帝王院高等学校
贈る言葉の向こうに香る闇
長かったのか短かったのか。
山の中での6年間が、今日一つの区切りをつけたそうだ。

「卒業おめでとうございます、紅蓮の君」

嵯峨崎佑壱の胸元についている紙製のコサージュと同じものを、しれっとした顔で持ってきた後輩は、両手で恭しく花を掲げた。170cmにもう少し届かない佑壱の顎の位置にある黒髪は、初対面の時とは別物の様に艶やかだ。

「気色悪い呼び方すんな。何だその紙くずは」
「6年生のコサージュを作ったのは5年生なんです。俺が作ったものを誰に渡すか決めるのは作った俺だと思ったので、提出せずに持ってました。まさか卒業生より2時間も早く起きて、合唱のリハーサルがあるなんて…」

チッと舌打ちを放った錦織要の頭を条件反射で叩いた佑壱は、胸元のコサージュを引きちぎる。

「舌打ちすんなっつってんだろうが。淫乱野郎を思い出して殺したくなる」
「式典の間ずっと睨んでましたよね」
「さぁ、誰の事だか判らねぇな」
「中等部1年Sクラス2番の、」
「2番か、ああ2番は覚えてるぞ、陰険そうな眼鏡野郎の事だな」

ほんの数秒前までの感傷を帯びた気持ちは、目の前の後輩のお陰で木っ端微塵だ。
式典会場から在校生のみならず、教職員、来賓に送られて真っ先に会場を後にした卒業生は、オペラ劇場の様に観覧席で見ていた保護者とグランドゲートで対面する頃だ。六年間の初等部生活を満了した日に初めて足を踏み入れたティアーズキャノンを物珍しく見学する事もなく、会場入りした時と同じ様に地下の遊歩道を使ってヴァルゴ並木道に出れば、聳え立つ巨大な白亜の宮殿に背を向けて南へ歩くだけ。

「その意見には激しく賛同しますが、先日の選定結果は3番でしたっけ?中等部の事なのに良く覚えてますね。もしかして先輩、親衛隊に入るつもりじゃ…」
「殴られたいのか?」
「何でジャケット脱ぐんですか?」
「堅苦しい式典は終わった。腹減ったから出掛けるぞ」

出席者の席にいた父親とその秘書に迎えられるつもりが全くない佑壱は、来月から過ごす事になる中等部の寮監に荷物の引渡しをし、保護者に捕まる前に逃げる予定である。

「親が迎えに来てるんじゃ?」
「マンションで飯食わせてやろうと思ってんだが?」
「お供します。でも今から作るんでしょ?」
「昨日仕込んでおいた材料を、昼着指定の冷蔵便で送ってある。流石に米は今からじゃ間に合わねぇから、メインはトルティーヤな。部屋の荷物は大した量じゃなかったんだが、引越しで一番困るのが冷蔵庫の中身とは思わなかったぜ」
「同居人が不在がちなのを言い事に、台所を独占してましたもんね」
「俺が追い出したみてぇな言い方すんな。向こうに社交性ってもんがないだけだ」

私服登校が認められている帝王院学園の指定制服は、式典時のみ着用が義務づけられているが、体育の授業と屋外授業を除いて地下生活を強いられる初等部の制服は、半袖の黒いシャツにネイビーブルーのハーフパンツだ。式典の数も全学部で最も少なく、例年卒業式典に出席する生徒は私服出席が許されている。

「先輩の顔が怖かったんじゃないですか」
「んだと?」
「あ、そんなに適当に脱いだら皺になりますよ」
「どうせ捨てんだ。構やしねぇ」

何ヶ月も前から執拗に「どれが良い?これも良いわよね、こっちも似合うんじゃないかしら?」と礼服のカタログだの生地のサンプルだのを送って来ては、忙しい癖にマメな連絡を寄越してきた嵯峨崎嶺一を着信拒否にした佑壱は、最後の使者とばかりにやって来た中央委員会会長に天を仰いだ。

「似合ってたのに、一度着ただけで捨てるなんて勿体ない」
「欲しけりゃ持ってけ。第一この色は俺の趣味じゃねぇ、ゼロの趣味だ」
「モスグリーンのジャケットと南瓜色のシャツが最近の高校生の流行なんですか?」
「知るか。年中脳内でハロウィン騒ぎしてんだろ」

