帝王院高等学校
社会人はお洒落も立派な仕事です
「ご覧」
「光を失った龍が堕天していくよ」
「ぽろりぽろりと涙を零しているよ」
「あの子はもう飛べないね」
「あの子の最後の欠片を、消えゆく光が食べてしまったんだ」

「白にして黄金。宇宙に生まれた最初の光」
「白にして紅蓮。宇宙に生まれた最後の色」

「時を廻す番人は背中合わせ」

「産み落とされる命を見守る事しか出来ない龍は泣いていた」
「鳥よりも自由に飛び回る事が出来るのに」
「その巨体は大地の上では生きられない」
「あの子は神の鳥」
「犬にはなれない」

「あらゆる命の時間を終焉へ誘い続ける光には感情がなかった」
「生まれた瞬間から、与えられた仕事を果たし続けているだけだ」
「それなのにどうして、あの子は泣いている?」
「どうして光ではなく下ばかり眺めている?」

「どうしてこちらを見ようとしない?」






『俺はもう飛びたくない』
『時を巡らせたくない』
『辿り着くのはいつも終焉だった』

『神様』
『泣かないで神様』

『悲しみの雫が落ちてくるよ』
『キラキラ』
『キラキラ』
『眩い光の粒を見ていると』
『どうしてか、悲しくなるんだ』

『俺はもう飛びたくない』
『俺に宿る感情は貴方が作ったものでしょう?』
『けれど空に輝く灼熱の光には』
『終焉へ誘う罪悪感なんて感じられなかった』

『誰が子供達に知恵の実を与えてしまったんだ』
『笑いながら生を謳歌していた無垢な子供達が』
『死への恐怖を覚えてしまったんだ』

『…いつか俺が犯した罪に気づくだろう』
『俺が子供達を殺しているのだと気づくだろう』

『どうか俺を大地へ』
『絶望の洪水に押し流されそうな子供達を助けたいんだ』


『ああ、どうして俺は空を漂う事しか出来ない?』
『ああ、神様。貴方はどうして助けてくれない?』

ぽろり、
ぽろり・と。


『俺の体には初めから翼なんて、』


この体から、
何かが剥がれ落ちていく音がした。



『何処にも』


滴り落ちているのは、涙なのか。
(それとも、血?)














「けったいな面しよって…」
「何か言いました?」
「副会長、そろそろ紫水陛下におやつを与える時間です!」

相変わらず騒がしい仲間達を横目に、いつまで経っても慣れないネクタイを緩めた。元々適当に締めたものだったので、誰からも突っ込まれないのであれば外しても構わないだろう。

「自分だけ悲劇の主人公振ってるつもりやったら、笑かすわ」

恐らく無意識だろうからタチが悪い。
などと独りごちた所で、視線の先で一心不乱に調印作業を続けている男は気づきもしないのだろう。いい加減、誰かが止めてやらないと倒れてしまうのではないか。

「陛下」
「…」
「東雲会長」
「…」
「天然パーマ」
「…」
「クモ」
「…」

ほら、見ろ。近頃は呼び掛けても一度では反応しない事が多い。憧れていた『皇子様』と同じ中央委員会長の役目を手に入れたのに、何がそんなに不満なのだろう。居なくなった男の事など、さっさと忘れてしまえば良いのだ。
死んだ夫との思い出に縋らなければ立っていられない、実家の可哀想な母の様に。捨てれば楽になるものを傍に置き続けるのは、どう考えても不毛だ。

「宮様、おやつですよ」
「クーベルチュールのブラウニーですよ」
「お口を大きく開けないと飲み込めませんよ」
「ふぅ。全く宮様は甘えん坊ですね、お慕いしています。はい、あーん」

帝王院秀皇がどんな男だったかなんて、羽柴輝には何の印象もない。現在高等部一年生の羽柴が初等部へ入学した頃、8歳年上の中央委員会会長は高等部へ進級したばかりだったが、主要式典以外で見掛ける事などまずない天上人だ。帝王院グループ関係校、その全てを取り纏める下院自治会の頂点に君臨した帝王院財閥の王子様、通称『皇子』、東雲家より遥かに出雲に近い神主の末裔。知っているのは学園中の誰もが知っている、そんな事くらい。

