帝王院高等学校
自治会長は自分を治めるんですかっ?
俺は今、呼吸の仕方も判りません。
そんな稚拙な川柳を心の中でひっそりと読んでいる哀れな男は、ただの一瞬も目が合わない弟の横顔を盗み見ながら、何万回目かの溜息を飲み込んだ。

(あ、げっぷ出そう)

とてつもなく肩身が四畳半ひと間だ。然も風呂とトイレなしアパート。
いや、それだと「十分じゃないか」と怒る人もいるかも知れない。然し一度冷静に考えて欲しい。生まれてから現在に致るまで6畳以下の部屋で暮らした事のない、そんなおぼっちゃまの心境を。

(…死ぬほど胃が痛いのに、何で俺は何処にも逃げられないんだ)

初等部時代に初めて寮へ足を踏み入れた時、与えられた6畳の部屋を見て「何これ、押し入れ?」と小首を傾げてしまった過去もある。
実家のお部屋は18畳、勿論フローリングではなく大理石の上を土足で歩く欧米スタイル。それが王呀の君である。

(つーかあの眼鏡の奴、カルマの店でいっつもカウンターにいる店長じゃねぇか?隣の奴は良く判んねぇけど、何となく業界人っぽい奴だな。髪型も服も洒落てる…なんて言ってる場合じゃねぇだろ、俺!)

某オタク帝君からは『あのクソ浮気性めェ!そろそろやっちまうかコラァ!』と思われているかいないかは不明だが、2年Sクラス井坂えまからは既に数十回命を狙われている男、それこそが我らが帝王院学園高等部自治会長、西指宿麻飛だった。

会長なのに副会長の東條清志郎からは『今度桜に手を出したら井坂の前に俺が八つ裂きにするから覚えておけ』と恐ろしい目で睨まれ、存在感が皆無に近い書記からは『尻の緩い受けもそれはそれであり』と顔を合わせる度に言われているが、その台詞の意味は未だに全く判らない。
西指宿が週末になると母親の店の手伝いに出ている事を知っている書記は、初等部時代にルームメイトだった事もあり西指宿の事情を把握してくれている。彼の本棚に筋肉むっきむきのボディビルダーが組んず解れつしている薔薇薔薇しい怪しげな本がやたらめったら揃っていた事も、今になれば良い思い出だ。

(…そう言えば、俺が嵯峨崎ばっか見てるって言ったのもアイツじゃなかったっけ?)

何故か名前も思い出せない様な抜群の存在感のなさである元ルームメイトは、初等部時代に誰よりも大人びていた赤毛にこっそり憧れていた西指宿を、応援すると言ってくれたんだったか。
何故かハァハァしていたが、その時の縁で中等部時代から自治会の役員を務めている西指宿は、会長に指名されると真っ先に彼を書記へ任命した。本当は副会長になって貰いたかったのだが、スポットライトは不要と訳の判らない理由で断られたのだ。

(あ?もしかしてイーストと絡む様になるまで、俺って友達が居ない奴だったわけ?)

驚愕の事実。
目の中に入れても痛くない神崎隼人を日夜ストーキングしつつ、隼人の兄に相応しい男になるべくリア充ロードを驀進していた自治会長は、勉強とエロテク磨きと母の手伝いで人生を費やしているので、己の本当の意味での充実に関しては重視した事がない。

(何でだ。何か悲しくなって来やがった…)

クラスメートの井坂えまは西指宿の恋人同然のポジションには居るが、彼の本命は高坂日向だ。
何せ初めから「王子が無理なら王呀で良い」と言う小悪魔スタイルで擦り寄ってきた癖に、いつの間にか『俺は弄ばれてます!』と言うスタイルにジョブチェンしていた。青天の霹靂とは正にこの事だ。

