帝王院高等学校
上がりきったテンションのままに、GO!
「…うぜぇ」
「愛するお兄様と対面するなり、開口一番とんだご無礼っぷりじゃねぇか」

出会い頭に真顔で呟けば、相手も笑顔に失敗した様な表情を一瞬見せたが、気丈にもいつもの大胆不敵な笑みに塗り替えて軽口で返してきた。だからと言って、腹が立つ事もない。
言葉にすると途端に難しくなる関係性である事は否定しないが、けれど嫌いな訳ではないのだ。まず特に嫌う理由がない事と、恐らく根底の性格が似ている事に早くから気づいているからだろうと思われる。認めたくないとしても。

「そっちこそ、一発目に『げっ』て顔しやがったろうが」
「してない」
「した」
「してねぇっつってんだろ、俺が」
「したっつってんだろ、俺は」
「可愛くねぇな、訴えるぞ」
「何処にだよ」
「お前の良心に。この俺様が可愛い弟に対して、そんな失礼な態度を取ると思うのか?この曇りなき目を見ても、同じ事が言えるのか?」
「とことんうぜぇ」

こんな事を考えていると口にする事は一生ないだろうが、向こうも似た様な事を考えている筈だと嵯峨崎佑壱は考えた。何の確証もない自己評価だが、目の前の男と自分は姿形だけでなく考え方も似ている。
特出すべきは、負けず嫌いな所だ。うざいと言われて喜んで見せる性格は、いっそ見事だとすら思う。

「まぁた背が伸びたな。お前の学年じゃ、デケェ方じゃねぇか?」
「知るか、ンな事知りたくもねぇ」
「他人に興味がないのは、わりと寂しい事だぞ。人生を謳歌しろよ、この俺様みてぇに」
「性病か痴情の縺れだな」
「聞きたかないが、何がだ」
「テメーの死因に決まってんだろ」

鏡よ鏡よ鏡さん、と、唱えたのは誰だったか。
我ながら呆れるほどに似ている目の前の男との明確な違いは、髪型と肌の色合いくらいだろう。注意深く窺えば佑壱と零人はそれほど似ていないのだが、注意深く窺わなければ判らない程度には、佑壱が兄と接触する機会は少ない。例えば今の様に、学園から抜け出そうとしている時に限って鉢合わせてしまう。行動すらも似通っているのか、監視されているのか。

「どっかの誰かさんがアラサーの乗務員に手を出してくれたお蔭で、室長ん所に妊娠したっつって怒鳴り込んできたっつー話を聞いたんだがなぁ、先週」
「俺がそんなヘマすっか。産みたけりゃ勝手にさせとけば良い」
「で、お前の派閥は大騒ぎだな。下手すら母子共に消されちまう」
「そもそも付き合ってもねぇ女の戯言に、それこそ付き合ってられっか」
「酷い言い分だねぇ、お前長生きしたくねぇの?」

どちらにせよ、全てをひっくるめて言えるのは、やはり『うざい』の一言だ。
したいしたくない以前の問題だと口にしそうになって飲み込めば、口の中が鉄錆の味がする。慣れた事だと言え、徐々に頻度が増して、今では四六時中血の味がする有様だ。勿論、そんな事は誰にも言わないけれど。

「出掛けんならちゃんと届出してけよ、書記様」
「は、私服でアンダーラインうろついてるサボリ魔の忠告なんざ聞こえねぇわ。俺の代わりに書いとけ、会長様」
「壮絶に可愛くないね、お前」

ああ、もう一つあった。大抵にこやかな零人と違って、面白くもないのに笑う趣味は佑壱にはない。挑発する時ならいざ知らず、学園の英雄扱いに甘んじなければならない中央委員会会長の外面スキルは、佑壱には絶対に真似出来ないものだろう。真似したいとも思わないが。

「逆に良かったわ、テメーに可愛がられようと思った事がわりと一度もねぇ」
「あ?わりとの使い方が可笑しくねぇか、ファースト君。この俺様に可愛いがられたいっつー奴は、掃いて捨てても膿むほど居るんだがな」
「何処の世界の話だ、俺が住む世界の話じゃねぇのは明らかだな。スカート履いてみろ、似合いそうな面してんぜ?」

