帝王院高等学校
夜桜夜酒、怖い巫女様は程々に!
「何をしている?」
「…見て判らんのか、文学部卒」
「酒に浸っている様に見えるが、合っているか?」

医者として独り立ちした男が、祖父と父親が作った診療所を病院として建て直すと言う話を聞いて、数々の贈答品を運ばせた帝王院鳳凰は上棟式に参列し、友人として祝辞を読んだ。軈て完成した病院の院長となる遠野夜刀は、彼の数少ない友人だ。贈答品とは別に、個人的に楽しむつもりで酒樽を運ばせたのも、鳳凰が夜刀と二人で酌み交わしたかったからに他ならない。

「大当たりだ陽の王。苦労知らずの坊ちゃまが持ってきた酒は、人様に呑まれるより、人様を呑みたいんだとよォ」
「酒樽に裸で飛び込む人間を見るのは初めてだ。ふむ、五右衛門風呂に似ている」

厳粛な雰囲気の席に招かれた地元の神主は、白紋が刻まれた白い袴を纏っている帝王院俊秀の前で飛び跳ねたが、結局、祝詞を読み上げたのは大工達と面識も深い、地元の神主だった。俊秀は学生時代の夜刀に出資を申し出た事もあったが、結果的に、夜刀は30歳の若さで誰の手も借りず夢を果たしたのである。

「あァ、酔っ払ってきたー」
「一口も呑んでいない筈だが、酔ったのか」
「酒ってのは、呑まなくても浸れば酔うもんなんだ。毛穴から呑んでるも同然なんだ。ったく、お前はいつまで経っても馬鹿だな!」
「そうだな。私が知る限り、お前以上に聡明な人間は存在しない」
「…は。テメェの目玉に見えるもんなんざ、狭い世間だけだろ」
「お前には何が見えている、夜の王?」
「あァ?俺ェ?俺かァ、俺には、立派な柱と梁の骨組みが見えるぞォ!」

建設予定地に組まれた夥しい数の立派な骨組みは、間もなく病院として形を整えられるだろう。誰よりもはしゃいでいる様にわざとらしく声を上げた夜刀に、遠くから、やんややんやと喝采が上がった。

「もうすぐ俺ァ、一国一城の主だ…」
「ああ」
「前途洋々、今までの苦労は今夜報われた」
「そうだな。その通りだ」

上棟式はとうに終わったが、鳳凰や地元の住民らが持ち寄った祝いの品で宴会を開いている大工や地元住民達は、夜が更けても敷地内に敷いた御座の上で夜桜を楽しんでいた。花見の季節だ。
月明かりでは足りない分、大工達が手早く用意してくれた松明が、所々で轟々と炎をくゆらせている。

「…それなのに、何でこんなに虚しいんだ?」

二人だけで楽しむつもりだった酒樽に浸かった夜刀は、水浴びには大分早い春先だと言うのに、いつまでも樽から出てこようとしない。例え鳳凰が風邪を引くぞと窘めても、当の露出魔は立派な医者だ。心の病気以外は、自ら治すだろう。

「弟が見つかれば、虚しさなど忘れる」
「…」
「夜人と思わしき男が、港に停泊していた客船に乗り込んだと言う情報を得た。米国籍の船の所有者については、晴空と刹那に探らせている」
「米国籍だと…?おのれ、アメリカ人が夜人を連れ去ったのか?!」

ざばっと日本酒から立ち上がった夜刀の裸が、鳳凰の視界を埋め尽くした。
ヒュルリラと吹いた風が濡れた体を冷やしたらしく、ぶるっと股間諸共に体躯を震わせた夜刀は、鳳凰が広げた贈答品の西陣織をガシッと奪う。樽から出るなりくるっと体に巻きつけて、悪名高い外科医は幼子の様に丸まった。寒いのだろう。

「落ち着け、お前の弟は大人しく拐かされる男ではない」
「そうとも!ガタブル、夜人は俺の十倍は強い悪餓鬼だからなァ…!千葉の山の中で熊と戦って無傷だったっつー伝説も残してるらしい…!ガタブル。目を離すと何するか判らないから連れ戻したのに…っ」

