帝王院高等学校
魔王閣下は何処までも優雅でございます
「平凡な容姿の人間の中身が外見と同じとは限らない、か」

静かだ。
誰の気配もない暗い地下通路を一人で歩くのは何年振りだろうかと考えたが、呼んでもいないのに勝手についてくる取り巻きは、時折便利だが大半は鬱陶しいものだ。己の見た目が庇護欲を刺激する事を理解した上で、何ら躊躇いなくそれをメリットとして扱ってきた叶二葉にとって、誰かを守りたいなどと言う生温い言葉は、愚かなものとしか思えない。

「判ってはいるんですがねぇ。懸念する何かがありそうな気配は、残念ながら想像通り一切感じられません。セントラルライン・オープン」

勝者の台詞だ。
人一人、産まれた時から己の人生を背負う人間が、他人の人生まで背負うと言うのは余りにも烏滸がましいではないか。己の人生が片手間で間に合う様になってから口にするならともかく、己より劣る人間に「守ってやる」などと言われるのは癪に障る。例えば成績一つにしてもだ。二葉より優れている他人は今の所、帝王院神威を於いて存在しない。

「…ガーデンスクエアサーバーは落ちたままの様ですし、使えるのはステルスサテライトだけ。となると、陛下に逐一報告が入る今、妙な真似をする者は居ない…と、此処ですか。私が文仁に適わない唯一の欠点は、弱者を脅威と感じる事が出来ない事」

聡明な人間は他人に助言をしないものだ。
自らの知識欲が枯渇する日まで、その脳内は流れ続ける河川の水流の如く回っている。学び続ける者は休まない。休むのは一つの興味が解決し、次の難題を探し当てるまでの僅かな時間だけ。

『…好きな場所は、特にないんだ。僕は面白味がない人間なんだよ』

いつか二葉は、誰よりも答えを求めている癖にそれを言えず、ひたすら耐え忍んでいる哀れな人間を見た。
何かにじっと耐える姿の痛々しさは、幼心に哀れみを誘ったものだ。

『だから、君が喜ぶ様な話は出来ない』

守る事も壊す事も出来ない人間は、誰かが道を示さねば見動きが出来なくなる。人間にとってそれ以上の不自由はないと、あの時の二葉は思った。救いたかった訳ではない。選択肢を選ぶ権利がありながら動かない他人が、愚かしくも哀れだっただけだ。


「何もなかった、で、納得してくれるでしょうかねぇ。会話のネタになる様な何かを見つけておかねば、手ぶらで戻るのは躊躇われる…」

哀れ。
ああ、人間とは大なり小なり哀れだ。
(平凡な容姿の人間の外見が平凡とは限らない)
(誰もが美しいと讚える容姿の自分が、美しさからは掛け離れた人間だと誰よりも自分こそが知っている)

哀れな。
正義とは常に最善であるとは限らない。寧ろ光一つない夜の方が、ずっと安心するではないか。
(気づいた時には一人だった)
(明かりを消すと夏虫の鳴き声)(梅雨時には蛙の歌)(冬には隙間風がカタカタと障子を揺らす)(365日いつも毛布に包まって眠る)(昼間は暖かいけれど嫌な音ばかり聞こえてくるからだ)
(寒かったからだ)(いつも一人)(夜は一人)(遠くに見える母屋の灯りは外の世界)

外の世界に出て真っ先に見たものは、澄み渡る空に浮かぶ太陽だった。
(誰かの命と引き換えに産まれたから)(仕方なく生かしているだけ)
(外の世界からやってきた他人達の台詞)(お決まりの)(まるで、脚本通りの様だ)


『お日様なんだよ』

蒸し暑い島国。
真夏のちっぽけな公園で、泥だらけで嗤うちっぽけな子供は宣った。

『ねー、ねー、お姉ちゃん何でいっつも一人なのー?』
『…テメェ、誰が姉ちゃんだ。泣かすぞ糞餓鬼』
『アキちゃんは男の子だから、泣かないもんねー。自分だって子供じゃんか。アキちゃんが遊んであげるから、ちょいとそこ退いてー』
『誰に命令してやがる』
『命令じゃないもん、お願いだもん』