そう、零人は嶺一にそっくりだ。
それこそ髪型と瞳の色こそ違うが、佑壱ですらその差異がなければ見分けがつかないのではないかと疑うほどに、二人は似ている。髪の色こそ嶺一から遺伝したらしい我が身を鑑みても、佑壱だけが別人とはっきり判る程には似ていないのだ。まるで、一人だけ別世界の住人の様ではないか。

「あー、母さんが会いたがってたぞ。たまには実家に顔出せや、送り迎えしてやっから」
「抜かせゼロ、ババアはハリウッドだろ。気が向いた時にしか帰ってこねぇんだから、見え透いた嘘をほざくな」
「気に掛けてんのはマジな話だ。お前の取り巻きがしょっちゅうやってくっから、帰ってきたくても中々戻って来れねぇっぽいしなぁ」
「…俺が寄越してんじゃねぇ、文句があるなら元老院の連中に言え。あれの扱いはテメーの方が適任だろうが、ゼロ=アシュレイ」

毎週、技術班から支給されるカプセル。
刺々しいほどに赤いカプセルを定期的に服用しなければ、あっと言う間に死ぬぞと笑顔で宣ったのは、両目の色が揃っていない悪魔の様な男だった。人の不幸を何よりも好んでいる、享楽主義者だ。

「祖父さんっつったって、会った事もねぇのにな」

ボリボリと首筋を掻きながら宣った零人は、わざとらしく肩を竦めた。
前男爵が退くと同時に引退したアシュレイ家の現当主は、年齢だけであれば藤倉裕也の父親と大差ない。
英国産まれ英国育ちでありながら、宮廷の目を盗んで永らくグレアムに尽力してきた『背徳者』として認識されつつも、国最高機関として広く知られている執事養成校を経営している事もあり、表立って非難される事はなかった。寧ろアメリカで力を蓄えたグレアムからの報復を恐れた王室は、アシュレイを野放しにしておく事で、人質兼仲介役を手に入れたつもりになっている。爵位で劣るグレアムに忠誠を誓い続けるアシュレイは、王室の魂胆を見抜いて21世紀に至るまで上手にあしらってきた様だ。

「ま、ンな事ぁ俺には関係ねぇわな」

但し、現在のアシュレイに最早人質としての価値も、ステルシリーとの仲介役としての価値もない事は明らかだ。世界中の首脳陣が畏れ慄く現男爵は、既にキング=グレアムの築いた過去の栄光を消し去る程に、名を挙げている。

「関係してくれっつった所で、向こうが嫌がるだろ」
「クライスト=アビスの血を引いてりゃあな」

肩を竦めた零人がぽつりと他人事の様に呟いたのも、現在のアシュレイが微妙な立ち位置にある事を理解しての事からだと推測出来た。ステルシリー初代レヴィ=グレアムの元から仕えてきた忠実な部下としての立ち位置が、ルーク=フェイン=ノア=グレアムには全く通用しないからだ。
彼は日本で産まれ、誰よりも日本人離れした顔立ちをしていながら生粋の日本語を介す、歴代グレアムの異端者でもある。歴代男爵はレヴィ=グレアムを除いてキングを名乗ってきたが、現男爵でそれも変わった。統率符を持たなかったレヴィは、本名のリヴァイをアメリカへ渡るのと同時に封じたとされているが、ルークも同じ事が言える。

何度も尋ねたのだ。
昔々、まだ世界の何一つとして理解していなかった頃の、無知な子供は。外の世界からやって来たと言う、初めて見る真っ白な従兄に、飽きもせず繰り返し問い掛けた。とうとう返事をするのも面倒だと相手にされなくなるまで、何度も。

