帝王院高等学校
聴く者のない静寂の中の子守唄
『泣かないで』

愛は尊いものだと。

『泣かないで、イブ』

絵本の中にしか存在しない、その綺麗な感情を信じていた事がある。

『イールが裏切る訳ないじゃない』
『イールはお姫様になんかならないわ』
『だってエアリーの心は、男の子なんだもの』

大好きなブロンドの父親が帰って来なくなった代わりに、黒髪の若い男を新しい父親だと紹介されても。
自分の体の中に流れているのは、サファイアの様な瞳とお日様の様に輝くブロンドの、大好きな父の血だ。他のどんな男だろうと、父の代わりになれる筈がないのに。どうして誰も、判ってくれないのだろう。

『私は知っているのよ』
『誰にも言わない約束だったのよ』
『私はアダムのお姫様になりたかった』
『エアリーはイブの王子様になりたかった』
『イールはウェールズもロンドンも捨てたのよ』
『She gave brill the goes by just too easy.(貴方の為に何も彼も捨てたのよ)』
『Additionally she gone by the rules what likes a Eel.(そして地下へ潜ったのよ、潜水艦みたいに)』

愛は尊いものだ。
母と父が例え他人になってしまったとしても、自分と父は一生親子で他人ではない。どうして判ってくれないのだろう。どうして別の男をダディと呼ばなければならないのだろう。叱られた事なんてない。いつだって父は優しかった。例え夫婦仲がそうじゃなかったとしても、娘にとって彼は、最高で唯一の父親だったのに。

『…話し掛けられもしなかった私とは違う』

最後の日に父は『また会えるから泣かないで』と言った。
次に会える日まで部屋に閉じ篭っていよう。他の誰かをお父さんなんて呼んでしまう日が来ない様に、余計な記憶を増やしてお父さんの顔を忘れてしまわない様に。いつか沢山勉強して、大好きなお父さんが居る大学に通うのだ。

『教えてちょうだい』
『お姫様のゴールはハッピーエンドでしょう?』
『貴方は幸せにならなきゃいけないの』
『私とは違うんだから』

だけどそう、大好きなのよお母さん。
貴方の事が憎い訳でも恨んでいる訳でもないの。だから悲しまないで。苦しまないで。自分を責めないで。貴方の愛情を疑ったりしない。私もママを愛しているわ。

それと同じ様に、パパを愛しているの。


『お願いよ、もう泣かないでイブ』
『お願いよ、今すぐ戻ってきてイール』
『どうしてこんな事をしたの』
『イブはずっと泣いているわ』
『届かないものを欲しがったりしたから、あの人も貴方も犠牲になってしまったんだって』
『貴方が庇ってくれなかったら殺されていたかも知れない恋人を思いながら、泣いているわ』
『けれどイブは、貴方が特別機動部に密告した事を知っているの』
『どうしてそんな馬鹿な事をしたの』
『どうなるか判らなかった筈ないでしょう?』
『伯爵様も苦しんでいるわ』
『貴方はこんなにも愛されている』
『私とは、全然違う』

良い子で待っていても父が会いに来てくれる事はなかった。
(お姫様を裏切った魔女は子供を産んだそうよ)(馬鹿みたいな話じゃない)(悪い事をした女は幸せになっただなんて)




「…久し振りね、サラ」

明るい毛色の子供を抱いている女を見たのは、生まれて初めて飛行機に乗った後だった。
ロンドンの家からアメリカへ渡った時は、伯爵家が保有しているクルーザーに乗った事を覚えている。広い海も、強引に家から連れ出してくれた家庭教師の暖かい掌も、絶対に忘れないだろう。

「良い身分ね、エアリアス=アシュレイ。いいえ、エアリアス=嵯峨崎が正解かしら?」
「想定外よ、まさか聖地にやってくるなんて」
「何が可笑しいの?私はお前を連れ帰る為に此処まで来たのよ」
「ふふ」
「笑うなっ!裏切り者め、お前はイブに謝罪しなければならない極悪人よ!」
「まるで正義の使者気取りじゃない。私を誰だと思っているの、サラ=フェイン」

