帝王院高等学校
減らない痴漢に対して速やかに対策を講じましょう
「取引をしよう」

魔法使いは笑った。
暑い(冷たい)夏の底で。

「何の」
「王子様に戻る為の」
「ネイちゃんを助けてくれる?」
「お前がそう望むなら」

暗く重い空は時折白く光っては、凄まじい音と共に世界を揺らしたのだ。

「全ては、定められたハッピーエンドの為に」

魔法使いの瞳が輝いていた。まるで、月の如く。
















通りゃんせ、通りゃんせ。
 此処は何処の細道じゃ。天神様の、














「俊秀が社を壊した?」

酒瓶に直接口をつけ、豪快に煽った赤毛は知らせを聞くなり肩を竦めた。
事の重大性などには興味がないとばかりに、唇はやおら笑みを描いていく。

「笑い事ではない。帝王院の主が社を壊したとあれば、先祖に顔向けが出来ん」
「雲雀を誑かした十口の小僧が悪い、で、済ませれば良いぜ。俊秀はアンタと違って、意味のない真似はしない」
「…これ桐火、貴様は誰に物を申しておる」
「帝王院寿明にだ。何か文句あんのか、爺様方よ」

痩せた体に酒瓶と幼子を抱き、女は女とは思えない眼差しに笑みを描く。
前当主の前であろうと一切怯まずに、勝ち誇った表情で。

「所詮、空蝉は獣の末裔だ。始祖天元様の力で人の形を得ただけの、天狗の成れの果て。…そうだろう、爺様方よ」
「いい加減にせんか雲隠!十口に落ちる瀬戸際で拾われただけの女が、」
「やめよ蒼穹。如何に榛原とて、現当主は晴空だ」
「…然し大殿」
「出来ればで良い。鳳凰を抱かせては貰えんか、桐火」
「抱いてどうする」
「年の所為か目が悪い。近くで顔が見たいのだ」
「確かに今宵は、月も星もない」

屋敷を捨てる前の晩、産まれたばかりの赤子を老いた男は優しく抱いた。実の息子には殆ど触れた事のない男が、怖々と、けれどしっかりした腕で。

「俊秀には余り似ておらんな。お前に似た様だ」
「耳の形がそっくりだろう。指も似ている」
「そうだな」

静かな夜だ。
何百年と奉ってきた社へ火を放った男は、御神木の根元に家宝の日本刀を突き入れた所で皆から宥められ、自ら謹慎しているらしい。ほんの数日前まで叶芙蓉が閉じ込められていた、榛原の座敷牢だ。

「…俊秀は屋敷を捨てるか」
「爺様方は満場一致で十口を潰すつもりだろう。俊秀は芙蓉を恨んではいない。ただ、雲雀の望みに気づかなかった事を悔やんでいるだけだ」
「お前はあの子を良く判っているのだな」
「妻だからな」

息子の嫁、義理の娘にしては容赦がない台詞に対し、帝王院寿明は孫を抱いたまま行灯の光に照らされ、微かな笑みを浮かべる。
豪華な母屋を囲む様に、東西南北に四つの離れがある。東から順に、明神、雲隠、冬月、榛原の一族が暮らしていた。数の多い十口は側仕えの小姓として母屋に駐在していたが、俊秀に人ならざる力があると判明した頃から母屋の中央、外に出る事の出来ない部屋が作られた頃からは、俊秀を監視する様に十口一族が囲っていた様だ。

「貴様ら無能共が遠ざけ続けた俊秀が、私を獣から女にした。だがオレが女として従うのは俊秀だけだ。貴様らの前では依然として一匹の獣である事を、ゆめゆめ忘れるな」

果たして、深夜皆が寝静まってから社へ足を運ぶ事が多かった俊秀は、いつしか社に篭もり暮らす様になる。妾の元に産まれた義弟が跡取りとして囁かれる様になると、益々外界との接触を拒んだ。
己の存在が皆を不幸にすると、聡明にして優しい男は考えたのだろうか。哀れ従兄の自由を願い反乱を起こした冬月鶻は、跡取りに推挙した筈の帝王院秀之自身が嫡男である事を拒絶し、俊秀の従妹にして秀之にとっては義理の姉である娘が嫁いだ神木の分家である、宰庄司の姓を得た。冬月の出である実母が、宰庄司に嫁いでいたからだ。

