帝王院高等学校
ユーはとりま勇者になっちまいな!
誕生日だった。
純粋に産まれた日付の4月4日、8度目の誕生日は家族で盛大に祝うと去年と同じ台詞を宣った男は、シカトすれば去年と同じく奇抜なドレス姿で迎えに来るに違いなかった。日本時刻では4月5日の早朝だと聞いているが、証明する方法は今の所ない。唯一の証人である母親と、会って話す方法もそうする意思もないからだ。

5歳で初めて来日してから何年経ったのか。過去二度繰り返された黒歴史で思い知っているので、今年は逆らう気にもならない。呆れ果てるほど恥ずかしい思いをするくらいなら、素直に従う方がマシだ。

「アリエスキーよ」

春休みの間は大人しく里帰りしてやり、毎晩毎晩寝室に突入してくる鬱陶しいオカマを撃退し続けて早二週間。
待ちかねたバースデーパーティーの最中、『お前に似てた』と言って、クリスマスでもないのにテカテカと焼き上げられた大きな鳥を買ってきた腹違いの兄を横目に、呟きながら父親が差し出してきたのは、どう見ても誕生日プレゼントの類ではなかった。

「アリエス?」
「昨日…向こうはまだ日付が変わってないから、こっちでは4月3日の深夜になるかしら。クラウンセントラルで大規模な人事改編が起きた」
「クーデターでも起きたのか」

濃い化粧でもその憔悴した表情が判り、装飾が施されているプラチナの様なホワイトゴールドタグが、ただの金塊ではない事を教えていたのだ。

「ノアが入れ替わったわ」

アメリカ合衆国東部、首都ワシントンD.C.の地下にはホワイトハウスより数倍大きな宮殿が佇んでいる。
夥しい数の漆黒の塔を回廊で繋げた複雑な構造のそれは、初代ステルシリー社長であるレヴィ=グレアムが当時着工したばかりだったスペイン建築に感銘を受け、莫大な資産を惜しまず投資し建設を続けさせたものだ。

「…は?」
「増築キャノンの完成報告会の最中だった」

後のキングが引き継ぎ、現在に至るまでトータル百年近く要しているだけに、嵯峨崎佑壱が最後に見た時と今では、幾らか違いがあるかも知れない。だからと言って興味はなく、今はそれがどうだと言う訳でもない。
活気溢れるマンハッタンをそっくりそのまま飲み込む面積を誇る、世界で最も危険で美しい城の持ち主は国籍のない男爵で、居城の中央、最も背が高い建物の更に中心部は幹部のみが立ち入りを許可されたエリアだ。

「崩壊したのよ。キング=ノアの円卓は」
「んな、馬鹿な」
「いえ。今のあの方は、ノヴァと呼ぶべきかしら」

英語でゾディアク、通称『12柱』と呼ばれる、各部署のマスターでなければ見る機会のない神々の領域をギャラクシーと呼び、中央区の最も中心に当たる。更に円卓が開かれる会議室をセントラルギャラクシー、会議室に至るまでの長い廊下をクラウドナインと呼んでいる。
遥か昔、視力に問題が生じたキングの為に、ギャラクシーエリアに点在するどのエレベーターを使用してもそこへ辿り着くよう作られていて、通路は一方通行の動く歩道が二本寄り添っていた。目が見えなくても極論だが足がなかろうと、真っ直ぐ会議室に辿り着くのだ。

「だった、ら。ノアは誰が…」
「ランクAに任命されてほんの数分で中央情報部長の座を退いた、コード:イクス」
「奴は9歳になったばっかだろうが!4月3日、あっちじゃ4月2日で登録されてる!俺とは2日違いだ!」
「現在は、ルーク=フェイン=ノア=グレアムと呼ぶべきでしょうね」

ステルシリー中心部は、だからキング=ノアの為にあったのだ。

「だから言ったでしょう。4月2日の深夜、彼はABSOLUTEとして中央情報部長に任命された。円卓は真夜中に開かれるから、定例報告が終わった後、時間にして23時50分だったの」

