帝王院高等学校
ワンコと眼鏡とお菓子のお城
『シーザーはいつも何を見てるの?』
『…どうした、唐突に』
『だって、時々陛下よりつまらない顔してるんだもん』
『陛下?…ああ、そうか。あの背の高い長髪か』
『陛下はね〜、何でも出来るんだよ。俺よりも強くて、ふーよりも賢いんだ』
『へぇ、…貴公子先生より頭が良いのか、凄いな』
『だから髪伸ばしてるんだ。いつかね〜、負けたと思った時に切るんだって〜』
『武士みたいだな』
『えへへ、陛下はきっとずっと、負けないよ。年上だからって、シーザーが勝てると思ったら間違いなんだからね〜』
『そうだな、日向』
丸い円い光の塊が青空で輝いていた。すぐ目前には流れる様な鼻梁と、陽光を帯びて煌めく澄んだ清流に似たプラチナの髪がある。
「あにょ、」
「何だ」
邪魔にならない程度切り揃えられた白銀は、恐らく名のある美容師が作り上げたものだろう。
一目見ただけで、住む世界が違うと判る静謐な気品がある男。イケメンと言う賛辞がどうしようもなく陳腐だと思った。
「何処、行くにょ?」
「ノイズが限り無く存在しない場所へ」
「ふぇ?」
「地へ近付けば近付いただけ、生命の奏でる不協和音が増す」
穏やかに力強く、急いでいる様には見えない男の腕の中から見る景色はいつもより早く流れていく。
「お外、嫌いなり?」
ああ、足の長さが違うからかなどと今更感嘆の息を吐いた。
「お外でバーベキューすると、いつもよりいっぱい食べられるなり。お野菜もいつもよりいっぱい美味しいにょ」
「ほう」
「バーベキューのお野菜を分厚く切っちゃうと、後からカレーが出てくるんですっ!カレーはカフェオレとココアを隠し味にすると美味しいにょ。チキンカレー…じゅるり」
「カレーが好きなのか」
蜂蜜色の宝石の様な瞳が見つめてきた。意味もなく両手で眼鏡を押さえながら、ふるりと首を振る。
「唐揚げのほ〜が好きです。明太子は焼いたのも好きです。でも一番好きなのはお米ですっ!桜はあんまり美味しくなかったにょ。カイちゃんは?」
「無い」
「ふぇ?全部嫌い?ご飯、嫌い?お腹空いちゃうと死んじゃうにょ。カイちゃん、死んじゃうにょ…」
どうやら無意識に俯いてしまった様だ。すらりと整った鼻先が額を小突き、唆されるまま見上げれば僅かだけ八の字に歪んだ眉と出会う。
「違う」
「何が?」
「嫌悪するものが、無い」
「えっと、じゃあ好き嫌いがないってコトだから、偉いにょ!カイちゃんはお利口さんにょ」
まるで犬にする様に頭を撫でれば、琥珀色の双眸が笑みを滲ませた様に見えた。眼鏡さえ無かったなら確かめられたけれど、外せば目前の美形は忽ち姿を消してしまうだろう。
折角、友達になれるかも知れないのに。
「カイちゃん、僕のお部屋に遊びに来る?えっと、えっと、まだ行ってないから片付いてないかもだけどねィ、イチにお願いしたらおっきいケーキ作ってくれるにょ」
「菓子が欲しいなら、良い場所がある」
長い渡り廊下を抜けて、硝子張りのエレベーターが犇めく中央エントランス。
擽る様に耳元へ鼻先を寄せた綺麗な顔が、無駄に耳触りの良い声音で囁いた。
「首に、指輪」
「ふぇ?首輪?」
「違う。首に、IDリング」
不可解な台詞に眉を寄せ、何とも無く言葉のまま神威の項を見つめればネックレスらしきシルバーチェーンが見える。
「高そうな鎖があるにょ。えっと、えっと、えいっ!」
他人の首に触る事などまずない俊が掛け声一つ、ずぼっとシャツの襟元に手を突っ込みチェーンを引っ張り上げた。