いつかこの手を握って外へ連れ出してくれた、本当の姉の様に優しかった家庭教師はもう何処にも居ない。

「区画保全部ランクC、コード:カミル。名無しの言葉に従う義務はないわ。ねぇサラ、貴方はステルスとは関係がない一般人でしょう?」
「煩い!お前の所為でイブはっ、」
「この国にアダムが居るって、知ってる?」
「…は?」

ああ、悪魔め。

「本当に、彼を追い掛けて来たんじゃないみたいね」
「どうし、て、あの方が…」
「彼はノアになったのよ」
「何、言ってるの…?」
「嘘だと思うなら確かめてきたら?嫉妬して八つ当たりなんて、レディの行いじゃないでしょう?」

お前が天国へ召される事は、永久にないだろう。
気高く聳え立つ煉獄山の七つの悍ましい試練は、生前の罪を決して許しはしない。

「愛して欲しいなら正しく行動なさい」

お前も同罪だ。
…悪魔の甘言に乗せられた、脆弱な女め。








「予定日は3月だそうよ」

酷い顔。
(今の貴方は王子様とは思えない顔をしているわ)(でも、今の私の顔もきっと同じでしょうね)(私はあの日あれほど罵ったあの女と、同じ事をしているのよ)

「この子に名前と銘を与えてくれるわね、秀皇」
「…」
「だって、貴方の子供なんだもの」

死ねば地獄が待っている。
せめて生きている間だけ、お姫様の様な物語を味わわせてくれないか。










(神の裁きが下される、その日まで)


















与えられるものを素直に信じられる、無垢な子供のままで居たかった。
古びた小さな教会、回り続けるレコード盤が音飛びしようと構わずに、色の薄いコーヒーと人肌に温めた哺乳瓶だけで喜ばれたいつかのまま(願う事も)(求める事も)(何も知らずに)あの狭い地下だけが世界の全てだったなら。

何故、お前はいつも嘲笑わない。
何故、お前は私を恨もうとしない。


「義兄さん」

………憎いだろう。
(そうでなければ惨めだ)(純粋に慕われていたなんて事が有り得る筈がない)(自分は神でも何でもないただの人形)(シンフォニアとは忠実な神の影でなければならなかった)


「父さんは言わないかも知れないけど、感謝してますよ」

愛されて産まれたお前は、望まれず産み落ちた私より。
ずっとずっと、幸福でなくてはならないのに。


「まだ学生で頼りない俺より、近くで支えてくれてる義兄さんの方が本当の息子みたいだ」

…どうして。
地下から這い出た影にお前達は、そんなに優しかったのか。
(教えてくれないか)
(日出ずる国に住まう)
(天神よ)
せめて憎み続けろ。忘れられない己に絶望しろ。(私と同じ様に)
所詮、誰の記憶にも残れない影だ。(自分だけの名すら持たない)(機械より精密で)(機械ほど有能ではない)(神の不完全な複製体)


『お前に新たなコードを与える。宙の底から離れられない私の代わりに、お前は天空への道を示せ』
『…貴方は所詮、神の影よ。悪魔と影じゃ、光に満ちた楽園には行けないでしょう?』
『そなたの働きを期待する。ランクC、コード:ロード』
『さようなら、アダム』

どんなに求めても手に入らないものばかりで。
どんなに声を上げても、自分と言う人間の存在を証明する事は出来ないままで。
名前と言う、人間の誰もが生まれた瞬間に与えられるものでさえ、手に入れたのは幾つの時だったか。

『成程。ステルシリーには独自の階級制度があるのか』
『…Capital。本社で働く社員が初めてコードを手にするランクは、そう呼ばれる』
『首都…いや、皇帝が住まうのだから、帝都と呼ぶ方が相応しいか。…うん、丁度良い』
『何が丁度良いと?』
『我が帝王院にグレアムの皇帝がやって来た事は、機密事項だからな』

