帝王院高等学校
幸運の女神様は異邦人ですか?
『お帰り、我が家の小鳥さんは今日も泥んこだ』

甘い。

『先にお風呂に入っておいで。お夕飯は、お祖父さんが帰ってきてからだよ』
『でも僕、お腹空いたー』
『しょうがないね。じゃ、内緒でおやつをあげよう』
『わーい』

堪らなく幸せにしてくれる、甘い匂い。

『ばーちゃん、それお山の中で見たよ』

家の中はいつもそれで満たされていて、暗くなって帰るといつも明かりが灯っている。
レストランの様な旗は立っていないけれど、毎週日曜日の夜のオムライスにはたっぷりケチャップが掛けられていて、大きなエビフライが2本ずつ。ポテトサラダはお店のものより少しだけ、甘い。

『危ないから触っちゃ駄目だって、お巡りさんがゆってた』
『うちは良いんだよ』
『何で?』
『だって、お祖父さんはお医者様だからね』
『あっ、そっか』

覚えているのは、色褪せる事なく脳に染みついた呪いの様な。

『これを乾燥させて、お祖父さんはお薬を作るんだ』
『えへへ。知ってるよお、毒を以て毒を制すってゆーんだよねえ。菌から作るワクチンもあるんだよー』
『賢い子だね』
『あは。えっとねえ、じっちゃんがゆってたんだあ』

もう、残っているのはそれだけだ。

『隼人も、将来はお医者さんになるのかねぇ』

あの時以上に甘いものを、未だ見つけられないまま。



「…サードパーティーのセキュリティ、緩過ぎて心配になるんだけど」

甘い甘い、砂糖の塊がゆっくり溶けていく。桃なのか苺なのか良く判らない人工香料の香りが鼻から抜けて、大気中へ消えていく。
咥えたままの棒キャンディー、カラフルな包装紙は無惨に破かれたまま、樹木から伸びる枝の間に置き去りにされていた。かさりかさり、風が吹く度に揺れるそれは、間もなく風と共に飛んでいくだろう。捨てた本人は「置いているだけ」と嘯いて、見向きもしない。

「資産順だと、桁違いなのはやっぱ大河朱雀かあ。中国四千年の歴史〜ってか。ウケる」

甘い、けれど曖昧な味の食べ物は昔を思い起こさせるが、それだけだ。それ以上の何かを与えてくれはしないと、神崎隼人12歳は他人事の様に欠伸を噛み殺した。入学式典以降、初めての一斉考査を迎えるまで授業免除権限をフル行使した所為で、早速担任の教師から呼び出されたのはほんの数日前の事だ。隼人の事情を理解している教師は、便宜上と前置いた上で、一斉考査後の選定考査で首席から外れた場合の説明を懇切丁寧にしてくれたが、結果は900点中895点で隼人が一位だった。

「生まれつき大金持ちでえ、典型的な苦労知らずのお坊ちゃまって奴?辛うじて5番目ってのも、哀れみ」

とは言え、次回選定考査でどうなるか判らないのは変わっていない。次席の割りに真っ青な髪で悪目立ちしている男から睨まれた様な気がしなくもないが、大した事でもないだろう。首席がクラス中から睨まれるのは無理もない話だとは思うが、奇妙とも言える例外は、テストの点などには関心がなさそうな大河朱雀と、話した事もない筈なのにいきなり肩を組んでこようとした高野健吾だろう。

『オメー、俺らよりサボってくる癖にしれっと一位とか、中々やるっしょ。赤ペン先生が雇ってんのかよ?(*^^*)』
『気安く触んな』
『ンな辛口じゃ友達出来ねぇべ?(*´∀`) 照れてんの?』
『失せろ』
『んだよ、ノリ悪ぃ奴っしょ。後から仲良くしてって言ってきても仲良くしてやんねぇかんな』
『言うか馬あ鹿』
『言えよ!慌てて縋りついてくるトコだろーが!(〇д〇)』