『兄様。ねぇ、兄様。兄様の名前、教えてよ。僕はね、エデンでエンジェルでエアフィールド。ねぇ、誰にも言わないから良いでしょ?』

自ら飛び出してきた佑壱だが、それを差し引いても今のアメリカに戻るつもりはない。何せ今の生まれ故郷は、地球上で他に類を見ないほど穏やかでないからだ。

「つーか、遊んでる暇があるならたまには執務室に来い。他の役員の手前、オメーだけ特別扱いする訳には行かねぇのは判るだろ。月一くらいで良いからよ」
「行く訳ねぇだろ。テメーを筆頭に、うざい奴らしか居ねぇのによ」
「うざいからってこのまま機嫌を損ねると、その内風紀から張りつかれんぞ?馬鹿みてぇに忙しい中央委員会の会計の片手間に、学園の秩序まで守って下さるってんだからな、うちの白百合ちゃんは」
「世界中の秩序を破壊しまくってる魔王を、ちゃん付けで呼ぶトチ狂った奴が存在したか」
「お前、愛されてんだぜ?毎朝決まってあの可愛い顔で聞いてくるんだよ、『ダーリン、嵯峨崎君は今日も産休ですか?』ってな」

何処から突っ込むべきなのか。
誰が産休だ、と言うよりあの叶二葉から『ダーリン』と呼ばれているのか、毎朝人の話をネタにしているのか。言いたい事は山程あるが、どれから言えば良いのか悩んだ末に、佑壱は諦めた。ただでさえ顔を合わせたくないなのは、何も零人や二葉だけではない。もう一人、二葉より余程可愛らしい顔をしたあの男が居るのだ。

「何て言われようが構わねぇ、好き勝手にほざいてろ。第一、仕事しなくて良いっつったのはテメーだろ」
「おいおい、あの頃と今じゃ状況が違ぇだろ。お前だけだった時と、ヴィーゼンバーグの王子が2人増えてからじゃ…」
「付け加えて、片方はステルス中央最高責任者だ。セントラルコアの左元帥がのこのここんな島国にまでお越しになるたぁ、大災害の前触れかも知れねぇ」
「阿呆か。お前はともかく、叶にとっちゃ日本は故郷だぞ。大災害が起こってんなら、奴が産まれた時に起こってる筈だ」

真顔でほざいた零人は本気らしい。
佑壱は冗談で言ったつもりだったのだが、成程。扱い難い会計をうまく操縦しているとばかり思っていた零人の評価でも、二葉のカテゴリは『面倒臭い』で収まっている様だ。

「出来れば奴だけは絶対に役員にしたくなかったんだ俺は。風紀やるっつーから二足のわらじなんざ無理だろうって思ったから、嫌味と冗談のつもりで『ついでに会計もやれば?』なんて言っちまっただけで、本当はやってくれなくて良かったんだマジで」
「今更自分の恥を俺に聞かせてどうすんだ、馬鹿か」
「もう本当、お兄ちゃんはあの時の俺をぶっ殺したいんです」

あの男の面倒臭さは付き合いが長くなるにつれて思い知るので、零人は比較的早い方だろう。どうやら初めから二葉の本性を見抜いていた様だが、佑壱に言わせればあれの従兄も大差ない。

「あのセカンドにダーリン呼ばわりされてんだから、そこそこ転がしてんだろ?もしくは、転がされてる振りかも知れねぇが」
「馬鹿野郎、この俺様があんな二重人格が三回転してる様な多重人格サイコパスに、ダーリンなんて呼ばせっか。鳥肌が勢いよく大気圏突破するわ」
「はぁ?さっきほざいてたじゃねぇか、何だったんだよありゃ」
「叶からダーリン呼ばわりされて『黙れ犯すぞ』なんて言い返せる英雄は、世界広しと言えど光姫だけだ」

