帝王院高等学校
通りゃんせっつーか、通しませェん!
四月一日生まれなんて、それほど珍しいものではないだろう?
けれどそれは今流の話なのだ。昭和世代の大人達は、揃いも揃って『不吉』だと宣い、初めての出産を立派に務めた娘を労る事も、初めて父親になった男を祝福する事もなかったそうだ。

生まれつき体が弱かった娘は大切に大切に育てられたが、彼女がそれに対してどう感じていたかなど、知る由もない。
まるでお姫様の様に。厳重な箱の中に閉じ込められるかの様に。そう育てられた彼女の父親は、生まれた瞬間から『代理』でしかなかった。『不要』と同じ韻の名を持つ顔も知らない腹違いの兄が、本物のお姫様を奪った、極悪人だったからだ。

「子供…?」
『お前さんには教えてやるつもりなかったんだけど、仕方ないから教えてあげる』
「君は相変わらずだねぇ」

久し振りに掛かってきた旧友からの電話の始まりは、あの時と何ら変わらず素っ気ない。お互い歳を取ったものだと笑いながら呟けば、まだ一年だろうと呆れた声音に叱られる。
そうか、まだたったの一年だ。

「四月一日に生まれた赤子を、出生届に四月二日生まれと書けば、事実は容易く覆るだろう?」
『何の話だい。今更、年上振ったりする?』
「まさか。一日、つまりほんの24時間の違いなんて、あってない様なものだ」

幼馴染みと言っても良いのだろうか。
それはとても分不相応の様に思えるけれど、叶冬臣には幼馴染みがいた。一人目は榛原の嫡男で、榛原の性質故に、幼い頃から偉そうだった男だ。電話の向こう側から聞こえてくる、偉そうな声の持ち主の事。

『君はどうするんだい?最上階じゃなく東大に進んだんだから、今の帝王院に愛想が尽きたって事だろ?』
「…何も変わらないよ。私が不甲斐ない男だったから頼っては貰えなかった、君にしてみればそれだけの事だろう」

そして二人目は明神の末裔だが、本来ならば同級生だった筈の男だ。小林守義と言う、底抜けに自尊心が高い男は何かにつけて冬臣を敵視しているが、自分は明神で先輩だからと己を律し、ある程度手加減してくれているのだと思う。
けれどあの男には嘘がまず通用しない為、隠していても本能で気づいているのかも知れない。例えば冬臣の知能指数が普通の人間を遥かに超えている事や、例えば冬臣の誕生日が、本当はエイプリルフールだと言う事とか。

『確かにそうだねー。お前さんはほんと、使えない男だよ』
「全く、痛い所を容赦なく突いてくるねぇ、君はいつも」

最後は、とてもではないが、幼馴染みとは呼べない天上人。
帝王院秀皇だけは冬臣の秘密を初めから知っていて、だから、中央委員会役員に選ばれる事で小林方の怒りを煽りたくないと言った冬臣の意見を尊重し、秀皇は冬臣に何も求めなかった。
帝王院駿河から見れば伯母に当たる雲雀と共に、姿を消した叶芙蓉の事は叶だけでなく、灰皇院内でも禁句だったが、秀皇はそれほど重視していなかった様に思う。初等部時代は度々話し掛けてくれたものだが、冬臣の方が『関わらないで欲しい』と言ったからだ。

十口は罪深き家だった。帝王院の本宅を預かり、いつか天神が戻るまで待ち続けるだけの、留守番でしかない。
祖父から幾度となくそう教えられてきた冬臣は、母親ではなく父親に顔が似ていたからか、両親と祖父以外の大人からは、話し掛けられた殆ど事がない。

