帝王院高等学校
悪巧みは誰にも内緒で密やかに
アラベスク。
カンタータ。
スケルツォ。
トッカータ。
ディベルティメント。

『お前は守る為に生まれてきたんだ。大切な家族を』
『母を』
『私の代わりに』
『どうして自分で守ろうとしない?』

世界には音が溢れている。

『…私が負った騎士の称号を、お前に譲るからだ』

ラプソディ。
セレナーデ。
ノクターン。
レクイエム。
メディテーション。

『俺は騎士』
『そうだ』
『俺は家族を守る』
『そうだ。そしてお前は、夜の子』
『夜?』
『天を捨てた見窄らしい子供を覆い隠してくれる、夜の帳は優しい揺り籠』

ガラガラと回り続ける星の中、ざわざわと不協和音に満たされた生命の為の世界は、静寂を淘汰する。

『俺は騎士。俺は夜。家族を守る為に生まれてきた』
『忘れるな。お前の父親は、遠野秀隆だ』
『判った』
『お前に帝王院は名乗らせない』
『判った』
『理由は、』
『判っている、帝王院秀皇』

そうだ、こうしよう。
そんなに悲しい瞳で歌うなら、俺がお前の全てを受け入れてあげる。


『お前が呪うノアの銘を刻まれた俺は、帝王院の系譜から外れたんだ』


撫でる様に舐める様に口づける様に抱き締める様に、俺の中をお前の感情で埋め尽くしてしまおうか。




「俺には名前が二つある」

だから空っぽな俺を受け入れてくれ。代わりに俺は、お前の全てを受け入れるから。
けれどいつかお前に課せられた二つの業が邪魔になったその時には、俺は再び現れるだろう。

「俊と神。そして統率符もまた、二つ。『空』と『馬』」

綺麗なお前をくすませる何も彼もを剥奪し、吸収し、取り込んで、その後は。誰にも看取られずに還るから。

「天とは命を抱く父だった。けれど俺に許された業は空っぽな空だけ。馬とは戦場を駆ける騎士だった。騎士は何者にも変わる事が出来ない。プロモーションを許されているのは、兵士だけだ」

今後のお前の人生は果てしない空虚に塗り潰されてしまうだろう。
けれどお前を悲しませるものは世界中の何処にも存在しなくなる。昨日までの俺の様に、今日からお前は永遠に綺麗なままの人形になるんだ。宝石になるんだ。何にも染まらない、唯一無二のダイアモンドに。無色透明の宝石に。

「俺は昨日まで騎士だった。けれど今からお前だけの騎士になる。いつかその身に宿すカルマに煩わしさを感じた時に、俺は再び現れるだろう。…約束だ」

健気な愛を抱いて歌うお前の愛を、俺は無情にも奪った。空っぽな心を手に入れたお前の涙が溢れる事は二度とない。

「お前の肌を焼いた太陽を俺は許さない。お前を淘汰する世界の摂理を俺は許さない。けれど俺は何一つ壊さずに、お前の元に恨めしい天の名前を置いていく。帝王院神威。お前は正真正銘の天神になるだろう」

ブラックシープ。ああ、これ以上に俺に相応しい名前が存在しただろうか。

「俺は蝉の系譜を掻き集めて、大切に大切に育むよ。いつかお前の元に解き放つ為に」

カルマを掻き集めよう。
この体に宿る血のままに、緋色の系譜を集めるんだ。そしてこの傲慢な野望を押しつけるのだ。罪を負わせる様に、緋色を黒く塗り潰してしまえ。自由に。横暴に。慈悲深く。無慈悲に。

「まずはお前の所で羽根を休めている雲隠を返して貰う。翼を失った明神も、神の名を騙る冬月も、罪深き太陽の名を負う榛原も、全て首輪で繋いでお前の元に連れて行くから待っていろ」

物語の結末はハッピーエンドでなければならない。

「その時、俺達は元に戻る。お前は慈悲深い天の子に」

キャストは例外なく笑いながら、幕が降りるまで喝采に送られるだろう。



「そして俺は、虚無の子に。」

仲間外れは常に、舞台には上がれない観客だけ。







どうせ描くのであれば幸せな物語を・と。
いつかこの身に宿した他人の感情が喜んでいる。

(幸せに)
(幸せに)
(私の事を忘れ去ってしまった貴方が)
(鳥居の如く赤い塔から解放されて)
(広い世界の何処かで笑っているのであれば)
(それ以上は何も望まない)
(幸せに)
(幸せに)
(どうか何にも縛られず自由である事を)


