帝王院高等学校
だって仲間外れにされたくないんです!
『俺は魔法使い』
『俺はただの観客』

『『助けてあげようか』』

『脆く弱かった幼い絶望を塗り替える為に』
『お前が黒く染めた瞳の罪悪感を忘れる為に』
『誰かの為に泣いた優しい魂の為に』
『破滅の輪廻を正しく繰り返すお前の為に』

『『光だ』』

『人は』
『命は』
『常に光を求めているだろう?』
『光にはお前など見えていないのに』

『お前を王子にするよ』
『お前を王へ戻すよ』
『お前を現世へ戻すぞ』
『お前を常世へ繋ぎ止めるぞ』

『終わりなき夜から目映い朝へ』
『永き宙に夜明けなど存在しない』

『輪廻から逃れる為に』
『時を正しく廻す為に』
『新たな時の為に』
『変わらない時の為に』

『俺は空虚だった』
『俺は虚構だった』
『全てが色鮮やかに見える』
『全てが色褪せて見えた』

『蝉は求愛するんだ』
『空蝉は所詮、抜け殻だ』

『灰色の世界から白日へ征こう』
『極彩色の世を闇へと染め替えろ』

『大地から抜け出すんだ』
『西の果てへ緋を落とせ』

『俺の為に』
『俺の為に』



『Close your eyes』
『Open our eyes』





『『お前は俺の、』』

















「それは、お前の光だったのか」

啜り泣く女の微かな声が響いてくる。
空が夜を迎え入れて月が昇る頃、夜の隙間から死者はやって来るに違いない。

「ギャラクシーコアへの介入は不可能だ。然しそれを可能にする者の正体が、未だに掴めない」

膨大なデータを格納するマザーサーバー、それらのデータは一度見ただけで脳に蓄積される。一度見ればの話だ。閲覧出来ないものに関しては、当然ながら含まれない。

「哀れな子供が一人、死の淵に誘われた。爆発した女神に押し潰され、母親は嘆いている」
「哀れなものですねぇ。ロシアと中国に、ほんのひと匙の濁りを落としただけで、まさか此処まで炎上する火種になるとは…」
「そなたは憐れみを覚えるか」
「いや、全然。他人がどうなろうと、俺の知った事じゃない」

新聞を楽しげに折り畳んだ子供は、狭い車内で足を組み替えた。
片目を覆っている眼帯を癖の様に撫でながら、折った紙で団扇の様に扇いでいる。寒がりだった様に記憶しているが、それは爆発テロによる大火災への揶揄だろうか。

「然し、諸悪の根源…失敬、『人間観察』に意欲を示されている枢機卿が糸を引いているなどと、気づく者が一体何人居るでしょうかねぇ」
「提示された条件によって人の行動にどう影響が出るのか、幾らか面白い論文が書けた。惜しむらくは、人間が犯罪を起こすまでの論理でしかない」
「おや?そう言われますと?」
「私が監獄へ入るには、何が必要だろうか」
「何万人殺せば良いのか・の、間違いかと思いました」

狭い車内に涼やかな笑い声が響く。

「死刑囚、若しくは百年以上の禁錮が確定した囚人であれば、都合が良い。試したい事がある」
「試したい事?」
「血の証明だ」
「は?」
「用無しの烙印を押された蝉の骸は一つの墓に纏められると言う」
「は?」
「They looks like the Golgotha.(まるでゴルゴダの丘の如く)」

墓守の十口、と。
口にした途端に伸びてきた手が、容赦なく喉を掴んだ。

「叶を名乗る人間の数だけ、灰皇院に十字架は刻まれる。空蝉はそのどれもが軈て十口に下る宿命だ。それが生きている内か死んだ後か、違いはそれだけ」
「黙れ」
「お前はグレアムたる私に近づいたのか、血に刻まれた隷属によるものか」
「殺すぞテメェ…!」
目を閉じろ

