帝王院高等学校
葬送と勝利の大交響曲
「ぎゃー」

今度は何事だと振り返れば、かなり長身なバトラーが真っ先に目に飛び込んでくる。

「の、の、の、のっぺらぼうだぁあああああ!!!!!」
「おいリョータ、のっぺらぼうって何だ?」
「ヒーッ」

確かにトサカと奇天烈な色合いのドレッドがプチSMに興じていれば、そこはかとなく不審に見えるだろう。仕方ないとは言え、休憩していただけでしょっぴかれては堪らない。いや、約一名意味不明な絶叫を繰り広げている馬鹿と言う名のトサカがいるにはいるが、見なかった事に出来ないものだろうか?

「…ユキオちゃん、馬鹿はトーマだけじゃなかったみたい」
「知ってたけど盲点だった。ふじこ、後は任せた」
「ちょ、アタシに丸投げ…?!」
「良し。それじゃ、殴り合いで決めるかい?」
「どうせ一緒にはぐれるんだったら、キョンかエリンギと一緒が良かったぁ…ぐすん」

きゅっと絞め殺して美味しい衣をつけてカラッと揚げれば、馬鹿でも美味しいフライドチキンになれば良い。主に料理が上手すぎるお母さんと、果てしない食欲を身を以て教えてくれるお父さんのお陰で、カルマメンバーは年中無休で飢えているのだ。

「何やってんだよこんの馬鹿チキンっ!」
「あたっ。何で殴るんだよふじこッ」
「お騒がせしてすいません!コイツらが何かしましたか?!」
「何かしたも何も、俺を見るなりコイツが勝手に叫んで腰を抜かしたんだ。なんて失礼な奴だ!」

駆け寄ったふじこがペコペコ頭を下げながらリョータを蹴れば、速やかにマサフミから頭を殴られた。然し痛がっている暇なく、長身のバトラーの遥か下から睨んでくる愛くるしい少年に気づき、チャラさには自信があるふじこ…藤井光一は沈黙した。
つるんつるんだ。何がって、愛くるしい美貌の少年の、主にお肌と頭が。ベストミスマッチ大賞受賞。

「………お坊さんでしたか〜」
「誰が僧侶だ!」

マサフミに脛を蹴られて座り込みそうだったふじこは、スキンヘッドに胸ぐらを掴まれた。元番長相手に勝つ自身はなくとも、自身より遥かに身長が低い少年をひと捻りにするくらい訳はない。然しそんな真似をすれば、錦織要の財布を盗む様なものだ。火に油、光の速さで騒動が巻き起こるに違いない。
最悪、風紀にしょっ引かれて叶二葉の餌食になるまでは良しとしよう。然しその流れで嵯峨崎佑壱なるラスボスの耳に入ってしまえば、コンテニュー不可能のジエンドだ。唯一の救いは、佑壱の拳骨が全力であれば確実に即死だろうと言う事か。中途半端に手加減されれば、地獄の痛みと引き換えに辛うじて命は残る。究極の二択だ。

「雨の中こんな所で怪しいと思えば、やっぱり不審者!」
「お離れ下さい柚子姫様っ、直ちに風紀を呼びます!」
「ちょっと待ってくれよ、困るんだよっ!俺が悪かったなら謝るから、本当に風紀は勘弁して下さい!」
「ゆうちゃん、彼は何もしてないのに風紀を呼ぶなんて…」
「ふん、風紀に怯える所を見ると良からぬ事を企ててるに決まってる。危ないから颯人は近づいたら駄目だ」

他人の振りを見事に果たしていたユキオは、最も目立つ長身がチワワの様な少年らに囲まれているファンシーな光景を前ににやつく口元を手で覆い、こっそりスマホで撮影した。半泣きのふじこをフォルダに収めたので、揶揄うネタになるだろう。

「何だテメェ、ヤるつもりならむぐっ」
「黙ってろマチャフミ、いい加減にしねーとお前のドレッドにストパー掛けるかんな」
「あの、もしかして粟谷将文君と下関遼太君ですか?そちらは藤井光一君で、あちらが北郷介勇君」