「はふん。指輪が出てきたにょ」
「照合」
「ふぇ?」
「フロアパネル、下」
全く言葉が足りていない男の暗号めいた台詞と、違う方向を見やる視線に促されエレベーター脇のパネルへ眼鏡を向ける。
「あ。あった」
成程、開閉パネルの下に不自然な凹と赤外線パネルがあった。赤外線パネルはIDカードをスキャンさせる為のものだった筈だ。実際、受け付けを済ませた俊と太陽は意味もなくエレベーターに乗り込んでみた事がある。
「ポチっとすれば良いにょ?」
「そう」
一般生徒ならば北寮のエレベーターを動かす事が出来ず、Sクラス生徒であっても立入禁止フロアには足を踏み入れる事が出来ない。
俊のものとは違う指輪はプラチナに金のラインが入ったもので、シンプルながら高価そうに思った。
「はれ?そ〜言えば、カードでお買い物出来るって言ってたよ〜な」
すぐに降りてきたエレベーターへ乗り込む男の首にネックレスを戻しながら、パチパチと瞬いた。眼鏡が?マークを浮かべている。
「だからカードはなくしちゃ駄目って言ってたよ〜な?」
「在籍証明証は、クレジット並びにキャッシュ機能を備えている」
「お店の隣にATMがあるって本当?でも困ったなァ、貯金使っちゃったにょ。ゴールデンウィーク用に新刊作ったから…」
「連休は、予定があるのか」
ただでさえ密室空間だと言うのに、その上抱き上げられている今現在。
囁く様な声音で覗き込まれれば、腐男子の眼鏡も震え上がる。
「えっと、コミケに出るのかしら。お友達サークルの売り娘するにょ」
「売り娘?」
「お手伝い。メイド服着るんだって。でも僕はサイズがないにょ。スカートが短過ぎてトランクスが見えちゃうなりょ」
「…ふむ」
何事か思案中らしい無駄に高い鼻を見つめてみる。触っても良いだろうか駄目だろうか眼鏡の下で悩みに悩めば、甘そうな瞳に再び笑みが滲んだ。
「どうした」
「ふぇ?えっと、えっと、お鼻触ってもい〜ですかっ!ちょっぴり触ってもい〜ですかっ!」
「構わん」
「じゃあ、ちょっぴり…」
恐る恐る手を伸ばしたのは、色素の薄い瞳が真っ直ぐ見つめてくるからだ。
佑壱でさえ時折不自然に視線を逸らす時があると言うのに、神威がそれをする気配はまるでない。敵対心に満ちた目で睨んでくる不良達ですら、見つめ返せば忽ち視線を逸らすのだ。
「睫毛、長い。ちょっぴり灰色みたい?」
こんなに真っ直ぐ他人を見つめるのは、久し振りだろう。無意識に手が震え、息を呑んだ。
何だろう。
いつかこんな事があった様な気がする。いつかこんなに緊張した事があった様な気がする。
「髪の毛、さらさらにょ。気持ちい〜なり」
「そうか」
「カイちゃん、髪の毛本物?」
「ああ」
「ハーフさんですかっ?!ハァハァ、もしかして何処かの国の王子様ですかっ!ハァハァ」
「違う」
殆ど単語しか口にしない囁きにきょとりと首を傾げた。
ブリーチにしては痛みのない髪はさらさらで、俊愛用の鬘とはもう全く違う。佑壱の似合っているが偽物の赤い瞳とはやはり違って、日向の茶色い瞳よりまだ光輝く黄金の双眸。
それら全部、作り物みたいだ。
「違う?じゃあハーフさんじゃないにょ…残念にょ」
「四分の一、だ」
「ふぇ?」
ちょっぴりが徐々に大胆へ変化する。今や耳にまで指が伸びていた。
「日本の血脈が、四分の一」
「むにゅん」
緩やかに停止したエレベーターの微かな揺れで、神威の胸元に顔が埋まる。ただでさえ低い鼻がこれ以上潰れたら泣いてしまおうと肩を落とせば、自分の物とはまるで違う高い鼻が近付いてきた。
