帝王院高等学校
お忙しい保健室では何も休まりません
「素直に謝るのか」

揶揄めいた笑みをじわりと滲ませた男は、スカイブルーの瞳を細めた。

「騙しているなら素晴らしい演技力だね。私には君が年相応の子供に見える」
「あ?何だと?」
「…君は噂以上に面白い男だ、ケンブリッジのブラッディケルベロス」

笑われているのかと眉間に皺を寄せた嵯峨崎佑壱は然し、何とも言えない表情で見つめてくる複数の目に気づくと、きょとんと首を傾げる。然しそれ以上に突き刺さる視線を感じたので、佑壱は表情を消した。

「おい、テメーらその目は何だコラァ」
「気にしないで下さいユウさん、俺は今の複雑な感情を口にしたくないんです」
「志操堅固、剛毅果断、唯我独尊、高牙大纛、俺らの副総長はいつの間にか変わっちまってたべ(((´ω`)))」
「まー、アレだぜ。灰を飲み胃を洗うっつーだろ?とてもそうには見えねーが、あれでも17歳なんだしよ」
「レジストなんかに言い負かされてる奴なんて、もうママじゃなくて弱ゴリラだよねえ。今日からクソババアって呼ぼっと」

沈痛な面持ちの錦織要以下、わざとらしく嘆いた振りをしている高野健吾も相変わらず表情が殆ど変わらない藤倉裕也も癇に障る事この上ないが、最もムカつくのは哀れみの笑みを浮かべた神崎隼人だろう。口元を大きな手で覆ってそっぽ向いた高坂日向もムカつくが、日向は一言も喋っていない。

「クソババアは酷いでしょう、クソババアは。ユウさんは女子力がムキムキなだけで、どう見ても厳つい男ですよ?」
「そうだべ。こんな厳ついババアが存在すっか、怖くて外出歩けねぇだろぃ。日本中のクソババアに失礼っしょ?(´・ω・`)」
「普通にクソジジイで良いんじゃね?今は筋肉野郎でも、歳取りゃヨボヨボのジジイになんだろ?」
「ヨボヨボの弱っちいゴリラじゃお先真っ暗だよねえ、煮ても焼いても食べらんない固さだしい」
「上等だテメーら、とりあえず片っ端から殴らせろ」

カラフルな舎弟がわざとらしく顔を寄せ合い、明らかに隠す気がない堂々とした陰口を叩いているので、佑壱は両手の骨でロックな音を奏でた。全く関係ない平凡な一年生は一斉に怯え、『全然弱くない』『ゴリラより強そう』と囁きあっている。佑壱が四重奏を虐待している事で外がざわめいた為、カフェ店長は素早くカーテンを閉めた。その早業に目を丸めた専門学生は、『お前何か老けた?』と小首を傾げる。

「ちょっと座っとけよ。榊、顔がやばいぞ?いや、やばいっつってもお前はイケメンだから大丈夫だ、気をしっかり持て」
「…少し黙ってろ武蔵野、お前の気遣いは80%空回ってるんだ」
「えっ、マジで?!千景、兄ちゃんそんな感じなの?!」
「え?あー、うん。兄さんはなんて言うか、色んなシステムのつまみが強弱の2種類しかない感じかな…?」
「え?え?どどどどう言う意味なの?ちーちゃん、兄ちゃんにも判る様に言ってくれる?」

老けたのではない、窶れているだけだ。
連日の過酷なカフェ営業と、年々熾烈化していく甥っ子の殺人拳骨がいつか事件を起こすのではないかと毎日怯えているので、メンタルがボロボロと言うだけだ。別にさっきキング=ノヴァとネルヴァに遭遇してしまったからではない、カルマのお蔭でメンタルがやばいだけなのだ。