光の下、太陽に愛された極東の島国。
宇宙を統べる神は、『母』と呼ぶ夜の一族ではなく陽の王と呼ばれた帝王院を宿り木に選んだ。ノアの同胞たる遠野ではなく、真逆の帝王院を。

『今後は帝都と呼ぼう。構わないか?』

他人から無条件に与えられる優しさと言うものを、あの時もっと素直に受け入れられていたら。
己と他人を比較する事がなければ。委ねられた宿命のまま『影』であり続けられたなら。欲を知らずに暮らせたなら。


『もう仕える事が出来ない私の代わりに、陛下のお役に立つんだよ、アダム』
『うん。きっとマザーに、美味しいコーヒーを飲ませてあげる』

聞き飽きたレコード、読み飽きた古びた本、松明の炎を燃やし続けなければ闇に包まれてしまう狭い世界。
どうして満足出来なかった?どうして憎悪など覚えてしまった?己の惨めさに泣き叫んでも、影は影でしかないと知っていただろう。幾つ名を手に入れた所で、帝王院帝都と言う名前を授かったのはロードではなく、キング=グレアムだ。


ならば自分は誰なのだ。
神を義兄と呼び、他人から義兄と呼ばれ(結局はそれすらも自分の事ではないと判っていて)、いつまで嘘を続ければ許される?
(双子でも)(まして複製ですらない)(知られざる十番目のシンフォニア)(ナインのバックアップ)(リゲルによって誕生したナイン)(シリウスによって誕生した自分)(同じ顔、同じ遺伝子により生まれた、赤の他人)(ランクSにはなれないロード)(玉座を離れられないノアの影)

『神の体では子は成せない』
『ロード、それこそお前が不完全である証だ』
『お前は正しいシンフォニアではない』
『劣化版の複製体』
『シリウスは失敗したのだ』
『リゲルが後継者に認めたのはオリオンだけ』
『サラが生んだ子供はまるで、在りし日のレヴィ=グレアムの様ではないか』

こんなに羨んで妬んで憎んでも、誰の目にも映らないのか。
どんなに幸せでどんなに惨めでどれほど憎んでそれと同時に、憎まれたいと願っても。天神と呼ばれる心優しき一族は、自分の様に心を闇に食われたりはしないと。それが非情な世界の、現実なのか。



「そんなに俺が目障りなら、そう言えば良かったのに」

(ああ)
(お前の瞳に暗い殺意が宿る瞬間を、この目は確かに視た)
(有難う)
(たった今、お前を本当の弟の様に思えた)



「…お前も私と同じだったんだな、秀皇」

傲慢たる私の、自己満足




















「面白くない顔をしているな、貴様」

視界が白に染まっている。
木々の隙間から零れ落ちた木漏れ日が、きっと瞼を撫でていたのだろう。

「…生まれつきこう言う顔なんだ。別に、面白くない訳じゃない」

確かうだる様な白日、猛暑の朝だった。

「忍者みたいだな。いつも君は木の上に登っている」
「忍者は知っている。主人の為に人を殺す者」
「違う。守るんだ」
「…守る?」
「武士道には峰打ちがある。殺すばかりが刀の役目じゃない」

蝉の鳴き声が弱まった時、世界は雑音に包まれる。
然しその声の主だけはいつも涼やかに、全ての雑音を除外したのだ。そうとも。熟練の武士が音もなく竹を居合い切りするかの様に、その声も、きっとそうだった。

「それは何だ」
「竹刀。剣道には必ず必要なもの」
「けんどー?何だそれは」
「武士道、火の元の国の男には皆、侍の血が流れている」

あの時自分は恐らく、うつらうつらと昼寝をしていた。いつも日が昇る前に高坂の屋敷を抜け出し、叶二葉がそれに気づいてこっそり追い掛けてくるのが習慣だった。手が込んだ食事を朝から用意してくれるアリアドネの善意を無駄にしたかも知れないが、『母親』の『手料理』と言うものに慣れていなかったのだ。

