帝王院高等学校
ご主人公様がグレちゃいました。
赤。
滴る何か、それが赤。

蓋をしたのは他人。震えていた拳に握り締めたのは宝石、ぐったりと。力なく瞼を閉じた美貌を見つめながら、願ったのは何?

(独りぼっちで膝を抱えて)
(今頃君は、何をしているの)
(恨んでいるかな)
(忘れているかな)
(あの日交わした、小さな約束)

恐怖はない。
幸せな結末が見えている。初めから、勝ちの見えた勝負だ。
負けるゲームに懸けたりはしない。

(でももしも)
(もしも君が僕を忘れていたら)
(見知らぬ他人と笑っていたら)
(このまま目覚めない方が幸せなんじゃないか、って)


(ああ、弱虫の独り言。)




紅。
意志の強い眼差しに宿る、それは紅。

蓋をしたのは自分。灰色だった世界に色付いた最初のルビー、艶やかに。射抜かれた刹那駆け巡った熱情は今も尚、密やかに威力を増している。

(愛しているよ)
(執着を越えて依存している)
(愛しているよ)
(君の全てを貪り尽くして)
(誰も幸せになる事のない、未来へ)

(君の泣き顔が見たい)
(恐怖で歪んだ君の顔を抱き締めて)



(僕はきっと、世界で最も幸せになるだろう)






「今日も、暑いな」

蝉が鳴いていた。
鳥が鳴いていた。
風が鳴いていた。
緑が鳴いていた。
汗が滴る、暑い暑い夏の日。

「こんな所で避暑か?確かに涼しいけれど、公衆トイレの裏はお奨めしない」

揺れる麦わら帽子、転がるのは金属製の仮面。滴り続ける汗を指の背で拭えば、唇が塩味を教えてくる。

「…ああ、宝石だ。」

赤い、赤い。
血に濡れた柘榴の様な紅い双眸が、真っ直ぐ。まるで槍の様に見つめてくる。

「初めてこんなに美しい色を視た」

無意識に口にしたのは世界公用語。大気に流れる銀糸に見惚れて、情熱的なフレンチなど思い付きもしなかった。
今になれば情けない話だ。美しいものを前にした哀れな雄に、出来る事など陳腐な求愛だけ。

「知っているか。雄は産まれながらに騎士としての責任を与えられている」
「…」
「狩猟本能の裏に、庇護欲が隠されているんだ」
「…下らない」
「面映ゆいな」

瞬いたルビーに笑い掛けた。
ああ、何て綺麗な生き物だろう。これを手に入れれば満たされるだろうか。この、酷くつまらない世界が満たされるだろうか。


「いつか、」

宇宙から見れば砂粒ほどの価値もないこの両手で、真綿を掴むより優しく抱き締めたなら。

「今より強くなって、君を迎えに行くよ」

騎士として。
雄として。
交わしたのは余りにも幼い約束。命より大切な、約束。それだけあれば生きていけると、信じていた。


「満月の日にまた会おう」

果たされない約束の効力は、いつまで?


(望みは、ただ一つ)
(とても単純な一言)
(ただ、)
(君の名前を知りたかっただけ)

(君の名を、)
(呼んでみたかった、だけ。)



どこで、くるったの
ぼくがきみをわすれるなんて
ありえない


…はずだったのに。
















ああ

もうきみのこえもきこえない

(痛みに蓋をすれば全神経が麻痺して)
(大切なもの全て、掻き消していく)

きみのすがたもみえない
いとしい、いとしい
くりかえす「こころ」の
さけび

(幸せにしたいだけだ)
(笑顔が見たいだけだ)
(願い事は幾つも幾つも降り積もる)
(持ち合わせているものは唯一)

(願った未来へ辿り着く為の、)



さいごに、もういちど。
ぼくはきみのなまえを、よびたかった。




(片道切符だけ)






「また、赤」

背後から上がったブーイングに、伏せていた目を上げた。右折優先信号機が緑色の矢印を描いている。フロントガラスを叩くのは、水滴。

「レッドスクリプト、なーんちゃって」

矢印の上の三つ目はどれも、黒。
世界から消え去った色は恐らく赤で、きっと、佑壱の髪は赤いままなのだろう。いつから黒髪になったんだなどと、明らかに不自然な質問をしなかった自分を誉めてやりたい気分だ。

