帝王院高等学校
無関心なチミ達に愛を込めてっ!
幸せな日々に忍び寄ってくる終焉の足音には、音がない。

「…蓄音機?」

足音が聞こえたなら形振り構わず逃げ出していたのに。
破滅と絶望を従えた終焉の神はきっと、虚無から生まれた虚無の番人なのだ。だから気配がない。だから気づかせてくれない。

ターゲットを虚無へ送る、その瞬間さえも。

「オルゴールの様な形だが、私達の十周年を記念して作られたものだ。箱の装飾に、十年を示す『X』と刻まれているだろう?」

代わり映えのない毎日は、気づいた時に終わっている。昨日と同じ今日なんて、世界中の何処にも存在しないのだろう。

「…あれ?蓋が開かないぞ、これ鍵が掛かってるのか?」
「鍵は、お前の嫁入り道具を使わせて貰った」
「嫁入り道具って言うな」

この世に於ける最後の瞬間はいつも、決まって唐突だ。
だから誰もがその日一日を大切に暮らそうとしている筈なのに、毎日それを意識している人間はまず存在しない。

「お前のロザリオを鍵穴に嵌め込めば、内部のスプリングコイルが押しつけられて開く仕組みになっている」
「あ、本当だ。オルゴールなのに手が込んでるんだな」
「開発したのは現在の技術班だが、外装のデザインは、数年前にテレジアが書いてたものを参考にしたそうだ」
「…え?」
「私達が無事この日を迎える事を、彼女は当時から信じていたらしいな」

新しいものを作る事が好きな女がいた。
リヴァイ=グレアムと言う幼い少年が、一握りの大人とペットの狼と生まれたばかりだった赤ん坊と共に故郷を捨てた時、共に逃げ延びた使用人が腹の中に宿していた娘だ。

「これどうやって使うんだろ。螺子巻いても、何の音もしねェ」
「まだ蓄音していないからな」
「何だって?」
「音を記憶させる事が出来るそうだ。通常オルゴールは針がシリンダーを弾く仕組みだが、これはディスクオルゴールを改良して作られた」
「リスクオルゴール?」

彼女の発明は殆どが失敗作か使い所に困る様な代物だったが、彼女が『世紀の発明』と自画自賛するものは全て、本当に大発明だった。

「円盤状のLP盤と呼ばれる記録媒体が内蔵されている。螺子を巻く事でシリンダーが回転し、針を通して音を奏でる構造だが、…手前に窪みがあるだろう?」
「これ?何か、外についてる鍵穴に似てる」
「その通り。そこへクロスを嵌め込み押し込むと、録音が開始される」
「はー…訳が判らんけど、何か凄いのは判った」
「人の手で持ち運べるサイズだ。多少機能は劣ると言うが、複雑な旋律でなければ正常に再生されるだろう。再生可能時間は、3分程度だそうだ」
「俺の子守唄を記憶させて、レヴィが出掛ける時に持ってくとか?」
「素晴らしい提案だ。君は天才だな」

耐久性も申し分なく、外の世界で売れば国を買えるくらいの金額になるだろうと噂する者もいる。けれど技術班班長が外に流すのは、『作ったは良いけど何に使えるか判らない』中途半端なものばかり。
彼女の成功品は全て、ステルシリーの為のものだった。

「でも、これは一つしかないから、やっばり駄目だ」
「そうか。残念だ」
「何を録音するかちゃんと考えて、一人の時にこっそり録音するんだ」
「私にも教えてくれないのか?」
「どうしよっかなァ。まだ判らない」

彼女がただ一人、唯一神と崇める美貌の男爵の為だけに。
彼女は果てしない忠誠心と敬愛を込めて、ひたすら発明品を生み出し続けた。何年も何年も、遠野夜人が海を渡る前から、ずっと。


「…今、テレジアさんはどうしてる?」

マリア=アシュレイ。
彼女の父親はアシュレイ家の末の息子だったが、グレアム家で働いていたメイドの一人と恋仲にあった。まだ学生だったけれど、ヴィーゼンバーグによってグレアムの屋敷が燃え落ちたと聞いて間もなく、自ら命を絶っている。

「脳波に異常はない様だ。折れていた骨や損傷した内臓もある程度回復し、元気にしていると報告を受けた」
「そっか」
「リハビリも兼ねて、区画保全部の相談役として働いてくれている。彼女が滑落した地底湖は、数年前に調査させた頃にはなかったものだ。今は推測に過ぎないが、地震の影響で地形が変わっていたのだろう」