宿命とは、血に刻まれるのか。それとも記憶に刻まれるのか。

「…成程、榛原大空の声には確かに相当の力があるらしい。一種のサブミリナルか」

膝の上へ崩れ落ちてきた黒い子猫の瞼が閉ざされると、月は随分大きさを増している。もう、啜り泣く女の声は聞こえない。

「アポロンに飼われたパルナッソス山の住民は、祝福されしゴールドリボンを人の子に与えたが、ミューズではなく、タミュリスでしかなかっただけの事」

夜を泳ぐ。
音もなく大気に溶けた車は泳ぐ。

「…私の世界に、人が宣う神など存在しない」

人間は容易く神に祈るが、その内の何人が救われたのだろう。殆どが履き捨てられている筈なのに、何故彼らは祈る事をやめないのか。不思議でならない。

「帝王院が天神と謳われた所以は、その恵まれた能力だ。私がそれを顕現されられるのであれば」

弟か、妹か。
いつか聞いた夢物語の結末を、東の島国に置いてきた。この世には神などいない。神とは、いずれ産まれると信じていた弟妹に名づけるつもりだった言葉、たったそれだけ。

だから、神は何処にも居ないのだ。


「我が身に流れる血の所在を証明する要因に、なり得る…」

塔で生まれルークと呼ばれても、迷わず真っ直ぐに駆けていく事など出来ない。














(黒い羊は天に照らされても尚、黒いままなのだ)





















「風呂」

主語だけか、と突っ込むだけ無駄だろう。いつも通りこの時間だから、そろそろだとは思っていた。初等部では決まった時間に勝手にお湯が溜まるバスルームは、既に適温のお湯が、湯船をなみなみと満たしている頃だ。

「宿題は?」
「終わった」
「歴史率高いもんな、今回。昔の武将名って似たり寄ったりでややこしーべ」

元々口下手のきらいがある事には気づいていたものの、成長するにつれて男らしさを増した顔立ちからか遠巻きにされつつある男は、小学六年生で既に男の子と呼ぶには違和感があった。この顔立ちで饒舌であれば、向かうところ敵なしではないのか。などと、何年も一緒に暮らしている藤倉裕也の容姿を今更分析する理由など一つしかない。

「終わってねーのかよ」
「へ?」
「宿題」
「終わってねーっつかーか、なんつーか」

どうやって今夜こそこの危機を回避するか、それだけだ。

「どっちだよ。何処が判んねーの?」
「う、へ?え、えーっと、この辺?」
「そこは藤原鎌足であってる」
「そ、そっか、あってたかー」

わざとらしく開きっぱなしだった教科書とノートが、勝手にしまわれていく。
中等部以上で学年順位が公開されるシステムも初等部は例外だが、通知表が全て二重丸で埋め尽くされている高野健吾のテストの平均点は96点、判らない問題の方が少ない。健吾より得意な教科の偏りがある裕也にしても、成績は殆ど同じだ。つまり、裕也に解ける問題が健吾に解けない訳がなかった。

「テ、テスト勉強しよっかな〜?」
「は?テスト勉強なんかいつもしねーだろ」
「ばっかお前、来年にゃ俺ら中等部に上がるんだべ?!ユウさんみてーに帝君目指すなら、今の内からやっとかねーとアレだろーが!」
「帝君なんか目指してねー」

成程そうか、その通りだ。健吾もそんなものは目指していない。

「帝君になっちまったら、役員指名されるかも知んねーっつったのオメーだろ、ケンゴ」
「だってよ、歴代役員って全員Sクラスの上位じゃん。会長は完全に帝君限定だしよ、このままいくと、俺らの時代の中央委員会会長はカナメだもんな」
「…別に、他の奴かも知れねーだろ。一組にSクラス目指しまくってるガリ勉がいんだろ、ハヤシ何とかって奴が」
「林原な。つーか、何でむくれてんだよ。オメー、まだカナメのこと無視してんべ?」

勉強が好きな訳ではない健吾は、真面目に宿題をやっている時の方が少なかった。学園の敷地内に屋敷を構えて暮らしている父親から、定期的に食事に誘われる裕也は、いつも健吾の同伴を求める。よって、親子の会話をBGMに野菜率が異常に高い食事をチビチビ食べるしかない健吾は、

『悪さをしたら、来年は健吾君と同じクラスにしてあげないよ』
『しねー。オレはいーこだろ』
『と言っているが、うちのリヒトはどうかね健吾君』

毎年繰り返される会話の一つがこれだ。どうかねと聞かれてもどう答えて良いのか判らず、瞳の色だけそっくにな親子に挟まれた健吾は、いつも以上にペラペラと良く判らない事を話しまくる。帰宅した後は疲れが一気に押し寄せて、いつも瀕死寸前だ。