グレアムを迫害したオルレアン朝よりもずっと、抹殺を企んだ女王の国は罪深い。ノアに降り掛かった災いを決して忘れてはならないと、初代中央情報部長レオナルド=アシュレイによって、漆黒の宮殿は『Cannon to Titania』と名づけられた。アシュレイ一族がシェークスピアを支援していた事は、有名な話だ。

「シェークスピアを『下らん』の一言で評価した餓鬼が、男爵だと…?」
「ルークの円卓の1位は、自ら2位を申し出たセカンドの代わりに牡羊座が選ばれたわ」

ああ、だからアリエスか。
皮肉だろう。いや、そんな事を考えてしまった時点で負けだ。所詮人間なのだと、己の浅はかさを思い知る。向こうにとっては些細な事なのだ。恐らく理由などないに違いない。
いや、あるとすれば統率府とノアの血を重んじるステルシリーの風習に倣っただけ、その程度の理由に違いない。

「そしてすぐに日付が変わった。4月3日、中央情報部のデータに4月2日と記載されていても、ステルスは日本を基軸に考えている会社よ。公用語にしたって、英語より日本語が優先される。貴方も知ってるでしょう、ファースト」

9代男爵、キング=ノア=グレアムに兄弟は存在しない。表向きは、だ。
だが、幹部の誰もが知っている。シンフォニア、キングの複製が生きている事を。そして更に佑壱は知っている。イブがアダムのベッドに縋り、毎日泣いていた事も。

「…おい、ゼロ」

ただでさえ楽しくない誕生日会が、益々陰鬱な気分で染まった。
嶺一がテーブルに投げ出したタグを見ない様にしたけれど、毎年誕生日会を開きたがる嶺一以上に面倒な相手だ。拒絶すると言った所で、ノアに逆らえば例え一位枢機卿であれ、先はない。

「ターキーは足だけ寄越せ。そのみっともないペラペラな肉を俺に食わせるつもりだったら、ぶん殴るぞ」
「あ?これは皮だけ食うもんだろ?」
「そりゃダックだろうが。七面鳥は焼き方さえ間違えなきゃ、丸ごと食える」
「知るか面倒臭ぇ、各自勝手に切り分けろ」

嶺一とは違い、近頃急速に身長が伸びた零人はいつも通りの表情で、アメリカの事情など知った事ではないと顔に書いている。
ネイビーグレーのブレザーを脱げば、高等部の生徒に紛れていても見分けがつかないだろう大人びた顔立ちは、中央委員会役員である事を除いても、親衛隊が出来た理由の一つだろう。零人の周りには常に人が溢れていて、報道部が定期的に発表しているランキングのほぼ全てにランクインしており、興味がない佑壱の耳にも入ってくる程だ。

「食い方も知らねぇもん買ってきたのはテメーだろ。暇人かよ」
「あ?馬鹿抜かせ、中学生は忙しいんだよ。選定考査とか選定考査とか選定考査とか」
「帝君なんじゃねぇのかよ」
「俺様は全教科満点目指してんだ。算数に泣かされてる誰かさんと違ってな」
「んだとコラァ!」

シュパパンと切り分けた七面鳥の胴体の輪切りを投げつければ、腹に詰めていた香草が飛び散り、嶺一の顔を直撃する。

「…食べ物を粗末にしてんじゃねぇぞ糞餓鬼共」

恐ろしく低い声を放った嶺一が、手に持っていたシャンパンボトルを握り潰すのを見た。どれほどの握力があればああなるのか不明だが、大型バイクを持ち上げる様なオカマに喧嘩を挑むのは流石に控えたい。

「それ、なくさない様に携帯しなさい。持ち運びたくないにしても、間違っても捨てたりしない様に」

艶やかなプラチナ瓜二つのタグを指差した男は、髪と同じく真っ赤な瞳を眇めた。
あの人の髪はそのタグより幻想的で、その双眸は嶺一よりも神秘的だった、などと一瞬でも考えた時点で自分は、やはりただの人間なのだろう。

