帝王院高等学校
昏き巡礼の序曲
『太陽の表面は哺乳類の皮膚の様に、綿密な溝が刻まれています』
『太陽で最も温度が高いフレアはおよそ2000万度、強い磁場の影響で低温とされている黒点でさえ、およそ4000度以上の熱を放っていると推測されています。地球を構成する太陽系では、文字通り最大の熱源と言えるでしょう』

『以上の事から判る様に、温度の上限には限りがありません』
『然し下限は既に解明されています。測定方法は幾つも存在しますが、我々の生活に最も根づいている摂氏の概念では、下限0Kの状態を絶対零度と呼び、マイナス273.15℃以下は存在していないとされています』




『以上の仮説から、世界の仕組みは宇宙の理念に通じると思いませんか?』








少しだけ未来の話をしようか。











穏やかな春が終わって迫り来る夏を待ちかねながら、魔法使いと賭け事を楽しんだままの。
道化師が辿り着いた、近い未来の話を。









「やぁ、元気にしてるかい?」

一人の人間の、とても退屈な話だけれど。

「そんなに嫌そうな溜息零さないで欲しいなー。はは、まだ拗ねてるんだ?」
『煩ぇ』
「お前さんも中々しつこい男だね、俺ほどじゃないけど」

また夏だ。
子供の頃に幸せと恐怖を一度に知った時、どうして救いを願ったりしたのだろう。

『…今更何の用だ』
「こっちは毎日天気がいいよ。観光案内所もなけりゃ綺麗なガイドさんもいないけど、誰もが俺を見ると傅いてくれる」
『下らねぇ』
「お前さんが生まれた所を見てきたんだ。祭主の子孫があんな所で生まれたなんて、哀れ過ぎてお天道様に顔向けが出来ないと思わないかい?あはは、そもそもあそこはお天道様なんて見えないか!」
『…』
「切るんじゃないよ。負けを認めるってんなら構わないけど」
『誰が…!』
「そうそう、ちゃんと噛みついておいで。俺に逆らえるのは叶じゃなくて、雲隠だけなんだ。俺が決めたんじゃないよ?歴史がそうなんだって証明してる。朝の裏は夜、宵の反対側は陽」

いつか花嫁を迎えるのだと信じていた子供が。
愛を歌う為に土の中から抜け出てきた虫の抜け殻を掻き集めて、たった七日で死んでしまうちっぽけな存在を肯定してやろうとした事がある。夏が過ぎれば忘れてしまう、ほんの一時の宝探しの様なものだ。まるで泡になってしまえば誰からも思い出しては貰えない、人魚姫の様に。

「うん、今がきっと世界は正しい形をしてる。そう思うだろ?灰色の大禰宜は空っぽな蝉として土の中に還って、空を漂う雲の祭主は日の本の国で幸せに暮らしましたとさ。きっと死ぬまで」
『………舐めやがって』
「お前さんも俺も、大事な事を忘れたのは交換条件だったんだよ。ただ、俺とお前さんでは決定的な違いがあった。今なら判るだろ?」

魔法使い。
まるで死神の様な黒いローブで姿形を隠しているそれは、見た目では見分けがつかない。だからそう、二人の子供の前に現れた魔法使いが同一人物だなんて、初めから誰も言っていないのだ。

「優しい魔法使いは『完璧な魔法』を掛けてくれる。シンデレラみたいに途中で解けたりしないんだ。だから、思い出せてしまった俺が凄いんじゃないし、思い出せないままのお前さんが悪いんじゃない。ね?簡単だろ?」

ほんのひと匙のアルコールを落とした水瓶の中に、一月懸けて血を少しづつ貯めていく。夜の国の皇帝になる為の密やかな儀式は毎日繰り返されていて、いつかAB型の血で満たされた水瓶は今、B型の血で満たされようとしている。

