帝王院高等学校
繰り返されたいつかの日常の、
一人で生きていこう。ではなく、一人で生きていける様にならなければいけない。
いつかそう己に言い聞かせたあの日の自分が、今の自分を目の当たりにした時の第一声は、自嘲だろうか、罵倒だろうか。

「副長」
「あン?お代わりなら鍋の中だっつったろ」

もしかしたら言葉もなく泣き出すのではないか・などと他人事の様に考えてみても、答えはない。
見渡す限り幸福を圧縮した様な世界は視界の中だけの話であって、例えるなら、自分は液晶ディスプレイの前の視聴者なのだ。目の前でヒーローがヒロインの手を取り、仲間達と共に戦っていたとしても、液晶一枚隔てたこちら側に、その熱気は届かない。

「今日で丁度、8日目です」
「馬鹿が、変な言葉使うんじゃねぇ。丁度ってのは何かしらキリが良い時に使う言葉だ。7日か十日ならまだしも、8日は違ぇ」
「幹部が集会を2度もサボっては、示しがつきません」

一人で生きていく・と、覚悟するのは一種の呪いだった。覚悟が時として足枷になる事を知っている。毎日が幾ら充実していて幾ら幸せに似ていても、視界の中にいつも『被害者』が存在すれば、加害者が幸せになる事などあってはならないのだと。無言で突きつけられている様だ。

「ああ、隼人の事か」

例え向こうにそんな気はなくとも(ひねくれているんだ)、この世に優しい人なんて(居ないとまでは言わないけれど)、そう思っていないと足元が崩れ落ちてしまいそうな気がする。未熟な精神に余裕がないからか、僻みと言う感情なのか。己の心の内を晒せない癖に、どうして他人に答えを求めようとする?(馬鹿みたいだろう)(知っている)

「お前が何かと奴を目の敵にしてんのは知ってるがな、集会なんざ参加する全員が総長に会いてぇだけだ。判ってんだろ?」
「俺は別に、目の敵にしているつもりは」
「集会の内容だって、毎週末の商店街掃除か、不審者情報の共有か、最近総長が拾ってきた野良猫の柄くらいだ。何となく土曜の夜に公園に顔を出してるだけで、勝手に集まってきた余所のチームが傘下気取ってやがるのも気に食わねぇ」
「それは、俺も快くは思っていませんが…。総長が拒絶しない限りは」
「そりゃそうだ。だったら、隼人の件も同じこったな?」
「…」

幸せで吐き気がするくらいなのに、どん底に落ち続けている様な気分だ。(最高で最低)(優しくされると泣きたくなる癖に)(優しい他人と自分を比較すると惨めになる)(死にたいくらい)(簡単に死ねる権利など、とっくにない)
この幸せに見合う働きをしなければ(誰から求められた訳でもないのに)生きている価値を見出せなくなっていて、訳の判らない焦燥感ばかりが蓄積されていく。ヒステリックな発情中の雌猫同然だ。ひたすら叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。誰でも良いから、どうなったって構わないから、だってどうせ一人で生きていく。今はほんの少しの間、器が広い群れの中に入れて貰っているだけで。

「総長がわざわざ仰る前に、無用な火種は潰すべきでしょう?ハヤトは四重奏に含まれているんです」
「…四重奏なぁ。誰がつけたんだか」

嵯峨崎佑壱が創設したカルマには昔、メンバー全てに呼称があった。勿論素性を隠す為のものであり、不死鳥を名乗っていた佑壱がケルベロスと呼ばれる様になったのは、彼の首に真紅の首輪が巻かれる様になってからだ。
日本国内で初めに言ったのは恐らく叶二葉だが、それを知る者が果たして何人存在するだろう。佑壱は狼なのだ。昔も今も、大陸でも島国でも変わらずに、強い雄として群れを率いている。狼の群れに紛れ込んだ『人間』が、彼の首を繋ぐまで。

「お前ら私立組を一纏めで呼ぶ時、ついカルテット呼ばわりはしたが…いつから幹部って事になってんだ」
「知りませんよ。総長がアイツをハウンドブレスなんて呼ぶから、特別扱いされている様な雰囲気になって…」
「虚声か。相変わらず、あの人は面白ぇ名前つけるぜ」
「何が面白いんですか。真面目に俺の話を聞、」
「打てど響かない王の鐘」
「は?」

