帝王院高等学校
その際限ない福音は何味ですか?
世界が密やかに福音を鳴らした頃。
振り返れば退屈を感じた瞬間があっただろうかと、今更ながら己に問う。

「ふぇ」
「どうした」

真新しいニスの匂いを覚えている。
間取り、内装自体はそれほど違いがない帝君個室は、持ち主の荷物によって印象が変わるだけだ。見慣れた壁と天井とフローリング、それなのに何故か落ち着かなかったのは、見慣れない他人が居たからだろうが。

「うみゅ。うーん」
「腹が痛いのか?ポテトサラダを8人前平らげたのは、多少無理があったのだろう」
「ふぇ?サラダはヘルシーだから、いっぱい食べても太らないのょ?」
「糖質過多ではないかと推測するが、腹が痛い訳ではない様だな」
「お腹は減りまくる事はあっても、痛くなった事はないにょ」
「そうか」

真新しいカーペットの上に広がるダンボールを幾つか開けば、古い本の匂いが漂ってきた。荷物の大半は本と食料で、それ以外の荷物は明らかに少ない。

「カイちゃん、パンフ読んだ?」
「リブラのか?」
「そ。朝貰った説明書読んでたら、テークンは一人部屋って書いてあるなり」
「ああ、基本的にはそうだ。首席に与えられる奨励の一つだからな」
「ほぇ。カイちゃんはテークンざます」
「お前も帝君だろう?」
「本当は一人なのに、僕達は二人でイイにょ?」
「何だ、そんな事か」

パジャマを2枚取り出した男は、自室の中でも分厚いレンズの眼鏡を掛けたまま。柄違いの酷く鮮やかなパジャマを見比べながら、ベッドの上に広げたパンフレットを覗き込んでいる。

「僕、僕、ダンボールでも眠れます!」
「何の話だ?」
「やっぱり、生きてるだけで地球温暖化に一役買ってしまってる僕が、すっぱりさっぱり追い出される場面ですよねィ…?何せこの通り、近年稀に見る短足ですし」
「足が何だと?」
「キィ!自分が勝ち組だからってカマトト振りやがってェ、羨ましいかだと?!寧ろ羨ましくない俺がこの世に存在すっかァアアア!!!」

ぴとりと右足が引っついてきた。
股下の長さを比べている様だが、身長差を鑑みれば比較対象にならなかっただろう。

「うっうっ、足は短いけどその分、胴の長さには過剰な自信があるんです!せめて、せめてベランダの隅っこをお貸し頂けないでしょうか?!追い出されたら行く所がないにょ!タイヨーの部屋の天井裏くらいしか心当たりがないんです、寧ろ望む所だけどっ」
「ああ、そう言う事か。案ずるな、紫水の君から説明があっただろう」
「シスイ?翡翠の親戚?」
「東雲村崎の通称だ。学園在学時、彼は中央委員会会長を務めていた」
「はい?あ、ダサいけどパーマが似合うホスト顔だから?」
「東雲の髪質が気になるのか?」
「パヤティーが言ってたにょ。奴は…天然!」
「天然ボケと言う奴か?」
「天パょ!何であそこまで俺様要素満載でダサジャージなの?!何でエセ関西弁なの?!僕は迸る涙でセルフ溺死寸前なのょ!謝って!」
「悪かった」
「はい、許します。ホストパーポーは担任なのに寮監だったなり。あっちでもこっちでもダサジャージだったにょ、鏡見た事ないのかしら?」

柔らかな皮膚に覆われた体液は恐らく赤く、艶やかな黒髪が覆い隠す瞳もまた穢れなき漆黒であれば、その赤い唇が奏でる声音は何色だったのだろうか。

「首席が二人存在する事は過去にもあったが、帝君は歴代一人とされていたそうだ」
「そーなの?」
「現に、3年の首席は二人存在する」
「どなた様とどちら様?カイちゃん、パジャマどっちにする?」
「…中央委員会会長と、祭美月だ」

いつからだ。
いつから世界はああも、極彩色に染め変えられた?