「江戸には秀之も鶻も居を構えている。俊秀が来たとあれば、小難しい二人も駆けつけてこよう。例え私が目障りであろうと、な」

俊秀が正当な嫡男として改めて周知された頃、榛原と睨み合っていた冬月一族は京都から離れた。一度記憶した事を忘れる事が出来ない彼らは、結果的に裏切りの烙印を捺されてしまったその屈辱を忘れる事はない。雲隠の娘さえ娶っていれば、灰皇院年寄連中の中で最大の権力者になっていた筈だった。何しろ女系の雲隠は短命だ。
人にして人を傀儡に変える最強の力を持つ榛原に対して、聡明なだけの冬月に抗える術は他にない。

「御仏の託宣は既に為された。空蝉はいずれ解き放たれるが、今はその時ではない」
「…何?」
「己らの無能さを棚に上げ、俊秀の言葉を聞かなかった貴様ら屑共には判らんか。心優しい我が娘雲雀ですら、帝王院を見放したのだからな」

俊秀の力に怯えた老中の中で、榛原は真っ先に俊秀を傀儡にすると宣った。幼い俊秀に何度も『見えないものは存在しない』と説き伏せたが、『見えるものを見えないとは言えない』と突き放し続けた俊秀はとうとう、幽閉されてしまう。
これに激怒した冬月が知恵を絞り、どうにか俊秀を自由の身にと画策した事から端を発した一連の騒動だが、結果的に冬月が皇の立場から離反する事で収まった。雲隠火霧は末の娘を産み落として間もなく亡くなった為、当主として桐火が天神の跡取りである秀之の伴侶として命じられるのは、自然の流れだ。それ以前まで冬月鶻の許嫁として桐火は育てられたが、彼女は初めから嫁ぐつもりなどなかった。

「雲雀は名のままに飛び立った。この地を離れられなかった俊秀の代わりに、我が娘は広い世界を羽ばたくだろう。さすれば鳳凰もいずれは、枷を解き放つ運命だ」

そう、俊秀を初めて見るまでは。

「天網恢恢疎にして漏らさず。神の宣託は道を違える事を許さぬ、絶対的な命である」

すやすやと、赤子の寝息が響く。
自ら籠城を命じた当主は今、何を考えているのだろうか。例えばこのまま放っておけば、数年出てこない事も十分に有り得る話だ。俊秀に流れている人から隔絶された時間の流れには、桐火ですら度々舌を巻く。

「私は無能な獣だった。子を成す事もなく死ぬ予定だった哀れな狗を、女にしたのは俊秀だ。貴様らではない」
「…そうだ。愚かにも私はお前を消せと命じた」
「過ぎた話だ。そうだろう、寿の宮」
「俊秀が止めねば孫の顔を見る事も出来なんだ。…私には、お前に詫びる言葉が見当たらない」
「詫びで腹が膨れるか。蝉はその羽を捧げた鳳凰が、その翼を以て解き放つ。俊秀にもその運命を変える事は出来ないと言う。だから私は、我が命を以てこの子を産み落とした」

そろそろ迎えに行ってやらねば、寝食を忘れて倒れていても無理はない。俊秀を力ずくで止められる者は命を惜しまない十口か、雲隠だけだ。榛原の声が聞かない相手に対して、空蝉は最後に雲隠を頼る。何百年と続いてきた、灰皇院の決まりだ。

「…判った。ならば帝王院寿明の名を以て、これ以上止めはしまい」
「大殿!」
「なりません、寿の宮様!」
「これでは退いた秀之の宮様が余りにも、余りにも哀れでございます…!」
「黙れ老耄共、鳳凰が起きるだろうが!」

豪快に投げつけられた酒瓶が派手に砕け散ると、集った誰もが口を閉ざした。
その圧倒的な戦闘力に反して寿命に恵まれない雲隠は今、帝王院桐火と十口焔を除いては幼い娘だけだ。