日向ぼっこにしては強過ぎる日差しの下、並んだ木々の木陰にあるベンチの一つ。二葉の定位置は、走り回る日向達を眺めながら、公園の入口を観察出来る場所だった。
何処から誰がやってきてもすぐに対応が出来る様にと、笑えるほどに警戒心の塊だっただろう。今でもそれは変わらない。

『これ踏んだら駄目だよ、すぐ壊れちゃうんだからねー』
『汚ぇもん近づけんな。何だそれ』
『んー、蝉さんの遺体?』
『死骸?…脱皮した後の抜け殻だろうが、んなもんばっか集めて何が楽しいんだよ』
『男のマロンだから、女の子には判んないよねー』
『俺は男だ』

そしてロマンの間違いだ。
親しくない他人相手にわざわざ指摘してやるほど、二葉の心は広くなかった。全身で「うざい」「あっちいけ」と告げているのに、他人の感情にはお構いなしの見事な傲慢さで、その子供はにじり寄ってくる。
二葉の定位置は容易く侵略を許し、一人では快適なベンチが急に狭々しくなったのだ。その大半の面積を占拠する蝉の抜け殻は、座っていても慌しく足をバタバタさせている子供が、パリンパリンと片っ端から割ってしまった。集めた後はお構いなしだ。

『名前は?』
『…ネイキッド』
『ネイちゃん?やっぱお姉ちゃんじゃん』
『違ぇ』
『嘘は良くないよ、閻魔様からベロ抜かれちゃうんだよねー。血がいっぱい出て、お湯の中に入れられた蟹さんみたいに、バタバタしてチーンだよー?』
『蟹?』
『えっと、ズワイ蟹はー、生きてるのに浜茹での刑でー、チーン。生きてる蟹さんは嫌いだけどさー、死んでる蟹さんはおいしいんだよー。アキちゃんはねー、スライムと蟹さんは殺すって決めてるのー』
『…餓鬼の癖にえげつない事言いやがる。何処で覚えてくるんだ、ンな台詞』
『ねーねー、アキちゃんお母さんに宿題やれって言われたんだけど、宿題って何?』
『知るか』
『これ読んで、帰りに感想を言わなきゃ駄目なんだってー。アキちゃんご本よりゲームの方が好きなのにさー、ちゃんと言えないと明日のまっちゃのお金なしになっちゃうんだよー』
『抹茶?』
『まっちゃはさー、世界を平和にするアキちゃんを幸せにするのにさー。世知辛い世の中だよねー』
『お前のボキャブラリー年齢は、一足飛びに還暦迎えてんのか?』
『呼び捨てにしないでよっ。お前さんって言わなきゃ、ザラキだよ!』
『はぁ?』
『ネイちゃん、かわいーからって許せない事もあるんだよ。謝ったら許してあげる』
『は。謝らなかったらどう許さねぇの?』
『お口の中に蝉さん入れる。ミーンミーンのじゃなくて、ジージーの蝉さん!』
『どうなってんだお前さんの思考回路は…』

暑い。
暑い。
蒸し暑い島国の夏、いつか暮らしていた盆地は東京よりずっと暑かった筈なのに、あれほど暑かったのは、あの夏だけだった。例えば17年の人生で恐らく唯一、血が通っていた頃の。

