帝王院高等学校
ちりちり、ちくりちくり、ひっそりと!
「あ。そっち、やだ」

ちりりとうなじに、小さな痛みが走った。
微弱な電流が走る様な、痛みとしては大したものではない。但し、無視する事は出来ない虫の知らせの様なものだと、過去の経験で山田太陽は知っている。

「待って下さい。…止まって下さいってば、叶先輩!」

何をそんなに急いでいるのか、単に加速した足が止まらないだけなのか、太陽の自他共に認める肉付きの悪い薄っぺらな尻を鷲掴んだまま無言だった男の、艶めく髪をぎゅっと引っ張った。
本当ならするべきではないと判っていたが、肩に担がれたまま全力疾走されている太陽は、長めの階段で既にグロッキーなのだ。

「名字はやめて下さいと言ったでしょう?」
「そっちに突っ込むんだねー。すいません、髪がちょいと抜けちゃった」
「そんな事はどうでも宜しい」

いや、良くはないだろう。
誉れ高い御三家の一角である白百合の艶やかな黒髪を、目算するだけでも4本も抜いてしまった。なんて勿体ない事をしてしまったのだろうと、こっそり溜息を零した『金より毛が大事』と断言する平凡は、やっと二葉の肩から飛び降りる。

「格納庫って、そっちにあるんですか?」
「ええ。業者用通路と平行して、隠し通路を降りなければいけません。結構距離があるので抱っこしてあげますよ?」
「さりげなくお尻揉んだりするでしょ」
「おや、私がいつそんな真似をしました?心外です」
「じゃ、揉まない?」
「約束は出来ません」
「ネイちゃん、色々隠さなくなってきたねー」
「我慢するだけ無駄だと悟ったのです。賢いでしょう?」

うっとりする様な笑みを浮かべた浴衣の男は、うっとりする様な美しさだった。言っている台詞が全てを台無しにしている様な気もするが、思わず微笑み返してしまう程には美人だ。凄すぎる、美形は本当にお得な生き物だ。太陽が面食いなだけかも知れない。

「いかん、美に騙される所だった」
「どうなされたのですか左席委員会副会長閣下。所詮しがない中央委員会会計でしかない脆弱な私など、今この場で脱げと言われても泣く泣く断れず肌を晒さなければならない、その程度のただちょっと人より美し過ぎるだけの17歳なのです」
「そのエゴイズムとナルシズムが見事な融合を果たしてる台詞の在庫って、幾つあるんですか?」

さりとて、急速に本来の毒舌を研ぎ澄ませている様な気がしなくもない太陽を前に、この二年間でメンタルが鍛えられてきた魔王(Lv99)は優雅に首を傾げる。
太陽が中等部2年の春先、高等部へ進学し太陽と引き離された二葉の目がちょっと離れている隙に、前ルームメートに八つ当たりで襲われる事件からこっち、間一髪で救った英雄になった筈の二葉は何処で間違ったのか、以降今月に至るまで散々目の敵にされてきた。
そりゃもう、第三者が見れば二葉が太陽を苛めている様に映ったかも知れないが、事此処に至るまでに叶二葉と言う人物を知っている例えば高坂日向なり、画面の向こうの読者各位なりに問えば、高確率で『二葉が太陽から苛められている』と言う結論に辿り着く筈だ。数々のアンケートでヘタレの称号を乱獲してきた男だ、他人の前で油断した事などない筈の二葉のファーストキスが、あっさり奪われた6歳の夏から喜劇は始まっている。

「さて、生まれてこの方絶えず誉められた事しかないので、自然の成り立ちではないですかねぇ?」

だが然し、男には特に矜持と言うものがある。一銭にもならないと言われればその通りだが、人は心の中まで合理的にはなりきれないものだ。さくさくと歩き始めた太陽の後ろをついていきながら、二葉はわざとらしく大袈裟な仕草で胸元に手を当てた。いつかテレビで見たミュージカル俳優の様な動きだ。