「えっと、兄さんは普通が出来ない人って事かな…」
「普通じゃない奴?!俺ってそんなに駄目な男なのか?!えーっ、超ショック!俊にも言われた事ねぇよ?!」

嘆いている専門学生には悪いが、榊雅孝は哀れみの目を向けた。
中学時代から嵯峨崎零人を目の敵にし、街中で遭遇する度に飛び蹴りを放って逃げ延びている『エセヤンキー』は、都内狭しとは言え斎藤千明だけだ。始めの頃は絶対に捕まえてヒィヒィ言わせてやると憤慨していた零人が、途中から『アイツ面白いな』と褒め始めた程には、愉快な餓鬼だった。
真面目に鍛えている訳でもないのに天性の才能だけで喧嘩が強かった零人に、一度も触れられていないと言う所からして普通ではないが、極めつけと言えば、

『おい、榊。アイツ面白いから紹介してくれよ』
『はぁ?嫌われてるのは判ってるんだろう?』
『ああ、餓鬼だもんなぁ。一発抱いてやればキャラ変するんじゃねぇかって、な』
『…悪い冗談はよせ』

これだ。
誰に似たのか超肉食の零人はストライクゾーンが無限だった。節操のなさは佑壱どころではなかった。男も女も誘われたら片っ端から食い散らしていく癖に、『普通の交際』は一切しない。そんな普通ではない男に目をつけられている事を知らないまま、平凡な少年は高校時代に家業を継ぐ覚悟を決めてからは真面目に学ぶ様になり、反抗期を終了した。零人は斎藤を探していた事をすぐに忘れ、以降もフィーバーにフィーバーを重ねていったと言う訳だ。
これで心配はなくなったと、佑壱の傍で開業し店の経営に尽力してた榊は、目を離した隙に『エセヤンキー』が『化け物』を育てていた事を知ったのである。

斎藤千明は全然まともではない。
ほぼ全人類が会話が通じないと称するだろう遠野俊に対し、『お前口下手だからこれ読め』と言ってコミュニケーションブックを差し出すほどには、馬鹿だ。そして馬鹿だが純粋で至極真っ直ぐな性格故に、『覚悟を決めたらやり遂げろ』と言う頑固な所もある。実の弟の『つまみが2種類しかない』と言う言葉通り、一か八かしかない。

『なぁ、すんこ。仮面ダレダーも言ってるだろ、悪は滅びなければならないって』

可愛い甥っ子がやりちんだろうが、ゴリラだろうが、そんなものは良い。つまらない問題だ。

『悪人には罰を与えないといけないんだぞ。それでも謝れない奴は徹底的に痛めつけなきゃ、反省しねぇもんなんだ』
『でももし死んでしまったら、反省させられない』
『そりゃ仕方ない。自業自得だ。仮面ダレダーはいつも本気だから、手加減なんてしねぇだろ?』
『そうか』
『本気じゃない奴の言葉も行動も、誰にも響かねぇよ。男なら何事も全力でやり遂げるもんだ、判るか?』
『判る』
『だからお前が不良とつるむってんなら、舐められない様にヤンキーの哲学って奴を勉強しないと駄目だ。これも判るな?』
『判る』

問題は、馬鹿と馬鹿の会話にツッコミ(榊)が存在しなかった事だ。何故あの時、榊はカフェの仕込みで腱鞘炎に苦しんでいたのだろう。腱鞘炎など気合で直しておけば良かった。24時間張りついておけば良かった。可愛い甥っ子ではなく、可愛い義弟の息子…つまりこっちもやはり甥っ子になる訳だが、零人や佑壱とはまるで違う人種に張りついておくべきだったのだ。

『だからまずは修行だ!俊江さんにバレたら殺される事も考慮した上で、とにかく強くなれ!一番だ!日本一獲ってこい!あと学校サボって卒業出来なくなってもやばいから、そこんとこはちゃんとしろよ。俺みたいに追試で死にかける羽目になんなよ、判ったな』
『判った。そこんとこはイイ考えがある』
『流石、地味で口下手だけど頭だけは良い奴だな。俺とは大違いだよ。あとは喧嘩に負けない腕前だけだな。お前ほんと弱っちいからなぁ』
『ごめん』
『ひょいひょい絡まれてひょいひょい殴られてんじゃないよ。やられる前にやれ。無理なら逃げろ。藤倉道場最後の弟子の俺が、合気道の極意を教え込んでやる。今日から俺の事は兄貴と呼べ!』
『千明兄ちゃん、おばさんが呼んでる』
『やっべ、家の手伝いするって約束忘れてた…!』