『このお姫様、あんよがお魚さんみたい。人魚姫って気持ち悪いよねー、臭そう』
『世界広しと言えど、ンな感想を抱く奴は俺とお前さんだけだ。確かに女の下半身に鱗がついてたら、気色悪い』
『見て見て、やっぱお姫様も気持ち悪かったんだよ。魔法使いにお願いして、あんよつけたんだって!へー、お靴はどんなのかなー。アキちゃんのあんよはね、17インチだよー』
『人類最大規模だな』
『えへへ。あのね、じーちゃんが買ってきたお靴はね、暗いとこでピカピカ光るんだよー。アキちゃんはお日様だから、あんよも光っちゃうんだよねー』
『毎日楽しそうで何よりなこった。然しお前さんの母親は餓鬼にえぐい本を読ませるんだな、ラストは人間の姫に相手を取られておしまいか。何でこんな内容が売れるんだ、訳が判らん』
『あのねー、ヤスちゃんのはモモタローで、アキちゃんのは人魚姫なんだよー』
『ふーん?』
『悪者をこらしめる方が楽しいのにさー、お母さんが読んだら駄目だって言うのー。モモタローはどーやって鬼さんを成敗したのかなー、目玉を剣で突いたのかなー。それとも燃やしたのかなー。油断してる内に一撃で仕留めないとさー、メタルスライム逃げちゃうんだよねー』
『…テメェは暗殺者か』
『ネイちゃん、男の戦いに甘えは許されないんだよ』

子供らしい迷いのない眼差しで、微笑みながら宣われた台詞の如何に容赦がない事か。当時の二葉は、神威に並ぶ程の残虐さだと太陽を評価した。倒す時に可哀想だと思わないのかと問えば、晴れやかな笑顔で『何で?』と問い返され、苦笑いを零した事もある。

『お姫様っていっつもラスボスに捕まって助けてーって言ってるだけなんだよねー、マリカーのピーチ姫は使えるけどクッパに捕まってるピーチ姫はさー、全然駄目ー』

マイペースな様で時々酷く大人びた事を言う子供は、可愛げなど欠片もないほど大人びていた二葉でも感心するほど、時に哲学的な事を無邪気に話すのだ。

『何が駄目?』
『何もしてない癖に困った時だけ助けてとかー、ずっこいんだよねー』
『成程、それに関しては同意見だ。お前、』
『ネイちゃん?』
『…お前さん、可愛げがないって言われるだろう?』
『えへへ』
『褒めてねぇが、同じ穴の狢か』

たまに持ってくる絵本にはコード番号が記入されたシールがついていて、図書館で借りてくるのだと言う。双子の弟は読書が好きだが、双子でも兄の方は専らテレビゲームに夢中な様だった。
会話の端々に出る単語の意味を、夜中にタブレットで調べる自分に気づいたのはいつだったか。

『あれー?ねーねーネイちゃん、まっちゃなくなっちゃったー。何でかなー』
『ベロ見せてみろ』
『あーん』
『ああ、しっかり胃の中に収まってんじゃねぇか。何でじゃねぇ、理由は明らかだ』
『まっちゃはねー、一日に一本しか食べちゃ駄目なんだよー。でもアキちゃん男の子だからさー、ルールは破る為にあるってレイシスも言ってたんだよー』
『誰だよレイシス』
『フレイムザード2知らないの?おっくれてるー』

例えばいつか、目を離すとすぐに何処かに消えてしまう子供を見た。
忍者の様だと感心すれば、泣き喚く蝉よりも慌しく泥だらけになって戻ってくる。何度落ちても木登りをしたがり、どうせすぐに飽きる癖に蝉の抜け殻を集めたがる、感心する回数の倍、呆れたものだ。

『下らないゲームに興味はない』
『え?でもゾンビが仲間になるんだよー?レイシスはゾンビのボスなのー』
『益々下らねぇな。人間なんざ、死んだらそこで終わりだ』
『終わり?』
『舐めたらなくなるアイスキャンディーと同じっつー事だ』
『ネイちゃん、百円ちょーだい?』
『…今の話の流れで何でそうなった?』
『アキちゃんがまっちゃ食べると、レベルアップするでしょ』
『阿呆さがか』
『ネイちゃんのポケットに百円入ってたー、わーい』
『人のもんを堂々と盗むな』

毎日呆れて、毎日笑って、毎日毎日、喜怒哀楽のどれかに振り回される。
呆れる程にヘラヘラ笑っていた子供に疲労困憊したいつか、美人だ美人だと呆れもせず毎日躊躇いなく褒めた癖に、夏が終わると簡単に忘れられていた。