「私は決して己を過大評価している訳ではありません。多くの方々から頂いた評価を純粋に精査し、今日に至るのです」
「そんなお前さんは、俺が脱げと言ったら脱いじゃうんだ?」
「そうです、所詮会計は副会長には逆らえない権限差異の下僕なのですよ」
「じゃ、叶先輩は今まで光王子の前でもひょいひょい脱いできたんですねー?」

にっこり。
何処までも果てしなく続く地平線の如く、何ら上がり下がりのない平坦な平凡スマイルを前に、帝王院学園の9割の人間が怯えている(寧ろほぼ十割に近い)魔王は美しい愛想笑いのまま硬直したが、何も平凡スマイルが可愛くてときめいた訳ではなかった。
固まった二葉に構わず歩いていく太陽は、何処か自棄になっている様に思えなくもない。勝手に歩いているが、太陽は目的地の場所を知らない筈だ。

「誰からも彼からも褒められてきた癖に、簡単に弄ばれてきた訳ですかー」
「待ちなさい、そんな事は一言も言っていません」
「副会長には逆らえないんじゃなかったっけ?だって、俺が立候補するまで左席に副会長なんか居なかった訳だし、副会長と言えば自治会か中央委員会にしか居ないですよねー?各委員会の副委員長とは、立場が違い過ぎますもんねー?」

数々の修羅場を駆け抜けてきた歴戦の闘士だからこそ判る、予感めいた直感と言えば良いだろうか。どうも嫌な予感しかしない。太陽がバスローブの胸元に豪快に突き刺している火炎放射機が、アンダーラインの蛍光灯に照らされて鈍く光っている。

「話を飛躍させ過ぎです。そもそも高坂君と私は親戚同士で、」
「従兄弟同士って結婚出来ますよね?」
「彼は男ですよ?!」
「俺は?」
「…男ですね」

叶二葉はお肉が大好きだ。
寧ろ肉以外を食べ物として認めていない節があるが、例外的に動物性脂肪をたっぷり吸ったパンだけは、肉として扱う事にしている。牛乳とバターと卵を吸い込んだ、フレンチトーストだけは。

「俺と結婚したいかしたくないかで言ったら?」
「します」
「ふーん?女性にはそれなりにおモテになるのは知ってますけどねー、説得力ないって言うかさー。だって叶先輩ってばー、俺と同じ部屋に泊まってる時にー、真向かいの部屋に入ってー、帰ってこなかったですもんねー?」
「…あ、あの、山田太陽君?」

何だ。この某モデルを思わせる間延びした喋り方は。
神崎隼人ならば物の数分で黙らせる自信があるが、どうしてこの山田太陽相手だと物の数秒で黙らせられてしまうのか。不思議過ぎる。二葉は自他共に認めるドSだが、少々レベルが違うのではないか。

例えるなら、蛇と八岐之大蛇。LED電球と太陽。地球と銀河。煎茶と玉露。ああ、脱線が止まらない。

「なーんか、大量の緑茶が置かれてたから心の中に秘めて置こうと思ったんだけどなー。だってさー、俺なんて所詮誰とも付き合った事とかない普通のモテない高校生な訳でー」
「いや、その、モテないなんて事はないのではありませんか?」
「あーあ。俺だってもうちょい背が高くて、こう、イチ先輩まで行かなくとも藤倉君くらいキリッと眉毛が上がって、神崎君までとは言わないけど鼻が高かったら、神帝にだって負けないと思うのになー」

いや、そこは負けている。
脊髄反射でそう思った二葉は健気にも口を閉ざしたが、段々と表情から温度が消えつつある男の顔立ちの中で唯一印象的な、気の強い猫を思わせる吊りがちの瞳の瞳孔が細まっていくのを見た。

「先輩」
「は、い」

こてんと小首を傾げた平凡に怯えながら、心底可愛いと思ってしまう自分は最早手遅れなのではないかと、叶二葉17歳は考える。何が手遅れなのかは判らない。
恐怖を恐怖と認識する前にその場を離脱するのが、修羅場を潜り抜けてきた忍者の末裔のスキルだ。だが然し、二葉は太陽から逃げる事はない。何はともかく、見た目が何処までも平凡なのだ。どう見ても殺傷能力は0だ。逃げる必要が何処にある。

