帝王院高等学校
危機感ってどちらで売ってますか?
「ホストパーポー!」

ああ、またか。
優秀ではあるが、特権階級制度によりプライドも競争心も強いSクラスの『例外』は、今日も溢れんばかりの元気さで号令が済むなり挙手をした。着席の合図で着席しない生徒など、少なくともこの帝王院学園進学科にはまず存在しない。

それが帝君であれば、尚更の事だ。

「はい、今日も元気一杯で先生は嬉しいです。のびちゃん、挙手は先生が振ってからにして貰える?まだ先生な、教室入ってから『ホームルームを始めます』しか言ってへんし」
「キェーっ、生温い!円滑なホームルームの為には一分一秒も無駄には出来ないにょ!そんな餡子ちゃんより甘い考えだから、いつまで経っても垢抜けないんざます!このっ、ダサジャージめェ!」

成程これが噂に聞く『学級崩壊』なのかも知れないと思ったが、東雲村崎が笑顔で投げたチョークを、無駄にデカい真っ赤なガマグチ財布で卓球の如く打ち返してきた黒縁眼鏡と言えば、立てた教科書の裏側で携帯ゲームに興じていた男をしゅばっと見やった。

「タイヨー!そろそろセーブしなさい!」
「や、今エンディングロール中だから無理」
「ぷはーんにょーん!」

村崎の頬スレスレを掠めたチョークが黒板に衝突し木っ端微塵になっているが、そんな事はお構いなしな帝君は山田太陽の台詞に激震している様だ。顔にこそ出していないものの、激震したいのは村崎の方だったが、学園中が震えた入学式典から数日経てば、優秀なクラスメート達もすっかり慣れた気配がある。

「えっ、もうベストエンディング?」
「ん、一つ目のバッドエンド。ベストとノーマルはもう見たよー」
「仕事が早いッ」
「えへへ。あ、やっぱりバッドエンドだとコイツが黒幕だったかー」
「どちら様?!」

小さなゲームの画面に張りつく帝君は、既に挙手した事を忘れているらしい。
太陽の後ろの席から覗き込んでいる金髪も、真面目に前を見ている振りをして帝君をガン見している青髪も、太陽とは黒縁眼鏡を挟んで逆隣に座っているもう一人の帝君も、教科書ではなく堂々と漫画を広げているではないか。それも明らかにあれは、BL漫画だ。ホームルームの時間だと理解している生徒は、果たして何人存在しているのか。

「あふん。タイヨーのクリアの早さに僕は痺れたにょ。所でカイちゃん、それ何冊目?」
「83冊目だ」
「ぷはーんにょーん!早過ぎるにょ!駄目でしょ、獣シリーズは隅から隅まで野獣の如く舐める様に読まないと!お目めをお皿にして!お皿じゃ足りないならいっそ、丼にしてっ!」
「ふむ。確かにこの本では、近親相姦を親子丼と呼んでいる。親子丼とは何だ?」
「食べた事ないにょ?」
「ああ」
「カツ丼は?」
「ない」

再びクラス中に激震が走る。
村崎はもう全てを諦めた。木っ端微塵のチョークを片づけ、黒板に大きく『自習』と書いて本棚へ近寄れば、わらわらと立ち上がった生徒らが賑わい始める。どのSクラスと比較しても明らかに異端である事は、入学式典当日から職員らも問題視している事だった。然しそれが悪いかと言われれば、誰もが口を噤む。

「灰皇院君はどんな育ちなんだい?今時カツ丼を食べた事がないなんて、そんな王族みたいな…!」
「灰皇院君は留学生だから仕方ないよ。海外じゃ、日本食と言えば寿司・すきやき・ラーメンって思い込みがある様だし」
「んー、庶務の主食はコンソメポテチだよねー?今朝なんかポテトサラダの上に砕いたポテチばら蒔いてたしさー」