「無理矢理食わすなや、喉に詰まって窒息してまうでほんま、知らんけど」
「庶民の君に食わせるクーベルチュールはありません、物欲しそうに見ないで下さい変態」
「鈴木先生と言う者がありながらあっちでこっちでアハンウフン、僕は君を心底見下しているよ羽柴君。さっさと降格しろ庶民」
「知ってる?それ立派な苛めやで?」
「進学科の品位を著しく下げる生徒は降格しろ」
「そしてAクラスの生徒からの苛めを苦に退学しろ」
「苛められたくらいで逃げるかいな。俺には、いつか鈴木せんせと同じ職場で同僚として働く夢があるねん。そんでオフィスラブからのパートナー申請、イサオちゃんが引退する頃に養子を貰って子育てしたり、早期退職した俺と遅ればせながらのハネムーンに繰り出したりするって決まってんねん」
「君が聖職者ってタマですか」
「寝言は寝て言いなさいよ」

呼んでも揺すっても口にブラウニーを突っ込まれても、積まれた書類に署名と調印を繰り返しているロボットの様な中央委員会会長は、瞬きの回数が少ない。

「大体、君はこの間まで自分が何て呼ばれていたか忘れたんですか?」
「まさか君が、あの『羽柴の乱』を起こしたYMD副社長の孫だったなんて…!」
「親父は愛人の子供って奴やさかい、知らんでも無理ないって。ほんまの俺の名字は羽柴ちゃうし」

手元をぼーっと眺めているので、何も考えず事務的に判子を押しているだけかと思えば、書類に誤字を見つけると赤ペンで修正が入るので印鑑ロボットになった訳でもない様だ。

「最盛期の山田財閥は嵯峨崎・加賀城財閥に並ぶほどのお金持ちだったんですよ?それがまさか義理の弟に乗っ取られようとは、故山田会長は想像だになさらなかったでしょう…!」
「知ってます?羽柴の乱で榛原社長を蹴落とし社長に収まった羽柴元副社長は、確かに仕事が出来る男だったらしいですけど、今社長やってる息子はとんだポンコツだそうです」
「同じ七光りでも、榛原社長の一人息子はそら優等生だったっつーんやろ?左席委員会会長になる前から、親衛隊があったっちゅー話やもんな」

顔立ちが整い過ぎているので、黙っていると冷たささえ感じさせる東雲村崎は、彼のチャームポイントであるふわふわ跳ねる髪と、庶民の代名詞である駄菓子好きが生徒に受けている。自身は真面目に好きだと言っているつもりだが芸人のネタにしか見えず、髪質だけでなくもう一つの意味で『天然さん』と親しまれているのだ。今のこの状態を生徒に見られてしまえば、自称『紫水親衛隊』の小煩い二匹だけでなく、学園中が騒ぎ始めるだろう。

「死ぬ気で勉強しまくって、やっとの思いでSクラスにしがみついてる俺とは、比べもんにならへん感じかいな」
「宜しいですか羽柴書記、君は字が上手だったから、たったそれだけで中央委員会役員に指名されたんですからねっ」
「宮様の右腕の座は我々のものなんですから、庶民は庶民らしく控えめになさって下さい!羽柴なんて東雲財閥の前では風前の塵なんですから!」
「あー、クモに駄菓子食わせた事、まだ根に持ってんの?せや、お前らもいっぺんうんめー棒食べてみ、ごっつハマるで。知らんけど」

ぺりぺりとパッケージを破った駄菓子を、無表情で仕事している会長の口に突っ込んだ。
何を考えているのかゴクリと生唾を飲み込んだ役員二人は、メンタイ味をもぐもぐしている羽柴とコーンポタージュ味をもそもそしている会長を交互に見つめ、揃って右手を差し出してきた。

「何味がええ?初めてやさかい、味の第一印象は重要や」
「「宮様と同じものを…」」
「ブレへんな」
「「ああ、悲劇は繰り返される!」」

駄菓子を貪りながら咽び泣いている二人を余所に、ぽりぽりと駄菓子を齧っていた会長は左手でデスクの引き出しを開けると、昔ながらのミルクキャラメルを数粒取り出した。書類にサインを書き込みながらキャラメルを口へ放っているが、突っ込むのはやめておこう。優秀に超がつくと、人間の理解の範疇を超えると言う事だ。

