帝王院高等学校
密やかに烟る火種と希望のイナバウアー
「…数分前にサードパーティーを掌握した」
「想定より時間が懸かったな」
「未明に発生したトラブルでネットワークが停止していたんだ。完璧と言わざるえないセキュリティの前に、使える媒体が足りない」
「どうやって神の目を掻い潜った?」

この国は何処も眩しい。太陽が昇る島と呼ばれている、地図では極東に位置している。
けれど何処の国でも太陽が昇れば眩しいものだ。例えばこの国の地図を見れば、極東に位置するのは島ではなく大陸である様に。

「ネットワークに接触した旧型アンドロイドをジャックした。プロキシを偽装せずにVPNを公開している」
「何処の無知な子供だろうな。積載コードは?」
「特別機動部」
「旧型と言う事は、サタンの罠だったりしてな」
「可能性は0ではないとして、限りなく0に近いと提示する。根拠はアンドロイドに保存された識別コードの登録日だ。記述は12年前、キング=ノアの就任時に当たる」
「或いは元老院の一席を空けたままの、ネルヴァ閣下か」
「中央情報部の独自調査では後者の可能性の方が高い。機能が限定された双子の機体だ。恐らくシリウスモデルのテストタイプだろう」
「テストタイプがまだ動いてると言うのか。小さい島国とは言え、膨大な核燃料を保有している国だ。旧式の燃費が悪い機体をアップデートし続ける事は可能だろうが、効率的とは言えないな。ロボットは消耗品だ」
「もう二つ、未確認機体を確認している。二体共に識別コードの登録がない。識別コードが搭載されているのは、上院理事会の指示でアンテナの修理を優先した2機体だけ」
「中央情報部の情報を鵜呑みにするのはどうかと思うが、認証コードはネルヴァなのか、シリウスなのか」
「どちらでもない。リヒトだ」
「…光?」
「言う必要はないと思うが、八代男爵の情報は社員登録されていない。歴史のアーカイブに記されているリヒト=キング=ノヴァ=グレアムの名前を使用した訳ではないだろう。考えられる可能性は、リヒト=F=エテルバルド。学籍登録名は、藤倉裕也」
「学園内のサードパーティーサーバーを掌握したなら、調べる事は可能だろう。取り零しなく情報を掬い上げておけよ。火種の匂いがする」
「趣味が悪いぞマスター」

黄金の国ジパング、鉱山よりも地震の方が多いと歴史に刻まれている。狭い島国に一億を超える人口。世界の何処を見ても極めて珍しい、先進国の一つ。

「欧州情報部のシャドウウィング一台、ファントムウィング一台が先程到着。人員管轄部数名が発信源に向かった」
「最後のスカウトだ。奴らは今の神に満足しているのか」
「確認出来ているのは女二人」
「…女?何処の部署も部員数の変動幅は一定ではないだろうが、欧州情報部長は女か?」
「可能性は否定出来ないが、改めて現状を確認する必要があるだろう。現時点でこちら側と呼べるのは元老院議席2名。前時代の特別機動部、欧州情報部枢機卿」
「は。ベテルギウスが枢機卿?」
「…情報を訂正する。コード:シリウスの代理として一時的に特別機動部全権を委任されていた、コード:リゲルの息子だ」

この星には、夥しい数の炎が潜んでいる。
いつか天才と呼ばれた子供が書いた論文は、そんな文学的な一節から始まった。

「離反者が出た部署は人員管轄部半数、区画保全部8割、中央情報部4名」
「対外実働部ではなく中央情報部員が寝返るのは計算違いだったな。儲かったのか、火種になるのか♪」
「どちらにせよ、マジェスティの支配下で中央情報部と情報を共有するほど我々は馬鹿じゃない」
「我々・か。裏切り組と一緒にされるのは良い気分じゃないなぁ」
「否定はしない。我が部署は部長以下全員が反逆の可能性を秘めている。マスターの命令通りに」
「いやぁ、部下に恵まれた部長だなぁ、俺様は♪」

