帝王院高等学校
生徒宣誓と宣戦布告は字が似てる
やっぱり、他人は怖い。
不特定多数の不躾な視線が全身を這う感覚に眩暈がした。
例えば、自分に何か落ち度があったなら。
例えば、相手にその権利があったなら。
悲しくても寂しくても仕方無いと思うのだ。他人を見下しても他人を排除しても他人を嘲笑っても。
少しは、納得出来ると思うのだ。
だけど、
「新入生宣誓」
動物に存在意義が有って無きに等しい様に、
「…僕達、第70期帝王院学園男子高等部新入生364名は、この麗らかな緑春の学舎に背を押され、晴れて帝王院学園男子高等部の一員になる事が適いました。
先輩方が作り上げてきたこの帝王院の名に恥じぬよう、精一杯勉学に励むと共に、
…貴様らの様な愚か者に染まらぬよう、精々努力する事を誓います。」
人間が人間を傷付ける『権利』など、存在するのだろうか。
「新入生代表、テンノウゲーカ」
ガタリ、と。
隣が立てた物音に目を向ければ、茫然自失で壇上を見上げる要の姿と読めない笑みを浮かべる隼人の姿が目に入った。
『統率符』
入学案内にも記された帝王院の人間ならば必ず知っているその言葉が脳裏を駆け巡り、喉の奥がヒュっと惨めな音を発てる。
『ご拝聴、感謝します』
「………宣誓、つか宣戦布告じゃん。」
帝王院広しと言えども、統率符を与えられる人間は数少ない。数にして五つ、五芒星とも呼ばれる統率符は現在四つ存在している。
最上位から敬称は陛下、猊下、閣下だ。王や統率者を称する陛下は中央委員会長に与えられ、高位僧正を称する猊下は左席委員会長に与えられる。残る三つの統率符は総じて閣下だ。
光炎、宵月、黄昏。
それらは一日の移り変わりを表した空の符号であり、朝を表す符号『光炎』、夜を表す符号『宵月』が同等の権力を有し、朝でも夜でもない『黄昏』が最下位に位置する。
最上位は『王』であり、『天』だ。
歴代中央委員会により統率符の名は多少変化するが、『光炎』『宵月』『黄昏』の三つは誕生以来変化していない。
神帝は現会長、帝王院神威だけに与えられた唯一統率符であり、天皇と書いてテンコウと呼ばれた陛下統率符は一代限りで闇に葬られる事となる。
以降は初代から用いられた別の統率符が続いてきた。
左席委員会長の統率符は、総じて『天涯』だ。
つまり、天皇猊下は現在までに遠野俊だけが名乗る事を許された統率符なのだろう。
「カイ君?」
騒めきが俄かに復活した。
俯いて肩を揺らす逆隣に気付き顔を向ければ、僅かにズレた眼鏡の下から蜂蜜色の瞳が覗く。
笑っているのかと思えばまるで表情らしい表情を浮かべていない瞳に、背中がぞくりと粟立った。
「…手詰まりか、チェックメイトか」
音も無く立ち上がった長身に周囲が視線を注ぐ。進行役の生徒がすぐ様着席を促したが、真っ直ぐ壇上へ向かう長い足が止まる気配はない。
微かな足音すら響かない。
「何だあいつ…」
「………命知らずかよ」
「中央委員会に睨まれるぞ、あれ」
「…何様なの」
不特定多数の騒めきが非難混じりのものへ変化したが、スピーカー越しに炸裂した衝撃音に皆が壇上へ向き直った。
『静まれ、愚か者共が…』
誰かが息を呑む音を聞いた。
空席の隣に体を向けたまま、反対方向から隼人の呟きが漏れるのを聞き留める。
「へえ、…神様みたいな声だねえ」
そして思い出した。
出会って間もなくからずっと、誰かに似ていると思っていた友達の声が、神帝にそっくりなのだと。