人の世界を象る社会と言うものは、大人に都合の良い法律で守られていて。無知な子供は無知である内は、何一つ権利なんて与えられはしない。あれほど陽気な彼ですら、降格すれば今のままの能天気さではいられない筈だ。

「46期中等部進学科4番、藤倉リヒト…何、コイツも日本人じゃないじゃんか。へえ、ドイツねえ。…シュヴァーベン領主って、貴族?本校にはこんなんばっかしかいないわけ?」

大多数の子供は無知のまま大人になり、いつの間にか支配する側に立っている優越感で毒され、疑う事もしないだろう。弱いものは切り捨てられる世界だ。人権を尊重しろと綺麗事を嘯いても、守られる人間の数は決まっている。

「あれ?…羽田佳子って、こないだ恭ちんがちょい役で出てたドラマの挿入歌弾いてた?あらまー、父親はもっと有名人。市民栄誉賞受賞、ねえ」

カーストは何処にでも存在している。学園内だけではない。

「馬鹿みたいな頭したすばしっこいチビ猿だと思ってたら、3番席な訳だ。…音楽と体育は6年間A判定、特記事項に7ヶ国語マスターってか。あは、隼人君ですらまだ3ヶ国語だっつーのに、やるじゃん。右脳と小脳は恵まれてんだねえ」

選ばれた人間と選ばれない人間、世界に存在するのはその二種類だけだ。
選ばれないのであれば生きられない世界なら、選ばれる人間になれば良い。後ろ盾がないなら初めはハリボテで構わない、張れるだけの見栄を張って舐められない様に。

「…でも、俺に近いのはコイツだけか。錦織、カ・ナ・メ。良し、覚えた」

ようこそ新世界。
たった一ヶ月で判った事は、姉妹校と本校ではまるで別世界と言う事だろう。帝王院学園の本校は異世界だ。

「保護者は祭楼月、母親の記載はなし。…3年Sクラス1番、祭美月が親族?」

神奈川県の隣は東京都、徒歩では遠いが新幹線ではものの数分。降りてから乗り込んだバスの乗車時間の方がずっと長かった。主要区内からはやや離れた山間部、都市開発前から山を丸ごと保有していた帝王院財閥は、現在の当主が小学校へ入学する6歳の頃から、大学卒業までの16年間を過ごす場所として独立学園都市として開墾されている。
初等部、中等部、高等部の東京本校であり、数年前から最上学部のキャンバスも併設された。

「でも祭美月の方のデータじゃ、美月は一人っ子。…理由はお察し?」

帝王院駿河の為に設立された学園は日本最大規模の学園として称され、卒業生は各分野で活躍している。授業料の高さも当然ながら、そのカリキュラムの特異性で海外からも注目されていた。積極的な交換留学制度、一種異常とも思える完全カースト制度もそうだ。Sクラス生徒は神の様な勘違いをしている生徒が多く、上位30名は授業料及び授業に懸かる全費用の免除、更に帝君になれば生活費まで免除される。

「あは。ワラショクの社長子息が居んじゃん。21番ってどんな奴だっけ…山田…つーか見事に何処にでも居そうな名字だねえ。何か地味で薄いのが居た様な気がするけど、覚えとく必要あるかなあ。仕事に絡みそうな企業は、ゴマ擂っとけって言われてんだけど…」

各自治会役員は授業免除権限も付与され、中央委員会役員には活動費用も補填される様だ。然し中央委員会役員は実質、理事会相手のホストを任される事もあり、現在入院中の帝王院駿河の代理として各パーティーに出席しなければならない。現在の中央委員会は嵯峨崎零人以下、高坂日向、叶二葉、嵯峨崎佑壱によって運営されている。

「ま、必要な情報はこんなトコ。クラウン権限がかなり便利だけど、コピーは難しいかー」
「ハヤト!」

軽いクラクションの音が聞こえたので、峠道の木々に背を預けていた神崎隼人は顔を上げた。運転席の窓からひょこっと顔を覗かせている人が、やや焦り気味にもう一度クラクションを鳴らした。変に目立ちたくないと学園から暫く離れていて良かったのだろうか。どちらにしても、静かな山道では響く音だ。

