帝王院高等学校
オカンが集まれば井戸端会議ですね
「はぁ、はぁ………重ぇ。」

エレベーターを降りれば、一面絨毯張りの広いフロアに3つしかないドアの右側へ真っ直ぐ向かった。
エレベーターに乗るまでに鍵と暗証番号のセキュリティがあるので、このフロアに施錠したドアはない。

「ヘビーヘビーヘビーヘイベイビー♪…はぁはぁ、やっぱ管理人に手伝わせりゃ良かった…ぜぇ、ぜぇ」

濡れて張り付いた服も髪も気持ちが悪い。重い足取りは濡れた服の恩恵、いやいや、文字通り足枷だ。普段なら原チャリ一台くらい、余裕で抱えられる。

真っ直ぐ右端のドアに向かっているが、3つのドアにネームプレートはない。まるで空き家の様だと言ったのは、いつの日かの俊だった筈だ。
せめて鍵くらい掛けなさいとサングラスを押し上げながら宣った、今とは違い銀髪の俊と言えば、未だに寮のオートロックに慣れず度々閉め出されている。学籍カードをブレザーに入れたまま、私服のジャージで購買に行くからだ。

「面倒臭ぇ…。あっちには布団なんざ置いてねぇかんな」

残る二つの扉を横目に、鍵など掛ける必要のない右端のドアを開いた。

早い話が、その3部屋全て佑壱名義の部屋なのだ。
自分で購入した一番右側の部屋しか使っていないが、他の2つは両親から与えられたものである。

ハリウッドスターの母にしても、派手好きな父にしても、息子の意見など聞きゃしない。
実質、実家から離れたのは学園に入ってからだが、街にマンションを借りたのはカルマを創設した頃だった。中等部昇進祝いと言う大義名分で、実家に帰って来ない佑壱へ押し付けて来たのだ。

まぁ確かに、ただならぬ身分であるからには、出来る限り他人と同じ空間で生活するべきではないだろう。
歴代彼女を連れ込むのは、決まって真ん中の部屋だ。別名物置小屋、時々カルマのメンバー達が泊まっていく事もある。


が、私室である右側の部屋へは、俊以外の人間は入った事がない。
弟のプライベートなど知った事じゃない零人が一度やって来たが、全力で追い返した程だ。


「到着、っと…」

片腕で俵抱きにした大きな体を玄関へ転がし、編み上げスニーカーを片方ずつ脱ぎ捨てた。
玄関脇のシューズストッカーから、ふわふわなアニマルスリッパを取り上げる。真っ赤な生地に黒いラブラドールの顔が付いたそれは、去年の誕生日に俊から貰ったものだ。

「おい」
「すー…すー…」
「どうすっかな。…このまま放っときゃ良いか、別に」

微かな寝息を発てる日向は、寝顔も美しく廊下に転がったまま。更に腹立たしい事に、長い足が玄関にはみ出している。

「オードブルの準備すっか」

くるりと踵を返し、開けっ放しのドアから再び外に出るが、二歩進んで立ち止まった。

一番左側の部屋は一昨年改装し、今では部屋全体が巨大な厨房と化している。陽が当たらない南向きのバルコニーなので、ワインセラーにもぴったり。業務用冷蔵庫に冷凍庫、壁一面のオーブン、スチーマー、グリル等々、レストラン顔負けだ。
そのくらいの設備がなければ、育ち盛りのカルマなど養えはしない。幹部メンバーはともかく、大半が庶民育ちの貧乏少年ばかりだから。

因みに中央の部屋にはバルコニーはあるが寝室やバスルームの小窓がないので、陽当たりが悪い。佑壱が右側の角部屋を選んだのには、主婦らしい理由がある。


「………あー、くそっ」

ともあれ、くるっと向きを変え、もう一度、私室である右側のドアを潜る。
愛用のGショックを見やれば、もう三時前ではないか。

「畜生、おやつの時間に間に合わねぇ…」

冷凍庫に作り置きのアイスボックスクッキーがあった気がする。それで間に合わせようかとも思ったが、どの道、佑壱のマンションからカフェ・カルマまでは、どんなに急いでも車で片道30分は懸かるだろう。バイクもない。