目的を思い出せ、のうのうと忘れてはならない。いつも誰かの言いなりだった。綺麗な顔をした悪魔から唆されるままに近づいた獰猛な狼が、今はまだ大人しいだけだ。自分の腹の底を知ればきっと、今日と同じ明日などやって来ないだろう。

「死んだように寝てても心臓は動いたまま」

気高いグレアムの王子。人に飼い慣らされた様な振りをしている、紅蓮の鳥。その背中に翼が生えている事を知っている。首輪は後だ。夜の国からやってきた忍ぶ者は、今だけ犬の振り。子供のままごと。一人で生きていかねばならない自分とは違う。一人で生きていける男だ。

「楽器が弾けないブレーメンはきっと、それでも構わずに歌うんだろう」
「…何、詩人みたいな事を言ってるんですか」
「虚勢を張った犬が、自分から繋がれる事を望んだってんだ。少しは認めてやれ、此処じゃお前の方が先輩だろうが」
「俺が…せんぱい」
「今はともかく、俺が追い払うのも面倒になって負けた訳でもねぇのに降参したのは、後にも先にもテメーだけだ」

認められていると勘違いしそうになると、強く自制を促す。(今の様に)(喜んではならない)(そもそもの目的を知れば彼は)

「そんな安い台詞で絆されると思いますか」
「賞味期限切れの冷凍食品でつられそうな面でほざきやがる」
「俺は他人が決めた期限なんてものに縛られたくないだけです」
「言ってる事は格好良いがな。っと、追加のマフィンが焼けたか」
「じゃ、俺が総長に」
「いや、総長の分は冷めるまで置いとけ。風呂は年中熱い方が好きな癖に、熱い食いもんは苦手だろ」

勘違いするなと念仏の様に唱えて、皮膚に爪が食い込むほど拳を握り締めた。
彼は強い雄だ。ケルベロスの様に頭が三つある訳ではないが、舌はきっと何百枚もある。三枚舌如きでは太刀打ち出来やしない。(お前は本物の天才を知っているだろう?)(次元が違うのだ)(まるでシネマスクリーンの向こう側)(プロジェクターが注ぐ光の中には決して入り込めない)(そう思う事で予防線を張っているのか)(…何に対して?)

「あ、ツナとコーンが入ってる。今日は甘いマフィンじゃないんですね。あの味覚音痴馬鹿がサボるから」
「まだ腹立ててんのか、本当にしつこい奴だな。先週言っといただろうが、仕事で地方に出掛けるっつー連絡があったってよ」
「日程は多少前後があるとも聞いていますが、地方って何処ですか?雑誌の撮影なら都内のスタジオで間に合いますよね、今回はテレビですか?それとも何とかってバンドのミュージックビデオですか?」
「何だ、いつも以上に変な絡み方しやがるな。昔のお前を思い出すだろうが、甲高い声でワーワー捲し立てんな」
「俺はもうとっくに声変わりしました。甲高いって言うなら、俺より副長の方が…」
「殴られてぇのか?」
「副長、おやつ下さい!総長の腹の音がリズミカルになってきてます!」
「何か楽器みたいになってて、ユキオとふじこが笑いすぎ酸欠で死に掛けてます!」
「ケンゴさんはもう死んでます!死因は笑いすぎて腹がシックスパックになったからっす!」
「あー、どいつもこいつも煩ぇなぁ、誰に似たんだ。そこに追加のマフィンと、鍋の中にスープがあっから勝手にやれ。俺は煙草…じゃねぇ、コーヒーしけ込むから」

初対面では話もして貰えなかった。
初めて出して貰ったのは銘柄も判らないコーヒー一杯。次に出して貰ったのは残り物のマフィン、ベーグルやドーナツもあっただろうか。帝王院学園の生徒は自炊を推奨されているが、強制ではない。裕福な家庭の子息には実家から調理師が派遣されている事もあるし、基本的には寮内の食堂を利用している生徒の方が多いくらいだ。