『おっちゃん、まっちゃ下さい!えっ?一本しかない?いいよー、アキちゃんが食べるやつがあればー』
『…テメェ、マジでいっぺん泣かすぞ』
『え?ネイちゃんもまっちゃ狙ってたの?ラムネにしなよー、お目めの色なんだしー。ラムネさんがネイちゃんを呼んでるよー。食べてーって呼んでるよー』
『俺を呼んでるのはレアのステーキだけだ』
『好き嫌いしたらおっきくなれないんだよ?』
『ああ、人の金で堂々とラスト一本を食ってる奴はデカくなりそうだ』
『えへへ』
『何きっかけで照れてんのか明確にしろ』

ラムネ。
抹茶。
綺麗だと、下手なナンパ師の様に容易く毎日繰り返した子供の見た目は、いつか破滅を選択した男と変わらないくらい平凡な顔だった。

『ガタガタ喧しいんだよっ、役立たずのお飾りアイドルが!!!』

平凡な見た目に騙されるな。
桜舞い散る穏やかな入学式典会場で。

『やってやろーじゃねーか!庶民舐めんなっ、苦労知らずのボンボン共が!』

あの時、何ら怯まずに壇上を睨みつけた新入生で最も小柄な生徒の怒号は、果たして何人の記憶に焼きついたのか。
(少なくともあの瞬間)(宣誓布告を受けた立場の自分が笑ってしまった事に)(気づいた者はなかった筈だ)

例えばあの瞬間、何人が。
中央委員会三役に対し、絶対服従に等しい暗黙の了解を覆した英雄を視界に映したのか。



「…聞いてみたい気はしますが、さて」

嫌な予感と言うものは、気紛れなのかも知れない。
まともな育ち方をしていない事を生後間もなく理解していた男は、自分の性格が決して可愛らしいものではない事を熟知していた。

「左席委員会副会長のセンサーは、確実に私を超えてらっしゃる様です」

茶道者と警察関係者が多い叶一族は、外界との接触を絶たない様にとアレクセイ=ヴィーゼンバーグが始めたマネーゲームを、叶文仁が継いでいる。廃れ掛けた海辺の小さな街を一大観光都市へと生まれ変わらせたアレクセイの手腕が遺伝したのか、面倒事を嫌っている文仁にしては実に良く稼いでいる様だ。
とは言え企業して40年程度であればまだまだ若手企業であり、一部上場企業の中では然程大きな分類ではない。資本金規模で言えば、株式会社笑食と大差ない程度だ。

「此処まで来ても何も見つからない。…まさか私を騙して笑ってらっしゃるなんて事は、考えたくありませんが」

帝王院の屋敷には明治まで、灰皇院が暮らしていた。
帝王院雲雀が十口総まとめ役の跡取りと姿を消した年に、当主である俊秀が屋敷ごと十口を残し東京へ旅立って以降、叶名義に変わっている。母屋の他に屋敷は四つ、まるで学園寮の様に四棟の建物が母屋を囲んでいたそうだ。

蒼龍、白虎、朱雀、玄武。
その数え方を叶二葉は、海を渡り降り立った中国の地で見る事になる。

「大河が我が家に類似している予感はありました。叶の元を辿れば帝王院、考えられるとすれば…叶芙蓉は雲雀を伴い、中国へ渡ったと言う事」

雲雀の子孫が大河だとすれば、残念ながら二葉との血縁関係も否定は出来ない。二葉が予想する範囲の事を、化け物じみた冬臣が気づかない筈はないだろう。

「だとすれば、何故兄さんは山田太陽に目をつけたのか…。榛原大空が関係しているのか、皇としての忠誠…?帝王院秀皇が冬臣の主人であっても可笑しくはないとして、今の彼に仕えるだけの価値はあるんですかねぇ。…少なくとも、私であれば有り得ない。秀皇よりも息子の方がいっそマシ、」