「脆弱な老耄に生かす価値があろうか、目障りだ。俊秀の目がなければ殺していた、忌々しい。一人残らず早く滅びろ」

言葉通り、真紅の瞳に憎悪を浮かべた女は舌打ちを放ちながら唸り声で呟いた。彼女が本気になれば、この場の年寄りは言葉通り一人残らず消されても可笑しくはない。残念ながらこの場には今、彼女を止められる俊秀の姿がないからだ。

「俊秀に従う若者だけ連れていく。異論がある爺様共は、天神の命令に逆らって十口に落ちるが良い。雲雀は去ったが、跡取りはこの鳳凰が務めてくれる。…ごほっ」
「無理をするな桐火。薬湯を飲み干し、横になっておれ」
「く、馬鹿な事を。黙って寝てられるか。夫の帰りを待つのが妻の務め、オレはテメーら老耄共とは違う」

義父の腕から赤子を奪い取り、幾つか咳き込んだ痩せ細った女は立ち上がる。

「十口は潰さない。だから帝から預かった京都から離れる。十口は平伏し、俊秀が戻るまでこの屋敷を守り続けるだろう。兄貴が俊秀を裏切る事は絶対にない」
「…」
「秀之は帝王院を捨てた。鶻と同じくそれは、俊秀の為だ。我ら獣は主人を選ぶ。爺様共が寿公を主と謳うなら、オレら世代の主は俊秀公以外に存在しねぇ。何か文句あんのか、雑魚共が…」

幾ら30歳を超えた程度と言え、天寿には叶わない。

「蝉が人を真似て歌うな。我ら空蝉は狗として鳴くばかり、天元様の生まれ変わりである俊秀は我ら獣の主だ。榛原如きに止める事は能わず、冬月如きに悟る事は能わず、明神如きに聴く事は能わず、雲隠如きに諭す事もまた、能わない」

並ば無理に出産を果たしたばかりの女はけれど、それでも雲隠最強の女だった。強すぎるが故に主人の命に逆らい、秀之との婚姻を拒絶し続けたのだ。

「榛原の歌に逆らえるオレを従わせられるのは、俊秀だけだ。俊秀の言葉こそが唯一絶対、この国の王は俊秀のみ」
「あの子を頼んだぞ、桐火」
「…言われるまでもねぇ。テメーら爺共は好きに生きて好きに死ね。俊秀は天命に従うまま、愚かな人間には見えない仏の道を往く。俊秀は言った。雲隠は消えない。新たなる黎明を以て、再び空に輝くと」
「そうか…」
「さらばだ、古き時に遺された死者共。我ら帝王院は天神と共に、時代が認めた都へと渡るぜ」

彼女の姿を見たのは、それが最後だった。
旅の終わり、東京の地で息を引き取った彼女の墓は、真紅の塔として間もなく建設された。

「残り少ない生にしがみつき首を洗って待っていろ。…地獄の底でまた会おう、無能の民よ」

帝王院鳳凰は母の魂が宿る場で育ち、そして人生の最後に、その場を一つの学園へと作り替えたのだ。

























「何か爆発した」
「何か爆発したな」

凄まじい音が響いた、気がする。スタスタ歩いていく男達は淀みなく、ついには最上階だと思われる所へと消えていった様だ。

「なのに誰も気にしないんだわ」
「大人だからな」
「それにしても…藤倉さんってどの角度から見ても男前ねー。結構年齢行ってそうなのに、お尻の位置が高い」
「セクハラだぞ乳だけ女」
「指揮者の癖に周囲敵だらけのアンタよりマシなんだわ」
「投げ下ろしてぇ…」
「佳子姉ちゃんの男の趣味を疑うんだわ」
「陽子ォおおおォォォオォオォ!!!」

反射的に耳を押さえた山田陽子と高野省吾に悪気はない。
脊髄反射で魔女を落とした男はしまったと目を見開いたが、同じくしまったと目を見開いた女はあわや尻を強打する所で、滑り込んできた何かをクッションとして迎え入れる事になる。つまりは、尻で下敷きにしたのだ。