敵意を剥き出しにしているチワワの群れに囲まれたノッポのバトラーが、控えめに呟いた。これには他人の振りを貫き通せなかったユキオを筆頭に、この場の全カルマが息を呑む。もしかしたら心音も止まっているかも知れない。

(ちょ、何で俺らのフルネーム知ってんだコイツ?!)
(俺が知る訳ないだろ。リョータの所為で変なのに目ぇつけられちまった)
(えーっ、何だよユキオもふじこもそんな目で俺を見ないでくれない?!)
(おい、だからのっぺらぼうって何だって聞いてんだろ)

アイコンタクトは通じている様だが、約一名全く焦っていない男が存在しているらしい。

(どうする?!逃げる?!)
(この場は逃げ切れても、素性バレてんだから結局不味いだろ)
(どうしようどうしようどうしよう、総長を見つける前に俺達死んじゃうのか?!)
(うぜぇ、全員ぶっ飛ばせは良いだろうが。喋れなくなれば、バラしようがねぇ)

やはり約一名方向性が可笑しいドレッドが存在する。このままでは死亡不可避だ。副総長以下四重奏含む複数人が生活している学園で暴力沙汰を起こせば、この場は逃げきれてもいずれ殺されてしまう。
問題を起こすならトーマに違いないなどと高を括っていたバチが当たったのだろうか?それとも『せめて可愛く見える様に』などと適当な事を宣って、マサフミの髪をサンリオカラーで染めたからだろうか。下関遼太は半泣きで思いを馳せたが、恐らく一番の問題はそのどれでもない。可愛い顔をした坊主頭に腰を抜かして、化物扱いした事が最たる要因だと思われる。

(マチャフミが暴れ出す前にどうにかしろよユキオ!お前、俺らの中じゃ頭良い方だろ?!)
(浪人してるリョータよりかはな。あ、ショータケからLINE来た♪)
(キョンからもエリンギからも音沙汰がないんだけど俺、もしかして嫌われてんの…?キョンとは仲良くやってたつもりなんだけど、俺の勘違いだったのかよ…?ぐすんぐすん)
(あー、腹減ってイライラしてきたぜ)

仕方ないだろう。
天使の様な美貌がスキンヘッドだったら、恋をする前に健全な青少年は混乱に陥る。

「ふふ。その反応だと、やっぱり」
「…颯人、こんな奴らと知り合いなの?」
「ゆうちゃんは星河の君と親しくしていたのに、知らないんだね?」

唇を尖らせたバトラーが少々意地悪な声音で呟くと、可愛らしいのに何故スキンヘッドなのかとふじこが心の中で咽び泣いている少年は、カッと顔を赤らめて狼狽えた。何か分が悪いのか、あーだのうーだの呻いている。

「…本当に、マジェスティの予言通りになったんだ」

スキンヘッドから目を離したバトラーは恭しく腰を折り一礼すると、困った様に微笑んだ。

「僕はリブラセントラルバトラー、高等部3年Fクラスの伊坂颯人と申します。ようこそ帝王院学園へ、カルマの皆さん」

何処かからか、大聖堂に響く様な鐘の音が聞こえてきた。

「これより中央委員会の出し物を開催します。演目は『ハムレット』」
「「「「ハムレット?」」」」
「って、シェークスピアの演目だろ?」
「ふじこ物知り」
「リョータが知らなすぎなだけ」
「うぜぇ。それが何だってんだ」

霧の様な雨の中で霞もせずに目に映る燕尾服の黒は、不気味なほど艶やかに。



「陛下の宝が眠ったままか、馬が子守唄を奏でる前に見つけ出す事が出来れば、」





















ベルリオーズ交響曲
Sinfonia: Grande symphonie funebre et triomphale.