「羽柴前会長は息子共々好事家としても知られていますよね。もぐもぐ」
「今の社長の前妻にも息子がいましたけど、もぐもぐ、今の妻と結婚する為に妻子共々捨てたそうです。最低ですね」
「それはちゃうで?おっさんの最初の息子は引き取られてんねんけど、後妻と折り合いが悪かったんか長い事一人暮らしさせられてたんよ。大学に進学した後はYMDに就職してた筈やねんけど、誰ぞの女妊娠さして、ジジイから絶縁されてんねん。つーか、親父さんは息子さんの結婚式に出席したんとちゃう?親子仲は悪くなかった筈や」
「ふん。代々ろくなもんじゃないですね」
「シングルマザーを否定する気はありませんけどね。女性は子供が出来ると苦労するでしょうが、男は腹を痛めるでもなし、撒き散らすだけ撒き散らして後は知らんぷりと言うのは、愚の骨頂!」
「ちょ、責める目で見らんといて」

判っているだろうか、此処は男子校だ。大学の極一部のキャンパスが併設されているとは言え、女生徒は限りなく少ない上に、まずもって接点がない。最上学部のキャンパスは中央キャノンの内部にあるが、地下駐車場からアンダーラインを通っての一本道だ。
基本的に生徒と接するだろう校内敷地に出る術はなく、屋内にテラスや購買もあると言われている大学生は庵ラーラインフードエリアのデリバリーも許可されているので、校訓を破って男子生徒と接点を持ちたがる物好きは居ないだろう。優秀な男に興味があるなら、それこそ帝王院関連校からの持ち上がり組が多い同期の男で事足りる筈だ。こっちがどれほど女子大生に興味があろうとも、向こうが相手にしてくれない。

「あんな、俺がどんだけイサオちゃんに好き好き言ってる思てんの?6歳から、もう十年やねんで」
「でしょうね、勿論知ってますよ。何年の付き合いだと思ってるんですか、十年ですよ十年」
「ただでさえ宮様と親しかった君が中等部でSクラスに選定された後は、君と接点のある我々まで庶民アンチから睨まれる羽目になったんです」
「俺は毎日勃起する健全な高1やねんで。いつまで経っても小1ん時と同じ扱いされてんねん、適当に慰めてやらんと海綿体が腐ってまうわ。海援隊やないで?海綿体やで」
「「腐り落ちてしまえ」」

帝王院学園のえげつないクラス分けは中等部からで、進学科には常に30名の在籍が許される。全カリキュラムを上限なしで受講する事が可能で、過去の授業内容は24時間オンラインで閲覧出来る。
在籍期間の授業料は免除され、定期的に予定されている研修旅行や実験などの費用は全て学園が負担する。勉強がしたい人間にとってはこれ以上ない待遇だ。なので一斉考査の度に中等部・高等部の多く生徒が一次選抜を狙い、勉強に励んでいる。勉強に自信がなくともスポーツで実績を残せば同様の待遇が保証される体育科も、大会が近づく度に準備に全力を捧げているだろう。

「僕らは実家が東雲財閥の役員で宮様とは生まれた頃からのつき合いなので、被害と言っても陰口を叩かれる程度。大事にはなりませんけど」
「君は羽柴を名乗っていますが、根っからの庶民なんですよ」
「はいはい、その通り」

社会に出れば熾烈な生存競争が死ぬまで続く。帝王院学園は社会に出る前の雛達に苛烈なカーストを学ばせる上で、保護者から圧倒的な支持を得た天国と地獄の共存の場だ。早々に自分の限界を知り見切りをつけた生徒には普通の学校に思えるだろうが、進学科に手が届く位置にある学年上位陣にとって昼も夜もなく戦場だろう。

「会長の羽柴さんってかなり高齢でしょ?出来の悪い息子に会社を譲ってから、絶縁した息子が気になったんでしょうか?」
「仕事に関してはともかく、人格は多少マシなんでしょ?」
「山田大志会長をばっさり裏切ったジジイはともかく、息子の方は山田会長に憧れてる節がある。榛原社長よりなんぼか年下やけど、自分の親父が榛原社長を追い出す形になった事をかなり悔やんでたそうや」