ただでさえフードコートエリアとは違い、初等部生徒と職員しかいないアンダーライン内に於いて、異色(つまりは悪目立ち)するオフホワイトのブレザーを纏う、学園で最も名が知られている嵯峨崎零人がヘラヘラ笑いながら歩いていれば、目立たない筈がない。

「卒業生代表は首席だと思ってたのに、俺達のリハーサルが終わった後、挨拶の練習に来た卒業生を見てガッカリしました。何なんですか帝君を差し置いて、あの野郎」
「あの野郎ってな、二学期に入るまで自治会長だった奴だぞ」
「西新宿だか東大手だか知りませんけど、」
「つーか東大手なんざ良く知ってんな、名古屋だぞ」
「アイツの送辞なんか聞きたくなかったです」
「答辞だろ。送辞は在校生代表のお前が読んだ方」
「ややこしい」
「日本人が日本語を間違えんな」

逃げ場を失った佑壱は「お兄ちゃんがわざわざ選んでやったぞ」と宣った零人に押しつけられた卒業式典用の新しい服が収められた箱を、当日の朝まで開けていなかった。要達在校生代表の5年生が、卒業生を送る合唱の練習をしていた時、佑壱の「クソ兄貴」の台詞が響いていた筈だ。

「校長達のは祝辞で…俺が送辞を読んで、帝君じゃない癖に壇上に上がったアイツが…えっと?」
「校長のは式辞で、理事会とPTAのは祝辞、市長だかどっかのお偉いさんの長ったらしい話は、告辞だ。在校生に送られた送辞に対して卒業生が感謝と激励を送るのが、答えと書いて答辞だ。二度は教えねぇから、覚えろ」
「判りました」
「本当かよ」
「中等部の卒業式典も俺が送辞を読むので、先輩が答辞を読んで下さい」
「諦めねぇ男だ。あんなもん誰が読んだって同じだろうが」
「全然違います。あと俺のコサージュつけて下さい!三時間懸けて作ったんですよ!」

何が彼のやる気に火をつけたのか。今日の舎弟はいつもより3倍くらい煩い気がする。いや、それでも高野健吾に比べれば可愛いものだろうか。健吾には式典の直前に会ったので午後の予定を話しておいたが、在校生挨拶の件で式典直前まで教師と話し合っていた要とは、これが今日初めての会話だ。
卒業生の退場が済むなり会場を抜け出してきたらしい要の額には、肌寒い三月上旬にも関わらず薄い汗の跡があった。手渡すつもりだった造花を余程つけさせたかったのか、佑壱が脱いだジャケットを小脇に挟んだまま、両手で持っているコサージュを突き出してくる。

「煩ぇなぁ、一個を三時間で作った訳じゃねぇだろ?」
「30個失敗して一個だけ成功したんです」
「何処まで不器用なんだテメーは。特技ピアノだろ」
「ピアノと工作を一緒にしないで下さい。俺は家庭科で作ったエプロンが一度着ただけでバラバラになった事があります。居残りして縫ったのに」

この数ヶ月で佑壱に懐ききった要は授業が終わると佑壱の所にすっ飛んできて、今晩のおかずは何ですかと聞いてくる様になった。此処まで図々しい人間を佑壱は他に知らないが、ベランダに住み着いた過去のある後輩に何を言うだけ無駄だ。かと言って要はただ図々しいだけではない。
いつの間にか佑壱が買った品物の領収書をチェックする様になり、得意のパソコンで底値を調べて「こっちの店よりワラショクの方が何円安い」だの、ネットでしか買えないと思っていた輸入食材が業務用スーパーで買えるだの、助言をする様になった。助言と言えるかどうか判らない横柄さではあったが、ケチなだけで言っている事は理に適っている。

