帝王院高等学校
めでたい時にもそうでない時にも笑顔で!
「今年の煩悩が消えるぞ、おめでとう」

白いジャケットに同じ白のスラックス、ワインレッドの生地に黒いストライプが入ったサテンのシャツはボタンが幾つか外れている。

半ば無理矢理カルマへ入隊する事になった神崎隼人14歳は、嵯峨崎佑壱が一から手作りしたと宣うおせち料理の栗きんとんをつまみ食いして派手に殴られたばかりだが、どうにか甘ったるい匂いのする伊達巻きをつまみ食いしてやろうと、サーモンと海老のテリーヌをつまみ食いしようとしてバレた高野健吾が袋詰めにされている光景を横目に、豪華すぎるチラシ寿司を作っている佑壱の一挙手一投足へ神経を研ぎ澄ませていたのだ。

「総長…?!」

だと言うのに、大晦日の夜も更けた零時前。
きらびやかなおせちとチラシ寿司をお預けにされた成長期の犬共の夜食は、突如として『今年は俺が年越しをさせる』などと宣った錦織要の無駄なやる気の所為で、昼から豪腕を奮った要手作りの蕎麦だったのだ。

結果的に出来上がったのは、美味くも不味くもない、極普通のお蕎麦である。逆にこれを作る方が難しいのではないかと誰もが思った。せめてもの救いは、作った蕎麦の生地をきしめんより太く切った要に呆れた佑壱が、手早く細切りにしてくれた所か。喉越しは悪くないが、市販の麺の方がうまい、などと真顔で呟いた藤倉裕也に要以外の誰もが同意したと思われる。
何せ朝から休まずに動いていると言う佑壱に至っては、そもそも味見もしていない。食べるより作る方が好きだと自称するだけに、悪気はないのだろうが、佑壱が食べない理由を勘繰ってしまうのも無理はないだろう。

どちらかと言えばうどんが良かった隼人にしても、甘く似た油揚げでは脂質が足りないと嘆く健吾にしても、隙あらばおせちを食べてやると言う欲望が抑えられない。痛すぎるボスワンコの拳骨一発くらいでは、成長期の餓えは満たされないのだ。
2日前に仕事納めを果たした商店街のスケジュールに合わせ、カフェもまた年末の休みに入っているが、昨日から大掃除要員として集められたメンバーはバイト代同然のご馳走を心待ちにしている。

Sクラスに年末などないも同然だが、今更慌てる必要のない首席の隼人と佑壱を除いても、要も健吾も裕也も要領は良い方だ。自由カリキュラム制のSクラス単位は、高等部に比べて中等部はずっと緩い。昨日から授業をサボっているらしい要達は大掃除後に買い出しへ繰り出すなど、師走最後の慌ただしさに見舞われていたそうだ。
12月だと言うのに既に春物ウェアの撮影が予定されていた隼人は、一昨日からロケ先に出掛けていた。大晦日の朝はゆったりホテルで目覚め、年明け発売の雑誌インタビューをこなして昼過ぎにカフェへ足を運んだ。他のメンバーからは随分やっかまれたものだが、撮影時の衣装や小物を幾つか買い取って来たものと、隼人が着なくなった服などを適当に積めて持ってきた箱を叩きつけるなり、ころっと掌を返したのである。メンバーの大半が家族と折り合いの悪い不良少年ばかりだからか、単にセンスがないからか、モデルの私物と言うだけで食いつきが良い。

単純なメンバーらはともかく、そんなものには見向きもしない要、健吾、裕也にはそれぞれ個別に「土産くれ」と言う名のカツアゲを受けた。何でお前らにと思わなくもないが、無視すればもっと面倒臭い事になるのはこの数ヶ月で学んでいる。
ファンからの差し入れと言う名の「何が入っているか判らない」菓子類を投げておけば、少なくともそれ以上の追求は免れた。入隊後間もなく誕生日を迎えた隼人にそれなりのプレゼントをくれた礼も込めて、と言う理由は後付けだ。要のプレゼントなど殆ど「要らないもの」を押しつけたに過ぎないからだ。