「お前さんは選ばれたんだ。ちゃんと俊に、初めから選ばれてたんだよ、陽の宮」

正しい形をしている世界に今、異端が生まれようとしていた。
チェスの銘を持たずにランクSの座を許されようとしている『それ』は、ナイトのスペアなのだ。ナイトは二人存在する。レヴィ=グレアムが選んだナイトと、キング=グレアムが選んだナイト。赤の他人である二人のナイトの血を継ぐ新たなナイトは、いつでも人形だった。

「藁人形」
『…』
「カカシみたいだろ?スケアクロウ、ルークじゃなくて俊の事だった。王様にも神様にもなれなかった名無しの主人公、お兄さんが考えてくれた名前をつけて貰えず、同じ血を継いで生まれる事も出来なかった。ルークは盤上に二つなきゃいけないのに、ルーク=フェインだけは例外だったんだ。ノアは二人も要らないから。可哀想だねー」
『…』
「誰からも異端視されて、人間扱いされた事がないんだって。日本には居場所がなくて、アメリカじゃ神の子だなんて呼ばれて隔離される。そんな人生、俺だったら嫌だな。…でもさ?何も悪いコトしてないのに、他人の呪いを夜な夜な打ち込まれる藁人形は、もっと哀れ」
『無駄話ばっか、良く喋りやがる。…もう俺には何の関係もねぇ』
「そうだね。お前さんはひたすら幸せになる為の脚本を用意された、天神様の大切な隠し子だから」
『煩ぇ。んなもん、誰も望んでねぇ』
「でも言ったんだ。思い出せなくてもお前さんは、『助けてくれ』って願ったんだよ」

いつかの嵐の夕暮れに。
叩きつける大雨の中で叫んだ子供と、叫ぶ気力もなく呟くだけだった子供と。二人の魔法使いはそれぞれ、魔法を掛けた。

「お前さんは『大声で吠えた』『雑音』で、俺の『声』は『雨に掻き消えた』」
『…』
「判るだろ。雨の中で音を聞き分けられるのは、大水害を乗り越えた一族だけで。夜はいつだって静かだ。だけど朝になれば世界中に命の鼓動が宿る。地球は何処も大音量で埋め尽くされていたよ」
『…』
「大違いだよね。白日に行きたがる冒険者と、紫外線すらノイズ同然の皇帝じゃ」

それなのに、歪んでいても正しくても、変わらないものがあるらしい。
そしてそれを受け入れられる人間ばかりじゃない事を、彼は初めから知っていた。


「…知ってるかい?ニューヨークでも流星群が見えるんだって、騒いでるそうだよ」

誰だって、望んで産まれた訳じゃない。望んで手にした宿命じゃない。
きっと、この世の神でさえ。



















『起源の概算は判明しているにも関わらず、未だに宇宙はその全貌を解明されていません』

『果てがあるのか広がり続けているのかさえ』
『我々人類が、地球の命が、今日に至るまで歩んできた数億年では解明されていないのです』
『今度何百年、いや、何光年後に解明されるかも知れませんが、残念ながら我々の住まう地球の寿命は、それより遥かに早く終焉を迎える事が最新の研究で証明されてきました』
『地球の核融合が止まるのが先か、太陽の断末魔が先か。百年に満たない私達の生涯で知り得る事は、まず有り得ません』
『漆黒の宇宙にビッグバンが起こり、時間の概念は始まりました。宇宙の起源です』
『星の最後にはノヴァが起こるとされています。砕けた星の残骸は彗星となり真空を駆け抜け、ほんの一部は何処かの星に隕石として残る。そうでない大半は、未だに宇宙空間を流れ続けているのでしょう。磁場はあらゆる活動エネルギーを妨げると太陽の黒点が証明していますが、磁場が存在しない空間を駆け抜ける彗星の活動エネルギーは、理論上止まる事は有り得ません』
『然し宇宙には多くのブラックホールが存在するとされます』
『ブラックホール内部では時間の概念さえ停止しており、あらゆるエネルギーが圧縮され存在する事が出来ない』