「酷いです。楽しみにしてた答辞もなし、朝一番に渡そうと思ってたコサージュも渡せなくて、何処の誰が作ったか知れない造花をつけさせる羽目に…。俺は生きる目標を失いました」
「しょぼい目標があったもんだ。昼は込んだ豚の角煮と、獅子唐と魚介のトムヤンクンだってのに」
「先輩、早く出掛けましょうよ。式典出席の為に寮に残っていた在校生は、会場の片づけをするまで帰れないんです。給食の代わりに弁当は出るんですけど、購買の惣菜は美味しくない」
「うちは食堂に気合入れてっからなぁ、購買の仕入先は年度ごとに入札で決めてるっつー話だ。高ぇ授業料と寄付金を払ってる保護者の中にゃ、腐るほどそれ関連の企業があっからな」
「帝王院財閥の提携企業に食品関係は少ないですよね。ゼネコンとかインフラ関係が目立ってた気がします」

随分詳しいなと揶揄めいた言葉を呟きながら、進学科の生徒以外は春休みに入っている中等部領域へ向かう。大人しくついてくる要は何を思ったのか、後ろから佑壱の頭をがしっと鷲掴みしてきた。アンダーラインへ下りる階段を数歩歩いたばかりの佑壱は、段差で要よりも背が低くなった為だ。

「…何してんだ」
「動かないで下さい、折角なので髪飾りにします。此処をこうすれば…」
「無理すんな、不器用な癖に」
「細々した作業が好きじゃないだけです」
「それを不器用って言うんだ」
「口笛も指笛も得意ですし、体育の授業で走った50メートルは2位でした」
「手先に徒競走関係あんのか。健吾に負けたか?」
「アイツは違うクラスですよ。俺が負けたのは転入生」
「あー、物珍しい外部生か。お前一押しのワラショク」
「アイツより俺の方が賢いんですけど?負けたのはかけっこだけです。身長も反復横飛びも屈伸も垂直跳びも俺が勝ちました」
「はいはい、おめでとう」
「有難うございます」

ジャケットを要に押しつけてネクタイを緩め、シャツとスラックスだけの身軽な出で立ちで歩きながら適当に結った佑壱の髪型は、一纏めにしただけのポニーテールだった。大した作業でもあるまいに四苦八苦している要が「よし!」と言って離れたので、佑壱は「お疲れさん」と言って諦めた。鏡を確かめる勇気はない。
やっと満足したのか佑壱を追い抜いて階段を下りていった要は、勝手にフロントで佑壱の名を名乗って手続きを始めている。後ろで見守っていた佑壱は荷物の確認の時だけ呼ばれ、箱詰めした数と搬入されている数があっているか目視で確かめて、書類にサインを書いただけだ。
こう言う事務作業を好まない佑壱とは違い、要は地味な書類整理が好きそうに見える。手先は不器用だが、地道な作業は嫌いではないのだろう。そうでなければ三時間もコサージュ作りに没頭する物好きは居ない。集中力と持久力はあると言う事だ。

「混雑する前に手続きが出来て良かったですね。あ、これ中等部のしおりです。学生便覧に注意事項が書いてあるので、新学期までに読んで下さいって」
「んなもん、さっきの荷物に混ぜて適当に置いて来いや」
「先輩が読まないなら俺が読みます。さっき言ってた帝王院の提携企業の一覧が載ってますよ」
「最大大手は東雲財閥だろうなぁ。100かそこらの神社を管理しながら物産店と飲食店を広げてた所に、高森商事を傘下に加えてバブル崩壊後も磐石だ。高森は華族だったかんな、それなりに資産があったろ」
「有名な所で言えば宍戸環境衛生、傘下の宍戸ライフサポート、長谷川総合開発、武蔵野貿易、羽柴重工時代の子会社の松木技建、T2トラジショナルに西指宿コーポレーション…」

主要提携企業を読み上げていく要の表情は、夕食のお品書きを尋ねてくる時と何ら変わらない。佑壱にコサージュをつけて手が空いた隙に、要は押しつけられたモスグリーンのジャケットを羽織っている。どう見てもサイズが合っていないが、ぶかぶかでも当人は気にならないらしい。
一目では『これが本当にスパイなのか?』と思わなくもないが、佑壱から見ても要の性分はスパイに向いていない。どんなに撒いたつもりでもしれっとついてくる体力は認めるが、本気で殴り合えば佑壱が勝つだろう。

