帝王院高等学校
裁かれない者へ穿つ黄金の矛
「こんなおめでたい日に、何しに来たんですか?」

にこやかな彼の顔を見たのは、実に十年振りだった。
どうして今更会いに行こうだなんて考えたのか、今となっては定かではない。自尊心ばかりが研ぎ澄まされていき、本音と虚勢の境目が曖昧になってしまってから何十年経ったのか、思い出せもしない。

「黙ったままじゃ判らないでしょう、閣下」

触れる事も出来ない息子から、サーの称号で呼ばれる関係を家族と呼ぶのは、まともなのだろうか。

「用がないなら帰って下さい」
「用ならあります」

縋る様に口から飛び出した台詞、けれど続く言葉が見つけられない。
どうせあの腹黒庭師が先立って連絡を寄越したに違いないが、それでも逃げるでも追い払うでもなく、寂れた空港までやって来てくれた上で友好的ではないにせよ話し掛けてくれた息子は、呆れた様に息を吐いた。
煩わしくてならないのであればわざわざ来なければ良いのに、それをしないのはこの子の優しさに違いないのだけれど、きっともう、世間的には子供扱いする年齢ではない。

「ア、アメリカの植民国に用もなくやって来るものですか。その程度の事、貴方であれば考えずとも判る筈です」
「それなら、手短にお願いします」

見た事もない異国の服装で、以前はきっちりセットしていた金髪は無造作に顔の輪郭を流れている。それでも綺麗な英語は昔のままで、こんな寂れた場所にはおよそ似つかわしくない男だ。一言でそう、他国の王子にも負けない程に。
記憶より精悍さを増した顔立ちには、以前はなかった貫禄の様なものを感じただろうか。こんな場所へ付き添いもなくやって来た自分は今、他人からどう見えているのか。様々な事を考えたが、言葉を待っている息子が痺れを切らしそうな気配を悟り、微かに息を吸い込む。

緊張している事など知られてはならない。誰の為でもなく、自分の為に。

「…此処は酷い空気だこと。まず先に、落ち着ける場所に案内しなさい」
「向こうの空気も大差ないでしょう。時間がないんですよ、僕は」
「数年振りの再会を、この場で済ませろと?」
「今朝早く妻が破水して、病院へ運ばれたんです。僕はすぐにでも戻らないといけない」

ああ、乾いた口の中で舌が上顎に貼りついてしまいそうだ。何を言えば良いのか、果たして自分は何をしに来たのか。
判っている事は一つだけだ。息子に三人目の子供が産まれると聞いて、何も考えずに飛び出してきてしまった事。ああ、本当ならば今頃、お茶会を開いていた頃だろうに。

「ア…アランの」

違う。あんな男の話がしたい訳ではない。
厳格な家に産まれ、外の血を受け入れない上流家庭の後継者として育てられた末に宛てがわれただけで、夫と言う呼び名があるだけのただの他人だ。再従兄弟と言う関係性を加えた所で、結婚式のキスも拒んだ。だからそんな男の話題など、本当はするつもりもなかったのに。

「アランの恋人、が」
「おや?十数年前に泥沼不倫していた方と、まだ続いていたんですか?」
「いいえ、別の女性です。…先頃流産したと言う話を耳にしたので、伝えに来ました」
「へぇ。父さんもまだまだ頑張るなぁ。子供の事は、お悔やみを伝えておいて下さい。弟だか妹だか知りませんが、残念ですねぇ」

変わっていない。
口では痛ましいと言わんばかりだが、冷めたブルーサファイアの瞳は『縁起でもない』とばかりに凍えている。

「恋多きは悪ではないにせよ、過ぎれば何でも毒となり得ます。そろそろお歳を考えても、自重なさる様に伝えて下さい」
「…愚かな。私があの男に言う事など、何一つありません」
「ああ、そうでしたねぇ。夫としての務めを果たしている内は、家族としては他人でもパートナーに変わりはない。…我が父母は相変わらずのご様子で、安心しました」

勝手な両親に愛想を尽かし果たした男は今、それを反面教師にしているのか、大層善良な夫を努めているそうだ。とても信じられないけれど。

「日本には仮面夫婦と言う言葉がありますが、ご存知ですか?僕の家族を見せて差し上げたいですよ」
「貴方は、私達とは違うと」
「ふふ。寧ろ貴方達の方が普通ではないんですが、説明してもご理解なさらないでしょう?自分達の作り上げたルール以外を認めませんからねぇ、僕の祖国は」