学園の教師として採用されてから、何年が経っただろう。
少なくとも村崎は在学時から最近に至るまで、クラス中の生徒が教室で雑談している姿など見た事がない。

「芋と芋、ある意味で親子丼チックなサラダだよねー」
「朝食とは思えないカロリーの高さですね。然しハヤトはパンケーキにバターとブラウンシュガーと蜂蜜をぶっ掛けて、ドリンクはミルクセーキでした。モデルの癖にカロリー計算も出来ないとは嘆かわしい」
「人の朝ご飯に文句つけないでくんない?そっちこそ料理出来ないからって朝っぱらからボスの部屋に図々しく上がり込んでさあ、ボスの部屋に興奮してはしゃいでユウさんに叱られてベランダに追い出されてた癖に。鬱陶しいよねえ」

優秀な生徒の中でも更に選ばれた最高特権階級の人間と言えば、授業免除の名目で各役員の仕事に励み、己の勉強をおざなりにして降格の危機を迎える事もある。だからこそ職務の殆どを親衛隊などに任せて、見えない所で勉強している人間が多かった。
優秀な生徒の中でも、更に有能な人間から選出される中央委員会になると、代替わり毎に役員の数が乱高下するのは有名な話だ。村崎が会長だった頃にも、会長を除く三役にはそれぞれ補佐をつけていたし、役員名簿にこそ載せてはいなかったが最上学部の卒業内定者の中から数名、繁栄期には応援を頼んだ事もある。

「あー、俊の部屋の隣は神崎君の部屋だもんねー。ベランダは何処の部屋も同じ作りだから、神崎君の部屋のベランダから俊の部屋のベランダが見える訳かー」
「つーか、隼人君の部屋にちょいちょい無断侵入してくるんだよねえ、こんのラムネ頭」
「はぁ?お前が定期的に風邪を引くからだろう、何が無断侵入ですか。失敬な」

村崎が知る限り、最も人数が少ない中央委員会は現在の代だ。
あの帝王院秀皇の代ですら、会長以下三役の他に補佐や庶務が存在したにも関わらず、現在の中央委員会役員は実質、会長と三役しかいない。嵯峨崎佑壱に至っては、執務室所か滅多に学園内に顔を出さないので、珍獣扱いだった。

「カイちゃん、親子丼はオムライスの親戚なのょ。イチ先輩、今夜は親子丼とカツ丼ですか?」
「は?暫くは食堂に通って、メニュー制覇するんだろ?」
「ふぇ。食堂にはカツ丼はあるけど親子丼はないにょ。マグロ丼はあるけど牛丼はないにょ。うぇ。ホストパーポー先生!疑問だったんですが、食堂のメニュー改正は文部科学省ですか?!厚生労働省ですか?!やっぱり農林水産省?!大穴は、内閣総理大臣!」
「はいはいのびちゃん、やっとさっきの挙手の本題に辿り着いたんかい。学園内の取り決めは中央委員会やで?」
「ちきしょー!中央委員会がナンボのもんやァ!僕だって、僕だって、左席委員会やねん!で、左席委員会って何なの?」

さりとて、現在の左席委員会もまた異例中の異例だろう。何せ非公開とされた役員が、今は全員絶賛大公開だ。然も人数が明らかに多い。

帝王院秀皇は優秀な人間だったが、逃げ出した。
東雲財閥の力を以てしても、その行方を掴むまでに数年懸かったのは、彼の傍に榛原の嫡男がついていたからだ。山田大空の催眠に逆らえる人間は、恐らく存在しない。東雲幸村の元へあちら側から近づいてこなければ、彼らの行方は判らないままだっただろう。

遠野秀隆を名乗る男は、自らの息子を東雲グループが保有する私立中学校へ入学させた。中高一貫の鷹翼学園の現校長は宰庄司本家の人間だが、明神でありながら帝王院秀之に肩入れした事で、灰皇院から離脱している。とは言え、明神だったのは秀之本人だけだ。
華族だった宰庄司の籍に入った秀之は、帝王院寿明に大恩があった男の養子になっただけで、それからすぐに神坂の娘と結婚している。幕末に縁があり、灰皇院の草として帝王院に忠義を尽くす様になった神坂は廃藩置県後に改名し、今は高坂を名乗っている。昔から任侠道の家柄だ。一度は下ろした屋号を、秀之が改名すると同時に掲げたとされている。

