帝王院高等学校
すぐそこまで鬼が、やってきました。
迎えに来たよ。
愛しい愛しい、俺の大切な半身。

「流石は山の中。麓までは晴れてたのに、この辺りは雪が積もってる」

声を持たない俺は、ただ聞いているだけだ。

「昨夜は冷え込んでたから、この辺はかなり降ったでしょ?」
「…毎年、冬雪は春になるまで溶けないと伺っています。音のない雪が夜半に零れ落ちたとて、私には見えない」

幼い声音が紡ぐ静かな音が、ひらりひらり。
雪よりも儚げに零れ落ちていた。惜しげもなく、ひらひらと。

「その目、ものもらい?」
「ものもらい?」
「目の病気。ちょっと外してごらん、診てあげるから」
「紫外線に触れると失明する恐れがあるので、外してはならないと言われています」
「失明?…あァ、もしかしてアンタ」

ゆっくりと。
ゆったりと。
何かが廻る音がして、懲りずに同じ事を繰り返している生き物の鼓動が聴こえている。

「一人で病院に行ってた、って感じじゃなかったわよねィ」
「私は一刻も早く、父上を探さければならない」
「お子様の癖に、しっかりした事言っちゃって。お父さんの事が大好きなんだ?」
「…弟か妹が」
「…へ?」
「産まれるそうです。名前を考えたのに、父上にはまだ伝えていません」

哀れな生き物だ。
人間とはこうも救いようがない、脆弱な魂。

「…きっと、弟よ」
「え?」
「名前、折角考えてるんだったら教えてくれない?大丈夫、おばさんこう見えても口固い方だから、誰にも言わないわょ」

こんなものに執着するお前が哀れでならない。
いつまでも戻ってこないお前の為に、俺が真実を教えてやろう。

「神」
「しん?」
「私が神威だから」
「…そっか」

狂うぞ。
女の嫉妬は恐ろしいんだ。
お前の淡い期待はたった今、全てが崩壊した。

けれど悲しむ事はない。
俺もまた、人間の愚かしい魂胆で消される運命だ。

冬月龍一郎は俺の誕生を望まないだろう。
お前の目の前で本音を覆い隠している哀れな女の腹からは、綺麗な形をした子供など産まれはしない。何故ならばそこには、虚無が宿っている。

「でも、一人で無茶したら駄目よ。貴方に何かあったら、悲しむ人が居るって事、忘れないで」
「…」
「子供の時には出来なかった事が、大人になれば出来る様になるの。だから焦んないで、待ってた方がイイかもね」

哀れな女。
空蝉の成れの果て。分不相応にも天神を愛した女は、己の愚かしさを知っているんだ。お前は気づかないだろう?でも俺は知っている。何故ならば俺は、綺麗事を宣う女の腹の中、両手を血で汚した外科医の血肉に包まれているんだ。



神威。
神威。
聞こえるか、お前を迎えに来たよ。
こんなつまらない世界で同じ事を繰り返す哀れなお前を、連れ戻しに来たんだ。


帰っておいで。
帰っておいで。
こんなに退屈な世界でお前は、何を願っているんだ?
こんなに愚かしい命が蔓延る目障りな世界でお前は、何を待っているんだ?


…さァ。
産まれる前に殺されていたこの体に、俺と言う名の虚無が宿ったよ。

大雨に怯える脆弱な生き物を淘汰して、ひたすら穏やかな終焉の果てへ征こう。




(俺とお前だけの世界へ)
時さえ進まない最果ての世界へ











もういいかい。

















「畠中のジジイはまだゴネてるのか」

割れた消毒液の瓶の欠片を箒で掻き集め、不燃ゴミの袋を張ったダストペールへ放り込めば、ザリザリと砂利を踏み締める音と共に呆れた男の声が投げ掛けられた。
年季の入ったワゴン車のエンジン音が聞こえてきた辺りから判っていたけれど、さも今気づいたとばかりに顔を上げる。

