帝王院高等学校
裁判が円満に終わるとは限りません!
「ごちゃごちゃ言ってばっかで、反省が見えないんだわ。アンタ、本当に悪いと思ってんの?」

髪の毛が何本か減った様に見えるゲッソリ気味の山田大空を正座させ、その膝の上にドカッと細い足を乗せた女は腕を組み、そのたわわな胸を腕で持ち上げると、吊り気味のアーモンドアイを眇めた。

「…僕の裁判は一分で終身刑が決まったのに、高野さんだけ最高裁に突入ってさ、どう言う事かなー?僕の控訴は却下されたよね?蟹の食べ放題つきリゾートホテルペア宿泊券なんて、僕と行かないなら誰と行くんだいって話だろう」
「知ってると思うけど、佳子姉ちゃんは結構なお嬢さんなんだわ。うちの祖父方の親戚なんだけど、私の祖父と前の奥さんとの間の子供が、佳子姉ちゃんの親なの」
「聞いてるのかい陽子、そりゃ僕がお前さんを裏切る様な真似をしたのは認めるよ、ああ認めるとも、本当にすいませんでした!もう二度としません!」
「私の母親の義兄って事になるんだわ。だから私と佳子姉ちゃんは従姉妹なんだけど、うちは両親が随分前に離婚してて私は父子家庭で育ったから、それほど付き合いはなかったのよ」

山田陽子の優しさなど、度重なる夫の浮気でとっくに消えている。
奥ゆかしい文通から始まった恋愛結婚であろうと、入籍前に妊娠し殆ど新婚生活などないまま必死で双子を育てていた陽子を、どんな理由だろうと裏切り続けたのはハゲ…ではなく、大空被告である。ハゲ…ではなくワラショク薄毛社長には既に終身刑が言い渡されているが、頑なに離婚はしないと宣うのだから、致し方ない話だ。
ワラショク社長裁判では原告だった陽子は、世界的指揮者裁判では役目を変えている。太股の自傷傷が開き、遠野俊江に笑顔で『今度開いたら縫わないでアイロンで焼く』と笑顔で脅された平凡主婦は、終身刑を突きつけられた夫を座椅子代わりに、この場で誰よりも横柄な態度を崩さない。

「母さんの義兄は一代で不動産業界に突っ込んでって、そこそこ成功したんだわ。名古屋じゃ古株の方に入るってんだから、嵯峨崎さんは知ってるかもね」
「あら、それじゃアンタの出身って名古屋なの?」
「ま、産まれたのはそうらしいですけど」
「貴方のお父様は確か、羽柴の…」
「今の羽柴ホールディングスに変わる前、YMDに務めてた父さんがリストラされたのは私が中学に上がる頃だった」

嵯峨崎嶺一を真っ直ぐ見つめたまま、クイッと親指を背後の旦那に突き刺した陽子は、ついでの様に『それからすぐにコイツが実の親を罷免したんで』と、真顔で宣った。それだけ聞けば血も涙もない息子の様だが、実際、今は大空が泣きべそをかいている。

「榛原社長が辞めるってなって、YMD時代の株主が殆ど逃げちゃったものねぇ。今となっちゃ、ホールディングスってのは苦肉の策だったと思うわよ。自社の株を買い戻すんだから」
「親父、YMDを乗っ取ったのは今の会長だろ?当時榛原社長より若かったろうに、良くそんだけの資金掻き集められたよなぁ」
「黒幕は相談役の形に納まった、実質会長同等のもう一人の羽柴よ。あそこは親子揃って女癖が悪くて、山田大志会長の義弟だった男は羽柴建設に婿入りした後も、山田会長の遺産を虎視眈々と狙ってたって話よ。仕事は出来る男みたいだけど経営手腕がなくて、羽柴建設が倒産寸前に陥った時に山田会長が手を貸したって、有名な話があるの」
「ふーん。で、甥っ子は家を継がずにYMDに入社したってのか」
「甘いわね、ゼロ。アンタ、それで本当に私の息子?」
「あ?」
「山田会長はそんなに生温い男じゃないわ。それこそ、通り名が『太閤』だったって言われてる程の人格者よ」