『サセキだか移籍だか知らんが、諸君らの崇拝する人神皇帝へ申し伝えるが良かろう』
何処からどう見ても平凡、いや、至極地味な眼鏡っ子が囁く静かな声音に圧され、全ての人間が無意識に背を正した時、
『王様攻めは読み飽きた。俺様会長になれるよう頑張るにょ!』
ぷはーんにょーん
と言う叫びを最後に、壇上の下で両腕を広げている長身にしゅばっと飛び込んだオタクがビシッと指を突き刺した。
「萌は体育館で起きてるんじゃないっ、無人の教室で起きてるんだァ!!!」
佑壱が紅蓮の衣装を脱ぎ捨てながら、迷い無く立ち上がる。飛び跳ねる様に立ち上がった健吾が椅子を踏み台に宙を舞い、壇上から出口まで続くレッドカーペットに着地した。
呆れたのかただ眠たいだけか面倒臭げに立ち上がった裕也は、周囲の生徒らを非情にも蹴り払いながらのっそり歩いていく。
「馬鹿らしくてやってられっか。進級祝いパーティーの準備だ準備、おい要!買い物付き合え」
「副長、俺が付き合ってあげよっか(∀)」
「却下だ。テメーは余分なもんを欲しがるからな。おい裕也、」
「すいません、今日は生理痛なんス」
「荷物持ちが面倒臭いだけでしょう、貴方の場合」
呆れた様に立ち上がった要が、然しちょいちょい手招く俊に見えない尻尾をパタパタ振り回しながら駆けて行った。
「錦鯉君、桃味の飴ちゃんが食べたいって嵯峨崎先輩におねだりして欲しいにょ。あ、あとコーラと明太子スナックと、」
「おやつは三百円までだ、三百円」
「バナナはおやつに入りますかっ?!」
「バナナジュースもおやつに入る。バナナケーキもおやつ」
「…カイちゃん、桃味の飴ちゃん、」
「菓子は三百ユーロまでか。ふむ、他に欲しいものはあるか?」
「テメェコラ、デカ眼鏡。子供を甘やかすんじゃねぇ!だから非行の道に走るんだハゲ!」
「アンタが言いますか、この不良大将ー」
皆の長い足を憎々しく見つめていた太陽が、広い額に手を当てながらぽてぽて歩いてきた。
ボサ眼鏡に姫抱きされたオタク眼鏡に、ボサ眼鏡を睨むオカン、ボサ眼鏡を羨ましげに凝視している要に、さりげなくオタクとメルアド交換しているタンポポ頭、雑草頭。
「俊、だから帝君は買い物タダなんだって。こんな馬鹿馬鹿しい学校、そんくらい楽しみがなきゃやってらんないよねー」
「…おい要、山田がお前より黒いぞ。ブラック越えてカオスだぞ」
「ユウさん、彼は笑いながら人を殺すタイプですよ、きっと」
「あはは、じゃ、無人の教室行きますかー」
「「本当にすいませんでした」」
笑顔の太陽に眼鏡を光らせたオタクが、壇上の異変に気付いて目を向ける。
素肌に白い詰襟を羽織っただけの息を弾ませた日向と、少し遅れてやってきた二葉に講堂の騒めきが再発した。
「おい、キモ眼鏡!テメェ、左席がどう言う意味か判ってんのか?!」
マイクを通さず吠える声に振り向いた俊が、僅かに首を傾げる。
「テメェ如きが天皇を名乗ればどうなるか判ってほざいてやがんのか、阿呆が!」
「んだとテメェ、降りてきやがれ高坂ぁ!今度と言う今度こそ、」
「テメェは黙ってろ、野良犬が!遠野っ、テメェが天皇を自ら名乗れば俺様は勿論、中央委員会を敵に回すんだぞ!」
苛立ちが滲む叫びに親衛隊が不安げな眼差しを注ぎ、相変わらず微笑を浮かべたままの二葉が太陽を見つめ口を開く。
(ねぇ、貴方の世界は何色ですか?)
