帝王院高等学校
★青息吐息3☆若月わかめ様より
私の知らないところで貴方が泣いている。
これほどの屈辱があるだろうか。
浮かぶは醜悪なまでの嘲笑。まるでそれが最高に楽しいとでも言うかのような笑みを浮かべて、抵抗する体をねじ伏せる。
暴れる四肢を押さえつけ、ボタンがはじけ飛ぶのにも構わず引きずり剥がす。
四方から伸ばされる穢れた手。細く小さな体の抵抗などあまりに呆気なく抑えてしまう。嘲笑されながら、好きなようにされる貴方は無力。そうあまりに…頑是無い。
噴けば飛ぶような弱さのくせに。
小さく果敢無い生き物であるくせに。
貴方はいとも簡単に私の理性を奪う。
「っぐ…!」
「ハッ…」
汚い生き物、穢れた下等生物。畜生にも劣る下劣なカスらが呆気ないほど簡単に跪く。邪魔だとばかりに蹴り飛ばせば、無様なまでの醜態で仲間のカスどもを連れて逃げ出す有様。
あまりに呆気ない。あまりに弱い。
触れることすら厭わしい。汚らわしい程に醜い生き物。
本気を出すまでも無い、こんなにも呆気なくバカバカしいほどに弱いというのに。
何故。
貴方は。
何故、貴方は逃げられない。
「服を着なさい」
背を向けながら言い放つ。
醜い下等生物なんぞに捕らえられ、あまりにも呆気なく、あまりにも簡単に四肢を押さえられ好きなように蹂躙されて。裸同然に地に転がる無様な貴方。
か弱いほどに。呆れるほど何もできない。
無様なほどに。
苛立たしいほどに、どこまでも。
あれほどまでに呆気なく倒れ伏す弱い存在から、何故逃れられない。何故抵抗できない。何故。
何で触れさせた!
目の前が真っ赤に染まる。今だってブチ切れそうな頭を抑えることに集中することしかできないくらい、何も考えられない。
両腕を囚われ引き摺られていく姿。思考が働く前に駆け出した。静止する声も何も聞こえない。名前を呼ばれても何もかもが素通りして行った。
広い学院内、人気の無い場所など全て頭の中に記憶されている。だからそう、それは呆気なく見つかった。僅か数分の差。
僅か。そう、たった、それだけ。
その光景に理性など存在しなかった。
目の前が真っ赤に染まって、今していることさえ関知するどころではない。それほどまでの、激情。
たった一発で血反吐を吐いて気を失った生徒のことなど、気にすることではない。
地に押さえつけられた頭。口に押し込まれた布。制服を引き千切られ開かれたシャツ。引き摺り下ろされ露になった…白い…下肢。
その肌に食い込む…汚い…手。
焼ききれる網膜。真っ赤な闇。真っ黒に塗りつぶされる思考。まるで何も考えられない。呆けたような気持ち。けれど沸きあがるどうすることもできないほどの…衝動。
浮かび上がる一つの言葉。
『殺してやる』
お前ら如きが。
何故。
あいつに触れた。
疲れたわけでもないのに息が上がる。高ぶり興奮する己を落ち着かせるように深く息を吸う。
解っている。こんなのは、こんなものは自分ではない。
常に冷静に。常に客観的に。正常で正確な判断を瞬時にこなせる己で無ければならない。そう、自分とは本来そうでなければならない。
そうあるべきだ。
それがこの有様。この醜態。
たった一人の人間に。男に。ここまで感情を揺さぶられる己の情けなさ。
私を揺るがす全ての元凶が恨めしく憎たらしい。苛立たしいほどに脆弱な貴方がいけない。己の部も弁えられず、己で身を守る事さえできないくせに正論だけで論破できるとでも不相応に思っているのか。
所詮庇護が無ければ何もできない弱い存在でしかないくせに。
腹立たしい。
燃え滾るような怒りが込み上げて抑えることが酷く難しい。こんなにも呆気なく、醜態を晒してしまえる自分があまりに、情けない。
何処までも残酷になれる自分が恐ろしい。
冷静に。
けれど、できない。
それは容易く破られる。
貴方の前では。
「早く着なさい」
身動きすらする音も気配もない。己を落ち着かせるように、ゆっくりと、言い聞かせるように言葉を吐く。
揺さぶられる。感情を。
狂わされる。思考を。
貴方が私を無様にさせる。
背を向けていなければ抑えることもできない。余裕なく崩れたこの相貌を、歪んだ己の姿を、誰に見られても貴方にだけは見せられない。
弱いくせに。脆弱な人間よりもずっと弱く果敢無いくせに。
素直にただ守られるだけで良い。何もせずバカみたいにただ怯えて守られてだけ居れば良い。何もせず何も言わず、大人しく。
苛立たしい。
弱いくせに、自分の身も満足に守れぬくせに。強がりばかり口にして、起こる事態に対応する事もできないくせに。ただ足手まといに誰かの助けを請うしか自分を守れぬくせに。
だからこんなことになる。
先ほどから衣擦れ一つしない。
とても優しくなどできるような心境ではない。今貴方を見れば、今貴方に触れれば、あの醜悪な下衆どもとそう変わらぬことをしてしまえる己を解っているからこそ、動く気配の無い山田太陽に激しい苛立ちが募る。
そんな状態に痺れを切らし、振り返る。
「好い加減に…!」
しやがれと、崩れた言葉を気にする余裕さえも無く開いた口は、最後まで言わずに閉じられた。
駆けつけたときと寸分たがわず乱れた着衣。露になった素肌に残された痛々しいほどの指の痕。隠す事すらせず、晒された白い肌…。
瞬時に頭に血が上る己の浅はかさ。考えるよりも先に欲情を覚える人の性に抗えぬ己が酷く煩わしい。
痛いほどに拳を握り締め、そんな邪な感情を押さえ込む。今すぐに、その肌を蹂躙してしまえる己を何度も殺す。
逃げ去った下衆どもを何度も何度も、どうやってなぶり殺してやろうかと考える。顔も名前もクラスも寮の部屋も何もかも全てが頭の中にある。見つけ出すことは酷く容易い事だった。
だから逃がした。
逃げられないと知っているから、逃がさない。
これ以上他の誰の目にも見せたくない。だから逃がした。
この体に触れたやつが居る。
その事実が存在するそれだけで、その場で容易く罪を犯すことができる己を知っている。だから逃がした。
頭を冷やせ。何度も自分に言い聞かせ、深呼吸を繰り返し高ぶりを沈めていく。身の内の激情など外にさえ出なければ良い。表面だけでも取り繕って、冷静になれ。
ピクリとも動かない。気を失っているのかと思えばそうではない。
その体は小さく…震えていた。
強く強く握り締めた小さな拳。
小さく繰り返される…呼吸。
泣いているのか。
「立ちなさい」
先ほどから何の反応も示さないその姿に好い加減に苛立ち、俯いた顔を上げさせようと乱暴に顎に手を掛け…手の平を濡らす感触に、ほんの少し動揺する。
それは赤だった。
予想していた情けない泣き顔など、そこには無かった。
ただただ強く、唇を噛み締め…目を真っ赤に染めても尚涙を流さぬ…強い眼差しだった。
ゾワリと背筋が粟立つ。
唇を噛み締め何かを必死に耐えるその姿は、お世辞にも誉められたものではなく…けれど何よりも…私の脳を揺さぶった。
噛み締めすぎて流れた血が顎と自分の拳を濡らす。その鮮血は痛ましいはずであるのに、可笑しな程に…私を魅了した。
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