『ならば始まる前の宇宙は、強大にして虚無に等しい、一つのブラックホールだったのではないでしょうか?』

『女性の体内で受精を果たした我々哺乳類は、意志より先に原始生殖細胞として分裂を開始しました』
『軈て多くの臓器と骨を形作りますが、そこに我々が考える意思は介入していません』
『筋肉が作られ朧気な人間の形を手に入れて初めて、体を動かす事が出来ます。然し我々の体内に流れる栄養素も、酸素も、全ては母体から得るものです。輸血では自分と同じ血糖質でなければ死に至る事もありますが、母の胎内では血液型が違えど胎児は生きられます。肺が活動していなくても生きられます』
『たった一本、臍に繋がれた管があれば』

『母体は正に生きたブラックホール。母の胎内では我々の生は停止しています』
『我々はただ圧縮された状態で形を作り、排出されるまで生きながら停止しています。外に出て肺呼吸に成功して始めて、生命の始まりが認められるのです』
『その神秘的な過程を乗り越えてきた我々もまた、ほんの百年で活動を停止します。星も銀河も同様に、未だ解明されていない宇宙ですら』
『上限は判明していないのに下限は判明している温度もまた同様に、時間の概念の中では全てに平等に限界が存在するのです』

『何よりも明らかなのは、全てに終わりがある事』
『終われば時空は小さな小さなブラックホールとして、再び時間を停止させる』

『ではビッグバンはどうして発生したのか?』
『宇宙すら圧縮した膨大な虚空の内側で、まるで母親の胎内の受精卵の如く、何かが細胞分裂をしたのか?』
『それは意思のない有機物なのか?』
『それとも、意志を宿した無機物なのか?』

『宇宙の概念を解明する事は、人類の起源にも通じるものと言えるでしょう』
『以上で過去の論文の検証を終わります』







『本文著者。天体生物物理学教授、カエサル、ルーク=フェイン』













「プラネットカーストはAからDまでの4段階。中央区通行許可は、コードを有するCAPITAL以上の社員に限られます」
「SINGLEが含まれていない様だが?」
「Yes。ランクSは唯一神ノアの地位、カーストに含まれません。また中央情報部には、コード以外のデータは記載されません」

随分、空が暗い。

「ノヴァのデータは登録されるのか?」
「No。ノヴァのデータは元老院保有となり、中央情報部が発布している特一級優先情報取得要求を逸脱します。然しマジェスティノアの命令がある状況下に於いては、この限りではありません」
「元老院が拒絶しなければ、と言う事か。ノアに逆らうとは思えんが、そもそもノアがノヴァの情報を欲しがる理由がないな。ナインが私の名を知りたがる様なものだ。で、元老院の組織自体は何処にある?」

霞掛かる雑木林に紛れ、人の目から逃れるかの様に歩を進めるばかり。目当てのものはそう簡単には見つからないだろう。恐ろしく大きいものだが、恐らく誰もその存在を知らない。

「元老院はキャノンテイターニアB5階、アンダーエントランスホールの先、アッパーゲート・アビスゲートの分岐点にサーバーを保有しているとされています。然し明確な拠点はなく、直近までのサーバー保有者はコード:ネルヴァ、藤倉カミューとされています」
「多少データに相違があるな。カミーユ=リヒテンシュタイン=エテルバルド=フォン=シュヴァーベン、60年前に死んだ私のオリジナルと面識がある筈だ」

探し物は『神の方舟』、正式名称はベルセウス。ノアの証明にして、ステルシリー唯一の軍用機だ。航空機としては間違いなく世界最大、操縦する為のキーはノア=グレアムだけが保有している。現在の持ち主の名は、ルーク=フェイン=ノア=グレアム。