この兄にしてあの弟あり、か。
18歳になる直前で行方不明になった夜人と夜刀は、13歳ほど離れている。大学へ進む頃に夜人の守りが難しくなった夜刀は、夜人の本当の父親である祖父の一星と話し合い、夜人を親族の元に預けた。戦時中に死んだ遠野星夜と焼けた診療所の話を聞いていた立花は、快く夜人を引き受けてくれたが、ほんの数年で手を焼く事になる。

「じっ様は石頭野郎だったからな、夜人を親父達が育てる事にした時から夜人にゃ構いもしなくなりやがった。わざとらしいくらいに」
「彼なりのケジメだったのだろう?」
「…それにしたって、俺の事は殴る蹴るで何かにつけては『長男だろうが!』って怒鳴った癖に。確かに、どっちにしろ夜人は次男だけどよ」

夜刀も悪餓鬼だったが、夜人も類を見ない不良だったのだ。夜刀には恐ろしい祖父と言う抑止力があったが、離れて暮らしていた夜人にはなく、喧嘩の腕が立った事から夜人の暴虐は止まらなかった様だ。

「夜人は、一星殿が還暦を迎えた後に産まれたのだろう。己に残された寿命を鑑みた時、息子の将来を担えるのは己ではないと、私が同じ立場なら悩む」
「テメェはまだ30代だろうが。知った様な事ほざきやがって…」

学校にも通わなくなり、夜人と同じくグレていた立花の末の息子と共に、悪い仲間とつるんでは警察の世話になっていた。
研修医として学びながら、焼け落ちた診療所を地元の住民らの協力で何とか補強し、最後の最後まで診療を続けた一星の手伝いもしていた夜刀は、夜人を顧みる余裕がなかった己に愕然とし、呼び戻す事にしたのだ。
その時、夜刀には交際している女性がいた。今後の事考え、早めに結婚し力を貸して貰う方が良いだろうと考えていた頃だ。寂しい思いをさせていた夜人の為にも、家族を増やす事が何よりの特効薬だと信じていたけれど。婚約の話を手土産に迎えに行った夜人は、実家に戻ってからも、素行の悪さは戻らなかった。

「俺は、医学以外はてんで駄目な男だった。認めたくなかったが痛感した」
「研修医の傍ら、手狭な診療所を大きくする為に金策に走り回り、人材を探し回り、診療も続けたお前の努力を、私は知っている」
「…こんな時、親父が生きてたらって考えちまうょ。夜人の産みの母親の美耶子さんは俺よりも夜人を心配してただろうに、俺の代わりにじっ様を支えてくれた。看護婦の鑑だ、親父とあんまり年齢は変わらねぇのに…とうとう、じっ様とは結婚しないまんまだったなぁ」

通いたくないのであれば無理をして学校へ行く必要はないと言っても、お前は好きな事をしてんだ良いと言っても、夜刀の言葉が弟に響く事はなかったらしい。目まぐるしい仕事と夜人の二重苦で追い詰められた夜刀は、結局恋人を蔑ろにした事で間もなく婚約を破棄している。それからも間を空けず恋人が出来たものの、婚約の話が纏まるまでは早いが、夜人が居なくなった後も、結婚には至らなかった。

「今はどうしている?」
「倒れたじっ様の世話をしながら最後まで看取ってくれて、俺が修業から戻った頃までは居てくれたんだが、夜人を連れ戻す前に手紙だけ残して居なくなっちまった。今更母親面は出来ない、だとよ」
「そうか」
「…それから、俺の事は、立派になったからもう何の心配もないって書いてあった。あの人は、二人目の母親だ。…本当に、世話になった」

大学時代に自称『夜刀の弟子』である雲隠陽炎に寝取られる事が数回あったり、鳳凰目当てで近寄ってきた女に引っ掛かったり、夜刀の女運は天性の悪さだ。判っていたが、夜人の為に結婚するべきだと言う変な使命感で、上手く運ぶ筈がない。独り善がりな考え方だったと、今は判る。

「今は色良い返事は出来んが、夜人の件は私に任せてくれ」
「…お前にも大きな仕事があるのに、遠野の事情で面倒を掛けるな」
「お前に目を掛ける事は帝王院の利になる事だと、父上が仰せになられた。お前が動けない代わりに、この件では私が動く…糸遊、火をこれに」
「御意」

