帝王院高等学校
ブラックナイトメアレクイエム
「成程、それでは国際科の協力者は宝塚敬吾だけですか。また愉快な名前が出ましたねぇ」
「知ってるんですか?」

光炎親衛隊が絵図を書いた制裁計画を一通り聞いた叶二葉は、完璧なまでの愛想笑いで下らない悪巧みと断罪し、後日風紀から処分を下すと宣言し、隊長のみを残して他の隊員に自主謹慎を命じた。
ABSOLUTELYの末端でもある、学園内にのみ存在する神帝親衛隊の過半数が監視役として光炎親衛隊員を引率する事になったのは、ランクAである二葉の命令からだ。名目上は神帝親衛隊ではあるが、学園外ではABSOLUTELYと名を変える彼らにとって、この場では二葉が最も恐ろしい。

「ええ。国際科に在籍してはいますが、根っからの日本人ですよ」
「?」
「中等部の外部受験を希望した様ですが不合格でしてねぇ、幾度となく編入試験を受験した様です。本校はグループ校外からの編入を認めていませんから、分校か提携校しか選択肢がありません。彼は海外の提携校を受験したんですよ。理由は判りますか?」
「直接うちの編入試験受けられるから、って事ですよねー。外部受験を選ぶと途端に難しくなるし、うち」
「実際、彼は中等部受験で失敗している。比較的難易度の低い中等部で受からないとあれば、最難関の高等部外部受験など夢のまた夢」

地上へと去っていくのを尻目に二葉を見上げた山田太陽と言えば、残ったメンバーのほぼ全てが怯えた目で見つめてくるのに気づいていないのか否か、バスローブの帯を解いて豪快にダサめのトランクスを晒した。

「最難関を越えたのが、よりによって俊だもんねー。そりゃ色んな意味でムカついたんでしょうけどー」
「私は遠野君よりハニーの肌を晒す方が許せません」

眼鏡を押し上げた二葉は素早く手を伸ばしたが、ひょいっと躱した太陽は手持ち無沙汰に様子を窺っていた対外実働部の一人に紐を手渡し、にこっと平凡スマイル一つ。

「た、対が…?」
「対外実働部」
「ちょいと二葉先輩、部署の名前が異様に覚え辛いんですけど」

紐を預かった白人は無言で相棒を見つめたが、嵯峨崎佑壱以上に肌の色が濃い仲間は『こっち見るな』とばかりにそっぽ向き、デレないツンデレを継続していた。マイペースレベルをカンストしている太陽は二葉を見つめており、同じく二葉も、寧ろこの場に太陽以外存在しないのだとばかりに太陽しか見ていない。わざとらしいまでに太陽を凝視している。
それもディアブロと名高い魔王宰相であれば無理もないと、ただでさえ平凡な少年の一言だけで威嚇された人員審査部員達の様子からも判った。彼らに同情しない事もないが、部外者を巻き込むのは流石にやり過ぎだ。

「そこの二人は嵯峨崎君の部下で対外実働部、スペシャルな美しさを誇る私は文字通り特別機動部、そこで腰を抜かしている振りをしつつ私達の油断を誘い、隙あらば逃げようと企んでいる阿呆共が人員管轄部です」
「全部で12個もそんな呪文みたいな名前が並んでるんですか」
「そうですねぇ、ゲームのギルドの様なものだと思えば、」
「…つまり俺は組織内調査部のギルドマスター?」
「私は特別機動部のギルドマスターと言う事になります」
「超覚え易い」

ふんふんと鼻息の荒い男は、見れば見るほどダサすぎるパンツを堂々と晒しているが、それを凝視していた某眼鏡だけが凍える様な目で周囲を睨みつけ、『見たら殺す』と脅している。そんなもん見ても喜ぶのはお前だけだ、とは、流石に少し離れた所で隊員らを見送っていた宮原達も思っている事だろう。