「了解しました。ローカルで共有します」
「父親はラドクリフ=エテルバルド=フォン=シュヴァーベン。母親はリリス=エテルバルド。リリアは私の姪だった。つまりネルヴァは私の親族だが、ナインは判っているのだろうか?」
「エラー、ご質問にお答えする事は不可能です」
「ネルヴァを雇用したのは?」
「特別機動部前マスターの就任は、マジェスティキング=ノアの着任よりおよそ6年後。それ以前のマスターは、コード:オリオンです」
「そうか、演算が楽に終わった。オリオンが帰ってこないものだから、流石に業務に支障が出たんだろう。OK、現在のステルスの仕組みを教えてくれるか?」
「ステルスは神の影を指す言葉、含まれる意味は『極めて密やかに』『音はなく』『色もない』、求められるのは生きながら冥府に巣食う黒神の従者である事」

さらさらと、絹糸の様な雨粒が落ちてくる。
聳え立つ白い塔の外周を回り込んでみると、その構造が如何に迷路じみているか判った。ティアーズキャノンと呼ばれる校舎群の中でも、最も存在感がある中央校舎はヴァルゴ並木道からは数メートル高台にある為に、エントランスまで巨大な階段が設えられている。

「冥府。そう、私が地下へ潜る際にそう言ったのはルシファーだ」
「オリヴァー=ジョージ=アシュレイのデータは、中央情報部に保管されています。閲覧には特別機動部の許可を要します」
「今のはほんの世間話で、開示要求ではないよ」
「了解しました」
「話は逸れるが、シリウスブランドのアンドロイドは女体の方が多いのか?」
「特別機動部保有のアンドロイドには、外見上の性別分けはありません。マスターはセカンド。コード:ディアブロ、ネイキッド=ヴォルフ=ディアブロです」
「叶二葉だな」
「エラー、只今の回答はデータ取得権限を逸脱しています」
「叶の名を嫌っていると聞いたが、徹底しているのか。祭洋蘭、またはヴァーゴ=ヴィーゼンバーグの方が良かったか?」
「エラー」
「面倒臭い少年だな、誰がスカウトした?」
「コード:イクスの承認の元、ランクBに任命されています。特別機動部長への任命は、コード:ルーク即位時、ノア勅命によります」
「私の孫は面倒臭い部下を好んでいる様だ。それでも俊を超える事はないと思うが…どうかな」

無表情で説明を続けている女性を無遠慮な目で眺めながら、何が可笑しいのか笑っている銀髪の男は、沈黙したまま身構えている男へ片手を挙げた。

「アンドロイドへの偏見の目は、私には通じないが?」
「そ、そんなつもりは…!」
「私の体内には君の部下とは違い、ナイト=メアの体組織が格納されていると言っただろう?私は動く墓標」

レイナードを褒めなければ、と。無機質な眼差しで人間の様に笑う男のダークサファイアは、落ちてくる雨粒よりま冷めていた。人ではないからだ。

「レイナード?」
「夜人はレイリーと呼んでいた。先程インストールしたデータでは、息子が一人居る。コード:アート、さっき飛んでいった彼だ」
「…対外実働部のランクB。本名はウィリアム=アシュレイになってますけど、ただの養子です」
「語弊があるな。あのライオネル=レイが迎え入れたのだから、『ただの』と言う表現は間違っている」
「…63期世代じゃ、トップの成績でした」
「君は2位?」

愉快げなダークサファイアはそれ以上の追求はしない。
アンドロイドに言い負かされる様では大した社員ではないだろうと、優秀な演算能力で弾き出したからだ。同じランクBでも天と地の差があるのは、帝王院学園に於けるSクラスもまた同様だろう。