零人を鼻で笑った嶺一は、苦笑いしている帝王院駿河を見やる。

「大殿」
「やめよ嶺一、教え子にそう呼ばれるては、何とも言えん」
「では学園長。彼の太閤を以てして、緋の王と呼ばれた貴方なら、山田会長に面識はおありでしょう?」
「あの方からそう讃えられたのは私ではなく、我が父、鳳凰だ。二人は同年代で、…此処だけの話、大学の同期だった」

初耳だと、皆の目が駿河に突き刺さる中、自分の祖父の話なのに全く興味がないワラショク社長だけは、未だ愚痴愚痴ネチネチ何事か呟いては、陽子からあちらこちら抓られている。

「山田会長は大層貧しい家庭で育ったと聞くが、戦争で父を亡くし母親と兄弟は親戚の家に後妻に入り、余り言いたくはないが、小間使い同然の扱いを受けた。ご本人から伺った話ではないので、信じるか信じないは皆に委ねよう」
「学園長、誰にンな話聞いたんスか?」
「お前の祖父、陽炎小父だ。零人には記憶はないだろうが、そうだな、顔は嶺一にそっくりだった。化粧がない時だけだがな」
「やだわ学園長、父の話を誰かから聞くのは久し振りです…」

目頭を指で押えた嶺一に零人は肩を竦め、『カマがカマトト振ってやがる』と呟いて光の速さで殴られた。嶺一の喧嘩の強さは佑壱も認める所なので、その拳骨の痛さはボスワンコとほぼ変わらないと思われる。
総重量15kgの重りを忍ばせているチャイナドレスと片足5kgのピンヒールを履いているのだから、生活しているだけでもトレーニング同然だ。嵯峨崎の家訓は『弱肉強食』なので、嶺一を子供の頃から鍛えていたと言う零人の祖母も、魔女だったに違いない。と、零人は考える。幼い頃に亡くなった祖母の記憶も、そう多くはない。

「誰にも頼らず、いや…頼れず、か。山田会長が17歳の時に義父を亡くした一家は、集団疎開で静岡へ流れ着いた。2次大戦に突入した頃で、義父の子供の面倒も見ていたお母様は、女手一つで随分働いたそうだ。山田会長も同じ様に働いていたそうだが、その職場の経営者に聡明さを見込まれ、大学へ通えと助言されたらしい」

山田大志は断ったが、子供がいなかった経営者に跡取りになって貰いたいと頼み込まれ、資金提供を受けて大学へ進学する事になる。実に二十歳の時の話だそうだ。

「我が父鳳凰は24歳で、年頃が近かった二人が親しくなったのは、卒業前だったと聞いている。帝王院財閥の嫡男にそれまで何ら接点がなかった山田会長が、学業に専念していたのは明白。それまで父に近づく人間の大半は、何らかの下心がある人間ばかりだった」

例外はお前の義父だろう、と。
駿河は遠野龍一郎へ笑い掛け、ミスターナルシスト日本一の遠野夜刀を義父に持つ男は、眉間に皺を刻む。今にも人殺しをしそうな表情だ。

「だが、卒業を待たず山田会長を支えてくれていたスポンサーの会社は、惜しくも戦火の犠牲になった。今から90年程、昔の話だ」

その後どんな経緯を経たのか、関西へ流れ着いた山田大志は起業し、ほんの数年で日本に轟くまでの会社へと成長させる。兄弟全員を学校へ通わせ、当時女性の進学や就職が重要視されていなかった時代に、秘書だった人を妻に迎えた。
一人娘にも学業の大切さを教え、嫁いだ後に実家へ戻ると、働かざる者食うべからずの家訓に従い、自分の部下として会社に招いたのだ。

「彼は損得勘定が早い男だった。ふふ、本当なら絹江お嬢さんを、鳳凰公に嫁がせたかったのではないですか?」
「美空は私の幾つか年上だぞ、嶺一。絹江殿はご存命であれば、90歳ほどか」
「榛原晴空様は、娘が産まれた時に大層喜ばれたそうですね?父から聞いた話だと、灰原は…嫡男に力で押し負けると、降格しなければならない、と…」
「榛原は当主以外が『灰』と化す。それを惨いと思うかは、弱き者の一切を認めない雲隠の子孫のお前の裁量に任せておこう」
「あらやだ、ふふ。嵯峨崎の家訓も同様ですので、私は雲隠だけを特別扱いは致しませんわ、学園長」