大層美しい娘の様だった。まるで在りし日のあの人の如く、花が咲き綻ぶ様な、艶やかな蝶の様な、余りにも現実離れした美しい娘。お前は騙されているのだと今でも思っているのに、どうして理解してくれないのだろう。
叶桔梗はその過ぎる美貌で誘惑したに違いない。いつか手酷く捨てるつもりなのだ。例えば、この子の母親の様に。(美しい女だった)(誰もが私を美しいと称えるけれど)(あらゆる目には見えない何かに囚われている、哀れな女だ)(だから誰の事も信じられない)(煌びやかな地獄に生まれ落ちた)(もう何十年もそこだけで生きてきた)

(美しいものには必ず、罠があるものだ)


「桔梗はパーフェクトな女性ですよ。世界中の何処を探しても、彼女に並ぶ人は見つからないに違いない。あまつさえ、彼女以上の女性なんて存在する筈もないと信じています」
「下らない事を。貴方は勘違いしているのですマチルダ、冷静に考えなさい」
「僕はいつも冷静ですよ。そう育てられた」

ああ、崇拝する祖国よ。気高く美しい女王よ。
けれど私はもう、その毒を知っている。その毒がなければ生きられないまでに冒され、今では自分にさえ絶望しているのだ。(大切に大切に育ててきたつもりだけれど)(それは壊れ物を扱う様に大切に)(この穢れた我が身の毒で穢れない様にと細心の注意を込めて)(それでも一つとして残らないなんて)

(やはりこれは愛などではないのか、神よ)


「所でお母様、アレクサンドルは元気にしていますか。家を出てから連絡をしていないので、僕の事なんて忘れてしまったかも知れませんが…」
「…そんな事は逐一把握していません。あの子には専属の侍従をつけていますから、尋ねたければそちらに聞きなさい」
「僕の妹は、貴方の娘でしょう?それにほら、僕が家出してしまったので、後継者はあの子しか居ませんからねぇ」

にこにこ。
わざとらしい笑みに穏やかさなど感じはしない。それでも努めて優しげに接しているのは紳士としての嗜みか、単に煩わしいからか。
ああ、こんな事をすぐに考えてしまう我が身が呪わしい。言いたい事の一つとして言葉にならず、他国へ渡る飛行機の中で何度も唱えた『Be cool』の呪文も、明らかに効果はなかった。

「アレクサンドリアに継がせるつもりはありません。マチルダ、ヴィーゼンバーグの紋を背負うレオ。貴方が公爵なのです」
「僕は獅子じゃない。今は狗です」
「マチルダ」
「アレックスと呼んで貰えますか、レディ?」

愛している(つもり)なのだ。(例えばこれが愛などでは決してなかったとしても)汚らわしい身なれど、薄汚れた宮廷を見下している癖にそれでもそこから抜け出せない、腐肉に湧いた蛆の様な女なれど、それでも(自分なりに)愛してきたのだ。
なのにどうして理解しない?(あの女だけは駄目なのだ)(だって美しいではないか)(病弱で家から出た事もないと言うなら、例えばお前を置いて死んでしまうかも知れない)

(優しい子、お前にそれが耐えられる筈がないでしょう?)


「それに、今更僕が戻って喜ぶ人間は居ないでしょう?」
「ヴァーゴ」

9月に産まれた我が子。心配しているのです。
(だけど貴方は信じない)(何故ならば、誰よりも自尊心に塗れた自分が、口にする事を許さない)
ああ、それでも愛しい子供達。どうして貴方を産んであげられなかったのか、今に至るまで悩み続けた事など、知らない癖に。
(貴方の母親は私に怯えたのです)(あんなに可愛らしい天使を、だから簡単に手放してしまったのです)
(私が公爵であるから)(女王に継ぐ権利を持つ、女王の姪であるから)
(望まない結婚を受け入れた罪深い女を)(貴方の父親は嘲笑っていますか)(もしかしたなら私が貴方の)(私が、貴方達の)(母親になれたかも知れないけれど)(でもそれはやはり、有り得ない事なのですね)

