帝王院高等学校
双子のお騒がせ度数は自乗でございます!
何がそんなに気に障ったのか、少しも判らない事が問題なのだろうか。

「…」
「…」

ぶすりと不貞腐れた子供は、『反省文』とだけ書かれた白紙の紙を前に痺れた足を解いたが、国宝級のレプリカを竹刀の如く一度振り上げた男が『おい、足』と呟いたので、しぶしぶ正座を再開した。本当の意味で苦虫を噛み潰した時と今、その表情が物語る渋さは、どちらが上だろう。
その子供の傍ら、正座などした事もなかった紳士は、彼なりの正座をしていた。然し誰が見ても明らかに、人魚が尾びれを畳んで岩場に腰掛けているかの様な、日本人なら殆どが『惜しい!』と言う評価を下したに違いない風体だ。
けれど、不貞腐れている子供に比べれば哀れな程に顔色が悪く、ばさばさと長い睫毛で縁取られた伏し目がちな目元からは、今にもハラハラと涙が零れそうに思えなくもない。

「…いつまでむくれてる馬鹿野郎」

だからか、般若か鬼か、悪魔か魔王、最早知恵のある人類とは思えない表情で腕を組み、仁王立ちする男が地を這う声で呟いても、ビクン!と肩を震わせたのはどす黒いオーラを放つ男よりも何回りか年上だろう紳士だけで、最も若い少年は、頬の膨らみを益々丸めただけだった。

「反省の念を書け。手首が折れるまで書け。いっそ折れちまえ。悪い事しかしない手なら、なくなった方が良い」
「僕は人類の発展の為に、」
「黙って鉛筆を握れ。レッドオアアライブだ」
「Dead or aliveだろうに」

反省文と言うのだから、反省の念を認めるべきである事は明白だった。
然し悪い事をした自覚がない人間に、誰が何を言っても無駄ではないだろうか。豚肉を食べる民族がイスラム教徒に謝罪を求められて、果たして何人が反省し改心するだろう。

「作文の書き方が判らないお子様の為に、出だしのアドブァイスをやろう」
「今の変な発音には何の意味が」
「黙れ。良いか、まずこうだ。『わたくし冬月龍人は、ハツカネズミを二十日以上隠れて飼育し、はち切れんばかりに増やした事を心の底から反省します』」
「勝手に僕の部屋を片づけようとした夜人の方が、悪い」
「キョエエエエエエ」
「お心鎮められませナイト=メア!あっ、エクスカリバーから手をお離しになられませ!」

どうして二十日鼠を無意味に増やしたのかと訊かれれば、無意味ではないと必要性を訴える。条件反射だ。本当に、悪気など少しもなかった。

「シリウスには、日を改めて我が特別機動部から直々に、相当の懲罰を与えますので…!」
「改められて堪るかァ!こんの餓鬼は今日の内に縊り殺して、俺も腹を切るァ!」
「Why?!ハラキリ?!」
「息子が悪い事をしたら親が叱るのが道理だろうがァ!違うかオリバーさんよォ?!アンタだってレイリーが悪い事したら怒るだろ、ああ?!」
「ひ…っ」

本当はモルモットの方が良かったけれど、繁殖力が鼠にしては低い。餌をやれば瞬く間に増える二十日鼠は、研究者にとってセフィロトの苗、金の成る木、種を蒔けば増える芋蔓の様なものだ。

「…遊んでいる暇は僕にはないんだがのう。芋の芽を混ぜた餌を鼠に食わせて、じっくり経過観察しておる最中に逃がすとは、なんと勿体ない」
「キョエエエエエエ」
「シリウス!形ばかりでも反省したまえ!」

つまり、だ。
命を粗末にするなと叱られて、素直に反省する気持ちにはなれなかった。そもそも悪い事をしたと言う概念が、冬月龍人には一欠片もない。
それが身に染みて判っている『母親』は、何万匹とも知れないラットが雪崩の様に龍人の部屋から出てくると、腰を抜かし唖然としている間に、為す術なく鼠の津波に飲み込まれたそうだ。