何処までも広がる宇宙の極一部でしかない星の渦の、更にその一部。地球の内側の事だ。
暗い夜を照らす光であったり、真昼の厳かな陽光であったり、儚い命であり、争いの火種であったり。

「流石、ノアの遊牧地だ。いっそ神経を疑う程には何処も此処も真っ白で、神経を疑う。区画保全部員が骨抜きにされてるんじゃないか?」
「恐れ多くもマジェスティに対する皮肉は不敬罪に値するぞ、マスター」
「この程度で感情を露にする男だったら、もう少し楽しめているよ。中央情報部との意思疎通はマスターがマスターだけに不可能と見ても、本部管理の区画保全部が半数以上寝返ってくれたのは…何て言うんだったか、ああ、そう、僥倖と言うんだろう?」
「声が大きい」

肌の色の違いで血を流す愚かな戦闘民族。戦う事でしか生を証明出来ない、人間は知恵を知った無能だ。

「普段はサボテンだらけの砂漠暮らし、お綺麗なマナーなんか皆無だろうが。下等な人間に適応して生活していれば、礼儀なんてとっくに廃れてしまっている」
「精々、足を掬われないよう願う」
「It's so easy。人間とは疑うべくなく哺乳類の1柱、獣に記された定義は生命誕生の瞬間から生きるか死ぬかの二択以外にない。我が社のポリシーだろう?結果が手に入れば、過程を重視しないのは」

夜光虫の如く火を見つけた瞬間、人類は急速な進化を選択した。夜空を見上げては星を探す知恵の持ち主は、光り輝くものを欲しがってきたと言う事だ。

「過程を重視しないと言うなら、対外実働部員のスカウトは浅はかの一言だ。コード:アートは裏切る気配がない」
「ああ、見誤ったかな。思いのほか、今のマスターに心を奪われているらしい。流石は同期社員第一位のエリート様だ。現ランクBの中でもあれは飛び抜けている。ライオネル枢機卿が養子に迎えたくらいだからな」
「結果が全てには賛同するが、過程を蔑ろにする理由にはならないと助言する。些細な要素が足を掬う理由になる可能性は0ではない」
「可能性なんて曖昧なものを数字にしても、0になる確率はそれこそ0だ。逆説こそが真理。ライオネル=レイが事実上引退したのは、ファーストを取り逃がした直後だ。以降円卓がルークに移行するまで、当時の副部長が引き継いだ。コード:エヴァーは補佐としてアビス=レイを取り込んだ」
「コード:カミルの急逝により、監視役が不足しただけだ。エアリアス=アシュレイは来日時に辞職した事になっているが、聖地へ足を踏み入れる理由を与えたと言う事だろう」
「ウィリアム=アシュレイはファーストを憎悪し、我らがアダム、土塊の塔が下した命令は一斉来日。罪作りな黒羊、ってな?」

始まりの火を手にしたのは男だったのか、女だったのか。
研究者の中にはそんな下らない事を知りたがる者も存在している。創世記のアダムとイブをなぞるのであれば、禁忌に触れるのはいつも女からだと。

「…土塊に従っている我らは何だと?」
「はは、確かに。言わば泥の塊か。バベルは神の怒りに触れる禁忌の塔、ルークは裁きを受けるか否か」
「ノアの気紛れは今始まった事じゃない」
「日本を聖地と定めたのは創始者レヴィ=ノヴァ。右翼はともかく、左翼の来日には時間が懸かった。正式な手続きを経て送られたただ一人の枢機卿は、日本国籍を持っている彼だけだ」
「ディアブロがイブだと?」
「俺達にとっては毒にしかならない魔王サタン、その正体はノアの飼い猫。日本国籍に関して言えば、首都東京で生まれ神と名づけられた当代男爵こそ自由に帰国する権利があった。ともすれば、キング=ノヴァが爵位と共にステルスを手放した瞬間に帰国してしまえば良い。幼い頃に連れてこられた可哀想な少年が、帰りたいと思っていたら…」

