帝王院高等学校
前略、さんさんに星が煌めく夜の底にて!
「女を泣かす奴は最低だーっ」

真っ赤な顔で、逃げる様に走り去る学生服の少年に見覚えがあった。
悪振っている様だが、中身の純朴さが透けて見える様だと感じた時に、良い育てられ方をしたに違いないと思った事も、それほど昔ではない。
悲鳴じみた声を歯を食いしばりながら捨て台詞宜しく残して行ったが、恐らくは独り言の様なものだろう。一瞬も目線が合わなかったから、一心不乱に爆走しているに違いなかった。

いつもなら睨みつけて来る筈の少年が走り去った方向に向けていた視線を戻せば、今度は真っ青な表情で駆けてくる女の姿がある。暴漢にでも襲われたのだろうかと考えたが、暮れてきたとは言えやっと6時を回る頃だ。

「春先に増えると聞いたが、迷信じみた定説に根拠を求めるだけ無駄か」

とは言え、己の生活区域を犯罪者がのさばるのは気持ちが良いものではない。慌しく二人が駆けてきた方向へと足を進ませ、怪しい人影を発見したらとっちめてやろうと掛けていた眼鏡を外しておく。
伊達眼鏡だが、掛け慣れていないと邪魔だからだ。

「よう」

然し、閑静な住宅街の路地裏に居たのは、不審者ではなかった。
数年前まで営業していたのだろう、看板だけを残しシャッターを閉めている小さな商店の軒先に佇む男は、お情け程度の街灯の下で火がついた煙草を咥えたまま手を挙げている。向こうからはこちらがはっきり見えている様だが、メイン通りの明るさからまだ目が慣れていないこちらには、声が先に届いたのだ。

「暇そうじゃねぇかガリ勉ちゃん。欲求不満なら相手してやろうか」

街灯が明かりを灯した瞬間、ああ6時かと腕時計へ目を落とす。無視かよ、と呟きながら近づいてくる男はいつも通り年齢不詳の私服姿だが、整った顔立ちに僅かながらあどけなさが残っていた。

「騒がしいと思えば、お前か…」
「そんな嫌そうな顔すんなや、失礼な奴だな」
「今度は何をしたんだ」
「あ?何だよその皮肉っぽい言い方は」
「女を泣かす男は最低だ」

と、言っていた。語尾を飲み込めば、ポカンと目を丸めた嵯峨崎零人は軈て破顔し、くつくつと肩を震わせる。

「何が可笑しい」
「お前、喧嘩は強ぇのに時々ジジ臭い事をほざくよなぁ」

倒れ込む様に抱きついてきた零人の手から煙草を奪い、返せとばかりに伸びてきた手を叩き落としてから、こんなものの何が美味いのかと咥えてみた。吸った事がない訳ではないが、他人事だ。この体の持ち主の経験としか説明しようがない。

「公立から偏差値75の鷹翼高校に合格した優等生が、喫煙なんかして良いのかよ」
「初等部から帝王院学園のお坊ちゃまは良いのか?」
「お坊ちゃまにも色々あんだよ」
「ゴールデンウィークを非行で費やす事が利口とは思えんがな」
「お前、マジで何なんだ。俺の親かよ」

恨めしげに睨んでくる黒目へ苦笑いを噛み殺し、街灯に照らされている赤毛をわしりと掴んだ。犬を撫でる様に撫でてやれば、怪訝げな顔をした男は何とも言えない表情で見つめてくる。

「ちょっと大きくなったんじゃないか」
「だからお前は俺の親か。親戚のオッサンか」
「失礼な。受験戦争から開放されたばかりの高校生だ」
「だよなぁ。老け顔だけど肌は若ぇし、ガリ勉だから眼鏡だけど…つーかこないだ言ったろ、その眼鏡変えろや。瓶底なんざ最近は東大生でも持ってねぇぞ」
「余計な世話だ。俺の眼鏡がお前に何か迷惑を掛けたか」
「んー?キスの時、迷惑?」