ああ、いつか満開に咲き誇る桜吹雪の下で。



(散る間際まで、散って尚も美しい桜の花びらの様に)


空虚なお前は、空いた左胸を満たす為に剥奪者たる俺を見つけるのだろうか。














仕組まれた脚本のままに。















「そなたは私の甥。次代の月の宮や…」

蛇だ。
我が家の家紋に刻まれた、鱗塗れの妖怪は毒蛇に違いない。

「そなた、あれを上手く手懐けてるんやて?嫡男は秀之やゆうたるに、空蝉には未だ俊秀を推す輩が少のうない」

父親も目の前の女狐も、

「雲隠が殿の命に逆らう筈おへんとして、明神は悉く腹の底が見えん狸揃いや。明神が裏切ったかて、雲隠に制圧されるは火を見るより明らか。数の利は、獰猛な獣の前では成らざる道理や」
「…御方様の仰る通りで」
「空蝉で最も扱いに手古摺るんは、捨て駒の十口を従えたはる宵の宮や。今の灰原には小さな種火が点ってはる」

自分さえ例外なく、この家は呪われているのだ。

「嫡男晴空が力に目覚めるまで何年懸かるか判らへん。大殿が一目置いてはる黎明の考え一つで、秀之の進退が決まる言うてもええなぁ」
「は」
「獣が如き雲隠を、言葉一つで無力な子犬に陥れる灰の力は決して油断ならん。未だに主事に甘んじる冬月が乗り越えるべき宿敵は、宵の宮榛原」

愚かな。醜く悍ましい、蛇の巣窟。
この体に同じ血が流れているかと思うと、穢らわしさに反吐が出る。

「…あれは幼い頃から黎明に懐いていた。真っ先に榛原の物真似を覚えて…私の腹から生まれた子やのに、ああ恐ろしい。あれは人の子やおへん」
「…」
「そなたは秀之の味方と信じてええんやろ?」
「俺は天神に仕える狗なれば」
「ふふ。せや、お前の主人に相応しいのは秀の宮。在りもせん常世に喰われた愚か者に、殿の白紋を譲る訳にはいかん」

輝ける天に焦がれる月は、なんと浅はかで愚かしいのか。

「兄様によう似はったなぁ、はやぶさ…」

反吐が出る。
(欲に塗れた世界で足掻く方法を知らない、無知な我ら)








緋色の鳥居は穢れた女に呑み込まれた。
相変わらず榛原の腹の底は見えないまま、強き雲隠は代替わりが早く、今の若い世代は帝王院秀之を嫡男だと信じている。

「鶻兄」
「お前が一人で我が家に来るとはな」

それでも日常は変わらず、良い事も悪い事も螺旋の様に繰り返しながら、いつか救われない所まで浸かりきった頃にでも気づくのだろうか。まるで後悔の様に。

「どうやって此処まで来たんだ秀之、馬でも盗んだか?」
「父上に呼ばれた。俺は間もなく出雲に向かう事になる」
「…やはり、その話か。長老共の総意ではないが、大殿が決められた事だ。不服か?」
「兄上を差し置いて俺が宮司を継ぐ事は有り得ない」
「その様子では、大殿に捨て台詞を吐いて逃げてきたと言う所か」
「っ、アンタだって本心じゃ兄上に継がせたいと思っているんだろう?!」
「喚くな、女房が起きる」

どれが正解だ?
何をすれば正解だ?
天神に仕える事だけが共通の世界で、飼い慣らされた犬の様に地を這う我らは、ひと夏で死んでしまう蝉の様に光に向かって鳴き続ける事だけを許された、ちっぽけな生き物でしかない。

「巳酉の乳離れも済まない内に二人目を身篭った事は、お前も知っているだろう」
「お前は兄上を名前で呼ばない!俺の事は呼ぶのに、兄上の事だけは『宮様』と呼ぶ!」
「…全く呼ばない訳ではない。本人の前では呼ぶ事もある」
「そうだろうな、けれどそれは兄上が望んでいるからだろう?いつまでも子供扱いするな。っ、俺は全て判っているんだぞ、冬月鶻!」