屈み込んだまま動かない夜刀を横目に、狐のお面を被った巫女の一人を片手で呼んだ鳳凰は、彼女が運んできた七輪を夜刀の傍らに置いた。はち切れんばかりの胸を白装束で包んだ顔の判らない巫女に怯えた夜刀は、じりっと鳳凰の近くににじり寄る。

「我が名は帝王院鳳凰。陽の元を羽ばたく鳥の名を持つ、夜の眷属の友だ」

長い黒髪を纏めた巫女が狐面の下でフッと笑った様な気がしたが、定かではない。

「お前が寒さに震えるのであれば、私がこうして温めてやろう」

帝王院家には不思議な人間が多かった。
大学時代から夜刀が鳳凰を特別視していたのは、こう言った理由もあるのだ。京都から渡っていたと言う神主の一族は、大宮司である俊秀の元、四神を奉る皇と言う役職の宮仕えが居たそうだが、現在は数を減らしているらしい。人様の家の事情を根掘り葉掘り尋ねる図々しさは夜刀にはないので推測だが、帝王院が京都を離れた事が原因ではないかと思われた。

「酒に浸っただけでは腹が収まるまい、あたりめを焼くか?」
「…申し訳ない、感謝する。俊秀様にも伝えてくれ」
「嫌だ」
「あ?嫌だと?」
「話した事があろう?私と父上では、会話が続かん」
「あー、どっちも口下手だって奴か。でも、今は親父さんと一緒に仕事してるんだろう?大学卒業してから何年だ。いい加減慣れただろうに」
「父上はお前とはまるで違う。大宮司でありながら社を壊し、祝詞を読む事もない」

ああ、始まった。
帝王院父子には、金持ちにしか判らない難しい事情がある。二十歳を過ぎるまで半ば監禁生活を強いられたと言う鳳凰は、父親と接する事が少なかった様だ。大学卒業し、父親の仕事を手伝う様になってからと言うもの、それまでは遠かった男が急に近くなった事で、悩む事が増えたのだろう。

「陽炎が失踪した時も、父上は何一つ仰らなかった」
「ああ、あったな、そんな事も。然しいっぺん帰ってきたんだろ?」
「私は理解している。自由である事を妨げる悍ましさを。だから陽炎の行動を御するつもりはないが、…何故あれは書き置きの一つも残さないのか」
「奴は基本的に夜人以上の馬鹿だぞ。そんな高度な技術を求める方が間違いだ、諦めろ。…で?今回は親父さん何を言われて拗ねてるんだ?」

夜刀の目から見ても、恐ろしいほど顔立ちが整っている俊秀と鳳凰は表情が乏しく、今でこそ夜刀に慣れた鳳凰は多少崩れているものの、初対面の頃は何を考えているか判らない所があった。俊秀もそれに似た性分なのだろうと思われるが、似たもの親子の苦悩は大抵しょぼい。

「…聞いてくれるか我が友よ?」
「判った判った、一々格好つけなくて良いから内緒話ならお前も此処に座って、小さい声で話せ。俺が多少酒臭くても我慢しろ」
「…実は、こないだ俺の縁談話が出たらしいんだ。俺を差し置いて小林専務と榛原副社長が雁首を揃えて、会長に詰め寄っていやがった」

声を潜めた鳳凰の口は、夜刀の影響でかなり悪い。二人の間ではこれが普通の事だったが、今日は上棟式に招かれた賓客としてそれらしく振舞っていただけだ。

「そろそろ出ても可笑しくはないだろうが。お前の場合、女嫌いじゃなくてただの奥手だからな」
「俺だって好きで童貞を貫いてる訳じゃない」
「ああ、何だった?強欲な女ほど顔を見ただけで本性が判るっつー、特技の所為だろ?女は似たり寄ったりだ、あの美耶子さんだって俊秀さんの前じゃ顔が真っ赤だった」
「ふん、男は顔じゃない」
「お前が言うな、腸かっ捌くぞ」
「俺の悪癖は明神の呪いの様なものだが、父う…俊秀の奴はこの俺の苦悩を汲み取りもせず、『縁談はまだ早い』とほざきおった」
「…40歳を前にした息子にか?」
「テメェは18で14の小娘を孕ませた分際で、俺にはまだ早いだと…?!」

