帝王院高等学校
ワンコと俺様ともろもろでTHEカオス
余計な事を、と。
呆れた様に舌打ちした高坂日向の視界で、赤い瞳が表情を消していく。無機質な双眸は天然石の様だったが、それがイミテーションである事を日向は知っている。

「もう十年以上前に知られてしまっている事だ」

嵯峨崎佑壱の本来の瞳の色は赤でも黒でもなく、夜を招く黄昏空の群青に似たダークサファイアだ。つまりはそれこそがグレアム一族の証である様に、帝王院帝都を名乗る前男爵を初めて見た時の事を思い起こさせる。

「マジェスティルーク=ノア、…この星の支配者にね」

我々は浅はかだった、と。白く霞んだブロンドの男は、歌う様に呟いた。言葉と表情が一致していないのは彼の持病の様なもので、悪気がない事を理解しているのはこの場では日向だけだろう。暇潰し同然、気が向いた時にロンドンへやってくるだけだった叶二葉は、イギリスの文化も風潮も知らないからだ。本音を偽り見栄と言うドレスコードを強いられるのは、何処の国でも上流階級では共通している。

「は。知られたくない秘密漁られて、怯えてるってか」
「言ってくれるけどね、駒を集めても無駄なんだ。本物の戦争はチェスじゃない」

アーサー=ヴィンセント=アランバート=ヴィーゼンバーグの視線が日向を一瞬だけ見据え、笑みを深めた。
何が面白いんだと睨みつけた所で、『君の不機嫌顔が大好物なんだよ』とでも返されるに決まっている。叶二葉の性格は紛れもなくアランバートに似ているのだろうが、アレクセイ=マチルダ=ヴィーゼンバーグの父親がアランバートではない事は、二葉本人がとっくにDNA検査で証明している事だった。

「アレクセイはとっくに死んで、誰にもバレないと安心していたのにね。マイケルは私達を恨んでいたんだろう」
「マイケル?」
「歴史に名を残す事なく死んでしまった、寂しい男の事だ」

アレクセイは誰の子なのかと言う疑問が生じる所だ。日向自身は興味がない疑問だが、二葉は恐らく調べているだろう。

「俺が一番嫌いなタイプな年寄りだ」
「光栄だね、プリンスファースト」
「最後通牒だ、その呼び方をやめろ」
「従わなかったら?」
「俺の『カエサル』の名の元に、レッドスクリプトを書いてやる」
「君のカエサル?」
「『星の支配者』に唯一匹敵しうる、俺らの飼い主だ」

佑壱が立てた親指でカラフルな後輩らを指し示すと、流石に目を丸めた準公爵は言葉を失った。

「…ノアに匹敵?」

じっと見つめてくる錦織要の視線に負けたのか、欠伸を必死で噛み殺している藤倉裕也の鋭い眼差しに負けたのか、目が合うなり愛想笑いを浮かべた高野健吾が明らかにわざとらしかったからか、笑っていないのに笑っている様に見える神崎隼人が、隣の部屋に続くドアから顔を覗かせた神崎岳士から手を振られ若干恥ずかしげに『さっさと帰れ』と言わんばかりに手を振っていたからか。
理由は定かではないが、カルマ四重奏がグレアムに負けず劣らず濃い面々である事は、この短い時間の中でもしっかり理解した筈だ。他国の貴族にかしずいてくれる様な殊勝さは、近頃の15歳にはない。

「…うん。うん。そうだったね。知ってはいたんだよ。君が庇護している雛達には、獰猛な小鳥が紛れているんだ」
「こいつらが獰猛?」

鼻で笑いながら四匹を見やった佑壱は『この雑魚共が?』の表情だが、満更でもない表情でネクタイを締め直す要とネクタイをしていないので襟を正した裕也は、いつもよりキリッとした。然し『へ?焼き鳥?(´▽`)』などとほざいて隼人から頭を叩かれている健吾は、腹が減っているのかキレがない。

「爵位を返上したエテルバルド伯爵家、最後の跡取りに」
「…うぜー呼び方すんなジジー。オレは藤倉裕也君だぜ」
「大河グループ幹部、祭楼月の外腹の子」
「失敬な。俺の父は総長だけです」
「パリで喝采を浴びたアジア人モデル」
「あは。やっぱこれだけイケメン極めてると、有名過ぎちゃうよねえ」

