帝王院高等学校
一口に雄と言っても様々です
「この歳になって、改めて己の脆さを痛感した。禊では、性分までは鍛えられないと言う事だろう」

気づいた時にはもう、世界は混ざっていた。
この世とあの世の境が何処にあるのか興味を持ったのはいつだったか。然しそれは、すぐに実現不可能だと思い知る。

「父上には数多の加護があります。鳥、狐、狼、どれもが虹の如き光明に包まれている」
「…そうか。有難い事だな」

これが父親の顔を見る最後になるかもしれないと、帝王院俊秀は何処かで覚悟していた。神に仕える大宮司の職を、ただの一時も手を抜かず務めている清廉潔白な男が、珍しく色がついた浴衣を着ている姿を見た時から。

「雲隠には赤。明神には青。冬月には黄。それぞれ守護色が見えます」
「はて、榛原の名がない様だが…?」
「はい。今日に至るまで、榛原の色だけがどうしても見えません」
「見えない?」

最後の会話にしては、いつも通りだった。お互いに。
父はこんな時も穏やかな表情で、目の前にあるものを全て包み込む様な包容力を感じさせている。彼の周囲は常にいろとりどりの光が溢れていて、それが祝福ではない理由が見当たらなかった。

「何か強大な存在に覆い隠されている様な、存在ごと呑み込まれたかの様な。私には判らない」
「…そうか。彼の家は唯一孤独を強いられる家だ。当主が変われば屋敷の中の住人も変わる。だからだろう」

自分が見ている景色と他人の見る景色は違う様だ。初めて母親に叩かれた日、俊秀は漸く気づいた。痛みよりも驚きよりもただ、虚しさだけが胸に広がった事を覚えている。

「それとも、榛原には私達とは異なる神の慈悲が宿っているのか」
「異なる神…」
「ふ、見えない者の言葉を間に受けるでない。如何なる時も、お前がその目で見るものが真実だ」

庭先をひらひらと舞う美しい蝶を、羽尺の名を持つ優しい母親に見せたかっただけだ。それがこの世のものではない事を、羽尺にはそれが見えないと言う事を。俊秀は頬を叩かれる瞬間まで、知らなかった。

「私は、同じ光景を見てやる事が出来ない。理由が判るか、俊秀」
「…」
「私には神仏に仕える力がないのだ」
「それは違います。父上は誰より立派に職責を果たされておいでです」

だからこそ、帝王院寿明は祝福されているに違いないのだ。幾つもの眩い光が、今この瞬間も彼を取り巻いている。

「お前が持つ力は、恐らく始祖たる天元公に近しいものだろう。我が帝王院が今日まで出雲の大神主様にお役を頂いている理由は、多少星を見る力が優れている事と、優秀な空蝉の存在があってこそだった」

それなのに寿明は、この儚くも美しい風景を見る事が出来ない。俊秀以外の誰も、この神秘的な光景を知る事が出来ない。
ゆらゆらと揺らめく光と影、まるで陽炎の様に世界は揺らいでいる。父の周りにはいつも大勢の神獣が群がっていて、狼や狐、そして厳かな鳥が神々しく煌めいていた。

「…何が立派なものか。私は所詮、出雲の傀儡だ」
「父上」
「天元の血を引いているのであれば、己の子を虐げる様な真似をするものか。私は偽物だ。神に仕える器ではない」
「ち、」
「俊秀」

ああ。
手を伸ばせば今にでも、その炎の温度が指を伝うのではないかと思える程に。その神々しい光が今にでも父を呑み込んでしまうのではないかと、震える程に。

「私は弱い人間だ」

恐怖と畏怖は酷似している。
死に逝く者が見るのは永遠の闇なのか、それとも一瞬の光なのか。最後に感じるのは永劫の恐怖なのか、刹那の安堵なのか。そこへ辿り着いた人間は、誰一人戻ってこない。

