帝王院高等学校
派手にぶっ壊したらお休みなさい!
「やっとかめ」
「…そなた、此処で待っていたのか?」
「どえらい長いトイレやったで。痔でも切れたか思って心配したんだに?」

すっきりした表情、とはとても思えないが、何処か晴れやかな無表情で個室から出てきた金髪へ、レジスト総長は声を掛ける。

「痔は患っていない」
「ほうけ、そらええ。俺は昔、ちっとねやぁ踏ん張り過ぎて、ちょびっと切れてもうたもんだで、最近も油断するとどえらい目に遭うに」

煌びやかなトイレだ。中央キャノン最上階へ立ち入ったのは初めてだが、トイレの内装は他の階と変わらない。帝王院学園は全域がブルジョワじみているのかなどと、今更ながら変に納得してみる。意味はない。

「排便に不具合があれば、オリゴ糖を摂取すると良いと聞く」
「オリゴ糖は聞いた事あるだわ。乳製品が腸にええらしいでよ、ようけ牛乳飲んだら快便だに」
「ならば問題ない。私は手製のヨーグルトを毎日飲んでいる」

ジャバジャバと手を洗った男はエアータオルで手を乾かすと、ダークサファイアの瞳を瞬かせた。無表情で『ヨーグルトは湯船で作る』と宣っている理事長に対して、レジスト総長は短い金髪をボリボリと掻いた。レシピを聞いた所で作る気はないからだ。何の会話をしているんだと思わなくもないが、向こうに悪気はない様に見える。

「何をちょうすいとるの。えれぇ勢いでトイレ行ったかと思やぁ、ただくさ時間懸かってもうてからに。皆、あっちで黙しかっとるろ」
「心配せずとも、今の所は頻尿も便秘もない。確かに見てくれ通りの年寄りだが、まだまだ介護の世話にはならんつもりだ」
「おみゃあさん、見てくれはどっからも三十路くらいにしか見えんのだがね」

本音だ。嘘偽りなく、帝王院学園理事長は若いイケメンにしか見えない。

「褒めているのか、3年Fクラス平田太一」
「今更理事長が学園長の息子じゃなくて学園長より年上のご老人やった言われても、あんばよう納得は出来んて。子供やからってちょーらかすのは、まぁあかんよ」
「冗談のつもりはないが、生徒らに誤解を与えたのは私の不徳の致す所だ。すまなかった」

ぺこりと深々頭を下げてきた帝王院帝都は、その名が全く似合わないほどに外国人顔だ。然し日本語は完璧で、名古屋弁の平田太一とも会話が通じている。時々は弟の洋二からも『何言ってんだ?』と言われる事があるのだから、太一の訛りは尋常ではない筈なのに。いや、太一はこれでも標準語で喋っているつもりなのだが。

「こんな所にいりゃあせても詮無いで、行こみゃあ。中からブツブツ独り言が聞こえる言うて、エルドラドの奴らめちゃんこビビっとるで?痔か認知症かってな」
「ああ、歳を取ると独り言が増えるらしい。私はそのつもりはないのだが、ネルヴァに気をつけろと言われていたのを失念していた」

キリッと『次からは皆に話し掛ける』と宣った男は、無表情を極めていた。

「話し掛けんでええ。トイレは静かに踏ん張る所だで」
「そうか。そう言えば昔、私の寝室での寝泊まりを嫌がったカイルークが、トイレに篭った事があったか」
「トイレ?」
「ああ。まだ3歳の頃だったか。待てど暮らせど出て来ない事に痺れを切らせた私は、致し方なくトイレをもう一つ増設したものだ」

どの角度から見ても見事な造形の美貌だが、口を開くとお笑い系なのかも知れない。もしかしたら、ただの天然だろうか。

「どーゆー事」
「一つきりのトイレを占拠されてしまえば、夜中に催した時に困るだろう」
「いやいや、そもそもトイレに篭って出てこんって、何ぃ」
「ああ。私も便秘だろうと思ったものだが、単に私の顔を見たくなかっただけだった様だ。トイレを増設させている間に子供部屋を用意してやると、大人しく出てきた。その間、実に96時間に渡って天岩戸状態だったものだ」