「俺は争わない。守る為の騎士」
「…騎士?」
「羽ばたき疲れた蝉が一時羽根を休める大木の様に。注ぎ込む濁流を受け入れる水瓶の様に」

これは瞼の裏で夢現に聞いたものだ。
来日して初めて出会ったのは、祭美月の従者達だっただろう。捻くれ者の二葉が、わざと引き合わせたのだ。

「異国の血を持つ俺には理解するに難い。サムライよりもニンジャこそ最も気高く強き日本人だと、我が王は言った」
「それは難しいな。価値観の相違だ。何故ならばこの世に真の弱者などいない。全てが全てを捕食し生きている」
「…貴様、名前は?」
「そうだな、騎士。ナイトとでも呼んでくれるか」
「ほう、チェスの駒みたいな名前じゃないか。面白い。…ならば俺の事はルークと呼べ」

そうか。
この尊大な声は、弟だ。(そしてもう一人も)

「ルーク、か」
「何だ?」

生まれついての黒髪をいつの間にか金へ染めた、もう一人のルーク。死んだ筈の影。ブラックシープの片割れ、冥府の鎌を持つ、スケアクロウ。あれも慣れない日本の暑さに、フードを被っていた。アルビノではなかった筈だが、この目で確かめた訳ではない。
いや。単に顔を隠したかっただけだろうか。お前の全てを奪ったアルビノの兄が、何よりも憎かっただろう。

「ラプンツェルが幽閉されている塔に登る為には、梯子を下ろして貰わなければならない」
「梯子だと?」
「…髪を染めると痛むそうだ。気をつけた方がイイ」

緑がそよぐ音。広場を駆ける子供らを迎えにやって来る大人の気配、音は日が傾くに連れて少しずつ減っていく。

「コラ!いつまで蝉の抜け殻拾ってんの、アンタ達!汚いから触っちゃ駄目だって言ってんでしょ!」
「アキちゃんアキちゃん、お母さん帰ってきたよ。今日はいつもより早いね」
「うぇー、鬼ばばが来ちゃったー。蝉さんのキラキラはネイちゃんにあげる、ばいばい」
「…あげるって、押しつけてるだけだろうが。心底要らねぇ」

蝉。
ああ、良く覚えている。あの日あの夏空の下は、至る所で蝉が鳴いていた。

「ああ、鳥が鳴いている」
「…鳥?待て、何処へ行く?」
「あっちで誰かが鈴虫を呼んでいる」
「鈴虫?…ああ、俺にも聞こえる、王の声だ。俺はもう行く」
「さようなら」
「さようなら」

蝉。
たった数日の間にこうも熱烈に求愛する生き物は、恐らく他にない。


「爾為什公要哭?(何で泣いているんだ?)」
「…誰?」
「ただの通りすがりだ」
「とーり…?」
「日本語と中国語、どっちも苦手か」
「ごめ、なさ」
「大丈夫だ。謝らなくてイイ」

随分情熱的に鳴いていた。彼らは自分に酷く似ている。聞く者が居ようと居まいと、叫んでいるではないか。

「そろそろ暗くなる。帰らなくてイイのか?」
「…僕、帰れないの」
「迷子になったのか」

自分は此処にいる。
自分は此処にいる。
自分は此処で、生きているのだと。
(目障りな生き物だ)(蝉は己の主人を間違えない)(偽りの天空を羽ばたきはしない)(本能で気づいたのか)(お前は飼い主の元へやってきた)(脆弱な雑音で私の鼓膜を震わせた)(こんなにもすぐ近くで)

「ユエが、僕のお家、潰したんだって…」
「そうか」
「シスターは死んじゃったんだって。お母さんと同じ天国に行っちゃったから、も、会えない…」
「もうすぐ鳥が飛んでくる。青い海の向こうから、青い海を渡ってやって来るんだ」
「?」
「燃える、紅蓮の鳥」

東から昇った黎明は、回転する地球が西へと運んでいく。
明るかった東の空には群青が混ざり、西の空は金と赤を混ぜた様な黄昏で染め上げられるだろう。青かった空は黒へと変化し、灼熱の太陽は静寂の月と入れ替わる。