「あたた。何やってんのよアンタ、もっとスマートに抱き上げて助けられないわけ?」
「身を呈して庇った僕にもう少し優しい言葉はなかったのかな?!」
「はぁ?笑わせるんじゃな、」
「くぇーっくぇっくぇっ」

運動不足甚だしい世界的指揮者が死に物狂いで運んできた魔女は、魔女故に男を奴隷だと思っているのかも知れない。妻の尻を庇った山田大空の涙でぐちゃぐちゃに汚れた顔を『きったな』と言わんばかりに見つめた陽子は、響き渡る奇声に息子そっくりなアーモンドアイを見開いた。

「シューちゃん、今の見たァ?半裸の変態が落っこちてきたかと思ったら、でっかい風船が爆発したわょ!」
「ママ、俺はそこまで野性的な視力はないんだが…今のは…」
「ゼロきゅん、この学園にはあんな奴ばっかりざます?お姉さんイケメンは片っ端から好物だけど、あんなエロイベントがあるなら早めに教えてくれないと困るわょ?」
「…は?え?いや、あんな訳の判らないイベントあったっけな?つーか今のは…」
「今のは俊だった」

旦那がビタっと抱き着いてきたので躊躇わず股間に膝蹴りを決めた陽子は、そう言えば痛めていた太股を忘れていたと、蹴った後に痛みに震えて座り込む。出来るワラショク幹部夫婦が速やかに処置を始めているが、豪快に暴れ回った所為か巻いている包帯に血が滲んでいた。

「ああっ!こうならない様に運ばせたのに、何でこんな酷い有様に…?!こんのクソ野郎、俺の陽子に何しやがった廃人にするぞ!」
「初対面の相手を睨んでんじゃないんだわ」
「だって陽子ちゃん、痛い?痛いよね?!舐めたら治るってほんとかな?!良し、此処は夫である僕が」
「大空、離婚」
「嘘です。調子に乗りました。ごめんなさ…小林専務!陽子ちゃんのストッキングを破る役目は、この僕さ!」
「「社長、大声ではしたない」」

小林専務と一ノ瀬常務の冷たい眼差しなど何処吹く風、ワラショク代表執行役山田大空は目を輝かせ、うきうきと妻のズタボロのストッキングへ手を掛けた。

「あん?何、怪我でもしてたんかよ」
「やめとけ、殺されるぞお前」
「誰に?」
「山田に」

何事だとつい覗き込んだ指揮者は、真顔のヤクザに止められている。

「ヤクザの癖にあんな優男にビビってんのな」
「ただの優男じゃねぇから忠告してやってんだろうが…」
「あーらら、折角一針多めに縫っておいたのに、裂けてんじゃない」
「おわ!」
「ぐ!」

然し、男前二人組は背後から凄まじい握力で尻肉を揉まれ、計らずも悲鳴を上げた。妻の股をカパっと開いて鼻血を吹き出したワラショク社長は、何もエロい事を考えてそうなった訳ではない。何すんだテメー、と言わんばかりに妻が顔を蹴った為、盛大に鼻血を吹き出したのだ。

「山田陽子さん、あーた大人しそうなのは見た目だけなのねィ」
「あっ、遠野先生!恥ずかしい所をお見せしちゃって…」
「シューちゃん、そっちのイケメンの鼻にティッシュ突っ込んどいて。私はこっちのおっぱい…ごほっ、怪我人を診るから」
「俺にはシエ以外の体液には触れない呪いが掛かってる」
「シューちゃん?」
「オオゾラの鼻血なんて触りたくない」
「秀皇ァ」
「お義父さん、お願いします」

恐るべきやる気のなさで溜息を盛大に吐いた男は、今にも舌打ちせんばかりの表情で義理の父親を見やった。凄まじい目付きで眉を跳ねた男と言えば、義理の息子を見遣り怪訝げだ。

「秀隆、よもや貴様はこの儂にその餓鬼の面倒を丸投げするつもりではあるまいな」
「お義父さん、外科医でしょ」
「放っておけば止まるわ!貴様は儂を何だと思っておるか、そんな真似は龍人にやらせておけば良い!」
「黙れ龍一郎、と言いたい所だが保健医であるからには致し方あるまい。どれ山田の、鼻をかんで血を出すがよい」
「作戦会議を行う」

