帝王院高等学校
大人と子供の違いを教えてちょ!
「大丈夫ですか?」
「…ぅ、え?」
「あ、気がついてくれて良かった。手首がちょいと腫れてるんで、早めに冷やした方がいいですよ、先輩」

揺さぶられる感覚に目を開いた伊坂颯人が、覗き込んでくるバスローブを見た瞬間に目を丸めてしまったのは、無理もない。
困った様な表情に見える下がり気味の眉。ドクロマークが毒々しく刻まれたボンベの様なものが転がっている事に気づいたが、すぐに伊坂は弾かれた様に顔を上げると、痛む手首には構わず辺りを見回す。
何故か乙女座りで腰を抜かしている様に見える異国人は、先程までの偉そうな態度が嘘の様に放心しており、傍らに同じく膝を着いた女が男の肩を揺すっているのが見えたが、反応はなかった。

「颯人、良かった…!」
「っ、ゆうちゃん!えっと、良く判んないけど大丈夫?!」

視線を滑らせた先、果たしてスキンヘッドが全く似合わない可愛らしい顔立ちの男と言えば、光炎親衛隊達を揺り起こしながら、伊坂と目が合うなり安堵した様に淡い笑を零した。
転びそうになりながら起き上がろうと手を床に下ろした伊坂は、ズキリと走った痛みに眉を寄せ、息を呑む。あらまーと、まったり呟いたバスローブは額を掻いて、意識の戻った生徒を手当てしている白と黒を見た。

「皆さんの状態はどうですか?」
「外傷はない。それは馬鹿だが、馬鹿なりに下手な真似をする事が得策でないと理解していた筈だ。よって使用されたのは睡眠ガスだと思われる」
「効果は覿面だけど変な後遺症とかないから、その辺は安心して欲しいかな〜」
「うーん、何かチャラいなー。神崎君とか高野君の所の先輩方を思い出しますよー、えーっと、ロバさんとアートさんでしたっけ?」
「っ、この私を驢馬だと…?!」
「…やめとけってロバート、お前の場合コードが本名だから目をつけられたら不味い」
「黙れ白々しい!貴様はこんな餓鬼がカルマの総長だと宣ったな!我らの敬愛するマスターファーストが、こんな子供に従うと言うのか!」

何だか揉めている白人と黒人を横目に、放心している男を何度も揺さぶっていた女へ振り返った山田太陽は、困った様な表情にいつものヘラヘラした笑みを浮かべたままつかつかと歩いていった。
ビクッと肩を震わせたゴーグルを嵌めた女を前に屈み込み、目の焦点が合っていない男の耳元に顔を寄せる。

「…いつまで寝てるんだい、スライム如きが。今すぐこの世から消されたいのかなー?」
「ひ、う、うぁ…っ」
「うるさいよ。俺が苛めてるみたいじゃないですか、わざとらしく怯えるのはやめて貰えますか?」

囁きながら、吊り上がり気味のアーモンドアイをゆったり細め、平凡な男は笑みを消した。

「反抗してくる奴を叩きのめすから楽しいんだ。こんなに簡単に壊れちゃわないで下さい。ね、…ステルスの兵士さん?」

青ざめた男は口を塞ぎ、今にも発狂しそうな表情で何度も頷いている。傍らの女も沈黙を守り、太陽の機嫌を損ねない様に身構えたまま頷いた。
話は終わりだとばかりに「あー!」っとわざとらしく声を荒らげた太陽は、へにょりと尻もちをつく。呆れるほどに大根役者だったが、わざわざ指摘する者はない。

「こんな所にモデルガンが落ちてるよー。やだなー、新歓祭だからって悪ふざけし過ぎですよねー、助けて下さい風紀の皆さーん」

棒読みではないか。
目覚めた誰もが乾いた眼差しで見つめる先、ギャルゲーのヒロインばりに怖い怖いとカマトトぶりまくった左席委員会副会長は、サイズが大きすぎて肩がずれ落ちたバスローブをしずしずと戻しながら、怯えた演技でドクロマークつきのガスボンベを拾う。