「えっと、アートさん?それでそっちの男の人だけでも縛っといて貰えます?俺、そう言うの苦手で固結びしか出来ないんです」
「構わないけど、閣下に睨まれてる所で下手な真似はしないと思うよ?」
「いやー、高校生に暴力奮う様な危ない人を野放しにしとけないですよー。もうほんと、俺にイチ先輩程の腕力があったら肋骨6本くらい折ってますからねー」

笑顔で宣う平凡は、ぼそりと『殺す方が簡単だけど』と呟いたが、十年ものの初恋を盛大に拗らせている二葉は『アキの笑顔尊い』と真顔で呟く程度には、変態を拗らせているだけだ。
益々怯えたステルシリーの面々は息を潜め、流れ作業の様に同僚の手首を縛った自称アルゼンチン産まれのメキシカンは、モールス信号で『セカンドがマシに見える』と相棒へ伝えた。相棒からの返事は『ファーストが一番』だ。だが然し、肋骨を6本折れる腕力をマシとは言えないだろう。

「この人達の処分とか色々考えなきゃなんない事はありますけど、俺か俊に制裁を企んでる筈の宝塚先輩が姿を消したってのは、なーんか変だよねー、やっぱり」
「当日になって気が変わっただけでしょう。己の浅はかさに気づいたと」
「だったらいいんですけど。そもそも何で二葉先輩は宝塚先輩を知ってたんですか?西尾先輩も井坂先輩も、何か初めから過激派の動きを掴んでたっぽいし」

太陽の台詞で振り向いた宮原もそれが疑問だったのか、二葉を伺っている。隣にピッタリと張りついているバトラー姿の伊坂颯人は、太陽と目が合い、「今のイサカは2年生の井坂先輩の方です」と釈明を受け、判っていると微笑んで頷いた。同音の名前が二人居ると混乱するのは無理もない。

「西尾と井坂には、ウエストから監視命令が出ていたんですよ。無論、ウエストに命じたのは私ですがねぇ」
「コンビニ野郎かい。ち!あんにゃろー、井坂先輩をヤリ捨てしたらしいですよ。男の癖に責任逃れする奴なんか、去勢すればいいのに…」

どす黒いオーラを撒き散らしながら下手な舌打ちをする太陽の目は真剣だ。決して他人事ではない二葉は条件反射で正座したが、土下座する前に我に返りわざとらしい咳払いをしながら立ち上がった。
そうだ、過去は忘れよう。バレなければ良いのだ。だが若干、旅館での悪事がバレている気配はある。今後は過去の二葉を知る誰もの口を封じつつ、誠心誠意永遠の愛を捧げていこう。

「女癖の悪さだったら、ファーストも酷かったけどマジェスティが最強だよね〜。何せ一晩でマンハッタン中の女と乱交騒ぎを起こして、ホワイトハウスからお偉いさんが慌てて飛んできた伝説もあるくらい」
「まじぇすてー?えっ、それってもしかして男爵?カイ庶務の事ですか?」
「そうだよ☆それに張るくらいイギリスじゃヴィーゼンバーグの王子様も凄かったんだけど、タチが悪いのはプリンスベルハーツより余程セカンドの方が…」

陽気なメキシカンが迂闊にもペロッと二葉の過去を晒そうとした所で、恐ろしい速さで距離を詰めた二葉は左手で口を塞ぐと、躊躇わず右手でその喉仏ごと首を鷲掴んだ。

「ふぐ!」
「おや?今何か仰いましたか対外実働部BYSTANDERウィリアム=A=アシュレイ君」
「んんん」

言ってないすいませんもう言いません、と首を振りながら謝ろうとしている金髪は然し、恐ろしい笑顔の二葉に顔と首を同時に塞がれているので、実際は動けていない。
人殺しのスキルを極めている叶一族は、的確に最短経路で急所を突く知識が備わっている為、二葉の左手は口と同時に鼻の穴まで押さえている。加えて骨を折るのも厭わない全力の握力を込めているので、足掻いてもその力が弛む気配はない。完全に殺す気だと涙目で覚悟したウィリアム=アシュレイは然し、朗らかな笑顔の平凡少年がリストラ候補の社員の肩を叩くが如く、二葉の腕を叩くのを見た。