-葬送と勝利の大交響曲-













さァ、探せ。俺は黒き騎士の墓標に、十字架を喪失したオルゴールを隠した。
さぁ、とくと探せ。私は空白の墓標に、誰もが求める夜の国の皇帝の証を隠した。
俺は白日へと還ろう。
私は深黒へと沈もう。
何ら躊躇なく。
何ら抵抗せず。









「貴方達の勝利です」













それこそがの証。





















生まれた時は可愛いだけだった孫の成長は、我が子の成長よりずっと早い。

「っ、ちょ、ど、何処触ってんだょ…!」
「…何処?触られている感覚がある癖に部位が判らないなんて、神経に異常があるかも知れないな」

長女が駆け落ちをしたと騒いでいる影で、長男の元に子供が生まれたのはもう17年も前の話だ。待望の初孫を授かった喜びを噛み締める余裕がなかった所為で、少々内向的な性分の嫁には苦労を掛けた。
初孫に喜ぶ暇もなく、春を迎え夏になり幾つかの台風が列島を通り過ぎた日の、月も星もない漆黒の夜に。

「ひっ、ヒィ!ななな何で乳首ぎゅってすんの?!」
「痛かったか?だったら舐、」
「…何をしてるんだい、アンタ達?」

控えめな産声をまるで『挨拶』の様に上げた二人目の孫は、出産予定日から数ヶ月遅れて誕生した。正しい出生日であれば、初孫はどっちだっただろう。今更、確かめる術はない。

「うわーん、ばーちゃ〜んっ。おはよー」
「おはよう、舜。昼食の時間になっても起きてこないから、ばーちゃんは久し振りに2階まで上がったよ」

さて。目下の心配事は、一人目でも二人目でもなく、三人目の孫だ。
いや、その三人目の孫の上に馬乗りになっている半裸の初孫も頭痛の種には違いないが、育て方を間違えたのだとは口にしたくない。何故なら『育てた覚えがない』からだ。ただでさえ心にゆとりがない嫁が可哀想になるくらい、長男の息子には欠陥しかなかった。尋常ではないくらい冷静な夫が生前、『あれは畜生だ』とぼやいていた程なので、それ以上の説明は不必要だろう。世間では鬼だの神だの持て囃されていた医学会の権威が解決の糸口を見つけられなかったのだから、つまりは文字通り『つける薬がない』と言う事だ。

「ばーちゃん、兄貴が俺のこと節々の病だって言うんだょ!」

さりとて。
家の中では確かに『まともではない』初孫よりもずっと手遅れなのは、三人目の孫だ。馬鹿にはつける薬がないと言うくらいだから、医学では手の施しようがない。性格は間違いなく父親似。然し勉強の方面では全然似なかった哀れな孫は、先に述べた通り実の兄からマウントを取られた姿のまま、身内の贔屓目を抜いても可愛らしい顔立ちに悲痛な表情を滲ませていた。
兄から馬乗りになられている状況を悲嘆している訳ではないと言う事は、その意味不明な言葉からも判る。一般的な思考回路で図るのは、あらゆる意味で不可能なのだ。三人の孫に共通する、たった一つと言っても良い。揃いも揃って『訳が判らない』、流石は新人類と言われる世代だ。

「節々の病?アンタはまだ14歳だろう、関節痛に悩まされる年頃じゃないよ」
「舜、節々の病じゃなくて不治の病だよ〜。俺を見ると胸がドキドキするって言ってたじゃない。それはもう、一生治らない恋の病だ。結婚しよう」
「俺、俺っ、先立つ自由をお許し下さいまし!」
「…ばーちゃんはお前達のおつむの方がずっと心配なんだけどねぇ」

平たい末の孫の胸を揉んでいる初孫に、どうか天の裁きを。家から出れば超がつくほど出来た自慢の孫かもしれないが、中身は『畜生』だ。鬼と呼ばれた遠野夜刀や遠野龍一郎の血を引いているお陰で取り扱いが面倒臭い分、厄介この上ない。
初孫の喜びに震えたのはいつだったか、遠野美沙にはもう思い出せなかった。今は一刻も早く『コイツを普通の人間にしてやれないなら、いっそ』である。

