帝王院高等学校
飼い犬ともっと触れあいましょう
「…数学が俺を苦しめる」

騒がしい入学式典から一週間、外部入学生の癖に既に学園に慣れ親しんでいる黒縁眼鏡が自動販売機と自動販売機の隙間にある窓に張りつき、双眼鏡の様に丸めた両手で外を見ながらハァハァしている背中を横目に、談話コーナーのソファに崩れ落ちた男は握っていたシャーペンを投げた。

「あ?さっきは英語に苦しめられてたんじゃねーのかよ」
「藤倉君、敵は一人じゃないんだよ。生きてるんだから、そりゃ艱難辛苦が伴うものさ。敵なんてね、一歩歩けば次から次にエンカウントするもんなんだよ」
「ドラクエのやり過ぎだぜ」

整った顔で堂々と鼻をほじっているフレッシュグリーンは軽快に欠伸を放ち、宿題の山に追われている元クラスメートの苦痛には、どうやら関心がないらしい。などと山田太陽が溜息を飲み込めば、ルームメートの安部河桜も苦手だと言う歴史関連の参考書から手を放し、眉間を揉んでいる。

「は〜。小さい文字を読んでるとぉ、目が疲れちゃうねぇ…。ぉ菓子食べよっと」
「桜は選択で日本史にしたんだっけ?武将の家系って似た様な名前が多くてさ、混乱しない?」
「片仮名で長い名前よりは楽かなぁ。僕、人の名前とか顔とか覚えるのって、ちっちゃい頃から苦手なんだぁ」
「そっかー。俺は逆に、世界史の人物の方がゲームキャラみたいで覚え易いんだ。はー、でも数学がなー」

鼻と上唇の間にシャーペンを挟んだ太陽は、然し唇が薄いのですぐに落ちたシャーペンを拾って、そのペンの頭でデコを掻いた。鼻と上唇の間に器用にシャーペンを挟んだままの男と言えば、丁度読み終えたのか太陽の英語のノートに向けていたオレンジ色の瞳を上げている。

「タイヨウ君。最後ら辺、間違ってるっぽいっしょ(´艸`)」
「うへー。どこ?」
「此処、見てみ(・ω・`)」

式典当日に殴られてから、そもそも満足に会話した事もなかった高野健吾は太陽の中で苦手な人として収まりつつあったが、後に事情を聞かされた上で土下座までされたので、怒りはない。ムカつくのは常に叶二葉だけだ。
とは言え、太陽の様な平凡な男子に不良のトップであるカルマの幹部は、余りにも住む世界が違う。何せ健吾の両親と言えば、それほど音楽に関心のない太陽ですら知っている、有名な指揮者とピアニストだ。

「三つ見つけたぞぇ?これなんかwhatになってんべ?接続する前の文章を展開すると、『彼は学生です。彼の友達も学生です』な訳」
「やっぱさー、変な文章だよねー。He is a student what friend is student.じゃ駄目なの?」
「他人を修飾すっから所有格だし、文脈的にwhoだろ?He is a student whose friend is his too.辺りだと、『彼は友人と同じ学生です』にならね?」
「うー、5ダブリュー1エイチ、何者ですかー」
「もしくはユーヤが良くやるthatでゴリ押しするとか。間接代名詞、苦手なん?(・ω・)」
「って言うか英語が嫌いなんだよねー。数学はベクトルの矢印が許せない」

太陽の母である陽子が、いつか羽田佳子と言う名前に反応した事がある。
とあるゲームのエンディングテロップが流れるテレビ画面を指差し、『もしかしたら親戚かも』と宣ったのだ。ゲーム中に使用された楽曲のピアノソロを作曲演奏した人の名前は、以降もドラマ挿入曲などで度々耳にする事がある。テレビには出ない様だったが、有名な楽団に所属しながらソロで世界各地を飛び回っているそうだ。オフシーズンに作曲の仕事を引き受けているのだろう。ゲームで彼女のクレジットを見たのは、その一度だけだった。