2年遅れ、本来なら3学年離れている事になるだろう弟の文仁は、誰の目で見ても明らかに生まれた瞬間から叶桔梗に似ていたので、母が着ていたと言う小さな着物が良く似合った。
叶の男子は6歳まで女性の様に育てられ、女子は逆に、男の様に育てられる。
早くから己を男として認識していた文仁は、着物を着せられる事を2歳の時には嫌がっていたものだ。冬臣が8歳の頃に生まれた妹は、当時既に入寮していた冬臣が面倒を見てやれなかった為、性格や言動が文仁に似ていた。いつも泥だらけになるまで庭で駆け回り、物心つく前に護身術を始めたがった事もあり、叶一族の誰からも可愛がられたらしい。

『僕も結婚を考える様になったよ。秀皇は俊江さんと楽しそうで、僕の事なんか見えないみたいなんだもん』
「嫉妬しているわりに、君も楽しそうだけどねぇ」

アレクセイ=マチルダ=ヴィーゼンバーグと言う男が居た。金髪に、緑掛かったサファイアの様な瞳を持つ、王子様の様な男だ。文字通り、彼は正真正銘の公爵だったと言う。
けれど彼は家も爵位も名前までも捨て去り、叶桔梗との人生を選んだ。単身で叙爵した名実共に英雄だった公爵は、王室の末娘との結婚を蹴った。何度となく叶の人間から命を狙われただろうに、とうとう3人の子供に恵まれ、最後は麻疹と肺炎で呆気なく死んだと言うのだから、叶一族も高々知れている。

『羨ましいのかも。赤ちゃんがさ、凄く可愛いんだって。早速親馬鹿なんだよ。神威の時は出産に立ち会ってないし、やっと会えたのも何日か経ってからだったから』
「朴大老の元に飛んでいったりね」
『あったねー、そんな事。お前さんと飛行機に乗る羽目になるとは思わなかった』

帝王院秀皇には、失踪する前に二人の子供がいた。
今になれば、随分きな臭い話だ。けれど当時、父親を失って立て続けに旦那を亡くし意気消沈していた桔梗が、残しておいたアレクセイの精子を使って子供を作ると言い出した。
叶一族の反対は必至だと思われたが、勿論、冬臣も反対したものだ。文仁も冬臣の剣幕に押されたからかも知れないが、桔梗に対して強く反対した。桔梗の年齢の事もそうだが、彼女はそもそも、体が弱かったから。祖父も父も亡くし、これで母まで失うのは、どうしても嫌だった。本音はそれだけだ。IQが高かろうが、甘えん坊の子供だっただけ。

「…懐かしいねぇ」
『もう戻らない青春、ってね』
「私には出来なかったけれど、君はこれからも変わらず宮様のお傍で支え続けるのか」
『羨ましいかい』
「そうだねぇ。君は灰皇院の鑑だ」
『無駄死にはしないんだよ』

叶貴葉だけが『大丈夫』だと言い張った。
何処にそんな自信があったのか、彼女だけは『絶対大丈夫』だと胸を張った。お母さんは負けない、お世話は僕がするから大丈夫、彼女だけは快活にそう繰り返したのだ。妹に甘い文仁は容易く言い含められ、残ったのは冬臣だけだった。
桔梗と貴葉に見つめられ、散々逡巡した後に、とうとう冬臣は根負けする事になる。可愛い妹と美人な母に『お願い』と見つめられ、それでも頑なに駄目だと言い続けられる男が、この世に何人存在するのか。

「…私もそうありたいものだ」

寮生活で軽々しく里帰り出来ない冬臣と文仁は、事ある事に実家の母の心配をしていた。
叶不忠が亡くなって一年も経たない内にアレクセイが亡くなり、女手で叶の当主を務めていた桔梗の苦労は計り知れず、冬臣は恥を忍んで、叔父である小林守矢に母のサポートを頼んだ事もある。嵯峨崎財閥で努めていた守矢は名古屋と東京を頻繁に往復していたので、隙を見て桔梗を訪ねてくれていた様だ。