ヴィーゼンバーグ公爵家は間接的に、アシュレイ伯爵家の子息も殺したのだ。
アシュレイが公爵家を許す事は、恐らく一生有り得ないだろう。オリヴァー=アシュレイとレイナード=アシュレイを産んだユダヤ人のメイドは、マリアの母親を妹の様に可愛がっていた。己の夫の弟だった若者が、娘の存在を知らされないまま死んでしまった事を、彼女もまたとても悔いていた。

「オリヴァーは外で暮らす事も検討している様だったが、テレジアの親族はオリヴァーとレイリーだけだ」
「…うん。俺も、テレジアさんにはずっと此処に居て欲しい」
「今はまだ、辛うじて物体の輪郭は把握している様だが、いずれ完全に見えなくなるだろう。現時点では、技術班にも進行を遅らせる事しか出来ない」

恋人が自殺してしまったと知って悲しみに暮れたマリアの母親は、一人で海を渡りロンドンへ戻ろうと考えた。せめて彼の遺品が欲しかったのだろう。グレアムが焼け落ちた夜は逃げる事に必死で、運び出せたものは殆どなかったから。

「耳は聞こえるんだ。だから話は出来るって事だ」
「ああ」
「ハーヴィなんて、足音だけで俺かお前か判るんだって。俺でも後ろ姿じゃ見間違えるのに、ハーヴィは見えなくても、龍一郎と龍人を間違えたりしなくてさ」
「ああ」
「テレジアさんは他の誰よりも地下の事を知ってて、テレジアさんが見つけてきた鉱石と設計図で作ったもんが、ステルシリーには沢山あって…」
「ああ」

然し残酷な事に、彼女を乗せた商船は、出港後間もなく転覆してしまった。
メイドが一人居ないと言って探し回ったオリヴァー達は、岸に流れ着いた遺体の中に彼女を見つけている。暫く潜伏していたグリーンランドからアメリカへ渡って、実に半年後の事だった。
グレアム家を度々訪れていた商人に、アメリカへ渡った日に偶然再会し、アシュレイ伯爵宛に手紙を頼んだ事から始まった悲劇だった。妻と子供と弟までも失い意気消沈していた伯爵はすぐに駆けつけてきたが、弟が死んだ事を弟の恋人に告げてしまった事で彼女を殺してしまったと、随分悔いていた。やっと歩ける様になったばかりだったマリアは、母親の死をまるで理解していなかっただろう。

「りゅ、龍一郎は、テレジアさんと一緒に、そ…空を飛ぶ車を作るんだって、凄い事言うんだょ」

悲嘆したアシュレイ伯爵は妻を連れてロンドンへ戻ると言ったが、ユダヤ人では妻になる事は許されないと最後まで首を振らなかったメイドは、それから二人目の息子を妊娠するまでアメリカに留まった。
オリヴァーは表向きグレアムの屋敷と共に焼け死んだ事になっていたので、レイナードを妊娠したメイドはとうとうイギリスへ戻る事を覚悟したが、伯爵は惨劇の舞台となったロンドンではなくウェールズに新しい屋敷を用意しており、レイナードはその別荘で産まれている。
そしてレイナードの物心がつくと秘密裏にオリヴァーと初対面し、自分の心は常に兄と共にあると誓った通り、彼は成長して海を渡った。引き換えにオリヴァーは、イギリス議会へ宣戦布告とも取れる『生存報告』をしたのだ。

私は生きていると。
レヴィ=グレアムと共に、こうして無事、生き残ったのだと。

「俺とお前とハーヴィを乗せて、いつか空と海の境目でサンドイッチを食べるんだ、って…」
「楽しみだ。晴れているニューヨークの空を、私も死ぬまでに一度は見てみたい」
「何で今度はテレジアさんなんだよ…!」

終わりはいつも、目に見えない。
唐突に姿を現し、幸せな人間から全てを奪っていく。何の脈絡もなく、暴虐なほど勝手に、一言の断りもなく。

「ハーヴィから景色を奪った癖に、まだ足りねェってのか?!テレジアさんが居なかったら困るんだよ!俺の目が見えなくても誰も困らないのに、何で…!」
「夜人」
「っ」
「私は困るぞ」