「単純な計算は嫌いじゃないんだけどなー。数学なんだからさ、数字以外出てこないで欲しい…」
「あー、選定で落としてるのって英語と数学かよ(´_ゝ`)」
「方程式とか定理とか、頭の中でごちゃごちゃになるんだよねー」
「そっか。んじゃ、俺が数学だけ代わりにやってやろっか?」

流石に字で代筆がバレると思ったのか、筆跡が判り難い数字ならば大丈夫だろうと健吾は首を傾げる。有難いけど、と断って、太陽は凝った気がする右肩を揉んだ。式典以来色々と気遣ってくれている健吾が、思っているより優しい性格だとは判ってきたが、ヤンキーはヤンキーだ。怖いものは怖い。

「ハァハァハァハァハァハァ」

怪しい息遣いだけが異様な存在感を放つ腐男子に関しては、怖いも糞もなかった。未だにアレがシーザーとは思えないのだ。怖がる以前の問題だろう。

「自分の宿題は自分でやんなきゃねー、今日が乗り越えられても選定考査でふるい落とされる」
「山田の癖に男らしーぜ。良し、オレの宿題やっても良いぜ?」
「何も良くねぇっしょ(*´艸`)」

べしっと裕也の頭を叩いた健吾は、裕也のプリントを持ち上げる。Sクラスほど多くない宿題は漢字検定対策の読み書きプリントの様だが、太陽が知る限り健吾も裕也も中等部時代に粗方の検定を取得し尽くしている筈だ。消化試合ならぬ、消化宿題の様なものだろう。

「あれ?高野君より、藤倉君のプリントの方が多くないかい?」
「コイツの字がアレだからじゃね?担任から印刷ミスしたプリントの裏に罫線引いて、一文字百回ずつ書いてこいって言われたらしいぞぇ」

簡単だが面倒臭い宿題だと苦笑いを零せば、面倒臭い事が何よりも嫌いな男は眠たげな眼差しを瞬かせ、死にてーと呟いた。死ぬくらいなら書けよと太陽は思ったが、裕也にとっては百回も書くより死を選ぶのだろうか。

「Aクラスも毎日宿題出るんだねー」
「いーや、週末だけだべ?(´∀`)進級早々授業サボっちまったからよ、職員室に呼び出されたwww」
「あらまー」
「次の選定で昇格するっつってんのに、うぜー担任だぜ。オレのゲシュタルトは既に崩壊してんのによ」

何にせよ、エコな印字間違いプリントの裏側は、罫線すら引かれていない有様だ。一枚だけ恐らく担任が定規で引いてくれたのだろうと思われるお手本があるが、裕也の物臭な性格は既にAクラスにも知られているらしい。
一文字も書いてないのにゲシュタルト崩壊だと嘯き、ハヤトがやってくんねーかな、などと呟いている。残念だが、あの神崎隼人に光明を見出す勇気だけは認めよう。授業免除を上限一杯行使し、堂々とモデル業に専念していた男に頼むだけ無理だろう。

「あ、神崎君が…俊に覆い被さってる」
「今日の夜間パトロール担当がハヤトだからじゃね?(゜ω゜)」
「昨日は高野君と藤倉君だったろ?大活躍だったんだってねー」
「吹奏楽部の奴らが8時過ぎまで音楽室に残ってたみてぇでよ、寮の食堂は9時までだろ?購買は10時までやってっけど惣菜系は売れちまうし、慌てて帰ろうとして西棟の近くを突っ切ってた訳(´_ゝ`)」
「Fクラス寮?!あちゃー、吹奏楽部と美術部ってSクラスの人が多いんだよね?」
「そ。で、Fの奴らにゃSの威光なんて関係ねぇからさ、ヤられそーになってたんだよ(´`)」
「2年も無断欠席してる朱雀が入れる様な馬鹿の掃き溜めだからよ、男のケツでも構わねーんだろ。オレはケツより脇腹に萌えるぜ」