突っ込み所が多い話を聞いた様な気がするが、太一は聞かなかった事にする。理事長の言うカイルークと言うのはまず間違いなく、太一の学年で最も頭が良いあの男の事だ。恐らく学園一有名で、学園一愛されている反面、最も恐れられている。

「中央委員会会長はトイレなんか行かんのよ」
「いや、新しい図書を与えると大抵はトイレに篭っておった様に記憶している。対空管制部に興味を持つ前だから、4歳になる頃までは」

区画保全部が水とサンドイッチを差し入れていた。
無表情が宣う台詞の半分も理解出来なかったレジスト総長は、ゴソゴソとポケットを漁る。念入りに指の爪の間を眺めているダークサファイアは、『ばい菌は見えない』と言ったが、背中が何処か困っている様に見える。

「何、もしかして指にウンコついてもうた?」
「いや。手洗いはしっかりせねばならないと、母から教わった」
「理事長、お母さんっ子だったんだに?」
「父が仕事以外に無頓着な人間だったからだろう。『レヴィに似たら困るからお前は俺の言う事だけ聞け』、母の口癖だ」

俺?
ああ、外国人だから日本語を間違えたに違いない。熊の様な体躯で頷いた太一は、悟りを開いたブッタの如き微笑みを一つ。世界には知らない方が格段に幸せな事が、実に多い。攻めしかやった事がない太一が切れ痔の痛みを知った時、受けの苦労に気づいてしまった様に。知らないままで居たかった。切れ痔は喧嘩で殴られるより痛い。

「ま、パッと見で汚れてないなら、気にせんでええんと違う?」
「そうか」
「つーか、理事長て何歳やっけ。俺らは昔から勝手に想像で、神帝のオトンなら40歳くらいだわって言ってたけんど」
「79歳だ。間もなく80になる」
「けなるいこったなぁ。そんなお年寄りが皺もシミもないて、どえらい魔法使っとるね」
「私にはヴィーゼンバーグの血が流れている。長命を謳われる公爵家は、代々見目麗しく、若々しい者ばかりだ」
「鏡を見てみぃ、俺のが老けてみゃあとる気がするわ」
「そうか?」
「アンタの方が、神帝よかとろくせぇかも知らんなぁ」

乾き足りないのか、手をプルプルと振っている男へ太一はポケットティッシュを投げた。
正統派ヤンキーの太一は、ハンカチなんてものは持っていない。外出する度に街中で貰うポケットティッシュがポケットに入っていたから、何の広告が挟まっているかも確かめていないと気づいたのは、ダークサファイアの瞳がティッシュの外装を興味深げに眺めていたからだった。いかがわしいものではない事を祈るばかりだが、Fクラスの内申点が少しばかり下がった所で、微々たる事だろう。

「とろ臭いと言うのは、劣ると言う意味だろう?」
「使わんのやったら、ほかってええで。ポケティは部屋にもぎょーさんあるでなぁ」
「私はルークより劣っているか」
「俺の個人的な意見だで、かんこーせんでちょ」
「私の何処が劣っている?」
「えれぇしつこいにゃあ。知ってどーすんの?」
「強いて言えば、好奇心の様なものだ」

確かに、慇懃無礼な事を言ってしまった太一に対して、相手が怒っている様には見えなかった。純粋な好奇心だと言われてしまえば、謝る事も撤回する事も出来ないだろう。

「細い首、細い腰、面は似ててもアンタは神帝とは違う人間だわ」

勝てそう、なんて戯言は口にしなかった。思っているだけなら自由だろう。喧嘩には自信があっても、最強を自負するほど愚かではない。叶二葉にも嵯峨崎佑壱にも、喧嘩を売るつもりもないが、高坂日向にも太一は勝てないだろう。何せ軽々しく持ち上げられて、埋められそうなった事がある。