素早く伸びてきた手が頬に触れた瞬間、近づいてきた顔を片手で叩き落とした。

「キスくらい良いだろうが」
「良い訳あるか」
「さてはテメェ、童貞だな」
「違う」
「真顔で否定しやがって。こないだガキンチョ連れてただろ、俺がお前にキスしようとしたらキャンキャン吠えてた、煩ぇ奴。今日は居ねぇのかよ」

それなら先程真っ赤な顔で童貞臭い台詞を噛み殺しながら走っていった、とは口にしない。手荷物でしかない煙草を足元で消化し、地下鉄を降りると習慣の様に買っている缶コーヒーの中へフィルターを放り込む。半分ほど中身が残っていたが、後の祭りだ。携帯灰皿を律儀に携帯している高校生は多くない。

「連れてたんじゃなく、お前の取り巻きが絡んだんだろうが。反抗期を堪能するのは勝手だが、人様を巻き込むな」
「親か」
「お前の様な出来の悪い息子は金積まれてもお断りだ」
「…力でも口でも勝てねぇとか、マジでねぇわ。同世代にお前みてぇな奴がいるとはな」
「何事にも、上には上がいると言う事だ。勉強になって良かったじゃないか」
「大体、ヤらせてくれる訳でもねぇのに何で俺の名前知ってたんだよ。まさか、お前の女を寝取ってたりすんのか?だったらマジで謝る、悪かった」

正直な男だ。
思い当たる節があれば言い訳などしない所は好感が持てない事もないが、常に不特定多数のセフレを連れ歩いている所は宜しくない。けれどそれを忠告した所で、同学年と言う以外には数回顔を合わせた程度の相手の言葉を、素直に受け入れるとは思えなかった。

何せ、あの女の子供だ。
血は繋がっていない筈だがそれでも、ほんの数回話しただけで彼女の面影を思い出すには十分で、ついつい小言を口にしてしまう。

「変な気を回すな、お前が連れ回っている様な奴らは好みじゃない」
「ロリコン?」
「俺の好みは…」

言い掛けて、口を閉ざした。
ブロンドに憧れていた栗毛の少女、そんな彼女を妹の様に可愛がっていた赤毛の少女、二人が来る度に零れる様な笑みを浮かべて手を引いてきた金髪の妹は、元気にしているのだろうか。彼女が来日した事は知っている。

「んだよ、言い掛けてやめんなって。気持ち悪い」

いずれは永住するつもりなのだろうが、今はまだ手に入れた自由で働く事を選んだ様だ。いつ届くか判らない配給を待ち続ける生活ではなく、自力で稼いで食い繋いで行く、極ありふれた生活に四苦八苦しているのではないか。母国語すら危うい程度の学力では、外の世界は住みづらいに違いない。
けれど。忍ぶ事をやめて羽ばたいた彼女を心配する権利は、彼女を一途に愛し続けた男だけの権利だ。

「夢見がちなお姫様…か」
「は?」
「最近の女は現実主義者ばかりでどうにも。体だけで良いからと健気を笠に着て、欲求を満たそうとする様な人間はお断りだ」

いつかの自分の様な。飲み込んだ台詞は何処へ消えるのか。

「医者を目指す優等生ってのは、訳が判らねぇ趣味があるもんだな」
「帝王院学園の中央委員会会長と言えば、進学科首席が通例だと聞いたぞ。偏差値80越えの男が優等生ではなく、誰が優等生なのか」
「お前さぁ、その喋り方なんとかなんねぇのかよ?両親どっちも医者だっけか、お堅いにも程があんぞ」
「そうか?」
「お前、友達居ねぇだろう」
「そうでもない。そこに隠れてる奴とか」
「あ?」
「ヒィ!」

振り返らずに指差した先、肩口に顎を乗せた零人が覗き込む方向から悲鳴混じりの声が聞こえてきた。どうやら逃げた癖に戻ってきた様だが、見つかってまた逃げ出したのだろう。元気な足音が響いて、遠ざかっていった。

「何だあれ」
「あれが普通の反応だ。何をしたのか知らんが、此処で何かを盗み見したんだろう」
「盗み見ぃ?…ああ、さっきのか。ヤるだけって約束だったのに、本命にしてくれって言われたから断ったら、泣かれただけだけどな」
「多感な中学生の目に入る所でする話ではないな」
「くっくっ、あの年頃の餓鬼はどいつもこいつも恋愛体質だもんなぁ」
「人事の様に言うな」
「ヒトゴトだろ。好いた腫れただの、下んねぇ」