「東雲と帝王院が出資した帝東相互セキュリティ、カガトイズクリエイトカンパニー、嵯峨崎エアラインズ、グローバルアソシエイト溝江財団、神崎スポーツクラブって所か?」
「羽柴重工はYMDを乗っ取った」
「三重の山田大志は最近じゃ教科書にも載ってんな」
「昔の商標は残しつつ、現社名は羽柴エレクトロニクスですけどね。昭和生まれは今もYMDって呼んでますし、リコール商品が0だった時代とは違って、今は頻繁にCMで回収を呼び掛けてます。株価も全盛期の7割」
「孫の婿養子は宍戸本家の長男だ。つっても、俺もそんなに詳しくはねぇがな。誰かから聞き齧った程度で」

祭美月の義弟、大河グループ最年少幹部の祭楼月を少しつつけば大量の埃と共に、叶家の名前が出てきた。表社会では掴めない情報だろうが、佑壱の権限の前では無力だ。確かめるまでもない。
遥か古の時代から帝王院財閥に忠誠を誓っている『皇』は、四つの家を中心に形成された別名『空蝉』と呼ばれる忍者の一族だ。彼らは総じて『灰皇院』を名乗っていたが、平安時代の名残の様なものだった。一族の名字ではあるが一般的な認識の名字とは意味が異なり、灰皇院には幾つもの名字が残っている。筆頭は雲隠、榛原、冬月、明神の四つだ。
相当な数の人間が居たのは間違いないだろうが、幾つかの戦争を経て二次戦争終結後に東京へ渡っている帝王院家の情報は、中央情報部を以てしても全てを把握している訳ではない。
確実に判っているのは、帝王院が管理していた大社の跡地で暮らしているのが茶道の家元を名乗る叶家である事。去年の夏頃に遅れてやってきた中等部昇校生が、現在東京本校の全学部風紀委員会を統括している下院風紀局の局長である事。中等部一年生ながら中央委員会会計である事。その生徒の学籍登録名簿に、叶二葉と記載されている事だ。

「株主総会でリコールされたってネットで見ました。株主を代表して申し出たのは、中学生だった社長子息だそうです」
「マジかよ」
「ちょっと時間を懸けて調べたら帝王院学園の生徒だった事まで判りました。顔写真は検索しても見つけられませんでしたけど」
「6歳でこんな山奥にぶち込まれちゃ、出てくる訳ねぇわな。嵯峨崎零人で検索すりゃそこそこ出てくるだろうが、俺の名前じゃ全く出ねぇぞ」
「全くって事はないでしょ」
「…試してみろよ。懸けても良い」

対外実働部長の顔写真が、一般社会に残る訳がない。説明する気はないが、要のバックに円卓の誰かが関わっているのであれば、説明してやる必要もないだろう。目星はついている。恐らく向こう側にも隠す気がない。
若しくは、わざと自分に目が向く様にしているのか。要に尋ねた所で、高確率で答えられない可能性がある。何せ相手は佑壱同等の権力を許された特別機動部長だ。ケチな要が霞んで見えるほどの計算高さで、裸の悪魔は忍び笑いを響かせている。

「何処に行くんですか?そっちは駐車場ですよ」
「俺のバイクを置いてる」
「バイク?!」

素っ頓狂な声を上げた要を睨んで黙らせた佑壱は、暫く迷った末に「兄貴のな」と話を濁した。
正確には零人本人のものではないが、似た様なものだと思おう。間違ってもニューヨークの真下で男爵を名乗っている何処かの誰かが気紛れの様に押しつけてきた『卒業祝い』のファントムウィングとは言わない。一度は趣味じゃないと送り返したが、一体どんな魔法を使ったのか後日デザインが異なるバイクが届いた。