唆した蛇は地を這う宿命を課せられた。まるで犬の様に。土の中では生きられないのに、土から離れられない。

「気紛れ、大いに結構。イコール、得体の知れない組織内調査部の奴らも、稀に円卓に姿を現しても毎回『声が違う』欧州情報部長も。今この瞬間、俺達と擦れ違ってるかも知れない」
「現在地をご存知か?」
「組織内調査部が接触してる可能性がある叶の内通者を探して、アンダーラインツアーの真っ最中。…この分じゃ、人員管轄部の奴らからも呆気なく出遅れたな」
「来日直後、一般人の尾行なんかに興じるからだ。人員管轄部と区画保全部の離反組は行動を共にしている」
「我が愛しい母校の現役教授が花束抱えて日本旅行なんかしてたら、そりゃあ尾行もするだろう?それもかの有名なペンタゴン勤務の官僚、バリス=テイラーの次男坊だ。真面目一辺倒の長男と違って、幼児暴行未遂の前科がある数学者。これ以上ない目玉商品になる可能性がある」
「リチャード=テイラーの一件は、ディアブロの仕組んだ悪戯だ。同情する声はあれ、前科者と呼ぶ声は少ないぞ」
「そう、そこだ。あのネイキッドが男と寝るなんて考えられない。…まぁ、実際は側頭部にナイフ突き刺して頭蓋骨陥没に追いやった訳だが。十歳の餓鬼が大人の頭に突き刺すなんて、どんな腕力してやがる?」
「だからこそあれは、9歳で最高位枢機卿に認められた。スペシャルだからこその特別機動部長だ」
「羨ましいね、スペシャル。あの綺麗な面をゼロ距離でぶち抜けば、どんな火花が咲くんだろう?ヴァンプエテルバルドを追いやったサタンだ、熟れた柘榴より赤く潰れると思うか?」
「どの口で中央情報部長をサイコパス呼ばわりした」
「マザーボードの前から動かない根暗には人間の価値観が通用しないだろう?」

火は何処から生まれるのか。
星の中枢に閉じ込められたマグマは、いつから業火を抱いているのか。

「奴のサムニコフへの異常な執着は誰もが知っているのに、それが何の弱味にもならない。中央情報部長は区画保全部長の全てが愛おしいんだ。生きていようが死んでいようが、それすらも問題ではないのさ。何せセントラルサーバーには全社員の遺伝情報が保管されている。複製が難しいのはグレアムの稀有な血だけで、サムニコフの複製は簡単だ」
「中央情報部に不可能はない、か。一筋縄で行かぬと言う諺がある」
「マスターネルヴァは特別機動部傘下、医療班・技術班の権限を中央情報部と共有したからな。表向き、キング=ノヴァの代でシンフォニアは作られてない事になってる」
「事実ではないと?確証は?」
「ファーストの存在そのものが。何故ファーストの遺伝子情報を特別機動部は公開しないのか」

赤い、赤い、世界の内側は眩い真紅で彩られている。まるで人間の様に。

「…呆れたな、まだそんな事を言っている枢機卿が存在したのか。シスターテレジアはレヴィ=ノヴァの凍結精子と、マチルダ=ヴィーゼンバーグの残留卵子で受精した妹だと中央情報部に記載されている」
「その中央情報部が共犯だって言っただろう?全世界のデータを保管しているからって、嘘をつかない訳じゃない。鵜呑みにするなよ坊や」
「…俺の方が歳上だが?」
「実際、人の脳も嘘をつく。いや、正確には忘れた事すら忘れてくれる」
「天才の部類に入る我らを従わせる枢機卿とは思えない台詞だ」

