帝王院高等学校
昏くなる前に早く帰りませんか?
「総長、唐揚げ揚がりました。お代わりは?」

拝啓、俺の大切な家族。
望まれながら疎まれ、決して生まれてはならないと蔑まれながら、祈る様な渇望に救われ生き永らえてしまった俺を、世界は矛盾だと嗤うだろうか。

それでも俺は、産まれてしまった事を後悔したくなかった。
俺は探していたんだ。他でもない俺の為に、己の価値を。生きる理由を。お前達の罪を抱えて、いつかひっそり去る為だけに生きてきた。

せめて一人でも良いから、俺の亡骸を前に悲しんでくれる誰かが居てくれたなら、幸せな人生だった・と。


(嘘だよ)
(俺が死んだらすぐに忘れろ)
(微塵も思い出さなくてイイ)
(全ての負を忘れてしまえ)

(俺はお前達が大切だった)
(けれど愛とは違うそうだ)

俺の大切な家族達

見えるか、あの広い空が。
あの向こう側には無限の宇宙があるそうだ。誰もが憧れ、その真理を何万何億もの研究者が望み続けているけれど、宇宙とはパンドラの箱そのもの。希望はほんのひと握り、ほぼ全てが『虚無』である事を、きっと誰もが認めたくないんだろう。

俺に生きる理由などなかった。
誰もに生きる理由などなかった。
それでも今、世界中で命は育まれている。何の為でもなく、生きる為に。

善も悪も淘汰した先に、終わるその瞬間までのモラトリアムだ。


「オレが作ったバーニャカウダはどうっスか。ソースやばくねーっスか。アンチョビとマヨネーズの奇跡的な出会いを仲人した自分の才能が怖いぜ」
「オメーは野菜洗って野菜切る前に指切って、ユウさんに呆れられて、レシピ通りマヨにアンチョビぶっ混んだだけだろwマジ使えねー男っしょ( ´Д`)σ)Д`*)」
「今時料理も出来ない男はモテないよねえ」

最近良く考えるんだ。
大好きな皆に囲まれて年相応の幸せを感じている気がして、このままこの時間が永遠に続くんじゃないかと、馬鹿みたいに。

自分は己の我儘に従って、皆を集めた。
皆の抱えていたしがらみ、業、あらゆる負の感情を全て俺が連れていけば、幸せになれると信じて。そうして皆を幸せにした時に、漸く俺は許されるんじゃないかと思ったんだ。

背徳にも等しい罪を犯す結末が。
決して揺るがない結末が。許されると、勘違いしていたんだ。



赤い。
物語は赤い文字で丁寧に、血を刻み込む様に紡いでいこう。
明日には錆びて茶色く変色してしまうかも知れない。明日には消え去ってしまうかも知れない。けれど物語とは、そう言うものだ。
誰もが夢見るエンドマークの向こう側など、存在しない。




(けれどその日)
(それはやって来た)
(烟る雨の中)
(灰色の街の中でそれだけが白い)

(俺の宝物)

(俺なんかが生きている、唯一の理由)




「俺さー、武蔵野君にコスプレ趣味があるなんて、ちっとも知らなかったよー。ずっとクラスメートなのに、変だよね」

俺は騎士になりたかった。王ではなく騎士に。
だけどそれは、本当に俺の望みなのだろうか?夢を見るんだ。産まれた瞬間から絶えず何度も、闇の中で眩い何かが囁いている。


「俊」
「神」
「お前さんのお陰で俺は、」
「そなたの所為で余は」
「毎日、楽しいよ」
「毎日が、地獄だ」

ナイトに憧れたのは本当に俺なのか?
ナイト、それは騎士?夜?反転した世界でそれは、皇帝?朝?
何処から何処までが自分の記憶なのか、俺にはもう、判らない。何が自分の望みで何が自分の判断なのかさえ、判らなくなっていた事に気づいたんだ。

俺は観客?
俺は主人公?
家族の幸せを願ったのは、本当に、俺なのか?
銀髪のノアに憧れたのは、本当に、俺なのか?