「遅かったねえ、おはよージャーマネ」
「いつもの道が渋滞してたのよ。乗って、時間ない!」
「待たせてごめんくらいゆってもよいんじゃない、オバサン」
「何か言った新人?」
「別にい」

待たせておいて急かすとは、14歳も離れていると女性は図々しさが増すらしい。
売り出し中の新人モデルの方が控えめだと思わなくもないが、判り易いあざとさは鼻につくだけだ。可愛いと思う以前に嫌悪感を覚えるので、一度寝ると食傷気味に陥る。年上女性の利便さは、セックスに恋愛が絡まない所だろうか。

「今日は彼氏の家からご出勤?」
「余計な事は言わないで」
「何、また喧嘩ー?その割りに元気そうだけどお」

とは言え、まともに恋愛している暇もないと言う口癖があるマネージャーは、恋人と喧嘩する度に酒のトラブルを起こすと言う不名誉な噂がある。それが噂ではない事を身を以て知っている隼人は、焦り気味ではあるがいつもの苛立ちを感じさせない表情を横目に後部座席へ乗り込んだ。

「あんな男別れたわよ」
「振られたかー」
「アンタの所為でしょ!」
「はあ?」
「アンタがキスマークなんてつけて…!」
「何ゆってんの?そんなもん、つけたことないけどお?」

つけようと思った事もないと宣えば、バックミラーに驚いた様な瞳が映っている。
成程、自棄酒の度に何処の誰とも知れない男を誘っていれば、心当たりが多すぎると言う事か。そう言えば、東京に前入りしてすぐ紹介された社長の息子から、このモデルにしてこのマネージャーありと笑われた覚えがある。彼にも難しい家庭事情がある様だったが、初等部から帝王院学園本校に通っていると言う事で色々世話になっていて、学園外では多少話す事もあった。向こうは進学科ではないので、学園内での接点はまずないからだ。

「あは。もしかして因果応報?」
「…崖から落ちたくなけりゃ黙ってて」
「また新宮社長に『抱いてくれなきゃ死んでやるー!』って醜態晒す前に、一発抜いてあげよっか?」
「本気で怒るわよ」
「しゃちょーは死んだ奥さんに操立てして、恋人も作る気がないヘタレジジイだもんねえ。つーかまだ50くらいでしょ?もう枯れてんのかなあ?」
「ハヤト」

ああ、怖い怖い。
弱小プロダクションには大手ほどではないが、変人奇人が集まってくる。軒並み後ろ暗い人生を送っている、とまでは言わないが、隼人がスカウトされた事務所にも実に色んな人間が存在している。

「私は…そう言うんじゃないの。社長とは良い関係で居たいんだから、変な事言わないでちょうだい」
「ふうん?」
「尊敬してる人よ」
「あは。大人の常套句」

学生時代は女優志望だった劇団員上がりのマネージャーは、とあるプロダクションの副社長に騙されテレビドラマデビューを逃したばかりか、リベンジポルノで脅されAV女優にさせられそうだった所を、現在の社長に拾われたそうだ。女優になりたいばかりに枕営業も厭わず励んでも、食い物にされて終わる所だったと言う訳だ。

「高嶺の花だって見上げてばっかいると、いつの間にか枯れて消えちゃってたりするんだよねえ」
「…何が言いたいのかしら。ほんと嫌な子」
「褒め言葉として受け取っとく」

現在こそ弱小プロダクションと言われている隼人の事務所の、現代表である新宮真之介は歌舞伎の家柄である。親の代で名前を譲り廃業したそうだが、それ故に人脈は広く顔が利く様だ。若い娘を食い物にしている悪どいプロダクションの噂を聞きつけて釘を差しに来てみれば、丁度被害にあっている若い娘がそこにいた、と言った顛末だろう。既にそのプロダクションは倒産しているが、所属していたタレントで引取先がなかった数名を隼人のプロダクションが受け入れている。
人が良い、の一言で片づけるには隼人の事務所の社長は世間知らずな男だった。廃業したとは言え元は梨園の人間であるからか、およそ一般の感覚ではない。新宮社長の父親は、40年前に歌舞伎を廃業すると超一流企業に就職したとしてかなりの話題を攫ったそうだ。既にその会社も引退しているが、80代で未だ存命だ。