「耳に入るのが早いのう。こちらの奥さんが連絡なさったか?」
「奴も判ってるんだ、アンタに八つ当たりしたって仕方ないのに」

村と呼ぶのか集落と呼ぶのか。
地区の建物には空き家が目立ち、使われているのは数えられる程の民家だけ。派出所の巡査は長年務めている年配の男で、定年退職制度がなければと言うのは、近頃の彼の口癖だ。若い世代の巡査は昇級試験に力を入れていて、片田舎勤務から逃げ出す事ばかり考えている。
小さな町にも生活している人間は居るけれど、数えられる程の人間を見守るより、凶悪事件で活躍する方が有意義だと信じているのだろうか。若いな、と。他人事の様に嘯いた所で、やはり他人事なのだ。

「悪いなぁ、神崎先生。無駄にした薬の請求書は、畠中養鶏に熨斗つけて送っといてやるから」
「ほっほ。まぁ、人には色んな事情があろう。儂を怒鳴って気が晴れるものなら、構わんわ」
「ったく、アンタは人が出来過ぎてるな。畠中のジジイの方が年上なのに、餓鬼の頃から成長しとらん」
「ああ、町内会長と畠中さんはこの街の産まれだったのう」
「何だかんだ、この歳まで此処で暮らしてきちまっただけだ。長く過ごすもんじゃねぇな、今更離れる気力がないだけよ。若い頃とは違う」

遠くから、鶏の合唱が聞こえてくる。
年老いた夫婦で切り盛りしている養鶏場の敷地内には、古びた鶏舎に負けない古びた家屋がぽつりと佇んでいるが、傍から見てもあちらこちらガタついているのが判った。毎日の家畜の世話で家にまで手が届かないのは判るが、先日の台風で瓦が禿げ落ちてしまったのは流石に堪えただろう。

「意固地になっちまうのは、年寄りの証拠だなぁ。昔は頭の固い年寄りを馬鹿にしたもんだが、テメェらがその世代になっちまうと忘れてんだ。こんなもん、何処ぞの業者に頼めば簡単に終わっちまうのに」
「先の台風で被害を被った家は多い。何処の瓦屋も手一杯で、色良い返事はなかったそうだわ。台所と居間の漏水が酷くてのう、中を見てきたが、畳はやはり取り替えるしかない」
「畳屋の柴田が、後で若いもん引き連れて運んできてくれる。畠中の卵で育った奴らだ、困った時はお互い様ってな」

御歳75歳の家主は、雨漏り所か雨が直接流れ込んでくる天井に一念発起したものの、流石に屋根の修理を一人で熟すのは無理があった。ただでさえ重い瓦を運び運び、素人の癖に大工の真似事をしてみたものの、瓦で指を切り脚立を踏み外してすっ転び、家の修理より先に人間が壊れる寸前だ。
今日は終日曇り模様だが降水確率は低いものの、明日以降再び雨がやってくる。ただでさえ夏場の盛りに、漏水被害で家電が壊れては生活に難儀するだろう。寝室は辛うじて無傷の様だが、炊事場と居間は凄惨な状態だった。

「で、あの馬鹿は?」
「儂には手当てされたくないと此処で暴れた時に、腰をやらかした。痺れを切らした奥さんが巡査を呼んできてくれて、今は中に」
「馬鹿め満身創痍じゃないか、良い気味だ」
「コケコッコー!」

ああ、元気な声が聞こえてくる。
バサバサと鶏達の羽ばたきが木霊して、不燃ゴミの袋を車に積み込んでいた町内会長が吹き出した。

「腹を減らした小狐が早速山から降りてきたか、腹時計が精密だな。今ぴったり正午のベルが鳴った!」
「褒められとるんか意地汚いと謗られとるんか、悩ましい所だのう」
「じっちゃーん!じっちゃーん!あれえ、じっちゃーん?!あ、居たあ!ばっちゃんがご飯だから帰って来なさいってえ、ゆってるよお!あ、町内かいちょー、イェーイ!」
「イェーイ」