「通りゃんせ」
「通りゃんせ」
「此処は何処の細道じゃ」
「天神様の細道じゃ」

「ちょいと通して下しゃんせ」

「御用のないもの通しゃせぬ」

けておくれ」
「このだけでも」

他には何も、望んでいない



「行きはよいよい帰りはこわい」




いつからか、世界が白紙の上に描かれた物語の様に見えてきた。
既に見たものか、これから起きるであろう未来の話なのか、突き詰めてみれば連続する既視感が日常だったと言う事だ。最早、世界には想像を超える出来事など起こりはしない。

どう足掻こうと変わらない未来へと流れていく、俺は一隻の船だった。

「総長、カラオケに行きませんか。歌うのはストレス解消になるそうです。音が気に食わないのであれば俺がシンセサイザーを持ち込んで生演奏を、」
「カナメさん、何であんなに総長の歌が聞きたいんだろ?」
「ユウさんは歌メチャクチャうまいよ」
「えっ。聞きたい!副長、カラオケ行きましょうよ!」

3歳、あの人を初めて見た。竹刀を弓へと持ち替えた、一人の男の話だ。
4歳の誕生日、焼け爛れた顔に構わず俺を待ち続けるあの人は、月の光に照らされていて。髪も眼も真っ黒な俺には気づかず、彼はひたすら歌い続けた。父上・と。

「煩ぇな、聞くまでもねぇ。俺は総長が行く所なら、何処へだって行く」

ナイトになりたかった。ナイトとは騎士を指す言葉だった。俺は馬だ。そう、己の意志を持たないつまらない一片の駒だ。天から解き放たれた蝉を見守るだけの、空っぽな何か。抜け殻。夢も希望もない、夢も希望も捨て去り愛を選択した両親から産まれた、人の形をしているだけの何か。

「…嘘つき」
「え?総長、今何か言ったっスか?」
「いや。燃え盛る蝉は水害の後でもその炎を消さないのか、考えていただけだ」

請われるまま研ぎ澄ましたつもりだった刃は然し、容易く毀れた。
違う。もしかしたら帝王院秀皇になりたかった。なれない事は知っている。だって俺の手は、父よりずっと、小さい。

「蝉?」
「いつか緋色の鎖で繋がれていた狼達は、黒く染まった翼に命じられるまま羽根を広げ、飛んでいってしまう」

不死鳥が死んだ日。
始まりのタイトルはきっと、そんな所だ。帝王院鳳凰と言う、己の背負った業を憎んだ男の。とっくに終わった物語。

「大地の中から生まれたんだ、命は」

始めて世界をこの目で見た日。
一匹の黒い犬が、白衣を纏う看護師らの足元で微動だにせず座っていた。それが可笑しい事だと知らなかったから、誰にも言っていない。

「空に憧れた犬は自分が蝉だと知っていた。羽化する方法を忘れていただけだ」

初めて話をしたのは祖母。
穏やかな口調で話す彼女に『あれは何だ』と言えば、確か彼女は『壁』だと言った。成程確かに、その時あの犬は、壁際に佇んでいただろうか。次に母親に『壁がいる』と言った時、母は眉を跳ねた。『壁はいるじゃなくて、あるでしょ』と。その意味を知ったのは、ずっと後の話だ。

「そして、彼らが見上げ続けている空には、一匹の赤い鳥がいた。その翼は日輪として、世界を明るく照らしていたのだろう。例えば、」

犬の傍らには、いつもぼんやり人影が寄り添っている。
その靄の様な影は、日を追うごとに輪郭を強めていった。初めて人の形だと認識したのは、いつだったか。もう思い出す事もない。初めから見えていたものだからだ。

「日食に似た絶望で、陽が翳るまでは」

あれは他人には見えないらしい。
事実、他の誰もあの犬と男を気にしない。それはきっと自分の同じ事だった。初めからあるものを不思議がる人間は、限りなく少ないからだ。例えば自分の指先の爪の形、初めからあるものを『何故生えているのか?』などと考える事は、極めて稀だ。

「総長、それは新しい本の話っスか?」
「判ったっしょ、漫画じゃね?(*´艸`)」
「オペラの演目みたいですね。シェークスピアにそんな演目ありましたっけ?」

14歳、黄昏は逢魔ヶ刻と言うらしい。
日本へ戻ってきていた彼は仮面で顔を隠していて、俺よりずっと大きくなっていたから、俺は気づかなかった。俺の記憶の中で俺の宝石はあの時のまま成長を止めていたから、その記憶だけは他の記憶と交わらない様に守り続けたから。