呟いた所で、ほんの微かな気配に気づいた二葉は首を傾げた。
アンダーライン一階は半立ち入り禁止状態になっている。中等部エリアは南側にあり、位置としては時計台であるスコーピオに程近い。二葉の現在地は校舎側の北に位置する所で、壁を隔ててフードコートエリアに沿う場所だ。部活関連の設備が大半で、部活棟からの行き来が主な目的で作られたエリアでもある。

「…セキュリティを無理矢理こじ開けた様な形跡は見当たらなかった筈なんですがねぇ?」

新歓祭の間に利用する必要がない事で、真っ先に封鎖された場所だ。無論、二葉がそんな雑用をする筈がない。自治会によるセキュリティだが、二葉より格段に劣るとは言っても西指宿麻飛が監督する高等部自治会の仕事は無駄がない。
二葉の脳内に妥協と言う言葉はなかった。現状で無理ならば時期を待つ、それこそが最も効率的な合理性だと信じて疑わない。だからそれ以外の行動は全て無駄なのだ。

「とっとと片付けて、とっととアキを迎えに行って、とっとと二人きりになる。で、俺に何を隠して何を企んでるのか洗いざらい吐かせて?」

一人、残念ながらステルシリー役員名簿に記載されている人影を見つけてしまった。
余りにも残念だ。舐められているとしか思えない。

「おや、何をしてるんですか?」
「…は?っ、ディアブ…っ?!」
「大声を出さない。殺しますよ」

恐らく何の気配もなく現れた二葉に驚いたのだろう男を躊躇いなく黙らせて、少しやり過ぎたかと首を傾げた。わざわざ呼吸を確かめ、やはり首を締め過ぎた様だと溜息一つ。
浴衣の帯に着けた根付けを引っ張り、スリムな携帯電話を抜き取った。山田太陽のお子様携帯と見た目は殆ど同じだが、二葉の機種の方が少しだけ新しい。とは言え、発売から十年以上経過したものだ。

「ステルシリーライン・オープン」
『ご命令お待ちしておりました閣下』
「殺すつもりはなかったのでハニーを虜にしてしまった私の美脚を以て心臓マッサージ中ですが、どうも無能な人員管轄部を一人呼吸停止にしてしまった様です」

笑顔のまま、身動きしない他人の左胸を足で適当に踏んでいる男は、浴衣の帯を解いて締め直した。彼自身の美を程良く演出し、昨今の高校生とは思えないほど淡白な子羊を狼に変える為には、過度な露出は厳禁だ。微かに肌が見える程度のチラリズムこそ、美を倍増させる究極のエッセンスなのである。

「所で現在のランクBは、暇を持て余した陛下が監獄から引き抜いてきた殺人犯が大多数を占めています。理由は単に、邪魔になった時に処分し易いからですが、この男の犯罪等級を記憶していないんですよねぇ」
『リサーチが終わりました。マスター、その男は一般登用です』
「おや。ではうっかり殺してしまえば、私が犯罪者になってしまうではありませんか。残念ながら呼吸停止して1分が経過しました」
『ファントムウィングを向かわせます。後の処置はお任せ下さい』
「お願いします。清らかにして勇敢なハニーの為に、私は心身共に清らかな身でなければいけません」
『では過去に2万人を虐殺したネイキッドの変は歴史上からデリートしておきます』
「腐った政府と腐ったテロリストを、ほんのちょっと毒殺した程度ではありませんか。暇だからとマフィアを飲まず食わずで一週間砂漠に放置し、カラカラな所でシャドウウィングの中から『その場で踊れ』と宣った挙句、大して面白くなかったからとそのまま置き去りにする様な陛下とは違います」
『畏れながら、殺害方法の差異にはそれほど意味はないものと』
「人事部如きがアンダーラインに入り込んでいる理由を探りなさい。時と場合によっては、組織内調査部の粛清対象となります」