「最初の仕事は、対外実働部の新規社員を捕まえる事からよ。望む望まないに関わらず役職は貴方に付き纏うでしょう。…特にこれからは」
「これから?」
「ノアの決定により、シスターテレジアが解任された。彼女はもうイブでも何でもない、一人の女性よ」

ああ。
最悪な誕生日だ。

「お食事中、失礼致します。会長、クリスティーナ=グレアム様を乗せた車が到着しました」
「待ってたわ。すぐに玄関まで迎えに行くから、新しいシャンパンを用意して頂戴コバック」
「小林です」

計った様にやってきた父親の秘書が白々しく宣うのを聞きながら、七面鳥の足に噛みついている零人の変わらない表情をただ、睨んだのだ。









(そこまで無関心で居られたら、どれほど楽だったかと)



















「何でだと?」
「ああ。何で?」

至極不愉快そうな表情だった。
一言で表すなら『何故そんな事も判らない』と言った、理解力の乏しい他人を見下す表情だ。残念ながら、そんなに変な質問をした覚えはなかった。

「んなもん、好きだって言われたからだ」

他に理由なんざないとばかりに吐き捨てられた言葉に対し、価値観の違いを思い知る。向けられる行為を素直に受け入れると言うのは、絶対的に自分には真似が出来ない事だったからだ。
どんな思考回路をしているのだろうと、久し振りに鳥肌が立つ。嫌悪感に酷似していたが、大半は罪悪感による苦手意識だ。けれど顔には決して出しはしない。

「言われたら片っ端から喰うのか、お前は。とんだ尻軽だなぁ、おい」
「テメーだって同じだろうが。毎日毎日何人侍らせてんだ、ヤリチン」

景気良く髪を切ったと言うから揶揄い半分、ただでさえ年中無休の中央委員会役員の中でも取り分け忙しい会長職にある自分が、わざわざ初等部のお子様に会いに来てやったと言うのに、だ。

「いたいけな小学生がお兄様に対してヤリチンとはどう言う事だ、いじけるぞ」
「勝手にしろ」
「あっそ。だったら良いんだな?パンだらけのカスタードホイップシュープディングなる砂糖の塊は、哀れダストシュートにシュートされちまう訳だ。シュークリームだけに」

サスペンダーつきのハーフパンツが此処まで似合わない生徒が果たして存在するだろうかと言うほど、同世代の誰より体格に恵まれている可愛げのない弟は、左右シンメトリーの前髪を手癖の様に掻き上げた。

「心底うぜぇ」
「言葉を選べケルベロス」

ガリガリと頭を掻いて、『面倒臭い』と『食い物に罪はない』の二択を迫られている。様に、見えなくもなかった。どちらにせよ、表情は差程変わっていない。

「自然腐敗させるくらいなら俺が胃の中で今日中に消化してやっから、それは置いていけ」

成程、気安く外出出来る身の上ではない子供は大変だ。
基本的に初等部の生徒は二人一部屋で暮らす決まりの為、ルームメイトは協力する相手でもあるが、互いに互いの行動を牽制する事になる。弟のルームメイトが誰だったか考えて、即座に考える事を放棄した。余り宜しい生い立ちの生徒ではなかったからだ。
まぁ、お互い様だろうが。

「二つ入ってるから、同室のロシアン坊ちゃんと食えば」
「知るか、部屋じゃ滅多に会わねぇ」
「ひょいひょい抜け出してんじゃねぇぞ悪餓鬼、勝手がしたきゃ中央委員会に入れっつってんだろファースト」
「絶対嫌だっつってんだろうが、ぶっ殺されてぇのかゼロ」

やっと、怒りらしい表情が見えた。
微かに細い眉を潜めただけだが、本格的に機嫌を損ねるとまた訳の判らない言語で馬鹿にされるだけだ。会話をするつもりがまだあるだけ、僥倖と言えるだろう。
いや、それだけ目の前の子供と呼ぶには育ち過ぎている弟は、成長したのかも知れない。精神的にも。

