帝王院高等学校
やっと教室に辿り着きました。
「紫の宮様、ご機嫌よう」
「紫水の君、本年度はお世話になります」
「ああ、皆早いな。各自時間になるまでゆっくりしぃや」

良家の子息らしい挨拶と共に増え始めた教え子へ愛想笑いを向けて、真新しい教材を並べながら息を吐いた。


「…面白ない奴ばっか早来んねんな。のび太とスネ夫はまだ来んのかい」

呟き一つ、新学期からの予定表を記した書類を配りながら、生徒らから見えない教卓の内側に左手を突っ込む。
薬指に嵌めた指輪は生徒時代に与えられたものだ。今でこそ真の効力は持たないが、昔は『マスターリング』と呼ばれた中央委員会会長に与えられる王の証だった。



「プライベートライン・オープン、一年Sクラス生徒の現在地を一覧表示してくれ」

教卓の内側に備えられた小さな液晶ディスプレイに無数の点滅、帝君を記す一際大きな点が校舎付近で点滅して、その付近にもう三つ光が点滅している。

「…一つは山田やろな、もう二つは誰や?もう友達出来てんか、人気者やなぁ」

無数の点滅に数字が表示された。
1番の隣にやはり21番と、18番。

「安部河ぁ?…ほんま、想像出来へん組み合わせやな」

順に確認していって、違和感に気付く。番号が足りない様な気がするのだ。
今現在教室内に10近くの点滅があって、すぐ近くの廊下でも幾つか点滅している。心の中で全ての点滅を数えて、29人分の光しか見えない事に眉を寄せた。

「可笑しいな、2番…神崎の居場所が判らへん」

帝王院神威が持つクラウンリングに続く指輪で、調べられないものなど無い筈だ。
あの悪賢い隼人が己のIDカードを操作しているなら有り得るが、そんな事をする必要があるだろうか。確信は無いが、得にならない事を隼人が好むとは思えない。

「あの不良生徒め」

敷地内にIDカードが存在する限り、必ず表示される筈なのだ。つい数十分前まで校舎内に居た隼人が居なくなったなら、地下駐車場から無断外出したとしか考えられない。


「紫水の君、ご機嫌よう」
「先生、これ母から東雲先生へって預かって来たお菓子です」
「紫の宮様ぁ、そのお召し物素敵ですね!」

思考を止めて愛想笑いを張り付けた。隼人が敷地内に居ないならただの欠席になるだけだ、気にする必要はないだろう。




「ああ、お早うさん。今日から宜しゅうな」






もう、帝君ではないのだから。



















「しゅーん、たーすけてー」
「はふん」

赤い物体が翔ぶ様に近付いてくる。
人が増えてきた正面玄関の改札口で列に並んでいると、改札口の使い方を教える様に先に入場していった桜と神威の背中がドアの向こうに消えて、代わりに聞き慣れた声が聞こえたのだ。
くるりと振り返り、背後で並んでいた生徒が怯むのにも構わず、無我夢中で駆ける。

「きゃ、」
「うわぁ、」

並んでいた生徒達を飛び越え、飛び越え。まるで翔ぶ様に流れる様に、



「イチ、良くやった!愛してるぞ!」

衆人監視の中である事も忘れて、腕を大きく広げたのだ。

「そ、そ、そ、総…っ、遠野!」
「おいで、」

一瞬で全身真っ赤に染まった佑壱が太陽をていっ、と放り投げ俊の腕に飛び込んでくる。
然し腕を広げたオタクと言えば弾かれた様に走り出し、佑壱をクネッと避けて、



「し、死ぬかと、お、思った…!」
「タイヨー、タイヨータイヨータイヨー!!!」

放り投げられた平凡をナイスキャッチ、もう二度と離すものかと言う執念で輝く眼鏡にハートマークを浮かべて、小柄な太陽を抱き締めグリグリ頬摺りだ。

「………」

俊にクネッと避けられたワンコと言えば、行き場の無い腕を見つめ何処と無く涙目である。
俊に抱き殺されそうな太陽を羨ましげに眺め、罪の無い生徒達を睨んで八つ当りだ。

「タイヨーお怪我はなァい?」
「あー、うん、ごめん心配掛けた?大丈夫、あの後すぐに………風紀委員会が助けてくれて、さ」
「良かったにょ!ぐす、今頃何処の肉の骨とも知れない奴らから犯されてるんじゃないかと!ひっく」
「それを言うなら馬の骨じゃないかなー、つか俊、頬っぺた擦り切れるー」
「僕が居ない所でもしタイヨーが犯されてたらっ、ぐすっ、記念撮影が出来ないにょ!」
「アハハ、…俊、お座り。」