「縁起悪いよねえ?雨だしさあ」
「総長不在の抗争は御法度だぜ。…次、レッドスクリプト偽装しやがったら副長にチクっかんな」

要が笑う気配。
何の話だろうかと眉を寄せれば、青信号で走り始めたタクシーがやや乱暴に左折する。

「知ってんだよお?お前はさあ、結局自分本位なマスタベ野郎だろーが」
「…んだと?」
「てめーには『自分』がねえっつってんだよ、ヘタレ」

酷く嫌な雰囲気だ、と。息を呑みながらミラーを見つめていれば、エメラルドの眼差しと一瞬かちあった。

「自分の殻に閉じ籠もり過ぎて人間不信になるよかマシだぜ。…なぁ、カナメ」

ふ、と小さく笑みを描いた目元。唇までは見えない。もう一人の乗客は他人顔で窓の外を見ている。

「皆、自分が一番大切だろ。オレも、テメーもな」
「…相変わらず、つまんない奴。つか根暗、暗過ぎ」
「テメーには言われたかねーが、誉め言葉として受け取っておくぜ」

ああ、いつも騒がしい健吾の隣に居るだけのイメージだったが、やはり彼も不良なのだろう。隼人相手に何だか不穏な雰囲気だ。

「ちょっと神崎、」
「つかユーヤ、もっとあっち行ってよー。狭いんだけどお」
「無理だろ。一番デケェお前が助手席座れや、ハヤト」
「はあ?何それ、笑えないんですけど」

然し予想に反し、隼人は慣れたものなのかあっさり会話を変えた。肩透かしを食らった気分だと、振り返り掛けた体勢を戻して食い込んだシートベルトを弄ぶ。

「何ならやるか?カナメが居なけりゃ、腕相撲二位はオレだぜ」
「何の冗談?ユウさんにも勝てない癖にー」
「テメーもだろ」

先程よりは明らかに友好的な雰囲気で睨み合う隼人と裕也をミラー越しに見やれば、アーケードのない商店街へ入って行くのが判った。

「ここ、来たコトあるなー」

この通りで、カルマを一度だけ見掛けた事がある。確かあの時は商店街の端にあるゲームショップでイベントがあって、先行予約のソフトを受け取りに行ったのだ。

「降りますよ」

明らかに不良チックな3人にビビっているのか、はたまた愛想が無いのか、終始無言の運転手は停車しても無言だった。ホイールが停止する前に、やや擦れた言葉を発したのは要だ。
未だ睨み合う隼人と裕也を余所に、財布から料金を支払った要が真っ先に降りる。それに慌ててシートベルトを外せば、隼人と裕也もとっとと下車していた。

「君、何か脅されてるんじゃない?」
「え?」

気の毒そうに囁いた右側へ振り返る。ドアベルの音、賑やかな誰かの声に招かれた三人がカフェの中に消えていく。

「此処はカルマって言う、最低な奴らの溜まり場でね。暴力で人を傷付ける、卑劣な馬鹿共ばっかりだ」

吐き捨てる様に呟いた運転手が、ダッシュボードから脱臭剤を取り出した。
唇を噛んで頭を下げ、滴る雨の中に身を乗り出す。ドアを後ろ手で閉めて、走り出す気配のないタクシーには振り返らず足を踏み出した。


「…余計なお世話だっつーの、ハゲタクシーが」

あの脱臭剤は後部座席より助手席に振るべきだろう。俊が汚した裕也のシャツを、土産に置いてきた。










「結構なお点前で。」
「やだねぇ、ワラショクの煎茶じゃないかい。粗茶だよ、粗茶!」

ぽたぽた、前髪から水滴を滴らせた男がこの世のものとは思えぬ柔らかな笑みを浮かべ、頬を染める女性の手を優雅に掴む。

「いいえ、美しい女性の手ずから淹れて頂いた、俺にはそれ以上の価値はありません」
「まぁ」

安い煎茶から立ち上る湯気、タオル片手に眉間を押さえた長身が、今にも口付けんばかりに引っ付いた二人へ咳払いする。

「人ん家の母ちゃんナンパすんな、すんこ」

バシッと投げ付けたタオルは、未だ二回り以上年上の女性に笑顔を向けているフェミニストの手に容易く掴まれた。
ああ、可愛くない。

「年下の幼馴染みなんか弟みたいなもんだろ、何だいその態度は」
「ちーちゃんと一緒にすんな。ンな図体デケェ弟、お断わりだね」
「…千明兄ちゃん。冷凍庫の中にシャーベット閉じ込められて、」
「相変わらずどんな嗅覚してんだお前はよ!」