「3年Sクラス2番、叶二葉君や」

朗らかな平凡スマイルだ。
爽やかな朝の通学路で国境なく何処でも見られそうなその笑顔の背景に、何故かイカスミパスタの様などす黒いオーラが見える。

「アートさんから手を離しなさい」
「それは出来ません。彼は今、著しく重大な規約違反を犯そうとしたのです」
「お前さんは俺以外の男に気安く触る様なアバズレだったのかい?」
「違います。離します。はい、離しました」

笑顔で首を傾げた太陽の背後で真っ黒な何かが弾けた為、二葉は笑顔で両手を挙げた。ステルシリーのみならず世界が恐れる魔王が降参のポーズを取っている事に、驚かない者はない。

「お前さんはどうやら、かわいいのは見た目だけで中身はちょいとおてんばさんだね?いいかい、俺は少しくらい浮気されても構わないよ。そう、構わないとも。何せ父親がクソみたいな人間だから、そりゃいきなり家に押し掛けてきた愛人さんからも、やれ『大空さんには似てない』だとか『不細工』だとか『頭悪そう』だとか、笑われたもんさ」
「誰ですかその女は、見つけ出してこの世から消してきます」
「二葉先輩」
「はい」
「いいんだよ、女性なら。だって女性は弱いじゃん」

にっこり。何処までも果てしなく平凡な子供が、玩具を見つけて息をするより先に零す微笑みの如く無垢な笑みで、然し細められたアーモンド型の大粒の瞳だけが氷河の如く凍えている中、それに睨まれている二葉が凍りついた様に動けないのは無理もなかった。
太陽の眼差しを浴びていない第三者達の方が既に腰を抜かしている状況で、半裸の男だけが何処までも笑っている、余りにも奇妙な光景だ。

「女性に取られるなら取り返せばいいからね。例えば、そうだ。お前さんが浮気した人を口説いて、俺を好きになって貰おうかな」
「だ…」
「駄目とか言わないで下さいねー。だってさ、心変わりなんてされた方が悪いんだよ。俺ね、自信があるんです。自分のものを大事にする自信。いっぺん手に入れたらさ、絶対捨てないんですよ」

だからきっと、その人の事を好きになれなくても大事にする、と。無邪気に吐き捨てた太陽の言葉に嘘はない。

「父さんみたいな失敗はしない。きっとうまくやりますよ。大丈夫、俺に逆らえる奴はいない

その言葉の意味を正しく理解したのはこの場で、恐らく二葉だけだった。
灰原と呼ばれた榛原の次期当主は間違いなく目の前の男で、つまり、同様の能力を持つだろう帝王院俊だけが太陽の支配を受けない、唯一なのだ。

「だから浮気するなら女の人にして下さいね?流石に男相手なんか二葉先輩以外、嫌なんで」

普通に気持ち悪いから、と。肩を竦めた太陽は、然し二葉から外した視線で宙を見やったかと思えば、あっと声を出し、ぺこっと頭を下げた。

「すいません、先に俺のが浮気してた、かも」
「…は?」
「不可抗力なんですよねー。うーん、でもしたもんなー」
「何をですか?」
「実は俊とキスしたんです」

叶二葉はこの日、人生で初めて浮気された妻の気持ち、略して嫉妬を覚えた。
悪びれず頭を掻きながら素直に暴露した太陽など、既に二葉には見えていない。完璧なまでの愛想笑いが見事に消え失せた二葉は真顔で指の骨を鳴らし、此処ではない何処かを瞬きを忘れた虚ろな眼差しで見つめたまま、その言葉以外を忘れたかの様に殺すと呟き続けている。

「どうしようロバート、セカンドが壊れた」
「対外実働部が特別機動部や組織内調査部の言いなりにならざる得ないとは、情けない。セカンドが壊れようと対外実働部の業務に滞りはないだろう、放っておけ」
「時の君、猊下とキスしたんですか?!」
「ちょ、萌え…てる場合じゃない!西尾!これは陛下にご報告したら不味いか?!」
「そ、そんな、シーザーがこんな平凡とキス、なんて…」
「しっかりしてゆうちゃん!今の髪型で倒れたら頭打ってタンコブが出来ちゃうよっ」
「えへへ、俊ってば結構なキス魔らしいんですよ。そんで馬鹿力なんで、ちゅちゅって2回くらい。いやー、神崎に言ったら垂れ目が水平になりそうだなー」
「俺の噂をしてるのか」