「ふぅ。もしもの時の為に工業科の道具を借りてきてたのに、つい試し焼きで左席会長とか左席庶務とか炙ってきたから、ガス切れしちゃってるよー」

誰が見ても小さな拳銃よりずっと、太く立派な火炎放射器の方が悍ましい。
そのまったりとした台詞に即座に硬直した対外実働部2名は、ギギギっと油が切れたサッシの様に見つめ合うと、『…会長?』『庶務…?』とアイコンタクトだ。

「…お前…ではなく、畏れながら時の君。些細な質問を宜しいか」
「ロバさん、何ですか?」
「仰った左席会長とは、一年Sクラス首席であられる遠野俊猊下の事で間違いはないかと」
「帝王院学園の左席委員会に俊以外の会長は居ないんで、そうですよー。全然仕事してくんないんで、そろそろお仕置きしよっかなって思ってて。あ、でも今日は事件が起きたからって、一緒にパトロールに来たんですよね。何処で間違ったのか、神帝如きにセクハラされてましたけど。…ち!」

哀れ、対外実働部ツンデレ部員は息を引き取った。
神帝と言うワードで異国人の全てが臨終モードだが、全員の無事を確かめ終わった宮原が漸く太陽の元まで歩いてくる頃には、勇ましく息を吹き返した様だ。いや、下手な真似をすると殺すと言わんばかりの平凡スマイルに脅されて、仕方なく三途の川の手前で引き返してきたと言った方が適切かも知れない。

「君のお陰ではないだろうけど、結果的に助かった。礼を言うよ、時の君」
「いやー、あの柚子姫様がピンチとあっちゃ、助けに来ない男はいませんよー。あはは、わざわざ俺と俊の靴箱に毎日毎日飽きずに嫌がらせして下さった、彼の有名な光王子親衛隊の皆様が一堂に会してる所なんて、それこそ光王子しか見れないでしょうからねー」

ピクリと宮原の眉が震えたが、幾ら短気な彼でも流石に売り言葉へ返す事はなかった。あからさまな皮肉だったが、太陽の台詞に言い返せる者は皆無だ。困った表情の神帝親衛隊らは様子を窺っていたが、西指宿麻飛を殺すが口癖の井坂えまが、一歩踏み出す。

「お会い出来て光栄だ、時の君。お初にお目に掛かる、俺は2年Sクラスの井坂と言う。首席帝君である紅蓮の君のクラスメートだ」
「あっ、これはご丁寧にどうもー。一年Sクラスの山田太陽です。帝君は遠野俊、イチ先輩に比べるととっても残念な感じで、何かすいません」
「何を仰る。我らは天の君と神の君を草葉の陰から見守る事を命題に、各地でハァハァしている者だ。そこに天の君がおわすだけで、ウエストへの殺意が安らぐ気がしている…」
「えっ?王呀の君に何かされたんですか?」

西指宿麻飛の被害にあった身としては、太陽も他人事ではない。知り合って間もなくからヤラせろだの付き合ってくれだの、口先の口説き文句を軽々しくほざいてくる様な男だ。下半身の軽さと口の軽さは比例すると言うのが、太陽の持論でもある。

「ギャンブルが得意なウエストとの勝負に勝ったと聞いた時から、一度話してみたいと思っていた。こんなタイミングなのが残念でならない」
「俺なんかで良かったら、大抵昼休みとかは部室にいるんで話し掛けて下さいよー。こっちから先輩に話し掛けるのって、凄い勇気がいるんですから!」

そもそも人見知りする性分に加え、林原の一件で益々内向的を拗らせていた太陽は、力強く拳を握った。一年生が二年生の教室へ足を運ぶと言う事は、断頭台に上れと言う様なものだ。お構いなく毎日一年Sクラスへやってくる某ゴリラやら、堂々と学年を偽って居座っていた某中央委員会会長などは、単に頭が可笑しいと言えるだろう。

「左席委員会は困ってる受け…ゴホッ、困ってる人の味方ですよ!」
「確かにどっちかと言われれば俺は受けだが…。ウエストを恨んでいる訳ではないんだ。世間知らずの馬鹿な男が少し弄ばれただけの事、お構いなく」
「いやいや、お構いますよそれ。何ですかそれ、セフレって奴ですか?勿体ないですよ、井坂先輩いい人なのに何であんな奴なんかに?!」
「そ、そんな、アイツは節操がないだけで、人間としては悪い奴じゃ…。いや、男としてはかなり魅力的な部類に入ると言うか…」