成程、鳳凰の言い分は尤もだ。正論だが、自分の母親を小娘と呼ぶのは如何なものだろうか。

「親父さんはお前の性格を判ってて、陰ながら支援してやってるんじゃないか?家が決めた見合いなんざ、殆ど親の都合だろうが」
「…お前は誰の味方なんだ夜の王、ち…俊秀の奴を庇うのか。あ、あたりめが焼けた」
「無理に親父さんを呼び捨てにする必要はないんだぞ?」
「俺に無理な事はない」
「女の裸を見ても興奮しない不能野郎だろうが。チンコついてんのか?」
「…俺のち…ち…ちん………お股は慎ましいんだ」
「小さいのか?見せてみろ」
「嫌だい!恥ずかしい!」
「男同士で恥じらうな、気色悪い」
「ぐすっ。気色悪いのは夜刀のち…ち…ちん………」

言えないなら無理をするなと、夜刀は年上の友人の肩を叩いた。

「何でもかんでも俺の真似をしなくて良いんだぞ?お前がグレたって、俊秀さんから俺が睨まれたらどうしてくれる。むしゃむしゃ。もうちょい焦がした方が美味い」
「うっうっ、血も涙もない夜刀は俺を見捨てるのか。あたりめを焼いてやっている俺を…!」

鳳凰を産んで間もなく亡くなったと言う彼の母親は、燃える様な赤毛だったらしいが、生後間もない鳳凰が幾ら『覚えている』と宣っても、夜刀は信じていない。いや、帝王院一族の嫡男なら何があっても可笑しくはないが、鳳凰はただのチェリーボーイだ。鳳凰の前で脱ぎたがる女は星の数存在した為、女の裸にはとっくに見慣れている様だが、鳳凰が彼女らに触れた事はない。
全員に服を着せてやり、全員に『己を大切にしろ』と諭してきた様だが、本音は『こっえー、やべー、どうにかして事なきを得たいんざます!ファイト、僕!』だろう。事実、学生時代に泣きながら助けを求めてきた鳳凰から、夜刀は何度も話を聞かされて来た。実に羨ましい話だが、鳳凰にとっては悪夢だ。

「お前はなまじ賢いから、おつむで物事を考え過ぎるんだ。良いか、一発二発で餓鬼が出来る事はまずない。何事も実践あるのみ」
「…お前と同じ医学部の高橋君は、浮気相手が妊娠した事で実家から見放されて退学しただろう?」
「良く覚えてたなァ?!俺もすっかり忘れてたわ…!ヒィ、やっぱり相手は選んだ方が良い…っ」

ぶるっと震えた夜刀はフルチンだったので、脱ぎ捨てていた服をもそもそと身につけた。酒臭い上にイカ臭いが、焼いているスルメの所為だろう。豪快に大吟醸に浸かった股間の所為ではないと、頑なに信じたい。

「で、どんな女が好みなんだ?そう言や、聞いた事がなかった」
「心根が清らかで、共に同じ景色を眺め、共に笑い、互いに互いを思いやれる…そんな女性じゃないと嫌だい」
「男の浪漫を絵に書いた様な理想じゃねぇか。人間、どっかで妥協しなきゃなんねェ時がやってくるもんだぞ」
「俺は妥協なんてしない。何故ならば俺は、陽の王だからだ。お前も妥協なんてするな。寧ろ俺より先に結婚するな。一緒に独身を貫こうよ、俺の足腰が立たなくなったらお前の病院に住まわせてくれ…むしゃむしゃ、む。焦がすと美味い」
「出資断っといて良かった、老いは病気じゃない。足腰が立たなくなったら一人で安らかに死ね鳳凰、後は火葬場が焼いてくれるから」
「ひっく」
「良い歳の男が泣くな」
「いや、お前の匂いで酔った…ひっく」