この混乱の状況に一切表情を変えない男は、ポテチを広げてパリパリしていた生徒らに紛れてポテチをパリパリしつつ、ダークサファイアの眼差しを細めた。

「は?今何と仰ったのかねそこの阿呆は」
「丁寧語が崩れておるぞネルヴァ、確かにナインはちょっとばかり世間知らずだが、頭は悪くない」
「龍一郎、すまんが私の所為でカイルークの怒りを買った」
「何だと?」
「ナイトの危機を救わんとしたが、方法を間違えた様だ」
「やはり先程のは俊か!」
「ああ。技術班特製『見えるんですEX』を常用している私の視力に、見えないものはない。記憶より格段に老いたお前の皺も細やかに見えている」
「黙れハーヴィ!忌々しい、ノアと俊がどう関係していると言うか!」
「カイルークはナイトに欲情する様だ」

ポテチのパリパリ音が響く。
話の内容が全く判らない生徒らと世界的指揮者を他所に、ほぼ全ての大人が停止した。ぐるぐる巻きにされている女など、限界まで目を見開いている。

「そんな馬鹿な事がある筈がないわ!マジェスティはセントラルをお離れになる以前から、セックスには飽きていたのよ!」
「むーっ、ぷは!マジェスティが幾らナイトだからと言って、そこの馬鹿女の子供なんかに勃起する訳ないじゃん★マジェスティの寵愛を受けるのはこの僕だって決まってる、だからマジェスティは僕を外に出して下さったんだ!ナイトなんてキル、キルキルキルー!」
「煩ぇ、黙ってろテメーら」
「ファーストそっくりな顔を近づけないで頂戴!裏切り者のエアリアスの子供が偉そうに…!」
「ゼロは私の子だけど、何か文句あんのかコラァ?」

大層美しい美貌に恐ろしい笑みを浮かべた女優が、つかつかとピンヒールで近寄った人質の太股を踏みつけた。日本語が完璧ではないクリスティーナの台詞は、正に彼女の次男の口癖そのままだ。

「兄様、今更申し上げます。ゼロもファーストも私の子です」
「そうか」
「そうか?!えっ、それだけ?!ちょっとクリス、何で今更そんな事…っ」
「レイ、ルークは私を解放してくれたわ。だから考えてきたの。あの子に恩を返すには、私も同じ事をするべきじゃないかって」
「えっ?」

事の成り行きを見守る事に限界を感じた嵯峨崎嶺一の悲鳴は、笑顔で人質を踏みつける美しい女優の残虐性ではなく、いきなりぶっちゃけられた台詞に対してのものだ。
テキパキと陽子の処置を終わらせた遠野俊江は笑顔で『やりおるな』と宣ったが、流石の陽子ですら『こっわ』の一言だった。

「ひま」
「おわ!…っと、無事だったかアレク!」
「ああ。お前こそどうしていたんだ、脇坂が下に降りていった筈だが…」
「ああ、奴には宮田達に連絡をやる様に言った」
「で、私がトイレに行っている間に何があったんだ?そこで秀隆が死にかけているが、トドメを刺しておくべきか…」
「頼むから皇子に手を出すなアレク、何故か学園長も死にかけてるんだ」
「何があったんだ?」
「そーね、ゼロきゅんがクリスの息子でうちの馬鹿息子がカイルークって子に尻を狙われてるって事が判明しただけで、特に何もないわょ?」

二人の息子の壮絶なる恋愛話で呼吸が止まりかけている帝王院秀皇を他所に、同じく二人の孫の壮絶なる恋愛話で心停止寸前の帝王院駿河は、慌てた加賀城敏史と冬月龍人によってテキパキと処置を受けた。

「やだ、またとんでもないイケメンが出てきたわねィ。ちわにちわ」
「は?俺?」
「遠野俊江です!俊江ちゃんって呼んでもイイのょ」
「お、おう?ボーイッシュな女の子だな?高野省吾です、省吾ちゃんで良いよ」
「あらん?まさかケンゴンのパパ?合言葉はカルマなの?」
「そうだけど、もしかして俊江ちゃんは」
「俊のママンです」
「はぁ?!若っ」

