帝王院高等学校
天の川に桜と星と黒縁眼鏡
「猫踏んじゃったー♪猫踏んじゃったー♪」

その時、彼は鼻歌いながら軽い足取りで中庭を横切ろうとしていた。

「猫踏んづけちゃったら素通りだー。だって光王子なんてバリタチじゃないー…ん?」


そして違和感。

彼のスニーカーが何かを踏み付けたらしい。すぐに片眉を上げ視線を下へ落とした彼は、笑顔で屈み込んだ。


「あらこんなーところにカナメちゃん♪」

深い神秘的な青が麗しい要の頭を撫でながら、ギリギリまで腰パンな彼は優しげな目元を益々緩ませる。

「どーちたのー?健吾と裕也ならー、A組に落っこちたんだってさー。淋しくなるねえ」
「………隼人。貴様今、俺を踏まなかったか…?あ?」
「まっさかー。カナメがこーんなところで膝抱えてるなんてバリウケるー。なーんて考えてませんからー♪」
「初代カルマ副総長である俺を踏むとは好い度胸だ。…そこに直れ!踏み潰してくれるわっ!」

立ち上がり拳を握る彼は、然し両手に何かを握り締めている様だ。
小首を傾げつつ、神崎隼人は下着が見えそうなくらい下げたスラックスのポケットに突っ込んだ両手をバタつかせる。

「凶器凶器怖ーい。カナメちゃんがジンジャーエールとポカリで隼人くんを殴り殺そうとしてまーす」
「いっそ死ねやクソ犬が!」
「いやーん、受験ノイローゼなんじゃなーいカナメちゃんってばー」

殴り掛かってくる缶ジュースをひょいひょい避ける男は、ひらりと宙に舞った。
体操選手真っ青な後転で、だ。

「ちっ、ちょこまかと…!」
「あー舌打ちしたー。言ってやろー言ってやろー、ユウさんに言ってやろー♪」
「黙れ餓鬼。今は貴様なんかの戯れ言に付き合ってる場合じゃないんだ、俺は…」
「んー?」

がくりと肩を落とし、何事かを深刻な表情で悩んでいる要を見やり、隼人は僅かだけ揶揄めいた笑みを控えた。

「マジ、どしたのー」
「貴様にだけは話したくない」
「あらん、仲間外れキラーイ。もぅ隼人くん泣いちゃうにょー」
「黙れ目障りな上に耳障りだ。消えろクソ犬」
「はいはい、一生1人で悩みなさい青少年よー。隼人くんは屋上でサボってくるからねー」

缶ジュースを凝視しながらキョロキョロ周囲を見回す要の向こう、木製ベンチの上に何故かパンの山を見た。
目を細めて焼きそばパンを確認する。要の趣味ではない事は確かだ。

「馬鹿さを悔やんで飛び降りてくれたら、せめて葬儀の場だけは泣いてやる」
「結婚式まで涙は取っておいてねー、俺とボスのらぶらぶウェディングまでー」
「寝言は死んでからほざけ馬鹿め」
「ひどーい」

跳ねる様に南棟に続く回廊へ足を進めながら、



「カナメのほーが、隼人くんよりお馬鹿さんなのにねー」

呟いて、嗤う。

「星河の次は、何になるんだろー?月河かなー、満月の君なんてロマンティックー」

産まれて初めて成績で負けた相手。まだ見ぬ外部から来た異邦人。
ただのガリ勉だったら腹を抱えて笑うだろう。負ける以前の問題だ。


喧嘩なら、良い。
卑怯な手を使って大人数で挑んでくる雑魚共に事実上敗北しても、後できっちり仕返しして勝利するのだから。

いつも一人で戦って来て、幾つもの勝利を得て、ああ、一度だけ相手が悪かった事を思い出した。



『テメェ…誰に喧嘩売ってやがる?』
『テメェ、うちの総長と知ってンな無礼吹っ掛けてんのか?あ?』
『ふふふ。ABSOLUTELYとカルマの両副総長を前にその勇気は認めてあげましょう。丁度今、私もムシャクシャしてましたし…うふふ』
『…二葉、お前はただ単に今日の仕事で苛ついてるだけだろ』
『はん、高等部または色々面倒臭ぇみてぇだな。馬鹿猫が中央副会長候補だなんて、お先真っ暗じゃねぇか』
『アハハハハハ』
『笑ってんじゃねぇ二葉!テメェ糞野良犬っ、今日と言う今日は絞め殺してやるわ!』
『やんのかコラァ!!!』

ただ一人、戦わずして敗北した相手を思い出した。
一目見た時から圧倒的な敗北を認めざる得なかった相手、産まれて初めて抱いた恐怖心から噛み付かずには居られなかった、人を。



『テメェっ、今すぐ降りてきやがれ!』

宵闇に浮かぶ満月。
数多の人間の後ろに、一人佇む銀の化身。

胸ポケットに引っ掛けられたブラウンのサングラスが妖しく煌めいていたと思う。



『シャム猫、か』

静かな声音、細めた闇色の双眸が嫌でも心臓を貫いた。

『いや、…タイガーキャット』

負ける以前の問題だ。
もう、誰にも負けるつもりはない。
もう、誰にも跪くつもりはない。



『怖がるなら、要らない』

前に立ちはだかる三人の男達に敗北したのは。多勢に無勢だっただけだと考える。
佑壱も日向も二葉も、容易に勝てる相手ではないと判っているけれど、


「…あーあ、東大行かなきゃなんないのになー。青春は酸っぱいにょー」

落ちてくる桜を見上げながら、硝子張りの螺旋階段を蹴り上がった刹那。

「あーれ?」

遠く硝子の向こう、きらきら光を反射させる白銀を視たのだ。



「会長さんがー、アキバ系を誘拐してるー」

世界中、何処を探しても見つからない様な完全無欠人間が見える。
ひらひらひらひら舞い散る桜の向こう、神と呼ばれる人間が地面を歩いている。

「うちのボスにすら無反応だった不能野郎が、あんな趣味の持ち主だったなんてー♪バリウケるー」

ふと、神の腕に抱かれている黒髪が振り返った様な気がした。光を反射させる分厚いレンズが見える優秀な視力は、最後に。




「…なに、あのオタク」

見た様な気がするのだ。
桜の下に、星を抱く川を。
自分を従わせる事が出来る、光を。



「神様にだっこされてニヤケてんの。…馬鹿みたいー」


夏の夜空を彩る天の川に良く似た人の、笑みを。

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