帝王院高等学校
もっちもちもっちり天然素材☆
「あれ〜ぇ?」

西園寺学園の生徒達と楽しく雑談していた安部河桜は、皆が差し出してくるお菓子を遠慮なく頂いていた。ポリポリ貪ってはゴクゴクジュースを飲みつつ、神妙な表情で話し込んでいる長身二人の隙間を、桜は目を細めて見つめる。

「ぅ〜ん、やっぱりぃ、見間違いじゃなぃみたい〜」

長話を立ったままするのはと誰かが持ち掛けた為、東條清志郎と西園寺学園副会長のロイ=アシュレイを巻き込み、カフェテラスへ移動した一行でテラスは貸切状態だ。
時刻はランチタイムだが、行事が佳境を迎えている為に、アンダーライン内のフードコートや並木道にびっしり並んでいる屋台が最後の盛り上がりを見せているらしい。朝6時に開店し、主にドリンクと軽食を取り扱っているカフェテラスには、客足は疎らだ。食べ盛りの高校生には物足りないと言う理由が、恐らく殆どだろうと思われた。

「ま、いっかぁ。さっきからぁ、作業着の人達が歩いてくるなぁ…」

初日の内に帝王院学園のメインスポットを回ったらしい西園寺生徒達も、明日は閉会式を待つばかり。帝王院学園の騒ぎには気づいているのか居ないのか、まさか昨夜、一年Sクラスの生徒らが教室ごと生き埋めになってしまったなんて事は、知りもしない。

「安部河君、どうしたんです?」
「チョコレートは口に合わなかったかい?誰か、塩っぱいお菓子持ってる?」
「ああ、甘いのばかりだったから飽きちゃったかー。生徒会は甘党の方が多いんだよね」

西園寺学園は、合同新歓祭を謳いながら招かれているゲストだ。然し浮かれているのは、実行委員役の生徒会以外の生徒に限られるだろう。

「辛党なのって山田君だけじゃなかったっけ?」
「あの人、あの顔でしょっちゅう酢昆布食べてるもんね。飲み物はお茶しか飲まないし」
「「それもホットばっか」」

ゲスト側でも生徒会役員らはそれなりに忙しかった様で、帝王院学園左席委員会会長が突如『合同出し物勝負』などと宣った所為で、昨日は死に物狂いだった様だ。何せ彼らの生徒会長である遠野和歌は、会長の癖に光の速さでサボったらしい。これに関してはもう、ご苦労様としか言えまい。
会長がサボったツケが回って寝る暇もないのは副会長で、朝まで出し物の構想を練りに練っていた為、遠野和歌と山田夕陽を除いた生徒会一同は疲労困憊だ。このまま疲れた思い出だけ抱えて帰宅するのでは、余りにも惨め過ぎる。

「うちの生徒会は遠野会長が抜きん出てるんだけど、山田君も大概アレだよね…」
「大体、生徒会なんて時間の無駄だって役員指名断ったって話なのに、帝王院学園と新歓祭の話が出てからコロッと態度が変わったって…」
「最近の彼が『アキちゃんハァハァ』か『兄さんペロペロ』しか喋らないって、本当かい?」
「うちの西園寺理事長がどん引きしてたって話だから、いよいよやばいかも知れないよ。山田夕陽君はデレないツンデレだと思ってたのに、お兄さんにはデレデレなんだね…」

帝王院学園の遠野会長が掻き回し、西園寺学園の遠野会長は職務放棄となれば、西園寺学園の生徒らは遠野を呪う権利がある。流石の桜もそう思ってしまうが、どうも西園寺にはドMが多い様だった。
山田太陽に笑顔で『どちら様?』なとど宣われても全くめげない山田夕陽は、『僕のアキちゃんに近寄った奴は微塵切りにする』と達筆な文字で書いた紙を、西園寺一同が宿泊している場所に、くまなく貼りまくっている。夕陽は書道部だ。小学生時代に『太陽』と『兄』と言う書で、二度もコンクール金賞を獲得している。

「山田夕陽君の携帯の番号って、誰か知ってる?」
「僕は知らない。山田君を呼ぶのは不可能だよ文化部長、山田は山田でもうちの山田君はアレだから…」

夕陽はどうも、嵯峨崎佑壱に匹敵する程度には一匹狼らしい。
少し前までの太陽も似た様なものだったが、彼がそうなったのは元ルームメイトの林原が事件を起こした頃からだ。その頃には清志郎との仲違いしていた桜の優先順位は、勿論幼馴染みと仲直りする事だけだったから、教室内での変化になど大して構わなかった。