確かに見た目は中学生だが、高坂向日葵と同年代だ。ただの若作りだが、言おうとする前に恐ろしい睨みで黙らせられたヤクザは、そっと妻の背後に隠れる。

「うちの愚息がお世話になっちゃって。今度お礼送りますからァ、帝王院名義で!」
「いやいや、こっちこそ世話になりまくってるっつーか、本当にどうやって健吾を躾してるのか聞きたいくらいです。親の言う事なんか聞きやしない」
「反抗期って奴ね〜。力ずくで黙らせるか力ずくで泣かせるしかないのょ〜」
「選択肢が力ずくしかないな〜。男の子を育てると、女は皆アマゾネスになっちまうのか〜」
「サインちょーだい。あーたテレビに出てたわよね!」
「脈絡って知ってる?良いけど、ペンある?ついでに逆にシーザーのサイン貰えるかな?カルマの指揮者だって聞いてるんだけど」
「あの子、音痴ょ?」
「益々他人とは思えなくなってきたっしょ」
「省吾ちゃんは音痴ざます?」
「うん」
「ウケるー」
「遠野先生!そんな馬鹿男より藤倉さんの方が大分イケてるんだわ!」
「そうねィ、藤倉理事のお尻も狙ってるんだけど隙がないのよねィ」

哀れワラショク社長と総務部長の寿命が尽きそうだが、それぞれの嫁が目をハートにして黄色い声を出した瞬間に復活する。

「僕と言う者がありながら、陽子!」
「尻なら俺の尻があるだろう、シエ!」
「糞程うざいんだわ、黙れ大空」
「シューちゃんのおケツは揉み飽きたんだもの、たまには違う肉を揉み揉みしたいんざます。とりあえず今は俊の尻がどうのこうのの前に、俊が他所様の尻をどうのこうのしてたらどうするか話し合うわょ!ねっ、理事長先生!ハァハァ」

嫁が強過ぎる。
言葉もない嶺一、秀皇、大空を他所に、うちの嫁はまともで良かったと噛み締めたヤクザは然し、

「シェリー、秀隆の尻に飽きたなら私の尻はどうだ?」
「待てアレク!お前のケツは俺のもんだろうが!」

己の妻も全然まともではなかったと、光の速さで思い知った。











一方その頃、オタクではなくなった主人公は校舎で散々な扱いを受けている事も知らず、感電していた。



何かが口の中を這い回っている。
何だと暫く放心したまま考えに考え抜いた一年Sクラス1番遠野俊15歳は、極限まで見開いた眼球に映り込むバサバサの睫毛からそっと目を逸らし、何ならついでに腰も引きまくってみた。

全然逃げられない。
何だこの動けば動くほど動けなくなっていく悪循環は。まるで蟻地獄の様だ。下手すれば蟻にも劣る様な人生を地味に平凡に後ろ暗く、意気揚々と歩んできた自分は今、何にハマってしまったのだろうか。

ハマる。そう言えば最近何かにハマった様な気がする。あれは何だったか。
そう言えば自分は何歳だっけ、などと見当違いな事を考えた時、頭の中で誰かの声がしたのだ。

『総長』

ああ、これは健吾の声ではないか。
確か、夜中にこっそりバルコニーに出て膝を抱えていた健吾に気づいて、佑壱の部屋のバルコニーから隣の部屋のバルコニーへ飛び移った事があった。足を踏み外していたら確実に死んでいただろう高さだったが、夜だったから下を見ても怖くなかったのではなかったか?