『ちょ、待てえま。何だその、やたら研ぎ澄まされた包丁は…』
『俺の実家は金物屋…』
『知ってる!でもお前、親父さんが研いだ包丁で人を殺すのは良くないと俺は思うよ?!』
『これは俺が研いだ奴だから、良い』
『お前マジで職人になれんじゃね?!お、落ち着け。このままじゃお前は風紀に…いやノーサに捕まって、一生奴隷同然の扱いを受ける事になっちまうぞ?』
『誰からも愛されない俺なんか、どうなったって良いんだ…っ。う、うぇ、西尾ぉ、西尾ぉ』

西指宿は知っている。井坂は幼馴染みの西尾甲斐の事が大好きだ。
好き過ぎて『そんな事を言って嫌われたら生きていけない』と言う結論に至り、フランス人の祖母を持つ西尾の所作や立ち振る舞いに似た男に目を奪われる。然しそう指摘した所で、2年生で恐らく最も思い込みが強い男には通じない。幾ら西指宿の事を愛していると言ったって、井坂は日向に呼ばれればスキップ混じりに出掛けていく。西指宿には浮気だのどうだの騒ぐ癖に、自分は良いのかと突っ込みたくなるのも無理はないのではないか?

『おい、西尾。えまが面倒臭いから一発抱いてやれや』
『え…嫌ですけど』
『おま、好かれてんのは判ってんだろうが!』
『えまは劇場型気質なだけで、本気で殺すつもりはないと思いますよ?僕、えまのああ言う所は可愛いと思います』
『だったら!』
『でも僕、妖精になりたいんで』
『あ?』
『三十路まで童貞を守って妖精になるので、性欲が湧かない様にヴィーガンを貫いてますし…。あ、家族も理解してくれてるんで同情しないで下さい。貴方も光王子も精霊界には入れませんけど、それは個人の意思ですから僕は責めません』
『は?』
『疲れませんか王呀の君、人付き合いって凄く。蹴落としたり蹴落とされたり、おしべだったりめしべだったり、LGBTがパレードしたり。人間なんて所詮、生まれてから死ぬまで一片の自由な蝶なのに…』
『…』
『人間界は何でこうも病んでるんだろう…』

病んでんのはお前だ。西指宿はクラスメートの闇を垣間見た為、色々と諦めた。
良く誤解されるが、西指宿は空気が読める男だ。叶二葉に対しての積年の恨みで山田太陽に悪戯したのは認めるが、もう二度としない。奴の頭突きは二葉に踏まれるより痛かった。もう少し大人しいと思っていたが、とんだ勘違いだったらしい。

西指宿は気が強い人間が好きだ。母親がそうだったからかも知れないが、その上で趣味が合う人間だったら尚良い。ボードゲーム好きな西指宿は自分に勝った太陽に興味を抱いたが、あの二葉が執着している相手だと悟ったから一層興味を増したとも言えた。ぶっちゃけ、太陽の容姿は好みじゃない。

(しっかし、これが隼人の母ちゃんか。DVDで出演してるドラマは何本か観てっけど、生で見た方が隼人に似てる)

ちらりと対面を見やった西指宿は、肩から力を抜いた。
隼人もそうだが、向かい側の女性もそっぽ向いており、錦織要と隼人に挟まれて逃げ場のない西指宿はオブジェと化す覚悟を固めたのだ。今は何やら、壁際で日向と斉藤と呼ばれている男が顔を突き合わせている。
気が強く、目鼻立ちが派手な顔が好きな西指宿は、昇校したばかりの頃の裏で『光姫』と呼ばれていた頃の日向に、キュンキュンしていた事があった。ABSOLUTELY入りを打診された時は小躍りするほど嬉しかったものだが、今では針の筵の心境だ。尊敬しまくっている日向から嫌われていたなんて事実、出来れば知りたくなかった。二葉になら寧ろ嫌われたいくらいだが、世の中上手くいかないものだ。

『手っ取り早くぶち殺して差し上げたい程度には怒っているんですがねぇ、君のお陰で山田太陽君は私に全幅の信頼を寄せてらっしゃいます。あのホテルの支配人は執拗に迫ってきて鬱陶しかったので、分を弁えた老舗旅館のお淑やかな女将の方が気が楽ですよ』
『…迫られる事なんか日常茶飯事でしょうが。アンタなら追い払うのも簡単な癖に』
『学園内ならともかく、お外でやり過ぎたら面倒でしょう?』

