帝王院高等学校
大人には大人にしか判らない事情があります
「………あ?」

忙しない決算が終わり、何故麗らかな春に起業したのかと愚痴を零すのは昨日までの話だった。
などと、通常業務が楽にすら思える昼下がり。移転したばかりの本社ビルに未だ慣れないのか、段々酷くなる猫背で惣菜部の試作サンドイッチを頬張りながら、書類を流し見ていた男は、腹から絞り出す様な声を放った。

「ん?どうしたんだい、常務」
「ゴルゴンゾーラチーズと蜂蜜は、やはり合わなかったんでは?」
「そうか?専務がゴリ押しする昆布の佃煮サンドより、今時に沿っていると思うが」
「需要に応じた売価に対して、原価と計上が釣り合えば徐々に種類を増やしていけば良いんじゃないか?フロアの客層は30代以上が強いからなぁ、若者向けのメニューは販売開始からの様子を見て判断する方が、まぁ無難か」
「流石は村井営業部長だねー」
「社長、他人事の様に仰いますが今のは社長のお仕事ですよ?」
「オオゾラに村井部長の様な助言を求めるだけ無駄だ。ハムサンド一切れで食うのをやめる時点で、向き不向きが判る」

デスクワークで酷くなってきた霞み目に目薬を落としている常務には構わず、長机に並べた試食用サンドイッチへ次々に手を伸ばす美形は、投票用紙に丸や三角を書いていくが、今の所バツは一つもない。

「二重丸は出ませんねぇ。遠野課長は好き嫌いがないので、逆に判定材料にならない」
「好物もないが食べられないものもない、か。小林君が言う通り試食係には向かないけど、遠野君は珍しい体質だなぁ」

純和食派の小林守義は最終的に米が一番と宣い、試食の意味を完全にスルーしている。ランチ代わりに数種類食べ比べ、丸や三角、バツだけではなく緻密に意見を書き添えている村井和彰だけが、正しく審査している様に思えた。

「また村井部長の株が上がるんだよー。僕だってちゃんと色々書いてるのにさー」
「確かに社長のご意見は的を射たものが多いと、一ノ瀬惣菜部長から聞いていますがねぇ」
「大空は少食だからなぁ。陽子の方が食う量が多いんじゃないか?」

年々増えている本社職員にも同じ投票用紙を配っているので、後はタイムカードを並べている出入口の投票箱へ投函するだけだ。
勤務時間終了後に結果を纏め、明日には惣菜部へ渡せるだろう。

「この場で最も大食いなのは、明らかに遠野課長ですねぇ」
「ああ、遠野君を見てるだけで腹が一杯になる」
「そうか?」

食べる量は多いが食べ方は綺麗な遠野秀隆は、基本的にあらゆるものへの関心が薄い。与えられた仕事は完璧にこなし、残業もなく、年齢に似合わない冷静さで女性社員から黄色い悲鳴を浴びている男だ。社長と同じく若い頃に結婚していて、デスクに嫁の写真と息子の蒙古斑の写真を堂々と飾っている。然しそんな家族思いな所も素敵だと、益々評価が上がるのだから不思議だった。

「食える時に食えるものを食っていれば、生きていく上で困る事はないだろう」
「全く、戦時中の兵士の様な考え方ですねぇ。何と戦うおつもりですか」
「サラリーマンが戦うと言えば、ストレスと繁栄期じゃないか?地獄じみた決算がやっと終わっても、酒持って花見する気分にはなれないもんなぁ」
「村井部長、こないだ仕入れた発泡酒良かったです。枝豆と鶏ガラに合う」
「おっ。発泡酒のうまさが判る様になったら一流だよ、遠野君。大空は洋酒ばっかだからなぁ」
「社長、せめて三種類は食べて下さい。若いんですから」

最年長の和彰ですら、午前中の外回りから戻った勢いで五種類のサンドイッチを腹に収めており、代表取締役としての山田大空の威厳は皆無に等しい。惣菜部長として故郷の姉夫婦に協力して貰っている一ノ瀬常務は、試作会の前に何度も食べさせられたらしく、サンドイッチは暫く見たくないとお疲れモードだ。