(だって罪深き私の子供が、こんなに美しい筈がないのですから)


「帰って来なさい。周囲が貴方に何を宣うのです。貴方は公爵なのですよ」
「その名前で呼ばれるのは、久し振りですねぇ。ああ、今日は僕の誕生日でした。喜ばしい事に、もうすぐ娘の誕生日になるでしょう」
「ミネルバは、今も貴方の帰りを待っています。早く安心させてあげなさい」

全身で面倒臭いと告げている男に対して、勝手に口から出た言葉は恐らく、適切ではなかった。

「…安心、ねぇ」

とうとう愛想笑いを消してしまったアレクセイ=ヴィーゼンバーグは、久し振りに再会する義母に向ける目にしては、余りにも無機質な眼差しを片方だけ細めたのだ。彼のその仕草は、他人を言葉で攻撃する時に見せる、特有のものだ。

「貴方達が勝手に祭り上げた婚約者なんて、僕にとっては他人以外の何者でもないんです。それに関しては何度も申し上げてきた事なので、今更ご理解頂かなくて結構。既に日本国籍を取得するだけの条件を手にした身なので、僕は僕で勝手に幸せになります」
「許される筈がないでしょう!マチルダ!貴方は公爵なのですよ?!」
「やめて貰えませんか閣下、いつまでも僕を誰かの身代わりにするのは」

ああ。
違う、そうじゃない、そんなつもりなんかないのに、どうして自分は。世界の摂理は。だからそう、ひねくれたこの唇からは。(貴方は誰の代わりでもないのだと)(どうして)(ああ、神よ何故ですか)

「金髪で青眼の娘。お母様はいつも亡きマチルダ大叔母様に囚われてらっしゃる様ですが、何故ですか?グレアムに嫁いだ哀れな生贄だから?僕にしてみれば、離婚後に遊び狂った浅はかな女でしかないんですがねぇ」

まただ。
幼い頃は飼っていた小鳥が死んで、泣きながら『僕も死ぬ』と言う様な感受性の強い、心から優しい子だったのに。初めて会った時もそう、実の母親から要らないと見捨てられたブロンドの男の子は、年端のいかない年齢ながら実に紳士的に挨拶をした。そのまるで天使の様な姿形が、どれほど眩しく見えたか。

「マチルダ。計3人の愛人の子供を産んで、一人として育てなかった我儘な娘。父さんはその内の一人、他には…マイケル=スミスでしたか?計算してみたんですが、グレアムに嫁いでいる間に妊娠していますよねぇ。何処の誰の子供だか知りませんが、バレる前に別れて貰えて良かったじゃないですか」

だから、こんな台詞を言わせてしまうのは全て、愚かな大人達の罪なのだ。
自尊心ばかりが研ぎ澄まされていき、虚栄心ばかりが魂を占めていき、最終的にはあらゆる負の感情が自分と言う個を形作る。

「聡明なお母様は、そんな過ちは決して犯さない。どんな理由があれ、父さんの浮気症は貴方に対する裏切りです。だから僕もアリーも、貴方から愛されようだなんて烏滸がましい考えは抱いていません。これまでも、これからも」

煌びやかな社交界。祝福する様に鳴り響くカンパネラ。英国の全ては女王の為に。老若男女一切が等しく、クイーンの為に。男に価値はない。クイーンこそが全て。
そう教えられて、そう信じて育って、華やかな社交界を華やかに泳ぐ煌びやかにして美しい叔母が、女王からさえも一目置かれている意味を知りもせずに、いつか。憧れたのだ。ずっと。あの人の様な女王になりたいと。

「だから僕は今日、貴方には会っていない。貴方もそう、僕には会っていない。それで宜しいでしょう?」

例えばそう、息子を望んでいた両親の期待に反して一人娘として産まれ、後継者として育てられていく過程の中で、エリザベート=マチルダ=ヴィーゼンバーグは、決して手に入らない自由の象徴だった。その意味を今なら理解しているけれど、決して口にはしない。
(哀れな蝶よ)(生贄の如く寄生虫の元へ捧げられた美しい娘)(途切れた縁を繋ぐ為に送られた刺客)(灰の一族は名実共に灰になったけれど生き延びた者がいた)(賢い一族はすぐに力をつけて)(軈て祖国に復讐するつもりではないかと怯えたのだ)(王も貴族も)