「免許ないでしょ?」
「そりゃそうだ、普通二輪カリキュラム受講は高等部からだからな」
「犯罪」
「小さい事は気にすんな。デカくなれねェぞ」

本校では、校内で各種免許の取得が可能だ。高等部技能専修科では単位取得にもなる為、各ライセンスに特化した選択授業を受ける事が出来る。選択授業の範囲は学部によって絞られているが、特例は勿論ある。進学科Sクラスと、特別専修科のFクラスだけは全カリキュラムを好きな時間に受講出来た。
最も人気がある普通自動二輪の免許には、数十時間の動画授業と毎週土・日曜日の実技授業がある。山中の何処かにあるコースで行われる実技の合間に、動画授業での学習具合を調べるテストがあり、本試験受験を認められた生徒は試験会場まで送迎しているそうだ。
5歳年上の零人があっと言う間に中型バイクの免許を取った事を自慢にやってきた時から、佑壱の中でめらめらと殺意が沸いていた。羨ましい訳ではない。純粋な殺意だ。年の差はどう足掻いてもどうにもならない。
悔しげな弟をカメラで連写しまくっては、消せと言っても「何の事でしょう?」と嘯いて、零人はあっと言う間に逃げてしまう。180cmを超えている兄を追い掛けても捕まえられる筈がなく、佑壱の殺意は溜まる一方だった。

「ご丁寧にフルフェイスを二つくれた奴がいてな。頭が小さいお前にゃ緩いだろうが、顔を隠すくらいにゃなんだろ」

現男爵が気紛れに送ってきたファントムウィングに限って、正しくは運転を必要としないので、乗ろうと思えば要にも乗れる。水陸両用所か空にも対応する乗り物を熟知するには複雑な操作方法を覚える必要があるけれど、最低限の機能だけ覚えれば、乗る事自体はそう難しいものではない。

「不良ですね。ビーバップですね」
「時々古臭い事言いやがるが、何処から仕入れてくるんだ」
「初等部の図書館には漫画がいっぱいあるんです。加賀城理事が校長にゴリ押しして寄贈したビーバップハイスクールは、先生方にも人気があるんですよ」
「糞程どうでも良い情報ありがとよ。…そう言や、最近変な餓鬼にじっと見られてる気がすんだが、ロバートが加賀城の長男っつってたか…」
「何か言いましたか?」
「お前のルームメイトってどんな奴だ?」

いつか免許を取ってバイクを買うとしたらどれにしようか、などと、佑壱はたまにバイク関連の雑誌を買っている。佑壱の中等部進学と同時に高等部最上級生になる零人は車の免許を取ると言っていたが、誕生日が随分遅いので、暫くはどうにもならない。
学園は生徒のバイク・自家用車保有を認めているが、基本的に使用頻度が少ないので週末の外出程度であれば車よりもバイクの方が効率的だろう。佑壱もそう考えた。体質的な事情で電化製品を敬遠していた佑壱だが、幼い頃に乗ったファントムウィングからの光景を覚えている。

「さぁ。引越し準備をしなきゃならなかったので、二人で片づけましたけど。黙々と」
「引越し?5・6年は部屋替えねぇだろ?」
「春休みの間に改装工事して、部屋数が変わるらしいです。提携校が増える度に生徒数が増えてるでしょ?初等部は定数ですけど、編入試験を受けて高い編入費を支払えば中途転入は認めてるみたいですし…」
「さっき言ってたワラショクが証明したからな」
「昇校が可能になる中等部から人数が増えるんで、中等部の部屋数を増やすみたいです。初等部も今の間取りを変えて、大部屋を増やすって言ってました。その方が儲かるんでしょうね」

キランと光った要の目に肩を竦めた佑壱は、納車時のまま駐車場に置かれている自分のバイクに初めて手を伸ばす。零人名義で駐車場の申請をして貰った時に機動チェックはしているが、あの時の佑壱は零人にチェックを任せた。何年経っても人を馬鹿にしているとしか思えない従兄に憤っていたからだ。
佑壱がひっそりと良いなと思っていたバイクを、一体何処で知ったのか。中央情報部にも判らない情報の筈なのに。カラーリングが黒と赤の二色と言うのも腹が立つ。坊主憎けりゃ袈裟まで難い。