今になれば、それは何と利己的な考えだろう。
Sクラスの価値観に染まっていた自覚はなかっただけに、今になって桜は恐怖を感じる。あのまま、清志郎以外に無関心なままだったら、桜は昔の事を思い出さなかった筈だ。

「帝王院学園の山田君は優しそうで良いね、安部河君」
「ぇ?」
「こっちの山田君と交換してくれない?何故か俺、帝王院の山田君を見るとドキドキするんだ」
「えっ、僕もだよ新歓祭企画長!何でだろうねっ、僕なんか昨夜は時の君に踏まれる夢を見てしまったんだ!」
「ちょっと声が大きいって皆!遠野会長なら平然と『消えろ踏む価値もない下等生物』って言ってくれるけど、此処は帝王院学園だよ…?!」

今は施設巡りより他校生との友好を深め思い出作りする方が重要だと、桜達との長話を選んだ西園寺生徒会のメンバーは、頬を染めてドMを暴露しまくる。左席委員会お茶汲み係長の桜は、晴れやかな笑顔で聞き流した。彼らは本能で太陽の正体を嗅ぎ分けているらしい。末恐ろしいにも程がある。

そうだ。幼馴染みがいた。清志郎もそうだが、祖母の家に預けられていた時の短期間の話だ。
今でこそ都内近郊で店を持っている父親は家族と共に東京に居るが、修行時代、京都和菓子屋で働いていた父に付き添って、安部河の家族は揃って京都で暮らしていたのだ。だから桜が生まれたのは京都の病院だそうだが、記憶は殆どない。

一番上の姉が産まれる前に京都で就職した父は、桜が産まれた頃に独立を考える様になり、その話などで都内の実家と密に連絡を取っていた様だ。一言で独立と言っても、ある程度の目算がなければ行動に移すのは難しい。父方の実家も昔から問屋を営んでいたそうだが、長男が継いでいる。桜の父親は次男だ。

その折、実家の親が倒れた事などから、仕事で多忙な父に代わり母が桜を伴い、看病で上京し始めた。長男方は奥さんが早くになくなっていた事や、息子達が揃って受験生だったなどの事情があったと聞いている。

母が不在の間は、桜より11歳年上の長女が母親代わりで家事を賄っていた事もあり、色々とフラストレーションが溜まっていたのだろう。とうとう父の独立が決まり一家で東京へ越してくると、姉達はこぞって桜を構い倒した。良い意味でも、悪い意味でも、だ。

誰にも負けないと思っていた柔道で負け、剣道と合気道は性分に合わず、家では姉達から可愛がられると言う名の苛めの様な扱いで。桜は幼稚園から帰ると、姉達に見つかる前に家を飛び出し、隣の立派なお屋敷の庭先に隠れていた。
骨董屋を営んでいた東條の店主は優しげなおじさんで、桜を見つける度におやつと飲み物をくれたものだ。暗くなったら帰りなさいと、彼は自分の孫を桜に紹介した。

『この子は清志郎と言うんだ。おじさんの娘の子でね、君より一つ年上だけど、幼稚園には通わせてないんだよ。友達になってくれるかな?』
『ぅん。僕、さくら。仲良くしてね?』

初めて見た真っ白な髪と肌の子供の瞳だけは、透き通るほど青かった。
柔道でも、幼稚園でもそう、初めましてでは挨拶をして、握手をしなければならない。桜はそう思っていたから右手を差し出したが、向こうからは何の反応もなかった。無視された、と言った方が適切だろう。

『人見知りする子だけど、大人しいのは元々の性格なんだ。その内慣れてくると思うから…』

じろじろと見つめてくる桜の視線から逃れる様に、ひょいひょいとあっちこっちに目を逸らし続けた美人が初めて喋ったのは、それから一週間の事だった。
どうやら、桜達はその時が『初めまして』ではなかったらしい。東條清志郎が桜を無視した理由は人見知りだけではなく、清志郎の事を忘れていた桜への意趣返しだった様だ。
とは言え、安部河一家が里帰りするのは正月くらいで、一度会っただけのお隣さんを桜が忘れてしまっていたのも無理はないだろう。まだ2歳か3歳の話だ。