無知で、不自由だった幼い頃に見た彼女は光輝いて見えた。とても。だから、前公爵から結婚を命じられた同い年の再従兄弟が彼女の隠し子だと知った日に、憧れはとっくに壊れていた筈だ。
(けれど愛される所か必要とさえされずに)(男爵如きに捨てられたそうだ)(可哀想な娘)(恥知らずな娘)(英国はお前を必要としなかった)(寧ろ邪魔でしかなかったのだけれど)

(最大唯一の僥倖はキング=ノアの母親である事だった)


「チューブにも乗った事がない方が、飛行機に乗るとは思いませんでした。優雅な社交界クルーズとは全然違ったでしょう」

あの美しい蝶の様なマチルダが、そんな恥知らずな真似をする様な人だと知った瞬間、世界の全てが灰色に。(まるで絶望の底の如く灰色に)
裏切られた様な気持ちになっただけ。彼女は誰も恨まなかった。恐らく自棄になってはいたのだろうが、優しかった。それでも嫌悪感を抱くのは一瞬の事だ。貴族は恥知らずを許さない。正義である事が十字軍の宿命だと、それだけを教えられて生きてきてしまったのだ。

「…」
「父さんはお母様を愛しているんですねぇ」

産まれたばかりの姪にいつも微笑み掛けては、まるで娘の様に可愛がってくれたのに、自分の子供は一人も育てていない人よ。腹を痛めて産んだ我が子は、可愛くはなかったのか。
他人が産んだ子供ですらこんなにも愛らしいのに、自分には彼女の真似は出来ない。自由に飛び回る事も、己の愛を探しに行く事も。(だからそれを知ったいつの日か)(私は貴方への親しみを塗り替えたのだけれど)(もしかしたなら貴方は)(置いてきた神の子を悔やんでいたのかも知れない)

(今となっては確かめる術もない事)


「さようなら、お母様」
「ま…待ちなさい、マチルダ、ヴァーゴ。貴方が望む事なら私が何でも、」
「ママ」

その翌日、遠く離れた島国で暮らす息子の元に、娘が産まれた事を知った。
寂れた空港からはとうとう一歩も出ずに、ふらつく足を引きずって乗り込んだ飛行機の機内から降り立ってすぐ、密偵からの報告と言う形でだ。

「貴方の望む息子になれなくて、ごめんね」

優しく可愛らしい貴方と同じ瞳の色をした、まるで天使の様な娘だと。




















Lightness judgment to the secret criminal.
裁かれない者へ穿つ黄金の









「…タカハが、死んだ?」

絶望の底の様な世界には、絶望しか存在していないらしい。
大切に育ててきたつもりだった天使が死んだと聞いてから、僅か3年後に舞い込んできた報告もまた、何と悍ましいものか。

「原因は、病気ですか?」
「いいえ。射殺です」
「な」
「叶家の家業による怨恨かそれ以外の要因でか、現在日本の警察が調査している様ですが、これ以上嗅ぎ回る事は不可能だと判断しました。今現在、京都に叶冬臣が帰省しています」
「…判りました。この件に関しては、内密に」
「畏まりました」

ああ。悔やまれるのは、こんな時にさえ自由に動けない我が身だ。
犯人を探し出し、眉間を撃ち抜いてやりたい気持ちを表情には決して出さないまま、意味もなく焦る気持ちを押さえつける。セシル=ヴィーゼンバーグ公爵は、常に冷静沈着なクイーンライオネスであらねばならない。

「叶冬臣による手回しが早かった為に確証を得るまで時間を要しましたが、叶桔梗も間もなく死亡しています。高齢出産と、予定日より早い帝王切開が原因かと」

ほら、見た事か。あれほど美しい女ならば、すぐに次を見つけるのだ。エリザベート=マチルダ=ヴィーゼンバーグがそうだった様に、艶やかな花に群がる虫は後を絶たない。

「…マチルダが亡くなって幾許も経たないと言うのに、叶桔梗はあの子を裏切る様な真似をしたのですから、当然の報いでしょう。それで、産まれた子供は?」
「新生児集中治療室で経過観察を要したものの、2週間後には退院しています。叶桔梗と叶貴葉の合同葬儀の2日後に、十口流当主告別式が執り行われた形跡がある為、それらの後になるかと」
「つまり、タカハの死亡日に産まれた子供であると言う事ですか」
「三男の父親に関しては現在調査中です。判明次第、ご報告致します」

そんな事は聞きたくもなかった。どうして天使の様な子ばかりが先立っていき、産まれて来なければ良かった子はのうのうと生きている?