ほら。去年の春に見掛けた、女子の様なネイビーグレーのブレザー。それがヴィーゼンバーグと知ったその日から、苦手意識に拍車が掛かったのだ。

「…アイツこそ、元は日本育ちなんだろ。前公爵には三人の餓鬼が居るってのに、何で愛人の餓鬼がヴィーゼンバーグ名乗ってんだよ」
「さぁな。女帝セシル=ヴィーゼンバーグが認めたっつー話だが、ベルハーツっつーのは愛称みてぇなもんらしい。公爵家は昔から、侍従を星座…いやタロットだか何かで呼んでたっつーからな」
「タロット?カードの?」
「ああ、らしいな。光姫から聞いたんじゃねぇ、白百合ちゃんからだ」
「奴がわざと聞かせたんじゃなきゃ、知られて困る様な話じゃねぇっつー事かよ」
「だろうよ。奴から見れば、俺なんざわざわざ考慮する程の人間じゃねぇって事だ」
「言ってて虚しくねぇのか」
「別にー?中坊になったばっかのお前には判んないだろうが、どんなに大人びた餓鬼でも餓鬼は餓鬼だ。必死で虚勢張ってる様にしか見えねぇよ、叶なんざ」
「は、イカレてやがる」

呟けば、今から遊びに行くつもりなのかそれとも逆に今帰ってきたばかりなのか、私服姿の零人は指輪だらけの手でポケットを漁り、取り出した小さな包みを投げてきた。飴玉かと思えば、どうやらチョコレートの様だ。
またセフレだか恋人気取りの友達だかに貢がれたのだろうと、遠慮なく包みを破る。

「獅子が家紋の家は、跡取り以外は本名を名乗らないっつー暗黙律があるそうだ。知らなかったか?だからミドルネームを名乗んだよ、公爵以外はな」
「だったら高坂は、」
「言っただろ。ベルハーツはあくまで、奴の親か誰かが愛称でつけたもんだって話だ。ヴィーゼンバーグがその名前をどう扱ってるかは知らねぇが、本人はベルハーツって呼ばれるのをかなり嫌がってる」
「どう言う事だよ、訳判んねぇ」
「カプリコーン」

初めて、空を飛んだ事を思い出した。
仰向けで見上げた空は、先綻ぶ桜吹雪の隙間から、太陽より眩い黄金のそれを煌めかせていて。

「魔女とまで畏れられた女が、血縁関係はどうあれ孫に対して『山羊』っつった訳だ。お前はどう解釈する、ケルベロス」

山羊。日本語で書くと否応なく含まれる羊とは、似て非なるものだ。

「…ステイツじゃ、羊のが畏れられてんだがな」
「羊?」
「タロットについてはそこまで詳しくねぇが、見た事はある。山羊みてぇな角生やした、気色悪いキメラモンスターが書いてあるカードの意味は」

オフホワイトとネイビーグレー。
近い様で遠い五歳年上の兄は下げていたショルダーバッグから白いブレザーを取り出すと、欠伸を噛み殺している。サボっているのはお互い様らしい。

「確か、『悪魔』だ」
「ふーん、博識な弟だな」

空のゴミを押しつけた。
これ以上似ている所を探しても何にもならないのだから、ついでに脱ぎ捨てたネイビーグレーも押しつけておこう。































「それじゃ、お母様の過去を知る為に後先考えず飛び出してきたんですか?」

無邪気な表情で宣った彼に、恐らく悪気はないのだろう。
誰よりも空気を読んでいるつもりで盛大に空回るスキル、それを勘違い野郎と罵るのであれば、1年Sクラス錦織要の右に出る者は、今現在この場にはなかった。

「カナメちゃんさあ、今の説明で良くそこまで判ったよねえ、偉い偉い」
「お前は判らなかったんですか?全く、猊下に帝君の座を奪われたからと言って油断し過ぎですよ。まぁ、相手が猊下ですから仕方ないにしても、そんな体たらくではすぐに俺から抜かれてしまうでしょう」

いや、今のは皮肉のつもりだった。などと、神崎隼人は満足げに勝ち誇っている要を見つめながら瞬いたが、今は嫌味を言う気力もない。
出来る事なら死ぬまで誰にも言わないつもりだったのだろうと思われる産みの母は、隼人の目から見てもチャラチャラしている専門学生と連絡先を交換し、その間に他人事の様な昔話を口にした。独り言の様に吐き捨てられたその話を、生真面目に背を正して聞いた要は神妙な顔で頷くと、先程の凄まじい皮肉を零したのだ。然し、要に悪びれた様子はない。