「まだロードサービスから連絡ねぇもんなぁ。ま、良いか。…それにしても…さっき総長、マンホールに落ちたとか言ってたな」

間に合わないなら諦めるしかない。嵯峨崎佑壱は、案外根に持たない性分である。

「おら、腹出して寝んな、風邪引くだろうが馬鹿猫。ん?馬鹿は風邪引かねぇんだよな、確か」

タクシーの運転手に散々嫌そうな顔をされた、ずぶ濡れの体に気付いてシャツを脱ぎ捨てた。勿論、日向もずぶ濡れだ。
今更脱がした所で手遅れな気がしないでもないが、こうなったら最後まで面倒を見るしかないだろう。

「…お、犯されたらどうしよう」

嫌だけど。
嫌だけど。
本心はとっても嫌だけど。


「いきなり起きたりしねぇよな?…頼む、起きないで下さい。下心なんかあって堪るか、これはボランティアなんだ。…良し。高坂ぁ、脱がすかんなぁ」

とりあえず、聞こえていないだろうが声を掛けておく。意識のない人間を脱がすのは何ともなく気が引けるからだ。
これが俊だとしたら、気を抜けば凄まじい寝返りを受けるだろう。過去に一度、後頭部に踵落としを食らって気絶した覚えがある佑壱は、ごくりと息を呑んだ。

「寝相が悪いのも困ったもんだ…いやでも、総長の寝顔は可愛い。こう、ギャップみたいな…はっ!いかんいかん、アキバ呪文を唱えそうになっちまった」

自分の寝起きが如何に悪いかを知らない男はぶつぶつ呟きながら、半裸の日向を抱えてリビングへ向かう。

無駄に広いリビングのフローリングには、10畳程度のラグを敷き、硝子の小さなテーブル一つ。
クッションタイプの座椅子が向かい合わせに二つ、バルコニーの前に50インチの液晶テレビと、プレステ。バルコニーの脇にエレキギターと、バイク雑誌を適当に放り込んだブックレットがある。

生活感が薄いのは、滅多に帰って来ないからだ。プレステは言わずもがな、俊の為に購入したものである。


「あー、やっべ。埃臭ぇ」

半裸の男をラグに転がすのも可哀想なので、真っ直ぐ寝室に向かってベッドに放り投げた。
サッとカーテンを開き、ガラリと小窓を開けて素早く閉める。痛い程の雨粒が入り込んで来るからだ。

「…Shit、雷鳴ってた時の方がマシだったぜ」

バルコニードアを半分ほど開けて換気を試みるが、どうやら横殴りの雨らしい。みるみるフローリングが濡れていくのに鼻白み、バッタンと怒りのままドアを閉める。

「換気扇回すしかねぇな…。くそ、いつ掃除したっきりだよ換気扇なんざ」

コキリと首の骨を鳴らしたヤンキー…いや主婦は、素早くベッドの上の日向をバスタオルで包み、濡れて張り付いたジーンズを強引に脱がせ、寝ているのを良い事にコロンと転がし、消毒液を心持ち多めに吹き掛けた。

「痛かろう。ふ、ふふふ…眉間に皺寄ってますよ高坂の旦那ぁ、痛いんですか?ほうほう、光王子の癖に痛いんですね、ぐふふ…」

もぞりと身動いだ日向の背中一面に、阿修羅像の入れ墨が入っている。真っ赤な彼岸花を背景に、赤と青のコントラストは目に痛い。
難しい表情の日向の寝顔を勝ち誇った表情でニマニマ眺め、余りの馬鹿馬鹿しさに頭を振った。何をやっているんだ、自分は。

「ジャパニーズマフィアは随分気合い入ってんな…。然し、高坂の背中に傷があるなんて初めて知ったぜ」

いつもニャンニャンしている親衛隊のオカマ男なら知ってるのか、と首を傾げ、コットンがなかったのでティッシュで大雑把に消毒液を拭き取る。
日向に包帯を巻いてやるほど暇じゃないので、そのままもう一枚のバスタオルを巻いてやり、ブランケットでぐるぐる巻きにした。わざわざ抱え直して布団の中に入れてやる優しさなど、ない。

「良し、…風呂入ろっと」

その場でポイポイ濡れたジーンズとボクサーパンツを脱ぎ捨て、日向から剥いだジーンズと一緒に洗面所へ向かう。
途中、玄関に放りっぱなしだった日向のシャツも拾って、手早く洗濯機を回しシャワータイムだ。


「久々にジャバっちゃおっかな、マジックリンも捨て難いなぁ畜生!」

無駄にロッカーな歌声で「日本昔話」の主題歌を歌った赤毛は、キュキュッと風呂掃除を済ませ、タオル一丁で「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌を歌いながらトイレ掃除を済ませ、「仮面ダレダー」のエンディングを歌いながらリビングの掃除機掛けを楽しんだ。