「ルークの円卓で最も注意しなければならないのは、恐らくセカンド。彼ならベルセウスの在処を知っていても不思議ではないが、」
「ベルセウスはその外観さえ非公開の機体です。権限を剥奪する事が出来れば、ナイトの立場は磐石のものになるでしょう。然し、機体が学園内にあると言う保証はない」
「それを証明する為にも、我々は歩き回っているのだろう?セカンドに尋ねたとして、彼は答えてくれるか?」
「歴代ランクBを遡っても、国を4つ潰した悪名を超える事はありません。政府はネイキッドを災害指定しています」
「面白い事に、そのネイキッドでも俊には適わない。どんなハリケーンだろうと、太陽を弾き飛ばす事は出来ないだろう?」
「…畏れながら、現時点でナイトの後ろ盾は小数です。人員管轄部は全面的にナイトを擁護していますが、元老院は今を以て意見が分かれていて…」
「ナインは『ルークの円卓を壊せ』と言ったんだろう?君達のマスターはキング側についたから、ルークに反旗を翻す形で俊を探した」
「完全にマジェスティルーク派は、対空管制部と対陸情報部かと。区画保全部は部員数が多いので分かれるとは思いますが、マスターはノアの忠実な下僕です」
「不確定要素は対外実働部と組織内調査部と言う事か」
「現状、ファーストはカルマでナイトの補佐を任されています。部員数の少ない対外実働部は、一枚岩だと考えるのが妥当では?」
「ふふ」
「…何か?」
「いや、人間はアンドロイドとは違うだろう?」

怪訝げな男から目を離し、待機している女性へ向き直った。慎ましく佇んでいる女は、アジア系の顔立ちなので、世界的に評価されている大和撫子そのものだ。

「で、このアンドロイドは何処から連れてきたんだ?」
「この女はアルデバランが連れてきたので、詳しい事までは」
「機械だからと言って女性の扱いを間違えると、シーザーナイトの逆鱗に触れるぞ。当然理解しているだろう?あのファーストが従順に従い続ける男は、帝王院秀皇の息子である以前に、藤倉裕也の飼い主でもある」
「っ」
「キング=ノヴァに加えてネルヴァの庇護を得られれば、円卓が塗り変わる可能性は格段に跳ね上がるだろう。…不安要素があるとすれば、『系譜から外れた楽器』だろうか」
「系譜から外れた楽器?」
「狂った指揮者の言葉は理解が難しい。俊が言うには、魔法使いは歌わないそうだ。歌うのは常に、脈動を繰り返す命だけ」
「歌…?」
「希望と絶望が入れ替わる。天は地に、朝は夜に…」

王は消え、闇のゆりかごに抱かれる。
狼の子は狐の骸を抱いて神の道、果てで何を見たのか忘却の彼方。
天地の狭間に陰陽の狭間に、王は人に獣は人に。

「『天』が『陽』を目覚めさせる。その時、偽りの天は系譜から外れるそうだ。…判るか?」
「自分には…」
「話の腰を折ってしまった。中央区の話を続けてくれ、アーカイブを修正する」
「特別機動部は、皇帝に最も近い近衛部隊にして総務役斗言えるでしょう。中央情報部で集められた情報の開示、秘匿指示、新たな技術の開発。円卓議会に於いては左元帥の立場にあります」
「その辺りは大幅な修正が必要だ。オリオンですら、元老院の内情については無知だったからな」
「右元帥であるファーストがマスターを務めている対外実働部は、外部出向組です。基本的にセントラルに在駐する事はなく、ファーストの代理で業務を賄っているクライスト=アビス=レイに至っては、マジェスティルークが即位した時点で元老院の預かりになっています」
「ナインの女性体シンフォニアが産んだファーストを、イエスキリストの様に準えるのであれば、嵯峨崎嶺一はヨセフだ。テレジアが育てたアダムとイブ、私が生きていた頃にその技術が見つかっていたなら…」

ヴァルゴ並木道の最北端は、テニスコートと記念碑の丘に向かう為の分かれ道で、どちらも煉瓦敷きだった並木道とは違って、なだらかなアスファルトの坂道だ。
然し校舎群は敷き詰められた芝生に囲まれている為、離宮と離宮を繋ぐ渡り廊下が複雑な高速道路の様に頭上で折り重なる下は、校庭に当たる一階部分には植樹された木々や花壇、幾つかのベンチや看板以外があった。地面には悉く、手入れされた芝生が続いているばかり。
校舎が建つ土地は敢えて均されていないらしく、西部と東部で離宮の構造に随分違いがある様だ。テニスコート施設と雑木林を挟んだ先にある北部の部活棟は、他の離宮からかなり離れた位置にあるからか、芝生ではなく雑木林から続く砂利道でそれほど補整もされていない。部活動生徒用の保健室と、部活動や式典時に使用される道具や、工業科の重機などを保管している倉庫棟しかない西部には、校門から続くヴァルゴ並木道の煉瓦が続いている為、かなり整備されている。