くねっと腰をくねらせた嶺一に零人が唾を吐いたが、今度は飛んできた拳骨を辛うじて避けた。年齢的な問題かも知れないが、嶺一は佑壱より動きが遅い。当たらなければどんな拳骨も、恐れるに足らずだ。

「結局、YMDを作り上げた山田会長は、身内だろうと贔屓はしないって話だろ?幾ら羽柴が身内でも、使えねぇ駒なら金は出さねぇっつー事か」
「手厳しいと思うだろうが、その通りだ。経営とは慈善事業では賄えない、時に非情さが求められる。それは、この帝王院駿河にも当て嵌る事実」
「学園長の仰る通り、我らステルスはまだ酷い真似をしている事だろう」

終始にこやかに陽子の一挙手一投足を眺めていた男が、口を開いた。エメラルドの瞳を細め、大空の脇腹や太股や二の腕など柔らかい所ばかりをつねつね抓っている陽子に、亡き妻の面影を見ているのだろうか。ドイツの魔王と畏れられた元伯爵は、保険医がどん引きしている事にも気づかず、微笑みを絶やさない。

「単純な話なのだよ、烈火の君。羽柴を招き入れてしまった山田会長に非がないと言う事は、羽柴にクーデターの隙を与えてしまった、榛原優大に責任があるだけの事」
「師君の言い分は尤もだが、何をにやにやしておるか。気色悪いぞネルヴァ」
「…ん?何か言ったかねシリウス」
「己の娘と変わらん年頃の女性を、その様にやに下がった面でじろじろ見るでない。その様な真似をするから、儂らは加賀城に嫌われておるのだぞ」

ドキッと胸を弾ませた加賀城敏史はわざとらしくそっぽ向いたが、冬月龍人を嫌う理由など見た目以外にはなかった。だってどう見ても年上には見えないんだもの、息子より若く見えるんだもの。敏史、困っちゃう。
苦手な人間とは目も合わせられないチキンな性分は、孫の獅楼にも遺伝している。然し孫の昌人は誰に似たのか、考えられないほど天然ちゃんだった。正月にお年玉をやるから遊びに来いと飛行機のチケットを送っても、

『駄目なんだ、じー様!沖縄には、沖縄には、シーサーがいるから!』
『どう言う事なんだ昌人、儂にも判る様に話してくれんか』
『ソーキ蕎麦は美味しいけど、あれってシーサーのお肉なんだよ!俺、今までずっと知らなくて麺だけ残してお肉ばっか食べてたから、シーサーに祟られてるんだ!だからごめん、イベリコさんが作ってくれた豚汁も好きだけど、味噌汁は汁だから…!ごめん、じー様!昌人はもう二度と海を渡りません、バスケが好きだからっ!』
『何じゃと?!ちょっと落ち着きなさい昌人、おい、昌人ぉおおお?!』

と言う、最早理解の範疇を三段跳びで超えている会話で断られるので、この数年は昌人に会っていない。折角東京へやって来たと言うのに、新刊祭を楽しみまくっている昌人は寮に戻っておらず、目撃情報では昨夜遅くまで部活棟周辺でバーベキューをしていたそうだ。以降の目撃情報は入っていない。
退院する覚悟を決めた駿河を出迎え、ちょろっと相談した所、神妙な面持ちで駿河は言った。

『昌人は恐らく、我が母に似たのかも知れん』
『何と。舞子様にですと?』
『己の義姉に敬称をつけずとも良い。本家は途絶えたが、瑞稀小父殿は正式に兄上を宗家へ招いたのだろう?』
『…儂などに兄と言って下さいますな、大殿。龍一郎兄の様にお傍でお仕え出来なかった我が身を、どれほど悔やんできたか知れません』
『それもこれも、鳳凰の恨みが招いたもの。若い頃は私も加賀城には思う所はあったが、過去の話だ。恨み続けるにはもう、互いに老いたからな』
『…』
『俊が獅楼を弟の様に可愛がっていると聞いて、己の浅ましさを痛感している。我が孫は我らの遺恨を、その身一つで容易く掻き決してしまったのだ』