「今から自分が口にする言葉が、神職としても親としても相応しくない事を私は十二分に理解している」
「何なりと」
「…近く、出雲にお前が死んだ旨したためた文を送る」

常世と現世を同時に見ている俊秀ですら、死ねば二度と起き上がらないのだろう。

「弱い私を許してくれ、俊秀」
「…」
「私は羽尺を哀れんでいる。然しそれ以上に、愛おしく思っているのだ」

憎んでなどいない。
恨んでなどいない。
可哀想な母親の事も、愛情が深い父親の事も、己の宿命さえ。


「存じております、父上。…不出来な私をお許し下さい」

ただ、この美しい光景を誰にも理解して貰えない事が、虚しいだけだ。








(かごめ)
(かごめ)

『お前の所に鳥がやって来るよ』
『強き炎が連れて来るよ』
『飛び立とう』
『飛び立とう』
『陽が昇る東へ征こう』
『神はそこで誕生するだろう』
『お前の系譜に神が生まれるよ』

(かごめ)
(かごめ)

『籠に入れなかった雲雀は帰ってこない』
『籠に閉じ込めた鳳凰は空を翔ずに落ちていく』
『聞こえているかい、仏の子』
『聞こえているかい、帝なき都で帝を名乗った獣の子』
『お前の胸には狼が刻まれているかい?』

(籠の中の鳥は)
(一匹逃げて)
(一匹囚われた)

『あの子は胸に狼を抱いていたよ』
『狐の様に綺麗な毛並みの狼を』

(夜明けの晩に)
(緋と黒が交わった)

『まるで、恋人を抱く様に』
『そして失った事実を受け入れられずに記憶を手放した』
『業を放棄した』

(東へ征こう)
(緋色の黎明が復活するよ)
(お前の子が流した血の果てに)
(神々は出会うだろう)

『あの子の宿命は、次元の番人が食べてしまったそうだ』



(終焉の幕を開く為に)















ああ、夢を見ていた気がする。
瞼を開いた瞬間、眼球を焼いた眩しさに目を閉じた。

くすり・と。笑う気配がすぐ近くで。


「起きたか、俊秀」
「…私は寝ていたのか?」
「俺の腹にしがみつくお前は、小さな子供の様だったぞ」

さらりと顔の上に落ちてきた何かに、瞼を閉じたまま手を伸ばした。いつか梳いても梳いても絡まっていた毛玉の様な赤毛は、いつから絹糸の様な手触りになったのか。

「桐火」
「何だ」
「子供の名は考えたか?」
「男か女かも判らないのに、まだ早いだろう」
「…男だ」
「お前が言うんだから、そうなんだろうな。だがこの目で見るまでは信じない」
「ふ。お前らしいな」
「お前の事だ。本当はもう、知ってるんだろう?」

運命に逆らうと、いつか傲慢に言ってのけた男がいた。
自分の為に全てを捨てる事になってしまったあの男は、今頃、何をしているのだろうか。

「…屋敷に龍流呼んだのは私だ。恨んでいるか?」
「あの餓鬼を危険視した老耄共が、十口の跡取りを雲雀の警護につけた事か」
「…」
「芙蓉は焔兄様の子だ。耄碌爺共の手前、十口を恨む振りをせねばならない事は理解している。だが、…どう考えても芙蓉が雲雀を拐かす事は出来ん」

大人しい娘だった。俊秀だけの世界を見る事が出来た、愛しい娘だった。

「雲雀には明神と雲隠の血が強く出た。鉄製の煙管を片手で折る女を、如何に兄様の息子とは言え五体満足で運び出せると思うか?」
「…私より、お前の方が冷静だった様だ」

宿命のまま飛び立ってしまったあの子が好んで使っていた龍の宮には、20年近く前に焼け落ちた無残な姿の神木がある。今まで隠し続けてきたが、屋敷を捨てる事になれば、遅かれ早かれ知られてしまうだろう。

「新芽を切ろうと思う」
「め?」
「私達が出会った、老木だ。あの落雷以降長く放置してきたが、知らぬ間に新たな芽が生まれていたらしい。雲雀が出て行くまで、一人で育てていた様だ」