「空が飛べたら、人は自由になれるのになァ」

15歳の誕生日、天気予報を裏切った夏の雨の中。
午後の人の群れ、俺は11年前の今日を思い出した。約束を果たせなかったその日に、どうしてあの人は、俺を見つけてしまったのだろう。

「…何かあったんスか、総長?」
「何が?」
「聞いてんのはこっちなんスけど」
「考えたんだ。俺の可愛いワンコにいつか翼が生えたら、ちゃんと鍵を開けてやらないと」
「は?」

騎士にもなれない。
藁人形は人の形をした人形、なのに左胸の奥が脈打っている。まるで時計が針を刻む様に。

「籠も首輪も、蜃気楼を捕らえられはしないんだろう?」
「はぁ、そっスね」
「沈みたがる太陽と違って自由な雲は、雨粒になって大地を濡らしてもまた、空へと帰っていく。何度も何度も」

どくり、どくり。
ちくり、ちくり。

「何も変わらない事が証明されるまで俺は、足掻くんだろうな」

判っているんだ。
何も変わらない事なんて初めから。
ああ、でもそれは。
誰の話だった?

「そうだ。喜代美ちゃんからまた、福引券を貰ったんだ」
「また?どんだけ気に入られてんスか総長、あの妖怪に…」
「イチ、女性に何て酷い事を言うんだ。怒るぞ」

いつから俺は俺ではない俺になってしまって、いつから俺は俺ではない本当の俺を思い出せなくなったのか、それとも初めから、何処にも存在していなかったのか。

『…漸く私が見える様になったか、俊』

集めるんじゃなかった。

『私と同じく、陰陽の境に産まれた帝王院の渡り子。お前には視える筈だ』

飛び立っていった鳥達を。
七日で死ぬ筈の蝉のその後を追い掛けたりしなければ、人形は人形のまま、

『天網に刻まれた輪廻は、須く廻るべしと』

空っぽであれた筈なのに。

「何が当たると思う?」
「さぁ。でもまた、一等でしょ?」
「どうかな。人生は素晴らしい事ばかりじゃないだろう?」
「勿体つけるっスね。賭けても良いっスよ、絶対一等だ」
「一等じゃなかったらアイス」
「ハーゲンダッツでもゴディバでも、何でも用意しますよ」
「…言ったな?」

俺はいつから、並べてきたドミノを壊す事に躊躇を覚えたのだろう。



「おめでとうございまぁす!特賞、カラオケギフト券10万円分でーす!」

ああ。
聖母マリア。そうか、キリストの母親の名前だ。

判った。判ってしまった。そうか。判っていたのに目を逸らして、下らない約束を破ったまま俺は、少しでも記憶に残っていたかった。
その真っ白な生き物の、まるで宝石の様な瞳に映る見窄らしい黒羊は、路頭に迷った脆弱な生贄はそうか、だから俺なんだ。

俺は月でも太陽でもない。
俺は何者も照らせない。
俺は新月の夜に産まれた、空っぽな何かだった。
他人事の様に他人の物語を集め、いつからか人間になれたつもりになっていた。

人は幸せに焦がれている。
でも俺は幸せがどう言うものなのか、判らないんだ。




『ばいばい、裸の王様』

俺は主人公ではなかった。
他人のカルマと言うドレスで飾った、シーザーと言う名札をつけただけの藁人形。祖先が縋り続けた過去の記憶を抱く、生きる墓守。

帝王院(天)でありながら灰皇院(影)である俺は、白でも黒でもない、ならば何なんだろう。

俺は誰だ。俺は何も持っていない。
見上げるほど高い所に銀色が見える。けぶる雨の中でも貴方は、冷たい仮面で覆って尚、輝いて見えた。俺の宝物。貴方を守る男には決してなれない事を思い知った。俺には幾つもの物語が犇めいていて、真っ白なページはもう何処にもなかったんだ。

だから新たな本を作る事にした。
何の役も持たないポーン、何にでも変わる事が出来る歩兵。但し、キングにだけは絶対になれない、主役の振りをした道化師。

何も持たない遠野俊。
王になれば手に入るのか?
帝王院俊だったら叶えられるのか?
それでも遠野俊は王にはなれない。
帝王院俊は空蝉の物語に埋もれて、もう何処にも存在しない。
空っぽな人形には幾つもの呪いが刻まれた。
これは俺が望んだ事だ。
一度、墨を垂らした白紙は二度と元には戻れない。

それとも、外に出なければ死なずに済んだ蝉の幼虫の様に、空っぽな人形は出来損ないの烙印を押されて、十口に埋もれていた方が幸せだったのか?