夜刀が浸かった大吟醸は誰に飲まれる事もなく、樽の中で沈黙している。
賑やかしい宴の声はたけなわで、主役を他所に盛り上がっている様だ。その場に俊秀の姿はなく、帝王院財閥の来賓として残ったのは鳳凰だけだった。巫女に扮装している何名かは、鳳凰の警護だろう。

「…父親とは、いつまでも子供扱いするものか」
「さァ、俺もお前も父親になってみれば判るだろうよ。いつになるもんかねィ」
「この手の話を聞いてくれそうな男が居たんだがな。姉上より二つか三つ年上で、夜刀の様に賢い人だった」
「うん?俺ほど賢いってのは、ただ事じゃねェな」
「…夜人が居なくなる数日前、死んだそうだ」
「死んだ?」
「このあたりめの様に、焼けてなくなった。屋敷も、彼の家族も、全部…」
「おい、こんな所で寝るなよ鳳凰」
「…なぁ、我が友よ。俺の手は借りたくないと言った癖にお前は、冬月龍流の手は借りたのか」
「今の話は、あの人の事か…」

ああ、そうだった。
夜刀の父親が亡くなったばかりだった頃だ。喪服が生える日に当たらない白い肌でやってきた、背ばかり高い男は遺影の主に泣いて縋り、喪主の一星を呆れさせた。幼子の様にわんわん泣いて泣いて、何時間経ったか。泣き疲れたらしい男は、学生だった夜刀に言ったのだ。星夜の志を一緒に継ごうと。つまりは、富める者も貧しい者も平等に治療が受けられる、日本一の病院を作る壮大な夢の話だ。

「そうだ。駆け出しの俺が掻き集められる金や人手なんて、ちっぽけなもんだ。全部あの人がくれたもんだ。自分が医学部に通い直すのは事情があって難しいから、そっちは俺に任せるってな…」
「そうか」
「患者を無償で引き受けてたうちに、金なんてある筈がないのによ。俺の学費援助って名目で、俺やじっ様には内緒で、龍流さんは美耶子さんに金を送ってた。俺らは頭が固いから、施しを素直に受け取りやしないからな」
「遠野の悪い癖だ」

珍しく皮肉を言っているのかと思ったが、鳳凰にそんな感情はない。それなら夜刀の勝手な思い込みと言う事になるが、返す言葉はなかった。石頭。偏屈。人を素直に頼る事が出来ない不器用な性分だと、いつか自らの祖父を評価した事があったけれど、夜刀も同じ様に育っている。

「…全くだ。何にも知らなかった俺は、テメェの力で医者になった気になってた、とんだ間抜け野郎だょ」

自分は祖父の様にはなるまいと誓った癖に、血には抗えなかっと言う事なのか。ただ意志が弱いだけなのか。例えば、夜刀にとっては俊秀も鳳凰も真面目で言葉数が少ないだけで、融通が効かない男には見えない。ちゃんと言葉を交わせば、すれ違う必要もないだろうに。
それが出来れば苦労はしないのだろうと、同じ穴の狢である夜刀には判る。人には向き不向きと言うものがあるのだ。歳が近い弟が何を考えているか判らなかった自分に、鳳凰を窘める権利などある筈がない。

「龍流には息子がいた。俺が知っているのは嫡男だけだったが、どうももう一人居たらしい」
「龍一郎と龍人だろ?」
「何だ、会った事があるのか?」
「いや、産まれた翌年に年賀状を貰った。双子だった所為で、親父さん達から片方を捨てろって言われたらしい」

初対面の時は子供の様だと思った亡父の友人は、それから時節ごとにやって来ては夢物語の様な話を繰り返した。夢物語なのに聞けば聞くほど実現可能な気にさせる、不思議な男だった。大学へ進学した夜刀に、誰より喜んだのも冬月龍流だ。
一星と飲みに出掛けて朝まで帰って来なかった時もあったが、いつの間に仲良くなっていたのかと呆れ果てた覚えがある。慕われていたが生まれ故郷が東北だった事もあって古い友人が居なかった一星にとっては、龍流は数少ない友人だっただろう。