皺だらけの細く頼りない指で、一人一人を指差したアランバートは然し、健吾だけは一瞥しただけだった。あら?と小首を傾げた健吾は、隼人から『仲間外れにされてやんの』と嘲笑われて、ついっと唇を尖らせた。

「カナメ、ハヤトが俺だけ苛めるっしょ(;´Д`)」
「ハヤトは中身が小学生から成長していないんですよ。好きな子を苛めてしまうんでしょう」
「いい度胸じゃねーかハヤト、表に出ろや。オメーは直ちに始末するぜ」
「…カナメちゃん、気の長い隼人君も純粋に怒るよ?」

無表情の裕也にガッと顔を鷲掴まれた隼人は、両手で引き剥がしながら真顔で呟く。確かに健吾は顔だけ可愛らしいが、中身はただの変態だ。誘われても勃起しない相手ランキングが隼人にあれば、健吾は堂々の一位に君臨するだろう。凄まじい冤罪に怒る気力もないが、瞬発力こそないものの持久力はある裕也の手を引き剥がすのに精一杯で、今はとにかく誰かに助けて欲しい。

「おい、何でハヤト苛めてんだよユーヤ(^q^)」

とうとう売りの顔を潰されそうだった隼人に、救いの声が掛けられた。然し健吾は、そっぽ向いて肩を震わせている要と共に、明らかに笑いを耐えている。隼人に両手で引き剥がされた裕也は真顔で、『何でオレが悪者なんだよ』と呟いた。

「君の飼い主がどんな人物かは知らないけれど、君とヴァーゴ、加えてルーク=ノアは、マイケルの子に育てられた」
「俺を気安く指差すな。誰だっつってんだよ」
「私の古い友人さ」

健吾を飛ばして指差された佑壱は、騒がしい舎弟には構わない。お子様がお子様らしくはしゃいでいる様にしか見えないからだ。少々はしゃぎ過ぎだと恥ずかしくなったものの、また『口煩い』と言われたくないので冷静さを装う。

「彼の異母妹が生んだ子供がアレクセイだった。大層厄介だよ、狭い島国の貴族階級は」
「殴りたくなってきた。会話する気がねぇなら失せろ、俺には死に損ないの独り言に付き合ってやる暇はねぇ」
「マイケル=C=スミスと言う名に心当たりは?」
「…あ?」
「マチルダが生んだ二人目の子供は、そこの彼と顔馴染みなんだろう?」

ついっとアランバートが指差した先、二葉に叩かれた頬を押さえたまま、壁の花になっている金髪が見える。
げっそり落ち込んでいる男は皆の視線に気づくとオロオロし始めたが、わざとらしく背を向けてカーテンに張りつくと、そのまま動かなくなった。

「冗談だろ」
「It is what it is.(嘘じゃない)」

佑壱は表情を判り易く歪めると、ぴたりと沈黙した。

「ロンドンで最も悪名高い傾国の美姫、エリザベート=マチルダ=ヴィーゼンバーグが生んだ『キング』と『マイケル』は、現代に生きるソロモンを誕生させてしまった」

人間でありながら全知に至った王の名前は、いつかあの男を指す代名詞だったものだ。

「9番目の男爵は9歳の子供に爵位を譲ったのではなく、奪われたのではないかと」
「…」
「だとすれば我々は思い上がっていた。警戒するのは君や二葉ではなく、やはりアルビノだった。…知った時にはもう、アレクセイは死んで、ベアトリスは結婚していた」
「ベアトリス」
「知らなかったかい?ベルハーツは私が名づけたんだ。この子の母親を『作った』時に、そうした様に」
「まさか…」
「私はブリテン島を呪っていた。遥か昔、この世に生を受けて間もなくから」
「…いい加減にしろ、祖父さん」
「黙ってろ高坂」

此処を何処だと思っていると、日向が嗜めるより早く佑壱が呟いた。表情に怒りこそ見えなかったが、二葉が無視を決め込んでいるのであれば、もうこれ以上隠す事は出来ないのだろう。