「愚かにも、リヴァイアサンは我が家を敵視しているのでしょう。顔立ちこそマチルダに似たとは言え、その様な浅慮な子供に爵位を譲り渡す事は憚られます」

ああ、憎い。可哀想に。憎い。可哀想に。
息子が死んだと聞いてからは、姿を消した娘を顧みる余裕などなかった。誰もが裏切るのであれば、それで良いとさえ。

「次男の文仁は冬臣の傀儡同然で、最早手に負えるものではないものと。どうなさいますかマダム」
「…もう結構です。下がりなさい」

一人だ。人は産まれてから死ぬまでずっと、孤独であるべきで、孤独でしかない生き物だと知っていただろう。天使は天使だからこそ、誰よりも早く神様の元へ帰って行ってしまうのだ。

「疲れている様だな、セシル」
「…何しに来たのですか、アランバート」
「君の悩みを解決してあげたいけれど、また流産してしまって彼女に見捨てられてしまったんだ」

この汚れた世界に絶望する前に、きっと。

「愚かな男。貴方の寝室などありませんよ」
「休めるなら納屋でも構わないよ。君が起こしに来てくれるなら、例え棺桶の中だろうと」
「…目障りな。消えなさい」

この薄汚れた公爵に嫌気が差す前に逝っただけ、そうだろう?















「通りゃんせ」
「通りゃんせ」

「此処は何処の細道じゃ」

「天神様の細道じゃ」



「さァ」
「歌え」
「踊れ」



呼吸も鼓動も忘れてしまえ





「俺だけが全てを…」




















「私のプライベートラインは常にオープンしています」
「うん」
「尤も、ハニーへの愛は一秒刻みに間欠泉の如く湧き出していますから、いっその事プライベートライン・オーバードライブで全校生徒に聞かせてあげたい程ですよ」
「う…うん?」
「ハニーの素晴らしさは一日中語っても語り尽くせません。まず手始めに108のチャームポイントを語りましょう、聞いて下さい」
「うーん」

誰も頼んでいないのに、勝手に山田太陽の108つの良い所を発表しながら歩いていた叶二葉が足を止め、何度も逃げようとしていた数名もまた足を止めた。

「おや?」
「…っと。どうしたんですか、二葉先輩?」

最も逃げ出したかったのは現実逃避スキルをカンストしている太陽その人だったに違いないが、もしかしたら既に逃げていたのかもしれなかった。現実から、何処かへ。

「変ですねぇ」
「何が?」

突き当たりの壁を前に頬へ手を当てた二葉は、立ったまま長過ぎる足を組んで首を傾げる。

「道がなくなっています」
「…は?えっ、もしかして迷ったんですか?」
「ハニー、この私がそんなヘマをすると思いますか?」
「だって二葉先輩、毎回地理か古文で点落としてますよねー」

言い難そうに呟いた太陽の台詞で一瞬真顔になった二葉は、わざとらしく眼鏡を押し上げると、ふっと笑を零した。

「私の事にそれほど詳しいとは、愛ですねぇ。どうしてもっと早くに私を乱獲し、例えば無人の会議室などに連れ込んでアレやコレやの悪戯をなさらなかったのですか?」
「ちょいと待って、え?どっからそんな話になった?」
「若さ故の性を持て余しているでしょうに、ふぅ。全く、幾ら左席委員会副会長だからと言ってストイックにも程があります。良いですか?清く正しく爛れた高一男子なら、見掛けたふーちゃんをパクッとつまみ食いするくらいでなければならないのですよ」
「そんな胃凭れしそうなもんつまみ食いしたくない、とか、思ったり」
「あ?」
「嘘です。今度から俺なりに頑張ります」