「セイちゃん、楽しそぅだなぁ」

安部河桜は決めた。最早絶対に揺るがない、確定事項だ。
桜の覚悟を知っているのは、何度夜更かしをするなと叱っても桜の目を盗んで徹夜ゲームに励みたがる、ルームメイトの山田太陽だけ。
太陽が布団の中に潜り込んで、照度を限界にまで落とした携帯ゲームをポチポチやっていたら、今度こそ布団を剥ぐつもりだ。健全な男の子だから、やんごとなき理由でシコシコしているのかも知れないなんて里心は捨て去ろう。

元気良く7時に起こしてやれば、げっそり窶れた太陽が『良く寝たー』なんて宣うのだから、桜は太陽の命の灯火がやばいと思っている。ルームメイトが死んでしまったなんてスキャンダルは、お断りなのだ。

(極普通の僕にぃ、そんな悪目立ちするトラブルなんてぇ、起きたら駄目だもんねぇ)

さぁ、平和な毎日を送ろうか。
桜の望みはいつだって、それだけだった。三人の姉と母と、安部河の家は男より女の方が多い。だから長男として皆の期待を背負って産まれた桜は、先の綻ぶ桜の花の様に、立派な男になるつもりなのだ。体を鍛えようと思った理由もそう、戦隊もののドラマを初めて観た日に、幼いながら決めた事だ。

安部河桜は人生で初めて、そして一度だけ、力で適わなかった相手がいる。例えるなら我が生涯の好敵手、親友と言っても過言ではない遠野俊だ。あの全知万能な男に勝つ気はないし、だからと言って、好敵手に助けてくれと願うほど桜は脆くない。

安部河桜は決めた。言っただろう。誰に諭されようが、これは覆らない決定事項なのだ。男たるもの、一度決めた事を簡単にやめはしない。桜の性格を見抜いているのか否か、男らしさに日本一煩い嵯峨崎佑壱は桜を以下の様に呼んでいる。

『師匠!』

追記しておこう。佑壱曰く師匠とは和菓子の技術に対するもので、桜は一応跡取り息子だが、父の店を継ぐ気はない。その件に関しては、現在専門学校で技術を磨いている次女が解決してくれるだろう。
里帰りする度に頑固な父と次女の『継ぐ!』『継がせん!』の喧嘩を見守っている桜は、将来は普通の会社員になるつもりだ。そして資金を貯めてある程度の年齢を迎え頃に脱サラし、起業したいと思っている。Sクラスの生徒ならば殆どが似た様な進路だろう。

その前に、人生設計が狂わない為の下拵えが必要だろう?
残念ながら無意識の内に、Sクラスの価値観で染まってしまった桜に躊躇いはない。偏差値80オーバーのSクラスで、19番目の席に腰を据えているお陰で、知識もそれなりの自信もある。

(俊君には、な〜いしょ。ぅふふ)

幼馴染みが自分から離れていった理由を聞いてしまった。
人見知り気味で、忘れられていた事を根に持って一週間も無視してくれた繊細な男は、母親を亡くし、腹違いの弟の母親から命を狙われている事を隠したまま、桜から離れていったのだ。

(可哀想に、セイちゃん。僕がぁ、何も知らなかったから…)

神崎隼人は安部河桜に怯えている。あの獰猛な犬が、その狐顔を凍らせ『さっちん』と呼ぶほどには、左席委員会お茶汲み係の腹の底はアレがアレしてアレなのだろうか。

(とりあえず、セイちゃんは大学に進んでぇ、僕より先に就職するんだもんねぇ。はぁ。セイちゃん、最上学部でもモテるんだろぅなぁ…)

ああ。幼馴染みはなんて美人なのだろう。叶二葉など霞んで見える。などと宣えば、白百合親衛隊を敵に回すだろうか。まぁ、あんなドM集団など桜の敵ではない。何せ安部河桜と言えば、あの山田太陽が布団の中に潜り込んでこそこそゲームをしなければならない程度には、アレがアレなのだ。

「良〜し、悪ぃマフィアはぁ、撲滅しよ〜っと」
「え?甘いマフィン?」
「安部河君はお菓子作りが趣味なんだよねっ。ご実家は昔から続く、老舗の和菓子屋さんだって」
「ぇへへ、父方は静岡で卸売業を営んでたんだけどねぇ、母方が京都で江戸時代からお茶屋さんをやってたんだよぉ」

母方の話だ。
桜の祖父は祖母とは結婚しないままだったそうだが、何処ぞのお屋敷に仕えていた『忍者だった』と言うのが彼の口癖だったらしい。
それを信じている者は少ないが、祖父が亡くなったのは桜の母を庇ったからだと聞いている。大雨で氾濫した川に流された娘を助けて亡くなった事は、ニュースにもなったそうだ。