「余命宣告されたくらいで泣くんじゃないよ、舜。人間いつかは死ぬもんだ」
「うっうっ、ばーちゃんには血と涙しかないのかっ?」
「とじゃなく、もだろう。血と涙があれば立派な人間さ」
「うっうっ、じーちゃんが死んだ時もそんな塩ラーメン対応だっただろ?!俺なんか母ちゃんに『お前は人前に出すと恥をかくから部屋から出ないで頂戴』って言われて、じーちゃんに死に水ぶっ掛けてやれなかったんだかんな?!」
「ばーちゃんは頭痛が増してきたよ、舜」

最も馬鹿な三人目の孫は性格は悪くないものの、混じりっけなく純粋な馬鹿だ。見栄っ張りな所がある母親が幼い頃から方々の塾や習い事に通わせたものの、全ての講師から匙を投げられた過去を持つ。
生まれも育ちも日本なのに極めて純粋に日本語が不得意なので、真面目に教科書を読んでも理解出来ないと言う難病を患っている遠野舜は、悪気がないのに人を混乱に陥らせる話術の持ち主の為、心無い大人達から苦言を呈される事も少なくない。特に執刀数こそ少ないが数々の賞賛を受けてきた俊江を差し置いて院長を継いだ直江に対する非難が少なからずあった事もあり、遠野総合病院の次世代後継者である直江の息子達に注がれる目は多少辛辣だ。

十数年で一部上場を果たし大企業に名を連ねている笑食グループ本社勤務の遠野秀隆は、その外見と人当たりの良さから評価が高く、性格も外見も龍一郎そっくりな俊江の手綱を握っている事で、遠野の関係者からは評価が高い。
極めつけは、西園寺学園に通っている和歌に並んでも遜色ない進学校、鷹翼中学校に入学した俊の存在だろう。三人の孫それぞれの年齢差が一歳ずつと言うのも、分が悪かった。
直江の嫁は俊江に対して敵対心があるのか否か、何をとち狂ったのか俊が生まれた後に自身二度目の妊娠を果たすと、早い段階で同じ名前をつけるつもりだったらしい。初めての出産の時には直江に丸投げした名づけの権利を主張したかと思えば、蓋開けてみると俊江の子供と同じ名前をつけたがったと言う訳だ。
宥めすかした直江の努力が実ったのか、流石に同じ字を当てるまでは回避した様だが、結果は『同じシュンでも雲泥の差』である。

とうとうこの春、帝王院学園の外部入学を果たしてしまった俊と比較されるだろう舜が哀れでならないが、本人はダメージ0の様なので、今はそこで悩んでいる場合ではない。

「頼むからばーちゃんが買ってあげた国語辞書をしっかり読んでおくれ、少しはテストの点が上がるから…」

見事に男ばかりの孫の中で、唯一の『出来損ない』だからこそ過剰に心配してしまうのは、愛情の裏返しでもある。向こうからすれば鬱陶しいかも知れないが、親の側から見れば手が懸かる分だけ執着は増す。説教には体力が必要不可欠だ。虐待好きの変人でもなければ、誰でも毎日怒りたくはない。初孫の喜びはとうに色褪せ、離れて暮らしている二番目の孫には会う機会も少ないとなれば、どうしても目に掛けてしまうのはやはり、不出来な末っ子だ。

「イイんだよ俺は!遠野の男はビケイだから、国語は苦手なんだろっ?!」

もう何処から突っ込めば良いのか、理系の美沙には判らない。とりあえず舜が修学旅行先で買ってきた阪神タイガースのバットを掴んだ美沙は、老体に鞭打って和歌の尻をフルスイングした。さっと避けた初孫はクールにベッドから降りると、すちゃっと眼鏡を掛けている。
どうせ伊達眼鏡の癖に、何を考えているのだろうか、この初孫は。理解出来ないのではなく、理解したくない。