例えばそう、敏史が幾らグレアムを恨んだ所で、ファースト=グレアムを嫌うには血が邪魔をした。帝王院鳳凰が空蝉の解散を命じても、雲隠の双子だけは死ぬまで傍で支え続けたと言う。
榛原晴空は隠居したが、現在は藤倉カミューが改装した学園の外れにある屋敷で、娘夫婦と生活しながらも鳳凰が傍を離れなかった。
小林刹那は明神の全てに自由を申し渡したが、それでも死ぬまで帝王院財閥に忠誠を誓い続けた。空蝉の解散後に財閥の経営に残ったのは明神だけで、世間では、明神以外の皇は鳳凰を裏切ったかの様に噂している。

加賀城が起こした事件は表沙汰にはならず、帝王院舞子は病死として扱われ、加賀城瑞穂は事故と自殺のどちらか、40年が過ぎた今でも不明のままだ。
然し加賀城宗家は誰一人として『天神の怒り』を疑わず、故郷を捨てて南へ下った。まるで仏の怒りから逃れるかの様に、当時日本領ではなかった琉球の地へ。

以降、山梨に残っていた加賀城分家から、昌人が帝王院学園に合格するまで、実に30年以上も加賀城と帝王院の交流は途絶えた。
報せを聞いた敏史は何かの間違いだろうと、恥を忍んで駿河へ連絡を入れ、昌人の合格が真実だと知ったのだ。
そして、数年前に秀皇が失踪した事、彼と異国の女との間に産まれた子供がアメリカへ渡った事、様々な話をその時に初めて知る事となる。

度重なる心労で駿河の体調が思わしくない事も聞き及んだが、敏史には加賀城財閥会長としての立場があった為、そう自由には動けなかった。
嵯峨崎可憐の憎悪にも等しい怒りを買っていた為に、加賀城名義では飛行機に乗る事も出来ない。元々華族の流れを汲む嵯峨崎は結構な家柄で、没落同然の憂き目にも遭ったが、可憐が持ち直した事もあり、経済界で彼女を知らぬ者はない程だ。死ぬまで女帝と呼ばれた女が、忠誠を誓ったのは舞子ただ一人。舞子の死の真実を知っていながら、鳳凰の命令で加賀城への報復を諦めざるえなかった可憐の怒りは、全航空会社に知らしめられる事となる。

『天に背いた愚かな加賀城宗家に、再び都の土を踏ませてなるものか。貴様らが名古屋を越えるのであれば、死を覚悟せよ』

加賀城瑞穂の実兄である瑞稀の元に、可憐から届いた彼女の血で書かれた手紙は、今は敏史が持っていた。宗家とは縁がない分家を可憐が呪う事はなかったが、瑞穂と彼女の娘の瑠璃子への憎悪は計り知れないものがあっただろう。
瑞穂と同じく、無残な姿で発見された瑠璃子は然し、奇跡的に一命を取り留めていた。けれど目覚めた時、彼女には記憶がなく、常に何かに怯えている様だったそうだ。

瑞稀は瑠璃子を匿い、精神的に安定した頃合いを見て、彼女を嫁がせた。瑞穂にはもう一人、智子と言う娘がいたが、そちらは結婚前に産まれた娘だった為に養女に出されている。

「何も、ステルシリーやYMDだけではないわ。清らかな心根だけでは、決して守り切れないものは、ごまんとあろう…」

呟いた敏史は一度苦々しげに眉を寄せると、軽く頭を下げた。

「儂がキングを恨んでおる事に未だ変わりはないが、儂が大殿のお傍に居られなかった間、大殿の世話をなされた龍一郎兄に感謝こそあれ、恨みは一つとしてない。有り難い事に、息子は嵯峨崎会長のご慈悲を得た」
「待って下さい加賀城様、慈悲だなんて。母はああ言う性分の人でしたけれど、私だって貴方には何の恨みもありません」