チャイムが鳴ったので、名残惜しげに席を外した着物姿の女性を余所に、冷凍庫から取り出したシャーベットを座卓に乗せる。
シャワーを浴びたばかりの男と言えば濡れたままタオルを放り、長男の白浴衣を纏った姿で凛々しくスプーンを握り締めた。

「む、美味すぎる。甘過ぎず酸っぱ過ぎず、絶妙な舌触りとこの清涼感」
「メイドインサカキ」
「…80点。イチならペパーミントを刻んでゼリーにしたものを合わせるだろう、まだまだだな」

人の家の粗茶とシャーベットを食らっておいて、身内手作りと聞くと採点が厳しい。これが佑壱なら『30点、唐揚げとチキンライスが足りない』くらい宣うだろう。
この男はそう言う男だ。

「…で、何であんな所から出て来たんだ?」
「マンホールに落ちた」
「ああ、全く意味が判らん。馬鹿にも判る説明しろ、俺が叩き込んだ萌口調で」
「トラックの下に潜り込んだらマンホールに落ちたなりん」
「そこに至る経緯は」
「にゃんこが居たにょ」

棒読みだ。
凛々しい…いや、凶悪過ぎる目付きのまま、この男本来の低い声音で「にょ」と言われても、胃潰瘍になるだけ。可愛くない。

「お前なぁ、高校じゃ絶対ダチ作るんだって目ぇ血走らせてただろ!そんな無愛想さでやっていけてんのか?あ?!」
「学校じゃ可愛くやってる…と、思う」
「こちとら入学以降何の音沙汰もなく!やっと連絡寄越したと思ったら『コス作れ』の一言だけ!どんだけ心配してやったと思ってやがる、この冷血マイペースが!」

ばんっ、とテーブルを殴り付ければ、濡れた髪を掻き上げた俊は相変わらずの無表情で、

「何も知らない子供を騙すのは気が引けるが、何も彼も知っている大人を騙すのは面倒臭い」
「…お前ぇえええ!優しくて頼れる近所の兄ちゃんに、面倒臭いだとーっ?!」
「武蔵野千景、身内だろう?」

唇の端に笑みを滲ませ、空になった器の中にスプーンを置いた俊が片膝を立てる。

「余計な事をしてくれた。…いや、彼にしてみれば俺を庇ったつもりだろうがなァ」
「何をだよ」
「Aの殿様が俺を探していたらしい」
「アブなんちゃらって奴か?お前、昔ちっこいパツキンと絡んでたろ」
「子猫、あの時は可愛かったんだよなァ。まさかライオンになるとは…」

切ない溜息を零した俊が、ゆるりと立ち上がる。短い付き合いではないが、相変わらず扱い難い。

「何か良く判らんけど、テストは程良く手抜きして、難しい物言いは控えろよ。お前、引くほど頭良いんだからよぉ」
「程良くの加減が判らんからなァ、…適当に誤魔化してますにょ。完璧です」
「ふーん?で、ダチは出来たのか?」
「知り合いばっかで、今の所一人しか出来てない」

風呂敷包みと紙袋を携え肩を竦めた背中が、真っ直ぐ庭に向かっていく。裸足だが、どうせ隣は俊の実家だ。
柵を乗り越えれば、すぐに。

「ま、上出来なんじゃねぇの?対人スキル皆無だった昔に比べれば、今のお前はよ」
「シャワーと煮物、感謝する。女将さんに宜しく伝えて下さい」
「おーよ。衣装はいつでも取りに来い」

振り向く事無く、ひらりと柵を越えた背中から目を離す。ああ、まだ聞いていない事があった。
可愛げはないがやはり弟分だ、友達が出来たと言うなら祝福してやらなければならない。

「おい、そのダチは何って言うんだ?今度連れてくるんだろ?」
「さっき別れたばかりだから、次はいつになるか」
「初めて出来たモノホンのダチだろーが、大切にしろよ」
「そうだな」
「で、名前は?」

白雷が弾けた。
遠くで光ったそれは光だけで、何の音も伝えてこない。随分遠い事だけは判る。



「安部河桜。
  料理が得意な、優しい子だよ」

漸く、轟音。

(#)ばかん→
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あきゅろす。
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