『お前は自分では判らないだろうが、少々世間知らずな所があるのだよ。その点、物心ついた頃には世界中を飛び回っていた経験がある健吾君は、掛け替えない友人であると同時に兄の様な存在でもある』
『へ?!そ、そんな大袈裟なもんじゃないっスけど?!』
『お前が悪さをすると、友達である健吾君の評価も落ちる恐れがあるのだよ。己の行動に責任を持ちなさい、リヒト』
『落ちねーから、問題ねー。オレは産まれた瞬間からいーこだぜ?』
『自分で言っちゃうんかいwww』

なので裕也は宿題を忘れた事がなく、授業もちゃんと受けている。たったそれだけで特に勉強をしている様でもないのに成績が良いのだから、やはり天才の部類に入るのだろう。例えば知恵の輪やルービックキューブの様なパズルものは、健吾より裕也の方が得意だ。

「林原って奴、うぜー。去年意味もなく絡んできやがった奴だぜ」
「俺らと友達になりたかっただけだべ?なんつーか、責任感が強いキャラっつーか…」

林原と言う生徒は、何かにつけて場を仕切りたがる性格で知られている。
去年やってきた転校生に学年中の関心を奪われ、転校生とはクラスが違った為に世話を買って出る事も出来ず、皆から遠巻きにされている裕也の世話役をしたかったのかも知れない。誰もやりたがらない級長に立候補するような生徒だ。親切の押し売りは、流石に言い過ぎだろうか。

「アイツがもし学年末選定で残ったら、来年また同じクラスになんのかよ」
「あー…まぁ、Sクラスは一つしかねーもんな」
「死ぬほどうぜー」
「朱雀は日本語が可笑しいだけで誰とでも話せる奴だから心配ねーけど、オメーは苛められてんじゃねーかって誤解されてんだろ?もう少し愛想良くしときゃ、林原がお節介焼いてくる事もねーんじゃねーの」
「面倒くせー。オレが苛められてたとしても、アイツには関係ねーだろ」
「クラスリーダーには色んな責任があんじゃね?」
「可哀想なオレを保護する責任かよ」
「あー、単に内申点上げる作戦かもよ。成績じゃカナメに勝てねぇじゃん?もしかしたら、林原は中央委員会狙いなんかも」
「どーでもいい」

裕也以外に親しい友人がいないのは健吾も同じだが、裕也と違って誰が相手でもそれなりに上手くやれている自負はある。反して健吾以外とは交流する気が全くない裕也は、何かにつけて世話を焼きたがった林原に対して、無表情で『うぜーから消えろ』と宣った。休み時間の会話なので教師を巻き込む事はなかったが、この一件から益々孤立化した裕也に近寄ってくる者はほぼない。

「どーでもいいとめんどくせーは、禁止だっつったろ。お前な、俺がもし来年Sクラスじゃなかったらどうすんだよ」
「オメーが入れねーならオレも入れねーだろ」
「逆に、俺と朱雀は昇格してお前だけ普通クラスの可能性が」
「は。ある訳ねーだろ、朱雀よかオレのが頭良いんだぜ?」
「…そうだった」
「つーか朱雀もどーでもいい、風呂」

ああ、またそこへ戻ってしまうのか。
話を逸らして忘れさせよう大作戦は失敗の様だ。それも仕方ないのかも知れない。体調が悪い時以外、健吾の祖父母と暮らしていた時から、健吾と裕也は一緒に風呂に入ってきたのだ。祖母曰く『ガス代が勿体ない』と言う理由で始まって、入寮し現在に至るまでのほぼ毎日だ。
どっちかが体調を崩すと、どっちかが看病と言う名目で傍につきっきりになるので、なし崩しに二人共風呂に入らないまま朝を迎える事は何度かあった。だが然し、現在に至るまで一人風呂はない。なんとなく毎日一緒に入って、なんとなく一緒のベッドで寝る。そんな生活を終わらせようと企んでいるのは恐らく、健吾だけだ。

だが勿論、そんな事は言える筈がない。理由を尋ねられたら困るからだ。

「あ?…ユーヤさん、何で俺のズボン脱がそうとしてんの?」
「だから、風呂」
「ああ、風呂ね…。うん、毎晩きっかり9時に沸くもんな…」

然しどうだろう。ゆっくり考える暇もない。
日曜祝日以外は授業がある全寮制に於いて、一人きりになれる時間は余りにも少なかった。今夜の夕食時が最後のチャンスだったのだろうか。然し夕食と言えば、近頃何故か大人ぶっている大河朱雀に『顔だけは可愛い』と言われ乱闘騒ぎを起こし、大好きな焼肉を食べ損ねたと言う事件があった。