「あれだわ。詰めが甘い奴は、簡単にこわけるわな」
「私の事か」
「おみゃあ、天の君を男爵にする言ってらしたけんど、あん人はシーザーだで?」
「カルマの総長と言う意味だろう?」
「違うて。シーザーは、神帝が探してたんだわ。都内で知らん奴はおれへんだわ」
「カイルークが俊を探していた?何故だ?」
「事情なんや知るかいな。信憑性に欠けた噂でええなら、話半分で聞いてちょーせんかね」
「ああ」
「シーザーが神帝を殴って逃げたて」

言った瞬間、太一は左席委員会会長を思い浮かべる。
太一が外部生に興味を持ったのは、彼の声がカルマの支配者に似ていたからだ。視力が余り良くない太一は普段コンタクトレンズを使っているが、洋二の様にぱっちり開いた目ではないので、時々面倒臭くて裸眼の時がある。

「俺は間違っても神帝と戦いたかないし、シーザーに殴られたくもにゃあ。人種が違うんだわ。差別と違うで?根っからのもん。全部だわ、いっこも俺とは重ならん世界のお人。庶民から見やぁ、神様は化け物と殆ど変わらんで」

視力が劣ると耳に頼る事が多くなり、裸眼の時は声で人を見分ける事も多かった。だからこそ判る事もあるのだ。

「俺が今まで出会った中で一番好きなんは、ケンゴの声だがね。普段は馬鹿みたいな振りしてりゃあすけんど、ケンゴの『音』はいつでも安定しとる。騒いでる時も、そうでない時も。多分、ケンゴの中身は年寄りに近いんだわ」
「冷静だと?」
「さぁ?どんな修羅場潜ってきたらああなんのか、どえらい興味があるんだに。そんな奴が葱頭の前だけ、年相応にテンポ乱したりするんで、尚更だわな」
「そなたは中々面白い事を言う。高野健吾をメトロノームの様に比喩するのであれば、それは彼の本質を射ているだろう」
「話半分で聞いてちょって言ったに?」
「葱頭とは誰の事だ」
「藤倉裕也。俺はあの男だけは好かん。本音を隠すのがケンゴよりうまい。年下の癖に可愛げがにゃあて、あかんだわ」

高野健吾は難しい人間だが、藤倉裕也の前だけでは判り易い。
誰が見ても明らかに、裕也だけを特別扱いしているではないか。他人にはそれほど興味がない癖に、空気を読んでいる様に見せて、個人行動が多い癖に。健吾の隣には見事にいつも、裕也の姿がある。
そんな健吾から特別扱いを受けていて、嬉しそうに見えない裕也は何を考えているのか。健吾から構い倒されて、あの表情のまま、面倒臭いと思っているとすれば、余りにも羨ましい。

「ただ、天の君は重度やね。ケンゴより安定した声で、誰の前でも一切揺るがんのは、異常だわ。えらい病気でないか心配になる」
「私がルークに劣るのは、感情を抑えきれない所か」
「詰めが甘いんだわ。幾ら帝王院学園言ったって、トイレまで完全防音じゃないで。俺は殆どの勉強は出来んけど、英語ばっかはちぃとねゃあ、自信があるんだで」
「そうか」
「中でおみゃあ、カエサル言っただに。ジュリアス・シーザー、皇帝のこったな。シーザーも神帝も、俺らの世代から皇帝って呼ばれてるんだわ」

ABSOLUTELY総帥も、カルマ総長も。今の世代の不良からはどちらも恐れられ、どちらも崇められている。

「何を企んどる?」
「…何も」
「あ?」
「私には、カイルークもナイトも理解する事が出来ない。私が与えたナイトの統率符がルークを産み、今に至って次世代のナイトを生み出したのであれば、願うのは無傷での解決だけだ」

ポケットティッシュを太一のブレザーの胸ポケットへ詰め込んだ男は、やはり無表情で外へと歩いていく。友達になったばかりの理事長を心配しているエルドラド達が、外では犬の様に待っているだろう。

「えらいきな臭いわ。そんなら、シーザーが神帝を恨んでるって?」
「どうだろうか。カイルークが私を恨んでいるのは間違いないが、俊には確かめた事がない」
「思い込みでほざくと、後悔するよ。天の君は、時の君といっつも楽しそうにしとるでな」
「ならば尚更だ」
「何が?」
「私に選択の権利はないが、あの子らが間違った選択に至らぬよう、導いてやる義務はある。…若い頃は、過ちを看過し易い」