「My name is scarecrow only at underground.(私の名前は『スケアクロウ』、地下限定でね)」
「…道理で、ルークが高坂に役をやる訳だ。テメーもキングの円卓の人柱って事か」
「言っただだろう、私は男爵家を恨んでいる。アメリカに憧れたのは、ほんの十数年間だったよ」
「何で辞めた?」
「君に話してもどうせ信じない」
「信じるかどうかは俺が決める」
「私はね、初恋の人と結婚したんだ」
「あ?」
「舞い上がるほど嬉しかったよ。けれどいつまで待っても寝室に呼んでくれないから、状況を変えたかった。ハンプティダンプティは、壁から落とされたかったんだ」
「訳が判らんジジイだ、舐めてんのか」
「ユウさん、俺は判りますよ」
「「「は?」」」

今にも舌打ちしそうな佑壱の前に、すっと歩み出た青頭の所為で残りの四重奏の目が丸くなる。人の感情の機微なんてものが左脳主義を極めている守銭奴に理解出来る筈がないと、オレンジと緑と垂れ目は顔を寄せ合った。

「どう足掻いても好転しないなら、いっそ。何が切っ掛けになるかなんてやってみないと判らないでしょう?荒療治が効果的な時があったりしますからね、現実には」
「ユーヤ、カナメが何かカッケー感じな事言ってるっしょ!(〇д〇)」
「何したんだハヤト、オメー責任取って結婚しろ」
「はあ?!俺が何したっつーんだカメムシ頭、カナメが意味不明なのはいつもの事だろ!」
「Shut up or kiss my ass.(黙るか死ね)」

賑やかなカルマはオカンの拳の音で沈黙した。今日一日で何度も殴られていては、死期が早まる。佑壱の冷静な態度がいつまでも続く筈がなかった。何せこの場に飼い主の姿はなく、山田太陽はサスペンスドラマの脇役ばりに刺されている。佑壱とは違い、太陽はどの角度から見ても一度刺されたら呆気なく死んでしまいそうだ。何せ足首が佑壱の手首ほどしかない。
入学式典からこっち、高カロリーなのにあっさりなおやつとおかずを量産し、俊に食わせるついでにしれっと太陽にも食わせてきた佑壱の努力が実を結ぶ前に殺されては堪らない。うちの末っ子に何してくれやがる、と、雄叫びを上げながら犯人を殴り殺してやりたい気分なのに、天敵の二葉がいるから冷静な態度を装っていただけだ。

「君達も年相応の子供に見えるけれど、違うんだね。凶暴なケルベロスを、普通の少年にしてしまう」

見つめられたカルマは、一斉ににゅっと唇を尖らせた。佑壱が良くやる仕草だが、いつの間にか仕草まで似てきている舎弟達は今の自分の表情を知らないらしい。全員アヒル口になっているので窓の外がざわめいているが、窓を閉めれば防音対策バッチリな私立校の保健室は静かだ。

「テメェ、何がうっかり寝てただボケカスァ!誰に似たらそんなうっかり八兵衛に育ちやがるァ!俺かァ!この鬼神と恐れ崇められた俺の血か、直江ぇえええ!はァ?!俊江は何処でも寝転がっただァ?!知るかァ!あれは女でも人類でもない、ただの鬼畜だろうがァ!誰の孫が鬼畜だボケェ!俺の可愛い孫娘に向かって失礼ぶっこいて…あ、いや、お前も可愛い孫だょ。うん、じーちゃん直江も可愛いと思ってるから。うんうん、今のはじーちゃんちょっと言い過ぎたな、ごめんな」
「おや?遠野先生は孫馬鹿なんですか?うちの社長も何だかんだで息子には甘いんですがねぇ」
「コホン。ええい、グズグズ喧しい!今すぐ駆け足で来やがれェイ!」

廊下で叫び散らしている百歳オーバーの白衣だけが異世界の騒がしさだが、すっかりBGMと化しているので問題はない。遠野夜刀を止められる勇者は存在しないので、アレに関しては放置にするしかなかった。嵯峨崎財閥の鬼畜秘書だけが、鬼外科医を上手に揶揄っている様だ。

「私達の孫は全員聡明な子に育ってくれている。それでも、私は足りないと考えた」
「狸揃いの社交界には?」
「ふふ。…けれど、奇跡を越えた神秘は、君だよ」

皺だらけの痩せた手を持ち上げた男の指が、真っ直ぐ一人を指し示す。
指差された本人は目を丸め、『へぁ?』などと素っ頓狂な声を出し、訳が判らないとばかりに首を傾げた。すっかりスルーされているとばかり思っていたが、満を持してと言う事か。