何の性癖自慢だと呆れた太陽は、ぽろりと『俺は骨盤かなー』と呟いたが、ギャルゲーの水着ギャル程度の知識しかない平凡な童貞には、想像力の限界だ。頑なにおっぱい道を語る健吾には誰も突っ込まず、にこにこ微笑みながら『僕は鎖骨かなぁ』と宣った桜に、全員の視線が集まる。まさか桜が加わるとは思わなかったからだ。
宿題で苦しんでいる太陽達には構わず缶コーヒーを飲んでいた錦織要も、株価速報を映していたテレビから目を離している。

「鎖骨ですと…?!何処の俺様攻めが鎖骨をチラリズムなさってるにょ?!ハァハァ、何処?!エロスはどこそこに落ちてるなり!ハァハァ」
「ほうほう。中々渋いねえ、さっちん」
「ハヤト、猊下の腰を気安く抱くのはやめて下さい。それと庶務、猊下の宿題を勝手にやらない」

ああ、敢えてスルーしていた奴らが目覚めた様だ。ハァハァしているだけなら無害だが、一言喋り始めると通りすがる誰もが異様な物を見る目で離れていくので、太陽はその度に穴を掘りたくなる。当然、黒縁眼鏡を埋める為だ。

「カイちゃん、錦鯉きゅんの美人過ぎる睨みに負けないで!今ちょっと中庭でバスケしながらイチャイチャしてるイケメンを見守るのに忙しいにょ!宿題より大事なものが、中庭にある…!ハァハァ!所で左席委員会メカニック部諜報大佐、あそこの口にピアスしてる攻めでも受けでも美味しいスリムマッチョはどなた?」
「えっとねえ、あれは3年Dクラスの香川実春だったかもー。タチネコどっちもやるみたいだけど、タチ寄りかなあ」
「パヤティー!サネハル様がハイタッチしたテライケメンはどなた?!汗で濡れた前髪をエロく掻き上げた、あの大人の色気を醸し出してるお方は!」
「あれバスケ部の主将で全日本代表の加賀城昌人だよお。隼人君より大分落ちるけどお、まあまあ男前だよねえ。馬鹿だけど」

最近は真面目に登校しているが、それまで殆どサボっていた隼人がスラスラと上級生の名前を答えているのを横目に、太陽も加賀城昌人は知っているとシャーペンで顎を掻いた。ラウンジゲートで見掛けた程度だが、流石はバスケットボール選手、無駄のない体をしていた様に思う。

「同じ身長でも、体育会系ってちょいと違って見えるよねー。神崎君は完璧なスタイルだと思うけどさー、藤倉君の方が筋肉ついてそうな感じする」
「マジかよ山田、オレの体狙ってんのかテメー」
「コイツの父ちゃん、歳行ってる割りに腹出てねぇのよ(*´σ`)俺は将来腹出そうな気ぃすんだけど」

確かに、呆れるほど肉食な健吾は可愛らしい顔立ちを裏切って体格は完全に男のそれだ。捲っているスラックスの裾から伸びる足に毛も生えていて、まともに留まっていないボタンから覗く胸元からは、タトゥーが少しだけ見えている。

「高野君は身長どのくらいあるんだい?俊と同じくらいに見えるけど」
「ケンゴは177だぜ」
「オメーが答えんのかよwユーヤはこないだの測定で180だったろ、去年まで俺と同じくらいだったのによ(´3`)」
「錦織君は藤倉君と同じくらいだから、カルマは皆大っきいんだねー。イチ先輩は神崎君より小さいけど、厚みがあるから見劣りしないし」

自分ももう少し伸びないかと肩を落とした太陽は、最早完全に現実逃避していた。数学の難解な数式から目を逸らし、桜の宿題を眺めている。

「徳川歴代将軍かー」
「家康、秀忠、家光、家綱、綱吉、家宣、家継…」
「ユーヤの発作キター(´∀`)ー!8代、暴れん坊将軍!」
「「見てた見てた再放送」」

声を揃えた太陽と裕也は無言で見つめ合い、どちらからともなく目を逸らした。付き合いたてのカップルかと突っ込んだ健吾は一人で笑い転げ、転げすぎてソファから落ちると、無駄に長い裕也の足から尻を蹴られている。