「今夜の天気予報は晴れ時々薔薇、所により腹が減ってる俺だ」
「…あは。隼人くんもお腹ぺこりーな感じだけどさあ。その格好、何?」

土産はせびられ、栗きんとんの栗一粒で殴られ、伊達巻きを凝視する度に『次はねぇぞ』と呟く赤毛の恐ろしい事、恐ろしい事。あの男には全身に目がついているのではないかと疑いたくなるが、佑壱の恐ろしさを知っているカルマの誰もがつまみ食いなどしない。殴られても殴られてもめげない隼人と健吾が馬鹿なのだ。

「ん?何か変か?」
「コーディネートが凶悪だって事は置いといて、そっちの人みたいだよお?」
「どっちだ?む。何だこの昆布巻きは、うまい」

そんな大晦日の夜も更けて、やっとやって来た主役ならぬカルマの総長と言えば、無駄に大きな花束を抱え、まるでホストかヤクザの様な派手な出で立ちにいつものサングラス。いつもは無造作な銀髪も、今夜は何故かビシッとオールバックだ。マフィアのゴッドファーザーと言われても頷ける。

「む。おたまが飛んできた」
「総長…っ」

そんな堅気ではない雰囲気を醸し出しまくった男は、真っ赤な顔で震えている要の頭を撫でると躊躇いなくおせちへ手を伸ばし、ヒョイパクッもぐもぐと一口で昆布巻きを頬張った。流石に総長に対して「つまみ食い禁止!」と口にする者はないが、豪華すぎるチラシ寿司を完成させたばかりの店主だけは、無意識で突っ込んだ様だ。
目にも止まらない早さで飛んできたおたまを、条件反射で掴もうとした要の手が届くより早く、花束を抱えている右手ではなくつまみ食いした左手で見事にキャッチしたエセヤクザは、おたまを握ったまま親指を舐めると、花束を要に押しつける。

「おたまから雑煮の匂いがする。皆、去年の雑煮は大量の煮物だったな。今年はちゃんと餅が入ってるお吸い物になってるか、お母さんに聞いてくれないか」

決して厨房方面を見ない男は、浮気を疑われている朝帰りの父親の様な台詞を囁いた。

「ボス、遅刻だよお?年越し蕎麦もないよ?」
「前のバイト先の忘年会に呼ばれたから遅くなった。何度か連絡を入れようとしたんだが、ピエールさんを沢山飲んだらお年玉を沢山くれると言われて、大人げなく本気になってしまったんだ」

何故だろう。
おたまを優雅に振りながらサングラスを外した男から、恐ろしい程のフェロモンが零れまくっている。至近距離で当てられた要は花束を抱いたまま、ストンと音もなく腰を抜かした。

「バイト先でお年玉貰ったわけ?気前がよいんだねえ」
「ああ。だから薔薇を108本買おうと思ったんだが、花屋の在庫がこれだけしかなかったんだ。50本には足りなかったが、皆に一本ずつあるぞ」
「あは。薔薇一本ずつってキザ過ぎるんですけどお。つーかこれ、高かったんじゃない?」
「要も似合うが、お前も薔薇が似合うな。流石は俺の可愛いワンコだ、今年も宜しく」
「ボス、まだ大晦日だよお?今年はもう何分か残ってるんだよねえ」
「そうか。だったら残り僅かな今を、心行くまで噛み締めて過ごしたい」

要が抱えている花束から一本抜き取った男が、微笑みながらチュッと花弁へ口づける。そのまま隼人の髪にプスッと差すと、満足げに頷いた。美男美女だけなら見慣れている隼人ですら、若干引く程に。

「コーラZEROの喉越しにはイマイチ敵わなかったが、ピエールさんが作ったジュースも中々シュワシュワだった」
「ピエールってもしかして、修道士だったりするー?」
「お前も知ってるのか隼人、ピエールさんはペリニヨンと言うジュースを作ったんだ。有名人なんだな」

それはジュースではなく、ドンペリではないか。
何名が隼人と同じ事に気づいたのか知れないが、蕩けている漆黒の眼差しで隼人へ微笑み掛けた男は、乙女座りしている要の前で片膝をつくと、両腕を広げたのだ。