この絶望が天罰なら、いつ罪を犯したのか教えてくれれば良い。
謝罪しろと言うなら土下座でも何でも、償えと言うなら命を懸けてでも。それなのに神の裁きはいつも唐突で、それが裁きなのか単なる気紛れなのか、まるで見当がつかないのだ。

「お前の瞳に私が映らない瞬間など、あってはならない。私の瞳にお前が映らない事も同様、そんな事があれば私は決して許さない」
「だ、って…」
「お前がテレジアの代わりに視力を失うと言うなら、私は忠実な部下を一人、この世から消さねばならなくなる。…判ってくれ夜人、私にはお前以上に大切なものなど存在しないのだから」
「テレジアさんはお前の事がずっと好きだったんだぞ?!」
「それがどうした」
「ひ、酷い…っ。お、お前は酷い男だ…っ」

だから八つ当たりしたくなる。現実から目を背けたくなる。何も出来なかった己の無力さに、絶望を受け入れるしかない世界の無慈悲さに、ただただ打ちひしがれて、何も彼もを呪いたくなる。

「…私が愛しているのはお前だけだ。テレジアは関係ない」
「うっ、で、でも、ひっく」
「マチルダと離婚する前に、オリヴァーが私にテレジアとの婚姻を勧めた事がある。あの時、私はそれに従っていれば良かったのか?」

ああ。馬鹿な事を言っていると、本当は判っているのだ。
この世にはどうにもならない事があって、本当はどうにかなる事よりどうにもならない事の方が圧倒的に多く、人間に許された権利なんてものは余りにも少ない。万能な神や仏から見れば、どれほど脆弱で愚かな生き物なのだろう。

「や、やだ…っ」
「それは何故?」
「レヴィは俺のだから、やだ…!」
「その通りだ夜人。間違えるな、私は他の誰のものでもない」

昨日まであったものがなくなると、後悔ばかり。昨日までは見向きもしなかった癖に、今はそれしか見えていない。幸せより絶望の方がずっと強くて、幸せにも絶望にも足音がないのに、幸せだけは永遠に続くものだと信じてしまう。
けれどどうだ。永遠なんて存在しなかった。ならばこの悲しみも、いつか消えてなくなるのだろうか。それなら、何処まで行けば消えてくれるのだろう。

「う、うぇ、ずずっ」
「…泣くな。テレジアは泣かなかった」
「だってぇ…」

音のないオルゴール。
いつかそこに音が宿った時、世界はまだ存在しているのだろうか。

「そうだ、出向中のライオネル=レイから手紙が届いていた。お前宛ての手紙も添えられているぞ」

絶望には音がない。

「…らいおねるって誰?」
「どうした、レイリーを忘れてしまったか?」
「あ…ああ、そっか、レイリーだよな、厳ついレイリーだ。ぐすっ。…ごめん、めそめそし過ぎて頭がぼーっとしてたみたいだ。ずぴっ」
「一先ず顔を洗った方が良い。ナインはともかく、オリオンに見られたくはないだろう?」
「…ん。アイツに泣き顔なんて見せて堪るか」

嵐の前の静けさの様に。






























「また、この時間まで騒いでいたのか」

満月の下。
太陽の下では活発に見えるその髪色は、漆黒に浮かぶ月に良く似た神秘的な色へと変貌を遂げる。青空の下では太陽の様に、然し今は月光の如く。

「若気の至りと言うが、体力より気力が肝心だ」
「…騒いでる時は、他に何も考えなくて良いかんな」

夜の帳に忍ぶ人影は月の光を誰よりも強く浴びていて、まるでホラー映画のワンシーンの様だった。だから高野健吾は、恐らく求められてはいない返事を律儀に返したのだ。わざとらしいほど、呑気な声で。

「考えたくないのか」
「別に?面倒事は嫌いなんだ。俺って平和主義者だもんな、蟹座は愛情深い星座なんだ」
「成程」
「あ。もしかして今、ちょっと笑った?」

ネイビーブルー。
闇に溶けるブレザーは夜から愛された衣の様に、一人で静寂を奏でていた健吾を包み込んだ。

「本日も中央委員会書記閣下に於かれましては、通常遠りお元気でござーしたよぃ。拳骨はいつも遠り死ぬほど痛くて、平気で可愛い舎弟を燃えるゴミの袋に詰めて、あっさり捨てようとしました」

これで満足かと首を傾げてみたが、相手は『生きている音』が一切聞こえない、幽霊の様な男だった。これほど強く月の光を浴びているのに、目を凝らさないと存在が曖昧になる。
夜空に似たネイビーブルーの制服を纏っている健吾の方がずっと、存在感を醸している様な気さえ。