異常事態に気づいた区画保全部の社員らが駆けつけた時、組織内調査部長コード:ナイト=メアは、鼠に全身舐められ噛まれ啄まれた所為か、悟りの表情を浮かべて『虫取り網…いや、地引き網と垂れ目を持ってこい』と呟いた。連れて来いでも呼んで来いでもなく、垂れ目を持ってこいと言ったのだ。

『閣下!』
『…何の騒ぎだ?』
『畏れながら、ナイト=メアのご命令により…っ』

混乱を極めた区画保全部員は、円卓を司る枢機卿の中でも随一の垂れ目へ『閣下を捕縛します!』と告げた。

『特別機動部長の私を捕縛…?ナイト=メアがそう仰ったのか?』
『も、申し訳ありませんんん』

ステルシリーランクA、コード:ルシファーを頂くオリヴァー=ジョージ=アシュレイは、恐ろしい異名に反し仏様じみたキリンフェイスだったので、白羽の矢が立ってしまう。
然し地声は余りにも低く、寡黙な彼が口を開くと区画保全部員らは泣き崩れた。錯乱し『殺さないで下さい』と叫び出す社員も見られた程だ。

『良いだろう。あの方に逆らえる者は、ノアを含めて存在しない。…ジャックが居ない時にクイーンを宥められる存在も、また同様だ。マジェスティにご報告は?』
『まだお伝えしていません…!現在のアンダーエリアは、鼠が氾濫しているんです!冠水しています!とてもお伝え出来る状況では…っ』
『鼠が冠水?』

果たしてオリヴァーが素直に区画保全部員にしょっぴかれていくと、半狂乱で鼠取りに勤しんでいた遠野夜人は真顔で宣った。

『オリバーさん?!この忙しい時に何しに来たァ?!』
『貴方が出頭しろと仰ったのでは?』

特別機動部配下の技術班は実に様々な研究に着手していて、ステルシリーでも一二を争う多忙な部署だ。早い話が金も使うがそれ以上に金を産む、稼ぎ頭である。
多忙な部署の取締役はレヴィ=グレアムの幼馴染みでもあり、ステルシリー創設の立役者の一人だ。夜人の命令でなければオリヴァーを逮捕する事など不可能だったが、鼠と戦っていた男にそれを理解させるのは難しい。

『はァー!取っても取っても減りやしねぇえええ!!!ファー!あそこで鼠が交尾してるー!いやー!この期に及んで増やしてなるものかァ!』
『ほ、哺乳類に限らず、ぜぇ、生命は危機に瀕すると種の保存を優先すると言う研究結果、が、ぜぇ、はぁ…』
『きゃー!また襲ってきたァアアア!何で俺の体を舐めたがるんだコイツらはァ!いやー!そんな所まで、あっあっ、そこはレヴィだけにしてぇえええ!!!』
『へ…陛下は一体、どんな交尾を…グフッ』

魚釣り用の網を夜人と共に引き摺りながら鼠の捕獲に走り回ったオリヴァーは、どうも犯人は龍人だと悟ったらしく、年齢の所為かキリン顔そのままにパタッと倒れると『シリウスを呼べ』と言って気絶した。
とうとう鼠が半分にまで減った頃、研究の邪魔をされて不貞腐れた真犯人がしょっぴかれて来たのだ。反省の色など全くなく、寧ろ研究材料の鼠を逃がしたと聞いて怒っていた龍人は、げっそり窶れた夜人から拳骨を3発喰らうと三途の川の向こう側に本当の母親を見た様な気がしたが、『まだこっちに来たら駄目よ』と毒々しいキノコを投げつけられ、奇跡の生還を果たしたらしい。どっちの母親もロクなもんではない。

「お、畏れながらナイト=メア、技術班内のトラブルは、特別機動部長である私に責任があるものかと…」
「その通り。僕に責任はないと言う事だ」
「誰が喋ってイイっつった?」
「!」