「うひゃひゃひゃひゃ、カナメカナメ、ユーヤが苛めるっしょ!助けて☆」

少なすぎる左席委員会の予算をどうにか増やそうと躍起になっている要は、既に携帯へ目を落として他人の話には無関心だ。結局、苦笑いしながら手を差し出した桜から救われた健吾は、桜に笑いかけながら裕也の太股を蹴ると、恵まれた小悪魔顔で唇を尖らせた。

「ちぇ。知らん顔するなんて、タイヨウ君ひでーの」
「あはは、俺が藤倉君に勝てる訳ないだろ?」
「あー、山田は3秒で倒せるぜ。安部河は1分」
「やったぁ、太陽君より強く見えるんだ〜」

喜び所が可笑しい桜には突っ込まず、若干頬を膨らませた太陽は窓の外を覗き込んでいる背中をビシッと指差し、偶然振り返った隼人に軽く睨まれて素早く目を逸らしながら、

「俺だって、俊なら3秒で倒せるよ!」
「無理だべ?(´`)」
「明らかに相手が悪いぜ」
「あは。馬鹿じゃないの、21番君。あ、そっか、だから21番なんだねえ」

ビシッと言えば、ピピッと自動販売機にカードを押し当てた隼人までもが鼻で笑っている。とてつもなく悔しいので、太陽の頬は益々膨らんだ。

「俊!」
「はい?」
「宿題で苦しんでる俺を無視して他の男を見てるお前さんとは、絶交するかも」
「ヒィ!うぇ、うぇん、ぐすぐす、めそん、いやー!」

目にも止まらない速さで飛びついてきた黒縁眼鏡が、太陽の足に縋りついて咽び泣いた。勝ち誇った表情で座り直した太陽は、若干座高の方が高い平凡な足をしゅばっと組み、緑茶の缶へ手を伸ばす。

「うぇ、タイヨーちゃんタイヨーちゃん、捨てないでェ!」
「俊、曲がりなりにも帝君で左席会長なんだから、自分の宿題は自分でおやりよ」
「眼鏡の底から反省してますん。ひっく、ごめんなしゃい、やります」

しょぼくれたオタクは山積みの宿題に向き合い、間もなく『ドロリッチ』と呟いて溶けた。慌てた要が財布代わりのパスケースを取り出すより早く、カルピスのボトルを開けようとしていた隼人が、ゼリー入りカフェオレを購入し駆け寄ってくる。

「頑張ってボス、判んないとこあったら隼人君が教えてあげるからねえ、手取り足取り腰取りナニ取り」
「は。風紀に連れていかれれば良いのに…」
「あは、お金しか愛せない根暗君、何か言った?独り言は寂しい奴が言うんだってねえ、お可哀想に」
「誰かの様に我が身を安売りしないだけです。近寄らないで貰えますか、猊下に性病が移ると困るのでね」

カーン!
何回目かの戦いのゴングが聞こえた様な気がする。流石に学園内の誰もが知る、高坂日向と嵯峨崎佑壱ほどではないにしろ、隼人と要も犬猿の仲なのかも知れない。二人が一緒にいる所など見た事もなかったので、太陽が知ったのは最近の話だ。

「高野君はゲームとかする?」
「んー?ゲーセン?スマホゲーム?(´ω`)」
「それも良いけど、がっつりハードとソフトとか」
「最近はやんねーな(・3・)昔、じっちゃんが遊びは心を豊かにするとか何とかほざいて、初代プレステ買ってきた事があるっしょ。ユーヤ、覚えてっか?」
「あー、ソフトはプレステ2買ってきたぜ」

何故、裕也が健吾の祖父を知っているのだろうと考えて、つまり入学前からの付き合いなのだろうと思った。二人がカルマに入る前から仲良しだった事は、初等部5年生で編入してきた太陽も知っている。