「本当に禁煙してるんですか?」
「…知ってんだろ、もう2年近く吸ってねぇよ」
「それは言い過ぎでしょう。まだ一年半くらいです」
「細けぇなぁ、お前は本当。そうじゃなきゃカフェカルマの経理は務まらねぇか」

それなのに王子様は自炊していて、理由を尋ねた事がある。その時の答えは何だっただろう。

「副長!ABSOLUTELYの副総帥がしれっとテラスでマフィン食ってます!」
「良し当馬、男を見せる時だ。当て馬になってこい」
「当て馬?!」
「発情中の淫乱猫は出禁だ。ぶっ殺せ」
「そ、んな…!マサフミが勝てない相手だけど、俺は…俺はっ、やれるのか?!」
「副長、馬鹿を煽らないで下さい。トーマが勝てる訳ないでしょう、九九も出来ないのに」
「馬鹿でも当馬と馬鹿猫は同級生だ。諦めなけりゃ、奇跡が起きるかも知れねぇぞ」

毎日騒がしい。視界の中の誰もが馬鹿笑いをしていて、獰猛な犬は真っ赤な首輪で繋がれたまま、佑壱を繋いだ男はサングラスの下で穏やかな笑みを描く。自分だけがスクリーンの外側みたいだ。登場人物には絶対になれない、孤独な観客の様に。
誰から呼ばれる事もなく、微動だにしないまま映画を眺めているだけなのに、あたかも劇中で活躍している様な気になってしまう。はっと我に返って何度も何度も自制しなければ、忘れてはならない過去を思い出す事もなくなりそうだ。償うだなんて宣う権利などない。世界中の何処へ逃げたって、二度と戻れない過去は何処までも永遠に追いかけてくるだろう。

『ぼ、僕、僕…っ。ごめ、ごめんなさい…っ』
『君が、起爆装置のスイッチを押したのか』
『僕…っ』

エメラルドの瞳がいつか、絶望した瞬間を見た。
珍しく笑顔で話し掛けてきた父親から手渡された小さなリモコンの事など、あの瞬間まで思い出す事もなかったからか。あの時の質問に冷静に答えられていたなら少しは違っていたのかも知れないなんて、今更何の期待をするつもりだろう。押したつもりはなかった。手渡されていた事すら忘れていたのだから。それでも、ポケットの中で押してしまっていたかも知れない。何度考えても答えはない。
確実に言える事は、香港では白髪で緑色の瞳をした大河白燕を王と呼んだ。あの恐ろしい祭楼月が震え上がる中国の支配者は、錦織要にとっては天上人だったのだ。写真と肖像画でしか見た事がない大河社長とあの男は、良く似ていた。姿形はまるで違ったけれど、子供の目には双子の様に見えたものだ。

『…もう良い。リヒトが怪我をしているんだ。私はこの子を、病院へ連れて行かなければならない』

悪夢は見ない。夢を見る権利などないからだろう。何の為に生きているかと聞かれたら、死ぬ権利がないからだと答える。

『もうこの子が、君に会いたがる事もないだろう。…君は行きなさい』

…全部、言い訳。謝る機会を失って、例えばそう、余りの悍ましさ故に記憶から飛んでいた真っ赤な光景で、砕けた女神像の下敷きになっていた子供の事とか。本来ならあそこで倒れていたのは間違いなく、自分だった筈だとか。突き飛ばされた時にポケットから零れ落ちたリモコンが地面を跳ねた音だとか、思い出したのは後からだった。
香港では燕が最強で、その息子の雀が二番、それ以外は本名で呼ばれる事もない。錦織要と言う母親が残した名は『青蘭』に変わった。当主以外は全てが駒でしかない。死神と呼ばれている李上香ですら本名だと言う確証はない。例外的に、洋蘭と呼ばれた居候だけが別格だった。日本では叶二葉、中国では祭洋蘭、けれどアメリカではネイキッド。そして神の子からはセカンドと呼ばれているあの男の様に問答無用の強さがあれば、悩む事もないのだろうか。

「おーおー、あっさり負けやがった。当馬はクソ弱ぇな」
「ショータよりマシです」
「ああ、遼太の親父の字が下手過ぎて出生届に書いた『りょうた』が『しょうた』にしか見えなかったって話、昨日選定考査中に思い出して憤死するかと思ったわ。点数取り零してたら、遼太を一発殴るしかねぇな」
「…最近、寒くなってきたでしょう?」
「あ?そらまぁ、隼人が一つ年取って裕也の誕生日が近づいて来りゃあ、光熱費の請求額が跳ね上がるのは仕方ねぇ」