鬼か般若か。
座れと言われるままに正座をして、何時間が経っただろう。二枚貝の様に口が固いと言われている『悪魔』すら怯えている今の状況は、明らかにいつもとは違う。いや、オリヴァーが窶れているのは夜人の般若顔に怯えていると言うよりは、筋肉痛の気配があるからかも知れなかった。何せ二時間も走り回ったのだ。
残りの鼠は、社員総出で対処している。月に一度、曇りの日に海岸線を歩いて気分転換をしているステルシリー会長が帰宅したからだ。

「父上」
「ん?今日の土産は口に合ったか」
「紫のレーズンバターは初めて食べました」

レヴィ=グレアムが買ってきた毒々しい色合いのケーキは、怒り狂った夜人も、反省文を書くまで正座を命じられた龍人も、筋肉痛で立てないオリヴァーも目をくれなかったので、いつもの様にお留守番をしていたハーヴェスト=グレアムが、部屋に籠って書き物をしていた冬月龍一郎を連れ出し、美味しく食べている。買ってきた本人も食べない色合いのケーキだが、サイズだけは無駄に立派だった。

「近頃の菓子はカラフルなものが多いな」
「ハワイが新たな州に加わると言う話がございまするよ、陛下。あそーこの島は、ド派手なフルーツが沢山ありマース」

珍しいものを何より好むレヴィ=グレアムの好奇心はさておき、地面に広げた模造紙にガリガリ何かを書き込んでいる龍一郎は、毒々しい色合いのケーキをたまに頬張っては甘ったるいミルクを飲み干している。通常運転だ。
鼠取りが終わっていない屋敷から追い出され、辛うじてコンクリートで整備されているだけの路地で茶会と反省会が開かれていようと、龍一郎の目には何一つ映っていない。夜人が乱心していた事にも、恐らく気づいていないだろう。突き詰めると、自分が今現在何処に居るのかも判っていない恐れがあった。
鼠騒ぎで居住区から追い出されたハーヴェストが、声を掛けても反応がなく動こうとしない龍一郎を台車に乗せて、荷物の様に運んできたからだ。

「テレジア、今日の茶は不思議な味がするな」
「Oh、陛下。お気づきになられましたでございまするか?」
「ああ、実は飲む前から気づいていたが、口をつけずに下げさせるのは忍びなかったんだ」
「ミソスーププロジェクトの経過報告を兼ねています。ボキャブラリー貧乏なオリオンは不味いしか言わないので、進捗状況が判らないんですネ〜。私は何を食べても美味しい味覚の持ち主なので」
「ああ、ステルスで最初から納豆に抵抗がなかったのは、君とオリヴァーだったな。ライオネル=レイは二回目で慣れた」
「日本人はお豆さんに無限の可能性を感じ、実に色んな進化を遂げたのですでござるます。今回のOMISO(試作8号)は、我が技術班お台所係、今季最高傑作でーす!」
「そうか」
「お味は如何がデショ、陛下!」
「ああ、海水より遥かに辛い」

ノアの帰還により、出迎えた大人達は般若と垂れ目…ではなく、夜人と龍人の騒ぎを知る事になる。巻き添えを十二分に喰らっているキリン顔については、触れてはならない事になっている様だ。

「ふっふっふ。お味噌の原材料は、お豆さんとお塩でーす。8号樽では、ベイクドビーンズの発酵に挑戦しましたのでござるですコトよ」
「焼くのではなく、蒸すんじゃなかったか?」
「ノンノン、研究は向上心がなくてはダメでっしゃろ。ワターシは世界一のミソスープを、ネズミ捕りでお疲れのナイトにプレゼントする使命があるでござーる!」
「そんな使命を命じた覚えはないんだが、醤油と焼酎には成功しているからな。難易度の高い味噌に成功すれば、ナイトがホームシックになる事もないだろう」
「これでお米の品質が日本に追いつけば、ナイトが陛下のお側から離れる日は永遠にカミングしない筈でっせ」
「君の日本語が上達するのとどちらが先か、多少興味深い案件だな」