「キラキラ俺様会長!カイちゃんもキラキラだけども、あっちは毛量の分だけアレがアレだったざます!でもカイちゃん、決して挫けないでちょーだい!髪はそう、伸びるんだぜ!」
「そうか」
「くぇっくぇっ。神帝め、僕が睨んだ通り早速タイヨーにお眼鏡をつけてたわねィ」
「そうか?」
「全く、生徒会長の分際でけしからんもっとやれ。ふァ!でも浮気攻めはお呼びでないにょ。どっちっつーと副会長のほ〜が俺様臭かったけども、僕は期待しまくってるのょ」

気づかなかったのか、気づかない振りをしていたのか。今はもう思い出せもしない。

「俊」
「なーに?」
「俺と二人は嫌か?一人部屋を望むなら東雲村崎に掛け合えば良い。理事会は帝君の希望とあらば、応える筈だ」
「やじゃないにょ」

知っているか。
この国に於ける我が名は帝王院神威、その真の意味が判るか。

「それは本心か」
「だって、ひとりぼっちは寂し〜にょ。僕はラッキーざます。ひとりぼっちだったかも知れないのに、ひとりぼっちじゃないんだもの」

灰皇院に継がれる力の全てを、どうして俺が手に入れたか、不思議だろう。
単純な話だ。灰の一族とは、グレアムを指す言葉だった。


女は魔女と謗られ、男は悪魔と謗られ、繰り返し追い払われてきたノアの一族はとうとう逃げる事を放棄し、悍ましい紅蓮の炎と共に灰燼に帰した。

淘汰されるだけの一族。
決して受け入れられない一族。
光から逃れ、夜を渡り歩くアルビノの一族はいつか吸血鬼だと罵られ、魔女だ悪魔だと淘汰され続けた果てに、愛してはくれない空を見放したのだ。
天上に住まう神々は幾ら信仰した所で、光の元では生きられないグレアムを救っては下さらなかった。

天とは、正に彼の銘。

灼熱の陽光を抱く黎明は肌を焼き。
紅蓮の業火は一族を焼き殺した。
天空から見放された民が崇める月光は、陽に照らされた石粒の煌めき。所詮、偽物でしかなかった。


「俊」
「なーに」
「俺を構え」
「おいで、カイちゃん」

皇帝はSingleでなければならないと。
謳う人間達を疑いなく従えてきた愚かな男は、

「蜂蜜色のお目めが、と〜っても甘そう。ちょこっと舐めてもイイかしら?」
「ああ」
「冗談だぞ?悪い詐欺師攻めにパクッと食べられちゃうわょ」

偽りの王の権力を振り翳し、真実の天を陥れたに違いない。



それでも尚、在りし日を繰り返し思い出すのだ。
真っ白な俺はノアと呼ばれたが、真っ黒なお前は俺の見る世界の全てだった。

天はお前を抱くには眩く、夜はお前を抱くには暗く。
降り頻る雨の日にお前の部屋でお前をこの腕に抱いたその瞬間、鏡に映る欲情した己の姿に吐き気がした。

聞こえたのか。お前には俺が終わりを願った声が。
ならば聞こえない振りをしているのか。お前は、俺が飽きもせず繰り返している愚かな言葉を。



愛している、などと。
漆黒を汚したノアがほざくには、余りにも高尚な台詞だった。
















(黒を統べる太陽の国の皇帝は)
(その血を以て)
(裁きへの招待状を認めるそうだ)

(指揮者は腕を振る)
(定められた五線譜のままに)



(レッドスクリプトはいつ届く?)




