「ハヤトの神崎と言う姓は、お祖母さんの名字だったんですね」
「みたいだねえ。じーちゃんが冬月の時点で、まあ気づいてたんだけどさあ」
「それについては籍を入れてない訳だから、当然じゃない。冬月は昭和の初め頃になくなった家なんだから、日本から戸籍は消えてる筈よ」
「ああ、そう言われてみれば。ステルス幹部は無国籍者が多いんでしたか」
「組織ぐるみで怪しいよねえ、ほんっと」

叶二葉との圧倒的な違いは、要が言う台詞の殆どが脊髄反射によるもので、二葉の様に計算し尽くされた皮肉とは違うと言う所だ。他人事の話を良く真面目に聞いているな、と言う隼人の皮肉を『褒められた』と勘違いしている当たり、神経質そうな見た目の要の内面は、外見を裏切っている。
大体にして、何だかんだ言いながらも面倒見が良いのだ。例えば、あの嵯峨崎佑壱にしても、隼人が昇校した頃の噂に良いものは一つもなかった。だからあの頃は、加賀城獅楼が発足した親衛隊の数も少なく、今ほど肥大化したのは現在カルマの総長として知られているシーザー、つまり遠野俊が加わってからの事だ。

「冬月と言う名前に聞き覚えがある様な気がするんですけど、確か、ツル?とか何とか…」
「はあ?鶴?」
「何処で聞いたのか思い出せないので、勘違いかも知れません。と言うより、俺は今、猛烈に眠いんです」
「寝てよいよ、帰ろ」
「いえ、此処まで来たら起きていたい気持ちになりました」
「天邪鬼極めてんねえ、もお…」

それまでの佑壱の悪名と言えば、女癖が悪いだの、毎回違う女を連れているだの、女から刺されただの妊娠させただの、今の佑壱からは考えられない様なものばかりだった。だからか、美容師の彼女を別れ際に激昴させた挙句、前髪をスパンと切られていた事もある。左右で長さが違う前髪は、佑壱だからアシンメトリーで通用したのだ。
ぶっちゃけ隼人から見ても、あの髪型はダサかった。

「それにしても、15歳と言えば…今の俺らと同じ年頃ですね。何の当てもなく日本に来た訳ではないんでしょう?」

手持ち無沙汰なのか、外国人と英語で何やら話している榊雅孝を横目に、斉藤千秋が入れ直してくれたお茶が運ばれてくる。どうしても母親と会話したくないらしい隼人は既に三杯目だが、腹を擦りながらカップを持ち上げた所を見るに、やはり母親との会話は要に丸投げするつもりらしい。
ただでさえ、根に持たせたらカルマ随一と謳われる男だけあって、長年の確執をそう容易く振り払えはしないのだろう。そんな隼人の男心に気づいているのか居ないのか、要は足を組みかえた。穏やかな表情で恋人を見守っている神崎岳士は、素直になりきれない恋人が段々表情を和らげている事に気づいているのかも知れない。

「…当てなんてあってない様なもんだったわよ。未成年の子供が出来る事なんて殆どないんだもの。ただ、密偵の真似事は叶が専売特許にしてるって話を聞いて、真っ先に行ったわ」
「ああ、成程。けれどあの叶が素性の知れない少女の依頼を受けるなんて、どうも信じられません」
「今となっては、私もそう思うけど。あれから…もう17年くらいになるかしらねえ。今の当主は、あの頃はいなかったんじゃないかしら。と言うより、当時の当主が亡くなったか何かで、改めて思い返してみると、どことなくバタバタしてたかも」
「その頃と言えば、皇子の君の姿が見えなくなったって騒いでた頃かなぁ」