うっかり心の声が漏れてしまったオタクは、般若と化した平凡副会長の前で正座した。
ガミガミ怒られて見えない尻尾が垂れ下がる。俊を守る為に駆け寄った佑壱も、所詮キレた平凡の前ではチワワだ。

「二人共、今の俺が機嫌悪いんだってコト覚えてなさいねー。…うっかり屋上から吊すよ?」
「はい、すいませんでした。その場限りの反省します」
「はい、すいませんでした。眼鏡の底から反省します」

この二人に猿でも出来る反省は難しい様だ。
馬鹿正直な佑壱はともかく、眼鏡を曇らせたオタクが心配していたのは確かだろうと息を吐いて、乱れた髪を掻いた。

「皆無事みたいだし、良かった。桜達は先に行ったの?」
「そうにょ。タイヨー、早く教室に行くなり」
「そーだなー、俊、生徒手帳ちゃんと持ってるかい?」
「此処にあるにょ!」

神威から貰ったドッグタグのネックレスに括り付けた大きなガマグチ財布が、シャツの内側から飛び出した。
黒々艶々とした人の頭サイズの無駄にデカイガマグチ財布から、生徒手帳であるIDカードは勿論、ぐしゃぐしゃになった入学案内や煌びやかな文庫本まで飛び出すのは何だ。


「…俊、レトロな荷物入れだねー」
「あ、ガマグチならいっぱいあるにょ。タイヨーも要る?水色の奴が良いかしら!」
「いや、俺は別に、」
「あ、俺は赤で良いっス」
「嵯峨崎先輩にはガマグチレンジャー入隊資格は無いにょ。中央委員会は敵ですっ」
「俺、中央委員会辞めます」

規則正しく並ぶ一年生を弾き飛ばし、ぎゅっと俊の手を握り締めた男は無表情なオタクからぱちんと殴られた。


「イケメンが気安く触らないで欲しいにょ、俺様を目指すなら悩まずタイヨーに襲い掛かりなさいっ」
「山田、テメーを倒さない限り、俺に未来はねぇ。悪いが死んでくれ」
「何の未来ですかー」

拳を鳴らした狼はいつの間にか改札口の列に流され、

「イチ先輩、そっちは一年生の昇降ゲートです。アンタはあっちでしょーが」
「喧しい山田、お前が俺の代わりにあっち行けや。俺がお前の代わりに授業受けて来てやっからよ」

一年生の群れに紛れて改札口を通り抜けた佑壱の背中を見送って、太陽は冷めた溜め息を吐く。

「どっちにしろ、アンタは二年出口にしか行けないし、イチ先輩…」

さよなら、と手を振ってやる太陽の番がやってきた様だ。
期待に眼鏡を光らせるオタクの手を取り、生徒手帳をカードリーダーに通す。仰々しく開いたゲートを見上げて、肩越しに振り返った。


「さ、行こっか」
「緊張するにょ」
「大丈夫だよ、どう言う仕掛けか未だに良く判らないけど、このゲートはクラス・学年毎に入口を区別してるから、俺達はこのまま一緒に入れるし」
「行くにょ!」

ていっ、と跳ねる様に俊に手を引かれ、改札ゲートを越えた。
講堂に向かう時とは全く違う昇降口に出るのと同時に背後の改札が閉まり、振り返って二人同時に目を見開く。


「ぷはーんにょーん!」
「な、壁?!今まであったゲートは何処に消えたんだ?!」

たった今の今まで、自動ドアだった筈の背後がただの壁に変化している。
ゲームの世界か映画の世界みたいだ、と、感心した様な狐に化かされた様な、言葉にし難い奇妙な感覚に暫し呆然としたまま、繋いだ手を離すのも忘れ壁を凝視した。