「ランチタイムくらい、その社長ってのやめてよ。僕の胃袋は誰かさんみたいに、永遠の成長期じゃないんですよーだ」
「株主報告書が上がるまではろくに休憩もなかったんだから、休める時に休むのも仕事の内だろう?」
「遠野課長は社内業務だけ任せておけば有能ですが、一歩外に出したら途端に迷子ですからねぇ。ワラショクはまだまだ人手不足なんですよ?もっとしっかりして貰わないと、貴方使えねーんです」
「口が悪過ぎるぞ専務、パワハラだ。バツとして納豆サンドを食え」

決算と度重なる勤務外での試食と、上京する度に都内案内を強請る姉夫婦に振り回されて荒んできた常務の背中からは、何とも重苦しいオーラが放たれている様に見える。
顔立ちも良く仕事も出来る男だが、起業したばかりの頃は童顔で随分舐められた事もあり、帝王院学園卒の肩書きだけでは足りないと髪を短く切り揃え、伊達眼鏡を掛ける様になってから暫くすると、遅れてやってきた成長期で幾らか身長が伸び、初々しかった面影は鳴りを潜めた。役員の中では一ノ瀬常務が一番怖いと、社員の噂の的でもある。

「遠野君、小林君のアンケートは納豆だけが二重丸になってるぞ」
「もぐもぐ。やはり日本人は和食ですよ」

現実的に最も性格が壊れているのは恐らく小林専務だが、サディストは社長も課長も大差ないだろう。納豆サンドを美味そうに頬張る専務の態度が物足りなかったのか、総務課長は無表情でクサヤサンドを専務の口へ詰め込み、それでも表情が変わらない専務の咀嚼が終わる前に手当り次第を放り込んで行った。

「遠野君、その辺にしとかないと小林君が死ぬぞ」
「ああ、すいません。勤務中に殺したら労災認定だった」
「はは、君も大概アレだなぁ。良い性格してるよ本当、俺なんかが居なくてもワラショクの未来は明るい」
「村井部長がいないと社長が言う事を聞かないので、居てくれないと困りますよ。スタンダードで上から目線の専務や、俺に営業が出来ると思いますか?」
「小林君はともかく、君はそろそろナビを持ち歩いた方が良いなぁ」
「世間知らずですからねぇ。総務課長には速やかに公共交通機関に適応して頂きたいものです、車の免許を持っているのは和彰さんと私と一ノ瀬だけですからねぇ」
「ちょいと専務、免許なら僕も持ってるんだけど」
「オートマ限定のお子様が片腹痛い。営業車は経費節減重視、マニュアル車ですよ」

やる気がある一ノ瀬一家には頭が下がるが、決算の慌ただしさが無関係である惣菜部の迸るやる気は、決算ご苦労様の意味も含まれているのだろう。食べても食べても減らない試食に手を伸ばしているのは、今や美貌の総務課長だけだ。

「だって、陽子がオートマの方が早く取れるし安いし、何より最近はミッションなんか使わないって言ったんだもん」
「世間知らずな娘で申し訳ない。俺が車部門で働いてた癖にペーパードライバーだったから、サラリーマンは車に縁がないと思ったんだろう」
「免許なんて取らせたら途端に日本の果てまで迷子になりそうな課長より、毎日オートマ通勤の僕の方がマシじゃないかい?」
「迷子は関係ない。シエが車の購入費用や維持費を計算した上で色々精査すると、バス通勤が一番割りが良いと言ったんだ」
「遠野君の所は本当にしっかりした奥さんだ。交通費が支給されるからなぁ」
「地下鉄より単価の高いバス通勤と言う事にして、敢えて徒歩で通えば交通費は丸儲けですもんねぇ」