往こう、課せられた業のままに。
聡明な巫女だった娘が抗わなかったのに、親である自分が逆らい続ける訳には行かない。

「お前と雲雀が育てた枝、そして鳳凰を連れて行く」
「…鳳凰か」
「承諾してくれるか、桐火」
「ああ。忘れるな俊秀、俺はお前の狗だ」

強い女だ。
40歳を前にした出産が己の身に災厄を招きかねない事を理解していて、どうしてそんなに快活に笑えるのだろうか。



「天神たる主が望むのであれば、何処へなり往こう」






(虚無はいつも餓えている)
(生きているものを喰らい尽くすだろう)

(時間が存在する限り)

















「何を見てらっしゃるんですか、陛下」

気配なく後ろから聞こえてきた男の声に内心は飛び跳ねるほど驚きつつ、全身の筋と言う筋に力を込めたお陰か否か、態度には出さなかった自信はある。わざとらしくにやけ面を貼りつけながら首だけで振り返り、窓辺に乗せていた足を下ろす。

「晴れ渡る空」
「最上階ですからねぇ。去年階層が増えたので、またお日様に近づいたでしょう?」
「仕事も片づいて、絶好の昼寝日和ってな。難を言えば、日当たりが良過ぎる」
「おや、綺麗に並んでいる記念碑が見えますよ。あの辺りは木が目隠しになっていた筈ですが」
「今年特許出願候補になってる奴らが開発した商品だってよ」

中央委員会会長のデスクは執務室の最奥にある。およそ30坪近くはあるだろう無駄に広い部屋は出入口を除く三面の壁が硝子張りで、三面と言うには多少語弊がある円形造りだ。なので部屋を輪切りにすると、硝子張りになっている部分は180度の半円と同じ形式であり、嵯峨崎零人のデスクは円の中央に位置する場所にあった。

「結構な人数が駆り出されている様ですねぇ。此処へ来る前、校庭で整列している所を見掛けました」
「今日サンプリングしてんのは自家発電も出来るジャンプスターターと、子供でも安全に草刈り・森林伐採が出来る『セグDE刈〜ル』だと。ネーミングセンスを疑うわ」
「へぇ、セグウェイにチェーンソーをつけたんですか?試乗するのが未成年の子供では、危ないのでは?」
「書類が上がってきた時に図面に目ぇ通したが、自動運転技術にも使われてる対人センサーがついてるらしいぜ。セグウェイの動作が止まると、刃が自動的に収納されるんだと」
「ハイテクですねぇ」

背を預けると沈み込むオフィスチェアは一介の生徒会役員が使うには上等な品物だが、リクライニング調整レバーについているストッパーを外していると際限なく沈み込んで身動きが取れなくなる。昼寝にはぴったりだが、真面目に仕事をする気が忽ち失せるので、零人はいつも前傾姿勢で座る様にしていた。座面の真下についているストッパーを逐一操作するのが面倒だからだ。

「おい、手ぇ貸してくれ。どうにも起き上がれねぇ」
「頑張って下さい陛下、男の子でしょう?」
「そりゃ男の子しか通えない帝王院学園の、クラウンマスター様だからな。お前には優しさが足りねぇぞ」
「何せ美貌が有り余っているので、他の要素を加える空きがないんですよねぇ」
「そりゃ良かった。おめでとう、優勝だ」
「有難うございます」

わざとらしく宣った零人は、ひらひらと右手を持ち上げた。零人が開けていた窓から外を覗いていたネイビーブルーの制服が振り返ったが、白い手袋が伸ばされる様子はない。予想通りだったので爪先で床を蹴り椅子ごと窓に背を向けると、デスクを掴んで起き上がった。
十数階高い位置にある中央キャノンから地上の音は殆ど聞こえない筈だが、高台にある記念碑の当たりの声は窓を開けていると聞こえてくる。何の悩みもなさそうな馬鹿笑いが聞こえてくるので明らかに一年生だと思われるが、学年全員ではなく試作品を使った後に確かな感想が得られるレベルの人間ではある筈だ。玩具代わりに遊ばせている訳ではないのだから。