「俺、やだって言ったよね?」
「…は?」
「こっち、やだって。言ったよね?何で素直に可愛く頷いてくれなかったの?やっぱり俺の言う事なんて聞きたくないんだね。だって俺は、王様じゃないから」

素直な心境をたまにはぶっちゃけても良いだろうか。
叶二葉にとって帝王院神威はそれなりに恐ろしい人間ではあるが、比較しろと言われた場合、最早比べるべくもない。

「あー、もう、痒い。…面倒臭いなー、俺の表側が傷ついてる

何故こんな人間と二人きりになる様な所へ来てしまったのか、過去に何度も後悔した癖に何度も繰り返しているのだから、答えは判り切っている。











(とおりゃんせ)
 (とおりゃんせ)



「光が、落ちた」
「ああ」
「世界が闇に包まれてしまう」
「元に戻るだけだ」
「寂しい」
「どうしてそう思う。お前に心などある筈がないのに」
「…でも、寂しい」
「感化されたのか。透明なお前に何かが混ざりつつある」
「俺はただの波。漂っては全てを始まりから終焉へ流し続けるだけの、舟守」
「濁った黒は最早黒ではない。落ちた光を新たに灯そう」
「けれどそれは、別の光だ」
「同じ光だ」
「地に落ちた光を人は『日向』と呼ぶらしい」
「新しい光は何と呼ぶ?」
「同じ事だ。再び太陽と呼ばれるだろう」

「羽根が落ちた」
「飛ばぬ竜はただの蛇」
「鳥の様に自由だった時の針は、最早正確な時を刻めない」
「我らに対する冒涜の爪痕を残した。虚から離脱した獣はただの地を這う犬」
「可哀想に…」
「ならば新たな羽根を広げれば良い。容易く落ちた竜には翼がなかった。人の言う翼とは、対を成しているそうだ」
「それは別の命だ」
「1が2に変わった所で、無知な人間は気づかない」
「俺は、元に戻したいんだ」
「ならば還ろう。全てが始まる寸前へ」


「それは、虚無だろう?」



「空虚では空間と時限が圧縮されている。別れた我らが再び戻る場所だ」





(いきはよいよい)
 (かえりは…)






「…」
「納得出来ないか。だが落ちた光は容易く闇に同化する。入れ換えろ」
「反転しろ、と?」
「壊れた時の流れを正しく廻す為に」
「高坂日向の烙印を山田太陽、へ」
「嵯峨崎佑壱の業を叶二葉へ」
「…親の業を子が負えるのか」
「所詮、永遠ではない命の時間は短い。ほんの僅かだ」
「けれど」
「我らは塔。0から0へ繋ぐ、世界の全て。始まりにして終わりの虚無」
「虚しいんだ」
「それはお前が虚だからだ」
「虚しくないのか」
「無である私にその様な愚かな感情はない」

「…」

「穢れを寄越せ。お前に宿る黒も白も私が無へ還そう。お前はただ、漂っているだけ。私の元から解き放たれる有形の全てに、有限を与えるABSOLUTELY RULE」
「俺は」
「夢でも見ているのか。まるで人の様に」
「…俺は、助けたかった」
「お前の感情に当てられ愛を覚えた光は、落ちて濁ったぞ。まるでお前の様に」
「…」
「光は醜い蛇として、無垢なる子供を禁忌で汚した。あの穢れを払えるのは無へ還す事の出来る私だけだ」
「…神よ」
「何だ、神よ」
「貴方に俺の形なき心に宿る感情の一欠片も理解出来ない事が、悲しい」
「私に理解出来ないものはない。全てがいずれ無へ還る、ほんの僅かな退屈凌ぎだ」