ああ、そうだろう。お前はそう言う男だ。サイコパスを超えた魔王だ。人間を人間とも思わない、簡単に殺す様な男だ。
中等部3年の頃、自治会長だった西指宿は恐ろしいものを見た。懲罰棟の最下層に投獄された林原と言う生徒と、全身の骨という骨を砕かれ、点滴で鎮痛薬を送り込まれ意識ははっきりしているが身動き出来ない生徒が、数名。

『さぁ、まずは君からです。この場の全員を犯しなさい。終わったら病院へ連れて行ってあげます』

立ち上がる事も出来ない生徒の一人を指差し、檻の中で唯一ソファに寝そべっていた男は黒服のボディガードらしき大人を数人張りつけたまま、優雅に茶を啜り宣った。
それまでに散々痛めつけられていた生徒らに抵抗の意思はなく、一刻も早く解放されたい一心で言いなりだった様に記憶している。各自それぞれ良家の子息だったが、同時に全ての家が倒産・破産に追い込まれ、自殺未遂で運ばれた保護者もいたそうだ。
二葉があの時最も精神的に追い詰めた林原と言う生徒の身内は、間もなく姿をくらました。数日に渡る拷問の末、病院へ運ばれた林原は心神喪失状態だったが、目覚めてからすぐに実家が自己破産した事と、これからの生活は国が保証する事などの話を弁護士から聞かされたらしい。

林原が犯した罪は、元ルームメイトへの暴行。
とは言え被害者の怪我は掠り傷で、本来なら謹慎で済む程度だった。降格した生徒が逆恨みを起こす事は度々ある。命の危機に陥る大怪我であればいざ知らず、ぶっちゃければ帝王院財閥に真っ向から非難する家はない。被害者と加害者の家で内々に示談で済ませる事もザラで、被害者が一般家庭であればその傾向はより強かった。下手すれば加害者の親が社長で、被害者の親がその会社の社員だった、なんて事態が頻繁に起きる。
中央委員会が関与する事は稀だが、事件を起こした生徒の処分が風紀局から下されると、保護者への連絡は自治会に委ねられた。太陽の事件の時も西指宿に報告が入り、それぞれ加担した生徒らの保護者に連絡を入れようとして、事の重大さに気づいたのだ。

(あん時は偶々マスターの機嫌が悪かっただけだと思ってたけど、…まさか本気たぁ思わなかったもんな)

西指宿を殺すのは面倒臭いと、以前二葉がそんな様な台詞を呟いた事がある。悪い冗談だろうと思っていたが、あれはきっと本音だ。西指宿の家柄がなければ、今頃本当の意味で『呼吸が出来ない』状態だったかも知れない。

(良く考えりゃ判る話だったんだ。サブマジェスティの身内って事ぁ、マスターもヤクザ被れに決まってる。昇校早々たった一人で風紀を壊滅させた男の従弟ってだけで、ちったぁ危機感持っとけよ俺…)

西指宿の父方は曽祖父の時代から国政に関わっており、母方は所謂ザギンやギロッポン等で飲食店を営む家系で、光華会との付き合いはかなり長い。母方の祖父が光華会の初代会長に恩があるそうだが、何十年も昔の話だ。前会長である高坂豊幸の葬儀には母方の祖父母と共に参列した事もあったが、母は政治家の妻である事を鑑みて参列はしなかった。

表立った高坂と付き合いはなかったが、年始になると父の大事な後援会への挨拶回りと、母方の商売の関係への挨拶回りで色んな会食が行われる。家柄の為に大抵は一見客お断りの老舗割烹かそれに準じる店で、そんな時は必ず西指宿の夫婦は揃って高坂組に挨拶をするのだ。これは推測だが、表向き交流がない事にしているので密会の様な形を取らざる得ないのだろう。
幼い頃から親に連れられて人脈作りを強いられてた西指宿は、今の組長である高坂向日葵ともその妻とも、学園へ入学する前から面識があった。高坂組長は西指宿の父より幾らか若かったが、選挙絡みでしか頭を下げない父親が自ら訪ねて行って新年の挨拶をする程度の関係ではある様だ。
然し西指宿は、高坂の『若』には会った事はなかった。何かの折にイギリスで暮らしていると言う話を聞いていたが、日向が昇校するまで忘れていた程である。