高坂向日葵は優秀な人間だったが、己の出自を恐らく知らない。
知っていれば帝王院学園に入学する事が、如何に罪深い事か理解した筈だ。だから見ろ、榛原大空は高坂に頼らない。神坂も宰庄司も裏切り者だ。明神で最後まで残ったのは榊と小林だけ。明治まで家名を持たなかった明神には分家が最も多く、今でこそ各地に散っている。例えば『錦』と『明星』は没落し、現在には残っていない。

帝王院寿明の本妻の元には息子が一人、妾の元には息子が一人、そして養女として迎えた姪が一人、計三人の子供がいた。嫡男の帝王院俊秀は16歳まで表舞台に姿を現す事はなく、誰もが秀之が嫡男だと錯覚していたそうだ。
けれど、寿明が病で倒れると雲隠当主は俊秀の解放を求めた。つまりその瞬間、正式な帝王院の跡取りが監禁されていた事実が明らかになったのだ。既に十口を含めた全灰皇院は俊秀を新たな殿として賛同していたが、俊秀の従兄弟だった冬月鶻は秀之を嫡男として推挙し、クーデターを起こす事になる。

然し、明神の半数を味方につけた冬月は敗北した。
雲隠が駆逐するまでもなく、当時まだ幼かった榛原晴空ただ一人に、屈したのだ。

『俺らはアイツらとは違う。奴らは弱かったから排除されただけだ』
『せやな』
『大殿が姿を隠したのは、グレアムの手から日本を取り返す為だ。大殿は俺達を信用しておいでだ。当然だろう?弱虫皇子は逃げ出した』
『…あん人は戻ってきたで』
『これまでの苦労を大詰めでぶんどられて堪るか。皇子も榛原も勝てなかったグレアムを淘汰するのは、俺達だ。…そうだろう?』
『…』
『お前は弱かったから失う。さぁ、俺に変われ。そろそろ判っただろう?』

何年だ。
片目の視力を失って、生きる気力もなくなって、まるで捨てられた十口の如く西へ逃げ出したあの日から、一体何年の年月が流れた?

『友達なんて作って。雲隠のお勤めが嫌になって弟を強請ったお前は、恭を生贄にした』
『違う』
『皇子が居なくなった。憎いグレアムもすぐに消えた。お前は宮様を守れなかったんだ』
『…紫遊、今は黙っとれ』
『神威の宮様は戻ってきた。ほら、目の前に居るぞ』

頭の中で囁いている(嘲笑いながら)自分と同じ声は(どちらが裏なのか表なのか)いつから?(判らない)

『お前は逃げられた』
『…』
『グレアムを追う力は東雲にはない。帝王院にすらステルシリーの存在を特定する事は出来なかったからだ。だから俺は関西に飛んだ。9年前だ。叶はヴィーゼンバーグと繋がっている。叶冬臣なら知っている筈だった』

陰陽師だなんて笑わせる。
何千年も昔から東京で神仏に仕えてきた東雲は、都からやってきた帝王院を神の使いとして受け入れた。昭和初期の話だ。
神の依代の様だったとされている帝王院俊秀には人智を超えた力があり、彼はあらゆる意味で有能だった。帝王院財閥は瞬く間に肥大化し、帝王院鳳凰が作った学園は、ほんの60年弱で推しも押されもしない学園へ成長したのだ。

『だがどうだ。お前と入れ違いに、帝王院帝都は戻ってきた。あれほど探し続けていたノアは、既にノヴァだと言う』
『…』
『俺達が守れなかった宮様は、グレアムによって汚された。天神でありながらノアの烙印を押された。俺達が何も出来なかった所為だ』
『…』
『弱きは滅せよ。どうして、雲隠陽炎の孫はグレアムを名乗ってる?』

帝王院は光だった。
生まれながらに善人である事を強いられる東雲一族は、幼い頃から己の心から影を消す事を強いられる。仏の名代である事を強いられる。

『4年だ。我慢したじゃないか。俺達は大殿を差し置いて学園を蹂躙しようとしている帝王院帝都を屠る為に、教師として戻ってきた。でもお前は何もしなかった』
『…そうじゃない。本当にあれが「悪魔」なのか、見極めていただけだ』
『悪魔だ。母さんはアイツが極悪人だと言ったじゃないか』
『でも俺には…』
『お前は甘いんだ。退け。俺の体を返せよ、村崎』