「ゲーセンは最近あんま行ってねーけど、毎週土曜に対戦ゲームが半額になる店知ってっから、暇潰しで通ってたっしょ(*´艸`)」
「目がクソほどデカくなるプリクラ撮った事あんだろーが」
「えっ、プリクラって写真をシールにするあれ?二人で撮ったの?」
「や、三馬鹿トリオも入ってきた(ºωº)」
「5人なのに、何か後ろに誰かの手が写ってたからよ。オレは悟ったね、ありゃ心霊プリクラだぜ」
「心霊?!」

その頃から健吾と裕也は佑壱と親しくしており、中等部に上がる頃には健吾も裕也も、今の髪色になっていたのだ。あれには流石に驚かされたが、校訓が緩いのですぐに見慣れた。

「そん時のプリクラ見るかよ」
「見ない。ってか持ってるのかい?」
「持ってる訳ねーだろ、馬鹿にしてんのかよ」
「どゆこと」
「ゲーム関係は俺よかユーヤのが詳しいっしょ。城とか街とか作るドラクエっぽいのにハマってた事あんよな、オメー(ヾノ・ω・`)」
「ビルダーズは神ゲーだぜ。あと信長の野望はやべー、オレの睡眠時間が消失した」
「あはは。藤倉君はそれなりにやり込んでそうだねー」
「大体、最初は俺がやるんだべ?(・∀・)セーブして寝るとやってた事忘れちまって、いつの間にかコイツがクリアしてんの。人が寝ててもお構いなしに叩き起して、ドヤ顔でエンディング見せてくるレベルの危ねぇ男っしょ」
「テメーの代わりにクリアしてやってんだろーが。オレの信長を労れや」
「どーせ光秀に負けんだろーが(´`)」
「フレイムザードの江戸外伝が合いそうだねー」
「カルマで龍が如くが流行ってた時は、ユウさんが真顔で『金属バットで殴られた位で倒れるとか、雑魚の動きにリアリティがねぇな』つってたぜ」
「それで倒れないのはイチ先輩だけだよねー」
「リアルヤクザ相手に毎日下んねぇ喧嘩してっかんな(・ω・)光王子相手に引き分けてる時点で俺らの副総長ヤバくね?」
「大分病んでるよねー。俺は光王子になんか近づきたくもないよ」
「白百合よかマシだぜ」

確かに、と激しく頷いた太陽は、目を逸らしていた宿題を眺めて『よし』と声を放つ。泣きながら余りにも達筆な字でノートを埋めていく遠野俊を横目に、数式に挑もうとした太陽は目を見開いて、俊の手元を見た。

「俊、それって達筆な草書に見えたけど、なんか変じゃないかい?」
「ああ、アラビア語か。成程、趣向を凝らしたな。面映ゆい」

甘やかす庶務に褒められて照れているオタクの違う方向に発揮されている知性に対し、左席委員会副会長は笑顔で突っ込む事にする。

「真面目にやんなさい」
「さーせん」
「俊、ヒロアーキ如きに負けるな。Ridiculousの訳は『馬鹿げている』だ」
「庶務、お前さんを権力ですり潰したい気持ちだよ俺は。夕食まで黙ってなさい」
「「命令とあらば仕方ない」」

お口チャック、と。眼鏡共は揃って沈黙した。























「カ、カルマ?アンタ、カルマなの?!」
「3年の梅森です〜。疾風三重奏やってます、ヨロ〜」
「あ、握手して…!三重奏って四重奏と何か関係があるの?!」
「んー、あるよーなないよーな」

太腿にガーゼを貼りつけられた女は、でろでろに崩れた化粧に構わず震える手を持ち上げた。正座させられているカルマオレンジ部隊と言えば、チラチラと指揮者を見つめては、吹き出しそうになるのを耐えている。

「あん?…何だ?何か俺を見てモジモジしてるな少年、ホモは他人事だから楽しめるんだぞぇ?」
「大人げない大人だと思われて嘲笑われてんじゃねぇのか」
「おいおいサンフラワー、咲き誇るのは真夏のひまわり畑だけにしとけ。拉致られて霰もない姿のお前を助けてやったのは誰でしたかな?」