馬鹿と馬鹿は馬鹿と馬鹿故に小さな事件を巻き起こしていた訳だが、それを知っているのは恐らく榊だけだ。それもそれを知ったのは随分後の事で、言わば後のフェスティバルだった。手遅れだと言う事だ。

「…胃薬貰えるか聞いてみよう」

廊下で情熱的に怒鳴り散らしている恐ろしい白衣を見る勇気がない榊は、眼鏡を押し上げた。あの遠野龍一郎に『パパと呼べ』と宣う鬼神は、伝説上のメアの実兄だと言うのだから恐怖しか感じない。
遠野夜人の兄の曾孫で、オリオンの孫で、帝王院秀皇の息子で、つまり帝王院駿河の孫。いずれ天神になるべく生み落ちた、森羅万象を吸収する陰陽道の寵児。


『知りたかったのか』

創世記、神は大雨で世界を掃除したそうだ。

『ブラックシープの遺伝子の半分が、本当にお前のものなのか』

人の記憶もそうであれば、少しは救われるのかも知れない。所詮は実現する筈もない希望的観測だ。

『ましてや、そんな事が贖罪になると』
『違う』
『だとしたら些細な好奇心か。俺の宝石が望まないものは、邪魔をするぞ。だってお前は太郎、俺の犬だろう?』

人質の様だった。
例えば世間知らずの『天使』、あの寂しい教会で誰からも祝福される事なく生まれてきた真紅の髪の赤子が、『兄』と呼び慕う黒髪の少年を見た時に。(そっくりだと思ったのだ)(漆黒の学生服)(地下では黒は神の色だった)(最後に見たのは真っ白なブレザーを纏う、絶望を宿した漆黒の眼差し)

『兄さん』
『俺の大切なルビー。俺は生まれる前から騎士だった』
『そんなに俺が目障りだったなら、もっと早くそう言えば良かっただろう?』
『お前の所為で死んだ秀隆は生き返った。逃げた秀皇が永遠に戻らない代わりに、クロノスは生き続ける。つまりお前の犯した罪は、何処にも存在しない』
『こんな回りくどい事をしなくても、言ってくれればいつでも消えたのに…』

人質の様だった。
妹を慰めてやる事も出来ず、義弟を苦しめて、更には我が子の存在を求めもしなかったいつかの自分に与えられた天罰の様だと。(賢い天の子が殺意を込めて叫んだ声を覚えている)(決して人を威嚇する事がなかった大人しい犬が吠える声も)(鋭い刃の如き牙も)(鮮やかなステンドグラスが満月を背景に飛び散る光景も)(久し振りに見た、自分のものではないダークサファイアさえ)

『無責任な大人達が捨てたものを俺が拾ったんだ。お前と父は己の欲の為にあれを捨てた』

全てを記憶していた所為で、空虚な人形に悟られてしまった。
気紛れの様に人助けをする天神の末裔は、生死の境を無機質な双眸で眺めている。生きている人間も死んだ人間も何ら変わりなく、彼の頭の中では演じているからだ。個々の人生を、まるで物語の舞台の様に。

『太郎。榊雅孝。お前がどちらの立場を選んでも、俺を止める事は出来ない。何故ならば俺は、この身体に空蝉を集わせた人形。人の形をした、朝と夜の境目の器』
『…帝王院を継ぐつもりなのか。そうだろう、秀皇が手放してしまっても、お前は正当な後継者だ。そして兄様を退ける事が可能なのは、私でも秀皇でもない。ノアに恐怖を抱かない者だけ。彼は偽りの私とは違う』
『神も悪魔もどうでもイイ。存在しないものは俺の中に宿る事はないからだ。でもお前は違う。榊家の血を繋げられる人生を選択した癖に、どうしてイチに近づいた?』
『…』
『ゼロだったか。同級生の権利を手に入れて、欲を抑えられなくなったのか』
『違う、私は』
『エアリアス=アシュレイが犯した罪で生まれた子供が可哀想だったか?』

記憶を消してしまっていれば。(例えば筋書き通り正しく死んでいれば)(生まれ変わった訳ではない)(生まれた瞬間から変わらずにこの世界は)(一欠片の希望さえ存在しない地獄だった)(それだけの事だ)