叶わない望みなど抱くから後悔するのだ。
初めから何も望まなければ悔いなど知らないまま、何かに執着する事もなく、ひたすら鳴き続けて死ねる筈なのに。人が蝉だったら、何の問題もなかった筈なのに。

「…ああ、それがどうした?」
「開き直るのか?!」
「確かに俺が宮様の名を呼ぶのは、本人の前だけだ。他人の前では絶対に呼ばない。蝉如きに主人の名を軽々しく口にする権利はないからな」
「貴様…っ」
「確かに俺はお前を認めていない。緋天大宮を継承するのは宮様だ。帝王院に継がれてきた神楽の舞いを、例えお前が踊れたとしても」
「だったら、」
「…躍らせたいのか、お前の兄に」
「は?」

いつか、まるで神に乗り移られたかの様な神楽を見た事がある。
何度見てきたか知れない神に捧げられる舞い、その時見た子供のそれだけがまるでこの世のものではないかの様だった。

「出雲で正階の役を賜れば、羽尺のババアが何を喚いた所で帝王院を名乗る舞手は宮司として認められるだろう。神在月の出雲で祝詞を読み、神楽を舞い、神仏の託宣を賜る事が叶えば、出雲の決定が覆る事はない」
「ああ、そうだ。そしてそれは俺ではなく、兄上がなさるべきお役目だろう!」
「お前の台詞を借りる様だが、判っているのか?」
「何がだ?!」
「宮司になれば緋天大宮に縛られる。名実共に、死ぬまで何処に居るかも知れない神に仕えねばならないと言う事だ」
「…っ」

あれこその神の代理、生きる神の依代だと信じて疑わなかった。恐らくそれは今も。
つくづく骨の髄まで自分と言う人間は空蝉なのだろうと自虐的に笑った冬月鶻は、己の本当の名を捨てた日の事を思い出す。錯乱し子供の様に泣き喚いた冬月羽尺が、己の息子の首を絞めながら呪う言葉を繰り返した、あの悍ましい日の事だ。

「俺は父や羽尺の様にはならない。何を犠牲にする事になろうが俺は主人の意思に従うまでだ。あれがお前に継がせるべきだと言うのであれば、他の蝉がどう思おうが俺には関係ない。それが天神の意思に反する行為だとしても」
「…お前の天神は、父上でも俺でもないんだろう?」
「それがどうした」
「跡継ぎを生むのが四阿当主の役目だから、お前は結婚したんだ。定めを翻す事などお前には出来ない」
「予想以上の早さで親父が壊れてきただけだ。俺の上には6人の兄姉が居るが、全員6つを迎える頃までに十口に流されている。俺は血を分けた兄姉の顔を知らない」
「…そう、だったのか」

誰一人天神には逆らえない緋天大宮に、異分子は恐らく自分だけ。冬月鶻の腹は決まっている。例え帝王院俊秀が望まないとしても、自分は彼だけの蝉だ。

「親父が40を迎えて生まれた、七人目にして初めての成功が俺だ。歴代当主は70近くまで保ったが、親父の状態はもう隠しきれない所まで来ている。…十年以上隠し通せたのは奇跡だ」
「十年、だと?そんな話は聞いてない!」
「流石に明の宮にはバレているだろうがな。大殿が口止めをして下さっているのだろう。使いものにならない月の宮ほど哀れな人間はない」
「…それでも俺は、宮司を務められる器ではない。俺は、父上や兄上の様に全ての祝詞を覚えられない。宵の宮は正月になると、必ず兄上の元に挨拶に行く。皆、兄上こそが嫡男に相応しいと判っている筈なんだ」
「言っておくが、俺は端からお前の意見など聞いてはおらん。例えお前が天神になろうが、俺を従わせられると思うな」