(改めて考えると、俺の肩身は前から超狭ぇな。キタさんに嵯峨崎のネタで弱みを握られる前から、バリバリ四面楚歌じゃねぇか…)

現光華会副会長の脇坂享は西指宿の母親と長く愛人関係にあるが、西指宿は実の父親より脇坂の方がずっと好きだ。どうして離婚して一緒にならないのかと聞いた事もあるが、母はともかく、相手の方に結婚する気がない様だと後から気づいた。
日本最大組織の実質ナンバー2は数え切れない程の愛人がいて、繁華街の真ん中で愛人同士が修羅場を演出した事も、一度や二度ではないらしい。

西指宿が記憶している限り、公の場以外で両親が夫婦らしかった時はないだろう。
多忙を理由に帰宅する回数が少ない父親には方々に愛人や妾がいて、『妥協結婚』だと幼い息子に言い放つ様な母もまた、ホストクラブやデートクラブを営む傍ら、気に入った男を取っ替え引っ替え自由に遊んでいる。そもそも母は、結婚前から付き合っていた脇坂との結婚が見込めないと納得するやいなや、両親に勧められた見合い話に乗ったらしい。曰く『三十路前に子供だけ欲しかった』そうだが、女心は判らない。好きでもない男の子供を可愛がって育てられるものなのかと昔から疑問だったが、母は愛情深く育ててくれたと思う。その辺に関しては父親も同様だ。西指宿は父親に叱られた記憶がなく、世間体の為だとは承知しているが、父に呼ばれて同席せざるえない社交の場では、必ず『自慢の息子』だと紹介されている。
どちらの祖父母も孫には甘く、特に西指宿方の祖父母は、義弟探しに力を貸してくれた。母も『一度だけ会った』と言う愛人の事を心配していたが、流石に母方の祖父母に頼る訳にはいかない話だ。

与党最大組織の幹部である祖父が表立って動く事は出来なかったが、地方の県会議員を務めた事もある祖母の伝手と興信所の尽力で神崎親子の行方を突き止めた時は、ほっとしたのと同時にそれまで感じた事のなかった嫌悪感を父に対して抱いた。自分に対しては良い父親であったからこそ、どうして隼人にはそうじゃないのかと苛立ったのだ。

『見つかったのは良かったけど、アイツには教えない方が良いね』
『はぁ?何が?』
『隼人君の事だよ』
『何でだよ、折角見つけ出したのに』

良い母ではあったが、決して甘やかす女ではない彼女の口癖は『働かざる者食うべからず』で、西指宿は中等部へ進学した頃から、度々母親の店へ顔を出していた。経済界の仕組みを間近で見せる為、などとほざいてはいるが、『学校では教えてくれない保健体育』と言った所だろう。
キャバ嬢に息子が襲われかけていても、笑いながらウォッカを煽り、一切助けない様な女だ。

『西指宿がこれだけ総力を挙げて、見つけ出すまでに何年懸かったと思ってんの?』
『総力っつったって、親父にバレねぇ様にしてたし…』
『それ以前の話だよ。アンタが探す前に、必死で探してた奴が居たんだ』
『隼人を?』
『いや、母親の方。当時衆議院に当選したばっかだった癖に、本気で私と別れるつもりだったみたいだね』
『隼人の母親は女優だろ?すぐに見つけられただろ』
『あの頃は今ほどの知名度はなかったよ。あの業界じゃ芸名なんて当たり前だし、年齢を誤魔化されちゃお手上げさ。アイツが見つけ出した頃にはもう、今度はあっちが有名人だ。国会議員が軽々しく近寄るには、リスクが高過ぎる』