悪びれない専務の台詞に目を丸めた和彰の傍ら、しれっと照り焼きチキンマヨサンドを頬張った総務課長はそっぽ向いた。パチパチと試食用のサンドイッチを撮影している所を見るに、余ったサンドイッチはお持ち帰りなのだろう。

「…総務課長が横領?」
「村井部長、それを言うなら詐欺ですよ。と言っても経理兼任の遠野課長に我が社の経費が握られている以上は、犯罪すれすれの節約と言えなくもないでしょう」
「安月給で扱き使われてるんだから見逃せ…あ、ママから見た目の評価が届いた」
「お。遠野君の奥さんの意見はどれも的確で、殆ど取り入れてるからな。どれどれ?」

妻からのメールで携帯が震え、どう見てもお子様携帯に毛が生えた様なガラケーを男達は覗き込んだ。蚊帳の外の常務は背を向けたままパソコンデスクに張りついており、サンドイッチ一切れで膨満感気味の社長は、だらしなく腰掛けた椅子から立ち上がる気配がない。

「おお、照り焼きチキンマヨとチキンジェノベーゼを抱き合わせて、チキンクラブサンドか!確かに2切れとも同じ種類より、二種類組み合わせた方が見た目も良いし、何よりお得感があるな!」
「おや、でしたらホイップバタークリームとパインのスライスを挟んだものと、生クリームとチョコソースとミントソースを挟んだものを組み合わせれば、スイーツながらもさっぱり食べられるのでは?」
「俺としては、照り焼きチキンマヨとツナマヨとたまごサンドの『まいっちんぐマヨコ先生』案に一票を投じたい」
「俊江さんは古いネタをご存じですよねぇ」
「ネーミングは企画課任せだからなぁ。まぁ、その企画課長も遠野君が兼任してる訳だが…」

総務課長兼、経理課長兼、企画課長兼、新規事業部長代理と言う数々の肩書きを担っている遠野秀隆は、定時制の大学を卒業してまだほんの一年だ。
本来なら大学側から学校と偏差値が釣り合っていないと断られた程だったが、働きながら学校に通う苦学生の夫に盛り上がった遠野俊江が、『パパ素敵』だの『応援してるから』だの『学費の心配はしなくてイイのょ!』だの、異常に健気妻ぶっているので中々言い出せず、とうとう大学院まで卒業してしまった。
悪目立ちする前に博士号を取得しさっさとおさらばした秀隆は、以降地味なサラリーマンを演じている。

「いっその事、全部ひっくるめて総務部にしたらどうだ?君の仕事の速さと的確さは、尋常じゃないんだぞ。部長所か社長でも良いくらいだ」

何で頑なに課長やねん、と言わんばかりの和彰の台詞に、トマトサンドとたまごサンドを抱き合わせて頬張った男は、片手で携帯を弄りながら首を振った。

「お断りします、サラリーマンは叩き上げられるべきで、部長になれるのは40歳を過ぎた頃かしら?と、シエから言われてるので」
「はぁ?!」
「そうなんですよねぇ。恐らく俊江奥様は、部長職を医局長か何かと勘違いなされているんですよ」
「あ、あー…そうか!君の奥さんはお医者さんだったなぁ」
「だった、と言うか最近まで定期的にバイトに出てましたよ。俺の学費を稼ぐ為に」
「手術医として呼ばれれば、あっちこっちに飛んで行ったそうです。それこそ彼女の手術の速さと的確さは、尋常ではないとネットにも載ってる程で」
「君ら夫婦は何なんだ?」

父子家庭で地道に暮らしてきた和彰がぼやくと、照り焼きチキンマヨサンドに刻み海苔をトッピングし頬張った総務課長は、カッと目を見開く。

「もしもしママ、俺だ。何?オレオレ詐欺じゃない、シエのパパだ。照り焼きチキンに海苔を散らしたら事件が起きたぞ、何とした事だうまい。やはりママは天才主婦だな、愛してる。何?洗濯物を干してて忙しい?ちょ、待っ、せめて愛してると言ってくれ…!」