いやに実感が籠っている。

「自分が後悔したからって、誰もがそうとは限らんだら?」
「然し子を作る能力があるのに、孤独を選ぶ必要はあるまい?」
「子ぉ?能力て何ぃ」
「姿形こそ似ていないが、俊は我が母に通じるものがある。例えるならば、男を惑わせるフェロモンだ」
「おみゃあ、頭大丈夫か?」

やはり前言撤回しよう。
帝王院神威には近寄りたくもないが、理事長も大差ないのかも知れなかった。
























むかしむかしあるところに、孤独な王様がいました。

ひとりぼっちな王様な元にやってきた、姿なき神様は、黄泉比良坂へ逝きたいと願う王様の頼みを聞いて、交換条件として肉体を求めてきたのです。

と言っても、決してエロがエロエロした話ではありません。
肉体とは文字通り体の事で、ひとりぼっちの王様は、がばっと魂を引っこ抜かれてしまったのです。
そんで剥げて、ぱくっと丸裸で、為す術もなく踊って、捏ねくり回して、結局の所、てんやわんやなのでした。



おしまい。




「…は?そんだけ?」

思わず口を開くのと同時に、目を覚ます。見渡す限り白い世界が見えたけれど、視界の隅だけが毒々しいまでに赤い。

「続くにょ?」
「やー、これじゃあっさりし過ぎてないかい?」
「そうかしら?判り易くてイイ感じだと思ったなり」
「お前さんの思考回路はどうなってんの?」
「やだ。そんな気になったんなら、いっぺん頭かち割ってみる?」
「真っ赤に染まりそうだねー」
「ハァハァ」
「うん。この世って、矛盾しまくってる」

呟いた。
真っ赤な薔薇の花が敷き詰められた、真っ白な世界の何処かで。

「俺さー」
「何処の俺様ですか?」
「榛原さんちの山田太陽様かなー」
「好きだ。結婚しよう」
「ごめん、俺には二葉先輩がいるから」
「ちょ。そんなさらっと萌えさせないで、根こそぎ体力持ってかれた…!」

何なのだ。訳が判らない。いや、判っているけれど理解したくないだけ。

「ホイミ」
「だがタイヨーにMPなどなかった」
「人間だもん」
「生きてるだけで丸儲け」
「ちっちゃい頃、公務員になりたかったんだよねー」
「誰が」
「判るだろそこは。話の流れで汲めよ、帝君だろ」
「おいおい、冗談はよせ。お前の就職先は風紀委員長のお嫁さんだろィ?」
「ちょいと待って、俺は婿だよ?」
「てやんでい、平凡受けの癖に妙な男らしさ出しやがってぇえええ!!!」
「声がでかい」
「さーせん」
「いきなり頭が低い」
「そう言う性質なんです。根っから目立てない子なんです。平の凡なんです。地味な」
「この世の地味な人達に謝れ」
「さーせん」
「公務員になったらネイちゃんをお嫁さんに出来るってさー、思ってたわけ」
「俺を萌え死にさせる気か。幸せになれ」
「勝手に萌え死ねよ」
「警察官?」
「んー」
「消防官?」
「んー」
「教師?」
「んー…」
「市役所?」
「あ、かも。俺の性格だと、地味な事務官が合ってそうじゃない?」
「この世の地味な人達に謝れ」
「何でだよ、やだよ。俺に命令しないでくれる?」
「タイヨーは自己評価が低い」

光景の奇妙さから目を逸らせば、いつもと同じ生活を繰り返しているかの様だった。普通の15歳が、普通に友達と話している、何処までも平凡な日常の事だ。光景は明らかに普通ではないが、突っ込むのはやめた。疲れるからだ。