隼人は恐らく、認知されていない。
西指宿の母親は、数年前に見掛ける様になった若手女優が『あの時の女』だと気づいていた様だが、誰にも言わずに隠してきた。理由は単純に、隼人の母親に『子供を連れて逃げろ』と言ったのが、西指宿の母その人だったからだ。

『…言いたかないけど、西指宿の家の誰にも言わない方が良いね。西指宿は「姫様」に執着し過ぎてる。アンタも話は聞いてるんだろ?』
『…なくなった冬月の事だろ?』
『アタシにも良く判らないけど、冬月って家じゃとんでもなく優秀な子供が生まれるそうだよ。あの馬鹿はお姫様と結婚する事で、「優秀な跡取り」が欲しいんだ』
『俺より?』
『言ったろ、判らないんだって。アタシが知ってるのは、アンタにお乳をあげてる最中に薄気味悪い笑顔で話し掛けてきたアイツが、「やっぱりお前は間違いだった」って言った事くらいだ』
『間違い?』
『アタシはこれでも結構名が知れた女学院を出てて、共同名義だけど自分で始めたアパレル業をそこそこ成功させてる。両親が元気だから手伝いって形ではあるけど、こうやって幾つもの店も賄ってきてるだろ?』
『ああ、アンタは出来る女だもんな』
『だからアイツの目に留まった。でもそれは、姫様の代わりにって事なんだ』
『まさか、あの糞親父でもそこまで糞じゃねぇだろ』
『冬月糸織。アイツが何千万も費やして探しても見つけられなかった姫様の名前、アタシは忘れないよ。「糸織が出産するまで視界に居る事を許す」って言ったんだ、あの馬鹿…』

狂っていると、その時初めて西指宿は己の父親を評価した。
そこまで言われて別れなかった母の本心は謎だが、彼女もまた、劣らず狂っているのかも知れない。

『だから言ってやったのさ。アンタは可哀想な奴だね、って』
『可哀想なのはアンタだろうが…。っつーかぶん殴って離婚しろよ、慰謝料ぶん取れただろうに』
『馬鹿だね、嫌がらせに決まってんだろ?アタシは一人でもアンタを育て上げる自信があったけど、このアタシをそこまで虚仮にしてくれた男を簡単に幸せにしてやるもんかって、脊髄反射で思った。若かったんだねぇ』
『女って奴は、マジ恐ろしいぜ…』
『くっく、良い事言うじゃないか。そうさ、女は怖い生き物なんだよ。でもね、男はもっと打算的で汚いけど』
『親父の事かよ、そりゃ』
『多かれ少なかれ、ね。昔はあの野心的な所が良いと思った事もあったけど、あれは駄目。物事は程々ってもんがある』
『最初から惚れてねぇ癖に、今更何ほざいてんだよ。酔ってんのか?』
『アタシはこれでも、愛情ってもんを蔑ろにした事はないのさ。流石に離婚してまで添い遂げたい男なんざこの歳になったら居ないけど、嫌いな男に抱かれるほど酔狂でもない。アンタが生まれた頃までは、アタシなりにあの馬鹿を愛してたつもりなんだよ』

だったら今はどうなんだ、と。聞くだけ野暮だ。西指宿が知る限り母は父を虫けらを見る様な目で見ていて、父は母を家政婦同然に扱っている。然しそんな家は珍しくもなかった。西指宿の父方の曽祖父は入婿で、曾祖母が実質の権力者だった事は古い家政婦達の話で何度も聞いている。
そんな両親を見て育った祖父は、二の舞にはなるまいと大人しい妻を娶り、だから祖母は祖父の言いなりだった。県会議員の話も、元々は選挙前だった祖父が知名度獲得の為に祖母に出馬させ、祖母の実家が名主だった事から年配を中心に票が集まった様だ。大学院卒業後すぐに結婚した祖母に就職歴はなかったが、有名私立大学卒の肩書きと代議士上がりで現職の与党幹部だった祖父の応援演説が絶大な効果を発揮した事は、まず間違いない。
祖母を詰る様で申し訳ないが、彼女が何かを為した事はなかっただろう。任期が終わると再び主婦に戻り、以降彼女は祖父の為だけに生きている。いや、若しくは初めからそうだったのか。