「夜刀じーじだって算数は出来たけど国語はやばかったって言ってたもん!」
「そりゃまぁ、医者の殆どが理系だろうさ。身内の贔屓目を抜きにしても、お前達は美形だろうしね。だからと言ってお前の国語は酷い、幼稚園の子でももう少しまともに喋るよ」
「うわーん、やっぱり俺は馬鹿だから死んじゃうんだァア!俺の遺産は俊兄ちゃんに差し上げて下さいっ」
「お前のお母さんはお前の将来を心配する余り、ジャニーズに入れるか真剣に悩んでいたよ舜。応募する前に和歌に邪魔されたみたいだけどね…」
「不必要な事を言わないで下さい、お祖母さん。舜は俺が養っていくのでご心配なく」

布団の中に泣きながら潜り込んだ半裸の孫の傍らで、しれっとシャツのボタンを留めているもう一人の孫は、17歳とは思えない落ち着きようだ。いや、早生れだから16歳か。

「心配しかないから言ってるんだよ、私は。特にお前が心配だ」
「舜は三歳の時に俺のお嫁さんになる事を決意しているんです。邪魔をするつもりですか?」
「えっ?お兄たま、俺そんな決意しましたっけ?」
「子供の頃の話をいつまで持ち出すんだい?大体、従兄弟ならともかく兄弟が結婚なんて出来る訳ないだろ」
「アーッ!それってもしかして俺と俊兄ちゃんの話かィ?!ええっ、俺ってば俊兄ちゃんのお嫁さんになっちゃう感じなの?!えーっ、花嫁修業しなきゃ!」
「舜は兄ちゃんのお嫁さんになるって約束しただろ、駄目だよ。それに俊は明日死ぬから」
「やっぱ俺って死ぬの?!」

どちらにせよ、三分の一の確率で生まれた純粋な馬鹿以外の二人は、幼い頃から少々気難しい。呪われているのではないかと疑うほどには難しい生き物だ。馬鹿な孫の馬鹿さ加減に癒される様な気持ちになるのだから、底は知れている。

「…和歌、アンタそろそろ母親から殺されるんじゃないかい?」
「ご冗談を。自分に良く似た息子に育ってくれて、泣いて喜んでいるでしょう?」

確かにそっくりだ。目的を果たす為には手段を選ばない所も、執着心が強い所も。但しこの子は母親よりずっと賢かった。つまり悪知恵が働くと言う事だ。

「昨夜帰った時から静かだと思っていましたが、あの女はどうしているんですか?父さんの姿も昨夜から見えませんが」
「直江は仕事に行ったきりだよ。2・3日帰ってこないのはいつもの事さ」
「ああ、秀隆伯父さんの件で混乱しているんですか。哀れだな、目の敵にしていた男がまさか帝王院財閥の後継者だったとは…」

美沙には理解出来ない。しようと思わない。けれど差別するつもりもない。

「目の敵にしている様には、見えないけどね…」
「お祖母さんは冷静ですね。ご存知だったんです?」
「まさか。知ってたらシューベルトなんて呼べたもんか、三つ指ついて『宮様』って言ったさ。鳳凰様にも駿河様にも、うちの病院は随分お世話になってるからねぇ」
「へぇ。それじゃ、俊も宮様って事になるんですか」
「…意地の悪い事を聞かないでおくれ」

息子の嫁が本当は俊江に敵対心ではなく執着心を持っているのであれば、それはそれで構わないと思っている。
けれどそれで母親の義務を放り投げると言うのであれば、話はまた別だ。然し見ている限り彼女は母親としての責務は果たしているし、今更性格を変えろと言っても難しいのも判る。早い話が、美沙は『面倒臭くて手が掛かる』人間が好きなのだ。産婦人科医と小児科医の経験があるからなのかは定かではないが、早くに亡くなった母親もそうだったに違いないと思っている。お前が出来なかったら結婚なんてしなかった、と生前断言していた男勝りな女だった。自身も医者だったが、主産後は育児を優先して職場復帰を諦めた人だ。当時は珍しい高齢出産だったからかも知れない。