初めの内は仲裁のつもりで割り込んできた大人達だったが、龍人の気持ちを汲んで庇う様に口を挟んだものの、『メデューサの如き鬼神』を改心させる事は不可能だった。鼠に全身を貪られた夜人は、理性が弾け飛んだらしい。

微笑みを浮かべて一抜けした男爵は、夕食を後回しにしてティーブレイクにすると優雅に宣った。然し意気揚々と技術班長が運んできたワゴンには、奇妙な色合いのスープを注いだカップがあったのだ。どれほど奇妙な色合いかと言えば、特別機動部長が『今日は何のサバトだ?』と真顔で尋ねるほどだった。土産の毒々しいケーキが可愛く見える。

「陛下のご心配、察するに余りありますネ。ナイトが実家に帰らせて頂いたら、我が社は終わりデース」
「その通りだ。ダグラス=マッカーサーごと日本列島を破壊し、ナイトを連れ帰るだろう」
「フランス、イギリス、更に日本とアメリカまで敵に回したら、もう住む所がないでございまっする?」
「空に嫌われ、大地からも嫌われたとあれば、残るは海か宇宙か。ポセイドンに人類を受け入れる慈悲心を求めた所で、我々がエラ呼吸を取得するまで何年必要だろう?」

さりとて、致命的に理系派である冬月兄弟は作文を書いた事がない。研究日誌は毎日書いている癖に、普通の日記は一日で飽きる頭脳の持ち主だ。ナイト=メア=グレアムの怒りは、今回ばかりはいつ治まるのか不明だった。

「海苔の開発は技術班の半数がアメリカ人なので、てっきり頓挫してマース」
「めっきりではなかったか?」
「原材料あるんですが、困りましたネ。Seaweedを固めて乾燥させるなんて、頭が可笑しい黄金の夜明け団じゃないと難しいデース」
「オリヴァーの友人に魔術師が居ただろう」
「陛下、私は技術者でごぜーますコトよ?化学と魔術はマリアージュ出来ないのでござらべからず」

今回は何日寝ていないのか、ただでさえ独学で日本語を覚えた女は普段から怪しい日本語を使っているが、今日は常になく呂律が回っていない。
アビスと呼ばれる、海水が流れ落ちる度に蒸気を吹き上げる海底洞窟への入口を前に、数時間前から仁王立ちしたまま動かない組織内調査部長は、コード:テレジアが運んできたカップを恐ろしい目で睨み一口啜ると、益々その表情を歪めた。
コーヒーでも紅茶でもない不気味な色合いの塩水を飲まされれば、無理もないだろう。最早、この場で夜人を直視出来る人間は存在していない。レヴィ=ノア=グレアムでさえ、例外なく。

「陛下、お代わりは?」
「バドワに替えて貰えるか。口内が異常事態だ」
「セントラルライン・オープン、区画保全部は直ちに炭酸水を陛下にお持ちなされですコトよ」
『イェッサー』

ステルシリーが数十年前から拠点にしている地下洞窟は、日夜開発が進められている。数年前に再婚したレヴィ=グレアムがバリバリ働いてくれるので、資金や人材に窮する事がないからだ。
現在居住地であるエリアはニューヨーク同等の面接にまで拡大しており、先頃中央区と名づけられた。政府を配下に取り込む事で、郵便局の配達エリアに収まったからだ。住所がなければ不都合なので、開発が進む度に地番が増えていく。

「今日のお説教は、たっぷり長めのゴンザレスですネ」
「…ゴンザレス?オリオンよりシリウスの方が、人体に関心があるからな。真っ先にシンフォニアの資料を読破したらしい」
「オリオンは機械に夢中ですヨ。いつか陛下を空から守る、空飛ぶ車を作るそうデース」
「そうか、資金が幾らあっても足りないな」
「今は街灯のケーブル作りに没頭してマース」

此処にないのは空だけだと、8歳の子供は口癖の様に。
地熱発電所からエネルギーを供給し、各地の照明を急ピッチで整備しているが、やはりまだ松明や石油ランプが手放せない。冬月龍一郎、コード:オリオンの名を持つ幼い研究者の目下の目標は、中央区を光で埋め尽くす事の様だ。