けれど出生が複雑だった守矢が、そう頻繁に叶の本宅に訪れる事は出来ない。とうとう臨月に差し掛かった桔梗の身を案じた冬臣は、文仁と話し合った末に、桔梗を東京の病院に入院させる事にした。

「皇子の傍に居られない分、大殿の手足になれればと思っている。君の代わりに、なんてね?」
『本当にキングはまだ生きてるのかい?秀隆がスコーピオから落としたのに』
「左席委員会長のご遺体は、彼女が良く日向ぼっこをしていた校庭に埋葬されたそうだ。誰がそうしたのかは判らないが、ナイトオブナイトの刻印が施された石碑がある」
『秀隆が日向ぼっこしてた所?あっちこっちで日向ぼっこしてたと思うけど』

けれど結果はどうだ。
桔梗が子育てと当主として茶道家元の役目を果たしている間、冬臣が当主に収まれば困った事態に陥る人間が、少なからず存在したらしい。横領だの贈収賄だの、数えればきりがない下らない理由で、桔梗の目が離れている内に証拠を消したかった人間が叶の中に存在したのだ。

「陽の丘に続く坂道の下、部活棟のすぐ近くだよ」
『…そっか。昼間は静かだけど、放課後は人が集まってきて賑やかな所だね。それだったら寂しくないかな。僕達はきっともう、会いには行けないだろうけど』
「妹と母を亡くして抜け殻同然だった私が、叶の責務を果たせなかった事に、今更言い訳もしないよ」

甘えん坊の子供だった。叶冬臣と言う、一人の男の事。
つくづく詰めが甘い。ほんの18歳の子供だったと言えば言い訳になるのだとしたら、そのツケで母親と妹が死んだのだから、余りにも失ったものが多過ぎるのではないのか。

「全ては最早、覆せない結果だ」
『相手は世界の男爵だった。俺達が弱かったんだ』

榛原大空は電話の向こうで溜息を零していたが、冬臣の話とは噛み合っていない。けれどそれを指摘するつもりはなかった。お互いに負けず嫌いな性分だ。

「体を張った君の方が立派だ」
『笑えない皮肉はやめてくれるかい?誰を抱いたって誰に抱かれたって同じ事さ。秀皇じゃないなら、誰だって』
「今の恋人を愛しているのかな」
『僕が何を言っても大人しく従ってくれる、いい子だよ。嫌いな訳ないだろ』

偉そうな男だった。昔から。
けれどその負けず嫌いな性格も、不可能だと思っていても行動する性格も、一目惚れに値する。顔立ちも整っていて、いつも笑顔だった。妹の貴葉に『笑顔を絶やすな』と教えたのは、大空が初恋だった冬臣の個人的な理由だ。

「…報われないねぇ、榛原は」

悪い大人ばかり。冬臣の知る世界の話である。
数少ない良い人は死んでいって、残ったのは魑魅魍魎。二度と逆らわせない様に罪人を断罪し、母から譲り受けた叶の名を受け継いだ。今では龍神などと呼ばれているが、本来ならば大学へ進学せずに実家へ飛んでいくべきなのだ。

『お前さん、人の事を言えた義理かい?』
「ああ、確かに」
『東大なんて、お前さんからすれば馬鹿ばっかだろ。とっとと卒業しなよ』
「この国にはそんな仕組みはないだろう?」

判っている。
そんな事は判っている。だけどそう、あそこには母と妹が命懸けで守った赤子が居るのだ。あんな魑魅魍魎の巣窟に、まだほんの2歳の子供が。

『僕がもし捨てられる様な日が来たら、その時こそ自信を持って愛してたんだって言えるんだけどね』
「そんな日が来たら、必ず教えておくれ。君が白旗を振る所が見たい」

けれど顔を見る勇気はなかった。
それでもいつか大学を卒業すれば、否が応でも一緒に暮らす事になるのだろう。

「私は負けっぱなしなのに、狡いじゃないか」

それまでに何処かへ逃がそうか。違う、自分が逃げるだけだ。











ああ、もう。
どうしてこんな地獄の様な世界に、産まれてしまったのか。


























『飯の前に、手ぇ洗ってこい』

当たり前の事を当たり前の様に宣う男を馬鹿正直と言うなら、きっとそれが羨ましかった。過ぎる力を与えられた者同士なのに、どうして自分ばかり我慢しなければならない?