「おいでお姫様、君に地面は似合わない。俺の腕で羽根を休めてくれないか?」
「きゃー!」

叫んだのは要でも隼人でもない、見ていた他のメンバーが一斉に・だ。
目の前で弾けるシーザースマイルを浴びた要は真顔のまま、かかかっと顔を赤らめると、赤くなり過ぎた所為かたらりと鼻血まで垂らし、凍りついたまま倒れた。慌てて駆け寄った健吾が真顔で「い、息が………あるっしょ!」と宣ったので、哀れ動かない要はエセ王子様の腕の中でお姫様抱っこだ。

「軽い。軽過ぎるぞカナタ、俺に甲斐性がないからこんなに痩せてしまったんだな。だが心配するな、此処に来る前に俺はホームレスのおじさんにお年玉をねだっているやんちゃな高校生を6人ほど裸で土下座させて、花束を買ったおつりをおじさんの目の前に落としてきた」
「総長?!(;´Д⊂) 助けたまでは良かったけど、オチが良くないべ?!」
「お年玉を落としてきたって、良いのかよ。つーか幾ら落として来たのか気になりまくるぜ」
「この世にはお金より大切なものがきっと、…ある」

元々大人しい喋り方をする男だが、今夜は吐息混じりで無駄にエロい。
隙あらばおせちをつまみ食いするつもりだった誰もが、戸口のエセマフィアに釘付けだ。アダルトビデオの俳優にも此処まで色気が迸っている男は居ないだろう。

「例えば、…何だろう?」

だが然し、エロメーターと言うものがあるなら明らかにMAXだと思われるシーザーの頭は、どうにも使い物にならないレベルに陥っている様だ。店に貼られているポスターの自分に向かって「お前はどう思う、俺?」と囁く銀髪が小首を傾げると、オールバックに固められたウィッグがずるりとズレた。

「何でお前は皆と比べて、足が短いんだ?俺には判らない事が多すぎる。絶望した」

今にもポスターに口づけんばかりに囁いた男のフェロモンに当てられ、要の顔色が怪しい。止まらない鼻血がポタポタとシャツに滴っているが、ホストかヤクザしか着ないだろう派手なシャツには殆どダメージがない様だった。然しジャケットにつけば、流石に大惨事だ。

「良し、首を吊ろう」
「総長!カナメだけズルいっしょ、俺も優しく抱っこして!(//∀//)」

ティッシュを適当に抜き取った健吾は要の鼻にそれを押し当てると、煩悩が迸るままに自殺しそうな男へと飛びついた。シーザーが短足なのではなく犬共の足が長過ぎるだけなのだと、ファンからも時折囁かれている様だが、カルマの中では禁句だ。股下の長さなどヤンキー界では何の誉れでもないのである。多分。

「…ん?良し来い健吾、優しく抱けるかどうかは約束出来ないが」
「うひゃ、近くで見るとエロ死にそっ!(//∀//) 総長、酷くするならキスしなきゃ駄目なんぞぇ?ベロが凄いやつ!」
「はは。そんな真似したら、お前に俺の子供が出来るぞ…?」

動かない要を片腕で抱いたまま、健吾をもう片腕で抱き上げた男は微笑みを浮かべ、こつりと額を当てて囁いた。目の前で白と黒のコントラストがはっきりしている眼球を見た健吾は、冗談じみた笑みを浮かべたまま要と同じく固まり、額から徐々に赤く染まっていく。

「ユ、ユーヤ…!俺お母さんになっちまう?!ケンコちゃんが産まれちまうのかよ?!ヒッヒッフー(ºωº)」
「落ち着けやケンゴ、今のシーンを見たオレのが先に妊娠したぜ?ひろ子が先に産まれるかもな」
「アーッ!俺も竹林君似の赤ちゃん産まれそうだよ〜」
「やだ〜、まつこ出産が早すぎ〜」
「おたけ、ヒッヒッフーって何だっけ?ハンムラビ法だっけ?」
「「目には目を!出産にはご祝儀を!」」
「産まれましておめでとうございます〜」
「落ち着くのはオメーら全員だ馬鹿野郎!」