「帝王院駿河会長には、広く知られている孫がいます。勿論、それは俊じゃない。帝王院学園中央委員会会長、高等部三年生の首席です」
「知ってるよ。駿河様の面会に良く来ているたって言う、銀髪の子だろう。うちの看護師達は、毎度騒いでるそうだ」
「駿河会長の子供は一人」
「随分、含みがある言い方をする」
「我が校の副会長曰く、『相当やばい男』だそうです。ルーク=フェイン=ノア=グレアム、フランスでは伯爵、イギリスでは男爵。もし伯父さんの息子だったら、何がどうなって海外の爵位を名乗る立場になったのか」
「その言い方じゃ、アンタは本人に会ったのかい」
「勿論。西園寺は招待された側なので、生徒会長同士挨拶くらいは」
「…俊はどうしてた?」
「ああ、懲罰棟と言う所に繋がれてました」
「は?」
「文字通り、手足を鎖で、こうやって」

磔にされたイエス=キリストの様な仕草で両腕を持ち上げた和歌は、何が面白いのか満面の笑みだ。この子の母親は俊に対して敵意はないが、こっちは違う。舜は俊の事が大好きでも、和歌は真逆だ。初対面の時から敵意を隠すつもりがない。

「俺としては、あんな奴はさっさと帝王院に引き取って貰った方が助かるんですがね。後継者争いになってしまえば、我が従弟殿はかなり分が悪い。何せ向こうは2学年年上で、…お貴族様ですから?」
「俊が医者になって困るのはお前だけだ。私としては優秀な人材は幾らでも欲しいけれど」
「残念、病院は俺が貰います。勿論、どう足掻いても俺より先に死ぬお祖母さんも父さんも舜の将来を心配する必要はありません。全て丸く収まるんで、ご心配なく」
「私が死ぬ前にもぎ取ってやるから、楽しみにしておいで」

満面の笑みで見つめ合った祖母と孫の寒々しい光景を余所に、ぐーっと派手な腹の音を響かせた馬鹿は布団からしゅばっと飛び出した。

「母ちゃん、腹減ったァ!」
「とっくに出来てるわよ!いつまで寝ているの、早く降りてきて顔洗って頂戴!」
「今日のおかずはチキンラーメン?!出前一丁?!俺、塩ラーメンな気分なんだけど?!」
「カレードリアよ!上から叫んでないで降りてきなさいっ」
「成長期舐めてんのかババア!昨夜もカレーで今日もカレーかょ、頭大丈夫か!」
「アンタが人様の頭を心配するんじゃありません!嫌なら食べなくて良いのよ?!」
「判った、じゃ要らね!俺の分は兄貴が食うからっ」
「ちょ、お願いだから普通の食事をして頂戴…!」
「食べなくてイイっつっただろ?!母ちゃん俺に嘘ついたのか?!」

ああ、可哀想に。
まともな人間が馬鹿と張り合って勝てる筈がない。これでまた自分の育て方が悪かったからだとどっぷり落ち込むのだろうかと思えば、益々嫁に同情してしまいそうだ。どんな料理も不味そうに食べる長男と、どんな料理よりインスタントラーメンを愛している次男に挟まれて、何を食べさせてもうまいしか言わない甥っ子が可愛く見えるのも仕方ない。然し息子の嫁は気遣いが空回りするタイプなので、大人しい俊に対して『もっと明るくなった方が良い』だの、尋常ではない食欲を心配しているのは判るが『飢えている様に見えるから自制しなさい』だの、言葉のチョイスが下手過ぎるので俊江の怒りを買う。我が娘ながら性格が悪い上に頭が良いので、それに対する皮肉返しの鋭さはメスの様だ。

「…で、和歌?舜が言っている事が本当なら、お前は医師免許を持たない癖に診療の真似事をしたんだね?」
「いずれ医者になる予定なので。この程度、予行練習にもなりませんが」
「風邪と恋愛は不治の病とは言うけどね、馬鹿は勉強すれば治るんだ。変な事を言って苛めるんじゃない」
「可愛すぎると言うのは、十分難病です」