妥協はしないが、我慢は出来る。
好物だった肉を食べなくなって、約束を簡単に忘れた子羊を前に、何年も何年も耐えてきたのだ。上出来ではないか、これ以上耐える必要が何処にある。命令を待つ犬は終わりだ。

「ノヴァが新たに指定した組織内調査部のマスターはブラックジャック、ジェネラルフライア所の話ではありません」
『申し訳ございませんマスター、仰っている言葉の意味を理解出来ません』
「アンドロイドに定められたスペックを超えた事を期待したりしません。私の現在地を補足したら、直ちにIDと生体反応をサーチして下さい」
『完了しました。人員管轄部ID保有者4名、特別機動部ID保有者2名、区画保全部ID保有者1名、その他の生体反応は251名確認されました』
「…国際科エリアに近い所ですからねぇ。随分舐められたものです、我が部署のコード持ちは何処の所属ですか?」
『技術班だと想定されます』
「でしょうね。宜しい、このまま回線をオープンしたまま固定しなさい。マジェスティのお耳に入れるべき案件だと判断し、」

微かな。
余りにも微かな人の気配に言葉を止めた二葉は、スピーカー代わりの携帯電話を耳から離した。無意識で通話口を塞ぎ、ほんの些細な物音も発てない様に息を潜める。

「龍の宮はどちらに?」
「不確定要素を潰しておけとのご命令だ。ステルシリーの人間に期待なさっていないと言う事だろう」
「月の宮の娘達が単独行動を起こしている様だが、お耳に入れたのだろう?龍の宮はどうお考えなのか」
「守矢様は龍の宮の善き理解者だ。宵の宮の代わりを努めるに相応しい」
「だが、叶の元から離れた男である事には変わりない。嵯峨崎財閥はステルスの駒ではないか」
「龍の宮は見定められている真っ最中なのだ。仕えるべき皇の王、帝王院に相応しいのはどちらの宮様であるか」

甚だ楽しそうな会話が聞こえてくる。
明らかに叶の人間だろうと判ったが、彼らの声は曲がり角の向こうから聞こえてきた。二葉でなかったらすぐに見つかっていただろうが、二葉と言えど生身の今は明らかに分が悪い。
位置的にも人数が確かめられない今、聞こえてくる間抜けな声が二人分であると言うだけで行動する浅はかさは、残念ながらなかった。

「榛原の嫡男は天の宮様についた様だが、宵の宮を従えている神の宮様が日本に留まるのであれば、ステルシリー諸共、灰の一族は甚だ目障りだと言う事になる」
「…と言う事は、龍の宮は天神の跡取りを見極めた後に、落伍者へ寄生虫共を押しつけるつもりか?」
「恐らくは。十口にとって重要なのは、世界の覇者などではない。我が国の天帝たる、帝王院の存続のみだ」

嫌な予感、確かにその通りだ。
この場に例えば太陽がいたとすれば、叶は躊躇いなく太陽を人質にしただろう。古い話では榛原を従わせられる者は帝王院当主だけと言われているが、太陽は誰が見ても敵にならない平凡な少年だ。手駒としてはうってつけ、滅びた雲隠の様に化物じみた強さなどどう見てもない。

「…帝王院とグレアムを見定める、ねぇ。私にとってはどっちがどうだろうと興味もありませんが」

叶冬臣を敵に回す予定は、叶二葉の過密スケジュールにはない。
が、神威がグレアムだろうと帝王院であろうと、従っているつもりが全くない二葉にとって最大優先は、語るまでもない事だ。

「愉快な話をしてらっしゃいましたねぇ、気配も満足に絶てない出来損ないの十口さん方?」
「宵の宮…?!」
「何故此処が…」
「先程我が社の出来ない社員を一人、うっかり殺してしまった所です」

