帝王院高等学校
許されざる者のオラトリオ
「………外がまた、騒がしい…」




…ああ、面倒臭い。
どうして余が、民の声など聞かねばならぬのか。

…ああ、煩わしい。
天孫だの帝だの、知った事か。


煩い。
外になど出たくない。
このままずっと一人で眠っていたいんだ。
そうすれば地面のずっとずっと奥から、彼女の声が聞こえる。

もう一度会いたいけれど、
此処はなんて眩しい世界。

余は太陽の化身だそうだ。
朝と夜を駆ける、空の王なのだ。



…だが、それが何だと言う?



余はお前に会いたいだけだ。
どうしてお前は逝ってしまったんだ。
お前は余を恨んでいるんだろう?
酷い男だと、憎んでいるのだろう?

どうか聞いておくれ。
俺はお前を愛していたんだ。
それだけは嘘じゃないんだ。

けれどお前が居なくなって、寂しかったんだ。



行きはよいよい
(けれど戻らない)
天神がお隠れになったその場所へ
(生きている内には辿り着かないそうだ)



お前は戻らない。
美しかったお前の変わり果てた姿を、受け入れられなかった罪は消えない。
天に愛された天孫たる俺は、そこへは決して降りては行けないのに。



どうして我が身は、日の国に産み落とされた?







「…早う夜になってしまえ。余は眩しくて堪らんのだ…」
「だったら、お前の『器』を貸してくれないか」

生まれ落ちた瞬間に泣き声を上げたのは、彼女の姿がなかったからだ。
あの美しい女が黄泉の国で醜い姿に変わり果てていた事を、前世の自分はどうしても受け入れられなかった。それを思い出したのは、いつの事だっただろう。

「お前が会いたがっている『魂』は今、次元の果てでお前の還りを待っている」
「…余の帰り、だと?」
「仏の子として生まれ落ちた兄妹にして夫婦、妻を失ったお前が怒りに任せ殺した息子は、狼の慈悲を得て転生した。狼と狐は似ているだろう?」

誰も居ない筈の部屋の中、響くその声はこの世のものとは思えなかった。
ならば常世から届いているのだろうか。いや、確かめるのも億劫だ。こうして御簾の内側で眠り続けたまま、喚いている外に構わず、彼女の声だけを探していたい。

「会いたいか」
「会いた、い」
「どれほど」
「叶うのであれば、何を犠牲にしても…」
「ならば取引をしよう」
「…取引?」
「時の狭間で、愛しい者と再会すると良い。醜く腐り果てた『器』を捨てた『魂』は、愛しい男に子殺しの罪を負わせた己の『業』を嘆いている。今も尚、一人で」

ああ。
それが現世のものだろうと常世のものだろうと、最早構わない。ただただ会いたいだけだ。もう一度抱き締めて、愛していると伝えたいだけだ。例えどんな姿に変わり果てていようと、前世での非を詫びなければ、生きている事さえ辛い。

「判った。何でもくれてやるから、彼女の元へ連れて行ってくれ」
「有難う」

ああ、闇が近づいてくる。
眠りより深い穏やかな黒に包まれた先で見たものは、何だったか。









「これが人間の体か」
「ああ、暖かい」

「生きていると感じる」
「目に見えるもの全てが大きく感じる」


「さァ、何処へ行こうか」

「…何処・へ?」


「そう言えば、俺は何処へ征きたいんだ?」
「初めから、この世の果てまで知り尽くしているのに」


「初めから、」




「最後まで全ての時空が、見えているのに…」














「こんにちは」

初めて見た生き物は、黒い毛並みの猫だった。
それが猫ではない事など初めから判っていたけれど、驚いたのはそれではなかったのだ。


「どうしてお前が此処に居る?お前は地の底で、あの子の還りを待っている筈だ」
「引き篭もりの帝が寝惚けてる」

クスクスと、それは嗤った。
猫の姿で人の言葉を介す化け狸、けれどそれでも、生きている命と生きている体で会話をするのは、初めての事だったから。

どうして。
行きたい場所すら判らない癖に、この体をあの子に返してあげられなかったのだろう。









「ああ」
「駄目だ、死んではいけない」

「頼むから目を覚ましておくれ」
「あの子に会わせないまま死なれては、俺が嫌われてしまう」

通りゃんせ

「還ろう」
「あの子にこの体を返さないと」



「ああ…」



通りゃんせ
此処は何処の細道じゃ




「人の体では戻れないなんて、」



天神様、の。






「愚かな俺は、そんな事も知らなかったんだ…」










Will never ever unacceptable.
許されざる者の譚曲

Count minus infinity
涅槃寂静からの来訪












「もういいかい」
「うん、もういいよ」
「先にいなくなったから、まだ怒ってる?」
「いいや。もう一度会えたから、もうどうでも良いんだ」
「私にあるのは魂だけ」
「うん。俺にあるのも魂だけ…」
「肉体は腐り果て、因果と共に業を手放してしまった」
「うん。俺だけがみっともなく、何も捨てられなかったんだ」
「会いたくなかった」
「…」
「こんなに暗い所へ、辿り着いて欲しくなかった」
「…そうかい」