桜がヒラヒラと。
舞い踊る春を初めて目にした日、貴方が産まれた日を知りました。



既に歩いている子供を抱き上げて、懐かしげに眼差しを細めた男が言ったのです。






「俊」
「何用だ父。俺は自分で歩けるぞ」
「ほら、ごらん。桜が綺麗だろう」
「食べてみない事には答えられない」
「何でもまず食べてみようとするのはやめなさい」

絶えず落ちてくる花弁が、再び元へ戻る事はなかった。
落ちてくるものはその一瞬の儚さを人の目に焼き付け、軈て大地へとひっそり還っていくばかり。

「お母さんを守れる、強い男になれ」
「武士か」
「そんな様なものだな。父さんには出来なかった事だから、お前にも難しいかも知れないが」
「俺には判らない事が多すぎるが、やってもいない事を出来ないと決めつけられるのは心外だ」
「負けず嫌いだな。くっく、俺に似たのかも知れない」

何が楽しいのか、ぷにぷにと頬をつつかれた。
やめろと手を払ってみたが、圧倒的に大きさが違う父親の指には敵わない。この恨みは末代まで忘れないだろう。

「俺は将軍になればイイのか」
「将軍にはならなくて良い。ただ、圧倒的な暴力に晒されて何も出来ない弱い男には、なって欲しくないんだ」
「そうか」
「なれるか?」
「俺に出来ない事は一人で風呂に入る事だけだ。何故ならば、湯船の底に足がつかない」
「身長が伸びたら出来る様になるさ」
「あんよも伸びるのか」
「うん?…うむ、多分伸びると思うぞ」
「父は信用ならん。ホスト顔は詐欺師に多いと昼ドラで見た。父の顔はホスト顔と言うものだろう」
「俊、お前は俺にそっくりだぞ?目元はまぁ、ママに似てるけれど」
「絶望した。俺は将来詐欺師になるのか」

春は命の鼓動が目覚める季節だと言う。
春に産まれた命はどれも穏やかで、幸せそうだ。

「どう言う思考回路をしてるんだお前は、すぐに後ろ向きな考えに浸るのはやめなさい」
「制約が多すぎる。その他大勢に合わせるのは、難しい」
「合わせなきゃ良い。確かに、自分より劣る人間に足並みを合わせるのは精神的に疲れるな」
「父は人として残念な男なのか?」
「息子よ、お前は本当にまだ0歳なのか?」
「遠野俊0歳、好きな離乳食は茹でたササミを解した味がしない蒸し鶏だ」
「遠野秀隆20歳、息子が立派に育ってくれて嬉しいよ」
「そうか」
「8割方皮肉だぞ」
「そうか」
「皮肉が通じないか。まだまだお子様だな」
「息子の離乳食を一口頂戴とぶん取っていく様な女に高額な生命保険を掛けられて孤独死する事が確定的な男が、赤ちゃんを苛めて喜ぶとは片腹痛い」
「俊」
「はい」
「返事だけは宜しい。お前は父ちゃんを苛めて楽しいのか?」
「腹が減っている。いつまで俺を抱くつもりだ、慰謝料取るぞ」
「俊」
「はい」
「昼ドラ禁止」
「えっ?」

ご飯よ、と言う声でみっともない父子の喧嘩は終わりを迎える。
いよいよ合理的な家事を極めたのか、大鍋で茹でただけの鶏ガラを卓袱台に乗せた笑顔の女は、如何に鶏ガラが安かったか数分語り聞かせてくれたのだ。

「流石はシエ、主婦の鑑だ」
「卵も安かったから一緒に茹でちゃったのょ〜。最近の子は卵アレルギーとかヒエラルキーとかで格差が広がってるそうだけど、」
「む。何とした事だ、うまい。味がする。何だこれは、味がするぞ!」
「塩ゆでだからそれは塩味だぞ、俊」
「この子は大丈夫みたいね〜。あーた、卵は殻を剥いて食べるのょ?殻のまんまごりごりしたらめーょ、何でもう歯が生え揃ってんの?」
「離乳食を良く噛んで食べてたら生えた」
「流石は俺の息子、そろそろ5歳でも通用するな。良し、習い事をさせるか」
「あらん?でもパパ、ご近所さんにバレたら大変ょ?」
「ちょっと遠い所に通えばバレやしないさ」
「む。何かが喉に刺さった」
「「鳥骨は食べたら駄目!」」
「俺はテレビで見たから知っている。コーラを飲めば取れるんだ」
「赤ちゃんは炭酸は飲めません!」
「病院病院っ」
「ぷはん、ゲフ!…ん?取れた」