「じゃ、プリンだかシュークリームだか良く判らんものをやる上に、俺様の手作りキーホルダーを進呈するぞよ。受け取れ」
「あ?要らね」
「そのキーホルダーを心から嬉しげに喜ぶ表情を写真に収めてやっから、ちゃんと撮れたらやる」
「へし折るぞテメー」

何をだ、などとは言わない。
わざわざこの為だけにカメラ画質が良く、ストレージ容量の多いスマートフォンに買い替えてきたのだ。

「何企んでやがる」
「顔、性格、共に文句のつけようがない5年連続抱かれたいランキング1位の嵯峨崎零人様に、この上『弟の写真を甲斐甲斐しく撮り溜めてる優しい兄貴の一面』を追加すれば、向かうところ敵なしだ」
「言ってて恥ずかしくねぇのか」
「虚しくはある。おら、親父も母さんもお前が全く帰ってこなくなって寂しがってんだぞ。せめて写真の中だけでもにっこり笑え、佑壱君」
「糞程うぜぇ」

ああ、般若の面にそっくりではないか。
確かに口元は逆三角形だったが、仕方なく唇の端を吊り上げましたと顔に書いてある。ただでさえ奥二重の弟の眼差しは白目の範囲が多いので、下手すれば般若以上に不気味な笑顔だ。あれを笑顔と認めて良いのかは、嵯峨崎零人には判らない。

「11歳の顔かこれ。16歳の俺が違う方向性で『兄貴』呼びたくなるわ」
「このキーホルダーは返す。プリンだけ寄越せ」
「それは携帯につけとけ、静電気軽減効果がある。お前、電圧が高いから未だに携帯を携帯してねぇんだろ?下手なギャグじゃあるめぇに、良い歳した若者が」
「は。こんなもんが一つあるくらいで何も変わりゃしねぇ」
「お前が夜遊びをする度にプレゼントしてやるから、泣いて喜べ。お前の悪行をお兄様は見てるぞ」
「意味不明なストーカー宣言やめろ。尾行したら殴る」

がばっと紙袋を奪っていった佑壱は、仕方なくキーホルダーを袋の中へ投げ込む。
どうせ返品するだけ無駄だと悟ったのだろうが、機嫌が良いのか悪いのかやはり判断に悩む表情で中身の箱を取り出すと、躊躇わずにその場でシュークリームを鷲掴み噛みついているので、少なくとも不機嫌ではなさそうだ。

「うまいのかそれ」
「普通」
「食レポの勉強しとけ。やり甲斐がねぇ奴だな、わざわざ俺様のセフレ何号だったかが買ってきてくれたのによ」
「テメーこそ男女見境なくヤりまくってんだろ。何企んでやがる」

さっきの質問かと、零人は眉を跳ねた。
佑壱が手をつける女性の振り幅の広さに一貫性がなかった為、純粋な疑問から投げつけた言葉だ。

『好みの女はどんな奴だ』

と尋ねると、佑壱は暫く考え込んで『特にない』と首を振った。
それなら全員『体だけの友達か』と尋ねると、これにはすぐに首を振った。全員付き合ってると宣った弟は、冗談を言っている様には見えなかったのだ。

「心配してやってんだよ。毛も生え揃ってねぇような餓鬼が、次から次に精子撒き散らしてるっつーから」
「ゴムならある。貰ったのなくなったら箱買いすれば良いんだろ」
「そう言う下世話な心配してんじゃねぇっつーの。早いとこ子持ちになりてぇなら好きにしろ、俺は後からゆっくり気が向いた頃にやるから」
「あ?何を」
「子作り。適当に利害が一致した相手と、ぼちぼち意見が一致した頃に」
「利害?女と結婚すんのに、わざわざ勘定が必要かよ。要るのは感情だけだろ」

流石は、語彙だけは無駄にある。
言われた零人は一瞬混乱したが、言い得て妙だ。確かに恋愛の延長線上にある、ゴールと言って過言ではない結婚に必要なのは、一般的に感情だけで良い。
やはり価値観が全く違う。兄弟とはやはり、他人事の様な肩書きだ。自分には全く似ていない。