太陽を描く時、多くの子供は赤いクレヨンを使う。多くのヒーローは赤を纏う。

「千羽鶴は覚えてるんだ。テイラーには懇切丁寧に教えてやってた癖に、俺とは話もしてくれなかった」
「鶴?何の話をしている?」
「それがさっぱり思い出せない。昔の俺に日記を書く可愛げがなかったら、この会話自体なかった」
「相変わらず、我がマスターは意味不明だ」
「ミステリアスな男はモテる。でも悪いが話は単純だ、生きるか死ぬかの表裏一体。俺は今生きているから、生きている他人の死に様が見たい。自分の死に様を見る事は出来ないだろう?」
「一貫してブレない所は尊敬に値する」
「サタンはらしくない真似をした。ディアブロを名乗っていても、所詮は17・18の餓鬼って事だ」

けれどステルスの忠実な従者ならば、口を揃えて答えるだろう。神を示す色は、黒だと。

「何をするつもりかは知りたくもないが、簡単に死んでくれるなよ。俺はお前の死に顔を見る為に、土の中を選んだんだ」
「そうだな、中央区の誰もがまるで土竜だ。ああ、この国では蝉と言った方が良かったか?」
「本当の目的は?」
「欧州情報部」
「は?」
「想定外かぁ?南米統括部の宿敵は他に考えられないだろう?遺伝情報が公開されていないのは何も対外実働部だけじゃない。実権順位は組織内調査部の下、4位に位置するベルフェゴールの情報も非公開だ。ランクAの情報を開示したがる物好きは俺くらいだろうが、お前は気にならないか?」
「全く」
「迷っているのか、明確な目的があるのか、単なる時間潰しか。どちらにしても、ベルフェゴールのやり口は遊んでいる様に見える。チェックを掛けた状態でキング以外の駒を潰し、ステイルメイト寸前まで甚振る…お優しいシリアルキラーの匂いが、ぷんぷんだ」
「…同類じゃないか」
「全然違う。俺はチェスよりオセロの方が好きだ。肉は焼くと黒く、骨は焼くと白く。何事も表裏一体だ。肌色は何を持って肌色とする?白人か?黒人か?黄色人か?色があるから差別が生まれる。俺はそこに火をつけるだけだ。燃え尽きた先、骨だけになれば争いはなくなる。俺は博愛主義者だからな」
「正気の沙汰じゃない」
「白か黒か。中央情報部長の唯一の肉親、対陸情報部長はビッグコックぶら下げてはいるが、染色体はXX。産もうと思えば子供が産める。奴は兄の所為で貴族の立場も家族も失った。上手く転がせば、中央情報部長を落とす事も可能だろう」
「綱渡り、と言う事か」
「お望みとあれば、区画保全部長と共に」

眩く燃える太陽系最大の星、太陽が崩壊した後に。残るのは白か黒か。
ノアはノヴァに。塔であり羊と呼ばれた雄の最後の瞬間、現状の柱が崩壊した後の世界に。新たな太陽は生まれるのか。生まれるとしたら何を照らすのか。

「…精々、一つしかない命を無駄にしない様に進言する。マスターリバース」
「退屈な人生を楽しく生きようとしてる俺の思い出を奪った、真犯人を」

廻れ廻れ壊れたオルゴールの様に無様な不協和音を響かせながら、殺せ殺せ。この退屈な時間の全てを。


「見つけたら俺は、死ぬのか否か」

この星では、唯一の神が黒を統べる。






























「ちろ!」

武士の子孫には瀟洒過ぎる西洋風建築物は三階建て。
何処ぞの議事堂宜しく左右対称に造られた嵯峨崎財閥本拠地兼会長邸宅には、馬鹿広い屋上がある。地上から見れば凸型の建物も、屋上に上がってみれば正方形の広場が三つ並んでいるだけだ。衛星画像で見れば長方形にしか見えまい。