『望んで生まれてきた人間は一人も居ない。望んで死ぬ者もいればそうでない者も存在するけれど、誕生だけは選択する事が出来ない。お前は自分と同じ立場の零人に同情した』
『…違う。やめてくれナイト、私にそんな権利はない』
『俺は常に、一般的に言われる最悪のケースを想像するんだ。それ以外は希望に溢れているからだ』
『希望…?』
『俺が描く脚本に絶望は存在しない。俺ではない俺は軈て、一人残らず幸せになる物語を描くだろう。脚本は既に定められている。それは俺ではない俺が歩むだろう、平凡で醜悪な開幕になる』
『何を考えている?』
『それを知ってどうする?お前は時折、下らない事を知りたがる。知りたがるのは知っても動じない精神を持つ者でなければ、辿り着くのは崩壊だ。エルサレムの王の様に。進歩を続けると迫害される。違うか、男爵の影?』
『…』
『誰も望まない真実の証明は、何を裁く為なんだ?俺には判らない事がまだ存在する』

希望とは、それを願う者の元には気紛れでもたらされる奇跡だ。形振り構わず手を伸ばしても多くの場合は届かず、命を差し出しても手に入れられない人間の方が圧倒的に多い。

『誕生を選べない人間にも、死に方を選ぶ権利はある。朝を願い眠る事も、永久の夜に残されるのも自由だ。けれどそれは人間の権利に他ならない』
『…そう言う事か』
『お前と花子は俺の犬だ。自由に戯れる権利はあっても、死を選ぶ事は許可していない』
『私達がお前の駒になるなら、好きに使え。…榊である限り私にも、叶である限り彼女にも拒否の意思はない』
『誰かに』
『…誰か?』
『赦されたいだけなら、相手をちゃんと見極めろ。俺は誰をも赦さないし、誰をも憎まない。俺はただの空蝉だからだ。虚は空を産み落としたが、虚も空も宇宙の中では、極有り触れた平凡な存在なんだ。魂の器も存在しない、あるのはあると言う事実だけ』

憎みながら生まれてきた訳ではないのに、いつしか世界を呪っていた時に。
愛した女が死んだそうだ。(彼女は短すぎる人生の終盤に子供を生んだ)(お前の王子様になりたかった哀れな男の前で冷酷にも)(私の王子様はこの子だけだと)(見窄らしい赤毛の赤子を見つめる眼差しは『悪魔』から掛け離れた、母親のものだった)(現実主義者が名づけた名前は『ゼロ』)(空っぽな彼女らしいと、少しだけ愉快だった)

だから世界を壊した。(彼女が死んだ直後に)(妹が子供を産んだ事など知る筈がない)(憎悪に呑まれていた馬鹿な男は義弟に対する嫉妬心ばかり)(妹の事を思い出す事すらなかったのだ)
砕け散ったステンドグラス。喉に噛みついて離れない漆黒の犬の体を空中で抱き締めたのを覚えている。落ちていく刹那でさえ、あの温かい体温を抱いていると妙な安心感があっただろうか。(彼女は死んでしまったらしい)(可哀想な事をしてしまった)(自分の所為で可愛がっていた飼い犬を死なせてしまったと)(聡明で清廉で優しい弟は、泣いているだろう)


『安らかに眠れ、ロード』

同じ姿形をしているのに神は、その表情を憎悪で染める事などついぞなかった。
世界はあの日終わり、(妹が子供を産んだ事も)(盲目だった母が死んだ事も)(あの静かで寂しかった楽園で赤毛の子供が『天使』と呼ばれていた事も)(健気に愛していると繰り返してくれた少女が絶望の底へ落とされた事も)(目元に包帯を巻いているからか耳が異常に良かった白髪の子供がどうなったかも)(名前をつけてくれた父と温かい食事を作ってくれた母がどれほど嘆き苦しんだかも)(一つ残らず)眠り人は知らなかった。