すたたたた、と風の様に小さい塊が飛んでくる。
しゅばっと飛んだ子供と年甲斐なくハイタッチを決めた町内会長は、ゴソゴソと車内を漁ってひょいっと袋を投げた。

「隼人、横浜のコロッケパンやるから畠中のジジイに顔を見せてやってくれないか?奴め腰を痛めて、中で死んでるらしいんだ」
「あは、横浜?でもこれさあ、コンビニの奴じゃん」

短パンのポケットが目に見えて膨らんでいる子供は、鶏舎側から回り込んできた。確実に卵泥棒と言う一仕事を終えているので、神崎龍人は溜息一つ。悪餓鬼の襟を鷲掴み、ひょいっと持ち上げた。

「ぐ、もう気づいたか…!婆さんが横浜の病院に行ったついでに買ってきたんだが、横浜で買ったのは本当だぞ」
「もお、しょーがないなあ。隼人君コロッケパンよりきな粉パンのほ〜が好きなんだよねえ」
「何がしょーがないんだ、馬鹿孫。ポケットの中身を出せ」
「いやー!」
「嫌じゃない、出せ」

暴れる悪餓鬼のズボンを掴めば、暴れる所為でスポンと脱げてしまう。パンツ一枚で素早く走っていった隼人はあっと言う間に畠中邸へ消えていき、呆気に取られた龍人の傍らで町内会長が腹を抱えた。

「良いんだよ、神崎先生。隼人は毎日3個、卵が貰えるんだ」
「3個?」
「今朝畠中の馬鹿が脚立ごと落ちそうだった時に、すっ飛んできて助けてくれたのも隼人で、奥さんを呼んできたのも隼人、鶏舎の鶏に餌をやったのも水を取り換えたのも隼人だ。そうじゃなければあの鈍臭いジジイが、足首を痛めた程度で済んだのは奇跡だぞ」

そんな話は初めて聞いた。
朝飯を食べるなりいつもの様に遊びに行ったのだとばかり思っていたが、どうも違う様だ。小一時間前に診療所へやってきた畠中夫人は、怪我をした本人が診療所に行きたがらないと言い、龍人が往診すると提案した。然しやって来てみれば、家の外で仁王立ちしていた畠中氏本人から『帰れ』『家に入れん』と怒鳴りつけられる始末。
ならばせめてこの場で手当てと、骨に異常がないか調べさせてくれと言ったが、容赦なく腕を振り払われて、持っていた応急道具を落としてしまったのだ。どちらにも怪我はなかったが、流石にバツが悪い思いをしたらしい畠中氏は、奥さんが呼んできた派出所の巡査に寄り添われて家の中へと入っていった。
龍人の腕を振り払った時に腰を捻ったらしく、腰をさすりながら眉を寄せていたものの、あの様子では大人しく診察させてくれそうにない。さて、どうしたものか。

「修理までの仮補修にゃとりあえずブルーシートを掛けとけってな、隼人がひょいっと屋根に登って、ちゃちゃっと済ませてくれたってんだから。ほんとにあの子は4歳なのか?」
「マセ餓鬼かどうか知らんが、産みたての卵を無造作にポケットに詰め込む程度には子供だわ。全く、誰に似たらあんな悪童になるのか」
「子供は元気過ぎるくらいで良い。此処いらにゃめっきり子供が居なくなっちまったから、隼人は儂らの希望なんだ」

卵泥棒の乱入で騒ぎになっていた鶏達も、落ち着きを取り戻したらしい。静かだが、微かなざわめきが聞こえてくる。食肉用の鶏ではないので減る事も増える事もない鶏舎は、このまま変わらず、家主が手放すか亡くなるまでの猶予を過ごすのだろう。
畠中家の跡取りは家業を継がずに東京の会社員を選択し、数十年前に結婚する際、東京で暮らす事を宣言した。その時に畠中の両親に廃業を迫り、一緒に都内で暮らそうと提案したそうだが、先祖から譲り受けた家業を辞めるつもりはないと突っぱねた畠中氏は、息子と口論する内に絶縁を迫る所までヒートアップした様だ。
結局、母親だけでも東京へと言う話に上ったものの、奥さんは亭主の傍で暮らす事を選び、息子は妻の籍へ収まる形で集結した。その畠中の子息が婿入りした家の姓が、神崎だったそうだ。