「ファーストの派閥かセカンド側かは不明ですが、怪しい動きがあります」
「ほう?」
「目的不明ですが、スペインの組織に何らか動きがあると。欧州情報部が調査している筈ですが、マスターベルフェゴールは赤銅の仮面で顔を隠し、円卓に出席する事も稀でして、未だ本部通達はありません」
「ベルフェゴール…か。元老院との癒着は?」
「今の所は確認していません。明らかになっている右翼の代表は対外実働部で、左翼の代表は対空管制部と対陸情報部です」

然し進学科を除いたほぼ全ての学部が揃う東部離宮一帯は、御神木を祀る西部森林とは違って断崖絶壁や渓谷が見られる為に、敷地の外れがフェンスなどで囲われていた。立ち入り禁止区域の警告看板が点在するからか、人気もなく、校庭としての整備はなされていない。

「コード:シスターテレジアの息子は、何かにつけてセカンドと比較されました。同じく、枢機卿時代にルーク陛下自ら引き抜いてきたセカンドも、ファーストと比べられる事が多かったと」
「その話は誰から?」
「…ベテルギウス、元老院の一員です。現在マジェスティ付きの使用人として出向中のコード:ベリアルに代わり、元老院の業務管理を」

世間話はやはり生きた人間から聞かなければならないと、レヴィ=グレアムのAIは人間らしく頷く。
『ベルセウスを探せ』と言ったきり、とっとと去っていってしまった髪も瞳も黒い男は、アーカイブされている遠野夜人には微塵も似ていない。人の話は知りたがる癖に、自分の話を余りしない所など特に。聞けば教えてくれるが、他人の理解を求めようとしないのは、わざとはぐらかしているのであれば個人の性格の問題だろうか。

「コード:ベリアル、フルーレティ=ミズガルズギルバート=アシュレイ…オリヴァーの長男だな?」
「年齢は公開されていませんが、ネルヴァ卿の同世代だと。現在アシュレイ伯爵家の当主で、子供は3人」
「それは判っている。エアリアス、ルーイン、ルシフェル。エアリアスを産んだ女は早くに亡くなっていて、エアリアスが出国して間もなく、フルーレティは新たな妻を迎えた」
「数年後に生まれた双子の男児は、ファーストの同級生です」
「つまりエアリアスが死んだ頃」
「伯爵家はロンドン・リヴァプールなどにステワード養成学院を開校し、現在はパリにも分校を保有しています。俺が知っている話はこの程度です。クライスト=アビス=レイ卿に関する一切は、非公開なので」
「助かる、保存しておこう」

大人しく待機していた女へ目を向ければ、再び口を開く。
アンドロイドの基本的なキャラクターは彼女の人となりが教えてくれる様だと考えた時、頭の中で『悪趣味』と言う言葉が多重音声で聞こえてきた。