『…起きたか。目覚めてしまった幸運と悲運を喜ぶも嘆くも、お前の自由だ』
『だ、れだ』
『お前を作った馬鹿の、遺伝子上だけの親族だ』

眠っていれば永遠に時間が回り始める事はなかった。
全てから許されないまま、それでもそれ以上の絶望に晒される事はなかっただろう。

『俺が何者だろうが今の貴様には何ら必要ない。記憶の混濁具合を確かめる為に、まず氏名を確認する』
『しめ、い』
『帝王院帝都』
『…』
『返事をせんのか?ではロード』
『…』
『アダム』

けれど時計の針は再び回り始めた。望んでそうなった訳ではない。

『お前は誰なんだ』
『…ふん。ハーヴィそっくりな顔で、誰をお前呼ばわりしている?』
『ハーヴィ…?』
『お前はハーヴェストのシンフォニアだろう』
『兄様の名前を、何故…』
『どう聞かされているか知らんが、貴様は完全なクローンではない。レヴィ陛下とマチルダ=ヴィーゼンバーグのDNAを人工生殖器の中で培養し、極めて正常な数値を示した、ナイン=ハーヴェスト=グレアムの遺伝子配列に近い精子と卵子を掛け合わせて生み出された。医学的視点で言えば、一卵性ではなく二卵性双生児みたいになものだ。年齢が親子ほど違うだけの』
『…知っている。劣悪なコピーだ』
『いや、お前の方が遥かに優秀だ。何せ子供が作れる上に、血液に異常がない。一時は脳死同然だったが、モルモットにしてやる為に生かしておけば、俺より遥かにタチが悪い孫に見つかってしまうとは…』
「君は彼らから、とても慕われている様だ」

記憶が現実の声音で掻き消される。
クスクスと笑っている男を見やれば、彼の視線は真っ直ぐ、真紅の髪へ注がれている様だった。

「じーさん、そりゃ嫌味のつもりか。慕われてるだと?…何処に目をつけてやがる」
「もう少し嫌われていると思っていたんだよ。ロンドンじゃ、君達は蝙蝠より嫌われている」
「雑魚は何とでもほざいてろ」

みっしり佑壱の周囲に張りついた四色の派手な頭が、英国貴族を警戒しながらも何故か佑壱の腕や肩やらに手を置いている。成程、佑壱が年寄りに暴力働かない様に、彼らなりに気を使っているらしい。

「何でユウさんはイギリスから嫌われているんですか?」
「副長っつーか、グレアム自体がって事じゃねぇん?(´・ω・`)」
「は、これだから飾り立てた宮殿を美しいだの抜かす小せー国のジジイだぜ。男は黙って江戸城崇めてろ。皇居に向かって敬礼しろ」
「ロケで首里城見た事あるけどさあ、あそこにママ連れてくと景観に混ざって見つかんなくなるよねえ。全体的に赤いし」
「おや?観光案内をしてくれているのかな?」
「名無しに名を名乗れたぁ言わねぇが、ムカつく奴は老若男女問わず殴るぞ」

白く色褪せたブロンドの紳士が益々笑みを深めると、佑壱は溜息を吐きながら首元を掻いた。首輪の金具が小さな音を発てたが、その指先からは言うほどの苛立ちは見えない。

「総長にチクリますよユウさん。ご年配の方に横暴が過ぎます」
「男の中の漢だった母ちゃんは、もう何処にも居ねぇ…!。゚(゚´ω`゚)゚。」
「光王子のケツなんか狙ってっから、可笑しくなっちまったんだぜ。病院に連れてくかよ?」
「七難九厄ってゆーからねえ。17歳だから、七難の厄なんだよきっと」

然し、何故四重奏は何処までも果てしなく罵ってくれるのか。
お前らはカルマじゃねぇのかと言いたくなったが、真っ赤な副総長は男気だけで耐え抜いた。知ってはいたが、四重奏で最も素直なのは要だ。残る三匹の性格の悪さは、ほぼ同等である。

「榊、もう俺らの母ちゃんは帰ってこねーっしょ。今後俺らの胃袋を満たすのはオメーの役目だぞぃ(´・ω・`)」
「オメーはまず煙草減らせや。肺癌でくたばられたら、オレらが飢え死にするからよ」
「そろそろ労働組合が煩そうなので、今後出勤簿ではちゃんと休みを取っている様に記載して下さい」