「実は…食い過ぎちまったんだ」
「は?」
「今日の晩飯焼肉だったろ。あ、オメーは職員室に呼ばれたとか何とかで居なかったから見てねぇかも知んねぇけど、ご飯3杯食ったんだ」
「マジかよ」
「だからまだ腹が苦しくって、風呂に入る気分じゃねぇの」

寮監の教師に叱られ、ぐちゃぐちゃに零してしまった夕食を朱雀と一緒に片付け、給食係のシェフのお情けで台無しにしてしまった焼肉定食の代わりに、おにぎりを2つ握って貰ってそれが健吾の夕飯だ。だから本当は、肉など一切れしか食べていない。
あの場に裕也がいたなら喧嘩などしなかったに違いないが、裕也は授業が終わるなり用があると言って何処かへ行ったのだ。いつもなら何処へ行くにも健吾に同行を求める癖に、それもなく。

(最近、ちょくちょく居なくなるの何で?)
(本当は職員室には行ってないだろう?)
(どうして嘘をつくんだ?)
なんて言わないけれど
(でも、職員室にお前はいなかったんだと言えば、どんな顔をする?)

何かが変わってきている気がする。
例えば精通した日から、見慣れた兄弟同然のルームメイトがそれだけではなくなってしまいそうな危機感を覚えた日から。
(でもそう)
(勇気なんてない)
(壊す勇気も繋ぎ止める勇気も)
(だってそうだろう?)

(実の母親だって、俺と目を合わそうとしないのに)


「じゃ、オレも後で入る」
「あー、いや、うーん。飯食って宿題やりながらジュース飲んで、次にやるっつったらまぁ、風呂しかねーもんな…」
「何だよ、今日は風呂入んねーの?」

どうしたものか。余り渋ると風邪でも引いたのかと心配させそうだ。
判っている、つい最近まで一緒に風呂に入っていたのだから、他意はないのだろう。つい最近も何も、昨夜もなし崩しに一緒に入ったのだ。心の中では壮絶な葛藤で苦しんでいても、だからと言っていきなり理由なく『もう一緒に入れない』と言っても、口下手なルームメイトは口下手な癖に、『何で?』と首を傾げるに決まっている。

「俺、今日はシャワーだけで良いっぽいし、お前だけ先に入って来いよ」
「何で?」
「何でって、んなもん、アレっしょ。そーゆー気分っつーか」
「雨」
「あー、うん、梅雨だもんな」
「体育」
「月曜は六時間目に体育あっからな。曇りつってたのに途中から雨降ってくんだもん、マジ山の天気は激変しまくるっつーか…おい、だから脱がすなっつってんの!」

健吾は怒鳴る様な声を上げてしまってから慌てて作り笑いを浮かべたが、緑の瞳を丸めているルームメイトは見る影もなく落ち込んでいる。脱がした健吾のハーフパンツを握ったまま、殆ど無表情だが明らかに俯いているから嫌でも判るだろう。
今のは流石に自分が悪い様な気がするので、健吾は溜息を零しそうな唇を気丈に引き結び、ぽんっと裕也の丸い頭へ手を伸ばしたのだ。

「つーか、お前最近口数減りすぎ」
「は?」
「オメーの今の台詞で話の流れ理解してやれんのは、俺だけだかんな」
「そうかよ。通じるなら良いだろ」
「良いっつーかなんつーか…」
「何?」
「つーかお前」
「何だよ」
「もしかして、一人で風呂入んの怖かったりする?」
「は?んな訳ねー」
「嘘つけ」

違う。今の台詞は別の事に対するものだ。(つまりは放課後の事)(お前がアンダーラインの外れで『ネイビーブルーの制服を着た』誰かと話していた、と)(どうして俺は、林原から耳打ちされなばならないのか)

「嘘じゃねー」
「へー」
「もう良い、オレ一人で入る」
「本当に入れんの?」
「何だよ、訳判んねー。入れるに決まってんだろ、体洗って髪洗って、後は入るだけなのに」