「これはこれは、絵に書いた様なお山の大将ですねぇ」

久し振りに見た男は、あの日とは明らかに違った。
背の高さも、髪型も、あとはそう、その瞳の色さえも。

「いつか必要とされなかった君は、誰かから頼られて嬉しくて堪らないんでしょう?」
「失せろネイキッド」
「可哀想に」

俺はお前とは違う、と。せめてもの強がりをあの時、どうして言えなかったのか。
捨てられたのではない。自ら捨てたのだと、言えば嘲笑われただけたろう。少なくとも目の前の男は、必要とされる男だった。いつか兄の様に慕った神の子が、神になって尚、傍に置いているからだ。逃げ出しても迎えにきて貰えなかった自分とは、明らかに違う。
そう、その意味では、違うのだ。

「一人は寂しいでしょう?」
「…黙れ」
「誰も神の代わりになんてなれないのに、それでも縋ってしまう程には」
「やめろ二葉」

耳鳴りがした。
ノイズか。いや、蝉の鳴き声?違う、雨の音かも知れない。
いつか真っ暗な何処かで、光る何かを見たのだ。怖がらなくていいと、誰かが繰り返し呟いては、頭を撫でてくれた。けれどそれは夢なのだ。

「可哀想に。いつか楽園に住まう天使だった貴方は、地を這う犬ですか」

また捨てられてしまう。
ちゃんと良い子にしていないと、また。

「お母さんを苛めないでくれないか、貴公子先生」
「そうちょ」
「イチは優しいから弱いもの苛めはしないんだ。でも俺は違う。狭量で我慢が出来ない、脆弱な男だから」

今度こそ。
神の代わりなんていないといつか信じていた事がある。けれどそれは、まるで神様みたいな声音だった。庇う必要のない弱い生き物を飼い慣らし、取り返しがつかないほど衰えさせてしまった、なんて狡い人。

「手元が狂って、お前の羽根をもいでしまうぞ」

取り返しがつかないくらい、心がズタズタに引き裂かれてしまう。









一人から始まった。初めは錦織要。
ネクサスは『悪い遊び』だと窘めたが、それが二人・三人になると、とうとうアンドロイドのCPUでさえ呆れ果てたらしい。

一人、また一人と増えていく。
誰かが呼び名をつけるべきだと言った。寄せ集めの不格好な集団に、まるで表札を掲げろと言わんばかりに。

するり・と。
予め用意していた訳でもないのに何故か、その単語は喉を滑り、唇から零れ落ちる。自分の声が鼓膜を震わせてから、その単語がしっくりくると妙に納得してしまった程だ。



寂しかったのかと問われれば、違うと言い切れる。
一人は確かに気楽で、自由で、一度でもそれを否定した事はなかったからだ。

初めて訪れた嵯峨崎の屋敷は他人の匂いで満たされていて、出迎えた赤毛の曰く『兄』はどう見ても友好的な態度ではない。恐らくは自分も同様だった筈だ。海を渡る前に怪我を負っていなければ、嶺一の出迎えなど拒絶していた筈だったけれど。


日本には何もなかった。
挨拶をしてくれと連れられた部屋には立派な仏壇があり、見ず知らずの他人の遺影と位牌が並んでいる。冥福を祈って欲しいと言われたけれど、ステルスの神はキリストでもデウスでもなく、ノアだ。
だから十字は切れないと言えば、終始不貞腐れた表情だった零人は、『手を合わせるんだよ馬鹿が』と宣った。

嵯峨崎可憐。知らない女。
エアリアス=アシュレイ。知らない女。
嵯峨崎陽炎。知らない男。
知らない国の知らない作法で祈ったけれど、ただの通過儀礼だ。会った事もない他人と例え心の中だけだとしても、どんな会話が出来ると言うのか。



すぐに飛び出してやりたかったけれど、この国では未成年には何の力もないらしい。
実力主義のアメリカとはまるで正反対だ。アメリカでは自立の速さを讃えられるけれど、日本ではそうではないと言う。

未成年は保護者の庇護下で暮らすのが当然で。
何をするにも親権者の同意が必要で。
いつかノアの元で働く為に学んでいたけれど、ランクを与えられる前に逃げ出してしまった『ファースト』には、初めから何の力もなかったと言う事だと。逃げ出して、帰る場所も行く場所もないと気づいて漸く、理解した。浅はかな子供だったのだ。


