帝王院高等学校
俺様と俺様のアモーレ乱舞戦線
「おや?」

読書の邪魔、とまでは言わないが、集中力が途切れるには十分な存在感を放つ男の声で、目を滑っていた文字から完全に意識を離した。

「いつまで居座ってやがる。外着のままでベッドに座るなっつってんだろうが」
「相変わらず潔癖症ですねぇ」

新聞を読書と呼べるかは定かではないとして、ダイニングテーブルの上に重なっている幾つかの新聞にはこれと言った記事はなく、これならばゴシップ三昧のスポーツ新聞の方が幾らか楽しめたかも知れない・などと舌打ち一つ。高坂日向はとっくに冷め切った紅茶を飲み干した。
勿論、誰が潔癖性だ、と、挨拶代わりに吐き捨てる事も忘れない。人様のベッドの上で自棄にいやらしいポーズで横たわっているむさ苦しい前髪の隙間で、蒼い瞳が笑みを描いた。

「その有様で良く女が抱けるものです。セックスなんて、簡潔に言えば体液交換でしょうに」
「あんなもん洗えば落ちる。…触ってる最中は、全身掻き毟りたくなるけどな」
「オーラルセックスの場合はどうですか?流石に、しゃぶらせるばかりじゃないでしょう?」
「テメェはわざわざ他人の体を舐め回すのか。酔狂な奴だ」
「別に大した事でもありませんからねぇ。泥水を啜るのも、女性器を舐め回すのも」
「さっさと出ていけ」

半ば本気で睨んだ日向をにやにやした表情で眺めている叶二葉は、逐一わざとらしい仕草で髪を掻き上げたり人差し指を噛んだりしている。世界中の何万人に通用する誘惑かは知れないが、日向にとっては毛づくろいしている野良猫の方が余程セクシーに見える程度だ。吐き気がするとしか言えない。

「神をも嫉妬させる私の美貌が理解出来ないなんて、君の神経はどうなっているんです?」
「俺様は極普通の人間様だからな。神を誘惑したけりゃ、キャノン=テイターニアの男爵の前で股開いてろ」
「先週マンハッタンで百数人掛かりの乱交フィーバーしていたので、暫く勃つものも勃たないでしょう。絶倫と呼ぶのも烏滸がましい、生ける永久機関ですねぇ。NY中のビッチが束になって挑んで、挿入される前に何十人昇天した事か」
「爽やかな朝にえげつねぇ話をするな」
「それでも果敢に前戯を耐え抜いて本番を経験した女達は、全員漏れなくアヘ顔で腰が抜けてレスキュー騒ぎでした。変なドラッグでもやったんじゃないかって、相当疑われたそうですよ」
「なぁ、俺様が今から耳栓用意すんのとテメェがこの部屋から出ていく。手っ取り早く静かな状況にするにゃ、どっちが効率が良いと思う?」
「通販なら都内最短3時間だそうですよ」
「…有益情報、ありがとよ」
「どう致しまして」

馬鹿には皮肉が通用しないらしい。いや、ただの性悪か。
今年の初めに最後に会った時より痩せた様な気がする二葉は、予定では日向と同じ四月に入寮していた筈だった。然しそっけないにも程がある短いメールで『仕事が立て込んでる』だの『引き継ぎが終わらない』だの、何度かそんな一方的な連絡が入っている内に梅雨がやってきていた。
後期の進学科座席が確定する選定考査直前になってやっと来日したかと思えば、中央委員会役員に割り当てられている部屋をリフォームする為の業者を連れてきて、何やら工事中の様だ。いつ終わるか知れないが、寮は全室完全防音なので隣室の日向には何の影響もない。

「それにしても、対外実働部と特別機動部のランクAが不在か。今後元老院と円卓がどんな動きを見せるか、想像するだけで笑えてくる」
「さて、ファースト不在でも特に問題ありませんからねぇ。私がセントラルを離れても、支障はありませんよ。寧ろ陛下と円卓を繋いでいた影の立役者である私が居なくなってしまった事で、今頃誰もがひしひしと感じている事でしょう。『ああ!我々にはふーちゃんがいないと駄目だ…!カムバック、ふーちゃん!』、と」