SNSでシーザー目撃情報を調べていた隼人の突っ込みより先に、とうとう厨房から飛び出てきたオカンの怒号が響き渡る。要と健吾を抱いたまま、チャラ三匹を背中に張り付けた男はどうにかして裕也を抱こうとにじり寄っていたが、抜群の腹式呼吸で腹筋の鋭さを教えてきた佑壱に目を向け、困った笑みだ。それすら無駄にエロい。

「産まれたのか、イチ」
「産みましたよそりゃ正統派のおせちと米3升の寿司を。そいつら下ろして水飲んで下さい総長、アンタ酔ってんでしょうが」
「イチ、どうして可笑しな事を言うんだ。お酒なんか飲んでないのに酔う訳がないだろう?」

動かない要と涙目の健吾をボックス席に下ろした男は、白いジャケットを脱ぐとフェロモンに耐えている隼人の腕へ押しつけ、凄まじい表情でグラスを持ってきた佑壱のポニーテールへ手を伸ばした。

「ゴンゴン聴こえるが、俺の腹の音かも知れない」
「ただの除夜の鐘っス」
「何だと?お前の可愛さに締め付けられる俺の胸の鼓動だったらどう責任を取るつもりだ仔猫ちゃん」
「総長、その台詞さっきまで誰に言ってたんスか?」

壮絶に恐ろしい笑みを浮かべた赤毛が、なけなしの眉を潜める。
その恐ろしい笑みに怯えたワンコの大半が背を正したが、ヤクザすら近づいてこない佑壱の冷笑など意に介さないある意味最近の『酔っ払い』はと言えば、すっと目を逸らした。

「初日の出を見に行こう」
「明日の朝、その辺で見りゃ良いでしょ。さっきから死ぬほど臭ぇっスよ、幾つもの香水が混ざってやがる」
「そんな事より、除夜の鐘が鳴った。あけましておめでとう俺の可愛いイチ、今年も俺の為に毎朝唐揚げを揚げてくれるか?」
「まだ23時58分っス。朝から唐揚げはヤバいでしょ流石に、BMIとか色々…」
「俺の腹がやばいかどうかは、触って確かめろ」

流石は副総長、目の前でも総長のフェロモンに瞬殺される様な事はない。が、ガツッと手首を捕まれ、赤と黒の艶やかなシャツ越しに締まった腹部を強制的に撫でる羽目に陥った赤毛は、誰の目に見ても明らかに鼻の下が伸びたのだ。

「どうだ」
「どどどう?!」
「…サブボス、だっさ」
「何かほざきやがったか隼人」
「俺の内臓脂肪は除夜の鐘と共にリセットされるだろう」
「いや、されねーっス。…危ねぇ、何か判らん内に騙されちまう所だった。助かったぜ隼人」
「プリン2個、ねえ?」

総長のセクハラでこれ以上被害者を増やさない為にも、佑壱の手から奪ったグラスを隼人は問答無用でフェロモンの塊へと押しつけた。
唇に触れた食べられるものは躊躇わず食す男は、ぐびぐびと大人しく水を飲み干すと、無駄にエロい息を吐くなり、濡れた唇を拭う。逐一エロい。誰が見ても妊娠するレベルだ。

「ボス」
「何だ?」
「夜遊びは程々に」
「ん?」
「本当に妊娠させたら大変だからさあ、気をつけてよねえ」
「判った、だったら俺が産もう」

満々の笑みで宣った男に、隼人も微笑み返した。

「これ完璧に酔ってるねえ」
「だから言ったろうが。総長に呑ませた奴見つけたらぶっ殺す。つーか年明け早々にぶちのめす」
「心当たりあんの?」
「総長が俺に連絡する暇もなくてあからさまに目を逸らす所を見るに、死ぬほどムカつく顔が思い当たらん事もねぇ」
「ふーん?」
「総長」