「俊君、太陽君!」
「ふぇ?」
「桜!無事だったんだな!」

背後から聞き慣れた声に呼ばれて漸く壁から目を離し、小走りで駆けてくる桜とその向こうで佇んでいる神威の姿に現実を実感するのだ。

「太陽君っ、良かったぁ。きっと大丈夫だと思ってたけどぅ、やっぱり太陽君は凄いんだねぇ」
「は?何が?」
「だってぇ、体育会系の奴に連れてかれちゃったからぁ、僕、幾ら太陽君でも心配してたんだよぅ」
「あ、ああ、それは、」
「でもぅ、やっぱり太陽君は自力でどぅにかしちゃったんだぁ!凄いなぁ、見習わないといけないねぇ、僕も」

尊敬の眼差しで見つめてくる桜に、まさか白百合に助けられてその上とても言えないアレコレがあったなんて、やっぱり口が裂けても言えない。
期待に満ちた視線から逃れる様に顔を逸らし、何処と無く偉そうな態度の神威を見た。

「ふむ、やはり無事だったか山田副会長。面映ゆい、少々痛め付けられていれば良いものを…」
「身近に一番痛め付けてくる奴が居るから、簡単にやられないっつーの。ったく、これだから顔のいい奴は性格最悪なんだよ」
「まぁ、良かろう。…想定内だ」
「は?」
「構うな、独り言だ。行こうか、俊」

俊にだけは優しいな、と手を差し伸べる神威を見やり、その長身を改めて窺う。
最近何処かで見たばかりな様な気がするのに、やはり全く思い出せない。初めて見た時から何とも言えない既視感があるのだが、口にした所で下手なナンパに成り下がるだけだろう。


「タイヨー、桜餅、カイちゃん、自己紹介考えたにょ?僕ってば転校生みたいなものだから、やっぱり第一印象が大切ですっ」
「俊君を知らないクラスの子なんか居ないと思ぅ」
「あー、確かに。帝君の名前は皆やっぱ気になるから調べてるし、何せあの新入生挨拶の後だからな…」
「俊、菓子を差し出されても口にするな。帝君を陥れようと企む輩は少なくない」

親馬鹿に似た台詞を吐いた神威に、流石の桜も瞬いた。
完全に呆れている太陽は、左席会長に毒を盛る様な勇者が存在する筈が無いと独りごちる。

「ふぇ?知らないお菓子は食べちゃ、めー?」
「寧ろ他人を見るな話し掛けるな笑い掛けるな。…良いか、他人は等しく全て誘拐犯だ」
「ふぇ?」
「カイ庶務、会長に嘘っぱち吹き込むな」
「カイさんって、心配性なんですねぇ。何かお母さんみたいだなぁ」

お母さん、と言う台詞に太陽が吹き出し、オタクが眼鏡を輝かせた。

「おカイちゃん、お母さん、オカン攻め!」
「ぶふっ!」
「俊、俺はお前を孕んだ覚えが無い。お前が孕め」
「きゃ、きゃーっ!」

黒縁眼鏡と鉢巻きを外した桜と太陽の背後で、オタクがオタク(大)に襲われている。

「きゃ、俊君が教室の前でっ、新婚初夜みたいな事に!」
「桜、弾丸をくれ」

桜から受け取った金平糖を冷めた目で見つめた太陽は、掌に転がしたハートを指で弾いた。
シューティングゲームで鍛えたオタク能力で金平糖は神威の鼻先に当たり、吸い付かれそうだった俊の口にビンゴ、


「美味し〜にょ!」
「…間男の邪魔が入ったか」

モゴモゴ咀嚼する俊の唇を金平糖に奪われた男は舌打ちせんばかりに低く呟き、黒縁9号の下からスナイパー太陽を睨んでいる。
素知らぬ素振りで、近くの教室の扉に手を掛けた太陽と桜が入室し、ルームプレートを見上げた俊が眼鏡を曇らせた。