「それなのに、惨めに呼び続けたのは、私」

「聞こえていたよ。もういいかい、何一つ捨てられなかった俺が自己嫌悪で苦しんでいる間、隠れんぼしていたんだね」
「…」
「転生とは新しい人生ではあるけれど、前世の業が必ずしも繋がれる訳ではないと、賢いお前さんは知っていたんだ」
「…」
「だから俺は、お前さんの事を忘れてしまった。他の女を愛してしまった。そうして肉体を手放し死ぬ度に、お前さんの事を思い出すんだ。記憶とは魂に宿る。業とは魂を象る器の事。

 そしてそれは、生きている時には、目に見えない」









見えるかい。
空っぽな俺の体に、神が宿っているよ。

君が捨てた肉体は転生を繰り返したけれど、
君は体だけになってしまっても、

他の誰も愛さない様に、いつも獣の姿をしていたね。


「もういいかい」


それは君が俺に願う言葉だった。


「もういいかい」


俺を忘れて生まれ変わり、
新しい人生を手にしても良いかと。

君の魂は古びた愛を抱えたまま、泣いていたんだ。



それなのに俺は、
愚かで強欲で嫉妬深い惨めな雄だから、
何度生まれ変わり罪を犯しても、また。



死ねば君を思い出し、





君に会いたくて、輪廻の糸を手探るだろう。













「君の体は獣の姿で、俺の姿をした神様に感情を与えたんだ」
「…」
「見てごらん」
「…ごめんなさい」
「君の骸を抱えた無知な神様が、必死で此処へ戻ろうと足掻いているよ」
「ごめんなさい」
「俺はとても嫉妬深い男だから、君ではない君が俺じゃない俺に近づいた事が、どうしても許せないんだ」
「許して…」
「君は天真爛漫に神様を化かして、神様は愛情を知ってしまった。ほらご覧よ、お前さんを大切に抱き締めた俺の体が、今にも滅びようとしている」

ああ、愛とは何だった。
ああ、どうして愛の皮を剥ぐとすぐそこに、憎しみが潜んでいるのか。

「君が蒔いた種は、どんな芽を息吹かせるんだい?」

光と仏に祝福され生まれた筈なのに、私の魂に宿るものの何とどす黒く、ああ、醜い事か。
姿なき仏よ、太陽の国に住まう八百万の神よ。

「太陽の化身たる俺の居ない場所で咲く二葉は、一体、どんな花を咲かせると言うんだい?」

私は然れど、緋の系譜でしょうか?



「俺は神仏さえも、恨めしくてならない」

肉体を捨て去れば、こうも醜い本心があるばかりの、脆弱な魂でさえも。























「大空がリコールしたのは私の父がリストラされる前だったけど、子供だった私にはその辺が良く判ってなかったんだわ」

山田陽子は皆が落ち着いた頃合を見計らうと、中断していた話を再開させる。
被告の立場にある高野省吾は、この場で最も普通だと思っていた遠野秀隆にあっさりと裏切られた事もあり、山田大空に負けじと窶れていた。

(何で俺の裁判ゴッコで陽子の身の上話に突入するのか、マジで判んねぇっしょ)

省吾の心の声は尤もだったが、口に出さなければ意味はない。

「父…今はワラショクで顧問をやってる村井和彰は、辞表を提出する事になった十年前から本社直営の販売所で部長やってたんで、栄転に伴って家族で東京へ引っ越した。それから私達が住んでたのは、荒川だったんだわ。だから私、生まれた名古屋の記憶はないんです」
「陽子ちゃん…本当にごめん…僕が悪いんだよ…判ってる…だから無視しないでおくれよ…ぐすっ」

名古屋弁も喋れないし、と。他人事の様に呟いた陽子へ、嵯峨崎嶺一は未だにぶつぶつ何事かほざいている大空を横目に、揶揄めいた笑みを見せた。大空のこんなに弱った姿も初めて見たが、平凡な見た目に反して強かな陽子は、嶺一にとっては非常に面白い存在だ。