もじもじ。
身長こそ太陽と大差ないが、可愛らしい顔立ちと言うよりはすっきりと整った美人よりの井坂は、一般的に見ても男前だと褒められる方だろう。顔で選んでいるとまで噂されている光炎親衛隊のメンバーと比べても、太陽の面食いセンサーが合格点を弾き出している。

「あんにゃろー、マジで必殺技で絞めてやるかなー。流石は神崎の兄、貞操観念ってもんがなさ過ぎる。手が早い男は信用出来ないんですよ、ほんと」

初対面の印象が悪過ぎたからか、太陽は西指宿の顔をぼんやりとしか覚えていない。鼻から下の顔立ちは殆ど隼人に似ていた様な気もするが、垂れ目ではない癖にいつもヘラヘラ笑っている所為で、隼人より狐顔の様な覚えもある。
が、所詮叶二葉と言うジュノンボーイを鼻で笑い跪かせる超絶美人の前では、霞みに霞んで、太陽の記憶に残る程ではない。何故ならば二葉は、太陽が目の中に入れても痛くない気がしている程度には美人だ。然し尻に入れたら流石に痛そうな気配はしている。そんな不埒な真似は、追々で良い。
例えばそう、太陽が二葉の鼠径部をこそっと盗み見てはいけないものを見てしまった様な気持ちに陥る今より、少しだけ大人になった頃で。

「君は正直で、気持ちが良い男だな」
「そうですか?王呀の君と神崎はやめといた方がいいですよ、あーゆー大体いっつも笑ってる奴は、信用出来ないんで」

確実にブーメラン。太陽にも二葉にも突き刺さる台詞だったが、キリッと下がり気味の眉を吊り上げた太陽の台詞に、ちらほらと拍手が湧く。
ステルシリーで最大に信用出来ない男こそ、魔王と名高い男であるからにして、外国勢からも拍手が注がれていた。
照れた様に頭を掻いた太陽は、バスローブの帯にブスッとガスボンベの空を突き刺し、太陽の台詞に思わずと言った風体で手を叩いていた宮原を見やる。

「所で、皆さんは何でこんな所にいらしたんですか?」
「ああ、それについては…」
「ゆうちゃん、言い難いなら僕が代わろうか?」
「いや、これは責任者である僕が説明するべきだと思う。西尾、井坂、悪いが良いか?」

太陽の面食いセンサーにビコビコ反応しているイケメン陣の中でも、トップスリーに入るだろう高坂日向と並んで見劣りしない『姫』の話を聞きながら、然し何故頭を丸めているのだろうと太陽は真顔で考えた。考えたが、太陽の数億倍は可愛らしい顔立ちの宮原が、以前より数倍男らしく見えるのだから不思議だ。
いよいよ毛に困ったら剃ろうとひっそり心に決め、もう姫とは呼べそうにない柚子姫の話に耳を傾ける。途中までは上の空だったが、腐っても21番でもSクラスの生徒なので、少し推理すれば何とかなるものだ。そう、山田太陽とは推理ものゲームも嗜む男だった。ゲームと名がつく全てを網羅する男である。

「ほーほー。で、その宝塚先輩って人が待ち合わせ時間になっても来なかったから、先走って下手な事をしてるかも知れないって、探してたんですかー」
「そう、結局は君の言う『国際科の不良』に仕掛けられて今に至るって所だよ」

宮原以外の生徒は、太陽が現れてからの事を見ていない。何故こんな所に時の君が、と慌てふためく皆を落ち着かせる為に、太陽から目配せを受けた白人がヘラヘラと舌先三寸に宣った話は、こうだ。

国際科のパーティーで悪酔いした客が、アンダーラインに迷い込み、不慣れな日本語で若者を揶揄ったが、中央委員会に並ぶ左席委員会の副会長に叱られて、今では心から反省している。