「お、おち、ちろっ!」
「落ちろ?」

来客の多い玄関口、凸型の左右の片方は財閥関係者の職場だ。
玄関のある中央を挟んだもう片方は居住区だが、会社の出入口を兼ねている正面玄関側ではなく真裏に専用の出入口と駐車場があるので、来客と顔を会わせる様な事はまずない。つい最近、財閥の本業とも言える嵯峨崎エアラインズの社長に、若干30歳を過ぎたばかりの若者が就任し、入籍発表を行ったばかりだとして。

「ち、ち、うーっ」
「しろ?」
「ちろっ」

経済界の女帝と呼ばれている嵯峨崎可憐には似ても似つかないとんでもない美形が、奇抜にも程がある肩まで伸ばした赤毛を、ド派手な水玉柄のリボンで結っていようが。
にこりともしない吊り上がった一重瞼の双眸に、本当に生えてるのか?と疑うほど眉が細い女帝の跡継ぎとして紹介されたエリートパイロットが、例え金ピカに光る振袖を着用していようが。パートナーとして紹介された、赤味の強い茶髪の女性がどの角度から見ても男装している外国人だったとしても、だ。

「何言ってるのかさっぱりだにぃ」
「どの口が言うか。おみゃあの名古屋弁よりずっとマシだわ」
「うっせババア」
「舌切ってまうぞ馬鹿嫁」

経済界の興味は、性逆転の疑いが迸っている新婚夫婦より、乱高下を繰り返した航空会社の株式に注がれていた。
悪名高いがやり手として知られていた女帝の後継者、嵯峨崎嶺一の社長就任会見兼結婚発表記者会見は、余りにもワイドショーを騒がせたのである。そう、あらゆる意味で。

「おっぱいが小さい女は心が狭いでーすにゃ。どうしてハンサムパパは、こーんなクソババアの色仕掛けに落ちたんだに?だから早死してまうにゃ、けったいやで」
「その内だらしなく垂れ下がるだけの胸がなんぼのもんか。おみゃあはいっぺん、小学校から入り直した方がええ」
「ヘーイ、ママはゼロと一緒にご入学するだに。男の子は大騒ぎだにゃー、どえらい別嬪が入ってきやがったぜぇ!」
「…小林、たわけにつける薬は」
「残念ですが、この小林にも心当たりがありませんねぇ。そもそも女性は生命力が強いんですよ、ご存知でしょう会長?」

古くからの株主や提携企業は軒並み「あんな女装男に経営が勤まるか!」だの「いやでも女帝が会長として残るんだったら安心…なのかしら?」だの、下がったり上がったりすったもんだ。七転八倒、四面楚歌、七転び八起き。

「ふん。尻の青い餓鬼の皮肉は犬も食わん」
「いつ私のお尻を見たんですか?困りましたねぇ、上司のセクハラが酷くて」
「嶺一、秘書課の人事を練り直しときぃ。こんなたわけを置いとけば、いつか大変な事になるで」
「嫌ですねぇ、会長は可愛い子ほど苛めてしまう臍曲りなんですから。この小林は敏腕秘書ですよ?何せパイロット免許を持っています」
「セスナの運転手は間に合っとるわ。ボーイング転がしてから出直しぃ」

幾度となく詰め掛けるマスコミを、「取材は予めアポイントを取ってから出直して下さい」の一言で華麗に撃退したイケメン秘書に世間の関心が集中し、いつの間にか「オカマを守る美麗秘書、その正体は?!」の特集が組まれるまでに至る。鉄壁のガーディアン嵯峨崎エアラインズ秘書局長、誰が呼んだかコバックの愛称で報じられる様になると、株だのオカマだの男装嫁だのは遥か彼方に消え去った。