『人の気持ちを弄ぶ様な真似、』

判っていた。貴方はいつも正しいのだ。
だから誰もが、貴方の犬に成り下がってしまう。貴方が何を求めているか、産まれる前から知っていたのに。だけど結局は、どう取り繕っても自分は、友達には絶対になれないのだ。

「初めまして。俺を知ってるか、山田太陽」
「知ってるよ。初めてじゃないって事も、宮様だって事も」
「そうか」
「榛原の癖に天の象徴を名乗るなんて烏滸がましいって、ずっと小林が怒ってるんだよねー。お父さんも『変だな』『そんな筈ない』って言ってるよ。アキちゃんがまだ喋れないと思ってるから、知らない女の人と電話で仲良くお喋りしたりする」
「ああ」
「お父さんはね、お母さんに魔法を掛けたんだって。扱いやすそ〜な女で、会社を作る為に使えそうな人材が必要だったから」

酷い話だろう。
榛原大空と言う男は、営業力とコネを持つ村井和彰に目をつけた。彼をリストラしたYMDは愚かだと、自ら社長をリストラした分際で考えたのだ。捨てるなら、自分が貰おう。
偶然にも彼は学園も名前も捨てて、空蝉の名のまま、全てを捨てて新しい人生を選んだ天神の子供について行ったから。彼もまた、新しい人生の計画を立てたのだ。

「全部、宮様の為だよ」
「帝王院秀皇はもう居ない。今は遠野秀隆だ」
「それでもお父さんはワンコなんだよねー。だって、榛原だから」
「ああ」
「アキちゃんもそうなっちゃうのかなー」

ほんの半年早く産まれただけで、もう歩けるのか。
まだ満足に喋れない乳飲み子の表情だけで会話をしている、およそ同世代とは思えない男は窓硝子の向こう側。半年検診を受ける為に待合室で待っている母親達に抱かれた赤子を、無関心な眼差しで眺めている。

「多分ね。アキちゃんは忘れちゃうよ」
「今日の事を」
「赤ちゃんの時の記憶はね、消えちゃうんだって」
「そうらしいな。だが、俺は覚えている」
「冬月だもんね」
「そして雲隠」
「明神で、きっと榛原」

音など必要なかった。
犬には何処に居たって、ご主人様の声が聞こえる。犬は何処へ迷ったって、必ずご主人様の元に帰る帰省本能がある。

「統べる者は秀でていなければならない。仏と繋がる陰陽師は、妖怪じみた人間だと言われているらしい」
「お前さんは化け物なんだね」
「さァ。遠野は鬼と呼ばれる一族だと言う」
「妖怪と鬼から産まれたら、化け物以外にはなれないねー」
「ああ。俺は『神』にはなれなかった」
「そっか。アキちゃんと一緒だね」
「そうだな」

友達などではない。
主人と地を這う犬。主従関係を幾ら否定しても、体に流れる血が従う事を拒絶しはしない。宿命だ。まるで呪い。

「お前さん」
「俊だ」
「知ってるけど。ご主人様振らないでくんない?アキちゃんね、命令されるの嫌いなんだよねー」
「知ってる。天神の命令は絶対だ」
「太陽って偉いんだよね」
「ああ」
「だったら、命令なんか聞かなくてもいいよね」
「ああ。俺はお前にそんな事は求めていない。お前は何処までも、自由だ」