ゆったりと、蒼い瞳を眇めた男は微笑む。
誰もが美しいと讚える微笑は今、狼狽えている男達の網膜に、どんな姿で映っているのか。

「いつから叶は此処まで落ちぶれたのでしょうねぇ?」
「ステルスに寝返った分際で、巫山戯けた事を…」
「黙って立ち去れ宵の宮!龍の宮にご意向に歯向かうつもりか!」
「心肺蘇生法を熟知した、我が特別機動部の優秀な社員が後始末をするでしょう。ではこの神をも恐れない美に恵まれた私を前に、後退る様な真似をする貴方達も一度、三途の川と言う場所を観光なさいませ」

いつか自ら破滅を選択した男を最後に見た時と同じく、大して興味もなかった。

























「死ね餓鬼共!」
「そこまでだ、馬鹿な真似はやめろ人員管轄部!」
「365日無休、対外実働部様のお通りだ〜♪ファイア!」

素早くナイフを取り出した黒人の傍ら、笑顔で躊躇いなく拳銃を取り出した白人はラップ調で決め台詞を宣うと、光炎親衛隊隊長に向けられていた凶器を的確に撃ち抜いた。
弾かれた様に鉄の塊から手を離した男は、忌々しいと言わんばかりに凶悪な眼差しを見開くと、何とも言えない表情でナイフを握ったまま沈黙している長身を睨みつける。

「何の真似だロバート!テメェ、ブラックが調子に乗りやがって…!」
「貴様を撃ったのは私じゃない、アートだ!」
「あ、はい。ボクが発砲しました」

テヘペロっと頭を掻きながら握った拳銃を持ち上げた男は、眉間を押さえている同僚を横目に持ち上げた拳銃を笑顔で突きつけ、ポカンとしているバトラー姿の少年へ微笑み掛けた。

「そーんな怖い顔で若者を苛めるのはやめなよ、えっと、誰だっけ?」
「余所の部署にも関心を持て。対外実働部の恥晒しが」
「どうせ死ぬ奴を覚えとくのって無駄じゃない?」
「そーそー、無駄ですよねー」

何の気配もなかった。

「名前をつける時は、倒した後に起き上がって仲間になりたそうに見つめてきたスライムだけって決めてるんです、俺」

付け加えて、そこにいるのにいる事に気づいたのもたった今だ。と、ステルシリー幹部社員らが揃って振り返った先。バスローブ姿の空気の様な存在が、ロケットランチャー宜しく、拳銃以上に恐ろしいドクロマークつきの何かを担いだまま、晴れやかな笑顔で立っている。

「何だテメェ」
「…は?」
「ん?」
「んー、やっぱ柚子姫じゃないですかー?あはは。何か凄い光景だなー、やっぱ嫌な予感って当たるんですねー。か弱い二葉先輩を連れてこなくて良かった、好きな人の前で悪い事って出来ないじゃないですか。ね?」

ヘラヘラ。
邪気のない笑みで笑いながら、落ちている拳銃には見向きもせずヒタヒタと廊下を歩く細い足は、肩に担いだ火炎放射器を笑顔のまま突っ立っている一人へ向けると、怒りで表情を変えた男が口を開くより早く、噴射レバーを引いた。

「あ、ガス切れだ」
「っ。舐めやがって、ぶっ殺すぞファキンジャップ!」
「何をしてるんだお前は!子供が馬鹿な真似をするんじゃない、下がれ!」
「ちょっと待ってロバート、この子は確かカルマの…」
お座り

にこり。
笑顔で吐き捨てられた凄まじい威圧感の声を前に、全ての人間が膝から崩れる。目を見開いたまま声もない宮原と伊坂の視線を横目に、担いでいたガス切れのバーナーを手放した男は笑みを消した。

「頭が高いんだよねー、外人共。日本にお邪魔する時は、まず俺に挨拶をするべきでしょ?ムカつくからさー、…全員真っ赤な鳥居の向こう側に逝ってみます?」

但し片道切符だけど・と。
悪びれない声音で宣った山田太陽に注がれる視線全てに、恐怖が滲んでいく過程。

「だって真っ黒な鳥居の向こう側には、俺しか辿り着けなかったんですもん」

彼の声に逆らえる者は一人として、存在しなかった。

←いやん(*)(#)ばかん→
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