春はきらびやかだ。
けれど世界に溢れる幸せな光景は全て、他人事だった。

「はァ。この子を見てたら、世の母親の悩みが嘘みたいよねィ…」
「強い子に育ってくれて何よりじゃないか、ママ」

視界と言うスクリーンに映る、映画の様なものだ。

























「あ、判っちゃった」

場の空気に全くそぐわないまったりとした声音が、一年Sクラス2番神崎隼人から放たれた。
若干苛立ち混じりに眉を跳ねた錦織要が口を開く前に、ふよふよと波打っている寝起きの髪を指にくるくると巻きつけながら、真顔でも笑っている様に見える顔に満面の笑みを浮かべる。

「アレクセイ=ヴィーゼンバーグ。帰化したから、最後は叶アレックスだよねえ?」
「おや、大正解だよ一年Sクラス神崎隼人君」
「叶冬臣と叶文仁と、ついでに叶二葉のオトーサン」
「うん、全部当たり。訂正するとしたら、叶貴葉のお父さんでもあるんですよ」
「あは。死んだ人が生きてても何にも可笑しい事じゃないってさあ、最近知ったんだよねえ。でもさあ、流石に性別と年齢が合わないのはビミョー?」
「ビミョー?」
「アンタさあ、昨日ボスの真似してなかった?確か、打ち合わせの時だっけ」
「え?」
「まあまあ似てたんだけどお、ペンダントが違ったんだよねえ。ボスがつけてるドックタグってば、純白金製なのー」

原子番号78番、プラチナ。
笑顔で吐き捨てた隼人の愉快げな顔が、目を丸めている要を通り過ぎた。

「そのおじーちゃん、ボスの身内だよねえ?遠野総合病院院長だったら遠野直江先生のお父さん辺り。でも遠野龍一郎にしてはちょっと歳が行き過ぎてる」
「何で断言出来るんですか、ハヤト」
「神崎龍人と同じ2月29日生まれだからだよお?生きてたにしろ死んでるにしろ、今年で79歳だもん」
「あ」
「予想じゃデリシャスボスの曾祖父ちゃんかなー。どうしよっか、今はボスもサブボスも居ないから、カナメちゃんが決めて」
「…俺が?」
「四重奏のリーダーでしょ?」

にたり。
明らかに状況を楽しんでいる隼人の目が、この場で唯一眼鏡を掛けている男へと向けられた。

「ボスの身内に突っ掛かってたそっちのおじさんは、何か後ろ暗いもん持ってそうだよねえ。と言う訳で日頃何の役にも立ってない、そこの担任」
「はへ?な、役に立ってへん事はないやろ?」
「全然役に立ってないよ?だって、アンタ居なくても隼人君はお勉強困りませんしい」
「確かにそうやろうけどなぁ、お前さんがサボりまくって職員会議でごっつー睨まれてるの、毎度Sクラス担当教師陣で庇ってやってんねんで?!堂々とサボりたいなら帝君だけじゃあかんねん、自治会とか中央委員会とやないと!」
「最近は真面目に出席してあげてんじゃん、帝君じゃなくなっちゃったしさあ。ボスが居るのに仕事するとか有り得ないしい。お陰様でアンタの点数は上がるんじゃない?」
「そう言うメタ話は堪忍してくれません?」
「隼人君はねえ、暴れまくって手がつけられなかったママを一人で懲罰棟にぶち込んだセンセーにい、ちょっとだけ尊敬しなかった事もないんだよお?」

一年Sクラス担当が把握する、現在31名の生徒の中で断トツに扱い難いのはダブル帝君の俊と神威だが、恐らく席順は伊達ではない。隼人も確実にその二人に並ぶほど面倒臭い生徒だからだ。