「次から次に、色んなものを思いつく。子供の開発能力は本当に素晴らしい」
「やり過ぎて叱られてるシリウスが、見えてらっしゃいまする?」
「人間は知恵を求めたがるものだが、小出しにしなければ進化の終わりが早まる。不老不死が実現すれば、人は繁殖する必要がないと思わないか?」
「ですネ。ワターシ、何万年も同じ顔しか見れないのはストレスが溜まるので、ごめんなさいでーす」

頭脳明晰で恐ろしい記憶力を持つ龍一郎と日夜議論する大人達は、時々彼の提案を理解出来ない事があった。いや、時々ではなく頻繁だろうか。成長するにつれて知能が上がっている龍一郎を理解してやれるのは双子の弟か、二人の兄であるハーヴェスト=グレアムだろう。
あーだこーだ、喧嘩腰で白熱する議論を交わし合う双子を、いつも一歩離れた所で見守っているハーヴェストは、時に男爵も舌を巻く様な意見を口にする事がある。
世間を知らない病弱な子供は、現状実現可能な要素を効率良く取り纏め、常に簡潔な言葉を選んだ。他人の意見を軽視しがちな龍一郎にとって、ハーヴェストの的確な提案は貴重だった。

「テレジア」
「はーい、お呼びですか坊っちゃん」
「ディナーはいつになる?」

当人は今、黙々と中央区の地図に照明配置箇所を書き込んでいる龍一郎の背中に貼りついて、夜人が焚き火で焼いた焼き芋を頬張っている。
原則、ステルシリーでは自給自足で食材を調達する事になっているが、豊富な海産物に比べると農産物は限定されていた。

「坊っちゃんは腹ぺこですか!大変でござる、セントラルスクエア・オープン!区画保全部は坊っちゃんにケーキのお代わりを!」
『イェッサー』

軽度のアルビノながら、躊躇わず外出したがる男爵の為に、冬月の双子は特製の日焼け止めクリームとコンタクトレンズを開発する事に成功した。
技術班は様々なトラブルを抱えているグレアムの為に人体構造を研究する係と、ステルシリーの効率アップを目的とした技術開発を主にした係で、大まかに分けられている。
仮社員の様な扱いで研究室へ通っている龍一郎と龍人は、研究にのめり込んで帰らない事もあったが、度が過ぎると彼らの『ママ』が雷を落とす事があった。正に、今の様に。

「ちっ、主要箇所の断崖を整備する方が先か…ん?貴様、何をしている」
「龍一郎、腹が減ったのでそなたの頭の匂いを嗅いでいた」
「嗅ぐな」
「くんくん。ふむ、油っこい。今度は何日風呂に入っていない?」
「暇人め、龍人の頭を嗅げ」
「龍人の頭は石鹸の匂いしかしない」

子供達が奇妙な会話をしているが、気づいているのはコーヒーを優雅に啜るレヴィ=グレアムだけだった。我が子の暴挙に神々しい笑みを浮かべ、育て方を間違えたかも知れないと呟いた後、『私に似たか?』と自己満足した様なので、ツッコミ不足らしい。

「飯は食わねば頭が回らんから仕方ないが、風呂は時間の無駄だ」
「風呂で飯を食えば、時間を無駄にする事がないのでは?」
「…む。その言い分は一理ある」
「明日から実行しよう。今回の研究は随分長引いているが、何が気に懸かっている?」
「開発地区への送電線配置だ。現在の主要電力はキャノンに送られて、一部のエリアに供給されている。キャノンの地下に発電所があるからな」
「キャノンから各地区へ送電線を通したお陰で、効率が上がったのだろう?」
「土地開発や建設に関して心配はないが…地震の度に海水が流れ込んで地盤が崩落するのでは、送電ケーブルはすぐに劣化する。電球の取り替えより早いとあれば、いよいよ手が回らん」
「耐久性に優れたケーブルの開発が先決と言う事か」
「話が早くて助かる。当面の懸念は、ケーブルを開発するまでの日数と予算だ。開発ばかり繰り返した所で、今後石油ランプや松明を使い続ければ、辺り一面煤だらけになる。換気口を掘れば、地盤が脆くなるのは目に見えていよう」