麗しい笑顔のまま吐き出された『あ?』に、平凡は笑顔で降参する。
下がり気味の眉をへにょりと垂れ下げた太陽は、満足げに頷いた二葉からよしよしと頭を撫でられつつ視線を彷徨わせたが、誰もが太陽の眼から逃げる様にそそくさと目を逸らすのだ。
障らぬ二葉に祟りなし、共通認識になりつつある。

「今からでも宜しいんですよハニー、素晴らしい初夜にしましょう」
「え?え、えー、えっと、う、うん、はい」

じりじりと詰め寄ってくる笑顔の二葉から、じりじり逃げていた太陽は突き当たりの壁に背中を押しつけ、逃げ場がないと乾いた笑みを零した。

「あ、あの、えっと、ゆっ、柚子姫様!伊坂先輩!た、助けて下さい…!」
「「ごめんなさい」」
「ごめんなさい?!ちょ、待って二葉先輩、ち、近い近い、何で浴衣がそんなにはだけてるのかなー?!」
「お代わりは無制限ですよハニー、シルブプレ」

フェロモンが迸っている二葉が平凡に壁ドンしようとした瞬間、太陽の体はぐらりと後ろへ傾いた。
目を見開いて動きを止めた二葉は慌てて手を伸ばしたが一足遅く、太陽の後ろにあった壁が自動ドアの様にスライドしていくのを、誰もが呆然と見送るばかり。

「もう、だから喧嘩しないでって言ってるでしょグランパ!」
「私は悪くないだろう。判らず屋のセシルが悪、」

ステンと転がっている太陽が見上げた先、ヒラヒラなレースのパンツと目を吊り上げている短髪の少女と、渋い壮年の紳士が腕を組んでいるのが見えた。彼らの流暢な英会話を理解するスキルは、残念ながら太陽にはない。太陽のスキルは現実逃避に全て振り分けられているからだ。

「あ、アンタ、山田太陽でしょ?何してんのよ、こんな所で」
「あー、はい、山田ですけど、どちら様でしたっけ…?」

ああ、ヒラヒラである。太陽が今までの人生で見た事のある女性用下着は、派手な母親の下着だけだった。メロンが収まりそうなブラジャーに、乙女ゲームのヒロインが良くチラチラさせている純白のパンツなどでは全くなく、黒だの赤だの稀にベージュだの透け過ぎて防御力を感じさせない布キレだの、そんなハレンチなものばかりだったのだ。

「どちら様ってアンタ」
「よ、陽子のばかやろー」
「はぁ?」

多感な時期の15歳はこの日、初めて母親を呼び捨てにしたのである。人生で初めて生乙ゲーパンツを見たにも関わらず、何故三次元だとこうも無機質な気持ちなのか。ムラっともしない。これなら某白百合の白い鼠径部に一票投じたいものだ。あそこに吸いついて、案外しっかり生えている毛をもじゃもじゃさせて、その間にある恐ろしい凶器から目を逸らせば、二葉は可愛い。股間のアレは全くアレだが。

「Are you alright?(大丈夫かい?)」
「へ?あ、えっと、イエス、オーライです、はい」
「Are you sure you’re alright?(本当に大丈夫なのかい?)」

青い瞳の紳士から手を差し出された太陽は瞬いたが、どうした事だろう、真っ白なヒラヒラは遠ざからない。
硬直したまま転がっている太陽の視線に気づいて屈み込んだ白百合様に於かれましては、太陽が見ている光景に気づいたのか、凄まじくどす黒いオーラを撒き散らした。

「You have to get up hurry!(直ちに起きなさい!)」
「いえっさー!」

余りにも流暢な二葉の英語に翻訳出来ないとほざく勇気は、流石の左席委員会副会長にもなかったらしい。太陽は過去最高に俊敏な動きで起き上がり、脊髄反射で中央委員会会計の手を取ると、キリッと眉を吊り上げたのだ。

「や、やぁ、君可愛いねー」
「…誤魔化そうとしてませんか?」
「酷い誤解だよ。俺にはお前さんだけさハニー、あいらぶゆー」
「…」
「あ、あいうぉんちゅー。あいるびー、うみんちゅー」

浮気を疑われた旦那の様だとは言うまい。まして太陽の英語力が枯渇しているとも言うまい。
武士の情けだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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