壁に向かって殺すと呟きながら頭突きを始めていた二葉には誰も突っ込まないまま、太陽を除いて混乱に陥っていた地下は、彼らの混乱を一気に冷やす静かな声音が割り込むなり静寂に包まれた。

「あれ?お前さん、さっきまで裸じゃなかったかい?」

黒いジャケットに黒いスラックス。
明らかに制服ではない上下に身を包む、髪も目も黒い男には気配は勿論、足音もない。親衛隊隊長格としてこの場に残った西尾、井坂、宮原、加えて黒のテールコートを纏う伊坂も遅れて太陽が見つめている先を見遣り、息を呑んだ。

「途中で倒れている人を見つけたんだ。AEDを使っている人もいたんだが上手くいかなかった様だったから手を貸したら、お礼にその人から服を貰った」
「全然判んないけど、良かったねー」

手首を縛られている男と、その傍らに寄り添っていた女はほぼ同時に顔を伏せ、見てはいけないものを見たと言わんばかりに冷汗を滴らせているが、女の方は人間ではない。人の姿をしている機械ですら怯えている男は、無言で殴り掛かってきた二葉を軽く躱すと、すれ違いざまに足を引っ掛けて容易く転がした。

「『目を閉じろ』」

然しとうとう二葉には一瞥もくれず太陽の前まで近寄ると、わざとらしいほど深い溜息を零したのだ。

「何がどうなったのかは判らんが、多分『俺』の所為でルークの怒りを買ったんだと思う。俺はこんなにもあの子を愛しているのに、責任を取れと言われた」
「責任?」
「手始めに就職しようと思う」
「いきなり思い切ったねー。学校はどうするんだい?」

遠野俊。いや、太陽が知るどの俊とも違う目の前の男を形容する言葉は、どれも当てはまらないだろう。転がされた二葉は転がされたまま動きを止めていて、太陽以外の誰もがマネキンの様に動かない。一人だけ動けているだけの太陽の額に、じわりと汗が滲んだ。

「大学なら4歳の時に出ているからな」
「はいはい、どうせ俺は英語が書けなくてテストして貰えなかったら、単位なんて取ってませんよーだ。お前さんみたいにたった何日かで卒業資格貰えた上で、教授になってくれって頼まれる様な賢さは、俺にはないんだもん」

眼鏡がないだけで、その恐ろしい眼差しが晒されているだけで、最早天然記念物扱いだった帝君など何処にも存在しない。太陽にも二葉にも怯えていた様だが、それでも気丈に逃げる隙を探していた暴力的な異国人ですら、その姿を視界に映した瞬間、悟っただろう。
『ナイトを手玉に取る』、それが如何に浅はかな企みだったかを。

「それは何だ?こんな肌寒い所でお前が下着を晒している理由は、それを縛り上げているからだろう?」
「気にしなくていいよ、大した事じゃない」
「そうか。彼らは俺を探していたのか」

言葉を選んだつもりだった。嘘が通じない男相手に誤魔化す方法を探した自分の浅はかさに舌打ちした所で、喋れば喋るだけ真実を教えている様なものだ。帝王院に最も近い家として榛原の名が語られようと、太陽の耐性は佑壱と殆ど変わらない。

「こっちの二人はイチの近くで良く見るな。そこのバトラーは柚子姫と親しいのか。日向以外にそこまで気を許すのは恐らく、中等部一年まで親友だったと言われている伊坂颯人だろう」
「…」
「伊坂颯人は日向のファンに制裁され退学したと言われているが、隼人の近くで何度か見た事がある。俺には隠している様だったが、柚子姫は隼人を伊坂颯人の身代わりにしたのか。だとすれば俺としては、まァ、どうでもイイ」
「っい変わらず気持ち悪いね、お前さんは…っ!」