腑に落ちない表情で首を傾げた裕也は、然し健吾がパンツ一枚で寝転がったまま起きないのを認め、渋々一人でバスルームへ向かった。大人げない態度を取ってしまったと後悔しても今更だ。むくれているのは間違いなく自分の方で、頼んでもいないのに裕也の行動を耳打ちしてくれた同級生のお陰で夕飯を食べる気力がなくなり、元気がない健吾を気遣ったのか単に暇だったのかは知らないが、話しかけてきた朱雀の軽口に本気で憤ってしまった。
作って貰った食事を台無しにして、楽しい夕食の筈が食堂にいた皆に嫌な思いまでさせて、職員室で朱雀と並んで叱られて、大きめのおにぎりを無言で頬張ったのは、朱雀と一緒に食堂シェフに謝罪して掃除の手伝いをした後だ。

裕也が帰ってきたのは、いつもより遅く部屋へ戻った健吾が渋々宿題を開いた時だった。先生の話が長引いた、と表情を変えずに宣った裕也は、健吾が朱雀と喧嘩して職員室で叱られた事を知らない。ネイビーブルーの制服を着た誰かと、アンダーラインの外れにあるゲートを潜っていたと言う目撃情報がある事も、当然知らないのだ。

「あ、ユーヤ」

バスルームの扉に手を掛けた背中を呼び止めて、健吾は一度瞬いた。
素直に振り返った裕也はいつも通りで、健吾にしか判らないちょっと不貞腐れた表情をしている。余程一人で入るのが嫌なのか、それとも馬鹿にされたと思っているのか。健吾が大好きな肉を食べ損ねた事になど気づきもせずに。

「何。やっぱオメーも入る?」
「いんや。寂しかったら呼べや、風呂場に聞こえる声量で校歌歌ってやんよ」
「全然要らねー」

だろうなと、健吾は笑い飛ばす。
バスルームのドアが閉まるのを見計らい飛び起きて、裕也に剥ぎ取られたハーフパンツをハンガーに掛けてから、部屋着のスウェットに足を通した。

「…あーあ、ユウさんとカナメの前じゃ頑張って喋ってる振りしてんなーと思ってたのに、部屋に戻ったら前よか酷いじゃねぇかよ」

無駄に喋りすぎる自分に引き換え、裕也は年々口数が減っている。とは言え、喋らない訳ではない。クラスメイトからは見た目で遠巻きにされつつあるだけだ。何しろ裕也は、彼の従兄である大河朱雀と姿形こそそっくりだった。
中国一の大富豪と言っても過言ではない大河グループの跡取りは、傲慢を絵に書いた様な男だ。本人に全く悪気はないのだろうが、あらゆる意味で手が早い。小六の子供が、学園内にセフレを数人抱えていると言う時点で変な話だ。

「朱雀の野郎、調子に乗りやがって」

健吾と大差ない体格の裕也とは違い、朱雀は少しだけ背が高い。裕也と朱雀の母親同士が姉妹だそうだが腹違いだと言い、裕也の母親は日本とアメリカのハーフで、父親はドイツ人だ。片や、朱雀の母親は中国とアメリカのハーフで、父親は日本と中国のハーフと聞いている。
見た目は双子の様でも、全然違うのだ。少なくとも健吾には、全く違う人間にしか見えない。

「アイツの所為でユーヤがハブられたら、マジぶっ殺す」

初等部に入学するまで中国生まれアメリカ育ち、日本の文化には殆ど触れないまま、健吾に付き添った裕也が帝王院学園へ入学すると聞きつけ、朱雀も入学した。
それまで従兄弟同士でありながら全く交流がなかった二人は、何故か健吾を取り合う様な喧嘩を繰り返し、散々教師の手を焼かせたからか、健吾達が学園へ入学して間もなく何故か来日し学園の理事に収まった藤倉理事の計らいで、朱雀と裕也は一年生以降同じクラスになった事はない。
もしかしたら裕也の父親が計らったのかも知れないが、健吾と裕也はずっと同じクラスだ。健吾以外とは生活出来そうにない裕也のルームメイトも、同上である。

「おい」
「あ?って、お前ずぶ濡れで出てきてんじゃねーべ!つーか早くね?ちゃんと温まったのかよ?!」
「冬じゃねーから平気」

どう考えても早すぎる。ドアからぴょこっと顔を覗かせた裕也は、ぼたぼたと水滴を滴らせていた。

「校歌が聞こえねーから、もう出る」
「はい?おま、要らねーって言ってただろ?」
「要らねーけど、歌うなとは言ってねー」

どう言う事だ。
髪や体をとりあえず濡らしただけではないのかと疑いたくなる裕也は、濡れそぼった黒髪の隙間から咎める様な目で見つめてくる。

「ちょ、せめてチンコくらい洗えや」
「あー、チンコだけ洗った」
「なら体も洗っとけ」
「面倒臭ぇ。風呂なんか入んなくても、死なねー」
「そう言う問題じゃねーっしょ」
「だったら一緒に入ってオレの背中こすれば良いだろ、いっつもみてーに」