おせちへ手を伸ばそうとしていた男の背に、赤毛はうっとりする様な笑みを浮かべた。同時に除夜の鐘の最後の一つが鳴り響く。

「あけましたよ。…何もめでたくねぇけどな」

彼の凶悪さを知っているワンコ達も見とれるほどイケメンスマイルだったが、ギギギと振り返った遠野俊の顔色だけが、濁った虹色だ。どどめ色とも言えるか。

「何処の仔猫ちゃん相手に王子の真似事してきたか知りませんけど、とりあえず録画しといた紅白を今から流すんで、それが終わるまで腕立て伏せして貰えますか」
「その前におせちを、」
「何処の馬の骨を抱いてきたか判らん様な手で喰わせられるもんなんて、生憎用意してねぇんですがねぇ…?それとも何処の馬の骨を抱いてきたか判らない腕を切り落として、鍋で煮て出汁でも取りましょうか。丁度、雑煮の準備もある」
「連絡入れなくてすみませんでした」
「腕立て」
「はい」
「右手人差し指だけで」
「…」
「返事」
「やります」

年明け早々、カルマはお雑煮を食べた。おせちには誰も手をつけない。
人差し指一本で紅白歌合戦上映中休まず腕立て伏せをした男は、それを眺めながら一足早くお雑煮を食べているワンコをほぼ号泣状態で眺めていたらしい。

「21499回でした!素晴らしいです総長!1秒に約2回ですよ!」
「はァ、はァ、そうか。…因みにカナタ、お前がこの三時間で食べた餅は4個だ」
「あっ、誰かが食い過ぎて総長の分の餅がないっしょ!(;´Д⊂)」
「この三時間で健吾が食べた餅の数は7個で、最多数だ…!表に出ろ健吾、今から俺は大人げなくお前に餅を食われた事をご近所さんに告げ口してくるんだからな!」
「総長!俺が打った蕎麦がまだ残っていたんです!ちょっと切り方を失敗してしまったんですが、お雑煮に入れてみました!どうぞ食べて下さい!」
「カナター!お前と言う天使は俺をどうする気だァアアアずるずるずる、ちゅるん、ゲフ!何とした事だ、うまい。噛まずに切れる皆無に等しい繊細過ぎる歯応え、椎茸と人参と鶏肉と三つ葉が絶妙なダンスを繰り広げる中、蕎麦の芳醇な香りがする様なしない様な…」

但し、シーザーの凄さは高速腕立て伏せだけではなかった。
余程腹が減っていたのか、誰が食べても美味しくはなかった要の手打ち蕎麦入り雑煮を誉めているのかそうでないのか怪しいながらも、

「お代わりィ!」

叫んだ男の腹の音が響いた為、流石に気の毒になったらしい佑壱はてんこ盛りに盛りつけた寿司と取り皿を手渡したのだ。

「今年も総長の早食いパネェっしょ(;´艸`)」
「21499だからじゃねーかよ?」
「うひゃ!兄ちゃん良く喰う?!(//∀//)」

新年早々佑壱の拳骨を喰らったのは、倉庫の冷蔵庫の奥に隠してあったおやつのプリンをペロッと食べた、カルマの総長だったと言う。
隼人は心のデスノートにこの日、初めてシーザーの名を刻んだ。

「総長、俺は蕎麦職人になります…!」
「む。だが、三が日はラーメンが食べたい気分になる」
「任せて下さい。俺はこう見えて香港で産まれたんです。と言っても2・3年しか暮らしてませんが、やれます!」

蕎麦打ちに目覚めた要は、1月2日に厨房を粉だらけにした事で佑壱の拳骨を食らい、美味くも不味くもないラーメンを産み出す事はなかった。要が諦めた生地が勿体ないと、手早くかりんとうに作り替えた某モデルは、カルマで唯一厨房使用許可が出たらしい。