「それにしても元気が良いですねぇ。然し、中等部の生徒に試乗させるなんて…」
「昨日まで高等部は選定考査だったろ。つまり上位50人以外は、来週の期末考査に合わせのテスト期間だ」
「うふふ、先生方も一応気を使った訳ですか」

本来ならばSクラスの優等生に使わせてアンケートを取りたい所だろうが、中等部・高等部は選定考査が一斉に行われる。採点が理事会によって行われる為だが、普段から勉強三昧の進学科が最もピリピリする期間でもあった。

『何人たりとも学びを邪魔する勿れ』

帝王院学園の校訓にも提示されているが、Sクラスが差別化される最たる理由でもある。
一般クラスの生徒がSクラスの生徒の妨げになる事は許されない暗黙の了解で、Sクラスは守られている。ただでさえ嫉妬の対象になり易く過去に度々危険な目に遭ったSクラスの生徒が居た為に、Sクラスのセキュリティは最も強固で、取り締まりも厳しい。生徒のみならず、教職員も進学科の生徒を特別視しているのはこう言った事情からだ。Sバッジをつけた生徒の卒業後の進路は、確実に幸先の良いものになる期待があるだけに、職員の贔屓感情が注がれても無理はない。
多分に漏れず、零人も叶二葉もそのお零れに与っているのだから、外部の学校より明確に努力が報われる仕組みの帝王院学園のやり方は善であると言い切れた。然しその影で泣く者も少なくない事は、誰もが知っている。口にしないだけで。

「記念碑周辺で騒いでいるのは一年生みたいですが、テニスコート方面で試乗しているのは二年生ですかねぇ。米粒の様な青いブレザーがセグウェイに乗っているのは見えますが、間違いなくあの中に、金バッジをつけている生徒は居ないでしょうねぇ。中等部のバッジはメッキですけど」
「特許申請前に商品化するに当たって企業意見も介入してんだから、こっちに持ち込んだ試作品はそれなりに保証されてんだろ。監督もついてるだろうし、怪我人が出る事はねぇ」
「私に設計図を見せて下されば良いのに、人が悪いですねぇ」
「…世界一の技術者を統括する閣下様にお見せする様な代物はございませんので」

甘い匂いがする。ミルクティー、それとバターと蜂蜜の香り。今日はメープルシロップも混ざっている様だ。
甘いものが好きなのかと以前尋ねた事があったが、その時の返事は『別に』だった。その割に、二葉はフレンチトーストばかり食べている気がする。寧ろそれ以外を食べている所を見た事あるのか、零人は思い出せなかった。ラスクとサンドイッチを貪っていた様な覚えもあるが、目撃回数は間違いなくフレンチトーストが一位だ。恐らく今日も、見ているだけで胸焼けがする様な食欲を披露したのだろう。

「なんてな。姫様が俺様に丸投げしてきたんだから、文句があんなら従兄殿に言ってくれや」
「そう言えば、高坂君の姿が見えませんねぇ。また怒らせたんですか?」
「サボればサボったで睨む癖に、真面目に出勤したら舌打ちした挙句『うぜぇのが来やがった』っつって、とっとと出てったぜ。どっかで腰振ってんじゃねぇか?」
「先週三日もサボるからですよ。溜まっていた書類に追われ、寝る暇もなかったんじゃないですか?仰る通り昨日まで選定考査でしたからねぇ、今頃開放感に包まれている事でしょう」
「誰でも良いんだったら俺が懇切丁寧に抱いてやるのになぁ。お前からも言っとけ、精子の無駄遣いだって」
「おや、それでは貴方のセックスは無駄ではないと?子作り以外の行為は、無駄だと思いますがねぇ」
「無駄かどうか試してみるか?」

立ち上がった零人は笑みを貼りつけて二葉の顎を掴んだが、すぐに寒気がするほどの愛想笑いを見せつけられた。自分の負けず嫌いな性格を呪いたくなるが、此処ですぐに手を離しては4歳年下のお子様に負けを認めた事になるだろう。それだけは絶対に嫌だ。
零人は二葉が嫌いなのだ。高坂日向の次に。