零人が羨ましかった。
寮生活をしていると言う5歳年上の兄は、週末になると欠かさず帰省したものの、平日は東京で暮らしているそうだ。
あの大都市には一度行った事がある。思い出したくもないけれど、あの賑やかしい饐えた匂いのする広大なコンクリート都市は、それほど嫌いではなかった。時々地鳴りがすると、何処かからか硫黄の匂いがした忘れ去られた地中の教会に、何処か似ているからだ。


ミミズが地面を這っている。まるでいつかの自分の様だ。
見た事もない海と空に憧れて、小さな教会と果てが見えない地下水脈があるだけの広大な洞窟から出た事もなかった子供は、エメラルドの瞳の男に漆黒のバイクに乗せられて、明るい大都市に感動した。
天高く聳えるキャノン=テイターニア、あの何処かに座している男爵の為に生きていく事は、これ以上ない喜びなのだと。教えられた通りに信じて、本当の大空を知らなかった無知な子供。



一年が経っただろうか。
殆ど与えられた自室から出ない生活だったが、零人が帰省する時だけは、嶺一が執拗に食事を共にすると言うので、逆らうのも面倒だった。何の会話もない静かな食卓の何が楽しいのか、今になっても理解出来ない。
零人に言ってやれば良かったのだろうか。俺の顔が見たくないのであれば、帰って来なければ良いのに、などと。

イタリアンだのフレンチだのを好む零人が、イタリア語もフランス語も理解していない事を揶揄って、数少ない会話の殆どをイタリア語かフランス語で返した。
その度に怒りを抑える零人の忍耐力には感心したが、いつしかイタリア語もフランス語も通じる様になっていた事に気づいた時は、我ながら驚きを耐えられなかった覚えがある。顔を見るのも嫌いな弟の為にわざわざ覚えたのであれば、嵯峨崎零人は底抜けの馬鹿に違いないと思ったものだ。


6歳になって何日目の事だったか、嶺一がパンフレットを差し出してきた。
何をとち狂ったのか、大学院まで卒業している息子に対して、小学校への入学を勧めてきたのだ。何処までとち狂っているのか、よりによって零人が通う帝王院学園の入学案内を突きつけてきたのだから、訳が判らない。

けれど、それは唯一のチャンスだったのだ。
一人の方がずっとマシな様に思える今の生活よりは、見ず知らずの子供に囲まれた窮屈な集団生活の方が、ずっと。



帝王院学園の入試は難しいらしい。
誰に抜かしていると言えば、零人に良く似た顔立ちの男は、赤い目を細めて笑った。

入寮する前日、最後の日は嶺一と二人きりの食卓だった。相変わらず会話らしい会話はなかったが、零人の前では食べていた様に記憶していたピーマンを、ぽいぽいと皿に放り込んできたので『餓鬼か』と言ってやったのだ。『大人でも嫌なものは嫌』などと真顔で宣った男は、食後のプリンは二つも食べた。負けじと、こちらは三つ平らげてやったが。

最後の瞬間まで、嶺一には言わなかった事がある。
この国にやって来て、自分がどれほど惨めな生い立ちだったかを思い知ったけれど。
それでも生まれつき炎の如く赤い髪だけは、嫌いじゃなかった。



窮屈な集団生活も一年が過ぎ、2年生になった。
ノアが入れ替わったらしい。ゴールドプレートを手にした嶺一が、疲れ切った表情で迎えに来た時の事を、鮮明に覚えている。

ファーストはキングではなくルークの円卓で、ABSOLUTELYの称号を得たのだと。
…これが喜劇じゃなければ、何だと言うのか。





Don’t mess with me.(馬鹿にしやがって)