劇的な動きでしゅばっと腕を伸ばした二葉は、餌箱から零れ落ちたカリカリが冷蔵庫の下の隙間に入ってしまった為に、太い前足を伸ばして頑張っている猫の様だった。但し猫は何をしても可愛いが、二葉は何をしても二葉でしかない。残念だ。

「二度と戻ってくるな、だろう?特に対空管制部のババア辺りは」
「彼女は私に嫉妬してますからねぇ。とっくに30過ぎているわりに美人と評されている様ですが、神々をも恐れないレベルの私に比べたらねぇ、下痢に集る蠅の様なものですからねぇ」
「よりによって下痢」
「おや、巻きグソの方がお好きですか?私こう見えて食物繊維を全く取らないフレンチトースト教徒なので、しっかり目のうんこは出ないんですが…」

切り刻んだら死んでくれるだろうか?
真顔で殺意を押さえ込んだ日向は無表情で立ち上がり、冷静になる為に新しい紅茶を入れようとしてラム酒の瓶に手を伸ばした。頼んでいないのに祖父から送られてくるリキュールだが、甘過ぎて飲めたものではないのでインテリアの一部になっていたものだ。
一気に飲み干したい気分だが頭を振って堪え、満タンに詰まっているボトルをじっと見つめる。これで殴ればベッドの上の自称軟便野郎も流石に死ぬのではないかと思ったが、朝7時に考える事ではないだろう。

「ロイヤルミルクティーをお願いします」
「図々しいにも程がある」
「だったら台所を勝手に漁っても宜しいんですね?部屋に入った時に『動き回るな、じっとしてろ』と言うから、こうして大人しくしていると言うのに」

日向のベッドの上でタブレット端末を弄っている二葉の台詞に、日向は舌打ちした。
他人にキッチンを触られるなど耐えられたものではない。ただでさえ日向は、実家の母親の手料理以外で人の手料理を食べられない性分だ。
喫茶店のカップでも虫酸が走る程なので、基本的に外食もしない。ジャンクフードは最初から『ジャンク』だと思えば多少マシな程度で、『誰かが素手で研いだ米』もいつからか食べられなくなっていた。子供の頃は此処まで酷くなかった筈だが、ロンドンへ渡り再び日本へ戻ってきた時に自覚した事だ。

「ちっ。俺様の部屋にはミルクも砂糖もねぇぞ」
「ロイヤルミルクティーと思えば、水もロイヤルなお味になるんです」
「どう言う理論で生きてんだ。正気の沙汰とは思えねぇ」
「久し振りの再会でディープキスの一つや二つ求めてくるかと思えば、アルコールスプレーを吹きつけてくるだなんて。正気の沙汰とは思えませんよ」
「得体の知れないボサボサ頭がドアの前に突っ立ってたら、普通の人間は即座に110番通報だ。中に入れてやっただけ有り難く思え」

ロンドン生活の間は和食が食べたいと何度も思ったが、来日後、本場の和食を楽しめなくなっていた事に気づいた日向は、週末になると実家の食事を目当てに学園を抜け出す様になった。高等部風紀委員を事実上壊滅に追い込んだ日向は、嵯峨崎零人の勧誘を断りきれず中央委員会副会長の指名を受けてしまったので、本来なら授業免除権限を使い平日に帰省する事も可能だ。
然し流石は下院自治会を統べる中央委員会と言った所か。想定外の忙しさで、実際は週末にしか時間が作れずに居る。なので学園で生活している間の食事と言えば、サンドイッチの様なものか、目玉焼きとサラダがついたランチプレートの様なものばかりだ。
卵は日向の好物なので、時々自分でゆで卵や目玉焼きを乗せた焼きそばを作る事もあるが、幾ら好物でも男子中学生の料理のレパートリーなど高が知れている。日向の潔癖症を揶揄ってくる二葉も、日向が米を食べられない事には気づいていないだろう。何でも食える癖に『貴族っぽい』と言う訳が判らない理由でフレンチトーストばかり食べているサイコパスに、高尚な人間の機微を訴えた所で時間の無駄だ。ゆで卵と焼きそばに飽きたならフレンチトーストを食べれば良いじゃない、叶二葉ならまず間違いなくそうほざく。
大体、高級ホテルとほぼ変わらない内装を誇るリブラ寮の部屋を目で確かめる事なく、リフォームすると宣った男だ。しかも自ら書いたと言う内装図面を自慢げに見せて来たのは良いが、リブラ北寮最上階に当たる中央委員会領域の部屋の位置を有効利用したのか否か、巨大な天窓をはめ込むそうだ。