学園長の前で堂々と悪どいバイトをしようとした梅森嵐と、嵯峨崎零人はそれぞれ正座させられたまま、零人はオカマからではなく母親から『めっ』とデコピンされ、以降額を押さえたまま沈黙していた。流石に二十歳を越えて皆の前で叱られては、恥ずかしいのだろうか。

「ファーストより賢いと思ってたけど、やっぱり兄弟なのね。皆を困らせたら駄目よゼロ、右席委員会演技部長として取り締まる事になるわ」
「ちょ、ちょっとクリス、演技部長って…」
「レイは中央委員会だったのでしょう?狡いわよ、私は学校に通った事がない。兄様、私は右席委員会に入ります。良いでしょう?」
「構わんが、右席委員会の予算は私のポケットマネーで賄う事になっておる様だ。この老耄の財産はナイトに譲り渡すつもりだから、シエが少々使い込んでも構うまい」

右席委員会顧問の座を争っている帝王院駿河とキング=グレアムのしょっぱい争いは、大人代表の加賀城敏史によって上手く収まっている様な、いない様な。

「大殿、学園長のお立場で下院自治に肩入れなさるのは好ましくはありますまい。俊江さんに肩入れなされば、天の宮様が率いる左席委員会を蔑ろになさる事になりましょう」
「う、ううむ…。だが然し加賀城の…」
「グレアムの内情は察するに余りありますが、神の宮様は大殿を慕っておいでのご様子。中央委員会が築いてきた信頼は、理事会も認める所です」
「う…それはそうだ、神威も俊も私の可愛い孫には違いないが…だが…シエちゃんはこの帝王院駿河の目に入れても痛くない一人娘だぞ…!何で帝都が顧問なのに俺は仲間外れなんだ!」
「ご冷静に、大殿!」
「冬月教諭!」
「ん?儂に何ぞ用か?」

板挟みになりまくってクネっている駿河に呼ばれ、自分を指差しながら首を傾げた白衣は、

「お前はどの委員会に肩入れするつもりだ。それによってこの帝王院駿河、不平等がない様に…」
「儂は左席委員会だのう。理由は単純明快、隼人がおるからだわ」
「そ、そうか。だったら私もまだ若い俊の味方になろっかな」
「黙れ大殿、左席委員会顧問であればこの遠野龍一郎が努めてやるわ」

暫く黙っていた男は窓の外から目を離すと、駿河を睨みつけながら呟いた。これにより、冬月当主兄弟を味方につけてしまった左席委員会の闇は一層深まったと言えるだろう。絶望した学園長は半泣きで膝を抱え、加賀城から慰められている。

「畏れながら大殿、儂も左席委員会を贔屓にしようと思っとります。獅楼が天の宮様についておる故に」
「うっうっ、俊は私なんていなくとも味方だらけなのか。うっうっ、今まで何もしてこなかった祖父なんて要らんのか、そうだろう、そうだろうなぁ…」

啜り泣く駿河を持て余した年寄りは、遠野俊の両親を見たがイチャイチャしてるだけなので諦め、仕方なくオレンジの作業着を睨む。カルマならどうにかしろと目で脅された疾風三重奏は、ふっと乾いた笑みを浮かべた。長男とは空気を読むものだ。

「左席委員会にはカルマ47人が揃ってるんで、おっさんは不要っス!」
「「何だと!貴様、この冬月に楯突くつもりか小僧!」」
「双子の神秘!オレはハヤトさんのじーちゃんが総長のじーちゃんの弟だからって、それもうかなり遠い親戚じゃね?くらいの認識っスから!馬鹿を舐めたら駄目っスよ、あとシロのじーちゃんはつまり加賀城昌人のじーちゃんでしょ?!全然怖くねーっス!」
「お、おお?」

ビシッと指差された加賀城財閥前会長は、運動神経以外に取り柄がない孫を思い出して崩れ落ちた。性格は良い子なのだ。ただ通知表が体育以外オール1と言うだけで、焼肉中に自分の指を焼いてしまう悪癖があるだけで。