それは単に『オカンのお手伝い要員』に任命されたも同然だと判明するのは、それから暫く後の事だった。




















「王」
 「天よ。何処へ逃げると言うのです」


恐ろしい女の声が近づいてくる。
空であり光である太陽の恩恵を受けて産まれた神の子たる自分は、いつまで呪われなければならないのか。

「来るな…!」
「天よ」
 「天の子イザナギ、緋の系譜の王よ。貴方の父たる光は堕落した」

「死んだ女がいつまで…!」
「私の母たる竜は絶望の果てに爪痕を空へ刻み込み、それは月へと生まれ変わったのです」
 「貴方は私達の子を殺したでしょう?」

「お前が俺を残して死ぬから悪いんだろう!」
「酷い人。決して許さない」
 「けれど、愛しているのです」


ああ。空が、暗い。
天照から産まれた我が身は何故、夜の帳に怯えているのか。



「あれが…母が神を憎んだ証、か」

何処までも続く黒のスクリーンに光る爪痕が見える。
竜たる母の姿に良く似た蛇に騙された人は、禁忌たる知恵をつけて愛を覚え、子を為してしまった。

「月とは、…何と美しい」

父よ。母よ。
貴方達の教えを守れず堕落した罪人を、見放されてしまったのだろうか。

愛を知ったからだ。失う悲しみに耐えられなかった。
世界を恨み、全てを消して死んでしまおうと思ったけれど、この身は未だに生きているのです。


「次の世では二度と誰も愛さないと誓う。…だから」
「天よ」
 「私の愛しい、唯一の命」


地の底から女の声がする。
太陽から産まれた我が身では決して足を踏み入れる事の出来ない、黄泉の国からだ。

「他の女に心移りした罪を呪うのは、今生だけに…」

大地を踏み締めねば歩けない人間は、この声から逃げる事など出来ないのだろう。
少なくとも、空へ帰れないのであれば。





















「かごめ、かごめ」

歌声が聞こえてきた。
露店を視覚で見つける前に嗅覚で見つけてしまう食い意地の張ったパートナーが、まるで子供の様に駆けていくのを横目に、産まれたばかりだろうと思われる小さな子供を抱いている女性の姿を探す。

「籠の中の鳥は…」

不思議な歌だ。
まさかこの国で聞く事になるとは思わなかった言葉は、この国では珍しくない黒髪の人が奏でているものだ。歌詞は判るが、音程の変化が目まぐるしかった。原曲を知らないので仮定の話として、恐らくあの黒髪の母親は余り歌が上手くはないのだろう。正直に言えば下手だ。素直に音痴だと思う。音楽には然程興味がない自分でさえ、眉を潜めて感心してしまう程には。

「ふぇーん」
「…あら?どうして起きてしまったのかしら、子守唄を歌っているのに可笑しいわね」
「うぎゃー!」
「あかりちゃん。何て雄々しい泣き声を出す子なの?もう少し淑女らしく泣かないと、殿方と間違われてしまうわよ」
「うわぁあん」
「お腹が空いたね。お乳をあげましょうね」

思わず目を逸らしたのは、長閑な午前中を体操して過ごしているお年寄りが多い街並みに埋もれた母親が、恥ずかしげもなく肌を晒したからだった。泣く赤子を宥める為だとはすぐに判ったが、だからと言って人目を憚らずに女性が肌を晒すなど、少なくとも故郷では有り得なかった事だ。

「おーい」
「ん?」
「見てみろよこれ、中身が入ってない饅頭の皮だと!」

何となくいたたまれない気持ちになりそうな所へ、何かを咥えながら走り寄ってきたパートナーが紙袋を差し出してきた。アメリカは既に春になりつつある時期だが、海を渡ったこの国はまだまだ、冬を残している。

「餡子が入ってない饅頭は芋饅頭くらいだと思ってたぞ!でもこれ、ふわっふわしてるんだ!握るとほかほかで、ふわふわなんだょ…!ファー」
「嬉しそうな所に水を差す様で心苦しい限りだが、鼻の頭が赤いぞ。動き難いのは判るが、ダッフルコートのトグルを外すのはやめておこうか」
「男がいちいちそんな真似してられっか!船の上より寒くないから良いんだよィ」
「オリオンとシリウスを連れてこなかったのは正解だった様だ。先月の雪の日に風邪を引いた事を忘れたのか?」
「馬鹿だって風邪くらい引くさ!レヴィこそこれ着た方が良いぞ、全体的に白いんだから見た目が寒々しいもんなァ。この外套だって、イギリスの海軍から買い取ったんだろ?」
「見た目が寒々しいとは酷い言い様だな。…彼の国の王宮は近頃資金難に喘いでいる様だが、自業自得と言うものふぁ」
「食え」