離れた零人は、いつも同じ長さに切り揃えられた短髪をガリガリと掻いて、ジャケットのポケットから取り出した煙草の箱を覗き込んでから、溜息混じりに握り潰した。

「惚れただの冷めただの、付き合ってるっつー前提条件がなけりゃ揉め事にもなんねぇのによ。何でわざわざ名前をつけたがるんだろうな、恋人だの夫婦だの」
「責任を負う事が苦痛か」
「違ぇよ、仕事だの人生だのには俺なりに責任は果たしてるつもりよ?恋愛ってもんに限定した話だ。面倒臭いと思わねぇか、地球には70億の人間が暮らしてるってのに、何でツーマンセルじゃないと駄目なんだ?結果的に子孫を残せだの、支え合って生きていくもんだの、本能を体良く脚色して綺麗事に塗り替えただけじゃねぇか」
「確かに、一理ある、か」
「だろ?俺はごめんだね、親父みてぇな人生も、…誰かの身代わりも」

呟く声音は掠れて、それ以上の反応を求めていない様に思える。

「悪い、これ捨てといて、榊君」

とん、と胸元に押しつけられたゴミを反射的に受け取れば、ジーンズのポケットに両手を突っ込んだ零人は別れの挨拶もなく歩き始めた。どうせまた、ABSOLUTELYのメンバーが待つ場所に向かうのだろう。


「…己の律儀な性分に気づかないか」

ほんの、まだ15歳の子供の背中は暮れた空の下では年齢以上に小さく見える。
いつかの自分とは違い、他人を傷つけて自己を正当化するのではなく、己を追い詰めて理由を探しているのだろうか。

例えば、産まれてきた意味だの。そんな、あってない様なものを。

「お前はレイからもエアリーからも、…クリスからも望まれて産まれてきた。エアフィールドに引け目を感じる必要はないんだ、ゼロ」

死ぬ瞬間、人は己の行いを悔いる。
死ぬ瞬間、どんなにひねくれた人間であろうと、純粋だった頃に戻る。



『道を誤ったか』

例えばいつか、真っ赤に燃える様な満月の下、死に逝く誰かの様に。

『そなたの犯した罪は私が預かった。最早望まぬ生に執着する必要はない』

愛されているのだ。あの子は。
けれどそれを伝えるにはまだ、出会ったばかりだった。せめてもう少し時間を懸けて、せめてもう少しあの子達の事を知ってから、少しずつ。

『兄、様』
『…安らかに眠れ、ロード』

最後の最後まで神にはなれなかった愚かな魂が、二度目の人生でその全てを懸けて贖った後にでも。


























「だ、め」

もぞもぞと、布団の中で蠢く何か。
簀巻きされているかの様に、ぐるぐると布団を巻きつけられた芋虫は、嫌だ駄目だとか細い声で繰り返したかと思えば、パチッと目を開いた瞬間にそれは見事に海老反ったが、巻きつけられているブランケットのお陰で忽ちパタリと沈黙する。

「っ、何なのよこれ?!ちょっと、おじ様!何の真似?!」

わーわー叫んた上で、じたばたと暴れてみるも、武士の情けとばかりに口元だけ開放されている隙間からは外が窺えないのだろうと思われた。無言でそっぽ向いている黒服達は真顔で耳を押さえたが、釣りたてのマグロより暴れる芋虫は諦めない。

「佑壱様ぁ!佑壱様はどうなったのぉおおお!佑壱様にもしもの事があったら、佑壱様のDNAを頂いて彼そっくりな男の子を2人、女の子を1人産んで、叶とヴィーゼンバーグの跡取りに一人ずつ差し出した上で、余った男の子を佑壱様と共に育てていく計画が水の泡じゃない!」

恋する女の叫びは犯罪スレスレだ。
貞操観念のなさは自他共に認める所である嵯峨崎佑壱は現在、えいさほいさと保健室へ連行されていく途中である。カルマ内のストーカーホモの存在に気づき、さらっと除名してやろうと考えている所だ。