「新宮家はアンタが思ってるよりずっと、格式があるのよ」
「だねえ。末端だけど公家の分家だし」

彼が家を捨ててまで就職した会社の名は、帝王院コンツェルン。帝王院財閥の親会社にして、公益法人帝王院学園を保有する大元でもある。創設者は帝王院俊秀だ。私立学校法で学校法人の枠組みが完成する前に、類似した手法で幾つかの学校と塾を作ったとされている。生まれも育ちも京都だが、二人目の子供が生まれると共に上京した。大宮司の役職を許された神職でも最高峰の地位にあった男だが、東京では実業家として努めたらしい。
二代目の帝王院鳳凰は、己に息子が生まれると当時帝王院邸宅を置いていた土地を大規模開墾し、現在の学園の基礎を築いた。つまりは帝王院学園の創立者であり、現在学園長である帝王院駿河は学校法人の責任者としては三代目で、学園長としては二代目と言う事だ。

「帝王院も公家だから、家を捨ててまで手伝いたかったのかなあ?40年前って言ったら、学園長が高等部を卒業した頃でしょ?」
「私も詳しく知ってる訳じゃないけど、お公家様にも派閥があったんじゃない?明治に入って民主化が進んで、平安時代から歴史がある帝王院は神職、新宮は梨園に分かれた訳だから、きっと難しい事情があったのよ」
「時期的には、創立者の帝王院鳳凰学園長が亡くなった頃なんだよねえ。幾ら天下の帝王院コンツェルンつったって、歌舞伎を捨ててまで就職するかなあ」
「変な事に興味があるわね。学園史でも読んだ?」

学園史ではなく職員用のサーバーをハッキングしたとは、流石に口が裂けても言えない。笑って濁した隼人は咥えていたキャンディーの棒を掴み、座席の足元に置かれている小さなゴミ箱へ棒を捨てた。

「ま、うちのちんちくりんじゃ今更歌舞伎役者に出戻りなんて100%無理だからあ、隼人君がアクセク稼いであげないとねえ」
「社長になんて事言うのよ!社長は身長は低いけど、そこが可愛いんでしょ?!」
「アバターもエルボー」
「…殴りたい」

わざとらしく言葉を間違えてやれば、韻だけで正確に伝わったらしい。良い思い出がほぼない東京に未だ住み続けているマネージャーは、無条件で社長を信頼している様だ。タレントが育児放棄した子供を、男手一つで引き取ったものの育て方が判らず、結果的に帝王院学園に放り込んでしまった事で、自己嫌悪で15kg痩せたかと思えば、帰省する度にしっかり育っている養子に感極まって幸せ太りし、現在は過去最重量の98kgをマークしまた自己嫌悪に陥っているらしい。

「で?ちゃあんと、おやつ抜きで継続させてるわけえ?」
「一応、会う度に釘刺してるわよ」

然し隼人と言う逸材を見つけた事でまたハッピーモードに突入した様なので、先週見た時より丸くなっているかも知れない。隼人の事務所は小さいが小さいなりにタレント同士の絆が強く、ほぼ全員が『社長大好きっ子』である。ぷくぷくと太っていく小さい社長に、勝手に癒やされている俳優やモデルやらがロケ土産や貰った菓子やロケ弁を社長に与えまくり、基本的に断れない正確である新宮社長は必ず受け取り、残さず食べてしまう。
他人から貰ったものを口にするなど隼人には絶対に無理だが、人を疑わないのか、単に卑しいだけか。新宮真之介は絶対に残さない。それなのに食べ方は綺麗なのだから、梨園の教えなのか、公家の血筋による育ちの良さか。

「今日は宣伝素材のスチル撮りながら雑誌取材だっけ」
「喜んで、午後から千葉で一本入ってる。密着がついてる某大御所女優が、ハートフルに農業体験するだけの簡単なお仕事よ」

