帝王院高等学校
各地で魔女に刺されまくっていたそうです。
「夜刀殿、大丈夫ですか?まだ死ぬには早過ぎ…る事も、ないですかねぇ?」
「もう、なんやねんさっきから、縁起でもない!」

喚き散らす男が押す車椅子には、ぐったりと目を閉じている老人の姿がある。年齢の割りにしっかりした髪の毛は真っ白く、皺だらけの皮膚は幾ら化け物の様な年寄りとは言え、やはり何処か色合いが悪かった。

「そんで何やこの車椅子!二の腕の筋繊維がブチブチ切れよる、重過ぎや!」
「僕には軽いんですけどねぇ」
「つーかアンタ、いつの間に追い掛けて来たん?!さっきは知らんぷりしてたやろうが!」
「いやぁ、懐かしい方言を聞いて、居ても立っても居られなくなってねぇ。僕の場合ちゃんとスリープモードに入らないと、情報保護であっという間にメルトダウンしますけど」

彼らの先頭を走る男が次から次にセキュリティドアを解除してくれてる為に、必死の形相で車椅子を押している一年Sクラス担任の足は止まらないが、所詮は庶民への憧れが止まらない教師である。授業時間中は遠過ぎる職員室へは可能な限り戻らず、授業がなくても教室脇の本棚の前で漫画を読んでいる男だった。
以前からエセホスト疑惑が疑われていただけに、見た目は色気が匂い立つ男前だが、中身が残念だと言う事は衆知の事実である。某生徒からは親愛と絶望を込めてホストパーポーと呼ばれている様だが、それについてはそんなに頒布されてはいなかった。

「夜刀殿は次のお誕生日で108歳になるんですって。いやぁ、40代でポックリ逝ってしまった側としては、そろそろ『おいでませ天国、良い所』ってPRしておこうと思いましてねぇ」
「おまんは天国親善大使か!」
「おまん?下ネタは品性を疑われますよ?」
「下ネタやあるかい!何やねんアンタは!」
「僕ですか?故郷ではアーサーって呼ばれてましたけど」
「ああ、おつむだけ天国逝ってるんとちゃいます?!」
「天国は良い所ですよ、何せ僕の大切な人が僕と永遠に一緒に居られる所なんですもん」
「は?!」
「そこにはきっと、十口とかヴィーゼンバーグとか、そんな下らない柵なんて何にもないんでしょう。羨ましいな」

何処から見ても人間にしか見えない女の、けれど男の声で語られる言葉に眉を潜めた東雲村崎は然し、景色が保健室へと繋がる廊下に変わっている事に気づいて、目線を並走している女から前方へスライドさせた。
果たして、先導してくれた小林守矢が今正に保健室の扉へ手を掛ける瞬間を見た瞬間、事件は起こったのだ。


「喧嘩はぁ、やめなさぁい!!!」

ドッコン!
小林の手が滑らせようとしていたドアが吹き飛び、哀れ嵯峨崎財閥直属の秘書室長のすらりとした体躯は、急ブレーキを掛けた村崎の視界から消える。サファイアの瞳を綺麗に丸めている女もまた動きを止めており、小林を敷いたまま廊下に吹き飛んだドアの上には、折り重なる生徒が二人。

「あたた。ちょっ、俺ら二人を張り手で吹っ飛ばすとか、どんな魔法使ったわけえ?!」
「く、何で俺まで…っ」

そして、怒号を放った本人だろうと思われる、目尻を吊り上げ顔を真っ赤に染めた恰幅の良い生徒もまた、村崎にとっては完全に見覚えがあるものだ。

「言い訳はぁっ、聞きたくないょ!」
「違うんだってえ!ちょっと寝惚けちゃったって言うかあ、俺らにとってはこんくらい喧嘩の内に入んないっつーかさあ!」
「耳元で喚かないで下さいハヤト!」

明らかに憤っている安部河桜が出てきた保健室の中から、ピョコピョコと幾つもの顔が飛び出している。

「目が覚めたと思ったら、目の前に宰庄司の尻があった俺の身にもなって貰えますか!」
「それって隼人君が悪い訳じゃなくない?!こっちだって寝起き一番にムカつく顔見てイライラしてんだけどお?!」
「お前のイライラなんか知った事か!メディアに尻を振って稼いでる雌犬同然の分際で、気安く俺に触らないでくれますか!とっとと退け!」

卒業後に外部進学した村崎が就職を期に戻ってきた頃には完成していた、築年数の比較的新しい保健室は生徒数の多い普通科エリアの保健室に比べると狭い作りだが、進学科の生徒が身の安全を保証されている中央キャノンの保健室は、一階にある此処だけだ。
教室からだとエレベーターを降りて間もなく、正面玄関の昇降口からだと改札を抜けてエリア毎に振り分けられる通り道を抜けてすぐ、下駄箱がある無駄に広い三学年共同エントランスホールの外れにある。残念ながら部活棟がある中央キャノン北部からは、最も遠い位置にあると言えよう。