景色が急に色褪せた様な気がする。
青空が白濁し、徐々に灰色に霞んでいく様な気がするのはきっと、雨雲の所為だろう。

「カナメ、最近体つき変わって来たんじゃね?意外に腹筋が凄ぇ感じ(゜ω゜)」
「それ程でもねーぜ。カナメは全体的にペラい」
「まぁ、成長期ですから、これからです」

鼓膜を震わせている他人の会話を盗み見たのは、視界のコントラストを確かめる為だろうか。鮮やかな髪が並ぶ窓辺は眩しげに、パシャパシャと光っている。

「何で突っかかってんだよユーヤ、大人げねぇぞぃ?(´`)」
「あ?何も掛かってねー、弱いものイジメはカッコ悪いぜ?」
「良いんですよケンゴ、ユーヤに可愛げなんてものは昔からなかったんで」
「そうなん?(・3・)」
「オレの可愛さは凡人には判んねーんだろ」
「初対面で、何で日本人の癖に日本語を喋れないんだと言って、無邪気に責めてきた男です。仕方ないでしょう?俺はそれまでシスターと美月しか話し相手がいなくて、語彙が少なかったんです」

突き刺さる様なハニーアンバーから逃げる様に、部屋中に視線を彷徨わせた。目が合った神崎岳士は挙動不審で、目を逸らしたいが逸らしたら失礼になるかも知れないなどと、訳の判らない葛藤でも抱えているのだろうか。あのままではいつまで経っても本題を片づけられそうにない。

「ケンゴは…相変わらず無駄に体毛が濃いですけど、何を食べたらそこまで」
「肉じゃね?(・▽・)カナメは辛党だからよ。辛いもんばっか食ってるとハゲるっつーだろ?(・艸・)」
「甘党のハヤトだって体毛は薄い方でしょ。やはり親からの遺伝子ですかね…」
「プ。だったらオメーは毛むくじゃらになんだろ、親が熊だからよ」

親。
いつか疲れた表情の嶺一を見た事がある。キングを裏切り、クライム=クライストの烙印を押され、ステルシリーの牢獄の名であるアビスをコードに追加されて、それでも呆れるほど強かだった男が。息子が対外実働部長に指名された時だけは、剛毅な仮面が剥がれていた。

「もしかしたら選別されてんのか?」
「は?」
「高坂、テメーは感じねぇのか。あのルークが円卓を日本で構築しようとするなんざ、正気の沙汰じゃねぇ。聖地がどうのの問題以前に、日本を手に入れて得られるものなんざ、明らかに少ねぇだろう?」

欠けていく気がする。満たされていたものが、音もなく。
体の何処かが焦っている様な気配を感じるけれど、理由はない。原因に思い至らない時点で、本能的な察知なのか思い込みなのかすら判らないからだ。

「昨夜までは目の前にあった。…違ぇ、真っ暗な地下から上がるまではあったんだ。多分」
「何の話だそりゃ」
「夜だったからか?」
「嵯峨崎?」
「何で全員、カオスシーザーなんだろうな」

独り言じみた嵯峨崎佑壱の台詞に眉を跳ねた高坂日向は、窓の向こうへ琥珀色の瞳を差し向ける。小雨の中、一心不乱にカメラを光らせるミーハーなギャラリーは、揃いも揃って何故かカルマの総長と同じ様な出で立ちだ。一見では、例え知人でも見間違えてしまう程に似ている。

「…黒髪は傍に置きたくなかったんだ。忘れた筈なのに、餓鬼の頃に教えられた事は嫌でも染みついてやがる。ステルスじゃ黒は、神だけに許された色だ」
「おい」
「だから俺は一番初めに、カツラを用意した」

呟いた佑壱は日向を一瞥すると、唇を微かに吊り上げた。

「もしノアが入れ替わるなら、ルークを超える『黒』たぁ、誰の事だろうな?」

すぐさま逸らされた深紅の視線は、騒ぎで呆気に取られている平凡な男へと向けられる。

「おっさん、いい加減ビシッとしろ」
「へっ?」
「今更感半端ねぇっつーのは、言わぬが花って奴だろうがな。隼人の父親になんのはそこそこ大変だぞ?」

神崎隼人を除いた四重奏が、いつの間にか窓辺に並んで仮面ダレダーポーズを決めていた。ノリノリの高野健吾は、何故か錦織要をお姫様抱っこしようとして藤倉裕也をお姫様抱っこする羽目になっていて、膝が笑っている。