「一応、美容院に行くつもりだったんですけどねぇ。最後に立ち寄った国のトップが執拗に口説いてきたので、手間取ってしまいまして。何とか穏便に済ませる為に、自分を宥めるのに苦労したんですよねぇ」
「有名人を迂闊に殺すなよ。ステルスでも隠し通せない事はある」
「病死に見せ掛ける方法は幾らでもありますよ」
「短気を押し殺したんだから、それなりの価値がある国なんだろうが」

馬鹿デカいアーチ状の天井は、二葉が書いた馬鹿デカい太陽のレリーフのステンドグラスですっぽり覆われる。本来、天窓と言うのは、本物の太陽から降り注ぐ光や星空を楽しむ為のもではないのだろうか。油性マジックで殴り書きした様な3分クオリティの落書きを、何処の業者がステンドグラスにするのか。同情を禁じえないが、総額幾らなのかも多少気になる。

「おやおや。確かに赤道側のアジア諸国は軒並み日本の友好国ですから、恩を売っておくに越した事はありませんが。ふふ、私の考えを見抜くなんて流石はダーリン。一発くらいなら良いですよ?」
「何の」
「抱いてあげます」
「死ぬか?」

最大の疑問は、部屋中に星の砂を敷き詰めると言う走り書きだ。図面と呼ぶのかも謎めいているリフォーム計画書には、大半が拘りのステンドグラスについての記載だったが、フローリング部分には『ロマネスクグリーンビーチ〜太陽と星とミ・アモーレ〜』と書かれていた。ロマンティストの自覚がある日向にも全く理解出来ない。
アモーレは何処から出てきたんだ。星の砂1トンは何処から運んでくるのか。1LDKの間取りを1ルームに改装するまでは理解したが、バス・トイレのドアと壁まで外すのは如何なものだろう。床と言う床に星の砂を敷き詰めるまでは、理解出来ないが理解しようではないか。最大のミステリーはそこじゃない。

「全くシャイですねぇ。私が居ない間に大暴れしたかと思えば、片っ端から世間知らずの少年達を抱きまくっているそうじゃありませんか。無垢な青少年を歯牙に掛けるなんて、恐ろしいディアブロです事」
「は。アイツらの何が無垢だ、笑わせやがる。どいつもこいつも実家の権力を笠に着て、スクールカーストの順位争いに必死な馬鹿ばっかだろうが」
「Aクラス以下はそうでしょうがねぇ。Sクラスは実力社会でしょう?」
「…金と権力があれば大概の不可能が可能になる。どの国も実態は変わりゃしねぇ」

ロマネスク『グリーン』ビーチの、グリーンについてだ。
何故バルコニーの端と端からリビングの3分の2ほどまで幅1メートルの水路を作り、縦二本の水路を更に横向きの水路で繋げ、更には玄関から入ってすぐの場所に、飛び越えれば済む程の幅しかない水路を跨ぐ橋まで掛ける必要があるのだろうか?
ミステリーは此処で限界突破する。水路に流される予定の水は、毎朝二葉が淹れる抹茶だと言うのだ。