他人を疑う癖だけを磨き抜いてきた。一人で生きていく覚悟とは、言い換えれば『自分以外を信用しない』と言う事だ。ああ、とんだ子供の浅知恵だった。

「裕也の誕生日とクリスマスが続いて、正月か。米が100kg程度じゃ、間に合う気がしねぇなぁ」
「連絡はないんですか」
「はぁ?電力会社か、ガス会社か?」

そうだ。いつか優しくされた記憶があったかも知れない。
改めて思い出してみても朧げな記憶は数も多くなく、もしかしたら都合の良い思い込みかもしれなくて。満点かそれに近い点数で帝君の座に君臨している祭美月の様にはなれず、かと言って二葉の様に強くもなれないまま、いつか死ぬのが怖くなってしまったらどうしようなんて考えている事に気づいて、ぞっとした。(もう十分だ)(優しくされ過ぎると泣きたくなる)(誰か責めてくれ)(心無い台詞で良い)(理由なんてなくても良い)(ほんの気紛れでも)(人格から根刮ぎ否定するほどに)

「なんてな。隼人が気になるなら、メールすれば良いだろうが」
「連絡先、知らないんですけど」
「あ?お前、この一ヶ月何やってたんだ?テメーらクラスメートだろうが」
「そもそも考査と式典以外は殆ど登校して来ないんですよ、ハヤトは。入学式典以降、先月喧嘩売られるまで話した事もなかったんです」
「俺が言える義理じゃねぇだろうが、お前はもう少し協調性ってのを磨け」
「本当にユウさんが言えた義理じゃないんですね?どの面下げてほざいてるんですか、その面ですか」
「何でテメーは総長の前以外可愛げがねぇんだ。俺はお前、副総長だぞ」
「ハヤトは入隊してすぐに熱を出して倒れた事があります。忘れてませんよね、先々週ですからね」
「あれで一つ仕事キャンセルしちまって、マネージャーってのから俺が睨まれてんだろ?どんな女か知らねぇが、いっぺん顔見とく必要があるか。舐められたまんまじゃ、気分が悪ぃからな」
「良し、今度皆でパヤトのお仕事を見に行こう」
「おわっ」

にゅっとカウンターに顔を覗かせたのは、夜でもバイオレットのサングラスを掛けている銀髪だった。気配を感じなかった事で飛び上がった佑壱へ、何故か千円札を握った右手を差し出している。

「イチ、ピナタからホットのレモンティーの注文が入ったぞ。それと、玉子サラダが入ってるマフィンのお代わりが欲しいと言っていた」
「総長、クローズの札が見えねぇんスか?それと、カルマ以外に食わせるマフィンはねぇって言っといて下さい」
「イチ、可愛い子に意地悪をしたくなる気持ちは判るが、お金を頂いたらどんな人でもお客様だぞ?」

カフェカルマの開店とほぼ同時期に、カルマは総長が交代した。
ABSOLUTELY総帥の嵯峨崎零人は佑壱の実兄だが、カルマとABSOLUTELYにそれまで接点はなかったが、現在はそうでもない。副総帥の高坂日向がちょくちょく客として来店する様になったのは、佑壱が出会う以前から俊と顔見知りだった事に因る。俊を挟んで三角関係の様な状況に陥った佑壱と日向は、以来学園内でも顔を合わせる度に乱闘騒ぎを起こす様になったのだ。今の所日向の親衛隊や佑壱のファンが仲裁して事なきを得ているが、二人を喧嘩を止めるのは骨が折れるだろう。

「総長が仰っているのは正論ですよユウさん、どんどんぼったくりましょうよ。どうせユウさんだって、アイツを追い出せないんですから」
「どう言う意味だ要、殴るぞ。俺が本気を出したらそらもうやべぇ事になんだろうが」