「うひゃ、重…っ!(´ω` )」
「鍛え方が甘ぇだけだろ、オメーは。そんなんだからレジストのクマゴローなんかにケツ狙われてんだろーが、雑魚過ぎだぜ?」
「アホ平田なんざこの俺の敵じゃねぇっしょ。しっかり掴まっとけし、オメーなんか一年くらい抱いたまんまでも平気だっつーの(´Д`*)」
「おー、頑張れやケンゴ兄ちゃん。半年しか離れてねーけどな」
「グフッ。ちょ、ギブ、ユーヤさん、おっちゃんギブ(´_ゝ`) 何か椎間板ら辺からグキって音した気がするっしょ。あと膝も何か水溜まってそうな気配してるっつーか、踏ん張り過ぎると屁が出そ(*´ω`*)」
「糞ジジイじゃねーか」

細身の健吾とは違い筋肉質な裕也は、『落としたらぶっ殺す』と宣いながら勝ち誇った笑みを浮かべて要を見やった。

「…ケンゴ」
「へ?あ、うん(´・ω・`)」

『オメーには無理だろ?』と言われた気分になったのか、健吾の肩を叩いた要は無言で腕を広げ、空気を読んだ健吾は裕也を要に押しつける。勝ち誇った笑みを一瞬で無に葬った男は、エメラルドの瞳を塩っぱげに細めたのだ。

「いや、まぁ、基本的にコイツら全員馬鹿な訳だが」
「…はあ?一緒にしないでよねえ」

一部始終を横目で見ていた佑壱は、隼人と窓辺の三人を一括りに『馬鹿』だと吐き捨てたが、これには隼人だけ唇を尖らせる。
聞き捨てならない台詞だが、帝君陥落した今、隼人が佑壱に弁解するのは難しいだろう。残念ながら佑壱は、入学以来一貫して帝君の座を他人に譲った事がない男だ。自意識過剰になっていても許される、相当の権利がある。流石に佑壱の選定考査結果が全教科満点と言う事は一度もない様だが、だからと言って現一年帝君の様に総合満点に加えて加点される様な真似は、隼人にも不可能だ。

昇校以来満点しか取っていない3年Sクラス首席ですら、満点以上は取得していない。

「何せコイツは、後先考えてる様で考え過ぎてパンクする時がある」
「ちょっとユウさん、隼人君はパンクなんかした事ないんですけどお?」
「は。俺と総長を含めたカルマ全員揃ってた上に、コイツと叶が居た所に一人で乗り込んできた奴の台詞か?」

佑壱は親指で日向を指差し、隼人は若干気不味げに咳払い一つ。神崎岳士はキョロキョロと佑壱と隼人を見比べているが、大人しく口を閉ざしている。口で佑壱に勝てるのは、金銭絡みの時に限った要と、基本的には遠野俊だけだ。
この世には絶対に逆らってはいけない人種と言うものが存在していて、隼人はいつか、俊には逆らうだけ無駄だと気づいた。そもそも相手にすらされていない事を、ほんの数回の会話で思い知ったからだ。

「ほらあ、若気の至りってやつだよねえ?みーんな、経験した事あるって」
「要一人に負けてりゃ世話ねぇ。ああ、あん時は面白がった叶からもシバかれたんだったか?改めて考えると、良く生きてたなぁ、お前」
「眼鏡のひとは遊んでただけっぽかったけどねえ、そっちの王子さんなんか微動だにしなかったよねえ?あれ、本当にむかっ腹が立ったってゆーか」

わざとらしい笑みを浮かべた隼人は日向を堂々と指差したが、色素の薄い灰色の瞳から軽く睨まれた男は、ハニーアンバーの瞳で真っ直ぐ見つめ返し、隼人以上にわざとらしい嘲笑で返した。