「その時に従わなかった所為で、身内から睨まれたって言ってたよ。龍流さんには腹違いの弟が居たらしいが、難しい持病を抱えてたらしいな。医学書に載ってるダウン症に似てる。心臓奇形だと、長くは生きられないって言われてる」
「俺がそれを知ったのは、つい先日の事だ。商才に恵まれていた冬月の財産は、殆ど残っていなかったと言う」
「義弟の為にも、家の財産を医療に回せる状態にする為に我慢して奔走してたのに、父親ってのは難儀な立場だなァ。双子が産まれてなけりゃ、龍流さんの画策は万端だった筈なんだ。親父さんが、素直に隠居してくれてれば…」
「冬月は、我が父を当主に据える事を拒み反乱を企て、京都に建てられた社を取り壊された上で破門になった家だ。然し嫡男の龍流が産まれた事で、父上は冬月を再び迎え入れる準備をしていたそうだ」

呼んでもいないのに入学式へやってきた龍流が保護者席に座っていた時は、『あ、殺そう』と思ったものだが、今になって考えてみれば、夜刀を見に来ていた訳ではないのだろう。

「但し、冬月鶻は首を振らなかったと聞いているが」
「そいつが龍流さんの親父か。ヘラついてる息子とは違って、昔気質の石頭だって聞いてる。息子本人からなァ」
「父上の母方の従兄で、俺の伯父に当たる方だが面識はない。晴空がこの世で最も毛嫌いしている男だ」
「俊秀さんに祝詞を読ませたがった神主に『頭が高い、跪け烏合の民が』つった、異様に威圧感があった副社長の事だな?見た目は大人しそうな感じだったのに、何なんだあの居丈高な物言いは…」
「ふ。晴空に逆らえる者は、父上と俺を除いて存在しないだろう。…とは言え、灰原の声に耐性があるだけで、俺の声も晴空には通用しないが…」
「あ?」
「晴空から祝辞を送られた時に少し怯んでいたが、歯を食いしばって平気を装った夜刀の姿は凛々しかったぞ」
「怯んでないが、まァ当然だ。何せ俺は遠野夜刀だからな!」

過剰に思える自信を惜しみなく迸らせた夜刀は、然し焼き過ぎたスルメに噛みつきながら肩を落とした。

「冬月の不審火で警察が立ち入りしたって話は、新聞に載ってたから知ってるだけだ。線香の一本も上げさせて貰いたいもんだが、全員死んじまったってんだからな…」
「鶻伯父は、その前に亡くなっている。葬儀には参列したが、秋頃の事だ」
「…小耳に挟んだ信憑性のない話だが、一家心中ってのは本当か?」
「どうだろう。父上の手の者に警察関係者が居るが、もしかすると父上も真偽を知りたがっているのかも知れないな。龍流は甥同然だ」
「お前は気にならないのか、鳳凰」
「冬月は知っているが、鶻にしても龍流にしても会話した事もない人間でしかない。俺が手放しで信じているのは、陽炎と糸遊…それと、夜の王。お前だけだ」
「ったく、冷たいんだか哀れなんだか、相変わらず良く判らん奴め…」

呆れ混じりに頭を撫でてやったら、恵まれた美貌が目元だけ微笑んだ。
帰っても寂しい一人寝が待つばかりの夜刀はこのまま此処で朝を迎えようかと考えたが、野宿には些か肌寒い季節だった。

「いよっ、新院長!飲んでるか〜?!」
「うちの娘がね、新しい病院が建ったら此処で働くって言ってんだよ!」

騒がしい宴会場から聞こえてくる声に手を挙げて答えた夜刀は、落ち込んでばかりも居られないかと溜息一つ。居なくなった弟の事は、鳳凰に任せるしかない様だ。適材適所と言う言葉がある。

「仕方ねェ、適当な所でお開きにするか。風邪引かしたら俺がバチ被るからな」
「夜刀、今夜はうちに来るか?」
「あ?お前ん家って、山奥の大屋敷のこったろ?やなこった、俺は愚弟とは違って繊細な外科医だぞ。猪や熊に襲われて生き延びる自信はない!」
「猪や熊如き俺でも負けはせんが、そこの糸遊が居るから心配ない」