「所で会長、何故社長はフリフリのワンピースを着ているんですか?」
「…敢えて見ない様にしとる所を突っつくでにゃあわ。馬鹿女を一人で買い物に行かせた私が甘かったんだわ」
「何故また一人で」
「零人が生まれた手前、いつまでも篭らせとく訳にはいかんでよ。ただでさえ鬱陶しいマスコミが張りついとる」
「ああ、鬼母と嫁の確執なんて書かれた日には、上がった株価が転落しかねませんからねぇ」
「…何でか、おみゃあの笑顔を見とると殺意が沸くんだわ」
「お戯れを。この小林、イケてるやり手秘書としてマスコミの格好の餌食なんですよ?それもこれも生まれ持った美貌と知能と隠しきれない育ちの良さでしょうねぇ、ええ。京都の男ですから」
「ふん、ただの腹黒をそこまで言えたら大したもんだ」

世間の騒ぎに紛れ、間もなく「オカマんとこに赤ちゃん産まれたよー」と言うニュースを報じるメディアもあったが、「え?いつ仕込んだの?」「つーかデキ婚じゃね?」と蚊帳の外にいる若者が首を捻った程度だ。
オカマなのに流暢な英語を操る嶺一が、帝王院学園出身であると報じられると「コバック様も帝王院ですってよ!」「女帝もお人が悪い!帝王院学園出身なら安泰だ!」「買え買えー!嵯峨崎の株を買い占めよー!」「戦じゃあ!」と経済界は掌を返し、女帝嵯峨崎可憐の決断を「流石の采配!」と宣った。ほんの半年間の大騒ぎだ。株式市場は大荒れだったが、マスコミは儲かっただろう。

「私の腹など可愛いものですよ。世間の手の平返しに比べたら」
「世間以上に節操のない株主連中に餌をくれてやれ。零人の誕生日は盛大にやるで」
「おや。では嫁入り予算と言う事にしておきましょうか」
「阿呆か。姫様の嫁入りと一緒くたにするんでにゃあ」
「金髪の王子様の誕生日会なんて、次の騒ぎはどうなるものか」
「…それについては、馬鹿女に考えがあるらしいで」
「困りましたねぇ。何故か既に胃が痛いのですが」
「………同意だわ」

その影で、腐なるレディ達がコバカマのジャンルを設立したりもしたが、多忙なオカマは全く気づかず。コミケデビューした高坂向日葵について行った脇坂享が、アイスコーヒーを吹き出した程度に留まった。某ヤクザはブラックコーヒーが飲めないので、吹いていたとすればコーヒー牛乳だ。

「うー、ちろ!おちろっ」
「落ちろ?ゼロ、鬼婆を落としたいだに?ママもだにゃー」
「おみゃあ一人だけ落ちとけ。骨くらいは拾ったる」

世間の騒動など知った事ではない、愛知県名古屋市某所。
徒歩数分で名古屋城天守閣のシャチホコ様の反り返りっぷりを崇められる場所に建つ嵯峨崎家邸宅にて、すくすく育っているのは金髪の0歳児だった。

「あうー、ちろー!うう、ち、ちろ…ふぐぅ」

生後半年でドヤ顔の仁王立ちに成功した男児は、三階建ての家の窓からどの階に居ても大抵見える名古屋城をぷくぷくな人差し指でぶんぶん指差し、笑いを堪えている母親をキッと睨んだ。

「…ブフッ!Oh、ゼロが怒ってますだに。おおっと、涙を溜めて仁王立ちの体勢に入る…が、失敗!ベイビーは頭が重い、しゃーないんだにゃー」
「うー、ううー」
「おや。スケートにこんな技がありませんでしたっけ?アイススケートは名古屋のお家芸ですよ会長、零人坊ちゃんにはフィギュアスケートの才能が」
「おみゃあだけ滑りこけてこい」
「掴み立ちに失敗したゼロが、コケたー。ゼロがこーろんだ♪」
「う、うう、ぐしゅ」
「あ、泣く?泣いちゃう?ちんちんついてるのに泣いちゃうだぎゃ?」

初めて単語らしい単語を覚えた息子が、窓をバンバン叩いて覚えたばかりの言葉を叫ぶ様になった為、誕生日パーティーのこの日、普段は何ら使われていない屋上に家族は揃った。家族ではない人間も居るには居るが、残念ながら本日の嵯峨崎嶺一には戸籍上だけ妻であるエアリアスの頭を鷲掴み、「子供苛めて遊ぶな陰険女!」と叫べない事情がある。