「…言うのは簡単だよな」
「あ?」
「好きだって言われたら、俺ならそいつは相手にしねぇな。俺の好みのタイプは判り易いぜ?本気にならない遊び目的の奴、それだけだ」
「訳判んねぇ、惚れられて惚れ返すのが付き合いってもんだ。ヤるだけなら相性が良い奴が一人居れば良いだろうが」

ほら、佑壱も零人を理解していない。寧ろ嫌悪感を滲ませた目で吐き捨てながら、二つ目のシュークリームを豪快に頬張っている。

怖くないのか。聞きたい言葉は喉元で塊になった。それ以上は出てこない。
怖くないのか。夢見がちな少女漫画の主人公が恥ずかしげもなく宣う恋なんてものは、この世には存在しない。寧ろ憎悪に程近い愛憎が終着点だ。人間がお綺麗な恋愛ばかりしているなら、この世に争いなど産まれる訳がない。

何も知らない純粋な子供。
いや、知っていても零人とは違う受け止め方をしているのだろうか。若い身空で痩せ細りながら、最後の最後まで苦しんで死んだ哀れな女は何度も『自業自得』だと言ったのだ。
だから病気に気づいても、手遅れになるまで病院へ行かなかった。早く土の中へ帰りたいと、何度も何度も。零人が泣きながら痛み止めの薬を勧めても、とうとう一度として飲まずに。嶺一が気づいた時には既に、彼女には手術する体力も残っていなかった。

エアリアスと言う名を知ったのは、彼女がこの世を旅立ってからだ。零人は母親の事をイールだと信じていたし、彼女は流暢な英語と下手糞な日本語で会話をしたが、とうとう最後まで己が生まれた国の話を零人にはしなかった。
仏壇に供えられている饅頭を度々盗む時には、『ハゲローパパがお食べって言ってまーしたー』などと嘯きながら、祖母に見つかって追い掛け回されても笑顔だっただろうか。

「純粋な考え方をする弟で、お兄様は嬉しいよ」
「ほざいてろ」

夢見がちな少女漫画の主人公は、王子様を待っている。
夢を見ない母親は『私にはお姫様がいました』と、誇らしげに繰り返した。私は王子様になりたかった、と。零人を王子様と呼んで憚らない祖母の前でこっそり、英語で何度も。
祖母は大層やり手で、女手一つで嵯峨崎航空を現在に至るまでに拡張した。元々良家の娘だった様だが、親の事業は愛人とその子供に取られたと言う話も耳にした事がある。
若い頃に何らのトラブルで家族と疎遠になり、それからどんな苦労があったのかは謎だが、通り名が名古屋の女帝だったと言うのは冗談ではない様だ。

「んな下らねぇ事をわざわざ聞きに来たのかテメーはよ、どんだけ暇人だ」
「ブラジルから帰国した従業員と、駐車場の防犯カメラの真ん前で、13分も仏壇返し披露した馬鹿の面を見に来てやったんだよ」
「あ?仏壇返し?」
「テメェがやった体位の呼び名くらい知っとけ、糞餓鬼」

相変わらず、表情があるのかないのか。
基本的にいつも不機嫌にしか見えない生意気な面構えは、目尻が吊り上がっているからだろう。殆ど覚えていない祖母の眼差しに良く似ているが、そう言った所で目の前の子供には判らない話だ。
黒いシャツに黒いサスペンダー、ネイビーブルーのハーフパンツ。中等部のブレザーより青みが強い初等部の制服は、着用義務が課されている。と言っても制服着用義務がない中等部以上であろうと、私服で登校する生徒は少ない。帝王院学園全校通じて、デザイナーズブランドの制服を提供しているのは、東京本校だけだからだ。

「体位…48手とか言う奴か」
「知識はあんのか、ませてやがる」
 
グループ校総勢、数万に上るだろう生徒の中でほんの一握りの子供達だけが与えられる権利に、誰もが自尊心を擽られずにはいられない。例えばそう、中央委員会会長である、零人ですら。