光と影、善と悪に分かれた心は二つの人格を形成していった。例えば、東雲幸村にはもう一つ名前がある。
狼の一族と謗られる、もう一つの顔が。

「ホストパーポー!」
「…うへぃ?」
「スラムダンクは確かに名作!否、神作!舐める様に読みたくなる気持ちは判らなくもないけど、判ってるなり?!」
「は?」
「馬鹿ちん!あひるの空も名作だから、ちゃんと読んで!でも時々休憩して目薬を忘れないで!お茶とお菓子も忘れないで!体を大切にしなきゃ、次から次へと寄せては返す津波の様な萌えを受け止める事は出来ないのょ」
「はい?」
「イイから感想文持って来い!原稿用紙が足りなかったらいつでもメールしてっ!先生の為なら僕、チラシの裏に400字詰めの罫線を手書きで書いてきます!大丈夫、定規なら持ってるにょ!福引で当てた180cm物差しは、置き場に困ってベランダを独占してます!」
「あれ物差しだったんですか?何かの部品だと思ってました」
「あは。180cmの定規かあ、そんなんじゃ隼人君の股下しか計れないよねえ?」

いつの間にか、幻聴が消えている。
賑やかな教室には見渡す限り自由な生徒が犇めいていて、30名少々の人口より明らかに騒がしい。

「は、何か知らんけどおもろい。道頓堀より騒がしいわ」
「はい、唐突に大阪クイズー!大阪行った事ある人、手ェ挙げてっ」
「はあい」
「狡いにょ!この足長モデルめェ、狡いのは股下の長さだけにしやがれェイ!」
「あは。ボスが褒めてるにょー、ありがとー」
「神崎君の股下って180cmもあるのかい?」
「ある訳ないでしょう。全長で190cmあるかないか、それくらいです」
「あはは、全長って置物みたいな!錦織君、たまに真顔で面白い事言うねー」
「第801問!大阪と言えばパーマ!」
「え?」

そうだ。
関西で暮らしていた頃は、毎日騒がしかった。あれはいつの事だったか。

「ホストパーポーのゆるふわヘアーは天然、では大阪のパーマと言えば?」
「えっ?えっ、えっと、パンチパーマ?」
「野上君が答えるんだねー」
「ぶっぶー!パーマと言えば『あてる』、此処で生まれも育ちも日本の平均値、別名標準語オタクである平凡な僕から一つ言わせて下さい!」
「確かに大阪に比べたら東京は平凡だよねー」
「ソースとパーマは掛けるものでしょ?!」
「のびちゃん。ソースは串カツを漬けるもんやで?」
「キェエエエ!エセ関西人めェ、うちは関大と阪大が聞き分けられへんねェん」
「天の君、お気を確かに!僕は関西弁は判りませんけど、博多弁なら判るばい」
「遠野俊です。明太子漬けになって死にたいとですばい。遠野俊です。腐男子は確かにオタクですがオタク全員が腐ってる訳じゃないとですばい。遠野俊です。遠野俊です。遠野俊です…」
「俊、流石にそのネタは古すぎやしないかい?」
「容赦ないお笑いモンスター、タイヨーと即興コントやります!コント、人見知り!」
「唐突だねー。ありおりはべり」
「人見知り!」
「「ルネッサーンス!」」

何にせよ、一言良いだろうか。

「他のクラスからクレーム来るやろなぁ」
「うひゃひゃ、朝っぱらから騒いでんな!(*/ω\*)」
「廊下の端まで聞こえてるぜ」

するんっと、廊下側にある本棚の上の窓が開いた。

「あらん?そのセクシーホクロと、まだ朝の9時なのに夜9時のお子様ばりに眠たげな声は、ケンゴンとユーヤンじゃありませんか。遊びに来たにょ?」
「そーw早速授業免除使ったっしょ(*´艸`) つーか、左席委員会って全員免除権使えるん?(οдО;)」
「セキュリティこじ開けて中央キャノンに入んのは面倒くせーけど、クロノスリングでお茶の子さいさいだったぜ」