「うふふふふふ。では舐めて差し上げましょうか?」
「うっそ、お前にしてはサービスが良いな。どう言った風の吹き回しっスか?」
「うっかり噛みちぎってしまうかも知れませんが、私の口より大きなものをお持ちでしたら大丈夫だと思いますよ。頬張る事が出来ないのでねぇ?」
「あ、やっぱりやめとくわ。サイズには自信があるが、舐められるより舐めたいんだよ、先輩は」
「それは残念です」

何が残念なものか。この男相手に欲情する自信が零人にはない。恐らく向こうもそうだろうが、面厚かましい後輩の愛想笑いは完璧で、見ているだけなら眼福だった。性格を知らなければ更に効果的だろう。

「所で陛下、今回の選定考査で嵯峨崎君が降格したと言う噂が…」
「ある訳ねぇだろ、佑壱は989点で一位だぞ。図形問題が多かった数学は悪くなかったのに、まさか中国語で計算問題が出るとはなぁ」
「気色悪いですねぇ、もう内容までご存知なんですか?度が過ぎるコンプレックスは精神疾患ですよ」
「それ毎回言うけどよ、俺様はブラコンじゃねぇっつーの」

嘘ではない、事実を言ったまでだ。とんだ言いがかりだと軽く睨んでやれば、肩を竦められた。
ムカつくのでデスクの上に転がしていた小さなチョコレートの包みを投げつければ、ひょいっと避けられる。拾えと言った所で無駄だろう。

「お前、最近新入生に目ぇつけてんだって?今季の一年には大河の跡取りと藤倉理事の息子が居るって話は聞いてるが、あんまり贔屓すんじゃねぇぞ」
「去年の貴方も、インスタントカメラを握り締めて一年の教室に張り込んでいらしたでしょう?嵯峨崎君の制服狙いで」
「俺の弟は世界一ブレザーが似合うから仕方ねぇだろ、俺に似て」

二葉はもう一度ブラコンと呟いたが、零人は否定した。
せめてもの救いは、仕事を片づけた零人が此処で何をしていたのか、聡い魔王に気づかれず済んだ所か。

「それにしても、騒がしいですねぇ。天気が良いので上昇気流が発生しているんでしょうか、下の声が聞こえるなんて」
「声変わり前の餓鬼の声は甲高いからな」

身につけても壊れないクラウンリングと回線受信機のピアスを分解した事が知られては、どんな皮肉を言われるか判ったものではない。








「先生、加賀城君が乗ってた草刈り機が根っこに引っかかって止まっちゃったんで、アンケートに書いても良いですか?」
「うーん、改善箇所がボロボロ出てきたなぁ。加賀城に怪我はないか?ん?本人は何処に行った?」

伸びた芝生にピンピンと跳ねる雑草が、しゅるしゅると刈られていく。
刈り取った草を熊手で掻き集めていた壮年の教師は、腰を叩きながら折りたたんでいたゴミ袋をポケットから取り出し、ばさりと広げた。

「怪我はしてないですけど、やる事がなくなったらこの前のテストの事を思い出したみたいで泣いちゃったんで、先に帰しました。あ、袋詰め手伝います!」
「おお、有難う。君も交代で乗ってきて良いんだぞ?」

駆け寄ってきたネイビーブルーのブレザーを纏う生徒は申し訳なさそうに言うと、熊手係の生徒が試作機試乗中の生徒と交代している光景を横目に、教師の足元にある雑草の山を軍手を嵌めた手でゴミ袋へ詰め込み始める。

「加賀城君が丁寧に乗り方を教えてくれたんですけど、どうにも尻込みしちゃって…。あ、帰らせちゃった加賀城君の分の試乗アンケートは貰ってますんで、ご安心下さい」
「何だ、加賀城はまだ落ち込んでるのか?確かに先日の一斉考査は惜しかったよなぁ、51位…」
「進級前テストは気負い過ぎて駄目だったので、今回に懸けてたみたいです。昌人先輩からお守り貰ったって言ってて、物凄く落ち込んでたんですよ。でも学業成就じゃなくて、交通安全だったんですけど」