裕福な家庭の子供は別途家庭教師やオンライン講座などを受講して励んでいるが、庶民にとっては通うだけで負担は多い。それ故に庶民がSクラスに在籍する事を快く思わない者が存在し、小さな嫌がらせを仕掛けてくる事がある。
Sクラスの生徒には最大の権限と栄誉が与えられているが、Sクラス同士の揉め事になれば、どうしても裕福な家柄の生徒の方が有利だ。風紀局が保証してくれるのは目立った荒い事ばかりで、事が起きねば対応してくれる事もまずない。何せただでさえ生徒数が多く、日夜トラブルを起こす工業科や治外法権のFクラスの対応で人員の殆どを割いている事もあり、優等生しかいない前提のSクラス同士の争い事には無関心な所があった。

「榛原優大さんは、千葉で水道関係の企業を営んでいる宍戸家の長男です。帝王院財閥の傘下ですから、榛原家に嫁いだ山田絹恵さんが一人娘の美空さんの婿養子に招き入れるのは、妥当かも知れませんね」
「同年代には帝王院駿河学園長と宮様のお父上でいらっしゃる東雲幸村様がいらっしゃいますけど、三重県の山田家の養子に入るには器が大きすぎますし。一つ気になるのは、…行方不明の榛原大空先輩は関西弁だったんですかね?三重って関西でしょ?」
「三重は東海やろ?名古屋弁に似てたんと違う?」
「僕の祖母は滋賀出身ですけど、何処となく関西っぽい喋り方ですよ」
「君はコテコテの大阪出身ですよね、羽柴書記」
「6歳までの話やで?今はオカン東京に居てるし、俺の本籍も東京や」
「じゃあいい加減標準語喋って下さいよ」
「全然直そうとする気がないじゃないですか」
「無理言うで、直そうと思って直るもん違うやろ。俺は大阪に誇り持ってんの、難波最強や。つーかイサオちゃんやて奈良県出身やねんで?俺らの相性ばっちりや思わへん?」
「「思いません」」
「…友達の恋路を応援しようとか?」
「「思いません」」
「心が泣いてる。今度こそ降格するか知れん、どないしてくれるん」

これほど騒がしく無駄話をしていると言うのに、執務室の最奥で淀みなく書類を片づけていく無愛想な仕事人間の存在で、一気に陰鬱な雰囲気になった。

「つーかお前ら、最近何でそんなボロボロやねん?」
「君だけに格好つけさせるつもりはないので」
「今度こそ僕らが宮様をお守りするんで、君はもう降格してくれても構いませんから」
「揃いも揃って友達甲斐がないやっちゃなぁ、困ってる時はお互い様やろ?」
「今の今まで、君は僕らを騙しているんですもんね」
「君が宮様の警備役だって事、ずっと知らずにただの同級生だと思っていましたから」

ああ、そうか。本当に煙たがられているのかも知れない。
そう言えば、無表情の東雲村崎など見た事はあっただろうか?そう言えば最後に見たあの男は、片目を真っ赤に染めて大声で怒鳴り散らしていたのではなかったか?

「…何や。いつもと同じ景色やと思ってたのに、俺は今、夢見てるん?」
「今頃気づいたんですか、羽柴輝」
「きみはみやさまをまもれなかったんですよ、はしばあきら」

明るい窓の向こうから、そよそよと風が吹き込んで。
ふわふわ跳ねる髪が踊る光景を笑ったいつかは、何処へ行ってしまったのか。


「お前に村崎は守れない」

急速に色を失い白く眩く霞んでいく景色の何処かで、無機質な男の声を聞いた。

「…意地悪な事言いなや。お前のキャラに合ってへんで、クモ」
「村崎はもう諦めたんだ」
「お前、紫遊かいな。何でお前が俺の夢に出てきてんねん。二度と表に出さん言うたやろ」
「東家を照らす明の宮の犬にはなれなかった。俺は西の黄昏へ帰るだろう」
「西?」
「正しい場所で死ぬ為に」