本能で俊に従っている佑壱は、盲目的に俊に跪いているだけだ。本来ならば彼にもまた、俊の言葉にある程度逆らえる耐性がある筈だと、太陽は考えている。

「そうだよ!そこの人は柚子姫達に酷いコトしてたから、お仕置きしたんだ!」

ほんの少しの手掛かりがあれば、簡単に推理して全てを繋げてしまう俊の前では、世界の全てがパズルのピースなのだ。太陽を遥かに凌駕するゲームスキルは、とうの昔に既製品のゲームでは満足出来ない領域に到達していた。つまりは、人生そのものをゲームの様に扱うほどには。

「ほんと気持ち悪い!何だよ、まだアイツ以外興味ないんだね?!俺の友達を壊しといて、罪悪感とかないのかい?!」
「『俺』がお前の友達だったなら、俺とお前は友達だ。何が不満なんだ」
「少なくとも俊は、俺に興味津々だった!カイ庶務なんかより、ずっと!」
「ポーンがキング相手に攻撃を仕掛ける筈がないだろう。それならクイーンに化けたポーンを相手にする方が、ずっと楽だからだ」
「っ」
「俺はあの日、お前を王子にしてやると言った。だから俺から派生した『俺』もまた、お前を主人公の様に扱った。それだけの事だ」

癇癪を起こす幼子を諭す様な声音には、然し温度がない。路傍の蟻を見るかの様に、そもそも同等の人間として扱う意思がないからだ。所詮、帝王院俊にとって榛原太陽は名を覚える必要もないエキストラと変わらない。

「俊は、ハッピーエンドじゃないと読まないって、言った…っ」
「俺もそうだ」
「お前さんのは違う」
「何が違う」
「未来が全部判ってるなんて有り得ないんだよ。定められた結末なんてっ、」
「リチャード=テイラーが来る」

ピタリと動きを止めた太陽の表情が消え、引き換えに、意思を感じさせない漆黒の眼差しを愉快げに細めた男は、スラックスからベルトを引き抜いて太陽の肩に掛けると、動かない太陽のバスローブを手繰り寄せ、腰紐の代わりにベルトを巻いてやった。

「12年前、正確には11年と8ヶ月前。当時4歳になって間もない俺と、3歳だったお前の短い冒険譚だ」
「…」
「あの嵐の翌日、目を覚ましたお前は真っ先にネイキッドの姿がないと喚いた。遠野総合病院救急外来処置室、騒ぎを聞きつけて真っ先にやってきた当時の院長の名は、遠野龍一郎」

蝉だ。黒雲と共にあの悍ましい雷鳴が世界を包むまで、煩い程に鳴いていた蝉が消えた。時間帯はまだそう遅くなかった筈なのに、世界はまるで深夜の如く暗かった。

「錯乱している様にしか見えなかった幼い患者の声を聞いた瞬間、彼は悟った。山田を名乗るその子供の本当の名は、榛原だと」

そして、雨に叩きつけられ熱が下がり切っていない子供が繰り返し叫ぶネイキッドが、恐らく一般人ではない事に聡明な医師は間もなく気づく。
呼び寄せた孫に問い、『声』の力を暴走させた太陽が手当り次第に催眠を掛ける事を嫌った龍一郎は、強制的に太陽の記憶を剥奪しようとするが、既に俊の声を記憶していた太陽に帝王院鳳凰の声真似が効かず、結果的に二葉を探す為だけにアメリカへ渡る事になる。

「一目でイイとお前は言った。ネイキッドが無事だと判れば帰国する事を条件に、俺達は太平洋を北東へ飛んだだろう。お前の名にある、それこそ太陽を追い掛けて」

そうだ。そんな事を忘れていた。そう、俊が許した時だけ思い出せる、まるで呪いの様な催眠は、交換条件だった。神は見返りなく慈悲を与えるそうだが、俊を主人として認めないと頑なに嫌がった太陽には、世界に神など存在しなかったからだ。寧ろ何故か産まれた時から、神や仏と言うものに嫌悪感すらあった。