『昨日まで出来た事が出来なくなって、自分じゃ後悔なんてねぇのに、時々何で出来ねぇんだろって思っちまう時があるっしょ』

どうして肉ばかり食べるのだと聞けば、アイツが食べられなくなった代わりに、と。呟いた悪戯めいた笑みを覚えている。

『目が覚めた時にさぁ。体の、この辺からこの辺までがギプスとコルセットで巻かれてんの。息苦しくて外してくれって言ってるのに、看護婦さんは皆聞こえねー振りすんだよ』

良し、判った。
判ったが今のシーンと回想が合ってないぞ、健吾。出来ればこんな時にどうするべきかをそっとさりげなく時に激しく教えてくれると、大変助かります。

『鼻と口にもカップみたいなマスクつけられてさ、シューシュー空気が入ってくる。鼻水と痰が絡んで死にそうな時に、動かない体を起こしてくれるのはアイツだけなんだ』

だから違う。
それもきっと凄く大切な話だった様な気がしなくもないが、今はそれじゃない。

『覚えてないけど、俺の体から何か色々飛び出しちまったんスよ。目の前で母ちゃんが死んだ時から、家庭菜園で取れる野菜以外はあんまり食べれなくなっちまったんだって』

ですから、違うのでございます。
お父さんとしてはそんなシリアスな話より今は、とんでもない美人に羽交い締めにされてカップでもマスクでもない何かで呼吸が出来ない状況に追い込まれている、今のこの何とも言えない状況から、ただただ助けて欲しいと願うばかりなのです。

『総長』

はい、俺は多分元気です。
今にも膝から崩れ落ちそうな所を持ち前の平凡パワーで何とか踏ん張りながらも、世を儚んであの世へと旅立つ瀬戸際ではありますが、どうぞチミは名前の通り健やかに育っていって下さい。
正月の雑煮の餅を俺の分まで食べてしまった事がありましたね。ですがお父さんはそのさりげなく時に激しい恨みを、さらっと忘れます。今の今までネチネチ覚えておりましたが、来世では小さい事を気にしない、つまりは短足でもすぐに死のうとしない強い男になりたいと願うばかりなのです。

かしこ。


『酷くするならキスしなきゃ駄目なんぞぇ?ベロが凄いやつ!』
「それだ!」

遠野俊はそもそも限界まで見開いていた為にうっかり涙が滲んでいた、殺人犯も怯えるだろう鋭い眼差しに生きる気力を宿した。
バスケットボール部最大唯一のエースにして、体育科限定で帝君扱いの加賀城昌人は目の前で起きている映画のワンシーンにしては余りにも長いディープキスを無抵抗で眺め、半ば魂が抜いている。

「ふむ、むにゅむにゅ、むむむーっ」
「暴れるな、泣かせたくなる」
「ぷはん!ふぇ、ほぇ、はふん」

完敗だ。
完全に迎え撃つつもりで敗北した事を、俊は転び掛けながら思い知る。二度と健吾のアドバイスには従うまいと固く誓いつつ、荒く息を継いでしゅばっと顔を上げた。

「ヒィ」
「…何だ?」

近い。近過ぎる。
現実味離れし過ぎて人間味のない美貌が、濡れた唇を舐めているのが凄まじい近さで見えた。呼吸が止まりそうだ。

「チュ、チューしたら結婚しなきゃいけないんだぞ!」
「ああ、そうだったな」
「せせせ責任は取るがっ、俺はまだ…何歳だっけ?!」
「俊」
「はい!」
「妊娠した」
「ふァ?!」

主人公は感電した。
同じく、3年Eクラス竹林倭と松木竜も感電した。
3年Dクラス加賀城昌人だけは何故か拍手をしており、謎の感動に襲われたのか静かに号泣している。涙が滝の様だ。

「俺に人としての感情が宿ったのはお前の所為だ」

滴り落ちる血液の如く紅い双眸を前に、限界まで目を見開いた男は本能的にヤバいと悟るなり、クネっと帝王院神威の腕からすり抜け、

「マ、マグ、マグロ漁船で働いてくるから、自立するまで待っててくれ…!すまない…!」
「っ、待て俊!」

半狂乱で走り始めた。
昌人が泣きながら『バスケ部に欲しい!』と叫ぶほどの俊足だが、躊躇いなく追い掛けて行った中央委員会会長もまた、恐ろしい足の速さだ。

「かっちゃん、おめでとう…!」

現状最強なのは恐らく、根っからのバスケ馬鹿だけだった。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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