判らない、判らない、判らない。






「帰してくれ」

泣き声が聞こえるんだ。
ずっと。ずっと。ずっと。


「俺を世界へ帰してくれ。
 俺の時間を還してくれ。
 俺の希望を、返してくれ…」

真っ暗な所で。
此処ではない何処かで。
恐らくそれは、自分の声だと思うのに。


「欲を知ってしまった、それはそんなに悪い事なのか?
 皆の笑顔を、幸せな歌を知りたいと願うのは、そんなに悪い事なのか?」

空っぽな人形の様だった。
いつしか体の中に幾つもの人格が宿り、いつしか何処から何処までが自分だったか判らなくなると、苦しくて堪らないのか楽しくてやめられないのか、狂っていく過程を何処か他人事の様に見ているだけになる。

「綺麗事を纏えば不要なものにも価値が産まれるかも知れないと期待する事は、それほどみっともない事なのか?」

いつから、自分の事さえ他人の物語の様に。

「判らないんだ。
 幾つもの歴史を掻き集めてみても、幾つもの物語を繋ぎ合わせてみても、どうして人間は過去も現在も何ら変わりなく、何かに執着するのだろう」

いつから、あれほど退屈だった世界が転換したのか。

「例えばそう、綺麗な宝石を見つけたんだ。まるで生きる光の様だった。
 なのに日差しから隠れる様に木陰の中、月明かりの下でもそれは、漆黒のベールで表情を隠している」

退屈だったんだ。(何かに出会うまで)
歌っていたんだ。(世界は旋律のないオルゴール)
他人の物語を集めて(本は一度読むと二度と開かないから)終わらない退屈を(その場凌ぎなのに)たゆたうばかり(魚の様に)、いつからだ?

「どうしてそんなに悲しげな声で。
 どうしてそんなに絶望の底を漂っているのか」

混沌に染まる心の中から(何処から何処までが俺だったかも判らないのに)、雲間から差し込む月光が一筋照らす様に(音もなく)、濁りが消えたのは。



「判らなかったから俺は、お前の悲しみを消してしまう事にした」


俺は俺じゃなかった。
それなのにいつから、俺は俺になっていたのかと。考えている時にそう、酷く退屈そうな『白』を見たんだ。
(雨で霞む灰色の世界でお前だけが、酷く目についた)




ミーンミーンミーン
ミーンミーンミーン
ミーンミーンミーン
ミーンミーンミーン

ミーン





「何をしている?」

覚えているかい。
雨に烟る8月18日、大水害がやって来ると世界が囁いたんだ。

「珍しいな、一人か」

ああ、そう。
俺はお前を知っていた。いつの間にか他人の物語で埋め尽くされた、乱雑な玩具箱の様な頭の中で蝉が鳴いたんだ。逃げなければならないと言っている。何処かで、誰かが。

「泣いているのか?」

逃げなければ俺は、この脆弱な『人形』の全ては。
ラプンツェルの如く、逃げ出せない『塔』の中に囚われてしまう。










(俺はお前より綺麗な生き物を)
(見た事も聞いた事もなかったんだ)

(だからそう)
(判らないものはとても恐ろしいのだと)



(愚かな俺は、そんな事さえ)









時計を回そう。
いつもとは反対側に、何周も何周も、何十周・も。



「…遅い」
「悪い、待ったか」
「いつから隠れていた?」
「お前が余りにも、綺麗だったから」

夜更けでも蝉が鳴いている。
23時を回って幾許か、二時間近く月明かりに照らされている宝石を眺めていた事になる。

「斯様な時間に一人でやって来るとは、酔狂な男だ」
「お前も一人じゃないか」
「私を心配する者など存在しない」
「俺が心配する。麦わら帽子を被った方がイイと、言っただろう?」
「陽のない真夜中に、か」
「夜空には月がある」
「…下らない事を」