ステルシリー会長の視界で、酷く難しい話をしている子供らに大人達は固唾を飲んだ。次から次にアイデアが飛び出し、次から次に不安要素を見つける龍一郎の頭の回転の速さにも舌を巻くが、一つ一つの解決策を提案していくハーヴェストもまた、大人顔負けだった。

「今年は地震が少ない代わりにハリケーンが多いと言う話を小耳に挟んだが、被害を被った地方では復旧に追われる事だろう」
「確かにそうだろうが、それが何だ?」
「開発に携わっている区画保全部の人材を、外部へ派遣してみるのはどうだ?」
「っ!金を稼げて開発を遅らせる、一石二鳥の策ではないか!良し、この俺が円卓へ上奏し、陛下を丸め込んでやるわ!」

丸聞こえである。
レヴィ=グレアムは部下と視線を交わし、『一度は反対すべきだろうか?』と微笑みながら呟いた。残念ながらハーヴェストの的確な助言を撥ねつける理由が、大人達には見当たらない。
つまり現時点を以て、本案は可決されたらしい。

「全くお前は、ケーキを切り分けてやる。どんどん食えハーヴィ」
「甘い」
「それが美味い。賢いお前なら判るだろう?」
「うまい」
「で、夜人と龍人は何を遊んでいるんだ?馬鹿共は悩む事がないと見える、羨ましい限りだ」

味噌の完成にも、龍人の反省文の完成にも、まだまだ時間が必要らしかった。




























「人知を超える出来事など、そうは起きない」

愚かな真似をしたな、と。
目覚めた瞬間に投げ掛けられた台詞で、僅かに跳ねる肩が惨めだと思う。

その言葉は昔、何度も聞いた。
神と同じ遺伝子なのに、自分は神にはなれなかった出来損ないだ。

「哀れな他人を救う事で、英雄になるつもりだったか」
「…まさか」
「精神科医がカウンセリングを受けるなど、前代未聞だ。榊夫婦が辞表を寄越してきた」

知識も。存在感も。身長すら違う。
キング=ノアの体には何百回もメスが入ったが、自分は病気らしい病気をした事がなかった。視力も良好だ。神とは外見が似ている以外に、何ら共通点がない。

「ただでさえ人手不足だと言うのに、揃いも揃って馬鹿な事をしてくれる。儂の手を煩わせるのは、患者だけにして貰いたいものだ」
「…年齢が、同じだったんだ」

何がしたかったのか。今になれば良く判らない。
死んだ人間が生き返るなんて、夢物語じみた甘い事を考えたつもりはなかった。そんな真似が出来るならとっくに、何年も前に死んだ女を生き返らせている。

「榊の息子の事を宣っておるのか?…はて、貴様とは雅孝は親子ほど離れている筈だが」
「私ではなく、エアリーが産んだ子供とだ。…貴方なら知っているんだろう、オリオン」
「エアリアスと言う娘に面識はないが、嵯峨崎嶺一の父親は知っている。あれが生きていたら、あの娘が嵯峨崎へ入り込む事はなかっただろう」
「レイの父親…?」
「…古い話だ」

カチャリと、すぐ近くで音がした。

「嵯峨崎零人は帝王院学園の中等部に在籍している」
「…そうなのか。まだ、名古屋に居るんだと思っていた」
「時期を数えてみろ。あれの入学は、貴様とは入れ違いだ」
「…」
「秀隆が買ってきた、出張土産の饅頭がある。食うか?」

全身が酷く熱い様な気がするけれど、だから瞼が重いのだろうか。やはり視界がぼやけている。

「…起き上がれる様になれば、頂く」
「馬鹿を抜かせ。暫くは無理だ。O型からAB型に変わったお前が、こうして生きているのは一般的に、奇跡と言う」
「ふふ…此処は技術班ではないから、な」
「そうだ」