目。
ああ、目の傷はどうしたんだろう。幼い頃から整った顔立ちをしていた金持ちのお坊ちゃんは、時々下手くそな関西弁を喋ってツッコミ待ちの表情をするのだ。いずれ東雲財閥を継ぐだろう男が、まるで芸人の様に。

「阿呆抜かせ。寝てるんだったら丁度ええ、寝言は寝て言え言われたばっかやし言わせて貰うけど、お前には東雲財閥を引っ張っていかなあかん責任がある」
「飛べない蝉は鳴いても気づいて貰えない。骸は十口へ流される」
「簡単に死ねる思ったら間違いやで」

真っ白だ。
右も左も天も地もない、真っ白な光に全てが塗り潰されていく。



「不出来な狗は蝉にはなれずに、墓場へ落とされる宿命」











(いつも絶望には音がない)













「天元が可笑しい」
「朝と夜を繋ぐ仏の子が抜け殻のよう」
「都は死んだかの様に静寂で包まれている」

「天元は壊れてしまった」
「朝にも夜にも、あの子は祝詞を詠わなくなってしまった」
「きっとあの日、天守は死んでしまったのだ」
「肉体が滅び精神が死んでしまったのだ」
「家族を失ってしまったから」
「獣に育まれた狐の子は」
「帝が落ちた、あの失陽の厄禍で」

「己の業を恨んだに違いない」

「天守は狐に育てられた」
「狐ではなく狼かも知れない」
「天守は安倍川の畔で歌っていた」
「歩く事も出来ない幼子が」
「神仏に捧ぐ祝詞を奏でていたらしい」

「安倍晴明は女狐の子」
「二匹の獣の子は帝に忠誠を誓った」
「天守は菊を賜り」
「晴明は桜を賜ったが、」
「帝の寵愛を得たのはそのどちらでもなく、一匹の猫」

「天守の心は死んでしまった」
「大切に抱いた獣の骸を、何処へ隠してしまった?」
「晴明は常世へ還ってしまった」
「帝の居ない都を守る為に、一枝の桜に身を変えて」

「天守は人になってしまった」
「晴明は桜になってしまった」

「梅の花は咲き乱れよう」
「道真公の恨みは全ての陰陽師に降り掛かる」
「都は閉ざされた」
「京は死んだ」
「太陽は最早、西を照らしはしないのだ」
「遥か西方に沈んだいつかの落日は」
「大宰府の道真が闇に染めただろう」

「ああ、けれど」
「芳しい梅の香りは冬が連れ去ってしまったのか?」

「今はこんなにも、桃の香りがしているではないか」



「桃とは、桃源郷に咲き綻ぶ天の花」




ちを繰り返し続ける命を)
(虚無の番人は見放したのか)

(人は救いばかり求めている)
(助けてくれと泣いている)
(どうしてこの世に産み落としたのかと)
(まるで呪うかの如く)

(それなのにまた罪を犯し)
(助けてくれと泣くだろう)



(神の姿も知らない癖に)






「歌えない天守の元に」
「一匹の猫がやってきたよ」
「その猫は左右の瞳の色が違ったらしい」
「元は狡賢い狸だったそうだ」

「狸は死んでしまった」
「帝に愛されて愛を知り」
「獣である己の短命を悔やんだまま死んでしまった」
「死ぬ前にあの子は人間になりたいと望んだらしい」

「狐は死んでしまった」
「狼も死んでしまった」
「人の身で神仏の詩を奏でる陰陽師の血は」
「壊れてしまった天守の系譜は」





「正しい輪廻を紡げるだろうか?」













髪を切る。
そんな事に金を懸ける趣味は、少なくとも最近までなかった。

「よう、トシ」
「相変わらず阿呆っぽい面だな、お主」
「立派に社会人やってるっつーの」

鋭い鋏を手の中でくるくると回している奇抜な髪型の男の足元に、小さな女の子がくっついていた。

「嘘だろ、超可愛い。何歳?」
「今度2歳になる。小せぇ頃は女の子の方が成長が早いらしくてな、外じゃ大人しいけど家の中じゃ良く喋るぞ」
「お嬢ちゃん、本当のお父さんの事はお母さんから聞いてる?」
「変な事吹き込むなって!俺の娘に決まってんだろ!な、一穂」
「カズホちゃんって言うの?はァ、母乳が出そうになるくらい可愛いわねィ。お姉ちゃんの子供にならない?」
「何がお姉ちゃんだ男女、オメーの何処にそんな大層な胸がある?」
「殺すぞ餓鬼ァ」