何かを探しているのだろう、と。
囁けば、風でベールが靡いた。無機質な深紅の双眸が、一瞬だけ伏せられる。

「そなた、名は」
「言っただろう?」
「…そなたが昼間話し掛けていたのは、私ではない」
「知ってる。でも聞いてたじゃないか、木の上で」
「気づいていたのか」
「迷子だったんだ。弟を探しに来た子を道案内していたら、後ろからついてくるからストーカーと勘違いしてしまった」
「祭美月と一緒に居たのは、聞こえてきた。あの者の声は耳障りだ」
「酷い事を言うな」

もうすぐ、誕生日だ。
4歳になれば、4年も生きてきてしまった事になる。残念ながら今の所、父親の中に巣食う帝王院秀皇の願いは叶えられていない。何せ自分の皇を集めるにも、どうやら高いハードルが幾つもある事が判ってきたのだ。

「じきに、お前を探しに来る子が居るだろう」
「…私を?」
「地面の中で7年も身動き出来なかった幼虫はいつか、空を飛ぶんだ」

退屈。
世界の仕組みが一つ判るにつれて、この世界はローコントラストのショーウィンドウだと気づく。何年も何十年も同じ事を繰り返しているだけだ。地球が回って、天体が回って、宇宙を漂って、誰が泣いても笑っても、宇宙には少しも関与しない。

「望む望まないに関わらず、見えなくてイイものが良く見える。聞こえなくてイイものは良く聞こえる。空気は音を通すけれど、大気は色を通すんだ。どれが俺に必要な物語か判断するのが、とても難しい」
「何を言っている」
「気づいた時には零れ落ちてる。間に合わず救えなかった魂の業を、俺は負わねばならない」
「…」
「曾祖伯母の身内を二人も救えなかった。スズメが撃ち落とされて、薔薇もまた枯れてしまった。吸血鬼は嘆く。燕は狂った。止められた筈の争いが、必ず起きる」
「預言者の真似事ならば余所で宣うと良い。その様な戯言を聞かせる為に呼んだのか」

ああ、怒っていても綺麗だ。
そよぐ風に踊るベールは蝶の羽根の如く、ひらひらと。ゆらゆらと。

「もうすぐ誕生日なんだ。残り18分」
「…何?」
「可愛い黒猫を長い間独り占めしてしまった俺は、獅子座の癖に猫が寄りつかない業を負っている」
「興味がない話だ」
「じゃ、興味を持って貰える話をしよう。要らないものは俺に押しつければイイ。いつか胸を張って空の下を歩ける様に」
「そなたは何が言いたい?」
「探しものは見つかったか?」

線路の向こう。
踏切が上がっても暫く佇んでいた白い生き物は、真っ白なベールで表情を隠していた。剣道場からの帰りに見掛けたそれは、そこにいるのにいないかの様な、まるで蜃気楼の様に思えたものだ。

「ふん。祭美月の失せ物を見つけたお前は、何でも探せると言うか」
「大切なものだったんだろう?」
「…既に関心を失ったものだ」
「だったら、何でまだ此処に留まってるんだルーク=フェイン=グレアム」
「そなたが何故その名を知っている」
「俺に判らないものはない。何故ならば俺は、罪を穿つ真紅の塔の番人に育てられた」
「罪を穿つ、塔だと…?」
「『お前は悪魔なんかじゃない』」

見えないのだろうか。
闇に溶ける真っ黒な犬が、宝石の足元でくの字に折れた不格好な尻尾を振っている。私を見て。私を見て。私は貴方を見守っていると、そんなにも叫んでいるのに。

「『桜を見に行こう』『お前が生まれたあの日の様に』『すぐに迷ってしまう私の隣で、見えなくても迷わない貴方は導いてくれるでしょう?』」
「何の真似だ」
「皇子は己を悔やんだ。親友を失い、子供を傷つけて、何も彼も捨てて逃げた先に、全く別の人生を選択した事を」
「やめよ、不愉快だ」
「帝王院秀皇が捨てた業は、俺が負う。その為に生きてきたんだ」