「今の自治会じゃ管理が甘過ぎる。特に此処じゃ、癖が悪いのは高等部だ」
「初等部から9年の経験を積んで、特に悪知恵が働く様になってますからねぇ。人数も初等部に続いて多い。莫大な費用を投じても昇校させたがる親が後を絶たないとなれば、本校の事情を知らない昇校生が在校生の手駒にされるのは必定…と言う感じですかねぇ?」
「判ってんじゃねぇか。帝王院本校卒業資格は欲しいが、カーストの頂点のSバッジが手に入らないんだったら『卒業証書だけで良い』って親は、金だけ払ってFクラスにぶち込みやがる。国際科も似た様なもんだが、日本国籍じゃ入れねぇからな」
「Fクラスは上院の特別優遇で野晒し状態ですからねぇ。表向き全校生徒の試験結果が公示される事になっていますが、フリーカリキュラムのFクラスは対象外。昇校させれば卒業資格は確実に取得可能な上に、成績がどうであれ、外部にバレる恐れもない」
「ああ」
「見栄と金が有り余っている金持ちにとって、美味しい事この上ない学部」
「そう言うこった。中には従業員の息子が提携校に通ってる事に目をつけて、費用を出す代わりに自分の息子の世話係として引っ張り込む保護者も居やがる」
「ふふ。如何にも成金が考えそうな」

但し走り書きには『抹茶の粉が排水管に詰まる恐れあり』とご丁寧に記載されていた。それを勘案したのか否か、誰かの走り書きで『火傷の恐れあり。50℃以下の緑茶推奨』と追記されている。馬鹿と馬鹿が、図面の上で真面目なコントを繰り広げている形式だ。笑ってやれば良いのか、精神科を勧めてやるべきか、他人の振りを貫くか。
くすくす笑いながらタブレットを眺めている二葉の背中を横目に、日向はカップに注いだ紅茶をダイニングテーブルに置いた。来客用の食器など日向の部屋にはない。然し淹れてやらなければブーブー騒ぐに違いない二葉を黙らせる為に、彼の分の紅茶は親衛隊の誰かから押しつけられたスープカップに注いでやった。最大限の譲歩だ。神経が死んでいる性悪腹黒野郎には勿体ないくらいのサービスだろう。

「腐れ切った高等部の生徒が学園のカーストの頂点である事は、全風紀委員会を統治する風紀局が高等部預かりになっている事からも明らかです。歴代中央委員会会長は、初代と35代を除いて高等部の生徒が勤めてきました」
「学園長が中3の時に中央委員会が発足したんだったな」
「最年少は帝王院秀皇」
「記念碑は残ってねぇぞ」
「中央情報部のデータなので間違いありません。彼が16の時に陛下が誕生しています」
「2年か?」
「その様ですねぇ。サラ=フェインは二十歳の誕生日の前に亡くなっていますから、当時は17歳くらいでしょうか。彼女の父親が何十年も年齢詐称してくれたお陰で、彼女が死ぬまでステルシリーもサラの実年齢を把握してませんでした」
「ルークの祖父っつーのは確か、お前らの」
「一時的でしたが、恩師と言えるでしょうねぇ」

無論、あのスープカップは二葉が居なくなったら即座に処分する。貰った事もついさっきまで忘れていた程だ。貰った時に捨てようと思っていたが仕事の忙しさで忘れていただけだが、あって良かったチワワのプレゼント。人生、何が何処で役に立つか判らないものだ。実家の母親が紙袋や包装紙を何故か仕舞い込んでは年末になると処分していたが、こう言う時の為なのかも知れない。

「ブライアン=シーザー=スミス、エリザベート=マチルダ=ヴィーゼンバーグがアメリカを追われた後に出産した子供の忘れ形見ですよ。ブライアンの父親は、キング=ノヴァの種違いの弟に当たるマイケル=X=スミスです」
「エックス?」
「幼少期のノヴァはナインと呼ばれたそうですので、当てつけかと。マイケルはスミス家に養子に出された後で名付けられてますから、禁忌の意味も込められていたかも知れませんねぇ」
「父親は誰か判ってるのか?」
「さぁ。マイケルの年齢詐称は判明していますが、ブライアンの実年齢から計算すると、少なく見積もっても12・13歳で子供が出来た事になるんですよ」
「…強烈。今の俺らと同世代じゃねぇか」
「イギリスが綺麗さっぱりマイケルの素性を消していたお陰で、彼の悪名高い『A』よりもXの記録は残っていません。ですからマチルダがアメリカで妊娠したのか、イギリスに戻った後で妊娠したのかさえ判っていないんですよ」
「テメェの祖父をアルファベット呼ばわりか」
「アーサーだのアランだの面倒臭いでしょう?どうせ本名じゃないんですし」
「流石はネイキッド=ディアブロ、血も涙もねぇ餓鬼だ」
「Aと言えば、セントラルに呼ばれるまで自分の名前をエンジェルだと思っていた阿呆を思い出します。シスター=テレジアが提出した書類にはエアフィールドと記載されていたのに、当の本人が初耳だったそうですよ」