「彼の有名なジェームズ=デビッドソン然り、オズモンド=リンドバーグ然り」

さっと表情を消した健吾に、英国紳士は笑みを深める。アヒル口を真っ先にやめた健吾に気づいた佑壱は、日向に近寄って『オズモンドって?』と質問した。日向は『知らね』と呟いて足を踏まれた。
視界の端でゴリラと王子様がいちゃついている様に見えた某モデルだけが、イラっと唇を鋭く尖らせる。下半身ゆるゆる野郎にゴツい母親を誑かされている様な気になっている様だが、貞操のなさに関しては隼人は日向の事を詰れない。然し面白くないものは面白くないので、心のデスノートに高坂日向の名前をしっかり書き残した。根に持ったら絶対に忘れないのが、神崎隼人の最大の長所にして欠点である。

「君のピアノで、演奏を辞めたピアニストは何人も存在する。ジェームズは現代音楽の作曲家に転向し、オズモンドは故郷のブライトンで優雅なヨット生活だ」
「知らねぇっしょ、んな奴ら。つか俺、関係ねーし」

隼人の葛藤に気づかない健吾は無駄に爽やかな笑顔を浮かべ、窓の向こうから盛大なフラッシュを浴びた。手持ち無沙汰とアウェー感に居た堪れなくなってしまったらしい外国人が、うっかりカーテンを開けてしまったからだ。

「現代医学の進歩を感じずにはいられないね。本当に、あの怪我で良く生きていた」
「うひゃ、イミフ。おっさん、日本語の勉強が足んねぇよ?(´・ω・`)」
「簡単さ、私のあの場に居た。それも君のわりと近く」
「近く?(´・ω・`)」
「ジャン=ピエール=ベッケンバウアーが最後に育てた指揮者の隣と言えば、判ってくれるだろう?」
「…」
「君はあの時、確かにその体に神を宿していた。グレアムに対する殺意を、ほんの一時でも忘れさせてくれたんだ」

殺意と言う強い言葉で、少年らは沈黙した。
携帯電話を耳に当てて廊下で怒鳴り散らしている遠野夜刀も気に掛かるが、最近のお年寄りは随分物騒だ。この場で唯一グレアムを名乗れる立場である筈の男だけは、表情を変えない。

「私は呪っている。どうして我が祖先は奴らを野放しにしてしまったのだろうかと、90年以上生きてきたのに憎悪は消えてなくならない」
「さして興味はねぇが、ルークと違って俺は懐が広い男だ。健吾をそこまで評価する理由は何だ?」
「孫が酷い怪我をしたんだ。誕生日間近の夏の日本で」
「ふん、それで?」

舌打ちの気配を横目で認めた佑壱は、日向が制止する前に聞き出そうと腕を組んだ。

「平和だと思っていただけに想定外だったよ。生まれてすぐに可哀相な目に合わせてしまった子だから、どの孫より気にかけていた」
「やめろ」
「そりゃ大変だったな」

とうとう口を開いた日向の前に身を乗り出した佑壱は、皆の視界の下で再び日向の足を踏む。革靴のお蔭で痛みこそないものの、条件反射で佑壱の肩を掴もうとした日向は辛うじて留まった。傷口が開いてはいけないと理性が働いた日向を知ってか知らずか、佑壱の足は未だ日向を踏んだままだ。あの四重奏にしてこの馬鹿犬あり。

「安心しろじーさん、テメーの孫はこの通りどっちもピンピンしてる。叶は殺しても死なねぇし、高坂は淫乱だから結局性病でシぬ運命だ」
「表に出るか嵯峨崎」

日向の前で神妙な面持ちをした佑壱が、パンっと手を合わせた。冷めた笑みを浮かべた中央委員会副会長は『ご愁傷様でス』とほざいた佑壱の頭を鷲掴んだが、ほぼ同時にガシッと喉を鷲掴まれてしまったのである。

「俺の握力と勝負するつもりかサブマジェスティさんよ。…頭蓋骨と頚椎、どっちが耐久性があんだろうなぁ?」
「的確に急所狙ってくんな。ド変態が」
「は。テメーの腰遣いにゃ負…っ、痛!」
「黙れ馬鹿犬」