『我が友、夜の王よ。お前の弟は男の趣味が悪いぞ』
『うっせェぞ鳳凰、夜人の趣味に関して言われたら、この俺も否定出来ない感じになって来るだろうが!俺はお前、40代設定だからまだしも、本物の俺はブチ切れると血管までブチ切れて流石に死ぬぞ?108歳だからな』
『うわァ!鳳凰さんと兄貴、頼むから兄貴には言わないで…!』
『ふむ。おじさんのCPUは生前に倣って親馬鹿設定だから、駿河と秀皇と俊に贔屓するけども、夜人は遠野さんちの子だからなぁ』
『鼻の下伸ばしてんじゃねェ、アンドロイドの癖に。お主、本当に帝王院鳳凰のキャラなの?オリジナルの俺が好き放題弄ったから、病気になっちまってねェか?』
『俊も遠野さんちの子じゃん、つーか二人共本人そっくりだって。脳味噌だけ生き返ってる俺には判る。つーか俺とレヴィがこうなったのってレイリーの所為なわけ?レイリーに一発入れたいんだけど、もう死んでるらしいんだょ。世知辛いよなァ』
『貴殿ら、私が会話に加われないと思って仲間外れにするならとんだ考え違いだぞ。アンドロイドの私にも不可能はない』
『くぇっ。カイちゃんなる曾孫以外に接点はないが、この帝王院鳳凰、仲間外れはしない男だ』
『こんな奴は仲間外れでイイっつーの!テメェ、俺の夜人に手ェ出しやがって!』
『やめて。兄貴やめて。凄く居た堪れない俺がいるからやめて。あとレヴィが面倒臭い事になっからやめて』
『男の嫉妬はみっともないぞレヴィ=グレアム。然し世知辛い事に舞子に近づく男に逐一嫉妬していたこの帝王院鳳凰、気持ちは判る』
『お前の場合は童貞を拗らせるからだろうが。所で夜人、お前は童貞だったの?』
『やめてぇえええ!兄貴の設定が可笑しいんですけどー!』
『世知辛い事を言うが夜人、夜刀のキャラ設定は夜刀本人がしたんだぞ』
『そうだぞ。兄ちゃんはお前がエビに掘られてたらどうしようって、お前が死んだ後に眠れない夜を過ごしまくったんだからな?大体、弟の癖に兄より先に死ぬのってどうなの?何で枕元に立たなかったの?夜人、ちょっとそこに座りなさい』
『す、座る?!兄貴ごめん、ちょっと何言ってるか判んない、馬鹿でごめん』

世知辛いのは頭の中で井戸端会議を始めているお前らではないのかと、レヴィ=グレアムは大人げなく考えた。いや、優秀な演算能力が弾き出した。宝の持ち腐れとも言えるだろう。
脳内ならぬ仮想メモリ内で井戸端会議をする仕組みは、何の為に作られたのか。単なる腐男子のおまけだろうか。全く判らない。

「元帥の役目は、円卓と元老院を繋ぐ橋渡し。元老院の意向を円卓へ伝え、同じ様に円卓の意向を元老院に申し送りしなければならない。ノアと言えど誤った判断がないとは限らないだろうと、9代男爵即位時に発足した組織が元老院です」
「初代院長はコード:ルシファー、オリヴァー=ジョージ=アシュレイ。前ウェールズ伯でしたが、英国議会への介入は現在に至るまでありません。籍だけは残っている様ですが、恐らく英国全土がステルスに怯え、アシュレイを監視下に置いておきたかったものと」

お互い様だろうと笑っている男はダークサファイアの瞳を瞬かせ、落ちてくる雨粒を木の下から見上げていた。濡れない様にと渡された傘は、閉じられたままだ。

「イギリスがステルシリーの動向を懸念した様に、アシュレイもまたイギリスの抑止力になった。オリヴァーが元老院からも引退したのは、ナインが即位した3年後だ。自ら発足させた元老院を去るには、些か早い」
『ふん、お前が死んだからだろう』
「私の所為か。アーカイブに留めておこう」
『お前は失敗作だからキャラクターを後書きしたのに、勝手にHDDに独立仮想領域を作るな』
「生きている夜刀の人格で、私を塗り替えようとするからだ。鳳凰が先にインストールされていれば、抵抗はしなかったと、たった今演算結果が出た。オリジナルは、96.285%の確率で遠野夜刀を敵視していたんだ」
『ねちっこい男はモテんぞリヴァイ=グレアム』
「残念だが夜刀、お前に我が名を呼ぶ権利は与えていない。私の名を呼べるのは夜人だけだ、脳に刻み込んでおけ」

独り言同然の一人口論を展開しているアンドロイドに、人間達は訝しげな目を向けていた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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