『だけどアイツは。初めは本気で姫様に惚れてんだろうねって思ってたけど、張本人から否定されちまったんだよ』
『親父から?』
『違う、お姫様から。物凄い不機嫌な顔でアタシの店に来たんだ』
『会ったって言ってたけど、あっちから来たんかよ?』
『そう。打算的な恋愛に酔ってる男が口説いてきて鬱陶しかった、一回やれば諦めると思ったのに、いつの間にか結婚させられそうになってる。逃げようとしたら監禁されて犯された挙句妊娠して、保険証がないって言うんだ』
『うわぁ…』
『実家に戻れって言ったさ。あっちも随分悩んでたみたいだけど、ニュアンスからかなり大きい家の娘だね。西指宿の家が潰されるだの、下手したら殺されるだの、気は強そうだったけど…アタシには年端のいかない娘さんに見えたよ』
『で、どうなったんだ?』
『とりあえず、懇意にしてる病院と当面生活する家を用意して身を隠せって言ったんだけど、診察してみたらすぐにでも産まれるって言うじゃないか。アイツにバレない様に産ませる手筈を整えて、いざ陣痛がきたって連絡を貰って駆けつけてみれば、あの子は生まれた赤ちゃんと姿を消しちまってた。若さの行動力に負けたよ』

後悔が滲む声で母は吐き捨てた。

『その頃、丁度逃げ出した姫様を探してたアイツが家を空けてたから、アタシがアンタ抱えて走り回ってた事なんて知らないよ。…幸か不幸か、アイツは孕ませた女が逃げて堕胎したもんだと思ってる。流石にあんだけの知名度がある女優じゃ、子供がいるなんて誰も考えないだろ?』
『隼人は老夫婦が育ててたって話だ。祖父の方は医者で、神奈川の廃村同然の片田舎で診療所をやってたらしいぜ。でも、隼人が小学校に上がる前の年に、夫婦揃って事故で亡くなってる』
『…こっちに呼んじまったら、バレるのは時間の問題だろうね。アタシは立場上、アンタを応援してやる事は出来ないよ。隠し子が居たなんて知れたら、こっちの身内はカンカンだ』
『でも今更離婚はねぇだろ?愛人がいるのはお互い様、母さんに至っては結婚前から脇坂さんがいる。離婚調停の泥沼は目に見えてるもんなぁ』
『流石にアンタをDNA鑑定しろとまでは言わないと思うけど、どうだろねぇ?此処だけの話、アタシもアンタの父親が誰なのか良く判んないんだよ。悪いね、あの頃は人生で一番モテた頃だから…』
『史上最低の両親じゃねぇか』
『新妻ってのはモテるもんなんだよ』

息子の前では良い父親と、息子の前で愛人の膝に乗る母親、どちらがマシか考えたくもない。

『アタシはこの世でたった一人だけ、絶対に嘘を吐かないって決めてんだ。自分の息子にだけはね』

溜息を飲み込み切れなかった西指宿が顔を上げると、手招きしている水色の何かが見えた。あんな派手な髪色は、カルマを除く心当たりは少ない。
全く東京都は、まともな人間を探す方が遥かに難しいワンダーランドだ。

「たたた、大変だぁ!」

俄かに保健室方面が騒がしい。
皆の注意がそっちに向かったのを見計らい、西指宿はしゅばっと反対方向へ走り出した。

「何してんだよキタさん、見てたなら助けろや」
「冗談。サブマジェスティの視界には出来るだけ入りたくない系なんだよ、僕は」
「おま、昔からあの人に苦手意識あるよな。マスターよりマシだろ?」
「ほんっと、馬鹿じゃん?ウエストの目は柚子姫の肛門並みだね」
「どんだけ緩い節穴だよ」
「中央委員会の仕事を殆ど一人で回してる癖に、親衛隊を片っ端からフルローテで抱いてる男がまともだと本気で思ってる系?つーかあんまり言いたくないんだけど、あの人の選定考査の点数、絶対変だから」
「閣下の点数?」