佑壱もそれが判っているのか、カフェの中での喧嘩騒ぎは起こさない様に努力しているらしい。何せ総長の前で暴れる訳にはいかない上に、日向は金払いの良い常連客だ。中央委員会副会長の権限で授業免除が許されているわりに、平日は学園から出ている節はない。中央委員会会長の零人は暇さえあれば脱走三昧だが、日向はこなすべき仕事を片付けて、週末に外出している様だ。
中央委員会役員でありながらサボり続けている佑壱は、多少分が悪い。総長の前でそれを暴露されてしまえば立場がなくなるのは明白で、だから表立って日向を追い返せないのかも知れないが、どちらにしろ、店内で飲食費を支払ってくれる相手は等しく客だ。数年前まで都内のほぼ全ての商店街が光華会を後ろ盾にしていた事もあって、日向は8区の商店街にも顔が利く。何せカフェカルマの前身であるホストクラブは、高坂組の傘下だった組が経営していたらしい。

「やばいって、何がです?」
「あんなクソドチビ灰も残らねぇに決まってら」
「聞こえてんだよ馬鹿犬、ビッグマウスも度が過ぎると惨めだなぁ?無駄にデカいのは図体だけにしとけ、頭蓋骨の中身は空っぽなんだからよ」
「んだとテメー、ウルトラミジンコ女男が!やんのかコラァ!」
「上等だ、雑魚が幾ら吠えた所で雑魚でしかねぇって事を思い知らせてやるぁ!」

いわゆるみかじめ料を着服したオーナーが逃げた事を知らなかったホスト数名が、逃亡を嗅ぎつけた高坂組の幹部に拉致された事件で、偶然人数が増えたカルマのアジト用の店舗を下見していた佑壱が通り掛かった為、袋叩きの状態だった榊雅孝は佑壱に預けられる事になる。
天下の高坂組とは言え、グレアムの皇帝の妹の子である佑壱に逆らう事は、どう考えても得策ではない。連絡を受けて間に入った日向が組員を制した事もあるだろうが、ヤクザに囲まれて逃げ出すでもなく、最後まで他のホストを庇い続けた榊の男気を買った佑壱の本音は、『タダ同然の働き手が見つかった』だろう。当時まだ12・13歳だった佑壱は不動産を手に入れるにも、飲食店を経営するにも年齢の面で制限があった。度々『日本は遅れてやがる。アメリカだったら…』とぼやいていた事を、要は今でも覚えている。
大学生と偽って働いていた榊が医学部を目指している高校生だと知った佑壱は、受験生に経営に必要な資格の殆どを取って来いと宣った。要は内心で榊に同情したが、言われるままに片っ端から資格を取得してきた有能ぶりは認めざるえないだろう。

「ほどほどでやめて下さいよ、店が壊れるので。それとレモンティーのお代400円頂きます」
「仲良しだなァ」

人生の命運の大半は力だ。力があれば殆どの権利を手にする事が出ると、少なくとも要は思っている。繋がれた狼が子供じみた喧嘩をしている光景はまるで映画のワンシーンの様で、それを微笑ましげに眺めている男は観客の様でいて、けれど誰よりも主人公の様に見えた。要には決してなれない、選ばれた役目を持つ人間の様に。

「総長。ハヤトの仕事を見に行くって仰ってましたけど、決定事項ですか?」
「一日で終わる撮影は基本的に都内でやってるそうだ。来たいなら来ればって言ってたぞ」
「ショータが読んでる漫画のツンデレヒロインみたいな台詞ですね。それ、向こうが来て欲しいんじゃないです?」
「頑張ってお仕事しているんだ。俺達が応援してやらなきゃいけない」
「晴れ姿を見せびらかして褒められたいだけですよ、きっと。総長は何でもかんでも安請け合いし過ぎです。あんな奴を手放しで甘やかし過ぎなんです」
「ふむ。うーん、良し、抱っこするか?」

しゅばっと腕を広げた男のサングラス越しに、意志の強い眼差しが少しだけ透けて見える。そんな恥ずかしい真似が出来るかと、恐らく半年前までは思ったかも知れない。所詮この男の前で意地を張るだけ無駄なのだ。人に懐かない野良犬の様だった神崎隼人でさえ、ほんの半月で飼い慣らされた室内犬の様な有様なのだから。