「佑壱様ぁあああ!貴方のリンは此処ですーっ!すぐに助けに参りますから!あんの絶壁で、挨拶代わりにセックスする様なばっちい奴なんかに、指一本触らせへんのや!うちの佑壱様に触ってみぃ、おんどれの絶壁カチ割ったるさかいになぁ…!」

じったんばったん、今にも己の全身がかち割れそうな気配を醸し出しているが、恋に恋する少女に不可能はなかった。ぺろんと布団の隙間から飛び出した足を、これ幸いにバシンバシン振り回しているが、可愛らしいワンピースから伸びる細めの白い足は、儚さなどない。

「ちょっと!いい加減にせんかい、こんタコ!シスコン!アンタが佑壱様のお父様を狙ってる事なんか、こっちは既にお見通しなのよ!聞いてんの、守矢!お祖母様の結婚に嫉妬して、小林のおば様に手を出したのも知ってんだから!孕ませておいて卒業後に入籍するなんてほざいておきながら、結局は卒業前に浮気がバレて同居もしない内に、世間体があるからって籍だけ入れて半年で離婚した癖に!」

健康的に鞭の様にしなると、完全に勝負を掛けてきているビラビラなレースの淡いピンクのパンツを豪快に丸出しにしていたが、表情一つ変えない黒服達は酷いものを見たとばかりに顔を逸らしている。バタバタと芋虫は足を振り回したが、右足だけではなく左足も飛び出すと、最早可愛らしいパンツを見せたがる不審者だ。

「大学を出たアンタが小林の姓のまんまで嵯峨崎に就職した理由を考えたけど、全然判んなかったわ!でも今の私は違う!愛を知って変わったの!実の姪に向かって妊娠させるだのほざくヴァーゴとも、そんなヴァーゴが15年も殺せない存在自体が意味不明なプリンスルークとも違うわ!佑壱様は私のアルカナよ…!」

大音量で恥ずかしげもなく叫ぶリン=ヴィーゼンバーグの足が、パタリと落ちた。ひらりとスカートが舞ったが、残念ながら股間を隠してはくれない。臍の辺りまで丸出しのまま、恋する芋虫はもぞりと蠢いた。

「何の見返りも求めず、彼は糞二葉から私を救ってくれた…。私に近づいてくる男と言ったら体か冬ちゃん目当てだったけど、彼は違うの。あのノアの従弟とは思えない爽やかな顔立ち、上質なワインですらくすんでしまう真紅の御髪、誰にも従わない雄々しくも傲慢にして孤高の狼だった彼は、シーザーとの出会いで世界の広さを知ったのよ…」

カルマ非公式ファンブック、『血の禊〜フェニックスは二度燃える〜』より。

「正直に言えば、シーザーに嫉妬するわ。でもシーザーが居たから今の佑壱様が居ると思えば、佑壱様の伴侶…いえ、そんな我儘とてもじゃないけど言えない。私みたいな汚れた女はあの方に相応しくないもの。私は彼の子供を産めるだけで良い…。それ以上を望むのは分不相応よ、判ってる。プリンスファーストの本妻なんて望まない、2号さんで十分…」

でも本妻が出来たら即座に暗殺する。
躊躇わない叶の女はひっそりと誓い、最終的には佑壱の本妻になる為の努力に励むのだろう。女には気をつけろと言う秘書の言葉を丁度浴びているオカンは今、ある意味暗殺者よりタチが悪い女に狙われている事を知らない。

「シーザーの命令だったら、佑壱様は素直に聞くのかしら。やだ、嫉妬しちゃう。でもそうね…カルマの総長とは言え、中身は所詮男でしょう?…ふ、ふふふ、この私が誘惑して落ちなかった男はそんなには居ないわ。ルークとかヴァーゴとか馬鹿日向くらいのもんよ」

某御三家が揃っている様だが、それに某オタクが加わる日は近い。
異性からの誘惑と言うものに全く気づかない抜群の童貞力、どんなに自信がある女性であっても、シーザーの前では子猫に陥ってしまう。先祖代々受け継がれてきた無駄な雄フェロモンと、曽祖父譲りのエロ声でハニートラップを回避している事を、恐らく本人は知らない筈だ。