そうして、蝉が眠りについた零時。
時計の針は新たな日の訪れを報せ、真円の月は雲間に閉ざされる。


「Close our eyes.」

お前の未練を俺が貰う事にした。
それがどう言う事なのか、俺は知らなかったんだ。人間の形をしていたのに何も判っていなかった人形は、そこで初めて後悔を覚えたのかも知れない。







(ああ)

(未練とは執着だった)
(執着とは愛そのものだった)

(それを失ったお前は)
(まるでそれまでの俺の様に)


(何にも関心がない)
(人形の様になってしまったのだろう)



(それは俺の罪に他ならない)









「俺は間違った。
 救うつもりが何一つ救えていなかった。

 だから俺は、光の下で生きる事をやめたんだ。緋の系譜から自ら消える事を誓ったんだ。それは即ち、帝王院俊の存在を許さない事に他ならなかった。その為に真っ先にやる事があったんだ。

 もう判るだろう?
 全てに執着し全てを愛し全てから排除される、罪を負うだけの藁人形。痛みを感じ、痛みに生きる意義を見つけ、死を恐れない生贄たる俺を生み出す必要があった。罪を裁く為には命を犠牲にしなければならない。正常な時の流れでは、俺は帝王院俊として生きなければならないからだ。

 さァ、狂わせよう。
 俺は遠野俊、夜に生まれ夜を渡り軈て消えていく、ほんの些細なバタフライエフェクトの副産物だ」



「ああ、それでも」
「痛ければ悲しい」
「悲しければ寂しい」
「寂しいと感じれば、愛されたいと願ってしまう」

「いつか自分も幸せになりたいと望むのは、そんなに悪い事なのか?」


けれど、何も感じない。
可哀想だと思うけれど、ああ、可哀想とは何だった?

それがもし俺の事なのであれば、それは俺の魂なのだろうか。それが俺の本心なのだろうか。違う。それは遠野俊が作り上げた、偽りの感情だった。俺のものじゃない。俺には未練なんて存在しない。それはあの子から奪った感情だった。俺のものじゃない。俺は初めから全てを知っている。だから俺は未来を変える事が出来る。

俺は時の流れを操る作者。洪水を逃れる船人の様に、櫂で時空を泳ぐ時の番人だ。






「ほら、何も変わらないと言っただろう?」
「違う、変えられる」
「好きにしろ。命に与えられた時間は短い。すぐにまた、戻ってくる」
「俺、は」
「姿形を取り繕っても、人形は決して人間にはなれない。どんなに燃え盛る炎でも、いつか儚く消えていく。宙の真理は、虚無だ」
「それでも俺は、生きている」
「いずれ死ぬのであれば、死んでいるのも同然だ」
「俺は時の番人」
「何を言っている」


…魂とは、何だった?






「お前も俺も、ただの虚無だろう?」













Metempsychosis will be the end, after death the soul begins a new cycle of existence in this doll.

Goodbye, my moonlight.






『俺を殺せ』

その声が聞こえたその時に、俺は定められた未来へ刃向かう事をやめた。
無機質な声で、平民の振りをした王様が望んでいる。俺はもう、その呪いを受け止める事など出来はしなかった。

拝啓、Absolutely Single(唯一無二の人)。
狂った俺の傍で、ただひたすら純白なままだった、たった一人の人へ。

俺は全ての呪いを手放す事にした。
そして俺は、初めて本当の自分を知ったんだ。俺にお前を殺す事は出来ない。他の誰が傷つこうと、泣く事は出来ても拒絶する事は出来なかったんだ。繰り返される絶望に麻痺して俺は、いつからか他人の幸せを眺めているだけで満足してしまっていた。


「此処であってるのか?」
「この辺じゃ一番広ぇのが此処っスよ。ジャンクもそこそこ食えるレベルだと」
「流石に飲食物の持ち込みは禁止だろう。此処のオムライスとどっちが美味ェか賭けてみっかァ?」
「どっちに賭けるんスか」
「愚問だ。イチの唐揚げに賭ける」
「…っとに適当っスね」

だから俺は、幸せを選ぶ事にしたんだ。
大丈夫。中央委員会にも左席委員会にも、優秀な鳥を残してきたよ。俺の代わりは幾らでもいるんだ。だから大丈夫。

「適当じゃない。俺は賭け事には強いんだ、知ってるだろう?」

悲しい物語を反転させたら、喜劇に変わるんだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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