朗々と宣った金髪が最後に『だよな?』と笑っていない目で睨みつければ、首がもげんばかりに頷いた男は青褪めた表情で怖々太陽を見上げ、目が合った太陽が微笑んだ瞬間に、ゴクッと音を発てて唾を飲み込んだ。最早声も出ないのか、数十分前までの高坂日向に負けない俺様具合は鳴りを潜め、別人の如く大人しい。

「宝塚は君よりも天の君に固執していた。だから、流石に一人では行動しないだろうと踏んでいるんだけど…」
「やー、左席会長で帝君だって言っても、所詮気弱そうな眼鏡っ子ですからねー、俊は。まー、中身は全然気弱じゃ…ん?気弱は気弱、かな?」
「案外冷静、だね?もう少し狼狽えるかと思ったけど…」
「へ?あ、えっと、心配するだけ無駄って言うか。あはは」
「無駄?」
「そろそろバレると思うんで言っときますけど、俊の父方の名字は帝王院です。学園長の孫で、形式上だと神帝陛下の弟になるのかなー?」

にっこり。
平然と宣った太陽にざわめいたが、ある程度知っている人間は表情を変えない。寧ろ宮原にとっては、帝王院財閥の関係者よりもずっと、知りたい事がある。

「他、には。君は初めから天の君と親しい様だったけど、昔からの付き合いだったの?」
「昔、昔かー。そうですねー、むか〜しからの付き合いっちゃ、付き合いなのかなー」
「は?」
「いつだって助けてくれないご主人様。天神なんて、神隠ししかしないんだ。通りゃんせ、通りゃんせ…ってね」

独り言の様な太陽の呟きに皆が首を傾げると、腰を抜かしていた男の表情に血の気が戻った。
隙を見て逃げ出そうとする気配を察知した対外実働部が動くより早く、帯から抜き取ったボンベを見もせずに投げつけた太陽は、顔面スレスレを飛んでいったボンベに再び腰を抜かした男へ鋭い舌打ちを放つ。

「こ、怖い」
「「「は?」」」

ほぼ全ての男の声が揃ったが、鋭い舌打ちを放ったばかりとは思えない平凡な顔立ちにわざとらしく怯えを滲ませた太陽は、ふるふると寒くもないのに震えながら二の腕を掻き抱くと、よろよろと余りにもわざとらしく後ずさったのだ。

「い、今、モデルガンを拾おうとしたんですよ、この人!きっと俺を撃とうとしたに決まってる…!」
「いや、今のは明らかにお前に怯えて逃げようと…」
「ちょ、やめなさいってロバート!」
「やだー!犯されるー!」

そろそろ主演男優賞をやっても良いと、涙目で叫んだ左席委員会副会長の平凡顔を前に唖然とした一同は、凄まじい勢いで近づいてくる足音に振り返るなり、一斉に目を丸めた。最早ほぼ全ての人間が、腰を抜かさんばかりだ。

「犯されるとはどう言う意味ですかハニー!」
「あ、ふーちゃんお帰りー」

ふーちゃん。
ふーちゃん?
何が?誰が?まさか、そいつが?
日米、未成年成人の隔たりなく目を見合わせた一同は、恐ろしく乱れた浴衣に構わず太陽に飛びついた男をギギギと見やった。

「何ですかこの状況は…!まさか此処にいる全員から、口ではとても言えない目に遭わされたのでないでしょうね!」
「例えばどんな?」
「いけません。そんな悍ましい言葉は聞かせられない…!」

ああ、どの角度から見ても残念ながら、誰もが見覚えのある男だ。
帝王院学園でもステルシリーでも、共通するのは『出来れば会いたくなかった』の一言に違いない。

「強姦とか輪姦とか?」
「ああッ!聞こえない聞こえない、俺は何も聞いてない!」
「や、それくらい流石に知ってますって。俊から借りたベーコンレタスもののゲームとか、R指定ギリギリのゲームとか散々やってますし」

何なら18禁も真顔でプレイした事ある、とは、流石に風紀委員長の前では言えなかった。が、残念ながら山田太陽の唯一のストーカーである男は太陽の行動を恐らく本人よりも把握しているので、太陽が所有しているゲームソフトのリストは持っているに違いない。