余計な一言をほざこうとした佑壱は笑顔の日向にバシッと顔を叩かれ、ムスッと黙り込んだ。口を塞ぐだけのつもりが力を込め過ぎた日向は自己嫌悪しつつも、ジトっと嫌な目で睨んでくるカルマからさり気なく目を逸らす。
この件に関して日向だけが悪い訳ではない筈だ。何せほぼ100%、誘ってくるのは向こうからだった。ありとあらゆるセクシー攻撃で挑んでくるのだ。誰がと言われれば単純明快、犬印の堕天使である。ファーストキスを奪っていったかと思えばシャワー中に突入してきたり、執務室で大股開いてくれたりする大変けしからん犬の事だ。

「確かに、私の孫は元気そうだねぇ」
「煩ぇ、コイツに要らん事を吹き込むな。益々馬鹿になったらどうしてくれる」
「奇遇だなじーさん、俺もヴィーゼンバーグに殺意を覚えた。とりあえず高坂はぶっ殺す」
「君はベルハーツと親しい様だ」
「叶より高坂の方がちょっとマシ」
「…どう言う意味だテメェ、遥かにマシだろうが」

神よ。これは何の試練でしょう。清らかではないけれど、17歳の青少年には死より辛い時があるのです。何故なら青少年なので、目の前でゴリラが股を開いていても多分興奮する年頃なんじゃないかと思います。敬具。
高坂日向による神様宛の手紙は、彼の精神状況を見事に表現している。どれほど遊び慣れていても17歳なのだから、盛り上がってやる事やった後に迎える賢者タイムはもう凄く長い。隣でスヨスヨ眠っている赤毛の眠り姫を絞め殺し、首を吊ってしまいたくなる程には。

「私の気持ちをご理解頂けるかな、ファースト」
「勝てる見込みがねぇって判ってて、俺を殺したいって事はな」
「そうとも。君の体に我が家の血が流れていようと、意味はない。君は我が伯父と祖父が殺し損ねた、リヴァイ=グレアムの子孫だ」
「ほざけ。テメーの祖父は前国王だろ?」

然し此処で一つ大問題が生じた。寝た子は起こすな。一度寝た佑壱を起こすな。
早朝から訳の判らない言語で口説かれそうになったり、胸板を揉まれたりすれば痛いほど学ぶ。ああ、学んだとも。寝起きの佑壱はいつもより動きが鈍いので何とかなるが、日向としても朝っぱらから暴力を振るいたくはない。

「ああ、悪かったな、違ぇか。テメーの父親だったな、今の女王の祖父が」
「イングランドでは口にする者は存在しないけれど、野蛮なアメリカンには判らないかな?」
「Smettila, Figlio di puttana.(黙れサノバビッチ)」
「成程、イタリアンだったか。これは失礼」
「俺に国籍なんざ無意味だ。蟻がモグラ相手に縄張りを主張した所で、喧嘩にもなりゃしねぇ」
「そうだね。愚かな人間が日々国同士で争っていても、宇宙船が侵略にやってくるなら、手と手を取り合って地球を守る筈だ。つまり私が言いたかったのは、今君が言った例え話と同じだよ」
「駒を掻き集めても無駄って話だろ?」

口を挟む隙が見つからず、無言ながらこの場の誰よりハラハラしている日向を余所に、イギリス人と無国籍系オカンの冷戦は終了した様だ。どちらも悪い意味で血の気が多い者同士なのでヒヤヒヤしたが、日向が思っているより佑壱は大人だったらしい。何せほぼ毎日顔を合わせるなり殴られていた日向は、佑壱の手の速さに関しては全く信用がないのだ。

「世界は不条理に埋め尽くされていて、殆どの場合、人間には為す術がない」
「まぁな」
「だからあの瞬間、ヴィーナスの首が彼を押し潰した時」

佑壱から目を離した男のサファイアの瞳が、健吾へ向けられた。

「私はこの世の不条理を痛感すると共に、真に恨むべきは神の領域へ踏み込んだ薬師などではなく、神そのものなのだと思ったんだ」

健吾は口を開かない。

「娘が死の淵へ追いやられた時も。孫が傷ついた時も。私と同じ様な育ちを強いられたマイケルがひっそりと死んだ時もそう、地球の神は弱い者には優しくない。聖書には人は皆平等だと記されているが、なんて自由で不条理な、都合の良い言葉だろう」
「喋り過ぎだ、祖父さん。そろそろ黙ってろ、体に障るぞ」
「死に掛けてるジジイの遺言くらい聞いてやれよ。空気が読めねぇ猫だな」