『ふっ。浅はかなエアヘッドの考えなど私はお見通しだ。もっと悔しがるが良い、何処まで逃げようがそなたは私の掌の上だ。はーっはっはーーーっ!』

聞こえるぞ。正確には完全なる思い込みでしかないが、憎たらしい男爵の高笑いが。
銀髪のアルビノには5歳の時から一度も会ってはいないが、学園に入学して暫く経った時に、研修旅行先のアメリカで二葉に再会してから定期的に『本日の陛下』なる添付メールが届く様になったので、全く知らない訳ではない。素顔が仮面で隠されている以外は、順調に成長しているのが判った。
余談だが、佑壱には二葉にメールアドレスを教えた記憶は一切ない。ウィルスメールよりまだ悪いネイキッド印の添付メールが届く度にメールアドレスを変更しているが、数日後にまた届く。なので佑壱は諦めた。届いたメールを届いた瞬間に削除する事で手に入れた平和な生活は去年ぶち壊されてしまったが、それでもまだ耐えられていた。
卒業祝いの名目で、男爵本人からバイクが送られるまでは。

『どうだ気に入っただろう。ふっ、単純なエアヘッドめ。車体を貴様と同じカラーリングにしてくれたわ、有り難く思うが良い!はーっはっはっ!!!』

おのれルーク=フェイン=ノア=グレアム、7年会っていないのでキャラ設定がズレている気がしなくもないが、こんな感じになっている筈だ。多分。

「今の言い方じゃ語弊があんな。学園長が急に考え方を変えた訳じゃねぇ、今の上院が経営体系を変えたんだ」
「理事会が決めたんなら、決議したのは帝王院帝都理事長でしょ?」
「そもそも学園法人としての帝王院にゃ、大した経常利益は出てねぇよ。高額な授業料も寄付金も、人件費以外は丸っきり学園に還元されてる。こないだの学園長生誕祝賀休日に振舞われた菓子も、学園長のポケットマネーだ」
「知ってます。学園長は素晴らしい人格者なんでしょ?」
「人格者が常に最善の選択をするとは限らねぇってな。理事の中にも、今までの経営方針に不満があった奴が居たっつーこったろ。それか、理事長側が提示した提案を否定する言い訳が見つからなかった、若しくは何を言っても適わずに言い含められたか…」
「先輩は理事長が嫌いなんですか?高等部の式典でしか姿を現さないそうですけど、これに載ってる写真は相当な美形ですよ」
「…荒い印刷よか、本人の方が遥かに綺麗な顔してんぞ」

キング=ノヴァ=グレアム。帝王院帝都の正体を嶺一から聞かされている佑壱も、未だに「有り得ねぇ」と思っている。理事長の正体は前男爵だ。日本に居る筈がない。
然し依然行方不明の正統統率符保持者である帝王院秀皇が継ぐべき財閥の経営と、学園長不在の東京本校の総合管理を担っている手腕から鑑みるに、認めざるえないだろう。一度見たら絶対に忘れないネルヴァの姿がある限り、最早確定だ。

「学園長の写真も載ってます。入学の時の貰ったしおりと同じ写真ですけどね。俺は隆子先生しか見た事ないし…」
「俺もだ。財閥会長の学園長本人は、もう長い事入院してっかんな。誕生日前になると全校生徒が折り鶴を折るだろ。それを纏めた千羽鶴を、中央委員会が毎年病院に送ってる」
「うちって千人も生徒が居るんですか?」
「まぁ、自覚はないだろうがな。初等部が40人6組、中等部が普通科3クラスに進学科含めて4組、技能系で2組、Fクラスは得体が知れねぇが3学年合わせて40・50人前後としても、2年からは体育科を進路にした奴らが普通科から分かれて推薦組と同じクラスになる。高等部も似た様なもんだが、体育科と工業科の生徒数が中等部のほぼ倍だ。千人所じゃねぇわな」

彼が操縦する、漆黒のファントムウィングの後ろで。永遠に続く様な漆黒の洞窟を何時間も走った先、辿り着いたのはまるで桃源郷の様な広大な青空だった。地下とは到底思えない何万平方メートルと続く町並みの中央には、どんなに離れていても必ず視界に飛び込んでくる漆黒の宮殿が建っている。
その最奥にある玉座に座っていた神は、何故こんな小さい国で学校経営など始めたのか。