「カイちゃん、緊張してきたなり。どうしよう、足が寒いにょ」

カタカタ震えている両足に顔を伏せた俊を覗き込み、


「何故、お前は庇護欲を揺さ振るのだろう」
「ふぇ?」
「…あの高慢な生き物には覚えなかった興味を、お前は容易に満たしてしまった」

どんどんどんどん近付いてくる高い鼻先をただただ、逃げる事も嫌がる事も出来ずに受け入れようとしているのは、何故。


「ん、」

足が震えているから、なんて。理由になるのだろうか。



「他人など、全て神帝だと思えば良い。…お前はあの横柄な人間を嫌っているのだろう?」
「大嫌いにょ」

柔らかく首を傾げた唇が笑みを刻む。

「それで良い。ならば、俺は?」
「嫌い、…じゃない、にょ」
「些か曖昧だな」
「でも、嫌いじゃない、もん」
「心理分析をしようか。断崖絶壁から今にも墜落寸前の二人が居るのを見た。然しお前の手に、命綱は一本」

首を傾げる俊の仕草に目を細めた男は考えた。これは残酷な問い掛けだろうか、それとも自虐的な問い掛けだろうか、と。


「安部河桜と山田太陽。救うならば、どちらだ」
「タイヨー」
「何故」
「桜餅はタイヨーが助けるから、大丈夫にょ」
「信頼しているのか」

賢い生き物は選択肢に無い解答を弾き出す。然し、その程度は想定内だ。

「ならば、嵯峨崎佑壱と山田太陽」
「タイヨー」
「お前は嵯峨崎佑壱に懐いていた様に記憶しているが?」
「嵯峨崎先輩は自分でどうにかして、きっと助かると思うにょ」
「やはり、信頼しているのか」
「さっきから恥ずかしがって入って来ぃへんシャイっ子ちゃん、何しとんのー?」

教室の扉が開いた。
満面の笑みを浮かべ顔を覗かせた村崎の気配を横目に、最後の、本題とも呼べる問い掛けを言葉にする。



「最後に、俺と嵯峨崎佑壱」
「…」
「さぁ、─────答えはどちらだ?」


口を開いた俊の声が、響き渡る大聖堂の鐘に掻き消えた。





「そうか。」



すぐに顔を伏せた俊の頭を撫でて、教室から頭を覗かせたまま呆然としている村崎へ向き直る。


「外部生遠野俊、並びに昇級生ブラック=K=灰皇院、到着しました。…東雲教諭」
「ブラック、ケー、カイオーイン?」
「俺の名だ、俊」

黒縁9号を優雅な仕草で外した美貌が、密やかに密やかに村崎を射抜いた。

「何卒宜しく願います、東雲教諭」
「─────」

流れる様な銀糸の下に、ルビーとサファイアを混ぜた様なアメジストの双眸、人間の瞳の色では有り得ないその紫水晶の様な双眸が、言葉を失った村崎の隣を擦り抜ける。


教室内が一気に騒つく気配をそのままに、



「ホストパーポー、どうかしたにょ?」
「…遠野、黒をフランス語で何て言うか、知ってるか」

標準語を話している事にも気付かない村崎の瞳に、恐怖に似た色合いが滲んだ。

「ん〜ん、知らない。ねね、僕、教室入ってもい〜にょ?」
「あ、ああ、悪い、早う入りや」
「お邪魔します…」

緊張からか両手両足をぎこちなく動かしながら入っていく俊の背中を見つめ、



「何を、考えとんねん、アイツは…」


遥か昔に見た、歴代最強の男を思い出している。





『村崎、…私は逃げようと思う』
『神である義兄様から』
『私と言う存在を消してでも』


(濡れた黒曜石の様な双眸)
(濡れた黒曜石の様な黒髪)
(あの気高い皇子さえ色褪せる程に)


(人知を逸脱した存在を視た)




『…貴様が我がノワールを奪ったのか』


あの時に視た、全てを従わせようとするダークサファイアの双眸を。
あの時に視た、全てを呑み込もうとするホワイトゴールドの金糸を。



『私は逃げようと思う』
『誰にも言ってはいけないよ』



「父親と同じ面、しとるやないか…」



(あれが)
    (本当に)



(高校生なのだろうか)







『─────義兄様は』
『私から全てを取り上げようとする』


『友人も、家も、…何も彼も』


『だから、逃げる』
『私の代わりにあの子を置いていこう』
『義兄様が孤独にならない様に』





『愛しいルークを、義兄様の元へ。』

←いやん(*)(#)ばかん→
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