ただでさえ2年帝君が入り浸る教室に、Aクラスの生徒が2名も増えた。
漫画を横目に顎を掻いた村崎は乾いた笑み一つ、早ければ今日の昼にも食堂に追加されているであろう親子丼を思い浮かべる。

「皆、元気やね」
「東雲先生、ベルが鳴りましたよ」
「ほんま?!ほな皆、しっかり勉強するんやで。俺はええけど、他の先生に迷惑掛けたらあかんよ?先生、職員室で肩身めっちゃ狭いんやで」
「はァい。タイヨー、迷惑掛けたらめーょ?」
「あいたー、お前さんに言われちゃったかー」

ああ、もう、慌しい。




























誰もが信じられないものを見る目で凍りついている某保健室は、人口密度に反して静かだった。
胸元で手を組み、ベッドで横たわっている少年はどの角度から見てもイケメンには程遠く、よれよれのバスローブから何かが突き出ていて、一部分だけ赤褐色が滲んでいる。

「見事に突き刺さっとる。アラレ、レントゲンは撮れたか?」
「大人しく充電してましたから、ばっちり鮮明に。おや、これはお見事に骨も神経も逸れてますねぇ」
「感心しとる場合か。俺は機材さえあれば未だに衰え知らずのカリスマ外科医だが、一介の保健室じゃどうにもならん」
「どうにかして下さい!」

照明を落とし、カーテンと言うカーテンを閉め切った保健室の中央には、サファイアの瞳から放射能を撒き散らしたアンドロイドが一体。
僅かに離れた位置には固唾を飲んで見守っている一年Sクラスの生徒らと、事態が未だ把握出来ていない隣の部屋から飛び込んできたばかりのカルマに、レントゲン撮影をするから離れろと言っても頑なに山田太陽の傍から離れなかった、浴衣の男が一匹。盛大に匙を投げた遠野夜刀をキッと睨みつけた叶二葉は、はらはらと大粒の涙を零し、震える手で平凡少年の頬を撫でる。

「ああ…!どうして私は人を殺す術は知り尽くしているのに、医療を学んでおかなかったんでしょう…!」
「何で犯罪者がほのぼの高校生活を送ってやがる、どうなってんだ最近の餓鬼はァ」
「叶じゃ、読み書きを覚える前に刃物の研ぎ方から教わるんですよ」

太陽の腹から突き出ているナイフにもビビったが、二葉の過剰反応にも盛大に怯えている一年生達は、おろおろとカーテンを開いたり照明をつけ直したりしつつ、戸口で頭を抱えている担任教師に縋りついた。

「東雲先生っ、山田君は大丈夫なんですか…?!」
「うっうっ、フタイヨーが病みエンドだったなんて…っ」
「何て事を言うんだ石田君っ、平塚君と羽住君が気を失っちゃったじゃないか!こんな時にフタイヨーだなんて不謹慎だよっ、どう見てもフタイヨーだけど…!」
「僕の曇りなき眼鏡で見てもフタイヨーなのさ」
「僕の曇りなき眼鏡で見る白百合閣下は、美しい泣き顔でいらっしゃるけど山田君の胸元を揉んでる様にしか見えないのさ。動物界では屍姦行為が度々目撃されているのだから、白百合様が山田君の遺体とまぐわっていても無理はないのさ」
「う、うう、お、俺にはまだ、黄×青が残ってる…!」
「な、内藤…!まさか君は、禁忌のタイフー派閥…?!」
「違うっ、俺は、俺は、実は隠れ天×時なんだ…!」
「そ、そんな…!天の君はアレがアレなんだから、紅蓮の君が相応しいんじゃないかっ?」
「雷堂!それは僕ら一年Sクラスの機密事項なのさ!」
「でも僕は頭の固い溝江と違って、紅×天はありだと思うのさ」