「あー、このナビっつーのは面倒臭ぇな。えっと、此処が3号線だから…」
「先輩は光王子を睨んでて聴いてなかったかも知れませんが、俺の歌はどうでした?」
「あー、贈る言葉な。聴いてた聴いてた、欠伸を誤魔化すのに苦労したぜ」
「贈る言葉は5組と6組の合唱です。俺のクラスは翼を下さいですよ?やっぱり聴いてなかったんですね、先輩の為に一生懸命歌ったのに。キャビンアテンダントから童貞奪われた癖に」
「おい、それ誰から聞いたんだ」
「烈火の君です」
「あの野郎、今度ガチで殴り殺すか…」
「しかも烈火の君のセフレの一人だったそうですね」
「良いから黙れ。童貞がする話じゃねぇ」
「俺は童貞じゃありません」
「あ?」

キング=ノヴァの事を考えている場合ではないらしい。
零人への殺意を最大級に燃やしながらバイクのパネルを弄っていた佑壱が顔を上げると、ポロっとコサージュが落ちてきた。

「こないだの夏休み、俺は用があると言って一週間出掛けたでしょう?保護者気取りの男に引っ張られて、いわゆる夜の店に連れて行かれたんです。良く判らない内に『一皮剥けて来い』と言い残した保護者が出て行ってしまって、」
「判ったもう良い」
「俺はとっくに剥けてたんですけど」
「お黙りやがれ」

これはあれか。考えたくもないが、その保護者と言うのは奴だろうか。奴だろう。奴に違いない。11歳で捨てた童貞を今更悔やむ様な真似はしないが、あの男と出会ってしまった事だけは何年経っても悔やんでいる。

『おめでとうございますファースト、やっと大人になったんですねぇ。うふふ、残念ながら9歳で大人になってしまった私と比べる方が可哀想な話ですが、捨ててしまったものは戻ってきませんからねぇ。どんどん経験をお積みなさい、陛下が正にそうでした。千人斬りじゃ全然足りませんよ、万人を孕ませる勢いで撒き散らかしなさいませ』

そうとも。
佑壱が初体験を済ませた一時間後に、留守電ならぬ回線に音声メッセージを送ってきたネイキッド=ヴォルフ=ディアブロと出会ってしまった事だけが嵯峨崎佑壱史上最大のミスなのだ。

『ふふふ。それにしても良いネタを提供して下さって心から感謝しますよ、枢機卿。では私は今から可及的速やかにロンドンへ飛ばなければなりませんので、また連絡します。アディオスアミーゴ、メキシコより愛を込めて』

何処へでも行って帰ってくるなと、佑壱は日本で人知れず叫んだ。込められた呪い同等の愛などバックハンドで打ち返したつもりだったのに、まさか翌年向こうが日本にやってくるとは。何故、理事会は叶二葉の入学を許可したのか。ネルヴァがついていて、何故そんな大事件が勃発したのか。
藤倉裕也の首根っこを掴んで、何度怒鳴り散らしそうになったか知れない。裕也は何も悪くないのに。

「親衛隊に手を出しまくってる光王子なんかに目を奪われて、いつからそんなアバズレになったんですか?」
「…気色悪い事ほざくな、本気でぶっ飛ばすぞテメー。合唱なら聴いてたって言ってんだろうが」
「俺じゃない他の何かに気を取られてたって顔に書いてあります」
「仕方ねぇだろ、真ん前で歌ってた健吾のズボンのファスナーが開いてたんだからよ」
「そんな事で俺の歌が耳に届かなくなったんですか?」
「そんな事ってなぁ、気持ち良さそうに歌ってる後輩の社会の窓から、蛍光ピンクのハート柄が丸見えになってる事に気づいちまった俺にどうしろってんだ。どっかを睨んでねぇと、あの雰囲気の中で笑い死にの恥をかく所だったんだぞ」
「俺もチャック開けとけば良かった…」
「テメーは二列目だったろうが」
「ちゃんと気づいてくれてたんですね。どうでしたか俺の歌は」
「…今にも飛べそうな気持ちになった様な気がしなくもないなぁ」
「そうですか!」

ナビゲーションの設定に気を取られていた佑壱は、会話を諦めた。要を見ていると、度々あの性悪を思い出す。こう思わせる事自体が二葉の魂胆であれば拍手を送ってやりたい気分だ。
流石は人の嫌がる事を誰よりも熟知している、腹黒魔王様であると。

←いやん(*)(#)ばかん→
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