「主人公って大変だよねー。俺もうヘトヘトだよー」
「勇者みたいなもんだ。ひたすらレベルアップしていくお仕事」
「まさか刺されるなんて、想定外過ぎる。ドラクエじゃ刺されたり火を吐かれたり即死魔法掛けられたりなんて日常茶飯事だけど、俺ってほら、平凡な人間だからさー」
「そうだ、レベルアップしよう」
「イチ先輩くらい筋肉モリモリになるまで、何時間耐久すればいい?」
「プロテインと共に専用のトレーナーをつけて、一年くらいかしら」
「無理」
「諦めるな」
「あんだけムキムキなイチ先輩より、お前さんのが強いじゃん。チートかよ」
「さーせん。何もしなくても腕力が鍛えられてくんです、これぞオタクパワー」
「チートだろ。秋葉原で改造したんだ」
「俺は食べ物とオタ活以外に小遣いを使わない男だ」
「そうかい」

何の話をしていたんだったか。此処は時間の流れが曖昧だ。

「理由なんか多分ないんだけどねー。強いて言えば、言葉の響きが何か良かったんだと思う」
「はい?言葉の響き?」
「うん。公務員って、何か良くない?」
「何かってなーに?」
「その辺は察しておくれ」
「さーせん、スパイシーが過ぎてあたしには判らない感覚ざますん」
「お前さんはもう少し俺に興味を持つべきだよ、宮様」

ニョロニョロと。真っ白な背景を泳ぐ、蛇の様な龍を捕まえた。
何故捕まえられたかと言えば、目の前でぐるぐる踊っているからだ。それも物凄く小さい。鰻と言うより、おたまじゃくしにしか見えない程には。

「何か…にゅるってする様な」
「失礼な!僕はおたまじゃくしじゃないにょ、立派な八〇一岐大蛇なんだからァ!」
「ヤオイのオロチって、何かのゲームに出そうだねー。中ボスくらいで」
「ナンバーワンじゃなくてイイ、オンリーワンになりたい」

此処は無視しておく。お前はナンバーワンでオンリーワンだなどと、犬でもないのにワンワン言いたくないからだ。

「俺さー」
「なァに」
「目が覚めた気分なんだよねー、すっごく」
「ご冗談を。タイヨーちゃんは迸る平凡さ故に榛原の癖に十口に刺されて、壮絶に意味深な台詞で死亡フラグ立てて気絶したんで、お目めが覚めた所かぱっちり閉じてるにょ」
「あらまー、ぱっちり閉じてんのかー。それは矛盾しまくってるねー」
「そーよ、大体この僕がヤンキーに擬態してるだけでも、この世は矛盾しまくってるなり」
「総長だもんねー」
「いやァ、まさかイチがあんなに雑魚キャラだったなんて」

一度で良いから言ってみたい台詞ではないか。
山田太陽はからりと笑い、右手の中でニョロニョロと蠢いている鰻から手を離した。いや、龍だったか?

「イチ先輩って、俺から見たらかなり最高な部類の男だけど?」
「俺の胃袋から見ても最高ですん!」
「所で、お前さんはいつから龍になったんだい?」
「男は皆、獰猛な狼なのょ。特に攻めは股間に龍を飼っている」
「あはは、セクハラかよ。お前さん、このサイズじゃおたまじゃくしだからねー?」
「見た目は小さくても、中身で勝負だァ!かかってこいやァ!」
「行かねーよ。握り潰すぞ」
「さーせん」

どちらでも構わない。所詮、これの中身はアレだ。

「タイヨー、愛する親友に対してアレって何なの?出るとこ出て出ないとこ出して、訴えるわよ?」
「はいはい、嘘つかないでくれるかい?親友だなんて思ってないのは、俺じゃなくてお前さんの方だろ」
「あらん?」
「判っちゃったんだよねー」
「あらら?」
「お前さんさー、俺を身代わりにしようとしただろ」

しなやかな猫の様に、風に踊る柳の様に。
にゅるりにゅるりと踊っていた黒い物体は、そこで動きを止めた。

「親友どころじゃない。お前さんは俺を、お前さんにするつもりだった」
「…」
「クロノスか。この世の時間を流すだけの船乗り。船頭。俺は洪水を見守るだけの、主人公みたいなエキストラだった」