だから桜は祖父に憧れている。
忍者には微塵も興味がないが、揃い踏みの姉達によってティーンノベルをゴリ押し気味に勧められ、気づいたら染まっていた染まり易い男。それが左席委員会お茶汲み係なのだ。
そんな染まり易い男をドSの権化、山田太陽のルームメイトにしてはいけない。

染まり易いが故に柔道技を極め、ちびっこ大会で準優勝し、幼い頃に培った腕力で趣味の和菓子作りを十年以上続け、今は正にSクラスの一員として学んでいる。
甘いもの大好きなプーさんに、夢も希望もない腕力と犯罪の知識を与えた様なものだ。

(やるなら完全犯罪。捕まるなんてぇ、お馬鹿な真似はしなぃも〜ん)

笑顔で西園寺学園の生徒らと語り合いながら、真なる闇は毒気のないぷにぷにな腹を撫でた。

古今東西、狐の敵と言えば狸だ。
信楽焼きを見れば明らかだろう、狸とは腹が出ているものである。


「…ん?シロー、幼馴染みの彼がこっち見てるよ」
「その呼び方はやめろ」

ルーイン=アラベスク=アシュレイと言う、甚だ長ったらしい名前の男が顔を寄せてきたので眉を跳ねた東條清志郎は、ちらりと背後を振り返った。どの角度から見ても可愛いとしか言えない幼馴染みが、目が合った事に気づいて手を振ってくる。
ああ、あのブレザーの下の更にシャツの下の二の腕が見たい。プルンプルン揺れているのではないだろうか。ああ、更に言えば、揺れるのであればその下のアレも見たい。乳首とか腹肉とか、更にそのまだ下のアレとかだ。

「シロー、無表情で鼻の下が伸びてる色男は面白いな」
「だからその呼び方をやめろと言っているだろう、アシュレイ。こっちには加賀城獅楼って奴がいるんだ、部活の後輩に」
「ヒュー、クールビューティは部活なんてやってるんだな。君は部活免除の図書委員長だろう?」
「ああ、学内とは言ってない」
「Oh、…カルマは部活に入りまセン」
「セイちゃん、向こうにぃ、加賀城君と川南先輩がぁ、居るよ〜ぅ」

お菓子で汚れた指をペロペロと舐めながら、ジュースを持った手をゆったり上げた桜は、清志郎とアシュレイのずっと向こう、カフェテラスから見える倉庫塔と呼ばれる建物から出てきた白ブレザーに腕を振る。すぐに気づいた先頭の赤毛が、同じ様に手を振り返してくれるのが見えた。

「お〜い、加賀城くぅん」
「安部河、そんなトコで何してんの?おれ達、起きたら保健室に運ばれてたんだ。お前は怪我しなかった?」
「ぅん、僕と一緒だった人達はぁ、無事だったょ〜」

駆け寄ってくる加賀城獅楼の後ろに見えるクリーム色の髪の毛は、川南北緯だ。獅楼とは違ってゆったり歩いてくるのが見える。彼の眉が寄っている様に見えるのは、恐らく見間違えではないだろう。

「安部河君、こちらの方は?」
「ぁ、一年Aクラスの加賀城君ですぅ。左席委員会の仲間だよぉ」

西園寺の生徒の問いかけに笑顔で答えた桜は、桜より体格の良い獅楼の腕を掴んだ。よろりとよろけた獅楼は目を丸めたが、桜の力に負けたのだとは気づいていない様だった。

「へっ?安部河、おれって左席だっけ?」
「え、知らなかったのぉ?俊君がぁ、加賀城君は『癒し係』だって言ってたよぅ?」
「全然知らなかったっつーか、癒し係って何する係?!おれ、誰を癒してんの?!」
「ぅ〜ん、俊君に聞かなきゃぁ、判んないかなぁ。ごめんねぇ?」

どう見てもごついヤンキーにしか見えない獅楼は、頭を抱えて屈み込む。お茶汲み係だの癒し係だの、左席委員会にはまだまだ訳が判らない役職がある様だ。何せ会長がアレだから、仕方ないだろう。
オタクで総長で生粋の変態で頻繁に居なくなる、訳が判らない男だ。

「うわぁ、おれも左席ってマジかよ。だからこないだ総長と山田が、おれの部屋に来たのか…」
「ぅふ、夜間パトロールに誘ったんでしょ?夜は危なぃからぁ、俊君と太陽君だけじゃ、危険だもんねぇ」
「どう考えても総長だけで十分くない?おれ要らなくない?」