「希望、か」
「アンタみたいに広い世界を知ってるお医者さんには、判らないだろうなぁ。女房から聞いたんだけど、アンタ昔アメリカに居たんだろ?」
「…大した事ではない。若い頃の話だわ」

以降、神崎と言う名前にトラウマを感じている畠中氏は、集落の診療所へ久し振りに常勤医がやって来ると聞いて誰よりも喜んでいたが、その医者の名前が神崎龍人だった所為で喜びから一転、嫌悪に塗り変わってしまったらしい。
然し畠中氏は昔気質な所はあるものの、廃れる一方の田舎町に危機感を感じている一人で、町興しの企画には足繁く参加し、率先して意見を出している。年齢を感じさせない斬新なアイデアも多く、60代を過ぎてからパソコンを覚える意欲もある様だ。畠中養鶏は数は少ないが通信販売も執り行っていて、業績は悪くない。然し人を雇って盛り上げていくには、夫婦に残された時間は多くないと言う所だ。若者を育てるにしてもそれなりの費用と何より時間が必要になってくるが、多く見積っても、夫婦が養鶏を続けられるのは十年に満たないだろう。

「畠中もなぁ、身軽だったら東京で暮らすのも吝かでない筈なんだ」
「だろうな。畠中さんは、わざと昔気質を装っておる様な気がしていた」
「…身動き出来ないのは、寧ろ奥さんの方なんだ。アンタなら知ってんだろ?」

畠中の妻には循環器疾患があり、病から発生した精神疾患もある。ストレスを感じると呼吸器に異常を来す様で、住み慣れない都会での生活は考えられない。いわゆる適応障害と呼ばれるものだが、察するに、息子には伝えていない様だ。
今でこそ穏やかな生活に見えるが、昔は色々と苦労したに違いない。夫婦が人を雇わずに経営を続けているのも、もしかしたらストレスを溜めない為なのかも知れなかった。いずれにせよ、夫婦仲は良好だ。若干共依存を感じない事もないが、本人らに不満がなければ他人に口を出す権利はない。

「儂とは違って、畠中は若い頃に東京を知っちまってる。奴の父親がバリバリの石頭でなぁ、嫌がる奴をこっちに引き戻して、半ば無理矢理継がせたんだ」

幼馴染みだからか、町内会長はこの狭い世界の全てを知っている。
彼とは違い、自ら選んだ訳ではなくこの土地に縛りつけられている畠中に対して、同情しているのかも知れない。

「だが奴は逃げ出さなかった。此処で嫁を貰って、望んだ仕事じゃないにせよ長年勤めてきて、立派に息子を育て上げて大学に行かせてよぉ」
「そうだのう。幸せとは、人の数だけ形が違う」
「ふ。そうだな。…畠中の馬鹿も、己の息子が都会に憧れて出てっちまったってさ、テメェが止められる筈がねぇって判ってんだ。儂から言わせて貰えば、奴は倅を逃がしてやったんだよ。それなのに、いつの間にかテメェが捨てられた様な気になっちまってんだ」

歳は取りたくないねぇ、と。
煙草に火をつけながら呟いた町内会長は、遠くから聞こえてくる軽トラックの音に振り向いた。早速、隣町にある畳屋が畳を運んできてくれた様だ。

「奥さんは口を噤んでおられたが、孫にも会わせて貰えんのか」
「先走ったのは畠中の馬鹿たれだ。息子相手に大人気なく絶縁を持ち出して、奴に似た性格の息子が売り言葉に買い言葉よ。奴の息子が勤めてる会社が、奥さんの実家らしいんだ。結構なご令嬢、その上一人娘ってな」
「一人娘なら、寧ろ婿入りは望む所だろう」
「そう言うこった。だから畠中は、向こうで暮らせばあっちの家に頭が上がらなくなるのを見越して、同居を嫌ったんだ。息子の方は息子の方で、先のない田舎町に大好きな両親を残したくないってなぁ」
「どちらの気持ちも判るだけに、難しいのう」
「じっちゃーん!」