「興味ねぇってか」
「特には」
「交換条件、って言われてんだけど?俺がユーヤの全情報を貰う代わりに、俺はアンタらにエアフィールド殿下の情報を献上する。違ぇか?」
「ファーストの状態に関して気に掛けているのは常に、私ではない他人だ」

ああ、そうか。
Stealthil、音もなく忍ぶ者。生きる事を許されなかったノアの末裔が、国を去り船で海を渡った後に名乗った名前は、今は世界を裏から支配しているそうだ。

「And then I smiled, comparing myself with other men, comparing my active goodwill with the lazy cruelty of their neglect.(そして、自分を他人と照らし合わせてみる。善意で活動している自分と、無関心で残酷な他人と比較し、微笑んだのだ)」
「ジキルとハイドか」
「話の最後。博士とハイドは、どっちが自分で自分を殺したんだろうな?」

そして目の前には、見えているのに目を凝らさなければ見失ってしまいそうな、ステルシリーキングダムを統べるノアが居る。

「文学作品の話であれば、ファーストに持ち掛けるれば良かろう。そなたはファーストの正体を知っている。その逆がどうであれ、私の預かり知る所ではない」
「訳判んねぇな、アンタ。俺なんか見に来て、何か面白いの?」
「さて。興味を失えばその場で終わる、全ては泡沫の浪費だ」

この男に良く似た男を知っていた。
つい最近の話だ。嵯峨崎佑壱を王座から扱き下ろした、黒髪の男の事。日本中何処にでもいる、一度として染めた事がないだろう艶かかな黒髪に、白目との対比が強い漆黒の眼差し、それらと同じ真っ黒な学生服でやってきた物静かな男。

「アンタがこっちに来る前に。俺らの兄貴が、新しい兄貴を連れてきたんだ」

寒い。
昨日は雪が降ったけれど、今日は空気が凍えているだけで、とても晴れている。満月が綺麗な丸を描いていて、見事な夜だ。

「アンタにゃ全然似てねぇ普通の奴。ちょっと…つーか大分、顔が怖い。最近はすっかり慣れたけど、どっかの一途野郎が、シルバーウィッグとサングラスをしこたま買い込んで来たんだよ」
「それは喜ばしい事だ」
「大昔の恋人が忘れられねぇのかなぁ、背中に翼が生えてる狼ちゃんは」
「それは喜ばしい事だ」
「うひゃひゃ。全然興味なさそー」

共通の趣味、共通の関心。人と人の間に最も必要なのは、そこではないだろうか?
少なくとも健吾はそう信じている。例えば昔、恋人に振られる度にトランペットを磨いていた男がいた。恋人はコイツだけだと口癖の様に豪語していた癖に、女性と交際し始めると手入れを怠けるのだ。

「折角重い腰を上げて来日してくれたのにな?悪ぃけど、アンタはお払い箱だってよ。世界一のマフィアのボスより、ヤクザ面した高校生のが合ってるんだって。アンタもそこそこ老けて見えるけど、まだ15歳だもんな」

どうしてだろうと不思議だった。健吾は毎晩、自分の楽器を大切に抱き締めて眠ったし、楽器が存在しない生活など考えられなかったからだ。

「そなたは13歳か。私は来月16になる」
「俺は、簡単に捨てたりしねぇ男っしょ。こう見えて結構、物持ちが良いんだ」

くれると言うから貰っただけ、と言って世界一高価なバイオリンを時折手入れしていた父親だって、チューニングだと嘯いて、大抵一通りの曲を弾いて聞かせてくれたものだ。健吾は聞き疲れて、省吾は弾き疲れて、親子揃って寝落ちするまでバイオリンから離れなかった。

「アンタみたいに、次から次に何でもかんでも飽きる様な変態にゃ、判んねぇだろうがな」

呆れた母親がケースに仕舞って、鍵つきの飾り棚に戻してくれなければ。一晩中雑魚寝する羽目になっていただろう。けれどそれが日常だった。朝目覚めると同時に父子揃って叱られても、母の前では殊勝な態度で反省しつつ、彼女から見えない所では、顔を見合わせて舌を出した覚えがある。

「随分知った様な口を利いているが、誰もがそなたの様に、永続的な関心事を容易く見つけられると思っているのか」

大事なものだから、閉じ込めたりしてはならない。
大事なものだから常に傍に置いておかなければならない。違うか?