目が潤んでいる事に気づいたのは、目尻が目やにで固まっている事に気づいたからだった。然し手を持上げる事は出来ず、首を動かす事も出来ない。
自分の体が、自分のものではないかの様だ。

「死人が生き返る事は不可能だ。愚かな貴様らは、しかと実感した事だろう」

そうだ、それでも神に逆らいたかった。自分と同じ顔をした男爵ではなく、死を司る神に。

『何故そなたが生きている、ロード』

眠る度に繰り返される台詞は自分の声にそっくりな、自分のものではない神のものだ。同じ遺伝子なのに違う人生を歩んだだけで、神にはなれなかった自分の様な罪人は、こうしてまだ生きている。未来のある若者は、簡単に死んでしまった。

「然し、術中に原発性免疫不全症を突き止めた榊は、やはり腕が良い。ヴィーゼンバーグの公爵家に多く見られる、先天疾患だ。貴様のケースでは、毛細血管拡張性失調症と言う」
「知らなかった。…そうか、私の母体はマチルダ=ヴィーゼンバーグと言う女だったな。父はレヴィ=グレアム…」
「先天性でも、進行が比較的遅い為に気づくまで時間が懸かる。貴様の場合は成人まで検査を受けていなかった事もあるだろうが、技術班から薬を渡されておったのではないか?」

そう言えば、そんな事もあっただろうか。指摘されるまで思い出しもしなかった事だ。いつからか飲む事をやめていた。きっと、愛していた女が死んだと聞かされた日からだ。

「お前に骨髄移植を受けさせなかったのは、使い捨ての駒だったからか、疾患による感染症を恐れたのか。定かではないが、今回の件で榊の二人は犯罪者にならず済んだ。雅孝とお前の骨髄が適応したのは、純粋な奇跡だぞ」
「…雅尚は?」
「今回の件で死のうとした」
「何故…?!」
「おい、動くな。人の話は最後まで聞け、愚か者」

出来る筈もないのに飛び起きようとすれば、がっと額を押さえつけられる。

「彼、は…」
「喋るな、黙って息を吸い込め」

カチャリと音が響いて、何をしているのかと思えば、どうも体へ聴診器を当てられている様だった。仕方ないと言われるまま深呼吸を繰り返せば、腕に点滴が繋がれている事に気づく。

「焦らずとも生きている。…今、儂の元で駿河を預かっている事は?」
「…知っている。秀皇が去って以降、お体が優れないのだろう?全て、私が招いた事態だ」
「今は他人同然だが、堕ちても榊は空蝉の末裔だ」
「う、つせみ…?」
「駿河が死ぬ事を許さなんだ。榊は今回の件を…」
「…な、に?オリオン、聞こえないんだ。もう少し、大きな声、で…」

水の音がする。
コポコポと、何処かからか。近い様で遠い様な、不思議な感覚だ。

「榊の大叔父は、俊秀公の義妹と結婚して神主となった。二人の間には三人の娘が居る様だが、彼女らは恐らく、自分らと帝王院の繋がりを知らんだろう」
「…何故?」
「駿河の父、鳳凰公が望んだ事だ」

身体中に鈍い痛みが走っている。
目には見えない体の奥から爪先まで何本もの線で繋がっている感覚を覚えたが、その無数の線一つ一つが引きちぎられそうな程に痛んだ。

「故に駿河は、誰にも助けを求めまい。空蝉が揃っておれば、貴様のつまらん企みなどとっくに潰えていただろうが。…運命とは無粋なものだ」
「そうだった、ら、良かったの…に」
「麻酔が効いてきたか。どうせ一ヶ月は起き上がれまい」

それすら贖いには足りないとぼんやり考えたまま、満足に開けている事も出来ない瞼を閉じた。

「此処は設備の整った技術班じゃないからな、寝て治せ」

二度と目覚めなければ良いのにと思ったけれど、どうして生かされているのか考えれば、口に出来る言葉ではないと知っている。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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