タブレットを握ったままベッドの上で足を組んだ二葉が、わざとらしい微笑を浮かべてじーっと見つめてくる。熱い紅茶を啜りながら見つめ返した日向も微笑を浮かべ、「それが何か?」とばかりに冷静を装った。性根が腐った腹黒の前で狼狽えれば負けだ。

「嵯峨崎エアラインズの機体は、飛行場じゃ群を抜いて目立つらしいぜ」
「真っ赤ですからねぇ、揃いも揃って。元老院はファーストよりクライスト卿を危険視しています。追放された筈の彼がテレジアの娘を妊娠させた事実は、未だに我社最大の汚点として記憶に刻まれている。ネルヴァ率いる当時の円卓が誰一人気づかなかったなんてねぇ。円卓の誰かが手を貸したに違いないと判っていても、ライオネル=レイではない事は明らかでした。疑心暗鬼に陥る円卓を元老院の手前黙らせるには、中央情報部長を退いたばかりだったアシュレイを元老院へ送り込むより他なかった。彼は初代元老院議長コード:ルシフェル、ジョージ=オリヴァー=アシュレイの一人息子です」
「ゼロを生んだ女の親だろう。ロンドンじゃかなり有名なアカデミーの経営者でもある」
「ウェールズ伯爵家ですよ。元は貴族専属の使用人だったんですけどねぇ、後継ぎ以外は執事かメイドになる筈の家業がレイナード=アシュレイの時代で狂った。彼は執事にはならず、十代でイギリスを飛び出し対外実働部長になってしまいましたから」

ロンドンで暮らしていた頃から、日向はアシュレイについて色んな話を聞いていた。未だに表向きは貴族扱いを受けていおり王室の待遇も良好な様だが、実際はロンドンで目を光らせているアシュレイに誰もが手を焼いている。
堂々と脅してくるならまだしも、アシュレイは一貫してイギリス王室に忠誠を誓う態度を崩さないのだ。敵対する気はないとばかりに優秀な執事やメイドを育て上げ、各国から評価を得ている。アシュレイの正体を知っているのは王室に近い貴族だけで、末端の貴族は疑いもしないままだ。だから王室はアシュレイを『ユダ』と呼びながら、排除出来ずにひたすら静観するしかない。

「私が思う以上に、クライスト卿は強かな人間です。上場企業の経営者でありながら、世間に受けるオネェキャラでメディアの露出も多く、認知度が高い。この狭い国で彼を殺すのは骨が折れそうですねぇ。旧円卓を欺いたアビスの住人が、代理とは言え現在もランクAの位置に残っている不自然さたるや…」
「ゼロは仕事は出来るが、社交的な性分が舐められる要因だ。父親似なのは見た目だけって事か」
「おや、舐めて掛かるとパクリと食べられちゃいますよ?」
「舐めちゃいねぇ。この三ヶ月観察してきた上での結論だ」
「へぇ、殺せるんですか?」
「余裕」

インターホンが鳴り、日向が音声指示でドアを解錠すると朝食が運ばれてきた。二葉が押し掛けてきた後にオーダーしたモーニングプレートとフレンチトーストがテーブルに並べられ、一礼したバトラーはすぐに退出していく。ベッドの上でボリボリ鼻をほじっていた二葉がシーツで指を拭っていようと、表情一つ変えない優秀な従業員だ。
改めてあのベッドシーツは即日捨てようと思う。人の嫌がる事を普通にやってのける性悪は二度と部屋には入れない。リフォームが何日懸かるかなど知った事ではない。今日この瞬間が最後だ。