何にせよ、一斉考査に出席する為にスケジュール調整した3日間が終われば、また暫く休みなしのハードワークだ。今は仕事を選べる状態ではないので仕方がないとは言え、モデルの肩書きがあるだけのタレントの様な扱いに甘んじるのは如何なものか。

「またバーター?適当な仕事ばっか引き受けてると叱られるんじゃない?」

マイペースメタボかと思えば、腐っても梨園出の社長は仕事に関しては潔癖な所がある。プライベートがどれほど適当でも笑って見守っている癖に、『自分を落とす仕事はするな』と言う社訓を守らない者には容赦がない。

『いわゆる枕営業だとか、お金にならない仕事だとか、問題じゃない。僕が一番大事だと思ってるのは、プライドがない事だ。自分の価値に合っていない仕事を、我慢して引き受けたらいけないよ』
『我慢してなかったらよいわけえ?』
『そう。自分が楽しいと思えたり、自分の為になると思う仕事なら、寧ろタダでもやるべきだ。極論だがね、お金の為に働いたっていつかは疲れちゃうよ。お金はお腹は満たすけど、心までは満たしてくれない』
『しゃちょー、たまによい事言うじゃん』
『えー?たまにって、結構酷い』

早い話が『出してやる』ではなく『出て下さい』と言われる仕事をしろ、と言う事だろうと皆は認識している様だったが、そうなるまでの下積み時代には泥を啜らねばならない時期があるものだ。然し社長大好きなタレント達は一応その社訓を守っている様で、だからこそ弱小事務所は弱小のまま中々大きく育たない。
然し社長本人がそれで満足そうなので、誰が何を言えるものでもなかった。社風に合わないタレントは移籍していくし、社長も引き止めない。隼人が移籍を希望すれば、恐らく同様に引き止めないのだろう。

「今朝入ったばっかのバーターだけど、ギャラは良いわよ。条件に合ってスケジュールが押さえられる素材が、アンタだけだったってのもあるんだけど…プロデューサー直々のご指名でもあるの」
「わぉ。誰の代役か知んないけど、隼人君じゃなきゃ駄目って事かあ。どんな条件提示して来てんだろ、怖いよねえ」
「お気に入りのアイドルがサポート役で入る予定だったのに、飛行機が遅れて予定に間に合わないらしいわよ。ド面食いで有名な大御所だから、適当な素材じゃおかんむりで困ってるって。最低175cm以上、8等身以上、甘ったるい顔立ちで生活感がない『王子様系』限定。アンタが駄目ならそんな感じの素材用意しろって、無理言ってくるわ。撮影は昼一だってのに」
「あは。我儘ババアが悪いのか、プロデューサーが馬鹿なのか。大体、女優が田舎で農業体験やってちゃねえ?女優なら演技しろって感じー」
「…良い?アンタ、現場でそれ言ったら駄目よ」
「はあい。アイドルとホストを足して2で割った感じのお、美形なのに爽やかで優しい王子様ながら、初々しさとあどけなさが見え隠れする隼人君で頑張りまあす」
「…判ってたけど、やっぱりアンタは12歳として間違ってる」
「イケメンなのにかわゆい系男子ってことお?んなもん、とっくに知ってるけど?」

返事はない。
アクセルを踏み続けた上りとは違い、ブレーキを効かせた下り道は神経を使うのだろう。いや、ただ呆れているだけかも知れない。

「あ」
「…今度は何?」
「クラスにさあ、実家が銀行やってる奴が二人、指揮者の息子とお、ドイツ伯爵家の息子がいたよー?」
「銀行?!伯爵?!」
「あは。やっぱ食いつくのはそっちかー。前見て前、崖から落ちる」

くるっと振り返りそうだった運転手の頭をガシッと掴み、ぐるんと向き直らせる。
初対面でわざとらしいほどにこやかに話し掛けてきたスカウトマンの傍らで、『性格悪そうな餓鬼』と言う表情を隠さなかった女だ。元劇団員にしては直情的で、精一杯大人の振りをしている少女の様な所がある。