榊は眼鏡を押さえた。過去に浸っている場合ではない。優秀だが秀皇とは比べ物にならない素行の悪さを誇るカルマ四重奏は、遠野俊に飼いならされているだけ一切の容赦がなかった。真面目な労働組合ではもうどうにもならない極悪さだ。世界中の囚人をこの四人に監視させれば、懲役が万事捗るだろう。死刑宣告せずとも過労死するかも知れない。

「あは。年上には礼儀を払えってボスが言ってたけどお、今は居ないから、まあいっかー。そこのアホっぽい専門学生のお兄さん、榊てんちょーの健康管理宜しくねえ?」
「アホっぽい…?!えっ?何で俺が榊のヘルスをマネージメントするの?って思ってるけど、ハヤトの笑顔が眩しくて訳判んねぇ!榊、四重奏の顔面偏差値やばない?!」
「流石に落ち着け斎藤、年下から盛大に舐められてるぞ」

特に下手に賢い分、隼人の性質の悪さが際立っているではないか。優しげな顔立ちが誤魔化しているが、榊には勿論、佑壱にも通用しない。然し人様をアホっぽいと呼べる面かと怒鳴り散らしてやりたいくらいには、多少イラッとした。嵯峨崎佑壱に限っての話だ。榊は多少漂う哀愁が増しただけで、表情は変わらない。

「ユウさん、後の事は榊が何とかするからあ、安心して厄払い行ってきな?ボスがデリシャスしまくってる内は、ユウさんが居なくても困んないからさあ」
「ぶっちゃけ榊はつまみ食いしても殴ってこねーから、安心して食っちゃ寝れるぜ」
「榊、俺の為にもっと肉メニュー増やせし(*´∀`)」

お陰様で、厳つい見た目の割りに他人の評価が気になる性格でもある佑壱は、ロンドンから嫌われていると言う台詞でささくれだっていた気持ちが、舎弟ムカつく気持ちで塗り替えられる。好かれれば好きを返そうとする性分が、カルマの母犬だ。嫌われたから嫌ってやると、子供っぽい真似をせずに済む。そこだけは感謝しない事もないが、子犬共がムカつく気持ちは消えない。

「俺が育ててきた餓鬼共が、あっさり榊に鞍替えしやがった…」
「What?(何だって?)」

叶二葉に無視され続けてメンタルが限界だったらしい外国人数学者は、何故か佑壱の傍に居たらしい。恐らく顔見知りだからだろう。遠い目をしていた佑壱は地を這う声でシャラップと呟いたが、覇気はない。

「You have already done your lifework?(何があったんだケルベロス、死ぬのか?)」

日本語は判らないながらも状況から読み取ったのか、佑壱を信じられないものを見る目で眺めている教授が呟けば、赤毛はくわっと牙を剥いた。般若顔だけでビビったアメリカ人がもそもそと身を隠したのは、佑壱よりも上背がある日向だ。
佑壱から睨まれた日向は仕方なく後ろへ目を向け、「Get over it.(ビビるな)」と宥めてやる。初等部以前の佑壱を知っている男の怯え方は尋常ではないが、日向が知る限り当時の嵯峨崎佑壱はあれだったのだ。つまりエンジェル。そう、天使だった。今は見る影もないゴリラ犬だとしても。

「How long have you been here?(君は此処に来てどのくらいになるんだ?)」
「Cut it out, don't talk to me if you have nothing to say.(やめとけ、間が持てないなら無理に喋んな)」

もう面倒臭いので、日向は真顔で宣った。『二葉は照れてるだけだ』と。
ぱぁあっと表情を明るくした陽気なアメリカ人は、しゅばっと二葉の隣に引っついて、ものの一秒で横っ面を平手打ちされている。パァン!と言う小気味良い平手打ちに、保健室は一瞬静まり返った。