「大事ないか」
擽る様に頬を掠めた鼻先に目を見開く。
「カイちゃん。時々にゃんこみたいにょ」
「犬の方が、好きだろう」
「ふぇ?」
「犬ならば、…求めずとも抱き締めて貰える」
開いたエレベーターの向こう側は、宮廷でした。
「ぷはーんにょーん!何じゃこりゃァアアアアア!!!!!」
「俊」
聞き馴れない声で呼ばれた名前に、反応が遅れる。
「鼻は、大事ないな」
緩やかに下ろされた足が、赤い絨毯を踏み締めた。ふわりと。まるで羽が生えた様に柔らかく、
「えっと、えっと、重くなかったにょ?」
「ああ」
「カイちゃん、力持ち?」
「軽い」
「あにょ、僕のお腹大福みたいになってきたにょ」
同じ制服とは到底思えない程、帝王院の制服を着こなした長身を見上げながら、シャツを捲くし上げる。
「ほらん、ぷにぷに」
「…」
腐男子には草食男子が多い、などと誰が言った。俊はどうしようもなく肉食だ。故に腹が出る。
夜中の放浪をやめて引き籠もり生活を始めれば、メタボへ一直線だった。
「ぷにぷにするにょ。カイちゃんも触ってみます?」
腹を凝視したまま微動だにしない神威の腕を掴み、ペトリと腹へ引っ付ける。
長い指だとオタク眼鏡を光らせながら、触っているのが太陽の腹だったら萌え死ねるだろうなと密かに残念の溜め息だ。
「お野菜も食べなきゃブーちゃんになるにょ。でもお野菜ももりもり食べるとブーちゃんになるにょ」
「………」
「カイちゃん?」
「あ、ああ。行こう」
掴んだままの手が逆に掴まれて引っ張られた。ただでさえ足の長さが違うと言うのに、有無を言わさない力で足早に引き摺られたら堪らない。
「カイちゃん、転けちゃうにょ、カイちゃん転けちゃうにょっ、うぇ、この俺様攻めがァ!ハァハァ」
「此処だ」
「はふん」
広いしなやかな背中に鼻が埋まる。今日だけで何度打ち付けたか判らない鼻を撫でながら、無駄に重工な造りの扉を見上げた。
「…中央執務室?」
「ああ」
「此処、カイちゃんのお家?」
「違う」
明らかに普通の部屋ではないだろうと、無意識に神威の腕へ縋り付けば、神威の腕が扉に伸びるのを見た。
「ぇ。じゃあ入っちゃ駄目なり」
「構わん」
「えっと、えっと、ピンポンしないといけないんじゃないかしら!」
ノックも何も無しに遠慮なく扉を開こうとしている神威の腕をぶんぶん振り回すオタクは、直後硬直した。
「はふん」
煌びやかな室内。
高級そうな調度品。
紅茶とコーヒーの薫り。
盛り付けられた色とりどりのフルーツ、お菓子の山。
額縁に飾られた、『カルマ』の文字。
ソファの上で絡み付く二人。
「きゃあっ」
「…あ?テメェっ、さっきのガリ勉じゃねぇか!」
恥ずかしげに悲鳴を上げて裸体を隠すチワワと、無駄な雄フェロモンを放ちまくる俺様攻めに、
「ゲフ」
とりあえずオタクは鼻血を吹いた。
「きゃあっ」
「ぅわっ、お、おいお前大丈夫か?!」
「きゃーっ!チワワと俺様がァ!きゃーっ!きゃーっ!チワワがァアっ、きゃーきゃー!裸でアレがコレして…ハァハァ…モエェエエエエエ!!!!!」
鼻血を吹きまくるオタクに二人の視線が突き刺されば、
「速やかに着衣を整え、部外者を退室させろ」
酷く静かな声音が落ちた。
「…俺がただの人間である内に」
まるで夢の様な、声音が。
←いやん(*)(#)ばかん→
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