「凄いよねえ、帝王院本校。神奈川の分校とは全然違うんだもん」
「馬鹿みたいに高価すぎる上流階級より、身近な中小企業か上場企業でも比較的若い所が狙い目だって言ったでしょ?大手プロダクションと専売契約してる会社じゃスポンサード契約はひっきりなしなんだから、うちみたいな弱小プロじゃ門前払いよ」
「だよねえ。でもさあ、日本一が帝王院財閥な訳で、お近づきになりたがる有象無象なんて日本人の数だけ居るって判ってる?」
「そうだろうけど…」
「その中でも隼人君のクラスはたった30人ぽっちしかいない、偏差値80オーバーの天才集団なわけ」
「また自慢話?」
「ブルジョワな私立に初等部から通わせて、家庭教師派遣したり通信塾の教育で寮の中でも勉強させなきゃ、普通は上位30位に残る事も出来ないって事。記憶力に自信しかない隼人君には楽勝でも、努力してしがみついてる奴は何十人も居るんだからさあ」
「本人の努力は当然だとして、それなりに費用も居るって事ね」
「そこらの小金持ちじゃ、授業料と生活費が精一杯。Sクラスに残留させる為の英才教育には、かなりのお金が要るよねえ」
「だから貴族と指揮者ってか。音楽家ってのは、やっぱり儲かるのかしら…。ほら、何年か前に話題になったタカノって日本人指揮者いたでしょ?」
「たかの」

ぽつりと呟いた隼人は慌てて口元を押さえた。凄まじく心当たりがあるけれど、クラスメートのオレンジ頭のフルネームはコウヤケンゴだ。決してタカノケンゴではない。高野健吾、読んで字の如くとは言え、果たして何人が間違わずに発音出来るのか。

「知らない?一昨年日本公演の直後に市民栄誉賞受賞して記者会見した、世界一多忙な楽団長でしょうが。あの時は、何処のチャンネルに切り替えてもあの記者会見でテレビ独占してたもんよ。日本人なのに背も高くて、物凄い男前なんだから」
「ふーん」
「奥さんも有名人よ。こないだドラマの為だけに作曲した曲が話題になってて、色んな番組で早速使われてたりしてるそうだし。アンタのクラスメートの親も、指揮者やってんだったら憧れてたりするんじゃないの?」

恐らくしないだろう。隼人のクラスメートの親こそがその世界的指揮者本人だからだ。
然しこれ以上この話を続ければ、なし崩しにマネージャーのミーハー心を煽るばかりか、彼女が指揮者の名前を間違えている事を指摘する事になる。梨園だの音楽一家だの、隼人のマネージャーは肩書きに弱い傾向にあるらしい。

「指揮者は隼人君が歌手デビューする事になったらお願いする事にしてえ」
「しないわよ、指揮者の依頼なんて。するとしても、バンド借りるくらいに決まってんじゃない」
「はいはい。じゃ、ワラショクとかどお?」

落ち着いて運転している様子を認め、隼人は手を離した。

「ワラショクぅ?クラスに幹部の息子でもいた?」
「それがさあ、社長の息子なんだよねえ」
「…嘘」

弱小だろうが何だろうが、割の良い稼ぎ口を見つけられたのは願ってもない幸運だったのだ。
モデルの仕事を始めるなり引き抜き同然の誘いも多々受けたが、一癖も二癖もある有名所で順風満帆よりも、『規模は小さいが方々に顔が利く社長』の方が、隼人には価値があった。

「今回のテストで21番目だった奴の親が、ワラショクの社長と同じ名前なんだよねえ」
「アンタ、ワラショク社長の名前なんて知ってたの?」
「山田大空でしょ?間違いないって、緑ヶ丘なんて高級住宅街に住んでる山田さんなんかさあ、他に居ても親戚だもん。同姓同名率は超絶低いよねえ」