心から申し訳なさげに嶺一を見やった敏史へ、当の嶺一は慌てて頭を振る。
嵯峨崎陽炎は帝王院鳳凰、嵯峨崎可憐は帝王院舞子、夫婦揃って帝王院に忠誠を誓っていたにも関わらず、父である陽炎の死を切っ掛けに海外へ逃げたのは嶺一だ。
自分は父親の浮気で産まれた子供なのだと言う負い目から、可憐の跡を継ぐ事を嫌った嶺一は結果的に、幼い頃からの夢だったパイロットの道を選んだ。

「母も母でしたが、父も…随分変わった男でした。もっと早くに母の葛藤を知っていたら、私の人生は変わっていたかも知れません」

けれど間もなくステルシリーへスカウトされ、第二の父と呼んだレイリー=アシュレイから、嶺一の出生の秘密を知らされる事になる。死んだ父親にミラージュと言うステルシリーコードがあった事も、そこで初めて知ったのだ。

「でもそれだと、クリスとは出会えなかった。だから私は自分の人生を後悔していません。…学園長には申し訳ないんですが」
「はは。やめなさい、嶺一。子供が気を遣うでない。教え子とは我が息子も同然、お前が幸せと言うなら、喜ばしい事だ」

ステルシリーから反逆者の烙印を捺され、押しつけられる様にエアリアス=アシュレイと日本で結婚した嶺一は、彼女が望むまま体外受精で零人を授かった。けれど最後まで葛藤した嶺一は、可憐には絶対に相談出来ないと思い悩む。
陽炎は可憐の卵子を使い、ステルシリーの技術で嶺一を作ったけれど、嶺一は妻に別の女の子供を産ませようとしている、どう言葉を取り繕っても、それ以外の真実は語れない。

「夫婦にだって、あるのは綺麗事ばかりじゃない。山田が父親をリコールしたのだって、そうしなきゃ羽柴が乗っ取る前に会社が潰れてたからよ」

嶺一が母親へ言おうか悩んでいた陽炎の浮気の真実も、天真爛漫なエアリアスは下手な日本語で可憐に教えてしまった。久し振りに目を吊り上げた母親から名前を呼ばれた時、嶺一は殺されるのではないかと思った程だ。
そして初めて母親に抱き締められ、彼女らしからぬ豪快な泣き声を聞きながら、何度も何度も謝罪の言葉を聞いたのである。

「嶺一の言う通り、大空の判断が間違っていたとは私も思わない。榛原殿には冷たい言い方になるかも判らんが、当時の社員数を鑑みても、あのままでは何千人が路頭に迷ったか」
「遅過ぎたリストラ勧告でしたもの。榛原社長はお優しい方だと思いますが、同じ経営者の側から言えば、彼は経営者には向いてらっしゃいません」

嶺一の台詞に高坂向日葵が苦笑いを零す。
今でこそオカマの真似事をしているが、元々の嵯峨崎嶺一は傍若無人を絵に書いた様な男だ。然し頭が良く、誰を相手にしても贔屓をしないので人望もある。何しろ喧嘩が強かった。幼い頃、『鬼と言えばトシ、魔王と言えば小林守矢』と思っていた程度には、小林守矢のおぞましさは忘れられない。
初等部の活動範囲内で、平気な顔で食堂のパートのおばさんとにゃんにゃんしている所を見た時、生まれついての猫好きがワンワン言いそうになった程だ。

あの男が風紀委員長だったのだから、学園はおしまいだと向日葵は思った。
然し、生徒らが怯える魔王に唯一怯まず、顔を合わせる度に『寄るな淫乱』だの『性病眼鏡』だの罵った嶺一は、向日葵の中では尊敬する男の部類に入っている。

許せないのは単に、何故オカマ化したのか。その一点だ。
それがなかったら文句のない大先輩だった。絶対に言わないが、昔の嵯峨崎嶺一と言えば、見事に格好良かったのに。何処で間違ったのか。息子達はそこそこ男前に育っている様だが、長男は今一つ威圧感に欠けている。逆らう者は全て、獲物を狙う狼の様な目で刈り取った『紅狼の君』と言えば、向日葵世代の伝説だ。