自由と言う言葉には、色んな意味がある。
慈悲の元に隷属が存在するのであれば、自由の元に慈悲はないのだ。




『助けて、神様』

あの日。
天泣は間もなく篠突く雨へと変わり、遠くから雷雲を手招きながら爆音で叩きつけてくる。太陽の光など何処にも存在しなかった。全ては分厚い雲の向こう側。雷鳴だけが唸る雲間は、眩さより絶望の方が色濃い。

「真っ赤っか」

動かない何か(まるで血統書つきの黒豹の様な)を抱き締めたまま、ぬるりと雨ではない何かに汚れた右手が赤く染まっていて。心臓に最も近い左手に握り締めていたのは、不思議な色合いでキラキラと光っている小さな石が、一つ。

「起きて、ネイちゃん」

世界はノイズで支配された。その轟音は、ささやかな命を宿す獣達を嘲笑う。
太陽などとっくに消えている郡雨の中央は、正に地獄の如く。(3歳の子供をほら、こんなにも簡単に)

「…大丈夫だよ。俺がね、守ってあげるからね」

きっと。
ひたすら愛を叫んでいた蝉は、死んだのだ。(羽化する前から愛を歌っていた芋虫だけは生きている)(左手には生まれたばかりの愛の証)(右手には何もない)
真っ黒な大人達が、何かに群がっている。意地悪な赤毛がすぐ近くに見えたけれど、彼もまた、濡れそぼりながら叫んでいる様だった。多分、助けてくれとか、今の自分の様に。

助けてくれと。言ったのだ。
けれど現れたのは天神でも化け物でもなく、綺麗な猫の様な人だった。助けてくれなんて言ったから、温かい深紅が流れ出たのだ。

全ては誰の所為?



「空が、灰色」

天は見えない。
七年も土の中に閉じ込められて、たった一週間で死んでしまう蝉にはなりたくなかった。だってそうだろう?自分は山田太陽と言う名前があって、蝉でも犬でもなく、死ぬまでただの人間なのだ。

『もうすぐお前の元に』
『なーに』
『十口がやって来るよ』

この手には力なんてなかった。
体が弱い弟に比べれば少しだけ強い程度。世界は広いのだ。井の中の蛙は大海を知らず、土の中の芋虫が、初めて見た空の広さに己を思い知っただけの事。

『使えないキャラはパーティーに入れたら駄目なんだよ。だって、弱いやつはすぐ死ぬんだもん』

格闘ゲームが得意でも、実践では何の役にも立たなかった。
守ってやらないといけないと思っていた相手から、惨めにも助けられてしまった自分はそう、ただのつまらない人間の子供だったと言う事だ。

「ア、キ」
「うん」
「ゃ、く、逃げ…」
「大丈夫だよ。アイツら全員、俺が殺してやる」

黒服の男達だけは、真っ白な何かに群がっていた。突きつけられた銃口を真っ直ぐ見つめたまま、既に冷えきった右手は空っぽだ。
(真っ赤な何かはとっくに、洪水の様な雨が洗い流していった)
(あとは雨がやめば良い)

「空からお日様が消えたから、宮様は助けてくれないよ。命令すんなって言ったのにお願いはするなんて、絶対に変だもん」

鎮魂歌を歌ってやろう。とっておきの。






「助けてやろうか」



琥珀色の抜け殻を幾ら集めた所で、羽化すれば死を待つばかり。蝉は歌っても歌わなくても夏が終われば死んでしまう。そう定められている。進化の過程で決まったのか、それとも世界の始まりから定められていたのか。
好きな人を守る事も出来ない濡れ鼠には判らないけれど、一つだけ判る事がある。

「何で助けてくれるの?」
「交換条件がある」
「俺を助けて、お前さんは何か得するのかい」
「帝王院に課せられた宿命だ」
「…変なの」

空は暗く。時折、真っ白に染まるほどに発光する紫色の雷鳴は、鼓膜を貫くほどに唸った。神の目すら欺く様に。

「お前を救ってやるのは二度目だ。三度目で最後だが、どうする?」
「いいよ。その代わり、絶対に助けて」
「ああ。俺に出来ない事はない」
「で、何が欲しいの?」
「お前からは既に心を奪った。魂を構成する感情の外殻には、『執着』と呼ばれる感情が存在している。お前にはそれがない」
「一回目でなくなっちゃったんだね」
「終わらせる事しか出来ない神の如き存在に、お前がそう願ったからだ」