「あら、そう?陽子さん、端々に東海訛りを感じるわよ?」
「え、そう?初めて言われたんだわ」
「貴方みたいな女の子、私の母が生きてたら可愛がったわよぉ?強い女の子は、片っ端から手放しで褒める人だったから」
「レイ様のお母さんかー。会ってみたかったんだわー」
「俊江ちゃんに拍車を掛けた、根っからの女尊男卑な人で。イール…私の前の妻とは喧嘩しながら、何だかんだ宜しくやってたかしら」
「やっべー。姉御が私にどう言う評価下してんのか、微妙に気になってきたざます」

既に満場一致で『遠野俊江=バーサーカー』と言う認識だとは、流石の腐女子主婦も知らないらしい。
右席委員会バーサーカー会長以下、クレイジー副会長、アマゾネス剣士長、パッショネイト演技部長、現在のメンバーだけでも既に現役中央委員会を凌ぐキャラの濃さだ。

「っ、謝ってるじゃないか!それなのにペア宿泊券って何なんだい?!」
「何か学生時代に戻ったみたいだわさ。結婚してからリア友なんか一人もいなくて、双子を寮に入れたらママ友も出来ないんだもん」
「陽子!こら!俺の目を見てごらんよ!何処の男と宿泊するつもりだお前は!俺だよね?!蟹アレルギーで苦しむ俺を見て笑いたいんだろ?!そうだと言っておくれよ、お前さんのお茶目な性格は判ってるんだよ僕は!」
「座椅子は黙ってな、うっさいんだわ」

座椅子ならまだ良い。座布団でも良い。妻の足に踏まれるのであれば、ワラショク代表取締役社長に文句はなかった。大切にしている薄毛が益々量を減らそうとも、良くはないが、血を吐く勢いで我慢しよう。

「シャネルとイブサンローランとグッチとドルガバに加えて、広島県産岩牡蠣の食べ放題までぶっ込んでくるとは。流石は奥様、抜けまくる社長のヘアーに引き替え、全く抜け目がないですねぇ」
「何百万になるか経理に回さないと判らないとして、経費じゃ無理だな。自業自得だ榛原。良し、早い所ワラショクの利権を太陽坊ちゃんに移譲する準備を勧めましょう。異論はないですね、専務」
「誠に残念ですが、太陽坊ちゃんが初めて『小林』と仰ったその時から、私の第一優先は社長ではなく未来を担う若社長(仮)です。社長と太陽坊ちゃんが溺れているなら、私は涙を飲んで社長のご冥福をお祈りしますよ」

さらば山田大空。
勝手に葬儀費用の算出を始めた専務と常務に乾いた笑みを浮かべ、魔女に踏まれている男は天を仰いだ。
ああ、何て面白味がない天井だろう。シャンデリアがシャンシャンデリデリしているではないか。何を言っているか判らなくなってきた。増毛費用も経費では無理だ。宝くじデビューは近い。

「コイツ見てて、アンタ何にも感じない?言っとくけど大空の浮気は一回や二回じゃないんだわ、バレてるだけで50人超えてんだから」
「陽子っ!それ多分全部だと思うんだよねー!」
「だぁから、心底反省してるんだって!佳子が悩んでた理由が敬吾の事だけじゃなかったなんて、思いもしなかったんだよ。でも全部が全部、俺だけが悪いのか?!」
「姉ちゃんが耐えてる時に、前の女の娘から孫押しつけられて、幾ら寝耳に水だったからって実家の親に任せて仕事に逃げたのは、何処の誰?アンタ何もかんも後手後手じゃんよ、外面ばっか良くても中身は知れてるっつーんだわ!」

えげつない陽子の指摘に、省吾だけではなく遠野龍一郎までも背を正す。
この場ではまず間違いなく最も平凡な女の、だからこそ何の裏もない直情的なまでの正論に対しては、どれほど屁理屈を並べても意味がない様に思えた。