「折角見付けたお友達は、ただのお馬鹿さんだったみたいですね」
「良いか、テメェら全員同罪だ!」
(ねぇ、今日はとても良い日になりそうで)
(初めて世界に光が見えたんだ)
「テメェら凡人が神に逆らうつもりなら、」
「ガタガタ喧しいんだよっ、役立たずのお飾りアイドルが!!!」
その叫びに、佑壱、要、健吾、裕也、神威までが驚いた様に身動ぎし、俊が弾かれた様に手を伸ばす。
(昨日まで灰色だった空に)
(仮想空間にだけ存在した色が)
(ほら、こんなにも綺麗)
「んだとテメェ…!」
「煩い、この金髪王子が!俺の親友が誓ってんだろ!アンタらなんかが口出しすんなっ」
「タイ、ヨー」
「左席が何だっつーのさ、やってやろーじゃねーか!庶民舐めんなっ、苦労知らずのボンボン共が!」
「タイヨー、」
「タイヨウ君、スゲー(=Д=)」
「死亡フラグ立ったな、ありゃ」
「御愁傷様です、山田君」
「他人の振りだぜ」
(初めて出来た友達が)
(立ち向かうならば喜んで)
(お付き合いしましょう、)
(世界の果てまでも)
「地味で目立たないけどなぁ、お前さん達全員俺の名前を卒業するまで覚えてやがりなさい!
宣誓っ、今日から俺は平凡チビを卒業する事を誓います!」
ピューと隼人が吹いた口笛は、
「一年Sクラス21番、左席委員会副会長ヒロアーキ=ヤマダじゃい!
夜露死苦!」
割れる様な地響きと化した人間の騒めきで、容易に呑み込まれた。
(ああ、神様が微笑んでいる)
(今なら、泣いてもイイだろうか)
(だってこんな幸せ初めてで)
「皆さん行きますよー、こんな空気悪いトコに居たら抜け毛が増えるし!」
「お前が仕切るなヤマーダ=ハゲ」
「ユウさん、アキヒーロ=カワタじゃなかったですか?」
「ダバーダ、タイヨウ君の反抗期祝いに一曲プレゼントしてあげよっか(´∀`)
交響曲第60番、ヨーゼフ=ハイドン、」
「ハイドンは喧嘩の曲だぜ」
「ちょ、高野君、それ苛め…!!!」
「ハ長調、うっかり者」
「「「嫌味か、それ。」」」
(なにせこんな幸せ初めてで)
(もしかしたら明日)
(死んでしまうかも知れないのに)
「俊」
「ふぇ」
「山田太陽の様な友を得られたのは、生涯の誇りとなろう」
「むにゅん」
「独裁者は常に個人であり、信頼に値する他者を知らぬ」
前を歩く赤い尻尾とオレンジとグリーンの向日葵と光を反射させてマリンブルーに煌めく青と、その中央をぽてぽて歩いていくオニキスに眩暈がした。
「………暫く、神は眠りに就こう」
「カイちゃん、タイヨー、苛められたりしない?」
「中央委員会は直接動きは出来まい。恐らく、陛下がそれを望まない」
「でも、アイツ悪い奴にょ。タイヨーの事見てないのに、タイヨーのお名前言ったにょ。きっと、食堂に来ないにょ」
「そうか」
「王様なんて、大っ嫌い」
「そうか」
「きっと、僕がヘタレチキンオタクだから、馬鹿にしてるにょ」
くるり、と。
大好きな人が不意に振り返り、額に乱れた前髪を掻き分けながら目を見開いた。
「………言ったろう?」
長く通った鼻先が頬を撫でて、唇に吐息が掛かる。
「お前を例え人や王が厭うならば、…俺は即ち人にも王にも成れぬ不完全な魂だ」
「お顔近過ぎにょ、カイちゃん」
「白地のキャンバスへ一筆描く時に似た快楽は、然程持続しない」
回りくどい物言いに慣れてきた。唇が勝手に吊り上がり、分厚いレンズの向こうに見える蜂蜜色が和らぐのを視た。
「原稿用紙に下書きする時、ドキドキしますっ」
「美しいものを目にした生き物は破壊衝動に駆られる。そして後に悔いるのだろう」
「後悔先に立たずにょ、下書き失敗すると悲しいにょ。だから萌を見掛けたらとにかくパパラッチするんですっ!…あ、嵯峨崎先輩に買って貰ったデジカメちゃん、メモリ不足にょ…」
「俊」
視界の隅に、振り返る赤青橙緑が映り込み、
(お母さん)
(今日はとてもイイ日になりました)
(友達が出来たり)
(舞台の上で挨拶をしたり)
(ワンコみたいなにゃんこが、)
(笑っています)
「また、孕ませようか」
裕也以外の悲鳴を聞きながら、初めて瞼を閉じてみた。
(きっと、明日も幸せな)
←いやん(*)(#)ばかん→
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