「お前が証言したファーストの外見的特徴と、お前と同時刻に運び込まれた他の二人の子供の片方が一致したから、ネイキッドがステルシリー関係者である事はすぐに割れた。俺がイチの付き添いとして病院にいた嵯峨崎嶺一から聞き出した情報で、ネイキッドが祭に送り込まれた十口だとも判明した」
「思い、出した」
「一目だ。お前が望んだのはそれだけ。本能で理解したからだろう?灰皇院四家、皇の灰原の耐性は同じ灰原の眷属にしか与えられない。灰原の力は常に嫡男にのみ具現化し、長男以外の子供はその悉くが十口へ下る。だから灰原は永く、第一子が男だった場合、」
「…二人目以降は産まないんだ。産んでも育てられないから…」
「そう、灰原の当主は一人だ。例え一人っ子ではないとしても、灰原を名乗れるのは他の姉弟を淘汰した果て、一人だけに許される。力が弱く、だからこそ誰より警戒心が強く危機を察知する能力に秀でた灰原は、然しそれらを補って余りある最強に相応しい力を授かった」

声だ。力の強弱はあろうと、榛原当主の声には抗えない力がある。例えば本人にそのつもりがなくとも、殆どの人間が平伏する程の力だ。
時に母親、果てには父親までも跪く程に強い力を持った子供が生まれる。歴代最強と謳われた榛原晴空は、実の父親が己の言葉に従ってしまった6歳の時に当主となり、以降40歳を越えて妻を迎えるまで、頑なに誰も寄せつけなかったと語り継がれている。太陽の曽祖父に当たる男だ。

「俺の祖父、龍一郎は晴空の声を知っていた。けれどそれよりもお前の方が上だと言った。晴空が死に、鳳凰が死に、間もなく立て続けに糸遊と陽炎が死んで、それでも帝王院を見守ってきた男だ。我が曽祖父、鳳凰の声すら真似た龍一郎は然し、お前の声は真似が出来ないと言った」
「…」
「お前は本能で悟っただろう、あの日。ネイキッドに会わず、ただ無事を確かめられたらそれだけでイイと願ったあの日、両親に『高熱で目が覚めないまま』と暗示を掛けて海を渡ったお前は、本心では二葉に会えず、安堵しただろう?」

声。そんなもの、要らなかった。
例えば初めはそう、刺々しかったまるで野良猫の様な、とんでもない美人が徐々に心を許していくまでの過程が、まるで難しいクエストを攻略する様に楽しかった。ただそれだけだ。綺麗なものがあると手を伸ばしたくなる、人間の本能だろう。

「俺はお前の望みを叶えただけだ。例え言葉にしなくとも、俺には全てが見える」
「でも、俺は」
「業からは逃れられない。何故ならばお前は、優し過ぎるからだ」

キラキラ光を撒き散らしながらサッカーボールを蹴る子供は、太陽が視界に入るとすぐに大人達の後ろに隠れてしまう。ヤクザ者達が太陽を怒鳴り散らす様な真似はしなかったが、それでも余り派手な真似をすれば、夕陽が陽子に密告するのは目に見えている。
陽子に太陽の催眠を弾くほどの耐性はないが、大空に太陽の声は殆ど効かない。

「支配してでも得ようとは考えない。本気で望むのであれば、手段を選ぶと言う選択肢そのものが、介入してはならない」
「…暗示を掛けて手に入れたって、虚しいだけだよ」
「言葉は裏返る」

普段は子供達に甘い大空は、けれど陽子に催眠を掛けると烈火の如く怒るのだ。幼い子供にとって父親の説教以上に恐ろしいものはなく、アメリカへ渡る時に陽子に催眠を掛けた太陽は、龍一郎に頼んで大空に催眠を掛けて貰った。太陽の声には強い耐性がある大空でさえ、初めて聞く鳳凰の声は効果があったのだ。