バサバサと、鶏舎から羽ばたきが聞こえてくる。
畠中邸の玄関から頭を覗かせた隼人が、両手に黄色い玉の様なものを持ってむしゃむしゃと貪りながら、酷く赤い唇を舐めていた。

「…何だ?また何か喰っておるが」
「オムライスのおにぎりだろ。畠中ん所は、昔からアレがおやつ代わりだ」
「畠中のじっちゃんがねえ、診察してもよいよーってゆってるよお」
「はあ?どうした風の吹き回しだ?」
「おお、流石は隼人!あの石頭が折れたか!」
「あとねえ、畠中のじっちゃんがねえ、じっちゃんに悪い事しちゃったから謝っといてってゆってるんだよねえ。だからさあ、隼人君がビシッとゆっといたからあ」

むしゃむしゃ、ケチャップライスを錦糸玉子で巻いたおにぎりを貪りながら、ケチャップで染まった唇をそのままに、垂れ目の悪餓鬼は胸を張る。

「ビシッとだと?」
「自分が悪いんだから自分で謝れば、って!隼人君なんも悪くないのにい、謝りたくないんだもん」
「はっはっは、お前が言う通りだ隼人、良いぞ!そんで畠中の奴は、お前の後ろで幽霊の真似事をしとるんか!」

腹を抱えて笑う町内会長に言われ、気まずげに頭を掻いた畠中氏が隼人の後ろでウロウロしているのが見えた。片手のおにぎりを貪り尽くした隼人は掌をペロンペロンと舐めつつ、顔を後ろに向けている。

「早く謝ってよねえ。じっちゃんに卵取られて、隼人君ってばお困りだよー?ばっちゃんにタマゴケーキ焼いて貰う約束してるんだからさあ、じっちゃん達、ちゃあんと仲直りしてよねえ」
「お、おぉ、わ、判ってるんだが、隼人、大人には心の準備っつーもんが」
「はあ?そんなもん、最初から準備しとけばよいじゃん。台風が来る前にお水汲んで雨戸閉めとかないとさあ、何か危ないんだしい。だから、準備は先にしとかないと意味ないんだよお?」
「う、うぅ」

余りの正論に完膚なきまでに叩きのめされている畠中氏は、見るも無惨に縮こまった。頭を抱えている龍人の傍らで、煙草を灰皿に押しつけた町内会長は一言、

「子供から言われる正論以上に大人の心を抉るもんもない。…隼人は可愛い面して、とんだ鬼だなぁ」

言っている事は正論だろうが、台風対策の理由が『何か危ない』と言う曖昧な認識でしかない4歳児だ。

「鬼は鬼でも、卑しい餓鬼だがのう」

どうせ本音は『タマゴケーキ食べたい』だけに決まっている。

























「陽子、アンタまだ援交やってんの?」
「人聞き悪い事言わないで欲しいんだわ、純粋な自由恋愛だっての」
「何が恋愛だよ。金とチンコが条件だっつってた癖に、笑わせんな」

化粧、ブランド品、男。
進学校でも何でもない極平凡な公立高校の女子高生と言えば、興味があるのはその三つだ。

「顔が良いだけの男なんかに、簡単に転がされる馬鹿女って惨めじゃん」

流行の色黒メイクに勤しんでいる同級生と言えば、限界まで短く裾上げしたスカートで大股を広げ、垂れ下がるルーズソックスをそのまま足首に引っ掛けて、睫毛を上げる事に全身全霊を懸けている。

「ま、金はあるに越した事はないか」
「そ。お金がなきゃ生きてけないしね」
「アンタ、金持ちのジジイかボンボンに引っ掛かって苦労しそう」

キープ力と比較的安価な為に女子高生の人気を集めているブランドのマスカラは、数日で空っぽだ。都内からは外れている辛うじて東京、川向こうの他県を見下して勝ち誇っている、つまりは何処にでもいる量産型の女子高生の事。