全ては天神の為に。蝉の生涯は燃る太陽の下で、羽ばたけなくなる瞬間まで歌い続ける宿命。


「龍なんぞに、天の自由を奪われてなるものか」

この命はとうに、生ける神に捧げている。





























「俺さぁ、もう良いかなって思ってんだ」

やはりか、と。その言葉を聞いた瞬間に確信した。

「最近は何やってもつまんねぇし、副長はいつ見てもイライラしてっし」
「…」
「相変わらずカナメは何考えてるか判んねぇけど、どうせ俺ら、腹割って話す関係じゃねぇもんな。俺がそうなりたいって思ってたって、あっちにとっちゃ、クラスメートと大差ないっしょ。仲間って何なんだろうな?(ヾノ・ω・`)」

いつだって彼は笑顔だ。表情を崩す事など滅多にない。
カメラマンに乞われるがまま笑顔を振りまくアイドルやモデルよりも遥かに、ビジネスライクな笑い方で。

「…辞めんのかよ」
「中卒じゃなー。ほら、いつかオメーが言ってたネバーランド作るのは難しいっしょ?」
「それはオメーとした話じゃねーだろ」
「…あ、そっか。何か自分の目標みてぇに思い込んでた。何でだろ?」
「さーな」

有言実行は当然だ。高野健吾に不可能はないと藤倉裕也は思っている。彼が本気ですると言えば、それは当然の事の様に実現するのだろう。他の誰もが健吾を侮っていても、裕也だけはそうではない。
我が身を振り返らずに他人を救える様な思考回路の持ち主が、死に怯えないまま生きている異様さを裕也だけは知っていた。

「進学科っつったってさ、ぶっちゃけ大学に入り易くなるだけじゃん?」
「だろうな」
「特にやりたい事もねぇし、タケマツみたいに家業を継がなきゃなんない訳でもないってよ」

健吾は裕也とは違う。何処に行ったって一人で生きていけるだろう。本気を出せばすぐにでも帝君の誉れを手に入れられるだけの頭脳がある癖に、テスト期間だろうが健吾が教科書を開いている所など見た事がない。

「つーか、Sクラスに俺必要?みたいな(´∀`)」
「必死にしがみついてる奴らに刺されるんじゃねーか」
「必死だったら偉いってか?世界にゃ何の努力もしないで成功してる奴なんざ、幾らでも居るっしょ?」
「あー、そりゃ屁理屈っつーんだぜ」
「知ってら(´艸`)」

授業中だってそうだ。いつもサボれる訳ではない為、単位に差し障りがない最低限度の授業には出席している。
主席である限り免除権限を与えられる、神崎隼人以外の生徒の誰もが真面目にカリキュラムを受けている時、健吾だけが机に突っ伏して寝ている。けれど誰も健吾を起こそうとはしない。それで点数を落としたとしても自業自得で、皆にとっては敵が一人減るだけの事だ。

「何せ指揮者とピアニストだもんなぁ、俺ってマジお気楽な立場だぞぃ(//∀//)」
「…出来んだろ」

成績さえ維持し続けていれば雇われている教師が叱る理由もなく、ただでさえ世間的には虐待に近い授業数を強いられている進学科の生徒には甘い傾向がある。授業に出席しているのであれば、授業態度がどうであれ大人達は構わない。そんな事は暗黙の了解だ。授業に出席し点呼を取った後に、気分が悪いから保健室へ行くと言ってサボってしまっても、単位は加算される。出席したか欠席したか、その辺りのSクラスの取り扱いは、一般的には大学の方が近いのだろう。

「んにゃ?何が出来るって?(・∀・)」
「オメーの場合、やろうとしないだけだ。引き継ぐ以上の成果を生むだけの才能があるのに、」
「…ねぇよ、ンなもん」

珍しく健吾の笑顔が歪む。裕也はこの瞬間が一番好きだ。誰に対しても全く同じ笑顔より、ずっと良い。

「だったらリコーダー吹いてみっか?一年の時に買わされたのがクローゼットの中にあんだろ。音楽が中等部必須科目っつったって、Sクラスのオレらにゃ単位に加算されねー絶好のサボり授業だった」
「自分が一番判ってんだよ」
「オレが聴いて判断してやんよ。言っとくがオレには絶対音感なんてもんは搭載されてねーから、プロみてーな評価は無理だけどな」