切られたのか、プープーと冷たい音を奏でる携帯を握り締めたまま崩れ落ちた秀隆を横目に、照り焼きチキンに海苔を散らした小林に倣い、和彰も海苔へと手を伸ばす。

「照り焼きとコーンの相性が良いのは判るが、単価が安いシメジとソテーしたのはナイスアイデアだな。ボリュームも見た目も良い。販路も確保した事だ、抱き合わせ販売なら、数量は増やさずに種類は置ける」
「デメリットは、細々した個装販売は経費も人件費も懸かるんですよねぇ。ベーカリーコーナー新設の話が纏まってから、セルフチョイスのボックス詰め形式にするか」
「お、こりゃうまい、海苔ありだな。少子化で大量買いは少数派だから、暫くは惣菜部の扱いでバイキングコーナーに置いて様子見するか?ほら、駅前と住宅街はデリ詰め放題で集客率上がってるだろ」
「スイーツ系はオフィス街狙いで、ボリューミーなものは学生街に重点的に置けば、上手く行きそうですねぇ。おや?ハンバーグと目玉焼きのロコモコサンドと照り焼きチキンを並べると、女性だけでなく食べ盛りも満足なボリューム感」
「但し、男は一人でスーパーに入り難いんだ。レジまでの動線が長いほど顕著だろ。コストが懸かるコンビニも、動線が狭い分、必要なものを探す手間がなくて入り易い…うん、デミグラスと目玉焼きは合うな」

妻に振られてげっそりしている総務課長は、サンドイッチではなく誰も手をつけないホールケーキに目をつけ、商品開発部が自社生産を始めた時に試作で作った大きすぎるタッパーを倉庫から取ってくると、無言でホールケーキをぶち込んだ。
ケーキで妻の愛を取り戻すと、恐ろしく整った顔にデカデカと書いてある。洗濯物に張り合ってどうすると、正論で突っ込むだけ無駄だ。

抱き合わせ案が出た事で再開された試食だったが、やはり30種類近く用意された、実に食パン15斤分のサンドイッチは中々減らない。精力的に新商品を自社生産していく事で、若手企業の欠点である経験値の低さを補っていく必要がある事は、言うまでもないだろう。
余程良いスポンサーがついているのか、開発に関わるコストを惜しまない経理に些か疑問を抱いている和彰は、然し考えない事にした。何しろあの榛原優大の一人息子が起業した会社だ、庶民には理解出来る筈もない。

「はぁ。一斤くらい食べたか?流石に腹に来るなぁ、歳には敵わんよ」
「皆さ、良く食べるねー。胃薬欲しかったら言ってよ?薬の取り扱いを検討してるって漏らしたらさ、早速製薬会社のMRが、サンプル持ってきたんだよねー」
「また安請け合いして。最終決定は役員会議で決めますので、勝手に契約書に捺印したらいけませんよ」

子供扱いだと膨れる大空に笑った和彰は、サンプルの中から栄養ドリンクを手に取った。それと同時に時間を確かめると、慌てた様に背広を引っ掴む。

「おっと、そろそろ時間だ。閉店したデパートの跡地を持て余してる不動産屋に、今は隠居してると言う前経営者と連絡をつけて貰ったんだ。惣菜部長にどれも美味かったって伝えといてくれ、行ってきます」
「あれ、もうそんな時間ですか?気をつけて行ってらっしゃい、営業部長。支店確保、期待してますねー」
「部長、値切るだけ値切れたら、キリの良い所で直帰なさって下さい。夕方から一雨来る様なので」
「値切り倒せなきゃ帰れないと言われてる様に聞こえるなぁ。まぁ、期待し過ぎないで待っててくれ」

皆で営業部長を見送って、一息ついてから同時に視線を無言の常務へ向けた。やはり一ノ瀬もタイミングを見測っていたらしく、何とも言えない表情で椅子ごと振り向いたかと思えば、やはり無言で持ち上げた書類を突きつけてくる。