「改めて考えると、カルマがABSOLUTELYに並んで評価される意味が判るわね…。11年前の、大河ファミリーがステルシリーと手を組んだ原因だと言われてる、米空軍将校の姉妹暗殺事件、直後のサンフランシスコテロ。江李龍の下の息子、朧月が愛人の元に産ませた楼月が義兄弟を殺して跡取りに収まって間もなくだったから、あの一件で肝が冷えたのは祭楼月だった。なのに未だに首の皮一枚繋がってるのは、冬ちゃんが大河に預けたヴァーゴが祭の手元にいるから」

大きな家であればあるほど、間取りは複雑だ。
灰皇院の肥溜めと皮肉られた叶もそうだが、一国一城の主ともなると拍車が掛かる。大河ファミリーと言えば中国の表裏共に覇者で、帝王院財閥と良く似た、4つの家からなる幹部を国内の東西南北に置いている。
然し数十年前の内乱の折り、李家の跡取りが自らの父親を含む一族郎党を殺し自害したと言われていて、現在空席の李家の統治する領土は他の三家によって賄われている様だ。

大河白燕を知らない経済界の大物はないだろう。
李は彼の母方の身内に当たるが、いつも所持していると言われている鉄扇に倣い『鉄血の王』と謳われる大河当主は、妻が殺されるまでは何処の国とも関係を築かず一国の統制を優先したと言われていた。
然し結果的には、ステルシリー最大幹部である当時副社長の地位にあったカミュー=エテルバルドと手を組み、かなりの数のマフィアを駆逐した様だ。事の発端は祭家を手に入れ有頂天だった楼月だろうと思われるが、恐らく手駒を使って証拠隠滅を図ったのだろう。祭家には当時既に、グレアムの跡取りに見初められた叶二葉が存在したからだ。

「その楼月が愛人の元に産ませた青蘭、ドイツのトイフェルとまで言われた男の息子リヒト=エテルバルドに、あの二人と共にテロに巻き込まれた高野健吾は、キングが天才だと認めた神童だって話じゃない」

腹がスースーすると、芋虫は寝返りを打った。今度は尻が丸出しになったが、叶二葉の姪はその程度で恥じらう様な乙女ではない。従伯父である高坂日向と刺し違える覚悟の、ただのアマゾネスだ。そろそろ魔女入りするかも知れない。

「他にも加賀城の社長になった私と同じ歳の奴もいる様だし、ヴァーゴが生きた手駒として使いっ走りにしてるノーサの双子の弟、あとは松木電工の一人息子に、YMDの山田大志の親友だった梅森風雅が、一代で上場まで漕ぎ着けた梅森技建。あの竹林とか言う男も平凡を装ってるけど、とんだ食わせ者じゃない。父親が亡くなった後も母親が姓を戻してないから判らないけど、宍戸環境開発の末娘。当の死んだ父親に至っては、…YMDを乗っ取った羽柴社長の三番目の嫁の子供ぉ?」

動かないと思えば、芋虫は布団の中でスマホを弄っていた様だ。

「あとこのハヤトってモデル、佑壱様より背が高い。顔も…まぁまぁ悪くないわね、佑壱様には惨敗してるけど。顔だけで言ったら、四重奏は粒揃いだわ…。ランの好きそうな顔は、ユーヤかしら。やる気がなさそうな顔。やっぱり佑壱様が一番」

昨今の婦人の嗜みなのか、ポケット代わりにブラジャーの中に色々と突っ込んでいたらしい女は、ケツを丸出しにしたまま狭っ苦しい布団の中で器用にスマホを操作し暫く眺めると、曲者揃いのカルマの中でもやはり一際目立つ赤毛の画像をクリックし、二本指で豪快に拡大すると、ブチュっと唇へ吸いついた。

「ああ!カルマの中でも貴方は別格ですわ、佑壱様…。グレアムの名を持ち、ステルシリーの一位枢機卿でありながら鼻に掛けず、ルークではなくシーザーを主人に選んだ貴方は、己の力量と素直に向かい合える人なんですね…!」

