帝王院高等学校
たまにはエキストラを実況中継しましょ
「ブライトン教授!ビックニュースですよ、教授ーっ」
「どうしたんだい、ワトソン君?」
「プロフェッサーネイキッドが帰って来るそうですよ!」
「…は?」

願っても手に入れられないものがある。欲しくもないのに与えられたものがある。

「だから!彼がアメリカへ戻って来るかも知れないんですっ」
「ちょっと待て、然し彼は…」
「ジャパンなんかであの人が納まれる訳ないでしょう?!ああっ、いっそカエサル名誉教授もお戻りになれば良いのにっ」

人生の不平等を嘆いても、現実は斯くも無慈悲だ。などと哲学的な事を考えたのは、いつ。

「ふ…二葉が帰って来る、だなんて…。オーマイガ、これは何の試練なんだ」
「リチャード=テイラー物理教授がお喜びになるでしょうね!プロフェッサーテイラーのネイキッド愛は有名ですから」
「…頭痛がしてきたよ。胃が痛い。私はもう駄目かも知れない」
「ブライトン教授、それは胃痛と言うんです。頭痛は頭が痛い事でしょ」
「ワトソン君、数学者なのに日本語にも詳しいね君は…」
「カエサル名誉教授にお会いする為に、一生懸命勉強しましたから!10ヶ国程度の日常会話は理解しています!」
「勤勉だ」

欲しくもないのに与えられたものは、捨てても捨てても戻ってくるのだ、と。囁いた子供が居た。
欲しくて欲しくて堪らないものは、手に入れようとすると体が動かなくなるのだ、と。子供は呟いた。

「…とりあえず、この事はテイラーには内緒だよ。彼はカエサルを目の敵にしているからね」
「あれ?ケルベロス教授がライバルだったんじゃなかったんですか?」
「…余り知られていないんだけどね。テイラーはカエサルの…その、性的な意味での友人だったんだ」
「えぇ?!」

可哀想な子供だ。
二葉よりも佑壱よりもずっと、彼は可哀想だった。それを自覚していないからこそ、哀れに思えた。

「と言っても、彼はまだ幼かったし、カエサルの好奇心はすぐに女性へ興味を持った」
「あわわ、そんな、カエサル教授が…っ」
「だから二人は、本当の意味での愛人ではなかったろう。だからこそ、あの子に心酔していたテイラーの絶望は計り知れない。彼の悲しみはすぐにネイキッドへ対象を変えた」

欲しくて堪らないものは、手に入れようとすると体が動かなくなるのだ、と。あらゆる興味を得てもそれは決して長続きしないのだ、と。

「…皇帝を愛した自分を戒めるべきだったんだ。テイラーは間違えた」
「教授?」
「彼は愚かだよ。…まだ9歳だったネイキッドに手を出そうとするなんて」

数字ばっか眺めてて楽しいのか、と。大人を馬鹿にした態度で嘲笑った赤い髪の王子様は、いつも銀髪の背中について回って。

「それで、どうなったんですか?」
「勿論、ネイキッド自らの手でボコボコさ」
「わぉ…バイオレンス」
「だから私は安心していたんだ。息子の様に…いや、孫の様にも思っていた彼らが幸せなら、何処に行ってしまっても良いと」

地理だけは好きになれない、と顰めっ面で地図を眺めながら舌打ちしていた左右非対称の瞳を持つ子供は、それを隠す様にいつも眼鏡を掛けていた。



“いつ死んでも構わないんだけど”
“俺は実の姉を殺した犯罪者だから”
“だから、どうなっても構わないんだけど、本当は”


「教授がそんなに彼らと親しかったなんて…初耳ですよ」
「日本が辛いなら、…いっそ帰って来れば良い」


ああ。
何て不平等で無慈悲な世界だろう。



“会いたくて堪らない人が居るんだ”

“でもきっと、こんな俺を知ったら嫌われる”
“だから会いたいのに会いたくない”
“もし会えたとしても、きっと俺は知らない振りをしてしまう”


“死んでしまえば良いのに”
“醜い癖に綺麗な思い出に必死でしがみついてる、阿呆な俺なんか”




「そう思わないかい、ジョン=ワトソン君?」





“消えてしまえば良いのに…”














「…そろそろトイレ大丈夫か、って」

螺旋状のジャンクションを降りれば、久し振りに信号の妨げを受ける。気が抜けたとばかりにフットブレーキを踏み込み、大人しい左側を見やれば、健やかな寝息が聞こえてきた。