「何でそんなに軽々抱けるんですか、俺はこう見えて結構鍛えているつもりなんですけど。何でそんなに男らしいんですか総長、気安くフェロモン垂れ流して変な女に騙されないで下さいよ、そんなの俺は許しませんからね…!」
「良く判らんが、判った」
「大体ハヤトより俺の方が真面目だし良い子にしてるし強いし…なのにハヤトばかり贔屓して、やっぱり俺が2番に甘んじているから怒ってるんですか、呆れ果ててるんですか、ABSOLUTELYの金髪だって2番か3番なのに!」
「要は生理中かィ?」
「カナタです。今度間違えたら…デパートで買い物中に迷子になってやりますよ!判ってるんですか、迷子センターでお呼び出しして貰いますから!」
「えっと、さーせん」

ああ、もう、何をほざいているのか。
だから嫌なのだ。圧倒的に自分より大きい存在に、打算なく甘やかされるとどうして良いか判らなくなる。際限なく甘えてしまいそうになる度に自制しなければいけないのに、優しくされた経験が少なすぎて虚勢は酷く脆い。

「…俺こそすみません。別に構わないんです。総長が優しい事は判っているんで」
「イチにお弁当を作って貰って、皆で行くんだぞ?カナタは嫌なのか?」
「別に嫌じゃないですけどっ」
「今のツンデレっぽいな」
「それより総長、撮影現場に行くならそれなりの格好をしないといけないんじゃないですか?俺、私服は今着ているこれと、ユウさんから貰ったシャツくらいしかないんですが」
「む。うーん、俺も学ランとイチから貰ったジャケット以外は、普段着しか持っていないからなァ。それに俺の普段着はカルマのイメージがアレになるから、あんまり着るなとイチに言われてる」

アレとはなんだろう。そんなミステリアスな所も好きだ。あの佑壱を負かして総長の座を得たと言う話が先走った為、正体を知りたがる者が続出した事がある。その為、俊のプライバシーを憂慮した佑壱は年齢不詳と言うオプションを上書きしているのだが、今の様にうっかり本人が『学ラン』などとプライベートを連想させる台詞を口にするので、カルマ内では恐らく高校生だろうと言う結論で一致していた。どう見ても二十歳を過ぎている様に見えるが、一番有り得そうな実はヤクザだったと言うよりは、多少救われる。

「さっきの話が聞こえてたんだが、カナタはパヤトの事が心配なんだろう?」
「別に心配と言う程では。…ただ、風邪引いて騒がせた後から二回連続で集会をサボっているので、ちょっと」
「ふむ。つまり隼人が気にしてるんじゃないかって、思っているのか」
「気にしていると言うか…アイツはプライドが高そうなので、俺達に弱っている所を見せてしまったとか何とか、ぐだぐだ考えていそうな気が…」
「あ、もしもし俺だ。今何処にいる?」

要の台詞の途中で携帯電話をパカっと開いた男は、佑壱と全く同じ機種を耳に当てながらカウンターの上に置かれているマフィンを掴んだ。光の速さで三つ消えたマフィンを目で追っていると、ペットボトルのキャップを片手で外した男はダイエットコーラをコップに注ぐ。

「そうか、ホテルでモデル仲間と食事中なのか」
「絶対嘘ですよ総長、ベッドの上で何を食べるつもりだって言ってみて下さい」
「所で隼人、お前はベッドの上で何を喰うつもりだ?」

誰がエロい声で囁けと言ったのか。時々このマイペースな総長は完璧な計算の上で行動しているんじゃないかと勘繰ってしまいそうになるが、要には判らない。きゃんきゃんと、受話口から慌てた様な声が漏れている。

「自業自得…」
「ん」
「え?」

吹き出すのを耐えた要に携帯電話を向けてきた男から条件反射で受け取ると、通話中のままだ。
既に両手でマフィンを掴んでいるカルマの総長は、テラスで催されている狂犬VS美人の腕相撲を観戦していた。勝てそうには思えないが、佑壱相手に善戦している高坂日向は馬鹿なのかも知れないと思う。あの細腕で粘るのは、誰が見ても自殺行為だ。