ああ、その通りだ。だがそれには健吾の精神力が関わってくる。
ただでさえ肉を食い損ね、親友だと信じていた裕也から嘘を吐かれているとなれば、元気印の高野健吾もハートブレイクするのだ。

11歳の裕也には判らないかも知れないが、来週晴れて12歳になる健吾はもう、お子様ではない。誰彼構わずセフレにしまくる朱雀とも違い、ませた同級生から借りたエロ本のセクシーなお姉さんのおっぱいよりずっと、エロいものを知っている。

「やっぱオメーら双子っしょ」
「何が?」
「さっき朱雀に可愛いって言われたっしょ」
「は?…何で朱雀が話し掛けてくんだよ」
「オメーが飯の時にいなかったからじゃね?」
「Scheiße.(野郎…)」

しまったと思ったが、口数が多すぎる己を呪うしかない。男同士の二人部屋で隠すものなどないとばかりに、いつも通り全裸でバスルームから出てきた裕也はフェイスタオルを持っているが、雑に頭を拭いているだけだ。いつもは健吾がクリーニングから戻ってきたバスタオルを用意してやっているので、何処にバスタオルがあるか判らなかったに違いない。
プリプリと惜しみなく尻を晒しているが、Scheißeはお前の方だと言ってやりたい。健吾だって、幼少期は大半ヨーロッパで過ごしていたのだ。

「おいユーヤ、素っ裸で何処行くんだよ!」
「Ein Wort gab das andere, schliefilich begann eine richtige Schlaegerei.(口は災いの元っつーかんな)」
「判った、ドイツ語は単語が長いから口数が増えるっしょ。つーか、悪さすると父ちゃんから叱られるぞぃ」
「Bitte schieben du die Arbeit nicht auf die lange Bank! Du ist sehr wichtig fuer uns alle!(だからってほっとけっつーのか、ンな重大事項を!)」
「大袈裟っしょ、馬鹿か!」

自分こそ朱雀と大喧嘩した癖に、裕也が明らかに怒っているので健吾は怒鳴った。
直視出来ないと裕也の体から目を逸らし続ければ、裕也はずぶ濡れのまま従兄の部屋へ乗り込むだろう。

「大体、俺が可愛い訳ねーだろ。朱雀は馬鹿が度を越してんだよ、どう見ても可愛いっつーのはっ」

お前の方だ、などと叫びそうになって寸前で飲み込んだ。
裕也と朱雀は中身はともかく、顔は良く似ている。幼い頃から髪を金色に染めている朱雀の自毛は黒髪だと聞いているが、学園中の誰もが生まれつきの金髪だと思っているだろう。裕也より色味が弱い緑の瞳の朱雀が、好んでつけている青いカラコンがなければもっと似る筈だ。

「と…とにかく、男が男に可愛いなんてどう考えたって有り得ねぇっつーの。男は女にしかときめかねーんだから、本能的に」

ああ、まただ。
裕也が健吾にも判らない表情を見せた。腑に落ちないと言わんばかりだが、口を開く様子はなかった。

「ほら、もっぺん風呂入んぞ。夏風邪は馬鹿が引くってじーちゃんが言ってたっしょ、オメー明日寝込みたくねーだろ?」
「…」
「俺も一緒に入っから、な?」
「…判った」

いつまでこんな生活が続くのだろう。
いつから自分は裕也に嘘を吐かれる様になって、いつまで裕也に隠し事をし続けなければならないのか。
(やるなら上手い嘘にしてくれ)
(こっちもバレないように頑張るから)
(頑張って忘れるから)
(嫌われない様に)
(実の家族ですら他人以下になってしまう事を、知っている)


「ったく、風呂も一人では入れねーとかよ、大人になって苦労するっしょ。今日は俺が背中こすってやっから、明日から一人で出来る様になれや」
「何で?」
「うっせーな、ググれ」
「ぷ。ググって判んのかよ、『ケンゴが枕の下にエロ本隠してる理由』とかよ」
「…エロ本を隠すのは男の嗜みだっつーの、お子様め」

今判る事は、どうも自分達は嘘が下手だと言う事か。
何故こうもすぐにバレるのだろうと、嘆くのは心の中だけに留めた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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