「お前を心配しているぞ」
「ぇ?」
「小さな神様が」
「かみさま知ってる、シスターが偉い人だって言ってた」
「公園が静かになるまできっと、起きないつもりだろう」
「起きない?」
「俺は何処に居ても見つけ出せるから、気づかない振りをするんだ。お姫様の眠りを妨げる事が許されるのは、王子様だけだろう?」
「?」

この静かな声には、静かな夜こそ良く似合うだろう。
今は邪魔な雑音が混ざっているが、その声だけが世界を包み込めば良いのに。

「今日は師範代が熱を出して、道場が休みだったんだ。だから図書館に行って、俺は絵本を読んだ。人魚姫は不評みたいだから、今日は白雪姫にした」
「僕も、お熱出たよ」
「そうか。俺は36.5℃以上出た試しがない」
「そしたら施設長が、お部屋から出るなって。暗くなるとシスターが来てくれたけど、ずっとじゃないよ」
「そうか」
「こないだもお熱出たの。ユエはずっと一緒にいたんだよ」
「そうか。良かったな」

ああ、永遠に夜だったら良い。
日に焼かれる度にこの国から疎まれている事を痛感するくらいなら、二度と朝を向かえなければ良いのだ。天神になっていた筈のあの人が全てを捨て去ってしまった様に。
(そうして夜の一族に擬態してしまった様に)(神を穿つ矛になれと)(貴方から与えられた神威の名を)(呼ぶ者はもう居ない)

「…僕、やっぱり帰る」
「道は判るか?」
「…」
「俺についておいで」

探す気はなかった。ランクBと言う権利を手に入れた日、退屈な大学生活がほぼ終了した夏の日。学生から教授になったいつかの夏。6歳になって初めての夏、偽りの空の下で食べた西瓜は例年より甘味が少なかった。

西瓜。目的はそれだけ。対空管制部の車を一台、手に入れた。今頃慌てているだろうか。何が起きようと冷静沈着なノアの表情が、多少歪めば良いと思っていた。
あの日居なくなってしまった哀れな人の前にはもう、出て行く権利がない。この悍ましい顔は悪魔に良く似ているそうだ。

「ずっと向こうに見える朧げな月の下で、お前を呼ぶ声がする」
「お兄ちゃん、知らない人だから、叱られちゃうかも…」
「そうだな。大丈夫、知らない人じゃなくなればイイんだ」
「そんな事、出来ないよ」
「出来る」
「どうして?」


どうして世界にはこんなにも、余計なものばかり存在している?





「俺は魔法使いなんだ」





何故、嘲笑わない。
何故、私を恨もうとしない。


「カイちゃん」
「何だ」

………憎いだろう。(そうでなければ惨めだ)(憎まれもしなかったなんて現実が受け入れられる筈がない)(自分は神でも何でもないただの黒羊)(生まれた瞬間に多くの幸福を塗り潰していた)

「シンデレラに出てくる魔法使いは優しいでしょ?」
「ああ」
「でもヘンデルとグレーテルに出てくる魔法使いはとっても意地悪」
「ああ」
「人魚姫の魔法使いはどっちかしら?」
「…さぁ、どうだろう」
「僕はハッピーじゃないと悲しくなるにょ」

愛されて産まれたお前は、望まれず産み落ちた私より。
ずっとずっと、幸福でなくてはならないのに。


「物語は時々、悲劇で完結する。名作と呼ばれるシェークスピアも多くは悲劇だ」
「ふぇん。でもロミオとジュリエットの設定は萌えるにょ」
「多くの人間が偽りの幸福を求めるのは、現実から目を逸らす為だ」
「でも現実にもハッピーはいっぱいあるにょ」
「…そうだな」
「カイちゃんは、ハッピーエンドが嫌い?」
「読んでいて嫌な気にはならん、が…」
「笑ってるタイヨーちゃんと怒ってるタイヨーちゃんを想像してみて…あっ、どっちも凄く萌える!」
「特に何にも感じない」
「おめめ大丈夫?泣いてるタイヨーもぎゃん可愛いと思うけども、僕はにこにこしてるほ〜がイイにょ。えへへ」
「確かに、笑っているお前は愛らしい。誘っているのか?」
「はい?」