どうせ喧嘩にはならない。健吾が本気で怒る事など有り得ない事を知っている。何を言ってものらりくらりと躱して、どう足掻いても健吾の考えが変わる事はないのだろう。
判っていても口から零れ落ちる言葉達は、今のこの一瞬だけ空気を通して互いの鼓膜を震わせるだけだ。

「良いか悪いか、単純で潔いだろ?」

裕也の言葉は何にも届かない。目の前のルームメイトにすら。裕也が健吾に逆らえない事情を持っている間は、本当の意味で健吾を煽る事はないと思う。怒らせたい訳ではなかった。

「つーか音楽を聴く側の客は、ほぼ全員オレと同じ凡人だ。演奏者が善し悪しを判断するんじゃねー」
「寝転んでテトリスやりながら、珍しくベラベラ喋んな(ノ∀`)」
「不協和音っつーのがあんだろ。昔はどうだか知らねーけどよ、今じゃズレも美学だってよ」
「ありゃ狙ってやってんだよ。ダメージジーンズと一緒だって。適当に破れば良いっつーもんじゃねぇし」
「完璧に拘ってんのはオメーだけだ」

健吾が本気で嫌だと言うなら、音楽などこの世から消してしまっても良いと思っている。けれど思うだけだ。裕也にその権利はない。健吾が『間違っている』と言う限り、永遠に。

「ユーヤきゅんは相棒を買い被るってくれよねぇ。マジ愛されちゃってる実感沸いた☆(*/ω\*)」
「そーかよ。おら、博愛主義のユーヤさんがひねくれ者を抱いてやんぜ」
「妊娠しちゃうからお断り☆」

健吾にとっては軽口の一環で、裕也にとってだけがそうではないとしても。学園中の誰かが、あの二人は付き合っているなどと面白可笑しく噂していても。わざとらしいほどに何も変わらない。当事者の一方が変わらない事を望む限り、選択権がない裕也は継続を受け入れる。いつか終わる瞬間まで。

「俺の繊細な指は成長期と共に駄目な子になっちまったんだよぃ」
「言うほど成長したかよ」
「オメーな、ちょっと俺を抜いたからって調子に乗んなし。俺だって175はあんだからよ、高等部に上がりゃ180なんてあっと言う間だっての(´Д`*)」

馬鹿みたいな駆け引きで情けを乞う時に、裕也を突き放せない健吾の優しさと卑劣さを知っている。女性と育む恋愛が正しいのだと健吾が言うから、裕也は従っているだけだ。犠牲にする形になった過去の恋人達に罪悪感がない訳ではない。
だから自分から口説く様な事はしない。向こうから来た時だけだ。どうせ駄目になるなら初めに振るより、多少は役に立っているのではないか・と。自分を納得させる為だけの言い訳は、どれほど傲慢だろう。

「オメーよりチビだった光王子みてーにか」
「そして高等部出る頃にゃ日本のチェホンマンと呼ばれる様になるのであった(´∀`) めでたしめでたしw」
「そんだけデカくなったら、地下鉄は乗れねーな」
「げっ、そこまで予想してなかったっしょ(´Д`)」

恐らく全てを知っている癖に知らんぷりを続けている健吾が、裕也を突き放せば全てが終わる。
ギリギリの線引きで辛うじて繋がっているだけの不確かな関係は、健吾だけが全ての選択権を持っていた。結びつける権利も、何もしない権利も、終わらせる権利も、裕也にはない。

「藤倉先輩。実はボク、過去を振り返らない男なんだ(・艸・)」
「絶妙にキメェ」
「男は常に未来を見据えるもんっしょ。ヤザワを聴け、ヤザワを。魂が震えっから。チンコと共に」
「キモさ返上したかと思えば一瞬で台無しじゃねーか」
「総長が居なくなったってさ、カルマが消えた訳じゃねぇっしょ」

健吾が立ち上がるのと同時に、惰性で遊んでいるだけで大して面白い訳でもないゲームアプリを終了して、裕也はスマホをカーペットラグの上に投げた。二人部屋での共同空間であるリビングには、テレビとシステムキッチンがある。寝る用意を始めたらしい健吾が、キッチンでコンタクトレンズを外している。