東雲村崎と言えば、受け持ちの生徒でもないのに誰よりも泣いている工業科の鈴木講師にも縋られていて、凄まじい笑顔の執事から刺々しい視線を注がれているのでわざとらしく顔を逸らしている。唸りながらピポパとスマホを弄っているが、庶民に憧れるセレブ教師の携帯電話はゲーム専用なので、アプリが多すぎて電話帳を開くのも一苦労らしかった。なので生徒らの騒ぎには気づいていない、全く使えない男である。

「叶では他にも、物心つく前からお茶やお花を嗜む訓練も受けるそうです。あ、僕は余所で産まれたので、これは桔梗ちゃんから聞いた話ですよ?」

さて、腐った会話に全く気づいていないのは、何もダサジャージだけではない。にこにこと美貌で笑顔を撒き散らしているこちらもまた、騒ぎには気づいていない様だ。

「我が子のラブシーンを見る日が来ようとは、全身機械になってでも生まれ変わるものですねぇ。うふふ、知ってますか?愛は地球を救うんですよ♪」
「言っとる場合か、睨んどる睨んどる。黙ってりゃお綺麗な顔しとる癖に、太陽に対する目と俺に向ける目が全然違うのは、どう言うこっちゃ」
「さぁ、何せ僕は二葉が産まれる前にぽっくりしちゃってるので、判んないんですよねぇ。生前の僕が意気揚々と残していたデータじゃ、完全なアーカイブとは言えなくて」

とうとう太陽のデコやら頬やら、どさくさに紛れて唇やらに吸いついている中央委員会会計は、何を思ったのか太陽の腹に刺さる柄を恐ろしい目で睨みつけたかと思えば、すっと息を深く吸い込む。

「…もう構ってられるか。アキが死ぬなら、俺も死ぬ」
「テメーは底なしの馬鹿かコラァ!」

本気で呟いた二葉が太陽の上に馬乗りになった瞬間、凄まじい勢いで飛んできた嵯峨崎佑壱の右ストレートが二葉の脇腹に決まった。無抵抗でベッドから転がり落ちた二葉は然し、即座に受け身を取って立ち上がる。誰もが目を逸らす恐ろしい表情だったが、ゴキっと首の骨を鳴らした佑壱は、真っ直ぐに睨み返した。

「何がどうなったら山田がこんな面白ぇ事になんのか知らねぇが、これでも一応、カルマの総長(仮)なんでね。気安く触んないで貰えるっスか、叶センパイ」
「失せろファースト、再生が間に合わねぇくらいの蜂の巣にするぞ」

しゅばっと拳銃を取り出した男の目は全く笑っていなかったが、悲鳴すら上げられない一年生の隙間をつかつか歩いて通り抜けた金髪だけは、欠伸を噛み殺しながらスラックスに巻きつけていたチェーンベルトを外し、

「トリガー引く前に絞め殺してやろうか?」
「…おや。余りの存在感のなさに今気づきましたよ高坂君、ご機嫌よう」

じゃらりと、二葉の首に巻きついた金属が音を発てる。掛けていない眼鏡を押し上げようとして持ち上げた右手を浮かせたまま、左手を下ろした二葉は忌々しげに佑壱を睨みつけた。

「人が悪いですねぇ、嵯峨崎君。高坂君といちゃついていたならいたと、誰よりも先に私へ報告するべきでしょう」
「あー、そーっスね、さーせん。おい起きろ、山田。左席の出し物はロミオとジュリエットじゃねぇだろ、テメーが主役の訳判らん活劇だろうが」

わざとらしく耳を穿る佑壱は、横たわる太陽の頬に軽く平手打ちをして起きない事を確かめ、様子を伺っている舎弟らに『こりゃ駄目だ』と首を振った。四重奏は揃って手を合わせたが、悪気はないらしい。

「高坂君、そろそろ離して下さい。私に首輪を巻くのはやめて貰えませんかねぇ、何処かの馬鹿犬達じゃないんですから」
「あは。何かゆったあ?」
「何か聞こえたぜ」
「腹は黒い癖に白百合とか言っちゃってる人じゃね?頭がイっちゃってるからよ、色々仕方ねぇっしょ(*/ω\*)」
「馬鹿と馬鹿が下らねぇ喧嘩で騒いでんじゃねぇ、どいつもこいつも咬み殺すぞ」