正しい舞台へ戻そう。
お前は俺を断罪する権利がある。

偽りのクラウンを壊せ。
偽りの帝王院の息の根を止めるが良い。

殺せ。(お前の父がそうした様に)
殺せ。(悪魔退治の幕開けだ)

恐らく我が身には、偽りの神の血が宿っている。
中央情報部ですら把握していなかった十番目のシンフォニアは、知恵の実を与えられた雄だ。


「…俊」
「なーに?」
「お前が考える幸福終話とはどんなものだ?」


『考えた事はないか。私さえ存在しなければ、お前は幸福だったのだ・と』


その言葉こそ、傲慢たる私の自己満足だと思うか?
















「また、こんな所で寝てたのか」

誰かが笑った。(全ての音を掻き消す声で)(全てを従わせる声で)
本当はあの瞬間、私はお前の正体を知っていたのかも知れない。(頭ではなく、この身に宿る本能が)(細胞が)(遺伝子が)

「こんなに綺麗なのに、誰かに襲われたらどうするんだ。最近、見かけない外国人が増えてきた。危ないぞ」
「…何の用だ」
「お姫様を守りに」

冷たい指先が額に張り付いた前髪を掻き分け、遠慮なく顔を覆うフードを剥ぎ取る。綺麗だと、馬鹿みたいに同じ言葉を囁いた男の唇が吊り上がる景色は辛うじて覚えているが、傾いた黄昏の逆光で、その表情の全容までは見ていない。

「昨日、此処で忍者を見たんだ」
「そなたのその口は下らん事ばかり吐く」
「お姫様と言うより、時代劇の殿様みたいだな」
「…何が言いたい?」
「私の名は、ナイト。卑しい私めに、どうか貴方の名を呼ぶ権利をお与え下さい」

芝居じみた台詞。蝉。クスクスと笑う声が癇に障る。(静かだった)(世界から雑音が消えたかの様に)(始終鳴いていた筈の虫の声も)(木々を揺さぶる風も)(人も)(車も)(あの時は、その全てが)
探す気はなかった。気紛れに公園と言う狭い空間から抜け出してみただけ。朝から曇っていて、昼時には俄雨、それでも黄昏時には見事な緋色に染め上げられた空を覚えている。

「一人称を変えただけで、別の自分になった様な気になる。初めて知った。俺は知らない事が多過ぎる」

何日か前に見た父に良く似た男は見知らぬ女の手を引いて、記憶とはまるで別人の様に快活に笑っていたから。(あれは別人に違いないと)(だから背中を追い掛けてしまうのはただの暇潰し)(探している訳ではないのだ)(それは誰に向けた言い訳だったのか)

「ならば、精々跪き乞うが良かろう。我が名はルーク…神を貫く、悪魔のクロスだ」

暑い。皮膚が焼ける様に熱い。(それでも世界は静寂に包まれている)(母の胎内の如く)(煩わしいものは一つも存在しない)(それを人は安堵と呼ぶのだろうか・と)
眠っていた合間に移動した太陽に、幾らか当たり過ぎたらしい。

「またラプンツェルだな」
「…髪で結われた梯子を登る物好きなど存在しまい」
「お姫様が登れと言って断る男は居ない」
「見解の相違だな」
「将棋の駒は皆、敵陣で金色に変わるんだ。兵士も金髪の王子様になる。変わらないのは王将と、初めから王子様だった金将だけ」

冷たい手が額を撫で、濡れた恐らくタオルの様な何かが頬を撫でる。

「暑いだろう。麦茶があるぞ」
「…私は王子でも姫でもない。労りを必要としない、悪魔だ」

日中、外で瞼を開く事はなかった。
日焼け止めクリームを眼球に塗る馬鹿は存在しない。真夏の日差しは猛毒だ。そうと知っていて毎日飽きずに外へ出掛けるのだから、叶二葉が『自殺志願者』と嘲笑するのも無理はないだろう。