勢い余ってディープキスまでしてしまったが、一台のスマホが犯されただけの話だ。叶の名の元に、一切手加減なく調べ上げた赤毛の歴代彼女には後々お礼参りに行くとして、目下のライバルは日向とシーザーである。どれだけ調べても何の情報も出てこなかったシーザーは、やはり流石だと認めるよりあるまい。佑壱が選んだ男だ、簡単には行かないだろう。


「やっぱり、先に消すのは日向だ…」

くっくっく。
恋に恋する恐ろしい魔女候補は、可愛らしい顔立ちにどす黒い笑みを浮かべてケツを震わせた。勝負パンツのスケスケレースが震動したが、残念ながら誰も見てない。

「そうと決まったらこんな所で待ってられないわ!佑壱様をお助けして、シーザーを誘惑して、感極まった佑壱様がガバッと私を押し倒しても良い様に、穴を開けたコンドームと媚薬と後はそうね、マムシドリンクが必要よ!」

買いに行かなきゃ!叫んだ少女は、再び活きのいい伊勢海老の如く仰け反った。

「こらぁー!守矢ぁあああ!小林守矢ぁあああ!女遊びの激しいアンタが作った子供は一人だけだって判ってんのよぉおおお!小林守義だったわね!ぶち犯されてポイ捨てされたくなけりゃ、直ちに解きなさいぃいいい!!!」
「…」
「…」
「ほら、出しなさいよ!出せって言ってるの!ちょっとアンタ聞いてんの?!そこにいるのは判ってんだから、知らん振りしても無駄よ!この叶鱗の怒りを買って、生きて帰れると思わないで頂戴!」

じったんばったん、余りの騒がしさに黒服達は真顔で耳を押さえ続けたが、どちらからともなく腕時計へ目を落とすと、キリッと背を正す。

「何とか言ったらどうなのっ、小林守矢!アンタがあのキハって名乗ってる女を使って、世間知らずなランを唆してるのは判ってんのよっ!あの子は処女なんだから下手な真似させたら、文仁にもママにも冬ちゃんにも本音は近づきたくもないヴァーゴにだって、告げ口してやるんだからぁあああああ」
「Be quiet, bloody.(静かになさい、恥知らずが)」

静かな声音だ。
ビタっと動きを止めた芋虫は簀巻きのまま、無言で跪いた黒服達には気づいていないだろう。

「ほっほ、これは良い。随分面白いプレイだ、これがあのリンかね」
「…退きなさい。私の視界を愚かしい男が塞ぐ事を、許可した覚えはありません」

楽しげな男の声に続いて、全てを凍らせる様な女の声が聞こえてきた。ぶわっと溢れ出た汗をそのままに、おずおずと乱れたスカートを直し始めた叶鱗は、流石に遅いだろうと思ったが沈黙を守り続ける。

「曲がりなりにも夫に対して、随分な言い草だな」

揶揄めいた男の声が近づいて、するすると布団を解かれた。
見開いたままの視界に映り込んだのはやはり、見知った男の顔だ。聞き慣れた英語のイントネーションが見えない時から答えを教えていたけれど、目で確かめてもまだ、信じられない。

「苦しかったろう、リン」
「G, Great grandfather…?!(ひ、曽祖父様?!)」
「Yes, I am.(そうだよ)」
「な、何で日本に?!どうして曾祖母様まで?!」
「Sightseeing.(旅行さ)」

にっこり。
伯父に何処となく似ている男が微笑むと、その背後で氷の様な美貌で眉を跳ねた女王は派手な舌打ちを放った。

「いつまで私の視界を汚すつもりですかアラン。不愉快極まりない」
「リンは私の息子の孫なんだ。邪魔は君の方じゃないのか、セシル」

リン=ヴィーゼンバーグはやっと黒服達の姿に気づいたが、彼らが犬の様に跪いたまま怯えているのを認め、ほんの少しだけ同情したのだ。



























「此処は、…何と明るいのか」

途方に暮れた表情で呟いた男は、困った様に額を押さえている子供ではなく、空ばかり見つめている。

「灰色のつまらない世界に、色がついたんです。俊が俺の所にやって来てくれた」

きらきらと。
光を零す男の傍ら、石像の如く動かない少年は囁いた。固い表情にあるのは無、けれど声だけは楽しそうだ。

「…いつかとは真逆か。余は、姿なき天の果てへひたすら歩き続けた」
「助ける為に」
「助けてくれなど、あの賢い猫が宣うものか。あれは余を嗤っておろう」
「何回生まれ変わっても、優柔不断なんですねー、俺は」
「余と其方は違う。余は最期まで一人だった」
「傲慢だった」