溜息混じりに呟いた中等部新一年生は、級長の一人だ。
工業科の生徒の発明が商品化される事になり、グループ企業から実用化のボーダーラインをクリアしたばかりの試作機が幾つか到着したので、中等部と高等部の各学年から、数名ずつ有志を募った。今回集められた生徒はほぼ全て各クラスの級長達で、進学科の生徒は含まれていない。また高等部の有志はAクラスからCクラスの級長のみで、大会前のDクラスや人様の試作品など知った事ではないEクラス、取扱注意のFクラスも除外だ。

「学園内では、あんまり効果がなさそうなお守りだなぁ。加賀城昌人は大脳と小脳の大きさが反対だって言う先生も居るくらいだから、悪気はないんだろうが…。大体、何で加賀城は急に選択科目を変えたんだ?初等部の頃は判り易く算数と理科が得意だったんだろう?」
「紅蓮の君が一貫して文系選択って聞いてからなんです」
「上級生に憧れるのは自由だけどなぁ、昇格を狙ってるんだったら得意科目で挑戦した方が良いと先生は思うぞ」

なので高等部の生徒より中等部の生徒の方が多少多く、高等部の生徒は企業から派遣されている技術者と共に、製品評価技術基盤機構顔負けの応用実験をしている。教師を監督役として、より実用的な動作チェックを任されている中等部の役目は、試作の手伝いと言うより掃除名目だ。なので気分的に、新しいマシンに乗って遊んでいる生徒ばかりで、真面目に掃除に勤しんでいる生徒は少ない。

「でも先生、今回平均点がぐっと上がってるんですよっ」
「そうみたいだなぁ。二組のクラス平均点は、去年の二組より5点高かった」
「Sクラスは二組より7点も高いんです!」
「Sクラスじゃない、一組だぞ。まぁ、強ち間違ってもいないか…」

先程まで黙々と草を刈っていた加賀城獅楼は、先月末の中間考査で選抜漏れした為に選定考査に参加出来ず、以降ずっと落ち込んだままだ。期末考査まで暫く期間があるものの、帝王院学園の選定考査は一般的な期末考査より早く行われるので、進学科の生徒を含む上位50名は既に勉強を始めている。今回のサンプリングモニターで集められた生徒の中には、選定考査に選抜されたメンバーは含まれていない為、この場に居ると言う事は選抜漏れしたと言う意味でもあった。
本校の中等部では、進学科を示すSクラス制度が始まるのは二年生からだ。然し慣例として、初等部卒業前に行われる選定考査代わりの進級考査によりクラス分けされている。生徒には公表されていない情報だが昔から口づてに知られていて、一組から順に成績順で割り振られている事は暗黙の了解だった。

「先生、加賀城君はカルマに憧れてるんですよ」
「かるま?」
「紅蓮の君が作った組合みたいなものだそうです。ABSOLUTELYと同じくらい人気があるんですよっ」

二組の加賀城獅楼はAクラス相当の優等生ではあるが、地方分校から昇降するなり一組に割り振られ、先の中間考査で錦織要を抑え一位だった事で帝君視されている神崎隼人の登場で、今年の一組は例年になく殺伐としていると言う説もある。恐らく新一年生の誰もが錦織要が帝君認定確実だと思っていただろうが、結果は入学時のクラス分け掲示板が示していた通りの席順だったと言う事だ。

「何の組合なのか先生には良く判らないけど、Sクラスの先輩を目標にするのは良い事だ。だけど加賀城は…何事にも一生懸命なのは長所だが、影響を受け易い所があるなぁ。変な事に巻き込まれそうで、先生はとっても心配だよ」
「先生、もうすぐ定年なのに悩ませてごめんなさい。僕達は今、ちょっと難しいお年頃なんです」
「本当に、難しいなぁ。神崎君はテスト期間以外は寮にも戻ってない様だし…」
「あ、星河の君ですよ。星がついたアクセサリーを身につけているって事で、そう呼ばれてるんです」
「そう言う通称は誰が考えてるんだ?」
「あ、王呀の君は七星の君が名づけたって噂です。ゲームに出てくるオーガってモンスターが由来だとか」