母子家庭で育った年下の幼馴染みは、同じ区立小学校・中学校の先輩後輩の仲だ。
高校で一足先に進学校に進んだ遠野俊江は、後に息抜きと暇潰しを兼ねて地元の不良達を締め上げていたが、いつかボコボコにしたチームの一人がこの幼馴染みだった。中学時代に盛大にグレたのを切っ掛けに、高校時代にはとある暴走族の総長にまで上り詰めた男だが、付き合っていた年上の彼女が妊娠したのを期にきっちり足を洗い、専門学校で学びながら恋人と同じ美容師を目指す様になる。

「美穂はどうしてる?」
「嫁さんは保育園の申し込みに行ってる。この店は元々嫁さんの親が…って、そんくらい知ってるか」
「美穂は中学時代三年間同じクラスだったからなァ。まさか親父さんが腎不全で倒れちまうなんて…」

留学先から戻り医学部を卒業する頃にその話を耳にした俊江は、自分の店を持つ事になったと連絡を受けて暫く経った今日、初めて彼の店を訪れたのだ。

「本人はわりと元気にしてるけどな、流石に店を切り盛りさせる訳にも。金の事もあるけど、手術の目処も立ってねぇし」
「移植するつもりなんか。ドナー不足の国内じゃ色々大変だろィ?」
「まぁな。専門出て免許持ってるっつーだけで、俺はまだ一人前にゃ程遠いからよ。海外じゃわりとすぐに手術受けられるって聞いてるけど、何にせよ先立つもんがねぇとなぁ…」
「つーか、そもそも美穂の親父さんは理容師だろ。長年地元に愛されてきた床屋が急にサロン化したら、常連逃しちまうんじゃねェか?」
「判ってんだよ、そんな事は。とりあえずは美容師で頑張って、ちゃんと理容の勉強もするつもりだ。オメーだって医者っつっても、まだ半人前なんだろ?」
「まーね。4・5年は研修で給料もちょびっとだょ。これ買った所為で財布すっからかんになったから、タダで髪切ってくれェイ」

遅い開店祝いと出産祝いを兼ねて、花束とフルーツの盛り合わせを差し出せば笑いながら受け取った幼馴染みは屈み込み、ゴニョゴニョと幼い娘に耳打ちする。拙い声で『有難うございます』とお辞儀をしたレディは、まるで天使の様だ。俊江ほど暴れん坊ではなかったが、負けず劣らずの不良だった

「でもいつかは普通より稼げるだろ。お前ん家はデカい病院だし」
「さァ、うちにゃ直江が居るからなァ」
「直江先輩、元気してんの?」
「こないだ研修医になって二回目の気絶を経験しやがった。ありゃ、外科医には向かねェな。結婚考えてる嫁さんが物凄いヤキモチ焼きだから、婦人科と小児科も無理だろうな。後は内科か」
「何で小児科が駄目なんだよ?」
「子供には漏れなく母親がくっついてくるだろ?」
「あー、そう言う事か。直江先輩の彼女って、あの東條先輩だろ?殆どヤクザじゃん、東條って…」
「高坂組が昭和で成り上がる前まで、この辺一体の元締めだったってんだろ?今じゃ大人しく古物商やってんだから、ビビんな」
「高坂の若さんと仲が良いオメーは神経が死んでるから、理解出来ねぇんだろうよ。」
「抜かせエルドラド初代総長さんよ。環八荒らしまくって何百人の警察官に迷惑掛けた?」
「…純粋な一穂の前でその話はしないで下さいます?今は普通のイケメンカリスマ美容師なんで」

成程、昔だったらすぐにキレて殴ってきたかも知れないが、今ではグッと我慢する術を学んでいる様だ。娘の目の前で返り討ちにしてやるのも吝かでないけれど、暴力沙汰で研修先の病院を追い出されたばかりの今は、大人しくしているべきかも知れない。普段から煩い陰険親父よりも、普段はおっとりしている癖に、たまに怒ると何をするか判らない母親が怖いのである。