鳳凰が指差す先、先程の巨乳巫女がヒラヒラと手を振ってきた。狐のお面で顔は見えないが、中身はどうも化け物の様だ。お近づきになりたくない。

「…何なんだお前の家は、魑魅魍魎の巣窟か。陽炎も車相手に喧嘩売って、素手で鉄クズにしちまった事があったな」
「糸遊は陽炎の妹だ。…陽炎より多少腕は劣るが、性格は数倍酷い」
「数倍酷い…?」
「ふ。陰口は聞こえない所で叩いて下さいませ、宮様」

背筋が凍る様な声が背後から投げ掛けられると、夜刀は真顔で鳳凰に抱きついた。同じく真顔で夜刀を抱き締めた鳳凰の心臓が、バコンドカンと恐ろしい音を発てているのが判る。
成程、恵まれた金持ちのボンボンにも恐ろしいものはあるらしい。

「御二方共、とても人前に出せる匂いではありませんね。糸遊がお風呂をご用意しますので、夜刀殿はさっさと馬鹿騒ぎしている皆を帰して下さい」
「なっ、何でこの俺が巫女如きに命令されなきゃならん?!」
「…は。熊にも劣る脆弱な医者如きが、馬鹿騒ぎがしたいなら一人で死ぬまで騒いでいろ」

遠野夜刀は一瞬でチビった。じょぱっとチビった。
成程、身内にこんな恐ろしい女が居れば、鳳凰が奥手になるのも無理はない。男尊女卑、女好きが男の証拠と言う思い込みがある夜刀の頭に、巫女には様をつけろと言う格言が刻まれた。
心臓の音以外は大人しい鳳凰の事も気になったが、首だけで背後を振り返っている夜刀の目の前には、夜に紛れ、七輪から弾け飛ぶ微かな火花に照らされた狐面が見えるだけだ。

「…いつまで宮様に気安く触れている、駆逐されたいのか?」
「す、すいません」
「判って下されば宜しいのです。陽炎兄様の師匠である夜刀殿にご無礼を申し上げました、勿論お許し下さいますでしょう?」

許さなければ殺されるのだろうか。
夜刀は近年稀に見る爽やかな笑顔で「何でも許します」と呟いた。帝王院俊秀は虫も殺さない様な面で、こんな化け物ばかりを従えているのだ。心の中で師匠と呼ばせて頂きたいものだが、そんな事を口にしたら目の前の巫女から今度こそ捻られそうだ。

「ほ、鳳凰、離れろ。離れなさい。夜刀さんが巫女様から睨まれてるんだぞ、離れて下さいお願いします」
「無理だ。何故ならば俺は腰が抜けている」
「テメェエエエ!!!それでも神主の息子かァアアア!!!」
「宮様は反抗期を満喫しておいででしたので、祝詞ではなく聖書をご愛読なされていたのですよ。ですから、祝詞を読まれなくなった大殿を鼻で笑っておいででしたが、宮様こそ祝詞を読んだ事がありません」
「後でボクがきつく叱っときます巫女様、申し訳ないのですが鳳凰君を剥がして貰えるでしょうか?ボクじゃ力が足りないみたいでして、はい、か弱い外科医なので」
「俺を裏切るのか夜刀!」

ひょいっと狐面の巫女に担がれた鳳凰が、真っ直ぐ待たせている車へ連れていかれるのを見送ったが、鳳凰をぽいっと投げ下ろした巫女が振り返ったので、外科医は死に物狂いで立ち上がり、パンパンと手を叩いたのだ。

「はい!遠野病院の棟上げおめでとうございますの会は、宴もたけなわなのでこれにてお開きにします!」
「えー!もう?!まだ十時だろ」
「まだ序の口だよ若院長先生!」
「うっせー!帰れ帰れ、この有象無象共がァ!テメェらが死んでも俺しか泣かないけどな、俺が巫女様から殺されたら日本中のご婦人が悲しむだろうがァ!」

渋る皆を追い払う様に帰らせた夜刀は、そのまま皆に紛れて一人ぼっちの家へ帰ろうとしたが「夜刀殿?」と言う冷ややかな声が投げ掛けられたので、光の速さで鳳凰が待つ車に乗り込んだのである。
雲隠のくノ一相手に無駄な悪足掻きは文字通り無駄だと、軈て鬼と呼ばれる医者は、魂に刻んだらしい。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!