「自分の嫁一人幸せに出来ない雑魚が、言い訳するだけ惨めだと思わないの?!アンタの中でどんだけお綺麗な理由があろうと、事情を誰にも言ってないってんなら、そりゃアンタにしか通用しない言い訳だっつーの!芸術家って奴は揃いも揃ってほざくもんよ、考えるより感じろなんてね、笑わせんだわ。強がりと自己満足は同じもんだって、天才さんはそんな事も判んないんだわね!」
「うぐ」
「これだから日本の男はどいつもこいつも馬鹿だってんのよ!自分だけ傷ついてますぅ。自分だけ我慢してますぅ。そんな自分、ちょー男前ぇ。…どこまでナルシストだってんだわ!耐え忍ぶのが美徳なんてね、現代じゃ忍者にも通用しねーっての!」
「うう…っ」
「アンタがどんな演奏するかなんて私は知らないし、ぶっちゃけ音楽なんてドラマの主題歌くらいしか覚えないから知りたくもないんだけど!聴かせてやってると思ってんなら、考えを改めた方が良いんだわ!観客がいなきゃ、どんな天才だろうと虚しいオナニー野郎だっつーの、こんの童貞!」

旦那を文字通り尻に敷いた状態で、ドSを夫と息子に持つ平凡魔女は叫んだ。この場にいる主婦の中でも、恋愛経験が最も多いのが陽子だ。右席委員会のイケメン女達はどれもこれも旦那以外を知らないので、オタク主婦からも尊敬の眼差しが陽子に突き刺さる。
離れた所でポテチパーチー中だった少年らが数人瀕死寸前だが、熾烈を極める魔女裁判では死人の一人や二人、最早仕方ないのかも知れない。多少の犠牲はつきものだ。何せ被告人は産まれながらの苛めっ子体質、陪審員は魔女オールスターズだった。
山田裁判の時には高坂アリアドネが検事を務め、嵯峨崎クリスが弁護士を務めたが、その時には殊勝にしくしく泣き真似し『モテる夫に虐げられた妻』役を務め切った挙句、莫大な慰謝料をもぎ取った陽子こそ、高野裁判の検事だ。

正義は今、ドSの元にある。

「シューちゃん」
「何だ、シエ」
「流石にショーちんが可哀想になってきたざます。あ、今『鬼の目にも涙』って言ったヤクザは臓器洗って待ってろィ、売りさばく」
「テメェこそヤクザか…!」

立候補した訳でもないのに、暗黙の了解で裁判長に吊るし上げられた帝王院駿河は、手を組み凛々しい美貌を引き締めてはいるが、その虚ろな眼差しは此処ではない何処かを見つめている。人生で浮気など一度も考えた事がない帝王院財閥当主は、先代の帝王院鳳凰から現在に至るまで、嫁以外に発情した事がない。
祖父と父に祟った血を受け継いでいる癖に、ワラショク社長に匹敵するほど遊んでいた帝王院秀皇は、『過去はバレなきゃなかった事になる』と言う自論をゴリ押ししているが、浮気など考えた事もなく、万一そんな真似をしたら『多分殺されるだろう』と理解している。
鳳凰や駿河の妻は奥ゆかしいお嬢さんであるが、秀皇の妻は魔女から胸を削ぎ取り魔力の代わりに腕力を与えた、女体の鬼だ。

「何とでもほざけ、おまわりィ。ヤクザが無様に拉致られやがって、テメェの股ぐらにゃチンコぶら下がってんだろうがコラァ」
「ぎゃ!テメ、握んな糞ババア!」
「成程理解した。シエ、俺に高坂向日葵を殺せと言う事か」
「あちゃー、シューちゃんが怒ってますょ」
「あちゃー、じゃねぇ!おい、何処に逃げるつもりだトシ!」
「面映ゆい、ブラック企業で虐げられているサラリーマンを嫉妬で狂わせるとどうなるか、懇切丁寧に教えてくれる」

優れた主婦は、生きた鶏や魚を自ら捌くと言う。
優れた鬼主婦は、この上で真顔で人体を捌くスキルまで手にしてしまった。悪いのは遠野俊江に医師免許を与えた国だろうか、人類に紛れた鬼をハントし切れなかった鬼ハンターか。吸血鬼は銀のナイフで殺せるそうだが、俊江の武器は銀のメスだ。
人の命は救うが組長のタマなど知った事ではないと、オタクの母は、旦那が麗しい笑顔でヤクザの脇腹にボディーブローを決めるのを見守った。

「ふぅ。全く、親子揃ってワンパクなんだからァ。シューちゃん、瓦20枚割っちゃう腕力で手加減しなかったら、死ぬわょ?」
「おい、しっかりするんだひま!おのれ秀隆、貴様は私からシェリーを奪っただけでは物足りず、ひままで奪うつもりか…!」
「現実を見ろ男女、シエに汚物を握らせたのはお前の亭主だ。寝言は雪崩で根こそぎ削られた雪山じみた胸板に、少しは女らしい肉をつけてから宣うが良い」
「…っ。ち、乳の重さで人の価値が計れるものか!差別意識は時代錯誤の象徴と知れ、痴れ者が!」