「アジアにゃあっちこっち移植手術受け入れてる病院があるけど、あんまオススメしねェぞ」
「まぁ、今はネットで調べられる時代だから、トシが言いたいのは判ってる」
「手術数が多いから当然だろうが、医療事故の件数は日本の比じゃねェ。揉み消すなんてのもザラだ。こっちじゃ認可されてない薬だって簡単に使うしなァ。信頼出来るのはドイツを筆頭にヨーロッパだけど、費用はアジアの何十倍になるか」
「まずは店しっかり守って親安心させて、稼ぐしかねぇってこったろ?こいつも生まれて美穂にゃ迷惑掛けっぱなしだけど、この道は嫁さんの方が先輩だから、営業時間は出来るだけ店に出て貰わねぇと」
「臨月まで働いてたって?相変わらず気合入ってる女だょ」
「俺だけじゃ親父さんが安心してくんねェからな。入院勧められても『婿の教育がある!今は無理だ!』つって、榊先生を困らせやがって…」
「あの二人は高校時代の先輩後輩だからな。野球部だっけ?」
「ラグビー部」
「マジか榊外科部長、あの細っこい体で気合入ってんな」
「こっち座れよ、カラーは入れても良いんか?」

お洒落な美容院に足を踏み入れた事がない研修医は、若干緊張したまま招かれた席に座る。背の高さが足りなかったからから小さく笑う気配がして、油圧か何かで座席が上へと幾らか持ち上げられた。
真正面の鏡越しに真剣な表情でケープをつけてくれている年下の幼馴染みが見えて、意味もなくかなり気恥ずかしい心境だ。フルーツが盛りつけられた籠を玩具の様に弄っている幼子の小さな頭を盗み見て、ふっと息を吐く。

「茶髪くらいならイイんじゃね?うちの病院にも茶髪にしてる医者はいっぱい居るょ」
「オメー、今まで自分で適当に切ってきてただろ」
「バレたか。だって貧乏インターンだしィ、医者の髪型なんて気にする患者居ないしィ」
「そんなんじゃ男出来ねぇぞ」
「うっせ、バレンタインは今でも毎年貰いまくってるっつーの」
「女にモテて喜んでんじゃねぇっての」
「美穂が元カレと別れて凹んでる時に胸揉みしだいてやった事もある」
「テメ、人の嫁さんに何してくれてんだ!」
「昔の話だっつーの。男の嫉妬は見苦しいねィ、ださ羽柴ダイチ」
「ダイチじゃねぇ、ヤマトだボケ。そんで羽柴じゃなく宍戸な。後輩の名前くらい覚えてろ」

当然、わざと間違えた訳だが相手は疑いもしないだろう。ぶつくさ呟きながらシャンプー台へ向かって倒れていくリクライニングに身を任せ、被せられそうになったタオルを素早く振り払う。

「…何してんだゴリラ」
「しっかり仕事っぷりを見極めてやっから、有難く思え宍戸大和。宍戸床屋の未来を担える器かどうか、穴が開くほど観察してやらァ」
「お前は絶対結婚出来ねぇな」
「くぇっ。同感だ」
「自覚してるんかい」
「高坂馬鹿向日葵に6歳でプロポーズされた以降、色っぽい話が全然ありません」
「光華会の若さんは病気なんじゃねぇか?」
「あれでも帝王院卒な。ヤクザの癖に大学は法学部出て、在学中に司法試験受かってる」
「…俺に息子が出来たら記念受験させっかな。将来有望な跡取りになってくれそうじゃねぇ?」
「俺の息子だったら優秀に決まってるから受かるだろうが、お主の息子は無理じゃね?」
「お前が出産する日は永遠に来ねぇよゴリラ、坊主にされたくなけりゃ黙ってろ」
「気を抜くなよ新米美容師、俊江さんが帰るまでにチンコを潰す宣言発令したぞ」
「いたいけな幼児の前で下ネタやめろ!」

内股気味の美容師から整えて貰った髪型はそこそこだったが、途中で帰宅した同級生が施してくれたメイクについては余り語りたくない。
とある研修医がつけまつげの凄さを知った日だった。

←いやん(*)(#)ばかん→
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