報道流れてたろ、平然としてんな」
「やなコト思い出させるねー。…忘れた振りしてんのに」
「で、何処までヤった?」
「あはは、…殴ってもいい?浮気されたからって八つ当たりすんのはやめてよねー」
「何ヶ月かに一回会ったらヤるだけだったし、特に問題ねぇ」
「最低」

凄まじく冷めた目で吐き捨てられた。仰る通りだなどと肩を竦めれば、また、携帯が震える。

「聞いたか?!うっひょー、ユーヤさんの失恋を祝しましてー、乾杯っ」
「ユーヤさんには他に女居ただろ?ほら、あの祭ん時の彼女とか」
「それと別れたんだろ?あ、でも医療事務で働いてるお姉様と付き合ってなかったっけ?」
「どっちにしろモテる人が振られるのは嬉しい。乾杯!」
「ぎゃはは、最低だなお前っ」

背後の賑やかさに振り返ったら負けだ。楽しげな太陽がニマニマしている気配、震えていた携帯が沈黙するのを横目に。

「つーか、何が大変なんだよ?あ、もう昆布とイクラと明太子しかねぇぞ」
「じゃ、昆布。じゃなくて、ケンゴが平田兄弟に連れてかれたって!」

何匹目かの折り鶴は、形になる前に湖の中。湿ったダスターでは拭い切れなかった水滴の残骸に浸って、ふやけた。

「はぁ?んな訳ねぇだろ、ケンゴさんの強さはマジで半端ねぇんだぜ?」
「手癖も足癖も悪ぃかんなぁ、ケンゴさんは」
「可愛い顔してありゃ、悪魔だな」

足元に転がった携帯がカシャンと耳障りな音を発てて、王冠クッションの上から降りた人は屈み込みながら見上げて来た筈だ。


「そう言えば、高野から何か連絡あった?」
「…いや」

ある筈がない。
ある筈がない。
別れて、と言うメールに良いよと送ったのは自分。たった今、送られて来たメールの文章に笑いそうになった、哀れな自分だ。

「さっきの女から返事が来ただけだぜ」
「やっぱ、向こうは未練あるんじゃない?それにしても、藤倉の方にもないんなら事故にでも遭ったとか?まさかねー」

だから、皆は思い違いをしている。
執拗なほど傍に居たがるのは、いつもいつも呆れる程に下らない程に、

「もー、バカ猿なんか放っときなよー」
「うーん、俊の携帯も通じてるのに出ないし…。あの徘徊癖どうにかなんないのかなー、ほんと」


自分の方だったからだ。











「ど、どうしましょう」

長い長い渋滞の果て、私立鷹翼学園の前で運転手が今にも泣きそうな表情で見上げて来た。

「一体、どうしたら…」

俺に聞くなと舌打ちを噛み殺し、気乗りしない足を持ち上げる。

「仕方ありませんねぇ。いきなり走って行った陛下を追うには時間が経ち過ぎましたし、こちらは私が対処しましょう」
「で、ですが、この後にブレイズ航空と笑食グループ本社への予定が組まれてまして…」
「おや」

それはそうだ。
決められた仕事を果たすから給料になり、それを果たさなければ目の前で今にも死にそうな表情を晒している運転手は、業務が終わらない。

「ブレイズ航空へは16時に予定が組まれています。このままでは…」
「私が向かった所で、クライスト枢機卿が素直に応対して下さるとは思えませんからねぇ」
「ではどうすれば…」
「構いません。貴方はもう帰りなさい」