二葉の首にチェーンを巻きつけたまま手を離した高坂日向と言えば、派手な舌打ちを響かせながらブラザーの内ポケットを漁ったが、目当てのものは見つからなかった様だ。再度舌打ちをすれば、ジトッとした赤い目に睨まれて、眉を跳ねる。

「おい、このナイフ見てみろハゲ猫」
「禿げてねぇ。また容赦なく刺さってる割りに大した出血じゃねぇ所を見ると、相当慎重に運び込んで来やがったな」
「着眼点が違ぇ。柄を見ろ、made in USのUが逆さまだ」

佑壱に言われるまま、太陽に刺さった柄の刻印を日向は見た。言われた通り、USの文字のUが∩の向きだ。

「What is the opposite of United States of America?(アメリカの反対側は?)」
「Under kingdom Stealthily.(ステルシリー)」
「That's right、良く出来ました」

優秀な一年生の耳にも、正確な発音では聞き取れなかったのか『ステルスリー?』と言う疑問符が囁かれる。表情が変わらない佑壱の傍らで眉を顰めた日向は、黙り込んでいる二葉へ目を向けた。

「その面じゃ、誰がやったか見てはいねぇんだろう?」
「申し開きの余地はありません。私とした事が油断しました」
「つーか、…問題はあれか」

今気づいたのか、見ない様にしていたのか。
廊下側の窓の向こう側に、にこやかに手を振る紳士を見つけた日向は不格好な笑みを浮かべる。自分が手を振られていると思ったのか、太陽の手を掴んでぶんぶん振っている佑壱は真顔だ。誰だったか全く思い出せない様だが、それに気づいた二葉は笑顔で佑壱の手を叩き落とす。

「気安く俺のものに触らないで頂けますか嵯峨崎君、八つ裂きにして鮫の餌にしますよ」
「化けの皮が剥がれまくってんぞセカンド。無理すんな、山田は誰のもんでもない。強いて言えば左席のもんだ」
「嵯峨崎君」
「何だ、そのキモい笑み」
「嵯峨崎君と高坂君と私が200m走をしました」
「あ?」
「全員一定の速さで走り抜け、嵯峨崎君は高坂君に10メートル差をつけて勝ちました。高坂君も私に10メートル差で勝ちました」
「何で俺が高坂にたった10メートル差なんだ、ぶっ殺すぞコラァ」

嫌な予感がしたのは日向だけではない。

「さて、嵯峨崎君と私が二人で走った場合、君は何メートル差で勝ちますか?」
「…はぁ?俺が高坂と10メートルで、高坂がテメーと10メートル差だろ?んなもん簡単じゃねぇか、にじゅ」
「駄目ですユウさん、騙されてます!答えは38メートルですよ!」
「はぁ?!どうした要、10+10は20だろうが!」

この場の全員が凍りついた。
心底可哀想なものを見る目の二葉は、先程佑壱が触った太陽の頬やら手首やらをウェットティッシュで拭きまくり、潤んだ瞳で至近距離から平凡な顔を覗き込む。悲劇のヒロインばりにペタリと座り込み、あられもなく太腿を晒し、危篤な夫を看取る嫁の様だ。

「ハニー…!貴方が死んだら私は、17歳で未亡人になってしまいます!」
「うーん。まだ結婚してないやないかーい」
「ミッドナイトサン」

的確な寝言の様な突っ込みと、途方に暮れた声音が重なった。
ピタリと動きを止めた二葉はぱちぱちと瞬いたが、見事に聞こえない振りを貫こうとしている。

「高坂、アイツ今ちょっと狼狽えたよな」
「ああ。ほんの一秒くらいは確実に狼狽えやがった」
「目を覚まして下さいハニー!」
「ヤト殿、直江さんを呼んだ方が良いのでは?」
「直江は内科医だ馬鹿ロボットめ。救急車を呼ぶしかないだろうが、確実にワイドショーを賑わすぞ」
「くぇーっくぇっくぇ!」

遠野夜刀より遥かに大きな笑い声が響き、全ての視線が、廊下側ではなく外の窓の向こう側に注がれた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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