「一ノ瀬常務、その不細工な顔は何ですか?」
「新年度の人事採用書類と書いてある」

眼鏡を掛けていても視力には自信がない専務を横目に、一通り食べ終えて投票用紙を埋めた総務課長はネクタイを締め直しながら呟いた。医薬品のサンプルには見向きもせず、ジャケットのポケットが震えた途端、しゅばっと携帯電話を取り出している。

「…6区店舗で新規採用されたパート社員に、村井陽子って名前で登録上がって来てます」
「6区は卵の安売りがある」
「へー」
「へー、ではありませんよ社長。人事データを検索しています。画面をミラーリングしたのでモニタをご覧下さい。ああ、履歴書のコピーが出ました、奥様です」
「は?えっ、ちょ、嘘、何で?!」
「俺が知るか。外回りついでに少し出掛けてくる」
「待ちなさい遠野課長、貴方に一人で外回りに行かせる用事はありません」

妻からの絵文字一文字のお使いメールに素早く返信した男は、ガタリと立ち上がったがガシッと専務に肩を掴まれた。個数限定の卵が…と呟いているが、サボる気満々ではないか。

「結婚前に作った銀行口座をまだ持ってたのか。記載されてる住所は以前住んでいたアパートだな。通帳に合わせたのか、社長夫人だとバレたくなかったか」
「言ってる場合か!社長夫人を時給820円で働かせるなんて、我が社始まって以来の恥だぞ…!」
「一ノ瀬、問題はそこか?」

ガリガリと頭を掻いて挙動不審にうろちょろしている一ノ瀬は、決算の疲労と商品開発部長兼任のストレスが溜まっているのか、サンプルの医薬品からドリンクタイプの胃腸薬を奪うと、凄まじい速さで飲み干した。

「勤務時間は週末の午後、ほんの4時間か。本人がやりたいならやらせておけば良い、主婦のパートは気晴らしみたいなものだろう?」
「夕陽坊ちゃんが良く熱をお出しになられるので、幼稚園をお休みがちでしたねぇ。土日となると太陽坊ちゃんも家に居ると思いますが、村井営業部長はご存じなんですか?」
「待ってよ!お義父さんは関係ないじゃん、僕が知らないんだけど!」
「お前は信用がないからだ、土日に家に居ない理由を言ってみろ山田大空。よりによって、体の弱い子供を病院に連れて行っている間に他所の女を連れ込むとは…」
「人聞きが悪い事言わないでよ秀隆、家には連れ込んでないよ!ガレージの車の中では二回くらいあったけど、バレてないし!」
「榛原最低」

常務からゴミを見る目で睨まれた社長は、コホンと咳払いする。

「秀隆が言った様に、アルバイトが気分転換になるなら止めないよ。週末に家に居ない理由は僕の面倒まで見せたくないから。双子を育てるだけでも大変な事だよ。彼女は良くやってくれてる」
「そんな良い嫁を裏切る様な男はすぐに捨てられる」
「寧ろ今すぐ捨てられろ」
「おや?貞操観念がない男達が浮気を咎めるなんて、矛盾してますねぇ」

沈黙。
余ったサンドイッチを、蓋がきっちり閉まらない事で没になったタッパーに無理矢理詰め込みながら、悪びれない笑みで吐き捨てた専務は晴れやかだ。天晴も天晴、常務から思われている事には気づいている癖に、知らんぷりしている様な男の腹はどす黒い。股間はまっさらな癖に、だ。

「ああ見えて、陽子の性格は真面目な和彰さんに似てるんだよ。僕と違ってあの子はきっと、追い詰められて逃げ場がなくなっても、別れたいなんて言い出せないだろうねー」
「悪い癖だ。馬鹿な事をほざいてると、本当に捨てられるぞ」
「丁度2人産まれたから、夕陽だけ置いていけばいい。下の子は僕の母さんに似たのかな、気管支が弱くてね。喘息があるみたいなんだ。喘息って大変だから、陽子は手が掛からない太陽だけでも育ててくれたら、助かるなー」
「社長、本音を溜め込むとハゲるぞ」