テスト結果が出た時、職員室にどよめきが走ったのは帝君相当の昇校生が『芸能人』だったと言う事に尽きるだろう。正確には芸能人ではない様だが、過去を幾ら遡っても、中等部進学科相当の生徒が副業を持っていた事はない。高等部在学時に起業した生徒は何例も見られたが、明らかに毛色が違う生徒だと言えるだろう。

「それにしても、加賀城の落ち込みようはちょっと酷いな。何だか顔色も悪い様な気もしたが…」
「そう言えば、膝が痛いって言ってた様な」
「そんなお年寄りみたいな台詞をあの若さで言うなんて…大丈夫かな」
「僕達難しいお年頃ですけど、男の子なので大丈夫ですよ。その内、林原君辺りがお世話を焼きに行くんじゃないかな」
「林原だったら安心だな」
「…加賀城君のご実家はお金持ちだからですよ。先生は子供の気持ちが判ってないですね」
「えっ?」

一貫して生徒の自主性に任せる姿勢を貫いている上院からの通達はなく、職員会議でも学業に支障がないのであればと言う意見で一致したものの、通例では各学年の帝君には自治会役員を任せている。然し神崎隼人言う生徒に限っては、中等部自治会指名は事実上不可能だろうと言う見解に至った。
現在の中等部自治会は西指宿麻飛が会長を務めているが、副会長が三年生なので、いずれにせよ新しい人員が欲しい所ではある。二年帝君が中央委員会書記として任命されている事から、自治会顧問は新一年生からの補充を期待していただけに、肩透かしを食らったに違いない。

「うひゃひゃ、何だこれ!セグウェイだと思ったら回転式の刃がついてるっしょ!」
「つーか、チャリよりおせーぜ」

ゴミ袋を縛りながら酷く騒がしい声に振り向けば、此処にいる筈のない奇抜な髪色の生徒が見えた。恐らく獅楼が木の根に引っ掛けてしまったのだろうセグウェイに乗って、芝生の上をのろのろと駆けている。

「先生っ、高野君と藤倉君がセグDE刈〜るを誰よりも上手に乗り回してます!二人乗りで!」
「どうしよう先生っ、あの二人はSクラスですよ!怪我したら監督責任かもっ」
「…うん、だからSクラスじゃなくて一組な」
「止めたくても怪我させたら大変なんでどうにもなりません!」
「先生っ、どうにかして下さい!」

教師にも出来る事と出来ない事があるのだ。
そもそもカリキュラム数が多い進学科は未だ授業時間で、一組も例外なく授業が行われている筈だが、こうも堂々とサボられると寧ろ感心してしまう。

「もしもし副長っスか?(・∀・) 校庭で面白い乗りもんみつけたんで、興味あったら走ってきた方が良いっしょ」
「亀よりおせーぜ。これ体重制限あんの?」
「先生!高野君が携帯電話で話しながら片手運転してます!」
「誰か、加賀城から交通安全のお守り借りてきてくれないかな?」
「大変だよ皆、先生が現実逃避しちゃってるよ!風紀に叱られる前に高野君達を下ろさなきゃ!」

凄まじい騒ぎを数分間繰り広げ、人の言う事を全く聞かないオレンジとフレッシュグレーンを追い掛け回した一年生達が疲れ果てる頃、校内放送を告げるベルの音が鳴った。

『中央委員会からの厳重注意だ。校内の芝生を面白半分で丸禿げにしたら、Sクラスだろうが懲罰棟にぶち込むぞ』
「やっべ、速攻バレてるみてーだぜ」
「風紀が来る前に逃げるっしょ!(´∀`)」

ドカン!と言う爆発音が響き渡ったので全員が坂道の上から校庭方面を見やれば、無言でふるふる首を振っている赤毛が見えたのだ。

「テメェ、校庭で何やらかしてやがる!」
「ち、違、触ろうとしたらこうなっただけで、俺は何もやってねぇ…!」

シャツが異常に乱れている中央委員会副会長が、前髪がちょろっと焦げている中央委員会書記とバトルを繰り広げるまで、残り一秒。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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