「んな事より、山田君のお母さんがガチ似てて遺伝子って凄ぇっスね。総長は秀隆の兄貴にもトシ姐さんにも似てるのに」
「何をほざいてるんだい君は、アキちゃんは僕にそっくりだよ?何ならお臍の形も似てるくらいさ、見せてあげようか」
「喋り方は似てるけど、その他全く似てねぇですって」

陽子に握手をせがまれてからと言うもの、今の今まで右手を握られている男は白髪の理事と、黒髪の指揮者を交互に眺めた。見た目だけではどちらも大人の色気が迸る男前だが、藤倉理事の悪評はチャラ三匹の中でも有名だ。

「ユーヤさんの父ちゃんとケンゴさんの父ちゃんは、何か…焦ってます?」

へらっと笑いながら宣った台詞に対し、大人は揃って眉を跳ねた。ただでさえこの場に似つかわしくない作業着姿で、それも学園正規のものではなくド派手なオレンジなのだから、気づかない方が可笑しいのだと言うのは世知辛いだろうか。

「焦ってる?」
「面白い事を言う子だね。いや、天の君が認めたカルマと言う組織の少年を軽視するのは、不躾なのだよ」
「オレらユーヤさんの弟子にして貰おうとしてシカトされて、ケンゴさんに拾われたんスよ。だからそんな睨まないで貰えます?」

へらへら。掴み所のない鰻の様な笑みに、ワラショク幹部から『青田刈り』と言う言葉が飛び出した。

「君、Eクラスの専攻は?」
「君、就職先の希望は?」
「へ?専攻は1年の時が農耕技能と選択が情報処理で、2年が土壌開発と選択でプログラミング、今は就職コースっスけど?」
「専務!逸材!」
「ええ、逸材ですねぇ常務」
「えっ?!」

しゅばっと名刺を取り出した二人の眼鏡にビクッと震えたチャラ男は、見た目のチャラさに反して案外苦労していると言う、カルマならではの後暗い生活感など微塵も感じさせず。

「君、ワラショクの内定前見学に興味はありませんか?どの様な場所でどの様な仕事をするのか十分知った上で、学園推薦を受けると宜しい」
「は?え?何っスか?」
「カルマだとか左席委員会だとかは別として、俊坊ちゃんの友人なら信用も十分だ」
「ちょ、待っ、ワラショクは山田君の家でしょ?!総長と何の関係があるんスか?!」

狼狽えた作業着に見つめられた山田大空は、肩を竦めて妻の手を離した。いつまで人の嫁の手を握っているつもりだと、息子と大差ない後輩を睨むのはやめないまま、

「関係は大ありさ。株式会社笑食の代表取締役会長は、そこでほっぺに落書きされてる帝王院秀皇だからねー」
「うっそ?!えっ?!だったら総長はワラショクの社長になるんスか?!」
「お前さんは馬鹿かい?帝王院財閥の跡取りが、わざわざうちみたいな零細企業に就職する筈がないだろ?僕の後は太陽が継ぐんだよ、加賀城さんの所の若社長みたいにねー」
「抜かせ榛原、貴様の所の愚息と俊は似ても似つかんわ。あれには遠野総合病院を継がせる」
「龍一郎、長男坊の息子はあの西園寺の首席だろう?師君の跡取りは遠野和歌がおろうに」

庶民には全く理解出来ない話だったが、大空と双子の胡散臭い目に睨まれて怯えたチャラ男は怖々右席委員会会長を見つめ、震える唇を開いた。

「そ、総長はお医者になるんスか?学園長になるんスか?」
「さァ、子供の将来に口を出す親は野暮ったいわよねィ。いっその事、カルマのイケメン揃えてコミケ制覇しない?」
「梅森嵐君、履歴書の書き方は知ってるか。後の事はこの一ノ瀬に任せてくれれば心配ない。まずはこの書類にサインと拇印を…」

相談した相手が悪かった様だ。
ワラショク常務は、テキパキと来年度新入社員を獲得した。

←いやん(*)(#)ばかん→
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