「地上を見下してるお前がまともな恋愛なんか出来るのか」
「俺に出来ねぇ事はない」
「…とにかく、親父の血管がブチ切れる真似はすんな。奴が切れたら煩ぇ事くらいは、理解してんだろ」
「チッ」
「鋭い舌打ちだなぁ、おい。形だけでも保護者なんだ。この学園に居る間くらい大人しくしとけ、嵯峨崎は帝王院に絶対服従してる」
「下らねぇ」
「お前だって似たようなもんだろうが」

報われない恋に似ているのだろうか。
逃げる様に捨て去ってきた、弟にとっては恐らくこの世で唯一『見上げるもの』である従兄は、12歳にして既に地中の男爵皇帝として恐れられている。表社会での通称はカエサル=ルーク、裏社会ではノアだ。彼を知る誰もが彼に平伏し、逆らう事など思いつきもしないと言われている。

「菓子一つで機嫌が良くなるお子様とは別物だ。それでも奴は、この学園内で産まれて、2歳までは軟禁状態で過ごした。お前はまだ知らないだろうが、キャノンにある庭園はルークの誕生祝いに増設されたって話だからな」
「…」
「学園長の孫、理事長の息子。奴が日本に戻れば、そう呼ばれるだろう」

他人事の様に呟いた零人は、他人だから無関心なのかも知れないと、佑壱は考えた。
正確には、クリスティーナが来日して間もなく全ての事情を聞かされた零人は、それから暫く頑なに両親との会話を避け続けた。己がグレアムの血を引いている事も、佑壱が腹違いではない事も、ルークが従弟に当たる事も、理解しているのだ。だから無関心なのではなく、事実をあるがままに口に下だけと言うのが正しい。

「戻る訳がねぇ。マジェスティの玉座はテイターニアの最奥、ギャラクシーコアにある」
「ギャラクシーコア?」

母親との再会を一切喜ばなかった佑壱と、佑壱との最後の会話を未だに悔やんでいるクリスティーナの間にある溝は、少しも埋まっていなかった。寧ろ放っている間に悪化してると思われる。
反して、零人が抱いていた正体不明の憤りじみた感情は、高等部へ上がった頃からじわじわと衰えていた。初めは亡き母親が哀れだと思ったものだが、冷静に考えれば、好きな相手に好きだと伝えられなかった意気地なしが、目障りな間男を追放しただけだ。

「部外者が知る必要はねぇ。携帯は番号覚えてねぇから、後でメモして教えてやる」
「それが嘘だったら、中央委員会会長権限でお前を俺のルームメイトにするぞ」

愛し合う嶺一とクリスの駆け落ちを邪魔し、嶺一が二度とクリスの前に現れない様に、自らの身を以て嶺一をアメリカ大陸から遠ざけた。果てには、嶺一の子供を産む事で、益々逃げられない所へ追い詰めているではないか。
零人が思うに、惚れた女の子供を産みたいと言う気持ちがあったのだろう。嶺一にとってはクリスの子、世間的にエアリアスが産んだ息子だとしても、彼らの中では『マリアの子』、つまりキリストとして零人を宝物の様に育ててくれた訳だ。

「誰彼構わず腰振ってる淫乱なんぞと暮らして堪るか」
「お前が言うなや」
「好意を悪用してねぇなら、それだけマシだがな」

けれど実際にクリスティーナが産んだ佑壱は、ほんの5歳で追い詰められ逃げてくるまで誰も、嶺一も零人も誰一人として、年相応の子供として扱ってこなかった。王子だの紅鏡の化身だの謳いながら、元老院の人間が定期的に薬を運んでくる以外は、ステルシリー社員が佑壱に近寄ってくる事もない。
二葉と佑壱の派閥は本人らの預かり知らぬ所で睨み合ってはいるが、ルーク=ノアの怒りを買わない様に細心の注意を払っているのだろう。