日向の足を強めに蹴った佑壱は分厚い唇を尖らせる。大したダメージがないので放置した日向に、隼人の灰色の瞳が注がれていた。まるで『何いちゃついてやがる』と言わんばかりの目だ。日向は光の速さで気づいた。つーか無視するのもそろそろ精神的に辛いくらい至近距離から、堂々と睨まれている。

「ちょっとユウさん、バイ菌が移るからこんなヤリチンカス野郎に気安く触っちゃ、駄目でしょお?なあんでそんな簡単な事も判んないのかなあ、ほんと脳筋だよねえ、馬鹿なのお?あ、馬鹿だったよねえ、二次関数は判るのに分数が出来ないお茶目なトコあるもんねえ」
「テメー、隼人。高坂をガン見しながら俺の悪口を言いまくるのやめろ、殴るぞ」
「どう見てもコイツより隼人君のほーがイケてるのに、なあんでンな傲慢ジジイといちゃついてんのって聞いてんのお。ユウさんフケ専だっけ?」
「あ?フケ専だと?」
「だってさあ、同じイケメンだったら若い方がよいでしょ?」

何て不条理なのだろう。一方的に蹴られているだけなのに、何故責められなければならないのか。
蹴られている日向から佑壱を引き剥がそうとしている隼人は、パンパンと佑壱の体を手で叩いている。まるで汚れがついているから払おうと言わんばかりだ。

「ほら、その子が言う様に人は何かしら選択するものだ。そこに平等など存在しない。選ばれるか選ばれないか、つまりは報われるか報われないか」
「この馬鹿の意味不明な行動で無理矢理こじつけんじゃねぇ。退け隼人、お前は野良猫か」

日向をオラオラした態度で睨めつけていた隼人の襟を鷲掴んだ佑壱は、シャーシャー威嚇する猫を思い浮かべながらぽいっと隼人を投げた。何と言う軽さだろう。隼人は佑壱より背が高いのに、まるで羽毛の様だ。もう少し食べさせようと、佑壱は内心呟いた。モデルの体脂肪が今後どう転がるかは、今の所不透明だ。

「選ばせる権利を他人に委ねるから失敗するんだろうが。常に選ぶ側に回ってれば、何の問題もねぇ」
「そうかな?真実は常に、人の手によって歪められている」
「意味不明な事ばっか言ってんなよ。アンタ、孫そっくりなウザさだわ。褒め遣わしてやるっしょ(´・ω・`)」
「あの爆発を起こした犯人が、本当にただのマフィアだとでも?」
「やめろ」

口を開いたのは日向や健吾ではなく、その隣で瞬き一つしない男だった。無論、佑壱でもない。

「My mother has killed me, My father is eating me, My brothers and sisters sit under the table, Picking up bury them under the cold marble stones.(当事者が口を固く閉ざしてしまえば、部外者に知る権利は与えられない)」
「知った風な口を聞くんじゃねー、島民如きが」
「Born on Monday, Christened on Tuesday, Married on Wednesday, Took ill on Thursday...(月曜日に生まれ、火曜日に洗礼を受けると水曜日に結婚し、木曜日に病んでしまった…)」
「イギリス人はマザーグースしか知らねーのかよ。生きる価値なしだぜ」
「Hier bin ich Mensch, hier darf ichs sein!(この場では私もただの人間、人間らしく振舞っても許される!)」