「ユウさんがイライラしてたって、カナメが通常営業だって、ハヤトがとうとう寮にも帰ってこなくなったって、三月が来れば中等部卒業だし」
「あー、シロップが猛勉強してるってよ。副長がオラついてっからビビって、迂闊に近寄れねーだろ。昇格して褒められてーんだろーな」
「アイツこないだの一斉で何位だったっけ?」
「30番台じゃなかったかよ?さっぱり興味ねーから、全く覚えてねーな」

物置同然のソファの上には、脱ぎ散らかしたブレザーが二人分。テスト期間だろうが土曜・日曜日にも課外授業がある高等部とは違い、卒業前の最後の選定考査を控えている中等部は週休二日期間に入った。金曜日の今日が終われば、明日はカルマの集会がある第2土曜日だ。

「俺が降格したら、シロップと入れ替わったりしてな(ヾノ・ω・`)」
「どうだか。今度の選定はグループ一斉の進級判定だろ。ハヤトの時みてーによ、地方から昇校生が来んだろ」
「高等部は外部受験もあんだろ?」

健吾はいつも朝から町へ繰り出して、ゲームセンターや物珍しい飲食店などを回りたがる。まだ年が明けたばかりの真冬だが、そろそろ春物の服が店頭に並べられているかも知れない。

「中等部も表向きは外部受験ありって事になってっけど、高等部とは違って推薦入試だもんな。阿呆みてぇな倍率を潜り抜けて合格したって普通科からスタートってんだから、馬鹿高い入学金と授業料と入寮費で大抵辞退するってね(ヾノ・ω・`)」
「Sクラスは普通科の一部だろ。推薦受験の筆記試験で、30位に入りゃ良いだけの話だぜ」
「普通の小学校じゃ推薦取れてもなぁ。俺ら初等部の間に中学一年の授業くらいまでやらせられるだろうがぃ。ぽっと出の奴らにゃ、負ける気がしねぇわな」
「まーな」

恋人が居る間はそれぞれの個室にあるベッドで眠る約束だ。振られた、と言う合図がなければ、裕也が健吾の寝室に立ち入る理由はない。

「そんで今の俺らは、余所の高校じゃ3年間懸けてやる高等基本教育が、ほぼ終わった状態な訳っしょ」
「伊達に鬼畜Sクラスじゃねーからな」
「推薦入試がない代わりに一般受験がある高等部じゃ、中等部より更に倍率が上がる。進学科に選ばれれば入学費を含めた授業料が免除で、上位3番までに入れば寮は個室を破格の値段で使える」
「更に帝君は、敷地内の全施設が経費扱いってな。ハヤトが何でモデルやってんのか、全然判んねーぜ。学籍カード1枚ありゃ、楽勝で生活出来んだろ」
「中央委員会の役員が、経費免除権限で買い占めたもんを転売して稼いでたのがバレたって話もあるっしょ。そこそこ問題になったけど理事会は合法だって処分しなかったらしいじゃん」
「狡賢いけどな」
「流石に今の御三家がンな真似はしねぇだろうけど、やろうと思えばハヤトにも出来る」

風呂で歯磨きを終わらせた裕也とは違い、烏の行水ばりにシャワー時間が短い健吾はいつも寝る直前に歯を磨いている。
シャコシャコと歯ブラシの音の合間に返ってくる台詞に返事をしながら、裕也はじっと背中を見つめた。互いの寝室に入ってしまえば、色鮮やかなオレンジ色の髪を朝が来るまで見る事は出来ない。
特に週末は、恋人と約束がある。集会までの時間はそちらを優先しなければならない。義務ではなく、世間一般の常識としての話だ。健全な中学生カップルの週末にデートの約束がない筈がない、などと。

「…で?」

きゅっと蛇口を締める音がして、フェイスタオルを掴んだ健吾が口元を拭きながら振り返った瞬間に、裕也は首を傾げた。聡明な健吾の事だ。裕也が何を尋ねているのか、判らない筈がない。

「俺、今度の選定落とすわ」
「Aクラスに興味があんのかよ。それかBクラス?」
「Eクラスも楽しそうだけどよ、アホ三匹が俺の作業着を蜜柑色にしてくれそうじゃね?(・艸・)」
「目に見えてんな」
「ま、不自然じゃないとこ狙ってくわ。下手したらまたSクラスかも知んねぇけど」