「既に今、お前は叶二葉がお前の声に支配されているのではないかと、疑っている癖に」
「…お前さんは気持ち悪い。何でもかんでもお見通しで、俺を馬鹿にしてるんだろ」
「哀れんでいるだけだ。お前に王たる才覚があれば、支配を躊躇わないだろうに」
「俺は山田太陽、だ。王様じゃない…っ」
「俺が植えた種は既に育っている筈だ。お前の中には今、凄まじい勢いでお前と言う個性を喰らい尽くしつつある王の自我が、育っているだろう?」
「っ」
「『相手が女なら許す』」

自分の声だ。まるで自分が呟いたかの様に。
俊はいつから話を聞いていたのだろう。そこにいるのにいると認識出来ない、まるで蜃気楼の対極にある様な男は、無表情の内側で何を考えているのか。その口から説明されてもきっと、誰にも理解出来ないに違いない。天才とは常に孤独だ。

「女に負い目があるのか。例えばいつか、男に心変わりされて黄泉の国の女王となった、日本の母の様な女に」
「ち、が」
「俺が根づけた種子がお前を彩っていく。果たしてお前は山田太陽か、榛原太陽か、それとも邪馬台国の父たる、伊邪那岐か?」
「違うって言ってんだろ!俺はっ」
「問1、男に奪われたらお前は諦めるのか?」

その問い掛けにすぐに答えられなかった瞬間、太陽は瞬きを忘れた。

「問2、山田太陽が林原智之に襲われた事件の真相は、『高嶺の花である風紀局長と誰からも妬まれず怪しまれず手っ取り早く接点を得る為に、誰かが描いた策略』であるか否か」

ああ。何故だ。
どうして中等部には居なかった目の前の男が、そこへ辿り着いてしまうのか。

「お前に掛けた俺の魔法は、どうも時々緩んでいた様だ。その契機が何かは何のヒントもないが恐らく、満月だろう。その証明に至るまでの根拠1、錦織要は満月の夜に最も開放的になる。その理由は、新月の夜はいつも何処かへ行っているからだ」

新月の夜。月のない夜。紫外線が最も少ない夜。それは大晦日の名にある様に、つごもり、別名『月隠』とも呼ばれる純黒の夜を指す言葉だ。

「ステルシリーは毎月末に円卓を開く。その頃が大抵新月だからだ」
「…」
「ノアは夜の眷属。遠野夜人の統率符『NIGHT』は、オリオンとシリウス、二つの星を育てた。問3、ならば俺の『KNIGHT』は?」
「カ、ルマ」
「KARMA NIGHT、業深き夜がやってくる。何故ならば陽の系譜だった遠野俊は雪深い遠野に眠り、お前と言う白日を得られず凍えた。お前が犯した罪を知ったからだ」

まるで空気の様だった太陽を見つけて、もじもじと『友達になろう』と言ったガリ勉崩れの少年は、もう何処にもいない。山田太陽として平凡な暮らしを無欲に送り続けていれば或いは、もう少し長く、偽りであろうと『親友』として存在したのだろうか。

「お前の記憶は淘汰していく。遠野俊は天神でありながらポーンを装ったままに『降格』、俺の催眠を完全支配だと思っているだろうが、実は違う。俺の奏でる歌は鎮魂歌、楽器を従えねば歌えなかった出来損ないのシーザーとは、まるで異なるものだ」
「…俊。俺は、信じるよ。二葉先輩『が』俺を選んでくれたんだって…」

我ながら、縋る様な声だと思った。けれど自嘲する事も許されない。圧倒的な力の前では誰もが無力だ。皇最強と謳われた榛原ですら、天神には跪いた様に。

「俺は虚無。あらゆるものを消すだけの力しかない、哀れな時の羅針盤の傀儡」

いつか、余りに広大な大学の敷地内に忍び込んだ夏の日。

「時とは常に始まりから終わりに流れる。例外はない。この俺ですら」

学生達がこぞって噂する『真夜中の月』を探した時の事を思い出したが、すぐにその回想も黒く塗り潰される。



「…月に祈り、己が過ちに眠れ」

子守唄の様な声、が。

←いやん(*)(#)ばかん→
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