『ちょっとボスってば、聞いてるーっ?』
「喧しい。ぐだぐだほざいている暇があるなら、とっとと顔を出せ。テストが終わるなり遊びまわってる馬鹿なんて、永久追放しますよ」
『永久追放って、はあ?!つーか誰だよてんめー、ボスは?!』
「四重奏リーダーに向かって誰とはどう言う意味ですか?夜中までうんうん魘されてたどっかの誰かの冷えピタを二回も取り替えてやった俺を崇めるならまだしも、誰だと?」

ああ、そうだ。中等部進学科では必須科目の中国語で、要は8点も取り零してしまった。国籍が中国である大河朱雀に真顔で『お前は阿呆だったのか』と罵られてしまったが、総得点では要の方がずっと上だったのだ。然しその要より更に点数が高かった帝君は、次席の名前も知らないらしい。腹立たしい事この上ないではないか。要よりずっと弱い癖に、成績では上なのだから。

「良いですか、メンバーの誕生日会には基本的に全員参加なんです。クリスマスイブとクリスマスはそれはもう盛大に催す予定なんです。勿論総長の為に」
「うん?クリスマスは俺の為にあるのか?サンタさんが来るかも知れない?」
「聞こえましたか、こんなにクリスマスを楽しみにしている総長を裏切るつもりなら、俺はかち割ろうと思います。どっかの垂れ目の頭蓋骨とか」
『い…今から行きます、すぐ行きます、』
『ちょっとぉ、何処行くのっ?』
「何なら連れてきても構いませんよ、ええ。俺が心底適当な愛想笑いで出迎えて差し上げますから。ああでも、ユウさんや総長の前で理性を保てるお友達だったらの話ですが」
「ん?俺はまだ7個しか食べてないから腹の具合は大丈夫だぞ?理性は失ってない」
『畜生!行けばよいんだろ、行けば!』
「最初から素直にそう言えば良いんですよ。それでは食事中に急かしてすみませんでした、どんな料理を食べたのか後で写真を見せて下さい。見せられるもんなら」

心の中では叩き切る勢いだったが、総長の私物を壊す訳には行かない。控え目に閉じた携帯電話を返せば、息を弾ませた副総長と金髪がふらふらとやってくる。

「馬鹿猫め、ぜぇ、はぁ、次はマジで容赦しねぇからな…!」
「黙れ馬鹿犬…っ、はぁ、円周率くらい言える様になってからほざけ…!」
「そんくらい言えるわ!3.1415926535897932384…」
「77777÷7は」
「えっと…」
「どうなってんだテメェの頭は」

今宵もまた下らない喧嘩は決着がつかずに終わったらしい。毎日毎日、顔を合わす度に殴り合いの喧嘩を続けられる気力は素晴らしいではないか。

「ったく、途中で算数挟んでくるのは狡いっしょ、腕相撲だけならユウさんの圧勝だったべ?身内の贔屓目で副長に賭けてやったのに、儲け損ねちまった(/ω\)」
「7:3でABSOLUTELYに賭けてる奴が居たぜ。因みにオレは金髪に300円賭けてたけどな」
「ばっ、オメーもユウさんの負けて吠え面かく顔が見てぇ口かよ?!しかも300円ってショボ過ぎんだろ(ノ∀`) ま、俺も光王子に100円賭けてたんだけどよw」
「オメー、副長にゃ幾ら賭けてたんだ?」
「200円!(/ω\)」
「トータル300円じゃねーか」

悩みは尽きない。
副総長が一纏めに四匹と呼ぶ所為で四重奏と名がついた四人の内の半分が、被害者と加害者である場合。残る半分の一人が被害者でも加害者でもない当事者だとして、この状況は自業自得でしかなかった。

「そらオメー、総長と光王子だったら総長一点買いに決まってるっしょ?」
「総長じゃ賭けになんねーだろ。オレもそれなら全財産賭けるぜ」
「だべ?副長は総長の前だけ子犬振るからよ、マッスルゴリパワー半減だもんな(ノ∀`)」
「あの筋肉はお飾りかよ、半端ねーな」
「カナメもそう思うっしょ?(´Д`*)」

何度拒絶してもめげない能天気な被害者と、冷ややかな翡翠の瞳で傍聴している陪審員の様な男から逃げる事が出来ない、今の様に。

←いやん(*)(#)ばかん→
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