「気安くハニーの私に触らないで頂けますか、殺しますよ」
「What?!」

敢えて日本語しか喋らない二葉のそれは、明らかにわざとだ。どんな時も安定して性格が悪い。

「この学校は賑やかだねぇ、ベルハーツ」
「…呼ぶなっつってんだろう。そろそろ強制送還するぞ」

一連の流れを目で追っていた佑壱は塩っぱい顔で日向を見つめてきたが、日向に罪悪感なんてものはない。日向が知らない佑壱を知っていると言うだけで、推定有罪だ。

「要…はともかく、健吾、裕也、隼人」

榊雅孝は佑壱が心の中でかなり認めている男だ。理由は何であれ、榊が雇ったアルバイトを『アホっぽい』と言われて見過ごす事は出来ない。流石に苛々して来ない事もないので、佑壱は心の底から微笑んだ。ピタっと動きを止めた四重奏の他に、何故か同じく固まっている日向の姿が見えなくもないが、日向に説教するつもりはない。

「おい、平田もやし」
「もやしって俺の事か?!」
「テメー以外に存在するか。面貸せや」
「何で?!」
「訳判んねぇが、お前の所為で餓鬼共から馬鹿にされてる気がすっから、一発殴らせろ」
「普通に嫌だよ!ふざけんな、殺す気か!俺は一応先輩だぞ?!」
「ガタガタ煩ぇ」
「そのくらいで許しておあげ、プリンスファースト」

くすくすと笑う準公爵が呟くと、佑壱は掴んだ平田洋二の胸ぐらから手を離す。

「その笑い方やめろ、名無しの癖に」
「名無しでも国籍はある。君はどうだ?」
「悪かったな、一応あるぜ、日本には」
「昔から宮殿では噂の的だった。私達の孫であるヴァーゴがルークの懐に潜り込んだ頃から、神の子のバックアップはどちらになるだろうかと」
「祖父さん」

無駄だと思いつつ制止した日向は、佑壱の表情に怒りが見えない事を確かめた。誰の目で見ても明らかに、佑壱が本気を出せば90過ぎの年寄りに抵抗出来る筈がないからだ。二葉が使い物にならない今、本気で激怒した佑壱を止められる者は果たして何人居るのか。

「ヴァーゴが利権を握る事に期待を寄せていた者も、少なからず居たよ。私はそうは思わなかったがね。それでも、マチルダの血を引く君より、アレクセイの血を引いている二葉の方が議会は受け入れ易かった」
「馬鹿抜かせ。テメーん所の前公爵こそ、名無しの餓鬼じゃねぇか。現公爵の血は引いてねぇ」
「ふふ」
「何が可笑しい?」

恐らく頼りになりそうなのは、静かにしているが常に佑壱に手が届く範囲に居る榊だろう。カフェカルマに足を運ぶ度、日向が最も苦手としていたのは佑壱でも俊でもなく、彼だった。

「若いね、君」
「あ?」
「親なら子を守るものだ」
「いきなり何だよ」
「化け物揃いの社交界に、誰が好き好んで我が子を放り込みたがる?」
「あ?」

ああ、また祖父の悪い癖が出たと日向は息を吐いた。
アランバート=ヴィーゼンバーグは『名無し公爵』の他に、『ハンプティダンプティ』と言う揶揄めいた呼び名もある。王族でありながら絶対に認められる事がない男は、ハンプティダンプティの童謡の様に『零れ落ちて戻らない』存在なのだ。

「Humpty Dumpty sat on a wall, Humpty Dumpty had a great fall.(ハンプティダンプティが塀に座った、ハンプティダンプティが落っこちた)」
「…」
「Four-score Men and Four-score more, Could not make Humpty Dumpty where he was before.(80人の男と更に80人が加わっても、ハンプティダンプティを元いた所に戻せなかった)」
「実の子なら放り込まなかった、っつー事か」

ぽつりと呟いた佑壱の台詞に、日向と二葉が同時に瞬きを忘れた事には誰も気づいていない。

「ふふ」
「笑うな、感じ悪いじーさんだな。いい加減殴るぞ」
「君は想像以上に賢い。でもそれは、もう十年以上前に知られてしまっている事だ」
「誰にだよ」
「カエサル。シーザー・マジェスティルーク=ノア、…この星の支配者にね」

我々は浅はかだった、と。男は歌う様に呟いた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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