「黙っとれ馬鹿嫁が。零人を泣かしてみぃ、私がおみゃあのすっからかんな頭、叩き割ったるで」
「今すぐ叩き割って頂けると有り難いんですがねぇ、会長」
「ゼロ〜!小姑がママのお命を頂戴したがってるだに。アイツの眼鏡には、血も波打ち際もにゃあでよ!」
「流石、品の宜しいロンドンのご令嬢。学が足りない私には眼鏡は無機物にしか思えませんでしたが、血液が寄せては返す波の様に流れているとは、この歳まで全く存じ上げませんでした。何分面白みのない東大卒ですから、マサチューセッツ工科大学をスキップなさった方の知識には到底適いません」
「ゼロ〜!ママが外国人だから、小姑が馬鹿にしてるなりけり〜!コバックはサガサーキットを乗っ取るつもりだで!乗っ取って高笑いする魂胆デース!どえらいこったでー、悪魔だでー」
「おやおや、佐賀にサーキットなどありましたかねぇ?鈴鹿は近場ですから、お一人で今すぐ行ってらっしゃいませ。二度と帰って来なくても私としては全く構いませんよ、奥様」
「にゃんだとー、ふにゃチン眼鏡。シスコンの癖にー」
「失敬な。勃たせてから罵りなさい乳だけ女、貴方の様な女に零人坊ちゃんは任せておけません。そもそも甘えん坊な男は姉さん女房が合っているんです。ええそうですね、私の元嫁も年上でした」
「ゼロ、これが捨てられた男の未練だに。モテない男は眼鏡に頼るんだにゃー」
「うー?ぐしゅ」
「婿をいびり抜いた会長や胸の代わりにおつむが空っぽな茶髪には判らないでしょうが、この小林、実は社長より年上なのです。一歳も年上なのです。故に小林が零人坊ちゃんの母親役に相応しいと言う事に他ならないのですよねぇ、ええ」

全く愉快な妻と秘書だ。三回殺してやりたい。
人様の母親の前で何つー会話をしてくれてやがるのか、嶺一は簡易チェアに座ったまま肩を震わせた。空気を読まない秘書のお陰で以前ほどの緊張感はないものの、やはり母親の前では肩に力が入ってしまう。
恐ろしく厳格だと思っていた嵯峨崎可憐が、素性も知れない外国人を嫁にすると言った息子を叱らなかった理由は未だに判らないが、早朝密やかに父の遺影の前で手を合わせている事は知っている。今の状況を死んだ父が見たら、何と言っただろう。何度思い返してみても寡黙な男だった。

「ふん。馬鹿女もおみゃあも、私から見れば大差ないわ」
「お、ち、ろっ」
「「落ちろ?」」
「うー、ううー、うーっ!」
「ゼロ、お空を指さしてるだに?鳥さん飛んでるにゃ?」
「ああ、きっと名古屋城でしょうねぇ。落ちろではなく、お城かと」
「え。喋った?ゼロ、名古屋城見て喋りけり?しゃちほこイナバウアー?」
「零人が、喋った…いや、立っとる!小林、写真だわ!」

立ったは良いものの、頭が重いのか海老反り状態の息子の背中を支えてやりながら、嶺一は息子が指差す天守閣を見つめた。多忙な寝不足の身には、晴れた空が染みる。

「流石は小林の零人坊ちゃん。社長、これで我が社は安泰ですよ」
「…はぁ。馬鹿抜かせ、0歳の餓鬼に何の期待をするって言うんだ」
「「「スカート姿で股を開くな」」」

どうしてこう言う時だけ息がぴったりなのかと、嵯峨崎財閥若社長は肩を落とした。

←いやん(*)(#)ばかん→
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