中学時代に、家の事情で転校を余儀なくされた岳士がカップを持ち上げながら呟く。何かに違和感を覚えた要が黙り込むのと同時に、隼人がカップから手を離した。

「眼鏡のひとのお母さんが亡くなった頃って事じゃん?あの人が産まれてからすぐだったんでしょ」
「良くそんな事まで知ってますね、お前。暇なんですか?」
「あのさあ、白百合親衛隊って言えば、厳つい風紀だけじゃないんだよお?表向き興味ないって顔してても、実際ファンだって奴は腐るほどいんの。あんな性悪にも、顔がよいから」
「ああ、セフレから聞いたんですか」
「うん、否定しないけどその辺はオブラートに包もっか?」

隼人は苦笑いを歪め、チラリと書類上の保護者を見遣る。聞こえない振りをしてくれている様だが、カップを持つ手がぶるぶる震えていた。市長に当選した頃に恋人から逃げられてからは、浮いた話が全くなかった奥手な男には、爛れ過ぎている十代の性事情は刺激が強過ぎた様だ。
要も人の事は言えないだろうと思ったが、それをこの場で言うのは格好が悪い。売り言葉に買い言葉なんてものは、小学生がやる事だ。と、精一杯大人ぶっている隼人は冷静を心掛けた。

心掛けたが、快活なノックと共にドアが開いた瞬間、流石に条件反射で立ち上がってしまったのである。

「な、なん、何でアンタが入ってくんのー?!な、なん、何しに来たわけ?!」
「…デケェ声で騒ぐな。ご歓談中に失礼します、高等部3年の高坂日向と申します。中央委員会副会長を仰せつかっている身として、ご挨拶に参りました」

隼人を、その恐ろしいほど整った顔の睨み一つで黙らせた生粋の金髪が、蕩ける様な笑みを浮かべて隼人の母親と、その恋人へ目を向ける。隼人に向けた目とはまるで違う、超がつくほど友好的な眼差しだ。お前は誰だと無言で目を丸めた隼人の傍らで、要もまた目を丸めている。

「中央委員会副会長?!何でわざわざ…ああ、そうだ、名乗って貰ったのに名刺を渡すのを忘れてた。この度はご丁寧にどうも、神崎と申します。こちらは、そこの神崎隼人君の…」
「いえ、そこまでで。僭越ながら、ご事情は把握しています。公表なさっていないプライバシーに関しては、伏せられたままで結構です」

どうした事だろう。
カルマの前では何処までも俺様な副会長は、何処へ出しても恥ずかしくない態度で一礼し、慣れた手つきでソファまで近寄ると、名刺を取り出しながら立ち上がろうとした岳士に着席を促しつつ、その場で片膝をついた。すらすらと淀みなく気遣う光景は、何処の紳士だと突っ込まずにいられない。
テメーヤクザだろ、と、思ったのは隼人だけではなかった筈だ。然しお茶を飲もうとしていた要はカップに口をつけたまま、ボタボタと茶を滴らせている。それに気づいた隼人は慌てて要からカップを奪い、日向を凝視したまま意味もなく素手で濡れた要のブレザーを拭ったのだ。その行為に殆ど意味がない事は、恐らく気づいていない。

「何から何まで、お気遣い感謝します。ご迷惑でなければ名刺を受け取って貰えるかな、高坂副会長」
「若輩者故に名刺の手持ちがなく、失礼しました。有り難く頂戴致します、神崎先輩」
「えっ?僕が此処に通ってた事、誰かから聞いた?」
「いえ、以前に先輩のご尊顔を拝見した事が。畏れながら、同級生に脇坂と言う生徒がいらしたでしょう?」
「…あ!高坂ってまさか、君は金虎の君のご子息かなっ?」

あからさまに驚いた表情の岳士が叫ぶと、日向はわざとらしいほどにこやかに頷いた。いや、だからテメーはどなた様だと、そろそろ隼人の唇が我慢の限界を迎えている。
戸口で雨に打たれた捨て犬の様な表情をしているゴリラ…失礼、佑壱には誰も目を向けない。