「簡単に殺せねぇのは弟の方だ。どうなってやがるあの野生児は、こないだなんざアンダーラインの屋外レストガーデンから飛び降りやがった。建物上2階扱いだが、高さは3階レベルだぞ」
「君がそう言うのであれば、そうなんでしょうねぇ。何せ君は、唯一陛下を殺せる可能性があるそうですから」

タブレット片手に立ち上がった二葉が、日向の向かいの椅子に座った。即座にウェットティッシュの箱を投げつけたが、綺麗さっぱり無視した男は左手でフォークを握り、右手でナイフではなくフレンチトーストをつまんだ。その左手に握った金属は何なのか。ただ握っているだけだ。鼻をほじっていた右手でむしゃくしゃ貪っている。
恐らく日向に対する嫌がらせ以外の何物でもないのだろう。突っ込んだら負けだ。耐えるしかない。

「野生児とは言い得て妙ですが、当然でしょう。彼は私とは違って、本物の忍者の末裔ですから」
「あ?忍者だと?」
「此処へ来る前に京都へ里帰りしてきました。面倒事を押しつけられる代わりに敷居を跨げる様になりましてねぇ、叶が保管している帝王院家の歴史書を幾つかパクってきたんです」
「…ちゃんと返しておけよ。俺様はテメェの二番目の兄貴には睨まれたかねぇ」
「文仁の身体能力は我が一族でも随一ですからねぇ。ムカつく事この上ない俺様野郎ですが、昔から君は文仁に懐いてましたからねぇ」
「別に懐いちゃいねぇだろ」
「文仁が司法試験を受けたのは、君のパパが現役合格したからみたいですよ?ヤクザの息子が合格した所で就職は不可能に等しいでしょうが、挑戦する事に意味がある。見た目は女々しい癖に中々暑苦しい性分の文仁にとって、君のパパは尊敬する大先輩と言った所でしょうか?」
「気色悪い事抜かすな」
「6歳の頃から暇潰しの一環で毎年司法試験問題を解いて満点を出している陛下に比べれば、ウンチみたいな話ですが」
「食いながらする話か殺すぞ」

頭に来たので日向はフォークを二葉の手に突き刺してやったが、黒い手袋をはめていた二葉にはノーダメージだった様だ。寧ろ日向のフォークが使用不可能になっただけだった。そう言えば、二葉の神経はあらゆる意味で死滅している。やった後に思い出しても悲しくなるだけなので、開き直った日向はスープ用のスプーンで目玉焼きを食べる事にした。

「2月16日」
「あ?」
「楼月の愛人の元に、不自然な来客があった様です」
「何の話だ」

唐突に宣った二葉を睨めば、フォークを握った左手でタブレットを操作しているのが見えた。手袋越しにどうやって操作しているのかと思えば、左手の人差し指の指紋部分だけメッシュ構造になっているらしい。

「ほんの暇潰しですよ、手書きの歴史書や家系図よりずっと見応えがある。以前から時々チェックしています。君にとっては危険極まりないロンドンも、私にとっては娯楽がない退屈な仕事場でしたからねぇ」
「アイツに似てきたんじゃねぇか?」
「自分でも思ったので指摘しないで下さいますか」
「さっきから何を見てんのかと思えば、録画か」
「中央情報部の公開データのほんの一部ですよ。特別機動部長の権限を使うまでもなく、全社員が閲覧出来るパブリックアーカイブの中に、祭の屋敷を撮影したものがありました。我社の人工衛星は20機以上宇宙を漂っていますが、中国で観察エリアになっているのは香港だけなんです」
「俺様にとっちゃ面白い話には思えねぇが、お前が意味もなくンな情報を調べる訳ねぇか。香港がステルスから目をつけられたのはいつからだ?」
「大河白燕の祖父、あの国の最後の王が市民に敗北した頃です」
「終戦後か」
「まだレヴィ=グレアムが男爵だった頃の話ですよ」

今までの巫山戯た態度ではない二葉は、あっと言う間にフレンチトーストを平らげ汚れた手袋を外した。日向が入れた紅茶のスープカップを煽りながら、日向が読み終えた新聞へ手を伸ばしている。脳内のCPUが何コアあるのか知れないが、新聞を読みながら話を続ける様だ。