「結婚の条件はまた別なんだわ。ある程度独身を楽しんでから、相手を見定めんの」
「行かず後家で終わりそ、やだー。つーか、金持ちの愛人が一番楽そうじゃん?」
「パス。愛人は絶対なし、次それ言ったら怒るから」
「ふーん?堅いんだか温いんだか、判んね」

子供でもなく、大人でもない。曖昧な世代の関心は、学業が本分である筈の学生にしては打算的だ。遊び半分で通う学校、放課後のアルバイトが人生の最優先で、授業中に寝ている生徒の方が起きている生徒よりずっと多い。
大人達は口を開けば『堅い仕事に就け』と言い、『学歴が大事』だと言う以外には何も教えてはくれない。昔は厳しかったと言う教師も、少子化が進むにつれて鳴りを潜めていき、今では体罰だの虐待だので一部の大人が騒いでいる。人権がどうの、差別がどうの、果たして子供達にその意味は伝わっているのか、否か。

「さっきから携帯ばっか見て、何やってんの?」
「mixi。モバゲーはゲーム招待ばっかで面倒臭い」
「そのプロフ、こないだの彼氏じゃないでしょ。また新しいの引っ掛けた?」
「バイト先の店長。やたら胸ばっか見てくると思ってたら、奥さん妊娠中だってのに誘って来たんだわ」
「揉ましてくれたら時給アップ?マジしょぼいんですけどー」
「お小遣いは別に貰ってるっての。バイト代だけじゃ、ファンデと口紅で消えてバッグ買えないし?」
「援交のが楽に稼げるじゃん?一回ヤる事やってみて、合わない相手なら切っちゃえば良いんだ」

頭の緩い女は股も緩い。などと口にしようものなら、自らの首を絞めるに違いなかった。お互い様だ。女は特に打算的な生き物なのだから。

「万卒は得易く、一将は得難し」
「何だって?」
「自分を安売りする趣味はないんだわ」
「陽子マジ文系〜」

だからと言ってお堅い女は仲間外れにされて、普通である事が普通ではなくなる閉鎖的な学生生活には、誰もが簡単に慣れていく。
周りに合わせて、皆から取り残されたくないだけだ。笑い話だ、自分の意思など何処にある?量産型の平凡は群れの中で、群れを率いる誰かに従いながら生きるしかなかった。弱い癖に弱いと思われたくないからだ。

「んな訳判んない事、言ってる場合じゃねーし。若さが金になるのは今だけなんだから、稼ぐだけ稼ぐっつーの」
「は、悪趣味な女。良く判んない男とホテルなんて考えらんないんだわ」
「下手に知り合ったらもっと面倒臭いじゃん。愛人はイヤとか言ってる癖に、アンタがコマしてる男って全員二股だろーが」

ああ、そうだ。純粋だったいつかはもう思い出せない。
一人の女に振り回されて、長年務めた職場からも見放されて、それでも子供を絶対に見捨てない男を知っている。そんな聖人の様な男はあの人だけだ。家から一歩外に出れば、雄は殆どがクズだった。

「一人は子持ちだけど別居してるって言ってるし、一人は新婚だけど妊娠中の奥さんは里帰りしてるから、平気でしょ」
「わっるい女。声掛けて来たのはあっちからだろうけど、どーせこの乳で誘惑したんだろ!」
「ちょっと、揉まないでくれる?金取るわよ」
「アンタ、本気の彼氏作った方が良いよ。どんな言い訳したってさ、愛人じゃん」
「さっき言ったでしょ。愛人はパス、セックスは上手い奴とする方が経験積めるって事なんだわ。私はね、結婚したら絶対浮気しないって決めてんの」
「頑な。何がお前をそうさせてんの、こんなたわわな肉弾持ってる癖に」
「アンタこそ、今の本命の男ってのにかなり貢いでんじゃない?何だっけ、工業高校の3年だっけ?」
「…んー、ま、仕方ないっつーか。一応お願いしてんだけど、アイツさぁ、ゴム嫌がんの」
「はぁ?舐めてんの?最近荒稼ぎしてると思ったら、アンタまさか…」
「だから仕方ないの!そりゃ、ゴムない方が気持ち良いんだもん。援交のオッサンに出されたらぶっ殺したくなるけど、彼氏は別じゃんか?!」
「馬鹿女。親泣かす様な真似するんじゃないんだわ」
「だって、あたしにはアイツしか居ねぇもん…」