「餓鬼。」

パサついた赤い髪、無理なブリーチで痛んだそれは、恐らく真っ黒だった筈だ。閉じた瞼を縁取る短い睫毛の様に、きっと。

「おい」
「ん、んんー。あと、5分…」
「巫山戯けんな。この俺様が運転してやってるっつーのにグースカ寝てんじゃねぇ」
「むー…、ユーさんを起こしたら駄目だよ、総長…」

いつか。

「寂しいだろーが、起きやがれシロ」

父親の髪が羨ましかった。
上質の赤ワインの様な深みがあるバイオレットはいつも目立っていて、鏡の中に映る父親より明るい自分の赤毛が誇らしくてならなかった時がある。

「ぅ。…はれ?此処、何処?」
「愛知県名古屋市中区栄」
「ふわー。んー、名古屋って事は判った」

目を擦りながら起きた獅楼が欠伸を発て、窓の外を見やった。

「さっきまで雨だったのに」
「富士山越えた辺りから晴れてたぞ。どうも関東だけみてぇだな」
「あ〜、惜しいっ。富士山見たかったぁ。…うー、体、痛いぃ。シート倒せば良かったかも」
「デケェ図体で熟睡すっからだろ」
「寝るつもりなかったんだよっ」

渋滞は何処も同じか、と。鈍い国道の流れに苛々とハンドルを指で叩く。

「最近また背が伸びてる気がするんだよなぁ。膝も肘も痛いし…」
「シロ」
「ん?何だよ」
「パーティー、お前の祖父さんも来てんのか?」
「お祖父様?どうだろ、判んないや。父さんが会社継いでから、あんま日本に居ないらしいし」

やはり無駄骨か。
判っていたが、少しばかり期待していた自分の失態だ。どうせこの渋滞だ、暫く閉じ込められたままだろうとブレーキを踏み込み、煙草を咥えてライターを灯す。

ふー、と数時間振りに紫煙を吐き出せば、左側のウィンドウが引き下がった。

「うわ、何これ、臭っ。名古屋って排気ガス凄過ぎ!」
「東京のが凄ぇだろ、そりゃ。山の中で暮らし慣れてっからそう感じんだよ」
「ハイブリッド大分増えたけど、おれが小さい頃に暫定何とかでオイルショックがあったから、ディーゼルが流行ったとか父さんが言ってたなぁ」
「暫定税率って奴か。何かあったな、そんなん」

たわいもない話をしながら頷けば、地下鉄乗り場の辺りで賑わうOL風の女性らがチラチラ見つめてくるのに気付いた。

「名古屋の女はブスばっか、とか、ケンゴさんがゆってた気がするけど…可愛い子いっぱい居るじゃん」
「はしゃぐな童貞、恥ずかしい」
「ううう煩いな!高1なんだから別に普通だしっ」
「ふん?だったらカルマ幹部に童貞なんか居るのか?」
「………居る訳ないだろっ、皆カッコいいのに!」
「お前も悪くないと思うぜ、シロ」

大半の視線は零人の美貌へ。けれど中には、見掛けに騙されない賢い女も居る。他人に束縛されたくない隠し事ばかりの自分と、隠す事がない素直な獅楼ではきっと、獅楼の方が幸せにしてくれるだろう。

「ほ、ほんと?おれ、喧嘩も弱いし頭も悪いけど、…可笑しくないかな?」

弱々しく見上げてくる左側を見つめ、その弱気な尋ね方に笑った。これは恐らく自嘲だ。自分の汚らわしさに気付いてしまった。

「餓鬼」
「は?」
「ンな所まで付いて来て、とんだお人好しだ。どんだけ馬鹿なんだよ、間抜けにも程がある」
「なっ、馬鹿にしてんのかよっ。馬鹿で悪かったなっ」

この生き物は駄目だ。
利用して良い人間ではない。



“父親より少しばかり明るい自分の赤い髪”
“誇らしかった”
“なのに、伸びると生え際から違う色が現れる”
“黒に近い茶髪だった母とも”
“勿論、父とも違う、それは何故?”