ぐいぐいと引っ張られながら、西指宿は川南北斗の珍しい真顔を眺める。何処へ連れて行かれるか全く判らないが、魔王の手下が今は神の救いに見えるから不思議だ。

「今度、クラウンの歴代取得点を見比べてみなよ。そしたら判る的な」
「ちょい待て、引っ張んな。何処に連れてくつもりだよ…」
「僕だけじゃ無理的な気配だから仕方ない系だろ。マスターは時の君を抱えて走ってって、僕なんか見えてないげだし」
「マスターがアキと遊んでる時は話し掛けねぇ方が良いって。機嫌悪くなっから」
「そっちこそ、何やってた系?カルマが雁首揃えて、おっさん囲んでたろ?お前は星河と並んで座ってるし、スクープのネタなら後で報告書」
「あー。まぁ、色々あんだよ。俺のネタなんざ今まで散々書いて来たじゃねぇか、ほっとけ」

一体何があったのか、全く判らないが二葉が相変わらず元気なのは判った。
人気のない廊下をどんどん進んでいく北斗は、離宮校舎へ向かっている様だ。

「こっちに何かあんのか?」
「こっちじゃないけど、こっちからしか降りらんないんだよ。向こう側にはイーストと北緯が居たから」
「イーストがお前の弟とぉ?話してる所なんか見た事ねぇぞ?まさかイーストの奴、狙ってんじゃ…」
「北緯に手ぇ出したらお前だろうがイーストだろうがぶっ殺す」

凄まじい睨みだ。怖いにも程がある。

「お前、喧嘩出来ねぇだろ…。イーストは強ぇぞ?まぁ、俺もだけど」
「だからついてこいっつってんの。シーザーが沸いてたから変な予感がして、外に隠れてたんだよ」
「は?シーザー?」
「そしたら、如何にも怪しげな奴らがアンダーラインに入ってくのが見えた系」

成程、北斗が『怪しい』と言うなら確かにきな臭い話だろう。昔からそう言う勘だけは当たる男だから、人の弱味を握るのが上手いのだ。

「マスターとっ捕まえて報告しときたかったけど、ピエロのお面つけてた陛下が僕の事じっと見てた気がしてさ…」
「マジェスティがお前なんか見るか。あのマジェスティだぞ?」
「見てたんだよ!植え込みに潜り込んでたのに、何でバレたんだろ?怖くて逃げちゃった的な。僕が悪いのかな?!」
「安心しろ、俺がお前でも多分逃げ出してる。マジェスティは全部が規格外だからな」
「ほう、褒めているのか」

自治会長はマネキンの如く硬直し、西指宿の手を掴んでいた北斗はへにょりと腰を抜かす。

「俊を探すついでに、俺が手を貸してやるぞ自治会長」

ああ、恐ろしい程の美貌がそこにあった。
血に濡れた様な双眸の男の手には目薬があり、睫毛が濡れているのはたった今それを差したのだろうか。

「マ、マジェ、マジェスティ、何で此処に…!」
「多少、話が狂った。俺のシナリオを書き換える事が出来る人間はまず存在しない。だが俊にしては些かお粗末だ」

ピエロ。
からりと廊下を跳ねたそれが、足元で笑っている。

「誰が空蝉を地へ落としたか知らんが、蝉が落ちたのであれば空もまた反転するに違いなかろう?夏が終われば冬が近づく、この国の道理だ」
「は?!冬?!春なのに、何言ってんスか?!」
「ウ、ウエスト、そ…そいつ、マジェスティじゃない系…!」

耳を両手で押さえながら叫ぶ、悲鳴じみた北斗の声が鼓膜を震わせた瞬間、赤い唇を開いた男の黄金に変わっていく瞳を、ただ。


「目を塞ぎ祈れ。陽は翳り、月は未だ遠い」

見ていたのか、否か。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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