高度なイケメン同士による、低レベルな口喧嘩が始まる。片方はイケメンだが女性である事を記しておこう。
己の妻こそ断崖絶壁の様な貧乳の癖に、勝ち誇った表情で吐き捨てた秀隆とクリスに身長差はほぼない。女性らしい輪郭を描くワンピースで身を包むモデル顔負けの美女は、然し剣道師範の腕前を持つ、4区で一番のイケメン剣士と名高い。片や、執務室だけが丸ごと消えている校舎最上階のリネン室で、クリーニング済みの制服を失敬したサラリーマンは今、息子より若く見える美貌を遺憾なく発揮し、高校生にしか見えない有様だった。

「ふ。だったらさっき、口籠ったお前がオオゾラの奥さんを見たのは何故だ?」
「く…!」
「お前の様な胸を洗濯板と言うらしいが、洗濯板には汚れを落とす為の波線が刻まれている。あの形が、痩せた体躯に浮かぶ肋骨の形に似ている事からスレンダーの代名詞でもあるのは知っているか。お前みたいに無駄な筋肉だらけのゴリラが女性の振りをするのは百年早い、イギリスに帰って受精卵からやり直せ、人生を」
「こ、この、言わせておけば…!」
「そして次はシエに関わり合わない様に息を潜めて生きろ。気安く俺のシエに近寄るな。恋するな。良いか、高が公爵風情がシエを想う俺の愛に適うと思うなよ」
「ヴィーゼンバーグは私とは無関係だと言っている!いつまでもくどいぞ秀隆、私が公爵なら貴様は帝王院だろう!何故安月給に甘んじ、シェリーに苦労ばかり掛けている?!」

その妻は中学生にしか見えない有様だが、170cmオーバーの二人に挟まれ、150cmあるかないか怪しい体で、一生懸命爪先立ちしている。銃撃戦の様な口論に口を挟める者はなく、組長は脇腹を押さえ崩れ落ちたまま、小刻みに震えていた。彼の復活にはもう少し時間が必要らしい。

「仕方ないだろうが!目を輝かせて『お金がなくても愛があるから大丈夫』だの『狭いボロアパートでくっついて生活』だの言われて、俺に断る理由があると思うのか?!」
「喧しい、恥を知れ!貴様は大学の費用もシェリーに甘えていたんだろう?!私が知らないとでも思っているのか!」
「世間知らずは黙っていろ。満点以外取った事がない俺に奨学金を出さない大学はない所か、半年で卒業証書を渡され、他の大学に変わってくれと学長から泣きつかれた」
「忌々しい…!何故貴様なんかが優秀なのか、私には理解出来ん!」
「は。在学時代は中央委員会会長だったが、今はこの通り右席委員会副会長だ。気軽に跪き、深々と平伏し崇める様に『副会長様』と呼ぶ許可をやろう」

怒りで真っ赤に染まる『剣士長』が、荒れ狂う感情を必死で日本語へ変換している中、余りにも大人げない秀隆に、ほぼ全ての人間の視線が注がれた。よちよちと極妻の背中を撫でてやった鬼嫁は、めっと旦那を軽く叱ったが、まるで効果がない。

「シエ、そのゴリ…男女を甘やかさない方が良い。俺の愛は、初めての夜で俊を孕ませる程だ。あ、いや、夕方だったか?」
「シューちゃん」

にっこり。
微笑んだ男子中学生にしか見えないアラフォーは、ブレザーのポケットから取り出したボールペンを目にも止まらない早さで投げる。

「ちょっと、そこのケバいお姉ちゃん。ステルシリーソーシャルプラネット、セントラルゾディアク対空管制部のマスター、通称ランクAだったわねィ?」

つぅっと、縛られている女の頬を、一筋の血が滴り落ちた。

「隠れてる左手、何か持ってんでしょ?下手な真似すると、ぶっ殺すわょ?」
「っ!」
「あーた、ルーク側の人間だったわねィ。くぇっくぇっ、ほんと、おあつらえ向きってのはこの事だぜ」