人事部長を兼任している専務をキッと睨んだワラショク代表取締役社長は、凍る様な笑みを浮かべた。スっと取り出した携帯でパシャっと撮影した小林守義は、坊ちゃんフォルダーの画像を一枚増やしたのかも知れない。

「…陽子が働いてる店舗の全男性従業員の顔写真出して。若い奴と顔が良い奴は栄転をチラつかせて他所に飛ばせ。あと店長の携帯番号調べろ」
「残念だオオゾラ、俺がお前なら同じ事をする」
「お前さんみたいなサドと一緒にしないでくれるかい?麻縄で縛るよ」

どっちもどっちだと、この場で誰よりも荒んだ表情の常務は突っ込んだ。























息が詰まるほど重苦しい空気の中、背中に怯える生徒らを貼りつけた男は、現実逃避したのか窓の向こうを暫し眺め、「あれは…空か…」と呟いた。が、凄まじい速さでギラリと目を光らせた男二人に悲鳴を飲み込み、図体はデカいがチワワの群れと化している生徒らを一瞥する。

「うっうっ、学園長」
「ぐすっ、俺達死ぬんですか…?」
「あーあ、どえらい所に来てもうたわなぁ」

駄目だ。
誰も彼も、助けてくれと言う目で見つめてくるではないか。助けて欲しいのは寧ろこっちの方だが、立場上それを口にするのは憚られる。

「何か空気が不味いのよねィ、何でかしら?あ、クリスはそっち、アリィはあっち、お姉様とショーちゃんはその辺でモデル立ち、ゼロきゅんは窓辺で憂い顔の青年実業家で。おまわりは撮影の邪魔、視界から消えやがれ」
「…テメェ、黙って聞いてりゃ好き勝手抜かしてんじゃねぇぞトシ。何が美形撮影会だ」
「あ?何だテメェ、ヤクザの癖にか弱い一般市民とやんのか?」
「お前の耳はどうなってる。40超えてんだからそろそろ人の話を聞、」
「上等だ、下っ腹の出たぷよぷよヤクザは連鎖で全消ししてやらァ!」

ああ、何故息子の嫁は、高坂向日葵にシャイニングウィザードを決めたのか。一撃で吹き飛ばされたヤクザは更にコンボを決められそうな所で、携帯と睨めっこしていた窓辺の嵯峨崎零人が「あ、アンテナ立った」と呟いた為、辛うじてハメ技は免れたらしい。

「ゼロきゅん、速やかにイチきゅんを脅…じゃない、彼氏を装備して集合って言うのょ?」
「彼氏と言われても、うちの佑壱はヘテロの筈なんですが。あー、いや、お宅の息子さんの前じゃネジがぶっ飛んでますが…」
「オタクの息子で悪かったわねィ!そりゃ仕方ないわょ、クリスもアリィもたまたま私の携帯に入ってたたまたまヘソクリでダウンロードしたたまたまホモ漫画を読んだら、目覚めてしまったんだもの!」
「ゲイに理解はあるつもりよ。ハリウッドでは珍しくないわ、俊江」
「ひまの書斎を大掃除する度に図面と間取りが合わないと気になって脇坂を絞めたら、それと同じ様な本が数万冊見つかった事がある」

なんてこった、隠れ腐男子がとっくにバレていたとは。
オタクの母に踏まれたまま顔を覆ったヤクザの肩を、生温い表情の指揮者が優しく叩いた。

「どんまい、組長」
「テメ、巫山戯け…!コラ、トシ!顔を踏むな…っ!」
「シエ、ヤクザなんか成敗して怪我でもしたらどうするんだ。俺が心配の余り死んでしまうぞ」

死にそうなのは明らかに日向の父親だったが、俊の父親の目は息子以上に腐っている様である。呆然としている帝王院駿河の乾いた視線を浴びている事には構わず、堂々と妻の腰を抱いた。