真っ赤な。
そう、真っ赤な鼠を知っている。この学園へやってきたその日から、あれは太陽の視界に何度となく入ってきた現実味のない生き物だ。

「俺の視界から赤が消えたんだ。二葉先輩の血を見たから」

そして鼠は消えた。
どうしてあんなに頻繁に見ていたものが消えたのか、理由を考えてみよう。あの鼠は太陽の傍にはいたけれど、危害を加えた事はなかったのに。だとすれば、まるで監視の様ではないか。

「お前さんは知ってたね。俺が満月の夜、藤倉君に暗示を掛けてたコト」

だって、羨ましかった。
何をとち狂ったのか、彼は月が満ちる夜になると徘徊する癖がある。まるで吸血鬼の様に。決して触れられない太陽を求めて、彷徨うのだ。

「死にたいって言うんだよ。自分の所為である人の才能が死んでしまって、償いたいけど、いつの間にかそんな気持ちが汚れてしまったんだって」
「にゅるんにゅるん」
「愛を穢れなんて、酷い言い様だよねー。だったら俺は、どす黒いのかな。昔からずっとネイちゃんしか好きじゃない俺は、ネイちゃんにキスして毒を飲ませた俺は、どんだけ汚れてるんだい?」
「ぷはーんにょーん」
「自分が帝王院の系譜から外れる為に、お前さんは俺を影武者にしようとした。だから俺の名前は『太陽』なんだ」

ほら。剥けていく、剥げていく、虚勢じみた偽りの衣が。脆い、無色透明の玉ねぎのドレスが。

「お前さんは藤倉君を助けなかった。そりゃそうだ、緋の系譜は緋の系譜を救わない。王様は誰からも助けて貰えないんだろ?」
「あふん」
「みーんな、騙されてたんだよ。そうさ、俺はお前さんと取引なんてしてない。だから何も取られてなかった。俺に役目を押しつけたお前さんは船乗り。泳がないし歌わないしいつも見てただけの観客で、エキストラでさえなかった」
「ほにょほにょ」
「認めろよ帝王院俊。喜劇作家。人格崩壊者。何がシーザーだ、お前さんは誰も助けない。お前さんは取引を持ち掛けるだけ。奪っていくだけ。幸せな悪夢を押しつけて、嘲笑ってる悪魔だ」
「ふわん」
「お前さんが助けようとするのはいつも、一人だけだった」
「ピンポンピンポン♪」

大正解ー!
と言う陽気な声と共に二重丸を描いた黒は、ぼわんと音を発てて人型へと変わっていった。漆黒の髪に漆黒の瞳、瞳の中央の瞳孔だけが奇妙な形をしている、見慣れた男の、余りにも見慣れない姿だ。

「記憶喪失になったお前さんは、本当にお前さんなのかい?」
「ほぇ」
「シーザーもそうだよ。今になれば可笑しい。空蝉を集めて王様振るなんて、まるで主人公みたいだ。だけどお前さんは俺にその役目を押しつけるつもりだった。きっと俺が産まれた時から」
「む。ちょっと賢くなったか」
「あはは、めちゃめちゃ馬鹿にしてるねー。流石は帝君。お前さんの場合、無自覚な唯我独尊だから手に負えないよー」
「この世は矛盾しているだろう?大抵のものは二種類で、まるで引き裂かれている様に見える。例えば光と闇、男と女、空と海」
「それ、さっき俺が言ったじゃん」
「2と言う数字は不安定なんだ。簡単に引き裂かれてしまう」
「うん」

学ラン姿の遠野俊なんて、太陽は見た事がない。これは夢だ。だとすれば、何かのきっかけで再生される様に、予め仕組まれていたに違いない。榛原には出来ない芸当だ。いや、他の誰にも出来ないだろう。

「はるか昔、お前は王様だった」
「お前って呼ばないでくれる?」
「お前様」
「様は言い過ぎだよー、お前さんでいいよー」
「ほら、魂が覚えているだろう。お前は王様だった」