混乱している涙目の獅楼に、答えられる者はない。
清志郎から見れば、神崎隼人も十分面倒臭い後輩には違いないが、遠野俊はその何万倍も扱い難い男だった。佑壱にスカウトされてカルマに入った清志郎と俊の面識は差程多くないが、会う度に腹の中を読まれている様な、ゾッとする視線に晒されたものだ。弱虫な獅楼は、清志郎以上に俊が苦手だろう。

「初めてパトロールした時っ!おれすっげー緊張して、一言も喋れなかったんだからなっ?山田は歩きながらDSやってるしっ、転けないかって心配するしっ!」
「太陽君はぁ、ゲーム依存がちょぉっと、酷いかもねぇ。今度叱らなきゃ。寝不足は体に悪ぃもん」

煉瓦道より少し高い位置にあるテラスは、カフェ入口から続くの階段を登らないと席につけない仕組みだが、背が高い獅楼が手を伸ばすとテラス端の手摺りに手が届いた。『よっ』と軽い掛け声と一つ、手摺を持ったまま地面を蹴った獅楼が手摺を乗り越えると、西園寺の生徒らから黄色い悲鳴が零れる。

「へ?何?」

わざと目を眇め悪ぶっていないと幼い顔立ちになる獅楼は、皆の奇妙な反応に仰け反った。モテると言う経験がほぼない獅楼には、その反応が判らない。
おどおど獅楼は桜を窺ったものの、桜はチョコパイを口一杯に頬張っていた為、残念ながら喋れない様だ。

「何、安部河?え?あっち?あっちが何だよっ?」

然し喋る事が出来ない桜は、ショートカットでテラスに乗り上がった獅楼の腕を掴むと、頬をモゴモゴ動かしながら、くいっくいっと別の方向を示す。
あっちを見ろと言わんばかりの仕草に眉を寄せた獅楼は、ちゃんと階段を使ってテラスへ上がってきた北緯が、清志郎と睨み合っているのを見た。

「あ、ホークさんを止めろって事?へ?違う?」
「お前、此処で何してんの。北斗は?」
「ノーサは風紀に引っ張られて行ったから、暫く戻って来ないと思う。…随分汚れてるじゃないか、川南」
「は。俺達が大変だった時にのうのうと遊んでた奴なんか、絶対カルマとして認めないから。嵯峨崎がスカウトしたからって、今更出てきて先輩面しないでくれる」

成程、北緯は判り易く清志郎を敵視しているらしい。
ただでさえSクラスは仲が宜しくなない事で有名だ。昨日までのライバルが今日から仲間と言われても、北緯はずっと納得していなかったに違いない。

「あと、ハヤトさんと左席やってたからって大きい顔しないで。俺はメディアミックス部長だけど、お前はもう左席じゃないんだから。自治会なら自治会らしく高等部のゴミ拾いでもしてな、倒れるまで」
「男の嫉妬はみっともないぞ川南、俺を牽制したってお前に何の得もないだろう」

この二人が顔を合わせて会話している所を見るのは、これが初めてではないだろうか。桜は目を丸めて見守っているが、獅楼は青褪め、口をパクパクさせている。

「大体、お前はウエストとも北斗とも仲が良い癖に。本当はABSOLUTELYのスパイなんじゃないの?カルマの情報売って荒稼ぎしてるに決まってる」
「諜報の癖にある事ない事言うな。調べても判らないなら、お前より俺の方が隠密行動が上手いと言う事だろう。言っておくが、ウエストはともかく、ノーサと仲良くした覚えはさらさらない」
「は?口では何とでも言えるだろ、白髪頭の癖に」
「…人の事を笑える立場か?そっちこそ色抜き過ぎて白髪と大差ないだろう」
「っ。見てろ、後期で絶対にお前を抜くから!」
「判った判った、一度でも俺の前の席になってから言ってくれ」

ハラハラ、ハラハラ。
川南北緯と東條清志郎の凍える様な口喧嘩を至近距離で目撃したロイ=アシュレイだけでなく、西園寺の生徒らと獅楼も、震えながら二人を見守っている。
因みに桜は3つ目のチョコパイでもぐもぐタイムの為、何の役にも立たない有様だった。それ所か、二人の喧嘩を微笑ましげに眺めているではないか。息子達が初めて喧嘩するのを見る様な、父親の目だ。