良いオカンになるだろう。



「唸れ〜正義の魂ー♪差別を許さず平等守れ、仮っ面ー、ダレダぁあぁあああ♪ジャカジャカジャン!」
「随分、楽しそうだな。」

ぴたりと硬直し、座椅子を持ち上げながら掃除機を握り締めていた佑壱が、無表情で背後を振り返る。


「…何の用だよ、多忙なアンタが」

フロア一体が佑壱の部屋であり、エレベーターにはセキュリティ。マンションのエントランス前にインターフォンがあり、フロントには管理人も在中している。
招かれざる客は、エントランスから中へ入る事も不可能だ。

「不細工な面だ。誰に似たのか」

ならばどうして此処に、などと聞くだけ無駄である。

「はん、アンタじゃない事は確かだろうよ」
「久し振りに顔を見に来てやったんだ。少しは愛想を振りまこうとは思わんか、ファースト」
「No thanks, fast get out.(必要ねぇ、とっとと出てけ)」
「Jesus, feel so sad.(悲しい事だ) 相変わらず、可愛さに欠けるベイビー」

無表情で片目を細めた金髪の女。
ボブに揃えた美しい髪を掻き上げ、何の気配もなく上がり込んだ、青い瞳の。

「お前のものではない靴を見掛けたが、ガールフレンドか?」
「…来客中だ。失せろ」
「女性に対する口の利き方が成っていないな。少しはゼロを見習ったらどうだ」
「はっ、どの面下げてほざいてやがる、Mrs.アクトレス」
「その人を見下した笑み…若い頃のレイにそっくりだよ」

目の前が真っ赤になった。
怒鳴れば負けだ。感情を表に出した時点で負けだ。だからぐっと耐えて、掃除機のスイッチを切る。
降りしきる雨の音が世界を包んだ。

「ふふ、少しは成長したらしい。以前のお前なら喚き散らしていただろうよ、口の中にピストルを突き付けられるまで」
「…最低な母親だぜ、テメーはよ」
「例の薬を届けに来た。…今日辺り、元老院の人間と接触するだろうからな」
「残念だったな、もう会ったぜ」

ハンドバックから紙袋を取り出した女性、母親が。呆れた様な息を吐く。

「兄上が退かれてからこうも勝手を許すとは、…カイルークは何をしているのだ」
「知るか。叶と俺の派閥が犬猿っつーのは、ネルヴァ・シリウスの時代から変わってねぇだろ」
「下を躾るのもお前の仕事だ、ファースト元帥」
「俺はもう、ステルスじゃねぇ」
「だったら何だと言う?」

紙袋を放り投げた母親が、静かにサファイアの瞳を揺らした。

「過去に私と兄上が実の兄妹ではないとほざく馬鹿が居たが、そんなもの信じているのではあるまいな」
「…だったらアンタは、自分の親の顔を知ってんのか」
「私の父はレヴィ=グレアム、兄はキング。両親の顔など知らぬとも、」
「阿呆らし。…グレアムにまともな産まれの奴なんざ、存在しねぇだろ」

母親が眉を寄せたのを見た。どうやら勝ったらしいと掃除機片手に背中を向け、座椅子の位置を整える。


「帰れ。掃除中に邪魔する奴を、母親なんざ認めねぇ」
「カイルークの庇護がなければ、お前は生きてはいけない。目を逸らしても無駄だ」
「俺は一人で生きていける。テメーらが居なくてもな」
「…詭弁だな」

母親が背中を向ける気配。早く出ていけと心の中で呟けば、雨音に混じってヘリコプターの様な微かな旋回音が聞こえてきた。

「こんな所に来るだけでブラックウィングなんざ持ち出しやがって…。スキャンダル持って来んな、疫病神」

バルコニーへ駆け出し、雨に打たれながら空を見上げる。360度CGで景色に溶け込むカメレオンの様な小型ヘリは、目を凝らしても判断不可能だ。


「ああ、言い忘れていたが」

微かな旋回音もこの雨では普通気付かれない。
母親の声に振り返れば、開けっ放しのリビングドアの向こう、玄関先からこちらを見ていた。



「毎日の服用を怠るなよ。…死にたくなければな」

姿が見えなくなるのと同時にバルコニーに座り込んだのは、せめてもの意地だろうか。

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