例えば近頃連絡してくる様になった母親に対しても、そうだ。幾つかの事務所を渡り歩いた彼女が現在所属しているプロダクションは、業界でも老舗に当たる歴史の長い事務所である。それ故に権力はかなりある方だが、現在の社長は隼人の社長より多少若く、芸能業界では最大手と呼ぶに相応しい歌舞伎業界に軋轢を生む事を恐れる世代だ。事務所が圧力を掛けてくる事だけは、まず有り得ない。隼人を引き抜こうとするだけ無駄だと、すぐに理解する筈だ。

「…アンタは幸運に愛されてる」
「幸運?」
「出来るだけ仲良くしときなさい」
「えー、ちょー面倒臭いよねえ。パリコレに出た方が楽じゃん」
「出られると思ってんの?!」
「あは。楽勝でしょ?」
「あのねぇ、読者モデルのオーディションじゃないのよ?!何のコネもない餓鬼が馬鹿言ってんじゃ、」
「落ちぶれても密着がつく程度の大御所だったら、デザイナーの一人や二人、連絡先知ってんでしょ?例えば日本で一番有名なデザイナーとか?」

ラッキーなんてものは、転がっている訳じゃない。大抵が自ら引き寄せるものだ。多少無理をしてでも引き寄せなければ、世界から淘汰されていく。永遠に続く幸運などない。そんなものがあれば、それはもう幸運でも何でもなく天が恵んだ才能だ。

「今の所、首席から転がり落ちる心配はないしねえ」

心配性の担任も、今回のテスト結果で安心した事だろう。今後は授業免除を乱用しても、呼び出される心配はまずない。
自治会や中央委員会の勧誘があれば、躊躇いなく断るつもりだ。『副業が忙しい』が理由になると、職員室で担任から説明を聞いている。

「努力しても報われないって事は、その努力が間違ってるって事。隼人君は無駄な事はしない主義だからあ、適当に遊んでる奴とは違うんだよねえ」

大した努力もしていない癖に、他人を睨むなど以ての外だ。己の方が劣る分際で『中々やるな』などと、二度を口にされたくない。
努力しているなんて自慢は絶対にしない。努力ほど格好悪いものはないと、隼人は思っているからだ。記憶に残っている祖父はいつも、どんな怪我も病気も豊富な知識で対処していた。けれど仕事を家に持ち込んだ事はない。いつも持ち歩いている薬箱だけで、いとも簡単に終わらせてしまうのだ。

「本気で怖いわ…」
「止める?」
「やれるもんならやってみろってんだ」
「ま、見てて。帝王院学園の帝君って肩書きがあれば、『上流階級であればあるほど』効果あると思うから」
「そんな簡単に行くかしら」

女には理解出来ないのも無理はない。まして帝王院学園の価値を理解していない地方出身者であれば、尚更だ。

「実際、帝王院学園在籍中ってだけで仕事入ってんじゃん。バーターにしたって、真っ先に声掛けて貰える内が花でしょ?」
「そりゃそうよ。パリコレに出たら、勝ったも同然」

然し芸能界でも広く知られている帝王院財閥が保有している帝王院学園には、業界関係者の身内も多く通っている。偏差値こそ学部総合では進学校の西園寺学園に劣るとは言え、進学科限定では引けを取らない。寧ろ中途採用率が格段に低い東京本校では、ユニークな校風に憧れて受験したがる人間は数知れず、少子化の影響など何処吹く風。倍率は年々上がっている。

「…何?アンタ、そんな指輪してた?」
「んー?何かさあ、貰ったんだよねえ」
「…はぁ?上京したばっかで早速恋愛ゴッコなんて、良い身分じゃない。アンタ、自分から仕事くれって言ったの忘れた訳じゃないでしょうね」
「うっせ。弱小プロのマネージャーが、熱血すんのは勝手だけどさあ。母親面すんのやめてくんない?あ、それとも恋人面の方?」
「そ、んなつもり…!」
「だから前見て運転しろっつってんの、いっぺんで覚えろ単細胞」

差出人不明のシルバーリングが一つ。
神から与えられた幸運と言うなら、恐らくはこの指輪だけだろう。

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