何をほざいているのか、この『賢く』『見目麗しい』大馬鹿者は。

「和歌、私も人の親だ。出来る事なら言いたかないんだがね、度が過ぎると…切り落とすよ?」
「跡継ぎを作る気がない事なんて、とっくにご存知でしょう。切り落とされた所で手術で繋ぎ直しますので、ご自由に」
「だったら切り落としてすぐにすり潰しておこう。産婦人科医を舐めるんじゃないよ和歌、私はお前が大嫌いな人間の出産に関わる仕事をしてきたんだ。普段は肩肘張っている男の性根がどれだけ繊細な赤ん坊かなんて、とっくに知り尽くしているんだよ…?」

美沙は微笑んだ。
家の中には医療器具など殆どないが、刺身包丁とピンセットと応急手当の道具くらいはある。孫の股間から男のシンボルをちょちょっと削ぎ落とし、ジューサーで撹拌するくらいなら小一時間あれば事足りるだろう。

「倫理観に欠ける所はお祖父さんにそっくりだ。…お前が強がってみせた所で、私の目が黒い内は近親相姦なんて馬鹿な真似は許さないよ」
「…クソババア」
「舜!」
「うぇ?」
「台所にばーちゃんが買ってきた大盛りソース焼きそば(ジェット湯切り)があるから食べて良いよって言いに来たんだけどね、ばーちゃんはこのまま家の中にいると孫を一人、女の子にしてしまいそうなんだ」
「ふァ?」
「出かけるから用意しなさい。ばーちゃんももう若くない、エスコートしておくれ。お前は紳士だろう?」
「エースコック?ふっ、全く頼られてしまう男は辛いねィ。イイぜ、任せとけばーちゃん!」

しゅばっと光の速さで着替えていく弟を凝視しながら、呪いを込めた目で睨んでくる孫を笑顔で見下してやる。ベッドの上に座っている遠野和歌は美沙よりずっと長身だが、腹が減っている時の遠野俊に比べたら可愛らしい睥睨だ。慣れたくないもんだが、職業柄『喚き散らす人間』と『そっちの筋』には慣れている。

「何か言いたげだね和歌。我慢は体に良くないよ」
「女狐め」
「顔立ちは東條方に似ているけれど、中身は龍一郎さん生き写しだね。男前なのは大いに結構だけど、母親に対する当てつけのつもりなら馬鹿な真似はやめなさい」
「くっく。判ってる。好きな人に振り向いて貰えなかった馬鹿女が、その弟に取り入って遠野の一員になったみたいになるなって事だろう?」
「和歌」
「あれが母親なんて考えるだにぞっとする。それに引き換え、俺も舜もまともに育っただろう?好きな女の弟に取り入って家族になったつもりだったのに、本当に好きな人はぽっと出の男と駆け落ちした。歯痒かったんだろうなぁ、あれの性格じゃストーカーの真似事をしても可笑しくない」

ほら、見ろ。可愛くない孫だろう?
残念ながら美沙自身も、自分が可愛げのある性格ではないと自覚している。何せ父は遠野夜刀、母親はあの夜刀を尻に敷いた気の強い女だった。元は当時では珍しい女医で、今の様に内科や外科と言った割り当てが曖昧だった時代なので、今で言う総合診療に似た仕事をしていた。志が高いだけに性格もきつく、夫婦仲は決して良いとは言えないものだっただろう。

「出て行った俊江伯母さんを24時間監視して、甥と同じ名前を息子につける。伯母さんに近づく人間は男も女も敵、俺と舜を高坂組の道場に放り込んだ理由は口にしたくもないね。あの執着心には感心する」
「…良くもまぁ、母親をそこまで扱き落とせるもんだ。お前の性根の悪さにも感心するよ」

つまり遠野家には小心者の方が少ないと言えるだろう。
我が子ながら、長男だけが突然変異だったのだと、遠野美沙は溜息を吐いた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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