「降りろ」

吐き捨てながらバックミラーを覗き込んだ。怪しげなベンツが高速を降りた頃からずっと後ろに居る事は知っている。付かず離れず走行していたが、この渋滞だ。

「はい?」
「降りろっつったんだよ」
「何で?」

互いに身動きが取れない今が最大のチャンスだろう。

「餓鬼の相手すんのに飽きた。…餓鬼は餓鬼らしく一人寂しくシコシコ慰めてろ、童貞」
「な」


ああ。
何て不平等で無慈悲な世界だ。

欲しくて堪らないものは手に入らない癖に、要らないものばかり蓄まっていく。

「そっちが勝手に連れてきたんだろ?!何いきなり意味判んないこと、」
「ガタガタ煩ぇ」

ああ、こんな子供相手に醜態を晒してしまった。
無理矢理開いた助手席側のドアから押し出す様に突き飛ばせば、アスファルトに転がった獅楼へ皆の視線が集まる。

「痛っ!理、不尽にも、程がある…!」

純粋培養で育ったに違いない素直な子供に、こんな顔をさせてしまった。

「はっ、勉強になったろ。世の中なんざ理不尽なもんだ」

けれど大切なのは家族、自分の幸せを基盤に。一番大切なものは、自分なのだ。


「目障りなんだよ、お前」

つまりこれは保身の為だ、などと。
言い訳する我が身が情けない。








「は〜?何それ、ドッキリ系?」

暗室から出るなり外の眩しさに瞬いた男は、息を切らした風紀の部下達の報告を聞くなり痙き攣った。

「そんな奴が伝説の帝王院秀皇な訳ない系。それとも何、兄弟喧嘩って?アホだろ〜、実在したかどうかも判んない系だぜ、帝王院秀皇は〜」

馬鹿馬鹿しいと頭を掻く。
口籠もった部下を一瞥し、酢酸の匂いで充満しているシャツに眉を寄せる。ファブリーズは何処だと立ち上がって、息を吐いた。

「とりあえずサブマジェスティには僕から伝えとく系。イーストは…会議中、か。ウエストは何処?」
「連絡が取れないのはいつもの事なので」
「そりゃそ〜だ。で、その不審者は警察に引き渡した的な?」
「いえ、現在理事長の監視下に置かれているみたいです。一応、局長には先程ご連絡差し上げましたが…どうしたものか」
「ふ〜ん。イーストが言ってた、この間サブマジェスティを狙った奴との共通点は?」

背後で誰かが笑う気配。
盗み聞きかよ、と眉を跳ね上げたが、聞かれて不味い話ならこんな所でさせはしない。

「秘密裏に調査中です。但し余り目立った行動が取れない今、出来る事は少ないのが正直な所で…」

日向がボーガンで狙われた時、一緒に居たのは東條だった。彼自身認めているし目撃者も居る。だから幹部だからと言って、東條を疑わない人間は居ない。
内情知っていたら尚更だ。

「懸命だ〜ね。イーストの実家がゴタゴタしてんのは知ってるけど、長い付き合いだし、僕は疑ってない。…鉄橋を叩いて渡るマスターは別としても」

不承不承頷いた部下の表情が納得行かないと告げていた。東條が北方マフィアの血筋であり、祭家と付き合いがある事は余り知られていない。

「それよりも紅蓮の君を疑った方がマシ系。サブマジェスティはいっつも彼とやり合ってるから」

東條の家は特殊だ。ロシアの両親から生まれた癖に、幼い頃から日本で暮らしている。父親の愛人が子供を産んだ途端、母親諸共命を狙われたらしい。
残念ながら、慣れない日本生活で彼の母は体調を崩し療養中だと言う。

「了解、とにかく理事長自らお出ましだってのにしゃしゃり出る訳には行かない系。サブマジェスティ狙いなら、暫く泳がせといて」
「はい」

慌しく出ていった部下の足音を聞きながら、背後の笑い声を聞いていた。

「フフ」
「…何が可笑しいのさ?」
「いや、ネ?何処もグチャグチャなんだナって、思いましてネ」
「…はぁ、君と話してると頭が痛くなる系。人の不幸がそんなに楽しい?」
「大好きですヨ。特に好きなのは陛下の憂い顔ですけどネ?カニバリズムはネクロフォビアと似てると思いませン?大切なもの程、傷付けてしまう…」
「マジ趣味悪すぎ。マジェスティに喧嘩売ったら命はないから、覚えといて」

睨んでファブリーズを全身に振りまくる。外はいつの間にか雨の強さを増していた。双子へメールをしたが、『いま忙しい』とつれない返事が届く。
どうやら街に出ているらしい。



「フフ。酷いな、ボクは健吾叔父さんと一緒なのに…」


外が青白く光った。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!