ゆったりと近寄り、簀巻きにされている人質達を見下ろしたまま屈み込んだ意思の強い双眸は、異国人の前で微笑んだ。

「…大丈夫、私はお宅らの味方ょ?ちゃーんと、イイ子にしてたらねィ」

そして彼らにしか聞こえない声音で囁くと、縄を切ろうと隠し持ってきたらしい小さなナイフを取り上げたのだ。

「はい、じゃ、ショーンは奥さんに泣いて謝って、それでも許して貰えなかったら離婚届で鼻かんで、さっきおっぱい星人…じゃなかった、ヨーコたんが言ってた『ケーコの秘密』を逆手に取って脅しなさい」
「…はぁ?!脅せって、そりゃ逆効果だろ?!」
「はァ?綺麗事ほざける立場じゃないでしょ、あーた。逃げられるのが嫌なら逃げらんない様に捕まえとかなきゃ。幸せの為なら、道徳だとか倫理だとかに惑わされてちゃおしまいょ。どんな手を使ってもイイに決まってら」

スパーン!
竹を粉砕する様な潔い発言に、冬月兄弟だけが真顔で頷いた。
然し、その他の大多数は何とも言えない表情で沈黙している。コンソメポテチにクリームチーズを塗りまくり、優雅に食しているキング=ノヴァ=グレアムだけは、きょとりと可愛らしげに首を傾げたのだ。

「ならば私が、カイルークの爵位を俊になすりつけたいと言っても、そなたは構わんと言うのか?」
「おっけーょ」
「シェリー!それは幾ら何でもっ」
「あのさァ、アリィ。油断した訳でもないおまわりが、たった一人相手に無抵抗で脇パン喰らったのょ?ま、シューちゃんは私より強いからしょーがないんだけどねィ」

困った様に笑いながら、俊江は『でもね』と呟いた。

「うちの馬鹿息子は、産まれた時からシューちゃんに負けた事がないのょ。私にはシューちゃんの催眠術なんて全然効かないのに、じゃ、私は何で記憶喪失なんかになっちまったんでしょ?」
「シェリー、君は何を言っているんだ?」
「アリィ。あたしねィ、嬉しかったのょ」

陽子を見つめたまま、にっこりと微笑んだ俊江の笑顔は不気味の一言に尽きる。ノーメイクだと息子の目付きにそっくりだからだが、遠野俊の笑顔に至っては、評判は悪くない。逆に神が降臨したとまで噂される程だ。

「ヨーコたんが言ったじゃない。学生時代に戻ったみたい、って」
「ああ。実は、私もそんな気がしていたんだ」
「あはん。…残念、私だけ良く判んないのよねィ」

笑いながら零れ落ちた台詞の意味を、誰が理解しただろう。

「学生時代は周囲と自分が違い過ぎて、友達なんて一人も出来なかったのょ」
「シェリー、それは…」
「留学したって、アリィ以外には誰も近寄って来ないんだもの。近寄ってくる男は日本にいても海外にいても、喧嘩売ってくる奴ばっか。近寄ってくる女は男より強いってだけで好きだの言ってくるけど、本気にした事なんかないのょ」
「…」
「ね、クリス」
「何かしら?」
「貴方は本当に一人ぼっちだった?レイ様と出会うまで、本当の本当に、一人ぼっちだった?私みたいに、大勢の人間と一緒に居たって見えるもの全部灰色に見えるくらい、寂しいんだって事にも気づかなかったくらい、本当に一人ぼっちだったの?」

口篭る顔を見つめ、観察する様な静かな眼差しを一度閉じると、遠野を名乗る冬月の娘は肩を竦めたのだ。

「高野佳子はきっとそうなのょ。家族と居る時だって、彼女から見る世界は多分、灰色なの。だって誰も『貴方は一人ぼっちじゃない』って、言ってあげないんだもの」

正座したまま、目を丸めた男だけが肩から力を抜いた気がする。寝起きの幼子の様に無垢な表情で俊江を見上げ、瞬き一つしないままに。

「自分の子供なのに好きな男の子供じゃない、本当に佳子さんがそう思い込んでるんだとしたら。喧嘩したくないからなんてほざいて、実際は自己保身に走ってるだけの夫が妻と話し合う事から逃げ続けて、それで可哀想なのは、本当にアンタ達夫婦のどっちかなの?」
「………違う、健吾だ」
「ほーら、気づくのが遅いわねィ。これだから、傷つく前に傷つけようとする何処にでもいる凡人は、苦手なんざます」

その言葉は怜悧な刃物の如く、一切の否定を許さない残酷さを以て、


「だからあーた、俊に父親の役目を取られちゃうのよ」

断罪の狼煙を上げたのだろうか。

←いやん(*)(#)ばかん→
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