今。
腹の奥底で唸る殺意が音を描き、喉を震わせ声として他人の鼓膜に届けば、悪者なんて居ない世界がやってきた筈だ。勇者は簡単に敵を倒す。罪悪感など感じない。世界平和の為だ。

「友達になんか、なれないよ」

思えば初めから気に食わなかったのかも知れない。
何かが欠けている様な気がしていたからだ。ぽっかり、胸の中が空っぽになってしまったかの様に。例えばお前達は双子だから二人で一つなんだ、などと絵空事を口癖の様に語る祖父の話が、ある意味では的を得ているのではないかと。

「俺はただの蝉なんだ。抜け殻にもなってない、幼虫」
「…」
「羽化したら外に出ないと駄目で。外には空がある。俺は太陽だけど、宇宙から見たらきっと、ちっぽけなんだよ」

魔法使いは『それがどうした』と囁いた。
この地獄の様な世界で、真っ白い光を浴びたまま。

「お前は何になりたい」
「何、って」
「王を拒絶し永久の終焉を願いながら、けれどその空蝉の心で永劫回帰の楔を解いた。お前は忘れているだけだ。王の慈悲の如く、お前は『それ』を逃がしただろう」

魔法使いは囁いた。
審判者の様に、終わりが見えている物語を流し読むかの様に、稽古中の演者を見定めているかの様に。つまりは、全てが他人事だったに違いない。

「だったらお前さんは、何?」
「見送るだけの守り人だった。いつかは」

魔法使いは囁いた。
真っ白い光を浴びたまま、白と黒の袴を纏う男の腕の中。

「だったら今は?」
「戻ってくる日を待っている」

魔法使いは囁いた。
真っ黒な世界の中央で、彼だけがスポットライトを浴びているかの様に。黒い布を纏う真っ白なそれを抱いたまま、無表情で。

「何が?」
「「お前が知る必要はない」」

そうだ。そうだった。















魔法を使う奇術師は、道化師だ。
まるで腹話術師の様に、








(魔法使いは2人、居た)






















通りゃんせ
通りゃんせ

ここは何処の細道じゃ




「こんにちは」
「…え?」

ああ、光が見える。人工的なそれではなく、自然の光だ。
この階段を登れば空が見えると足を進めた瞬間、聞こえてきた女の声音は鼓膜を貫いたのか。

「え?誰?」
「もうすぐ雨が降りそうだよ」
「貴葉さん?」
「おばあちゃんを探してるんでしょう?」

くすくすと。擽る様に。

「でもね、会わせたくないんだ」
「…邪魔するなら」
「うん。ごめんね。そう言うと思って僕ね、耳栓してるんだよ」

ぴりぴりと、肌を刺す様に。

「だからさようなら、アキちゃん」

それとも、
(それとも?)
(こんな短気な男だから)(また、誰かの所為にして自分は悪くないと)(下手な正義感を振り翳すのか?)

「さよう、なら?」

山田太陽は目を見開いた。ぱちぱちと瞬いた。
目の前にはアンダーライン出口があるが、あそこから出ればヴァーゴ庭園の近くに出れる筈だった。けれど足が動かない。何故だろう。足が固まってしまったかの様だった。脇腹に違和感がある。目を落とせば、何かが飛び出ていた。


「…あ、れ?」

後ろから足音が近づいてくる。
穏やかな女の声は既に消えていて、傍らで人形じみた表情をしている少女は動かない。太陽が足を止めた瞬間からだ。まるで優秀な盲導犬の様に。
もう少し後ろからは、祖父と何かを言い合っている二葉の英語が聞こえてくる。仲良しじゃないか、などと考えた。