「たださあ、幾ら東雲財閥の後継者だからって、あの時ちょっとやり過ぎだったよねえ?こないだボスが暴れ回った時には手助けしてくれなかった癖に、ユウさんには腹蹴り入れたり髪引っ張ったりしてたの見ちゃってさあ。あ、勿論後からだよ?セキュリティカメラの映像をねえ、ほんのちょこっと拝借したって感じでえ」
「…何がほんのちょこっとやねん。犯罪やで、それ」
「あのねえ、金目のものには無意識でも目がないっぽいカナメちゃんが握ってるの見たんだけどお、うちの極々平凡な方のサブボスがさあ、理事長に認められちゃったとかでえ、一年生なのに就活成功したの知ってるー?」

隼人の台詞で、そう言えば握った形だった己の右手へ目を落とした要は、何故か蛇の脱け殻だと信じて手を開いた。蛇の脱け殻など拾った覚えもないが、何故そう思ったのかは定かではない。

「は?何ですかこの鉄屑は…」
「それ、サブボスから押しつけられた奴。ポッケに入れてた筈なんだけどさあ、カナメちゃんがスったんじゃないなら、落としたっぽい」
「こんなゴミをスるか!お前は俺を何だと思っているんですか!」
「あー!」

何とも言えないムードの中、保健室から川南北斗と東條清志郎が運び出してきたAEDだのストレッチャーだので処置されている年寄りを横目に、遠くから響いてきた声に振り返る。
何だと目元を眇めた人見知り気味の要の傍ら、哀れ一年Sクラスが芸能界にまで誇る足長モデル(メタボ疑惑あり)の表情が崩れたのだ。

「隼人君だぁあああ!うわぁ、大きくなっちゃって、僕よりずっと大きいじゃんか隼人くーーーん!」
「タ、タタ、タケ、タケちゃん市長…?!デブった?!じゃない、こんな所で何やってんの?!つーか担いでるの、誰?!」
「外人さんが急に目の前で倒れてきたんだよぉ!ずっと喋り掛けてるんだけど彼じゃなくてスマホが返事するんだ、もう僕怖くって怖くって、こんなに怖いのはルナPが爆発した時以来だ!斎藤さんと榊さんが居なかったら僕はもう、ブラックムーンに呑まれてかも知れない!」
「わ、わか、判ったから、ちょいちょいセーラームーン挟むのやめて?!つーか待って、後ろにいるのって…」
「…榊?そっちは確か、梅森より使えないバイトの斎藤だか武蔵野だかでしたね」

ぼろぼろの小太り気味な男が、ぐったりしている金髪の男に肩を貸したまま殆ど泣きながら近づいてくる。ぽてぽてと走り寄っていく安部河桜の小走りの遅さはともかく、要と隼人の会話は噛み合っていない。

「ゲゲッ、本物のハヤトだ…!どうしよう榊、芸能人だぞ榊ぃ!」
「…判ったから騒ぐな。ンな事より、俺の背後に張り付いてる人を何とかしてくれ」
「何とかって、どうやって?!何か…うん、噛みつかれそうだよ?!俺はこう言う人達に免疫ないの!生まれたての子羊みたいな男なの!」
「ファーザーの自称師匠がそんな情けない弱音を吐くな、頑張れ」
『皆様お待たせ致しました、Osiriの電源が切れます。ほたーるの、ひかーり♪』
「ああっ!夜刀殿、可笑しいと思ったら唐揚げを噛まずに丸飲みしましたね?そりゃ胸が苦しくなるのも無理はありませんねぇ」

カオスだと。一年Sクラス2番と3番は、揃ってその美貌に憂いを帯びる。

「ハヤト、後はお前に任せます」
「隼人君はノーと言えるワンコだよ?」
「脳をかち割られたいのか?」
「脳?!」

ゲフ!っと派手なゲップと共に年寄りが吐いた唐揚げが、一年Sクラス担任の顔面を直撃した。




























遠くから誰かの声が聞こえた様な気がする。
実際は凍えるかの如く静かで、まるで無人の雪山に放り出されたかの様だ。

「廻ってる。いつだって時計の針は止まらない」

こんな光景をつい最近、ほんの極直近で見た様な気がする。
氷の世界。何処かで。凍えた道化師を見なかったか?(例えば現実ではない何処か)(或いは夢の中)(そんな記憶はない)(夢とは泡沫に消える儚い記憶だ)(目覚めた瞬間に虚無へと淘汰されていく)(淡い星の光の如く)