凍りついた様なエメラルドが真っ直ぐに、殺戮対象を見つけた獣の如く老人を見据えている。今にも飛び出していきそうな気配に、溜息を零した佑壱が眉を跳ねた。

「Wenn du schlechte Laune hast mach ein bisschen Sport.(血の気が有り余ってんならストレッチでもやってろ)」

ぷいっとそっぽ向いた裕也は、明らかにただ不貞腐れているだけではない様だ。

「裕也」
「Ja, Ich finde Ihre Idee gut.(そうするぜ)」

然し佑壱の右手が恐ろしい音をバキッと奏でたので、渋々従う事にしたらしい。スラックスのポケットに両手を突っ込んだまま、緑頭が無言でスクワットを始めた。頬を掻いた健吾は恐る恐る要を見やったが、カルマで最も冷静沈着(と言う名のマイペース)と名高い男は、胸元から取り出した手帳を隼人へ叩きつけた。水没した際に濡れたらしく、表紙が歪んで波打っている。

「何?」
「俺が金を貸した人間のリストが載ってます。最後の欄はお前」
「…だから本日中に返すってばあ」
「今から俺は心底馬鹿げた与太話をするので、俺を認められないと思ったら破るなり燃やすなり、好きに処分して下さい」
「は?え?どゆこと?」
「ケンゴが重傷を負ったテロの爆薬は、」
「やめなさい、祭青蘭」

唐突な要の台詞を止めたのは、裕也のスクワット姿を愉快げに眺めていたアランバートだ。軽く眉を潜めつつ、困った様な表情で要を見上げている。

「あの時、君は余りにも幼い子供だった」
「理由になりません。あれは、」
「だったら聞くが、君は知っているのかな?あのパーティーそのものが、仕組まれたものだった事を」
「…え?」
「Heyじーさん、俺に断りなくうちの餓鬼共で遊ぶな。手元が狂ってぶっ殺すぞ?」

怪訝げに眉を跳ねた要の頭をぽんっと叩いた佑壱は、地を這う様な声で呟く。ビクッと肩を震わせた要の目には然し、いつもと変わらない表情の副総長があるだけだ。怒っている様には見えない。

「その様子だと、君は真実を知っているんだね。流石は、対外実働部マスター…かな?」
「ステルシリーを嗅ぎ回る為に、アンタは世界中飛び回ってたっつー訳か」
「さぁ、どうだろう。エリザベート=マチルダ=ヴィーゼンバーグの様に、股も頭も緩い馬鹿女の血を引く君には判らないかも知れないね」
「血の気が多いジジイだ。叶はテメーに似たんだな」
「哀れだと思うんだ。名前があって、理由がなくても生きる事を許されているのに、何も成し遂げない人間が」

表情を歪めた要は佑壱から頭をぐしゃぐしゃと掻き回され、一瞬でフラフラだ。先程の隼人の様にぽいっと投げられ、フラフラとたたらを踏んだ要は、慌てて腕を広げた健吾の前で隼人にキャッチされる。ぱちぱちと瞬いた健吾の前で、垂れ目は何故か勝ち誇った表情だ。真顔のまま目を回している要は気づいていない。

「哀れで、それでいて羨ましいんだよ、私はね」
「じーさんは成し遂げてんのか」
「そうとも。私の人生は全て、セシルの為にあった。今までもこれからも私の全ては、妻の為にあるんだ」
「は。その体で」
「どう言う意味だね?」
「臭ぇんだよ。俺の鼻を騙せると思ってんのか」
「…鼻?」
「アンタよりタチが悪いジジイを俺は知ってる。男爵でも公爵でもねぇ、奴は伯爵の弟だった」
「?」
「死に損ないがあんま強がんな。哀れ通り越して、殴りたくなる」

余りにも鋭い舌打ちが響いた為、ほぼ全員の視線が日向に集中したが、日向はポカンと佑壱を凝視していた。スクワットをしている裕也も、要を抱えたままの隼人も、腕を広げたままの健吾も、誰もが見事に動きを止めている。

「ヴィーゼンバーグがグレアムの敵じゃねぇ事も、要が何も悪くねぇ事も、ネルヴァの自殺が失敗した事も、何ならネルヴァの協力者が大河白燕だったっつー事も。知ってんのは、俺だけじゃねぇ筈だ」
「待ってくれファースト、君は一体何を…」

明らかに表情を崩したアランバートが慌てた様に口を開くのを余所に、獰猛な笑みを浮かべた真紅の狼は真っ直ぐ、獲物を見据えたのだ。


「It's right, Fucking naked wolf?(だよなぁ、くそったれネイキッド?)」

白でも黒でもない、藍色の浴衣を。

←いやん(*)(#)ばかん→
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