立ったままシンクに腰を預けた健吾は、フェイスタオルを丸めてソファの上に投げると、彼本来の黒茶の瞳で見つめてくる。表情はいつも通りだ。金色よりずっと濃いオレンジの髪の下、日に焼け難くても決して白くはない肌の中で、最も濃い色の唇は笑顔の形で吊り上がっている。隔週で髪を染め直している健吾は眉染めも欠かさない為、いつでも鮮やかな黄昏色だ。

「ンな顔すんなし、一発勝負の博打だよ」
「博打?」
「目論見が外れてSクラスに残っちまえば、大人しく卒業まで授業受けてよ、総長の書き置き通りに東大目指したって良いし(*/ω\*)」
「もし降格したら?」
「…今日よりつまんなくなけりゃ何でも良い、ってな。俺が落ちる代わりにシロップが上がっちまえば、Aクラスの支配者は俺だべ?カルマ幹部の権力で普通科を牛耳り、高野軍団を設立するっしょ」
「何の為にだよ」
「若い頃は意味もなく何かを為すもんなんだ」
「平べってー格言ばっか言いやがる」
「そりゃゲルマン入っちゃってるオメーの鼻よか、俺の鼻は確実に低いも〜ん(´`)」

何がギャンブルだ、笑わせてくれる。有言は実行されるに決まっている。99%確実と言っても良い。

「オメーの予想じゃ、今度の選定はどう動くんだ?」
「九州分校でオール5評価の奴が居るっしょ。ホークが言うには、去年の夏期講習でやった模試の結果が宰庄司と同じくらいだったらしいべ」
「ホークが何でオレらの学年の情報知ってんだよ。分校だぜ?」
「ハヤトじゃね?ノーサに対抗心燃やしちゃってっかんな、アイツ。東京の情報じゃ勝てなくても、学園全体の情報じゃ負けねぇって感じだろ(´3`)」
「他には」
「朱雀が戻ってくる可能性を上乗せして、念の為33〜35位辺りを狙ってみっけど。そろそろ江崎が降格しそうな気がするっしょ。かなり頑張ってんのに、アイツずっと最下位だもんなぁ…」
「良く知ってんな」
「クラスメートくらい知ってんべ?」
「マジかよ、記憶力の無駄遣いだぜ?」
「あ、ずっとと言や、奇跡的な確率でずっと21番の奴も居るけどな。気づいた時から心の中でブラックジャックって呼ばして貰ってる」
「何点落とせば狙い通り?」
「宰庄司レベルの優等生と、ブランクありの朱雀を加えても、平均10〜15点ってとこかね。あとは江崎の頑張り次第」
「だったらオレも落ちれば、オメーの計画通りだな」

繰り返す様だが、裕也に選択権はない。健吾が歩く方向について行くだけだ。健吾が入ると言ったからカルマに加わったまま、健吾が違うと言うから、恋心に酷似した執着心を裕也本人も認めない。

「九州のガリ勉と朱雀がオメーの予想通りに動けば、江崎に期待するまでもねーだろ。テメーとオレが外れれば良い。シロップに期待するだけ無駄だ」
「ひっでー事言うっしょ」
「何度もやり直せるカルマ試験じゃねーんだ、一回こっきりの選定は甘くねーだろ。鍛えて体が出来てきたって、他人を殴る覚悟もねー奴には何の権利もねーよ。…選ぶのはいつも、上に立ったもんだけだ」
「本気かよ」
「オレが落ちたら困んのかよ?あー、オレにAクラスを牛耳られちまうからか。まーな、急激に副長の背を抜きつつある裕也君にビビる気持ちは判るぜ?」
「ギリギリ届いてねぇっつーの。自分じゃ判んねぇかも知んねぇけど、今のオメーはカナメと同じくらいだべ?」
「っせーな、180を超えてる予感しかしねーわ。烏龍茶卒業して牛乳に相談すっから、今度の身体測定でチェホンマン超え確定だぜ」
「オメー、牛乳飲み過ぎたらすぐ下痢すんだろ?(ヾノ・ω・`)」

迷う事はない。どうせ選択肢などないのだから、言われるがままに歩くだけだ。
今にも切れそうで切れない吊り橋の様な関係が継続される限り、飼い慣らされた犬の如く。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!