「多少きな臭さは感じるが、ステルスは中国を重要視しちゃいねぇだろう?今のステルスで地方に部署が置かれてるのは、メキシコだけだ」
「正確には南米統括部と欧州情報部ですが。…ふふ、これがヨーロッパにある筈の部署ねぇ?」

ちらりと部屋を見やった二葉は、カップを置いて優雅に新聞を開く。

「何が言いたい」
「中央委員会副会長の寝室に招かれた親衛隊員は一目置かれるそうです」
「さっき到着したばっかっつってた癖に、下らねぇ噂ばっか知ってやがる」
「生年月日を間違えるとタロットは当たらないそうですが、私は占いに興味がありません」

然し新聞を読んでいるからか、話に脈絡がない。わざとなのか無意識なのか、判断が難しい所だ。

「2月24日だと思っていたんですが、データを更新する必要がありそうです。24日と16日では星座が違う」
「…思い出した。確か昔、錦織は魚座だって誰かに話したな」

適当に相槌を打っておけば良いかと思った日向は、然しそれほど昔ではない記憶を思い出した。日本へ来る前に、これと似た様な話をしたからだ。

「ライラだったかアンジェラだったか、テメェは魚座と相性が悪いって言ってたぞ。そん時は妙に納得したのに、外れかよ」
「おや、私と青蘭は仲良しですよ?」
「錦織の代わりに言ってやるが、死ねよ」
「こんなに慈しんでいるのに。お正月にはお年玉も渡していますし」
「は、テメェのは面白半分の同情だろ?にやつきやがって」
「自分の誕生日も知らないなんて、何処まで見窄らしい餓鬼だと感心したんです。知らん顔しても良いのですが、あれには仕事を任せていますしねぇ?」

二葉の台詞の意味について、見当はついている。日向が来日して間もなくから、嵯峨崎佑壱の周囲をちょろちょろしている子供がいるからだ。

「趣味悪い真似しやがる」
「君の心配が少しでも軽くなるかと思いまして」
「意味不明」
「プライドが高い対外実働部長は、欧州情報部長からの贈り物を服用したがらないんですよ。私とは違って痛覚神経は正常な筈なのに、怪我を恐れず行動をすると言う事は『どうせすぐに治るもん☆』とでも考えてるんでしょ。不老不死の人間なんて存在しないのに」

新聞をパラパラと捲って流し読んだ二葉が肩を竦め、「やっぱり今日は休む」と呟いた。ボサボサだと思っていたが、どうやら雑誌で見る様な無造作ヘアと言うものらしい髪を素手の右手で弄った二葉は、タブレットを左手で掴んだ。

「海外の美容師の趣味は合いませんね」
「結局行ってんじゃねぇか」
「青蘭を揶揄…間違えた、青蘭に正しい誕生日を教えてあげるついでに、どの角度から見ても清廉潔白な風紀局長に見える髪型に切ってきます」
「あ?」
「君が潰したので、私が就任した事にしたでしょう?出国が二ヶ月も遅れるなんて思っていませんでしたからねぇ、私の部屋宛に熱烈なラブレターも届いている事ですし」
「ラブレター?」
「従弟コンプレックスをこじらせたどっかのボンボンが、暫く見ない間に調子に乗ってるんです。君と変わらないくらい精子を撒き散らしてるそうですよ、初等部のガキんちょの分際で」
「大河の事か。…テメェが無意味に藤倉をつつくからだ」
「無意味じゃありませんよ。君の血から作ったエデンの治験には、彼はぴったりなんです。腎臓に食い込んだまま神経を突き破りそうな体内の石膏片の摘出を、彼本人が嫌がっているんですから」

ご馳走様でした、と呟きながら玄関へ歩いていく二葉を目で追った日向は、ドアノブを握ったまま振り向いた二葉にしっしと手を振った。二度と来るなと言う万感の思いを込めている。

「天罰を求めたがるマゾは理解出来ませんよねぇ、ベルフェゴール卿?」
「そりゃ同族嫌悪って奴だ、覚えとけ性格破綻者」
「お褒め頂き有難うございます。ではご機嫌よう」

ドアが閉まった瞬間の溜息の長さが、全てを物語っていた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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