彼らの会話を聞いているのは、彼らだけ。
きらきらと、今にも消えそうな光を纏う男の腕には、疲れ果てて眠る子供の姿がある。

「帝とは、何者も崇めてはならん。父より受け継いだ国を統べる力量もなく、まして逃げ出す意気地もなく、籠るだけ。人の分際で天照の真似事をするとは、何と愚かか」
「仲良くしただけ別れが辛くなるんだ。俺の所為で酷い怪我をしたネイちゃんは、俺に会いに来てはくれなかった」
「誠に、そうか?」
「気紛れな猫だから、アキちゃんの事なんか忘れてしまったんだよ。ネイちゃんにはアキちゃんの知らない生活があって、アキちゃんだけのネイちゃんなのに、アキちゃんが居なくても毎日ニコニコしてたんだ。許せない」
「…其方はやはり、余と同じ過ちを繰り返すか」

きらきらと、黒い世界に夥しい数の星が燃えている。
まるで虹の如く極彩色は、何万色瞬いているのか。

「余は火の元の国の王」
「アキちゃんは灰の一族の王」
「けれど今、慈悲深き天の慈悲を失った我らの体は、本来の銘を得た。空虚にして器でしかなかった山田太陽は、我らを塗り潰すだろう」
「あのくすんだ混沌で?」
「人とは生来、濁りの眷属だ。陽の王たる余でも、まして夜の王たる其方でもなく、今のこの体は朝と夜の境、命が刻む時空の流れにある」
「アキちゃんは魔法使いに会ったんだ」
「余は誠なる神の前で魂までも燃え尽きる寸前で、慈悲深き時の番人の恩恵を得た」

お前は抜け殻だと、囁く男の台詞。返事はない。

「還る時が来たんだ。歯車を失った輪廻の渦から、道標のない無慈悲な時の流れへと」
「…道標がないとまた、間違ってしまうよ。俺は馬鹿だから、繰り返すに決まってる」
「人生とは、そう言うものなのかも知れん」
「また泣かせるんだ。あの子があの子だって俺はいつも、最後に気づく。大事なものだって気づいた時にはもう、何処にも居ないんだよ」
「夜とは、こうも明るかったのか」

呟く男の腕の中で、薄目を開けた子供は微笑んだ。
石像の如く動かない少年の声は、もう聞こえてこない。

「太陽と月が重なる刹那がやってくる」

業と言う名の宿命、責任、その全てと淘汰した魂の残骸は、山田太陽と言う空っぽな体だけを現世に残すだろう。

「今はその間際、黒が落ちる泡沫の夢の底」

神の慈悲を失い、壊れた魂の残骸を辛うじて詰め込んだ、あるがままの姿で。

「光も影もない真の命は何を選び取るのか…」

ああ、夜でも星明かりとはこうも明るいのか。月がなくとも夜とはこうも明るいのか。
だとすれば全てを光で塗り潰す昼間こそ本当の意味での混沌ではないのかと、思った所で恐らく、何処へも届かない。

「最後まで虚無なる神に跪かなかった気高い猫は、本来の姿に戻る。愚かしい余を嘲笑い、宵に同化する黒猫から炎の神の母へと…」
「ネイちゃんはアキちゃんに逆らえない」
「…無慈悲な」
「十口は出来損ないしかいないから、榛原には絶対服従なんだよ?天の宮様が天にいないなら、灰皇院はアキちゃんのものだもん」
「悲しみを淘汰したお前には、余の嘆きは判らないのだろう。時限が与えたお前の感情は、喜びだけだ」

愛する者からの真の愛を手に入れられない永劫不条理な輪廻が、巻き戻ってしまったのだから。

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