「餓鬼を苛めて悦ぶ趣味はねぇ。二葉のアレは、単に暇潰しみてぇなもんだ」
「従兄弟揃ってムカつく」
「コイツと帝王院よりかは、マシだろう?」
「っ、ミッドナイトサン!」

フラッシュがフラッシュしまくる窓辺から逃れる様に、いつの間にか開け放たれたままの保健室側のドアに近づいていたらしい金髪が、悲鳴じみた声を上げる。隼人一家が気になって出歯亀していた筈の一年生達は姿がなく、勝手口に張りついているのは存在感がほぼ皆無だったカジュアルスーツの外国人だけだ。

「…高坂よ、聞いたか?言うに事欠いて、ミッドナイトサンだと?」
「俺様の耳がイカれてねぇなら、確かにそう聞こえた」
「うっ!」

静かに紅茶を嗜んでいた金髪の前で、脇腹を押さえた赤毛がよろめく。これほどわざとらしい動作もない為、誰もが見て見ぬ振りだ。

「いかん、持病のつわりが出た」

この場の誰よりも立派に割れているだろう腹を、無表情で押さえている男は胃と子宮の位置を間違えているに違いない。
いや、寧ろこのゴリラに子宮なんてものは存在しない筈だが、ボスワンコはカルマの母犬でもあるからにして、真実は定かではなかった。

「完全にこりゃ重篤だ、一刻を争う」
「安定期に入れば治まるそうだ。中等部時代に保健で習っただろう」

誰も突っ込まないので、仕方なく日向は口を開く。
それは脇腹であって子宮でも何でもなく、もしその位置に痛みがあるのであれば、妊娠ではなく胆石だ。然し日向がそこまで突っ込む事はない。それほどのツッコミスキルは、山田太陽ほどの才能とお人好しな性格が必要だろう。

「安定するまで待てない俺がいる。後は任せたぞ高坂副会長」
「下手に逃げたら喜んで追い掛けてくる様な奴だぞ、とは言っておくが?」
「お母さん、俺ら置いてくなし!(ヾノ・ω・`)」
「一人だけ逃げんのかよ、ズリーぜ」
「ユウさん!」

しゅばっと廊下側のドアへと逃げ出そうとした赤毛は、素早く駆け寄ってきた舎弟らに捕まった。それすら振り払って逃げようとしたが、

「何で保健室にアイツが来るんだコラァ!奴が重症化してんのは主に頭だろうが!ありゃ末期だ!アントラセン誘導体をオートマで酸化させた水なんかじゃ、奴の死滅した脳細胞はどうにもならねぇ筈だ!」
「テメェは理科は出来るのに何で数学は破綻してんだ?素直にオキシドールと言えや、嵯峨崎。そしていい加減落ち着け」
「隼人!叶が現れたぞ、逝ってこい!」
「戦いからは何も産まれないんだよお、副総長」
「大変だぁあああ!!!!!」

混乱を極める準備室を揺るがす絶叫が、保健室から響き渡った。ほぼ全ての大人達と日向が瞬いていると、カルマ一同はしゅばっと駆け出す。

「「「「「何事だセントラルゾーン!」」」」」

いや、お前らセントラルゾーン言いたかっただけじゃね?と突っ込むのはともかく、綺麗にハモったカルマの向こうで、一年Sクラス22番中道拓央の涙声が宣うには、

「や、や、や、山田君がっ、ししし、死んじゃったー!!!」

年中無休で冷静沈着な俺様中央委員会副会長はこの日、生まれて初めて無表情のまま、盛大に紅茶を吹き出した。

「…」
「榊、笑いたきゃ笑ってくれて良いんだよ」

顔に紅茶が直撃した斎藤千明は反応が出来ない榊雅孝と暫く見つめ合い、酷く凛々しい表情で呟いたので、カルマ店長は口元を押さえたまま崩れ落ちた様だ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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