「…その点、次男の方は威勢は良さそうだが、男の癖に長髪っつーのが頂けねぇ」
「はァ?おまわり、何ぶつぶつほざいてんの?」
「トシ、お前は嵯峨崎の次男坊を知ってんだろう?」
「それが何ざます?あはん、嫁か。今から嫁いびりかクソヤクザめェ、抜け駆けさせて堪るかボケ。イチきゅんは俊の嫁にするんだからァ」
「何の話だ」
「シエ、俺としては孫の顔が見たい」
「シエちゃん、パパスとしても曾孫の顔は見たいぞ。出来れば五人は欲しい」

弟なら既に嫁いでいる、とは、流石の零人も言わなかった。カルマ夫婦の話は有名だ。
真面目な話をしている筈なのに、遠野夫妻の心配事がアレ過ぎて、凛々しい駿河の眉もへにょりと垂れ下がる。

「やーね、そんくらい私がぱぱっと産んであげるわょ!」
「おお、シエちゃん!」
「トシの年齢じゃ流石に無理だろ…」
「上等だオッサンヤクザ、表に出やがるざます」
「退いて下さい、俊江さん」

ゴキッと言う音が響き、凄まじい威圧感がホールを包んだ。

「俺の奥さんに無礼な真似をする人間は例え親だろうと、殺す」
「ちょ、待ちなさい皇子!っ」

何と言う事だろう。
向日葵が知る中で最も強いと思っていた嶺一が、向日葵の目の前で軽々しく吹き飛んだのだ。ポカンと目を丸めた組長は、見たくもないオカマのパンツを見つめ動きを止め、恐ろしい顔で近づいてくる後輩には、注意が向かない。

「シューちゃん、おいたが過ぎると怒るわょ?」
「コイツは俺の俊江さんを馬鹿にした」
「パパ、俊にチクるわょ?」
「…待ってくれママ、俺はまだ死にたくない」

今にも日本中のヤクザを消し去りそうだったサラリーマンは、へにょりと肩を落とす。俊の両親の一挙手一投足を凝視しているヤンキー達も、秀皇の台詞に目を丸めたのだ。

「ヨーコたん、そんなに抓ると、ピロキきゅんのほっぺが取れちゃうわょ?」
「シーザーの強さの秘密は遠野課長が関わってるんですね!そうに違いないんだわ!きゃっはー!でかした太陽!シーザー…俊様と友達になるなんて、なんて母親思いの息子かしら!」
「あたた、ちょ、もしかして陽子、お前さんは俊君を狙ってるのかい?!ちょ、俊君はアキちゃんと同じ15歳だよ?!判ってるよねー?!」
「フェニックスの胸板もやばかったけど、カナメ様の喉仏もやばかったんだわー!ハヤトは背が高すぎて抱きついたら腰に顔が当たりそうだったから諦めたけど、シーザーはアンタ、私の手にこうやって!こうやってキスを…っ、きゃっはー!抱いてぇえええ!!!」
「陽子ぉおおお?!」

全然判っていない平凡魔女はきゃっはー中なので、旦那の叫びなど聞いちゃいねぇ。誰もが凍りつく中、頬を染めて『年なんて関係ない』などとほざいた山田陽子の目は、正にハンターだった。暇さえあればモンスターをハントしまくる山田太陽に、余りにもそっくりな目だ。

「しゅ、俊はモテる子だな…?然しまだ結婚出来る年齢ではない。神威は18歳だが俊は15歳だ。いやだからと言って神威をお婿にやるのはまだ早いと思うが、加賀城翁、私はどうするべきなんだ?龍一郎、どうしよう!」
「…大殿。獅楼の名前が出なくて良かったのか儂には判りませんが、宮様には好いた相手とご結婚して貰いたいと願っております」
「貴様、俊やノアにコブつきの女を充てがえと宣うか?如何に大殿だろうと、斯様に馬鹿な真似は許さんぞ愚か者が」
「儂の可愛い隼人に抱きつくつもりだったのか、何と言う女だ。肉食にも程がある」