「無理に起き上がろうとすると気分が悪くなるぞ。…ほら、か弱いお姫様が無理をするからだ」
「………」
「こんなに綺麗な悪魔なんか居ない。私がお前のナイトになってやる」
「そんな事、私は望んでいない」
「望まれなくても、守る為に」

…何故憎まない。
私さえ存在しなければ良いと。

何故、自己満足かと聞かない。
私のつまらぬ退屈凌ぎで、お前は酷く苛立っただろう。




「誰よりも強い男になって、…迎えに行くよ」

この台詞だけは現実味がない。
本当にこの耳で聞いたのか。それとも妄想が生み出した幻聴なのか。ああ、そんな事はもう、どうでも良い事だ。






私はお前の兄などではない。(幾ら渇望しようと)
私の世界は虚無だ。(望まれず生まれて)(ただ死を待っている)
どれほど調べても、十番目のシンフォニアについては全てを知る事が出来ないまま、脳の何処かで考えてきた。もしも抹消されたロードと言うコードがアダムであれば、今の私と同じ思いをしていたかも知れない。


「…哀れだ。存在した痕跡すら微かな神の影。最大の過ちは、己を男爵と偽って帝王院に寄生した事だろうか」
「いや、若しくはサラ=フェインと出会った事か」
「幾ら存在を消されようとも、私と言う生ける証が残っている」
「サラが残した赤子の毛髪が李上香のものである事は証明されている」
「あれの血液型はO型だ」
「帝王院秀皇のDNAと一致している」
「A型のサラが李上香の母親である確率は0%に等しい」
「帝王院秀皇がAB型である限り」

憎まれる事さえない。(どんなに憎んでいても)
求められる事もない。(どんなに求めていても)

「ならばこうも言えよう」
「O型のキングから派生するシンフォニアは同様にO型であるべきだ」
「ロードから私は生まれない」
「…ならば、誰かが画策したと言う証明」

永劫、この渇きは満たされずに。(諦める事も)(つまりは忘れる事も)
永劫、私は何処へも遺れないまま。(生きる事も)(死ぬ事さえ出来ないまま)
(お前の事だけを考え続ける)
(お前以外の興味を得られるまで)


「…ステルシリーライン・オープン、コード:エルドレッド=ノーマンに繋げ」
『お呼びでしょうか、陛下』
「一つ頼みたい事がある」
『何なりと』
「現状、技術班は特別機動部の配下にあろう。セカンドが席を外している今、管理者はアルデバランだ」
『その様に』
「技術班の施設を使用すれば痕跡が残る。然し同様の検査が可能な施設は、未だ鍵が見つかっていないCHAθSか」
『長く放置されている、シリウスラボか…』

(…永遠に?)

「セキュリティはどうなっている?」
『旧式の女体型アンドロイドが一体。侵入者を察知しようと、日本に居るシリウス卿がNYへ到達するにはどんなに急いでも半日は必要です』
「それだけ時間があれば間に合うだろう。急ぎシリウスの研究室から検査器具を持ち出し、ある男のDNAを調査せよ」
『畏れながら、ある男とは?』

心底、お前が羨ましかった。(それと同等に愛しかった)
常に与える立場であるお前が(常に奪う立場の我が身にとって)どれほど遠い存在だったか知っているか?(穢してやりたい)(天神の玉座から引きずり下ろしてやりたい)(天神でありながら夜の一族を名乗る陰陽師)(お前に私はどう見える?)

「…判明しているのはB型である事。母親はO型だと本人から聞いているが、父親についてはそなたのサーバーにデータが残っている筈だ。照合が終わり次第、プライベート回線でデータを送れ」

けれど泣かせたい訳じゃない。(どう足掻いてもお前は世界に愛されている)(そうだろう?)(誰からも愛されなかった黒い羊でさえ、お前を愛してしまったのだから)



「そちらに送ったDNAサンプルの個人名は、遠野俊だ」

脳は解決不可能な矛盾を抱えている。(息の根が止まるまで)

←いやん(*)(#)ばかん→
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