「覚えてらっしゃらないとは思いますが、以前市長選の必勝会にお邪魔した事がありまして」
「あ、ああ、ああ、覚えてるよ、いや、思い出した…!帝王院には入らずに留学する子がいるって、君か!」
「その節は、大変お世話になりました。祖父が生前、畠中さんと懇意にさせて頂いていたと伺っております」
「うんうん、高坂先輩のお父さんは、僕のお祖父さんと同じ大学に通っていたんだ。いやぁ、…それにしてもあの時の可愛らしいお子さんが、こんなに立派になるなんて。いやはや、然し見れば見る程に君は昔の高坂さんにそっくりだなぁ」

畜生、全く嬉しくない。
凍りついた日向の笑みの下に、そんな本音が見え隠れしている。

「えっと、所でそちらは?」
「…失礼しました、どうも緊張している様で。おい、嵯峨崎」
「うっ、はい!」

マネキンの如く動かなかった赤毛は、笑みを張りつけているものの底冷えする様な目で睨んできた日向に呼ばれ、ビシッと背を正した。隼人と要が揃って破顔し、ほぼ同時に目元を手で覆う。

ああ、あれは絶対にアレだ。

「た、ただいまご紹介にあ、あああ、あずっ、預かりました、さささ、さがっ、さが、さがが、」
「…」
「しゃがしゃきっ、ゆーいちれふ!」

うん、完全にテンパっている。完璧な上がり症の末期症状だ。見ろ、筋肉がいつもよりパンプアップしているではないか。何処の世紀末覇者だ、何でそこまで派手に噛みまくるのか。

「「「「…」」」」
「こっ、こここ、高等部、に、2年でした!あ、や、違う、過去形じゃねぇ、高等部2年なう!」

佑壱の剣幕に沈黙した大人達を横目に、斉藤と榊もまた暫く動きを止めたかと思えば俯き、ふるふると肩を震わせている。

「所属は…っ、中央委員…違、やっぱさささ左席…っ、えっと、だからその、あの、カルマは違う、その、何が言いたいかっつーと、昨今の外国為替相場は1ドルひゃ、百万円で!あれ、百円だった様な気もしてきた…ちょい待て、何の話してんだっけ…?」

自分の事ではないのに何故か顔を赤らめて唇を噛み締めた隼人と要は、人前で親が恥をかいた時の子供の様な表情で沈黙し、あらぬ所に目を逸らした。二人の光景だけを切り取れば、慣れないお見合いで恥じらう若き二人の様に見えなくもない。
然しゆったりと立ち上がった日向が晴れやかな笑顔で手を振り上げ、バシッとテンパっている後輩の頭を叩いた瞬間、部屋中の空気は今度こそ笑えないほど凍ったのだ。

「な、何すんだテメー!」
「さぁ。何するんだろうな、しゃがしゃきゆーいち君?」

叶二葉との血縁関係を改めて思い知らせる完璧な愛想笑いは皮肉を込めて、中央委員会書記に突き刺さる。返す言葉がないのは、改めて日向から噛みまくった自己紹介を繰り返されたからだ。
もう本当に、何をしているのか自分は。自責の念で押し潰されそうな佑壱が尻尾を巻いて逃げようとした瞬間、情け容赦ない副会長の左腕がガシッと佑壱の頭を押さえつけた。

「まともに喋れない後輩の代わりに、ご紹介させて頂きます。これは中央委員会書記、嵯峨崎佑壱と申します。おい、嵯峨崎。お二人に挨拶しろ」
「…嵯峨崎佑壱でス、宜しくお願いしまス」

表情を何処かに捨て去った佑壱が押さえつけられるままに頭を下げれば、部屋の奥からガタタタタと言う派手な音が響いてくる。
今度は何だと全員が目を向けた先、目隠し代わりの衝立が傾いているのを支えた榊の傍らで、ズレた眼鏡を押し上げている外国人はホラー映画を見た様な表情で一言、


「ケ、ケケケ、………ケルベロスっ?!」

残念ながらこの場所に、そんな厳しい犬は居ない。
借りてきた猫の様に大人しく頭を押さえつけられている、チワワにしてはゴツいワンコしか居ないのだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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