「…物好きって言われね?」
「どうだったか。必要のない記憶は淘汰されていく。必要のないものは時空が導くままに、宙へと」
「詩人かよ」
「人の生涯は星の瞬き同等に短く儚い」

ああ、それは判る。
何一つ共通項などないと思っていたが、そうでもないらしい。

「誰ぞが今この瞬間に滅ぼうが、明日にはまた今日と同じ日が昇ると、数多の人類は無条件に信じて込んでいる。人は他人に関心がないと宣う様だが、ならばどうして己と他人が同一であると思い込むのか」
「何だ、単に馬鹿にしてるだけじゃん。アンタから見たら、地球なんて馬鹿の掃き溜めだもんな」

そう、地球上の生き物はその全てが異なっている。一つとして同じものは存在しない。例えばクローンアニマルですら、異なる生き物だ。完全に同じものではない。絶対に。
けれど、誰もが自分に近い何かを探す筈だ。
関心があるものが似ている、口癖が似ている、理由は何でも良い。一つでも自分と同じ話題があれば、人と人は仲間意識で結ばれる。そうして生き物は繁栄していく。これまでがそうだった様に、これからも。それが出来ない生き物は淘汰されるだけだ。自分は誰とも同じではない、だから一人で生きていく、それを選択するなら否定はしない。

「進学科の休みは日曜日だけじゃん」

けれどそれでは、寂しいではないか。

「中等部に限っては、そうなっている。日曜に制服を着用する者は、まず存在しない」
「日曜日が終わりゃ月曜日になってさ」
「繰り返される。人が作り上げた暦の上に限定された、決まり事」
「放課後になったら、アンタんとこの陰険眼鏡がまた迎えに来るんだ」

無関心は害悪だ。知らなかったが言い訳になるのであれば、知ろうとしなかった罪が消えるのか。

「そんで俺は何にも気づいてねぇ振りして、相棒をマッドサイエンティストの貢ぎ物にしなきゃなんねぇ。…っつー、流れっしょ。だから日曜日は嫌いだ」

傍にいれば行くなと言ってしまいたくなる。
じっと見つめられれば、理由がなくても撫で回したくなる。向こうにその気があろうがなかろうが、自分が許せないのであれば、傍に置くべきではないと判っている癖に。

「不服ならばやめさせれば良い」
「やなこった」

大事に。(されてきた分だけしてきたつもりだったけれど)
大事に。(兄になった様な気になっていた)(破綻した両親の関係に辛うじてしがみついている『お荷物』だと知っていたから)(必要とされているのだ・と)(思い込む事で精神の均衡を保っていたかった)(ああ)(もう嫌だ)(情けない台詞を叫び出しそうなんだ)(我慢している事なんて一つもないと)(自分を騙していなければ)

「…十年以上、アイツの腎臓は壊れたまんま、体の中でじわじわ腐ってったんだ」
「肉を突破った爆破物の破片は、大腿骨と神経の境に潜んでいたと聞いている。急激な二次成長の兆しと共に、拡張を始めた筋肉の稼働が進めば、癒着した部位と共に神経を傷つけかねない」

夜になると痛いと寝言を言うから。背が伸びてるんだなんて、笑いながら背中を撫でてやった。ほんの最近の話だ。
昔もそうだった。深夜子供達が寝静まるのを見計らった様に夫婦喧嘩が始まると、祖母が止める声と、暫くしてから祖父の怒鳴り声が聞こえてくる。聞きたくないと言う気持ちよりも、聞かれたくないと言う気持ちの方が強かった。特に親友は、出会った頃は不眠症だったから、尚更だろう。

「腎臓って2つあるんだと。1個あれば生きていける訳じゃん。でもさぁ、アイツは生きるって事に、あんま興味がないみてぇなんだ」
「無関心に特効薬は今のところ存在しない。そんな奇跡の薬が存在すれば、既に我が身で治験しているだろう」

いつからあんなに簡単に、何処に居ても眠る様になったのか。
言われた事などない癖に、それが自分のお陰だと勝手に思い込めば、陳腐な自尊心がとても満たされた。(お前は俺が居ないと駄目なんだな)(などと馬鹿な優越感を抱えている癖に)(じっと見つめてくるエメラルドから逃げる方法ばかり考えている)(俺はお前の事なんて一つも見ていなかったんだ)(守っているつもりで守られていた)(知らない所で傷ついていたなんて)(今更、過去に戻れる訳でもないのに)