「…清らかなアキは俺のもんだ、この場の全員の息の根を止めてなかった事にする」
「二葉先輩、ちょいと屈んで」
「あ?」
「ほっぺと口、どっちにチューする?」

山田太陽以外の全員が『は?』と奇声を上げた。うっかり叶二葉も声を揃えたが、誰よりも早く無駄に凛々しい表情で『口』と答える辺り、流石だと言えるだろう。
ささっと腰を屈めた男はバサバサの睫毛をそっと伏せ、どの角度から見ても美しいキス待ち顔である。悉く流石だと褒めるしかない。

「へへ、舐めちゃお」

ペロンと二葉の唇を舐めた太陽は、驚いて目を開けた二葉に15年の人生で最も男らしく(当社比)微笑み掛け、ついでに乱れた二葉の髪を撫でて整えてやる。二葉が固まっている光景は余りにも珍しいものだったが、二葉以上に硬直しているのは太陽以外の全員だ。
その中でも光炎親衛隊、日頃の二葉を見ているバトラーの伊坂、加えてステルシリー四人は呼吸すら忘れている様に思える。

あの高坂日向を手玉に取る様な恐ろしい男が。
その美貌以外は褒める所を探すだけ無駄だと謳われているあの叶二葉が、一人の平凡な男の前で嵯峨崎佑壱に匹敵するほど赤く染まり、犯された町娘の様な風体とは。世も末とは良く言った。

「あ、見られてたの忘れてた。えへへ、ごめんね二葉先輩?」
「は、はい、問題ありません」
「ほら、西園寺生徒会と俺達で出し物合戦するって言ってたでしょ?武蔵野君が演劇の脚本書いてくれたんですけど、俺がイケメン会長役になっちゃって」

なっちゃってではない、自らなったのだ。
この場に佑壱、または一年Sクラスの愉快な仲間達が居れば声を揃えて突っ込んだだろうが、うるっと目を潤ませた山田太陽親衛隊、略してチームスヌーピーの終生名誉会長に就任する事が決まっている魔王は、感極まった様に呟いた。

「録画します。一万回観ます…」
「ちょいと待ちなユリコ、お前さんはまだ気づいてないのかい?」
「何がですか?」
「そこのお姉さんが支えてる兄ちゃん、わりと凶暴だったんですよー。俺がコレで辛うじて動きを防いだ所を、そっちのロバさんとアートさんが助けてくれたんです」

ガコッとボンベを担いだ太陽に、全員が声もなく「嘘をつけ」と突っ込んでいるが、そんな切実な声など全く聞こえないハニーフリークは、それはそれは優雅に眼鏡を押し上げる。

「おや、対外実働部もたまには役に立つではありませんか。人員管轄部は私の怒りに触れた事を後悔なさい。楽に死ねると思わ、」
「あと、俺の下駄箱にカミソリレターを入れてた先輩が居なくなってるそうですよー」
「ハニーのシューズクロークにラブレターを?!」

お前の耳はどうなっているのか。皆のツッコミはやはり届かない。

「万一の事があったら大変なんで、皆さんには帰って貰って俺らが探しに、」
「アキ」
「はい?」

青褪めた二葉は太陽の肩をガシッと掴み、焦点の合っていない目で『そいつの名前は』と呟いた。

「留年してるって話だから、多分二葉先輩と同い年っぽいんですよ。国際科の、宝塚敬吾って人らしいですよー」
「宝塚…?ああ、高野省吾の隠し子だか義弟だか、聞いた事はありますねぇ」
「えっ?隠し子と義弟って掛け離れてない?つーか、コーヤショーゴって誰ですか?」
「端的に言うと、私の方が美しいです」
「端的を極めたねー」

端的過ぎだろ、と言う皆のツッコミは、ツッコミ王の山田太陽が華麗に放った様だ。
























「ちょっとお、時間懸かり過ぎい」

長過ぎるあんよを、これでもかと、しゅばっと組み替えた男はいつもは優しげな垂れ目を限界まで細めたまま、恨めしげに振り返った担任教師の尻を蹴る。その蹴りに、優しさなど皆無だ。