「…針?」
「あー、もー、痒いなー。あっち、うなじが痒いんですよ」

山田太陽は死んだ魚に負けない負のオーラを滲ませた目を、丸く丸く弧を描く様に細める。担任が悲劇に見舞われている事など勿論、知りはしない。

「…頭ん中でも死人が喚いてるってのに、いい加減にして欲しいんですよねー」

恐怖と言うものは、姿もなく襲い来るものだと、叶二葉は改めて知った。
全ての物理的痛みを喪失して尚、心に根づく形なき痛みからは決して逃れられない事を、あらゆる方程式を解き明かしてきた筈の男は、思い知っているのだ。

「何だっけ、特別機動部だっけ?俺は組織内調査部って奴らしいんですよ、名札みたいなの貰ったんです。左席みたいなもんだって言われましたけど、知ってますか?」
「勿論、存じ上げています」
「先輩は使えない奴らの寄せ集めの十口なんだって」
「ええ」
「俺のパーティーに使えないキャラは居ないんですよ。だって、勇者だけ強かったら仲間が全滅したって関係ないでしょ?」

胸元から鈍色に煌めく鉄の塊を取り出した男は、笑顔で『此処からなら当たる』と呟いた。

「宮様と俺の学校で勝手な真似されたら困るんだよねー、外人共にさー。日本は俺が生まれ育った俺の国なんだ、だって国旗が現してるじゃんか」

例えば一介の平凡な少年の手にあるそれが、人の命を奪う拳銃だったら。

「山田太陽は人を傷つけたりしないんだ。笑いながら生きていかなきゃいけないって、宮様に命じられてる」
「その宮様と言うのは、猊下の事ですね?」
「それは山田太陽の事だろ?ね、ネイちゃん。お前さんは俺の事が好きなの?」

その言葉に答えられない唇は今、持ち主の意に反して何を考えているのか。

「それとも、地面から這い出てきた雄蝉が鳴かなきゃいけないって思い込んでるみたいに、好きだって思い込んでるだけなのかい?」

唇に意志が宿る筈もないのに、何故。

「俺は蝉でも鳥でもない。訳も判らず鳴くだけなんて、真っ平だ」
「そう、ですか」
「目障りなら消すんだ。初めから死ぬ為に生きてるのにお前さんが責めるから、母親を恨めなくなる」
「山田太陽君、君は何を言ってるんですか?」
「命には炎が灯ってるんだ。母から与えられた灯火には絶望が宿った。父から与えられた光に闇が混ざった。俺らは灰色だ。だけど神様はどっち付かずを許さない。白か黒、どっちかじゃなきゃ駄目なんだ」
「…神様」
「お前さんが土の中から出てこないから俺は、黒を選んだんだよ。清らかな悪は善と見分けがつかないんだ。だから、」

目の前にはいつも。
我ながら呆れるほど殆ど毎日見てきた、いつもと同じ顔がある。ささやかな違いがあるとすればそれは、世界を斜に構えて眺めていた空虚な瞳が今、輝いている様に見える事だろうか。

「あっちに何か危険なものがない、見てきて貰えませんか?」
「それが本題、ですか?」
「えへへ。だって俺より二葉先輩の方が絶対強いですしー」
「…判りました。何もないとは思いますが、私が戻るまで此処を動かないで下さいねぇ?」
「はいよー」

いつもの揶揄いじみた太陽の笑みに、張り詰めていた息を吐いた二葉は頷く。
野生の獣の如く、足音もなく駆けていく背中を笑顔で見送りながら、



「冥府揺るがす威光って奴を逆に揺るがしてやろっかなーって、…思ったり?」

ぽりぽりとうなじを書いた男は、反対方向へ踵を返したのだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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