ひらりと片手を上げて、中学生達の視線を浴びながら校門を潜る。
痛々しい程の羨望の目は、制服に注がれているのか、それとも美貌に注がれているのか。

「きゃー、こっち見た!」
「格好良いねぇ、あの人っ。高校生かな?」

どちらにしても、目障りな話だ。


「…さてと。どうしたものですかねぇ」

置き忘れたブレザー、多忙な上司が放棄した仕事の肩代わりならまだしも、今回のこれは明らかにプライベートな用件だ。職権濫用の尻拭いだなんて、益々救われない。

「プライベートライン・オープン、コード:セカンドからコード:ディアブロへ」
『エラー、コード:ディアブロを検索出来ません』
「おや、圏外ですか。困りましたね、嵯峨崎には高坂君がうってつけだと思ったのに…」
『コード:ファーストを検索…エラー、セキュリティエリア対象と認証。接続出来ません』

頭が痛くなって来た。
すぐにどうでも良くなって来たので、迎えにやって来た校長らしき中年男性を前に晴れやかな愛想笑いを一つ、

「校長先生でいらっしゃいますか?ご連絡差し上げた、叶二葉と申します」
「遠路遥々ようこそ!帝王院学園からのご訪問との件で、」
「単刀直入にお尋ね致しますが、鷹翼学園の大株主はどなたですか?」

顔色が変わった男を哀れだとは思わない。哀れだと言うなら、それは自分だ。間違いなく。

「とあるテレビ局のスポンサーに、我が帝王院が名を記して居ましてねぇ。続く筆頭株主に、こちらの理事長の名があった様なので…少しばかりお話を伺いたいのですが」
「そう仰られましても…ははは、理事長は不在でして…」
「理事長のお名前は、確か小林さんでしたね?小林守さん」

さっさと済ませてさっさと帰りたいとどんなに望んでも、それは恐らく適わない望みだ。

「よ、良くご存じで…ははは…」
「私の身内に全く同じ名前の人間が居りましてねぇ、彼の父親は嵯峨崎財閥で働かれています」
「そ、そうですか。はっはっは、同姓同名など特に珍しく、」
「そして彼自身は、ただのサラリーマンです。困った事に、彼らは私の家の分家に当たりましてね。お恥ずかしながら、仲は宜しくない」

雨の中、濡れるのも構わずに張りつける愛想笑いに表情筋が痙攣した。

「隠し事は得策ではありませんよ。本来ならば従僕である私などではなく、会長自らいらっしゃる予定でしたからねぇ」

募る苛立ち、帰りたいとどんなに望んでも、

「尋ねたいのは幾つか。一つ、この学園の真の理事長は誰か」
「ですからそれは、」
「一つ、3月までこの学園の生徒だった遠野俊について」
「…」
「こちらからご連絡差し上げた時に、彼は『不登校』だったと伺っております。なのに二度目は、『そんな生徒は在籍していない』」
「さ、さぁ、そんな生徒が居たのか、私にはちょっと…」
「おや、我が帝王院学園の特別進学科に入学した生徒を、ご存知ないと?」

顔色を無くした哀れな男に、僅かばかり同情したとしても。

「もう一度申し上げますが、隠し事は得策ではない。これは警告ではなく助言ですが、会長は酷くご立腹でしてねぇ」
「…」
「逆らう者にはどんな手を使っても構わないと仰せです。私には日本政府へのコネクションはありませんが、あの方にはねぇ」

聞かなければ良かった、と。どうせ後悔するのだ。生まれなければ良かったと、いつか後悔した様に。
哀れだとしか言えない。それで何かが変わる訳ではないのだから。


「流石に、『あの先生』の様な目に遭うのは避けたいでしょう?」

どうせ。
いつか死ぬ為だけに生きているのだから。

死んだら炎の海に焼かれ、凄まじい圧力で小さな小さな塊になって、いずれ大地へ還る。
  悲しかった事も楽しかった事も全てが一つになって、分子レベルに戻るだろう。

  全ての生き物は。
  所詮、地球でしか生きられない、哀れな生き物は。

  広い宇宙への憧れを抱いたまま、核の塊でしかない太陽を神と崇めながら。そして宇宙の片隅で死ぬ



「正直にお聞かせ願えませんか」

幸せだろうが不幸だろうが、結局同じ事だ。
己と言う、哀れな生き物は。

←いやん(*)(#)ばかん→
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