支離滅裂にして厚顔無恥にして自己中心的な全知全能が、緻密な計画の元、手に入れた全てで何かを果たそうとしている。きっと今は、その途中。

「3と言う数字は安定するんだ。三脚然り、命と魂だけでは生きる意味を見つけられずに無気力なまま死んでしまう人間でも、業を与えれば面白い様に踊ってくれる。まるでピエロ」
「俺も?」
「うん」
「即答かい」
「引き裂かれるだけの不文律を直せないなら、どうする?」
「どうする、って?」
「二つなら壊れて、三つなら安定するもの。例えば男と女なら、その間に愛があれば安定するのか?」
「好きで結婚したって駄目になる奴は駄目になるよ。うちの両親がいい例さ。我慢してる自分に酔ってる母さんも、人を好きになった事がない父さんも、今にも壊れそうな吊り橋の上で身動き出来ないんだって」

穏やかだ。此処が深層心理の世界なら、太陽の中身は凪いだ海のよう。

「だったら、橋が落ちるまでじっと待ってるのかな?」
「他人事みたいに言うなァ」
「そりゃ、他人事だもんねー。俺には父さんの葛藤みたいなもんが、判らなくもないんだ。榛原だから疑心暗鬼になっちゃうんだよ。俺達の力は『大事な人』には効かないって教わったけど、確かめた事がないんだ。父さんの声は俺には何の効果もないのに、俺の声は父さんに効くんだからさ」
「お前は榛原最強だぞ。俺がそう決めた」
「勝手に決めんな、ばーか」
「やだ、今の凄く可愛い。もっかいプリーズ」
「あ?」
「タイヨーが不良になった」
「そうしたかったんだろ?シーザーの代わりは、太陽王だっけ」
「お前は狡かった」
「うん」
「責任を放棄した癖に、愛だけは手放さい」
「うん」
「だから俺は、お前を幸せにする方法を考えた。罪の対価は償いだ。幸福の対価は絶望以外に存在しない」
「お前さんは神様をやめて、悪魔になった。俺の為に」
「俺のカルマをお前にあげる。緋の王には、空蝉が集うよ」

太陽は微笑んだ。成程、それなら簡単に手に入るかも知れない。わざわざ『声』で命じなくても、太陽が一番欲しいものがあっさりと。
何故ならば彼もまた、この世で一番綺麗な蝉なのだ。

「あの時も、予言通り十口が来たね」
「俺に判らない事はない」
「俺には絶対逆らえない状態で。だって俺は、緋の系譜に偽装した榛原だったから」
「二葉は逃げられない。宵の宮に偽装した犬は、時空の鎖に繋がれた」

躊躇わない。自分の為なら、少しも。
きっと悪は太陽の方で、無慈悲なまでに傲慢な俊の方が善なのだ。だって俊は嫉妬したりしない。太陽の様に、他人を羨んだりしない。

「俺がなんて言うか判る?」
「あァ、俺に判らない事はないにょ。何せ霊長類最強腐男子なので」
「クソ喰らえだよばーか。腐っちまえ」
「あ、既に腐ってます」
「知ってた」
「ごめんあそばせェイ!」

欲しいものを買ってくれとねだる子供扱いは、失礼だろう?

「欲しいものくらい自分で捕まえるよ」
「無理だ。力のないものに選ぶ権利はない」
「悪気がない皮肉が一番痛いんだ。無自覚だからタチ悪いよねー」

落ちる落ちる。太陽が沈む。

「俺は駄目な子だったね」
「そうでもないぞ?」
「判ってるよ。俺は王様にも王子様にもなれなかった。平凡な男じゃ、好きな人を魂ごと束縛する勇気もないんだ」
「ヒュー」
「二葉先輩のお祖母さんを倒そうとしたのは、流石にやり過ぎだったねー。貴葉さんは組織内調査部だっけ」
「そゆこと」
「ゲームオーバー」
「ちゃらりらり〜。レッツコンテニュー?」

虚勢が剥げて落ちて丸裸の王様は、舞台上で叫ぶのだろうか。



「もういいよ」

終わらせてくれと、鬼から逃げた隠れ子の様に。

←いやん(*)(#)ばかん→
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