やっぱり、脇腹に違和感がある。
違和感の正体をこの目で見ているけれど、脳が認識していないらしい。太陽はただただ、目を外の明るさへと向けた。

「おや?どうしたんですか、ハニー」
「何だろ」

焼ける様に熱い、空っぽな右側の胸の下。
腹に刺さった銀色の何かを撫でた瞬間、光の向こう側へ消えていく艶やかな黒髪を見たのだ。

「お腹、痛い」

ああ、そう。
魔法使いは2人居た。

男と女。始まりと終わり。闇と光。世界はいつも、二つに引き裂かれていて。
そっくりな双子の兄と妹は愛し合った。アダムとイブの様に、それが日本の始まりだったけれど。男は裏切った。違う女に目移りした。愛しい女が産んだ子供を殺し、日本の王は狂ったらしい。

幼稚園の時に聞いた物語。幼稚園の時に良く読んでいた物語。混ざって混ざって、どれがどんな話だったか、すっかり忘れている。凡人だからだ。何処までも、平凡な。

「あはは」
「山田太陽君?」
「そっか。俺と、同じなんだね…」

ぐらりと傾ぐ体が落ちていく。
エリザベート=セシル=ヴィーゼンバーグを探していただけだ。そう、好きな人の祖母を見てみたかっただけなんて戯言は、3歳の時から言わなかったに違いない。因果応報を下したかった。全てに。

「っ、アキ?!」
「…大丈夫、何でもないから騒がないで下さい」
「何でもない訳ないでしょう!これはどう言う事ですか?!」
「ちょいと、深めに刺さってるだけだから」

傷つけるもの全て。
今度こそ、あの時助けられた哀れな芋虫は、命と引き換えに羽化する筈だった。

『馬鹿だね、お前さんは』
「…うん」
『平凡な毎日を望んで、死ぬのが怖くて蝉を捨てた癖に、主役になりたがるから』
「う、ん」

騒がしかった。
それなのに、何処からか自分の声が聞こえてくる。

「しっかりして下さい、山田太陽君!」
「落ち着きなさい、ヴァーゴ」

何だ、日本語が喋れるのか。なんて。
甘い甘い、サファイアの目をした金髪の紳士を見上げたまま、誰かの腕の中で今。

「喧しい、これが落ち着いていられますか!大丈夫ですよ、すぐに治してあげますから…!」
「ネイちゃん」

あの日の様に、伸ばした右手が真っ赤に染まっている。

「俺が変わった声の蝉だった、から」
「は?!何ですか?!アキ?!」
「…ほんとは、俺の事なんか好きじゃない、のに」

王様になりたかった訳じゃない。
どうせなるなら王子様が良かった。好きな人を守る事が出来る、そんな英雄になりたかった。だけど三次元の話ではないのだ。
だって、産まれた瞬間にはもう、榛原の長男だった。口を開けば、ただそれだけで他人を従わせてしまう勇者崩れの化け物の事だ。双子の弟の分まで栄養を奪い、いつも何かを奪いながら、自分では選ばずとも孤独を受け入れなければならない、それが『宵の宮』だった。

知っているか。帝王院には昔、明・陽・月・宵の四つの東屋があった。その中央に天宮があり、母屋の中央には帝王院天元の骨が埋葬されているそうだ。
『陽』たる雲隠が罪人を捕らえ、『月』たる冬月が罪人の罪を書きとめ、『明』たる明神が罪人を取り調べ罪を明らかにすると、『宵』たる榛原が裁きを下す。

死ねと一言。
ただ囁くだけで、帝王院の敵はこの世から消えるのだ。跡形もなく。



「勘違いさせて、…ごめんね」

宵の宮。
それは愛しい男の代名詞ではなく、自分の本名だと知っていた。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!