ジジイ共は肉食平凡魔女から距離を取った。全く動かないのは、ポテチパーチー中の理事長だけだ。

「僕と別れて俊君と再婚するつもりなら、よーく考えてごらんよ!それじゃ俊君が太陽と夕陽の義父になるだろ?!」
「俊江先生!うちの太陽を差し上げますから、お宅の俊様を下さい!」
「はい?確かにうちの馬鹿息子はオタクだけど、お宅の太陽君には会った事がないのよねィ、多分。シューちゃん、ヨーコたんの息子ってどんな子?」
「素朴な子だけど、性格はオオゾラより和彰さんに似ている気がする。村井部長、覚えてるか?」
「あァ、専務と同じくらい良くお電話くれたわよねィ。新商品の企画会議中だとか、シューちゃんが迷子になった時だとかァ」
「俊江奥様、その説はご迷惑をお掛けしました」
「皇子の方向音痴は秀隆のキャラクターをコピーしたからだと言い張ってますけど、昔から方向感覚がなかったですよねぇ。ああ、そう言えば私のゴミ以下の父親も方向音痴だったと聞いていますから、天神の狗たる皇にはなれなかった愚かしい十口の持病かも知れません」

にっこり。
ワラショク専務には血も涙もない。一デシリットルもない。例え秀皇が帝王院の嫡男だろうと、尊敬する価値がなければゴミ同然なのだ。

「ですがご安心下さい俊江奥様、陽子奥様。この小林、若様方に父親と同じ轍は踏ませません。クリアした後でも、同じゲームを大切に遊んでいらっしゃる一途な太陽坊ちゃんも、自分の事しか考えていない皇子から産まれたとは思えないほど身内思いでいらっしゃる俊の宮様も、この小林の大切な宝物でございます。口惜しい事に叶二葉なる邪魔者が太陽坊ちゃんの友人を語ったそうですが、所詮首席ではない男など私の従弟とは認められませんね」
「…守義さん、その判断だと叶冬臣なら認める事になるんじゃないか?在学時代は顔を合わせる度に苛めてなかった?」
「当然でしょう。明神たる私に接する権利など、十口にはないのです」

専務は晴れやかに叶批判をしているが、常務は頭を抱える。嶺一は『アンタの父親も叶でしょ』と力なく呟いた。

「成程、経営陣にこんな猛者がいるなら、ワラショクは安泰ざますん。専務!どんどん血も涙もない手腕でコストカットしてってちょーだい!」
「俊江奥様!今後とも商品案へのお力添え、何卒宜しくお願い致します!奥様のご意見を頂くと、軒並み馬鹿売れするんですよねぇ」

鬼と腹黒KYが手と手を取り合った瞬間、オカマを軽々しく背負い投げたサラリーマンは呟いたのだ。

「面映ゆい」
「遠野君。楽しそうな所アレだけど、俺の裁判はどうなってる?」

そこで漸く、正座させられたままだった男は呟いた。
両足が痺れていて全く感覚がない様だが、正座をやめると痛みを伴う痺れに襲われそうで動くに動けない。そんな難しい感情を込めた高野省吾の表情は、ただの男前だ。見た目には全く出ていない。

「高野さん、浮気は駄目でしょう」
「ああ、君は真剣に聞いてる振りして何も聞いてなかったんだな、遠野君。俺は山田君とは違って浮気はしてない」
「そうですか」

負けず劣らず、妻以外には表情が変わらない男は腕を組みながら頷く。全身から『つーか興味ない』と言うオーラが放出されているが、オカマとヤクザは『秀皇の育て方を間違えた』と泣いている駿河を慰めているので、残念ながら指揮者には他に話し相手がいない。

「ナイトに嫁ぐなら、私に嫁いでくれても良いのだがね…」
「ネルヴァ、師君の息子がそれを認めるとは思えんのう」
「リヒトと山田太陽がクラスメイトだったから言っているのかね?」

カラオケ仲間と言う名の音痴仲間なら目の前にわざとらしく立っているが、省吾ではなく陽子をにこやかに見つめており、不穏な呟きしか聞こえなかった。

「で、親権はどっちが?」
「だから別れるつもりもないっつーの。さては、O型だな?」
「AB型です」
「うひゃひゃ、…そりゃ合わねぇ訳だ」
「所で、ご子息は何年生ですか?」
「うちの健吾はお宅の息子の舎弟だっつったろ!そんくらい聞いとけや!」
「そうか。俊がお世話になってます」
「こちらこそ…」

指揮者は宇宙人と言う名のサラリーマンから、心の距離を取ったらしい。

←いやん(*)(#)ばかん→
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