「ああ、何億回眺めても俺のシエは可愛い」
「うひゃひゃ。おいおい、俊江ちゃんの旦那は色々大丈夫かよ?」
「心配ご無用ょ!今の私は帝王院学園の生徒なんだから!腐女子ってもんは、コスプレで心身共に七変化しちゃうんざます」
「何とした事だ、高等部の制服がママより似合う生徒を俺は見た事がない。もしママが少年になってしまったとしても、再び見つけ出してプロポーズすると誓うよ」
「あらん?私が男に産まれてたら、女の子とお付き合いしてたわょ?」
「む。…だったら俺が女性になるから、問題ない」

それのどの辺が問題ないのか、縋る様に加賀城敏史を見やった駿河は、縋る様に見つめてくる加賀城の視線にあっさり負けた。

「ル、ルークと俊の話をするのではなかったのか?」
「「黙れ」」

遠野龍一郎と遠野秀隆と言う遠野一族屈指のドSが声を揃え、学園長は泣いた。わらわらとヤンキーに囲まれ、元気出せと慰められている。

「駿河の言う通りだ。シエ、美形を撮影するのであれば龍一郎と龍人を撮るが良い」

駿河の寿命が果てしなく減り続ける中、ポテチの食べ比べを無表情で続けていた男は物憂げなダークサファイアを細めると、油でテカテカな指先をじっと見つめ、何を思ったのかコシコシとシャツの胸元で雑に指を拭い、何事もなかったの様にその手で髪を掻き上げた。

「みーちゃん、目が腐ってんじゃない?おっさんはともかく、クソジジイなんか撮って携帯が壊れたらどうすんの?ステルスだかステルシーだかに慰謝料請求するわょ?」
「ステルシリーと読む。私が知る限り、龍一郎は龍人以上に恋多き男だった」
「マジか。親父の癖にヤリチン気取るとかもう本当、戸籍だけでなく事実上死ね」

娘に睨まれても動じない男は、娘にそっくりな極悪な眼差しを眇める。然し見つめているのは駿河で、その殺人的視線は『どうにかしろ』と言っていた。
此処で学園長からのお知らせです。どうにもなりません。

「帝都、私が龍一郎に睨み殺されたら祟ってやるから覚えておけ。神主を舐めるなよ」
「案じるな駿河、龍一郎の目つきは私が知る限り70年前から変わっていない。今はのり塩とバター醤油で悩む所だ」
「何の話をしているのかねキング=ノヴァ=グレアム」
「ネルヴァ、そなたの奇妙な表情で子供らが怯えている。少しはセカンドの様に愛らしく笑えんか」

額に青筋を浮かべた男がニヤリと微笑むと、室内のほぼ全ての人間がぶるりと体を震わせる。違う意味で肩を震わせている勇者は、鉄製の扇で口元を隠した白髪頭の男と、ネクタイにキュキュっとサインを走らせていた男だ。

「…く、汝もとうとう地に落ちたかカミュー=エテルバルド。60を過ぎて愛想笑いを指南されるとは、娯楽を知らん男は哀れよのう」
「大河社長さんよ、流石に言い過ぎっしょ。確かに愛想はないわ、趣味は薔薇の手入れだわ、ビールのつまみがチリソースぶっ掛けたトマトとキューリだわ、ズッキーニは食える癖に茄子が嫌いだとか言っちゃってるけど、あれでも頑張って生きてるんだべ?」
「白燕、省吾。君達は私の何を知っているのかね」

今の今まで他人の振りをしていた様だった大河白燕と高野省吾から、痛烈な駄目出しを受けた男は冷めた笑みを浮かべてゴキっと拳を鳴らす。然し、年下の彼ら以外にも視界の端で肩を震わせている男を認め、首だけ振り向いた。

「シリウス、笑いたいのであれば笑いたまえ。但し今後、私個人の評価に於いて、神崎隼人、高野健吾、大河朱雀の3名は著しく下がるのだよ」
「師君、まずまず大人げないぞネルヴァ」

どうやらこの場には、大人げない大人しか居ない様だ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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