「俺のもんに傷一つでもつけてみろ。…テメーらステルシリー全員、墓の下でレクイエム聞かせてやるかんな」

違う。
誰かを否定していないと、情けない台詞を叫び出しそうになるのだ。だから『勝手に他人の命を救ってヒーロー気取りに浸っていた』馬鹿な子供が、タイムマシンを手に入れたとしたら、健吾が助けた相手は姿形が変わっているに違いない。戻れるものなら確実に。今度こそ死んでも構わないとすら思っている。

錦織要を救った4歳の自分に戻れるものなら、藤倉裕也を助けて13歳まで生きられたかどうかも判らない自分になりたかった。そんな情けない台詞を、今にも叫び出しそうになる。

初恋のカナちゃんを助けて満足していた幼い子供は、いつかあれほど大切にしていた楽器を手放した。以前と同じ様に弾ける様になるかは判らないと医者が言った瞬間に、『だったらもう良いや』と思ったのは、健吾が鍵盤を叩くと、カナちゃんが泣きそうな顔をしたからだろう。
あの時、カナちゃんの為なら楽器なんて要らないと。まるでそうする事でヒーローになった様な錯覚に浸っていた馬鹿な子供が、十年経ってまるで違う人間に成長してしまった。

『カナちゃんなんて助けなきゃ良かった』
『違う。それは良かったんだ』
『どうして俺はあの時、カナメを助けたりしたんだ』
『…やめろよ。そんな事、本当は思ってねぇだろ』

自分の中に、自分ではない別の誰かが住み着いた。まるっきりジキルとハイドだ。今更どの口が宣うのか。何年一緒に過ごしてきたと思っている?自分が知った気になっていた様に、裕也も健吾の事を誰より知っているのだ。
だから健吾の初恋の相手が誰なのかも、帝王院学園で要に再会した夜は興奮の余り眠れなかった事も。振られても振られても話し掛けては睨まれて、とうとう話し掛けても無視される様になった頃、呆れ果てた裕也から『いい加減諦めろ』と言われても、『俺ぁ諦めが悪い男っしょ』なんて繰り返してきた。

全て裕也は知っている。幼い頃は隠す必要がなかった。見られたくなかった夫婦喧嘩も、寮に入ってからは遠い過去の話。それ以降、健吾は裕也に嘘を言った事はなかった。決して言えない秘密を隠す様になるまでは。

「セカンドに今の言葉を伝えておこう。私は新学期まで、存在しない生徒だ」
「…あっそ」

大事なものほど傍に置きたがる健吾が、とうとう今の今まで傍に置き続けてきたのは要ではなく裕也だったのに、その理由を突き詰めて考える様になったのは、成長してからだった。ほんの一年か二年前からだ。

「アンタ、中央委員会に内定してんの?」
「ああ。先週、烈火の君から役を譲り受けた」
「…会長かよ。ま、想定内だけど」

けれどその時にはもう、一緒にいた時間が長過ぎた。
例えば気づいた瞬間に『お前の事が好き』なんて口にしていれば、裕也は眉を寄せて『そのギャグは受けねーぜ』と一刀両断しただろう。誰よりも知られているのに、絶対に知られてはいけない秘密を抱えてしまった。

「ABSOLUTELY率いて外に出るつもりなら覚悟しとけや。今のカルマは、アンタがあっちで聞いてた報告とは、一味違ぇかんな?」
「そうか」

そして今になって、逃げ回っていたツケが一気に回ってきてしまった。つまりそう言う事だ。
惨めな自分を演じて孤独に浸っていても、逃げた罰にはならないだろう。そんな事は知っている。


「なぁ。…自分が幸せにしてやれるんは、自分だけだよな?」

懺悔の様だった。
とある男に語り聞かせた自分の思い出話はまるで、他人事の様ではなかったか。無関心を装う事で強がっていただけだと考えて、今になって恥ずかしくなってくる。

「あれはそなたが苦手なのだろう。己が持たないものを持っている」
「あれって、何?」
「知る必要があれば己で求めよ」

やはりこの男は苦手だ。
哀れな程に何事にも無関心で、心から羨ましい。

「私は今、与えてやる事に興味がない」

根掘り葉掘り人の過去を聞きたがる男と、どっちがマシなのかは、考えたくなかった。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!