「お茶なんて淹れなくてよいから、さっさと足りないメンバー連れてこいっつーの。担任としても使えないのにパシリとしても使えないとかさあ、それでも元中央委員会会長?冗談は下手糞な関西弁だけにしろって感じい」
「教師に暴力たぁええ度胸やないけ、神崎隼人」

じとっと見つめてくる東雲村崎の黙っていればホスト顔など何処吹く風、己に絶対の自信がある自称スーパーモデルの神崎隼人には、全く効果がない。

「すいません、うちのハヤトがご迷惑を」
「あ、や、榊さんが悪い訳やないんで…!」
「やだあ、太郎の癖に父親面してるんだけどお、マジ受けるー。隼人君のパパはあ、遠野俊なんですけどー?」

文字通り足の踏み場もない状態の保健室の、そのまた隣にある準備室と言う名の物置を開放した村崎は、保健室のポットで淹れたお茶を眼鏡煌めくカフェカルマの店長へ手渡した。
隣の部屋に聞こえる様なわざとらしい大声を出した隼人に、村崎は額に手を当て、錦織要は眉を吊り上げたが、沈黙を守っている。今の彼は借りてきた猫だ。満月が上らない限りは、いつもよりずっと大人しい。無理もない話だ。

「何で同級生がオトンやねん。ほならオカンは誰やっちゅーの」
「えー、妥協して嵯峨崎佑壱かなあ」
「アホか。お前だけ特別に三者面談したろかぼけ」
「はいはい、東雲財閥のおぼっちゃま乙。その内、隼人様財閥を設立する予定だからあ、いつまでもトップ面しないでよねえ。エセ関西人はタコ抜きのタコ焼き食べて、口の中火傷すれば?」
「どんな悪口やねん。そんなん聞いた事ないで」
「ベラベラ喋ってないで、そっちの眼鏡のおっさん逃がさないよーに見張ってて」
「失敬な。逃げはしませんよ、別に」

唐揚げを丸呑みして窒素寸前に陥った年寄りは、オロオロしながら判り易くご機嫌取りをしてくる錦織要を即座に弟子認定し、怪我だらけの生徒らが犇めく保健室の惨状を見るなり、107歳とは思えない動作で指示を出している。
新歓祭の慌しさでてんやわんやの保健医達を探してこいと、東條清志郎と川南北斗に命令した遠野夜刀に恐れるものはない。何故ならば『何で従わなきゃならないんだ』と言わんばかりのABSOLUTELY二匹は、眉を吊り上げた安部河桜にぷりぷりと叱られ、桜には逆らえない東條が『お前は風紀だろうが』と北斗を睨んだ為に、仕方なく出動していったからだ。

お陰様で、ちらほら目覚めていた一年Sクラスの愉快な仲間達は、巻き込まれては堪らないと次から次に二度寝と言う名の狸寝入りだ。
無言で夜刀の肩を揉みつつ、全員のレントゲンを撮りまくっている女を横目に、青い目を眇めた要はメモ用紙に、異常なしと、繰り返される度に該当する名前を記入していく。

「何なのお、このジジイ。カナメちゃんからも何か言ってやってよー」
「強いて言えば、叶二葉と被ってて気分が悪い」
「祭のお坊ちゃまは相変わらず揃いも揃って可愛げのない」
「カナメちゃんが可愛いのは顔だけだもんねえ」
「黙れハヤト、利子を増やされたいんですか」
「神崎隼人君、脇腹の怪我以外は問題ないねぇ。身長の割りに体重が軽いのが気になる所だけど、発育途中はこんなものだよねぇ。ね、モーリー」

揉み揉みと左手で107歳の肩を揉みつつ、右手でガリガリと異常なしと書いていく要は、二葉に何処となく似ている男と、彼を見上げ微笑む女を見比べた。
40歳そこそこの、隼人の父親を名乗る男と隼人にそっくりな目元の不貞腐れた女を目にした瞬間の隼人は、垂れ目が吊り上がる程の不機嫌を顕にした。何の事情があるにせよ、要には全くと言って良いほど興味はないが、気を遣った村崎と榊の連れがその場を取り成して、現在に至る。