けれどそう、どんなに外見を取り繕おうと、所詮は虚勢でしかない。
流行で鎧を固めた貞操観念の低い低偏差値学生だって、中身は未成年の脆い子供なのだ。どんなに大人振っても、だからと言って純粋無垢な赤子にも戻れない中途半端な生き物。哀れな程に。

「アンタの人生だから好きにすれば良いんだわ。でも、ケジメつけなきゃなんない時は来るって事、覚悟しときな」
「陽子は?何でもサバサバ解決しちゃうけどさ、悩んだりしねーの?」
「何に悩むっての。例え喧嘩別れしたって、向こうが妻帯者ならあっちには帰る場所があるって事よ。私の事なんてすぐに忘れるんだわ」
「忘れられたいって事?」
「お互い様でしょ。私は社会人になるまでの経験集めで、向こうは向こうで、商売ありきより、恋愛ありきで小遣いやった方が、警察沙汰にもなんないだろうし?」
「ふーん?彼氏は二人も要らないでしょ」
「はいはい、私の彼氏はフレックスタイム制なんだわ。しつこく連絡してくる男よりマシ」

恋愛。
恋愛なんてものに興味があるのかと聞かれれば、良く判らない。誰かが彼氏が出来たと言って、誰かがセックスを自慢げに語って。自尊心がほんの少し満たされて終わり、たったそれだけ。

「やだ〜。偏差値45の底辺公立だからって、修羅場沙汰起こすんじゃないわよ。インタビューされたらマジ受けるんですけどぉ」
「誰がそんなヘマするっての?一人は子持ち一人は新婚だから、大丈夫でしょ」
「わっるい女!その内、痛い目見るわよアンタ」
「だって、付き合ってくれって言われた訳じゃないんだわ」

そんな男ばかり選んでいる。
本気の男は重いから。本気になりたくないから。本気になった事も本気になられた事もない耳年増の、ただの強がりだ。

「アンタさぁ。…良い女だよ?」
「何なのよ、急に」
「転職したお父さんのお弁当作ってあげる為に早起きしてさ、ガッコだって休まないし、誰もやってない日直も真面目にやってんの、アンタくらいじゃん。センコーが叱んないも、真面目眼鏡か陽子だけ」
「世渡り上手って言ってくれる?私だって、やんないで済むなら家事なんかやりたかない」
「陽子のパパ、料理上手いもんねぇ。中学時代のアンタの弁当、」
「やめてよ。今時キャラ弁持たせる親なんて、ダサいだけだっての」

ああ、馬鹿な父親。
尽くした女からも尽くした会社からも捨てられて、お荷物の娘を育てる為に慣れないアルバイトを始めた、馬鹿な男。一生懸命と言うだけで認めて貰える世界があるなら、彼は大統領にだってなれた筈なのに。

「…とにかく、妊娠だけは勘弁だわ。年収1000万以上の男だったら、腹が出てようが女癖が悪かろうが結婚してやっても構わないけど」
「ブー。結婚するのは好きな男じゃないと、ヤるのは誰でも良いけど♪お金くれんなら」
「アンタ、将来苦労しそうだわ。ま、頑張って?」
「はいはい、頑張りまくりますよーだ。ねぇ見てよこのネイル、チョベリバ可愛くない?」

この世の女は間違っている。
母親と言う名前だった女も自分も、醜さを着飾って隠しているだけだ。

「ほんと。マジかわいい」
「陽子もやったげる、手ぇ出しな」

何にでも可愛いと言えば、自分もそうなった様な気になる、お手軽な馬鹿の事。

←いやん(*)(#)ばかん→
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