蒸したての温かい饅頭を口に押し当てられ、やれやれとばかりに唇を開いた。毒味係を連れてこいなどとは、流石に口が裂けても言えないだろう。万事に抜かりのない部下達が手を回してくれているからこそ、表面上は警護もなく散策している観光客に擬態していられるのだ。

「不思議な味がするパンだ。確かに柔らかい」
「饅頭の皮だからな」
「餡とは、オリオンが時々磨り潰している黒豆のペーストだろう?何故日本人はあんなものを好む?」
「待て、それは聞き捨てならんぞレヴィ。あれは餡子の名を騙る偽物だ。龍一郎は俺より確実に頭が良いのに、料理は下手だぞ。黒豆に対する冒涜だ」
「料理に関してはシリウスの方が上か」
「つーか、レイリーって何者ですかィ?何でたった一ヶ月早く中国に渡ったくらいで、もう中国語が喋れる様になってるんだ?これ買った露店のおっちゃんと長話してんだけどさ、何か良く判らんけど笑ってたぞ。アスレイ恐るべし」
「…アスレイ?ライオネル=レイには昨年度末に対外実働部長の役を与えている。この程度出来なくては務まらない、難しい職務だ」
「銀髪の癖に日本語喋ってる奴もいるもんなァ」
「ほう、褒めてくれるのか?」
「やっかんでるんだょ。んな事より、何で中国に来たんだっけ?」

賑わう町中の片隅に、同郷の女がいる事になど全く気づかない男の問い掛けに対し、着々と業績を上げている経済界の覇者は肩を竦めた。この話は何度かした筈だが、ただでさえ退屈な船旅での事だ。すっかり忘れているのかも知れない。

「本来、以前日本へ渡った時に足を運ぼうと思っていたんだ」
「以前って、俺に会った時の事か?」
「そうだ。大戦中から噂は届いていたんだがな」
「どんな?」
「この国に楊貴妃の再来がある、と」
「それ知ってるぞ。美人の事だろ?」
「ああ。噂では大層賢く、ソビエトとの境で東方独特の薬草を煎じ、薬売りをしているそうだ」
「薬売り?それって、レヴィの…」
「我がグレアムも元を正せば、薬剤師を営んでいた事は話しただろう。漢方には興味があった事もあるが、今回の最大の目的は友好提携だ」
「提携?」
「英国領の一つ、近頃九龍半島をねぐらにしている男の後継者として名が上がっている若者がいる」
「ヤクザもんみてぇなもんか。こいつァ気を引き締めとこ…」

獣の様な眼光で饅頭を貪る男の目はギラギラ輝いているが、心配なのは寧ろ相手の方だ。血の気が多い部下を持つ美貌は微笑み、落ちてきた雪を見上げた。下手な子守唄がまた、聞こえてくる。

「で、名前は判ってんの?」
「九龍を統率しているのは、江虎然と江李龍と言う男の兄弟だ。兄の虎然がリーダーだろうと予想される。最後の王朝の血縁者だった様だが、ヴィクトリアに支配されて間もなく、名を変え逃げ延びた事が判った。…彼らに私が近づけば、英国と言えど下手な真似は出来ないだろう」
「ビクトリアって聞いた事ある」
「魔女の名など、お前が覚える必要はない」
「じゃ、覚えない」

無邪気な笑みを前に目を丸めた男爵は、軈て零れんばかりの笑みを零した。

「偽名使ってるなら探すの大変だな」
「既にライオネル=レイが見つけてくれた」
「そりゃ、レイリーにボーナスやんねーと」
「成程、良いアイデアだ。帰国したら計らおう」

ひらひらと、白は絶えず落ちてくる。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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