「お前、神崎何だったか?」
「隼人だよお、ボスのひーじーちゃん」
「見た目は必要以上に育ち過ぎてアレだが、お前はまァまァ可愛げがある」
「あは。まーね、カルマで一番可愛いのは隼人君だからさあ」
「顔だけなら一番はケンゴじゃないですか?」
「カナメの目は可笑しい」

極々一般的な価値観で指摘した要をキッと睨んだモデルは、イライラと足を揺らしたかと思えば、再び組み替えた。隼人が受け取った瞬間放り投げた名刺には、嵯峨崎財閥の母体である航空会社の名前と、秘書課長の表記がある。
モリヤ=コバヤシと言う名前に然程興味はないが、意味ありげな笑みで『坊ちゃんがお世話になっております』などと宣われれば、それが嵯峨崎零人ではなく佑壱を指していると言う事は、明らかだ。副音声に『佑壱の手を煩わせるな餓鬼共』と言う声を聞いた隼人も要も、機嫌が悪くならない訳がない。

「良し、楽になった様な気がしない事もない。もうイイぞ要、さっきのご無礼はさらっと忘れてやるわ。かっか、遠野の男はあっさりうす塩味で有名だからなァ」
「有難き幸せですご隠居」
「然し、悪餓鬼が徒党を組んで深夜徘徊をしとるのは判ったが、盗んだバイクやらスカイラインやらで走り出すんじゃないぞ。事故ったら医者が迷惑するんだからな」
「ご隠居、スカイラインは世代が違います」
「はァ。まさか可愛い可愛い曾孫と、嵯峨崎航空の次男坊がお前ら悪餓鬼のリーダーとは…。鳳凰と陽炎が草葉の陰で悶えとるわ」

呆れた様に呟いた男は、その呟きが聞こえなかったらしい要から目を離し、ちらりと隼人へ目を向けた。

「おい、隼人。さっきの美女はお前の親だろう?何もせんで座っとるだけなら、あっちいって茶でもしばいてこい」
「関係ないでしょ。他人には判んない事がさあ、色々あんのー」
「龍一郎の弟の孫が、ナマをほざく。俺も龍一郎もシュンシュンも、逃げたらダサい場では歯を食い縛ってでも逃げはせん。それはお前の祖父も同様ではないのか?」
「っ。あんな奴、じーちゃんなんかじゃねえよ!」
「は、笑わせやがる。他人が父母で、実の祖父は他人か。お前の言葉はその体に似合ってペラッペラじゃねェか」

充電中の車椅子から降りて、保健室の松葉杖を脇に挟んだまま子供達を目で確かめている老人の曲がった背中が、静かに零す声音は威厳で満ちている。幾ら大人ぶっていても、15歳の子供では真似出来ない悟り切った男のそれだ。

「お前が俊の息子を語るなら俺の玄孫だろうよ。遠野に御託を並べ逃げ道を作る様な弱虫は、お呼びでない」

口篭った隼人は、無言で足を揺らしている。
ペンを手放した要はボリボリと襟足を掻くと、仕方ないとばかりに溜息一つ、ガシッと隼人の頭を鷲掴んだのだ。

「俺の母親の様に死んでいれば文句一つ言えませんが、生きてるならラッキーでしょう?」
「ラッキー、って」
「舐め腐った大人を正論でねじ伏せられるのは、子供の特権だと言ってるんです。短小包茎のお前が言えないなら俺が代わりに、」
「誰が、短小包茎だコラー!行けばよいんだろうがあ、行けばっ」

簡単につられて立ち上がった隼人に眉を跳ねた要は笑うのを耐えたが、

「何だ、包茎なら直江に口を利いてやるぞ?俺には適わんが、我が遠野総合病院の医師は粒揃いだから安心しろ。プライバシーもばっちりだ」
「…玄孫に怪しいビジネス持ち掛けないでくんない、夜刀じい」
「くぇっくぇ、お前より小さい太陽もそんな呼び方をしとったが、アレの方が幾らか大人かも知れんぞ。お前は図体は立派でも、中身はてんで餓鬼だ」

流石に狸寝入り中のクラスメートまでも小刻みに震えているのを認め、モデルはべーッと舌を出した。
確かにお子様ランチは、隼人の好物でもある。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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