「悪用?」
「テメーはネイキッドよか若干マシなだけで、最低にゃ変わりねぇ」
「誰だよネイキッドっつーのは」
「祭洋蘭」
「あ?…祭と言えば、来季中等部昇校内定が出てるイギリス校の生徒の片方。本校昇校審査試験で満点叩き出しやがった」
「春から中等部っつー事は、今6年かよ。昇校審査の内容は進級考査と同じもんだったりすんのか?」
「全く同じもんだ。上位80位に食い込む成績なら、地方からの昇校は認められる。30位以内に入れば進学科認定されるが、本校の試験レベルは他校の比じゃねぇ」
「で、満点?」
「この俺様ですら学期末考査で全教科満点は出した事がねぇっつーのに、本校で同じ点数を出してんのは祭美月だけと来た。2位の珍獣…李上香は、中等部進級時の希望学部届にFクラスって書いた物好きだ。李と同点のもう一人の昇校生が、事実上の2位認定されるだろう」

興味があるのかないのか。シュークリームの空き箱を暫く眺めていた佑壱は、ストラップだけを入れた紙袋を片手に、空き箱だけ零人へ押しつけてきた。

「イギリスからっつったか」
「おう。どっちも貴族階級だ」
「女王の犬か。…いや、猫だな。アシュレイは論外だろ、爵位は」
「公爵だよ、佑壱」

ああ。細い細い眉が歪み、佑壱の眉間に皺が刻まれた。
捨てた筈のアメリカに未練はないだろうが、それでも体に流れている男爵の血が怒りを思い出させるのだろう。愛情が深い子だ。誰よりも強い愛故に、裏切られる事を受け入れられない。だから傷つく前に捨ててきたのだと、言ったのは嶺一だったか、クリスだったか。

「…ヴィーゼンバーグが何しに日本に来やがった」
「違ぇ、帰ってくるだけだ。二人共多重国籍だが、片方はアレクセイ=ヴィーゼンバーグの血を引いてる」
「っ。まさか、セカンドが帝君じゃねぇだろうな?!」

声を荒らげた佑壱に眉を跳ねた零人は、空き箱を潰しながら首を振った。中央委員会会長として目を通しただけの書類に、セカンドと言う記述はなかったが、それが誰を指す言葉かくらいは知っている。ステルシリーソーシャルプラネット、12柱枢機卿の事実上一位である叶二葉だ。

「ステルシリー『ヴァルゴキー所持者』のヴァーゴ=ヴィーゼンバーグは、李と同じ2位だが順当だと3位だ。外部生、昇校生、在学生の順に優遇されるからな」
「セカンドよりまだ頭の良い奴が、ヴィーゼンバーグに居るっつーのか。知らねぇだろうが、セカンドはハーバードの理数学部を片っ端から制覇したんだぞ…!」
「ああ、お前とは真逆じゃねぇか。水溶液の質量パーセント濃度の計算に躓いて、理科の点も転けてたもんな」
「人様のテストを勝手に見るな、シね!」
「ベルハーツ=ヴィーゼンバーグ」

小さく小さく折り畳めば、嵩張る箱は跡形もなくなった。

「聞いた事がねぇ。誰だそりゃ」
「来季、中央委員会副会長に欠員が出る。俺が会長に指名されたからな」
「そいつがテメーの後釜になんのか」
「仕方ねぇだろ。古文と地理で一問ずつ転けた叶と、算数でずっ転けてるお前じゃ副会長は重荷過ぎる」
「煩ぇ」
「中央委員会書記だ。名誉だろう?勇者扱いだ。肩書きだけでも貰う気はねぇのか?」

価値観が重ならない兄弟の間の溝は、どれほど折り畳めば消えるのか零人には判らない。判るのは、16年生きてきて少しだけ大人になった自分の幼少期は、幸せに満ちていたと言う事だ。

「俺がお前を指名すんのは、授業免除権限がない初等部で楽させてやりたいからだ。仕事はしなくて良い」
「…んだよ、それ」
「お前に先に死なれたら、弟思いの俺が可哀想だろ。体がきつい時にサボれる言い訳を作ってやるっつってんの」

いや、本当は今ですら、幸せなのだろう。


「余計な世話だっつーの、失せろ淫乱。」

目の前の、呪われた子供に比べれば。

←いやん(*)(#)ばかん→
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