「あ、安部河っ。ホークさんとイーストって仲悪いの?!」
「もぐもぐ、もきゅん、ふぅ。ん〜、僕はぁ、仲良しそぉに見えるょ〜?」
「安部河、目薬差した方が良いって。あとチョコパイ食い過ぎだって。お前、太るぞ?」
「ぇへへ、チョコ美味しくてぇ、つい。そんな事より加賀城君、あっち側見てくれる?」
「あっち?」
「そぅ。僕のず〜っと後ろ、ヴァルゴ庭園のスコーピオ方向のぉ、森の中?」

4つ目のチョコパイを握ったまま、笑顔の桜は、わざとらしい程に後ろを見ない。桜の背後を覗く様に目を細めた獅楼につられて、ほぼ全員が目を細める。
そよそよと風に靡く木々が、ポタポタと落ちてきた雨粒を受け入れ始めた。

「安部河、おれ何も見えないよ?」
「そっかぁ。じゃぁ、見間違えかもぉ」
「見間違い?」
「セイちゃんより白かったから、てっきり」

桜が首を傾げながら呟くのと同時に、学園中に鐘の音が鳴り響く。

「あ、もう正午だ」
「ぉ昼ご飯の時間だねぇ」

疎らな雨粒は軈て、その勢いを増すのだろうか。























世界に色がついた日。

つまりは光が生まれた日の事だ。
闇の存在を認識した。


初めて光を認識した日。
つまりは背中合わせの半身の姿を見た瞬間の事だ。



その純白にどれほど見蕩れたか。
そして同時に、己の黒さを思い知る事になる。

希望は容易く崩壊した。
この世に光が生まれたからだ。
闇に抱かれたままだったら、知らずに済んだけれど。

けれど俺が思う様にまた、お前が俺に美しいと言ったから。



こんなに醜い俺でも。








(価値が許されるのか、と)
(浅はかにも、俺は)

(知っていた癖に)



(全ては須く)


















「こんにちは」

そよそよとそよぐ風が、緑を撫でている。
ひたひたと、ローテンポのメトロノームの如く落ちてくる雨粒を見上げた時に、それは音もなく現れたのだ。

「…ジェネラルフライア、生身か」
「僕と会うのは初めてだよねぇ、マジェスティ。こんな所で何してるの?」

女にも男にも見える中性的な人間の肌は白く、髪は見事なまでに艶やかな黒で、その瞳だけは鮮やかなサファイア。美しい毛並みの猫の様だと感じたが、それ以上でもそれ以下でもない。
一言でそう、何の興味もないのだろう。

「何が可笑しい?」
「え?ああ、ごめんねぇ。僕に興味がない男なんて珍しくて、つい」

鈴を転がす様に、それは嗤った。不思議な程に、不愉快ではない。

「おじーちゃんが、痕跡を消せって言ったんだ。だから僕達は、大掃除に来たんだよ」
「おじーちゃん、か」
「何だ、やっぱり全部判ってるんだね。流石はノア=グレアム」

声だけは、やはり男ではないと知らしてくる。誰かにそっくりだと思ったが、語るまでもない話だ。叶二葉、彼に良く似たその美貌は、彼よりもずっと線が細い。この微かな雨粒ですら驟雨の如く演出するほどには、まるで狐の嫁入り。化かされている様な気分だ。

「俺に近づいて良いのか。そなたを消すのは、この雨を止ませるよりも容易い事だ」
「僕は構わないよ。いつ死んだって、別にどうでも良いんだ。でもそれって、君もそうでしょう?」
「…俺はお前とは違う」
「違わないよ。君はナイトに酷いお願いをしたんだ」

ああ。
裁きの雷が、音もなく忍び寄ってくるのだろうか。

「優しいナイトに、酷い事を願ったりするから。死ぬ勇気もない癖に、殺してくれなんて願ったりするから」
「…」
「こうやって無様に生かされて、天神様の細道で迷子になっちゃうんだよ。…僕みたいに」

聞こえない筈の蝉の音が、悍ましいほどの大音量で聞こえる気がした。

「ご覧、天が翳ってしまったよ。帝王院の昔話、君なら当然知っているよねぇ、帝王院神威君」
「失せろ。目障りだ」
「もう逃げられない。望み通り、ノアは殺されてしまうんだ」
「失せろと言っている、叶貴葉」
「全部計算通りだって、素直に認めたら良いのに。だって、君がナイトを殺したんだ」

誰か今、何の確証もなくただの慰めでも構わないから、宣ってくれないか。



「死んだのが命なのか心なのか、君ならもう知っているでしょう?」

これは一つ残らず人工的な、喜劇だと。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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