「先に退くのはそっちだろうが!貧乏人が気安くモデルの上に乗るのやめてくんない?!」
「『タケちゃん市長、助けてー』」
「いやあああ!!!何なの、何で夢の中の話を知ってんのお?!」
「喧嘩はぁあ、」
「喧しい!」

職員室へ休み時間の度に戻るのも億劫な村崎の前で、残念ながらSクラスの優等生とは思えない痴態を晒している神崎隼人、錦織要、加えて村崎が記憶する限り怒っている所など見た事もない安部河桜を筆頭に、ただ眺めているだけの数人に期待するだけ無駄だった。

「徹夜明けで荒れ気味のお肌を抱え、切ない男心にバックンバックンしてる心臓を宥めてるのに!少しは静かにせんか、愚か者共が!」

とは言え、今の今まで死にそうだと言わんばかりにぐったりしていた車椅子の上のその人が、鬼をも食い殺さんばかりの表情で怒鳴り声を上げたのだから、そう言えば小林は大丈夫なのかと心配する余裕があろう筈もない。

「えェい!こっちは近頃若干不整脈の気配があるお年寄りだと言うに、貴様ら若者はどいつもこいつも配慮を知らん!親の顔が見たいわァ!」
「はあ?え、このおじいちゃん誰?」
「ぽっと出の部外者が、偉そうに説教をしないで貰えますか?」
「ふん!そっちの垂れ目はまだ可愛いげがあるにしても、何だこの偉そうな吊り目は!目上に対する態度を知らんとは、これだからユトリは!」
「…は?そちらこそ知ったかぶって死語をいつまでも口にするなんて、身の程が知れると言うものです。ゆとり世代と言うのは俺らのずっと年上世代の事ですよ。俺ら世代は悟り世代と呼ばれているんです。少なくとも品のない昭和世代とは違って、若い頃から物事の分別はついています」

これはもう駄目だ。
あの嵯峨崎佑壱が、喧嘩で勝てない訳でもないのに逆らわない理由の一つに、悪口のバリエーションがヤバイと言うものがある。カルマの誰もが知っている、四重奏リーダーの最も恐ろしい所は、的確に精神を抉る言葉のナイフだ。

「親の顔が見たいと仰ってましたが、俺には血を分けた保護者は居ません。だからと言って人生を悲観している訳でもない。見ず知らずの他人から嘲笑われる謂われも勿論、ありません」
「はいはい、そうだねえ、カナメちゃんは偉い。そんで強い。頑張って来たもん、うんうん、でも女とお年寄りには優しくしとこ?ボスにバレたらさあ」
「馬鹿か、バレなければ良い。こんな小汚い年寄りが一人消えた所で、葬儀社が小金を儲けるだけですよ」

先天的に舌足らずな所がある隼人がどんなに頑張っても、アナウンサー顔負けに良く回る要の口には敵わない。無論、語彙は要の数倍だが圧倒的に力が強いので悪口のバリエーションを増やす必要性がなかった佑壱に至っても、口で敵わないから殴って黙らせる、と言うダサい真似はプライドが許さないだろうと思われた。
担任が額に手を当てて『あちゃー』のポーズを取っているのを視界の端に、何とか宥めようとしたが何ともならなかった元帝君は肩を竦める。わざわざ村崎がエスコートしている年寄りなのだから、下手したら東雲財閥の会長ではないかと一瞬疑ったが、隼人の記憶に東雲幸村の姿はあるのだ。明らかに別人だと判るほど、顔立ちが似ていない。

「ご老体、人に演説を聞かせる前に我が身を振り返ったら如何ですか?失礼ですが、俺の事をとやかく言えるほど、そちらも立派な方には見えませんけど」

そもそも最近60代を回ったばかりの東雲会長は、村崎に瓜二つと言うほど似ていた。確かに若い頃は男前だったと思われる車椅子の老人が、背後の村崎と似ているかと言えば、全く似ていない。
鋭すぎる要の言葉のナイフが、何故か関係ない隼人のハートに刺さった。今の台詞回しと鼻で笑う感じの全てが、叶二葉にそっくりだ。外見は似ていないが、中性的な顔立ちや体つきが益々白百合を思わせる。

「はァ?!」

当然、数十歳年下の高校生に鼻で笑われた年寄りは眉を吊り上げる。村崎ではないが、隼人も『あちゃー』な気分だ。飼い主にバレる以前に、礼儀に煩い母親からこっぴどく叱られる光景が簡単に思い浮かぶ。母親と言うにはゴツゴツした質感の、ワンコと呼ぶにはボスボスしい、ボスオカンに。
カルマ総員が怯える拳骨の痛さには定評があるが、寝起きで機嫌が悪かったらしい要の頭は恐らく、いつもより回っていないに違いない。それにしても悪口の攻撃力と、冷たさを帯びた美貌による嘲笑の威力は、見ていただけのモデルを傷つける程の殺傷力だ。

「アラレ、何だコイツは!龍一郎に張るほど可愛くないぞ、この糞餓鬼ァ?!」
「彼は一年Sクラス錦織要だそうですよ。アーカイブに記載していました。僕の息子とは浅からぬ因縁があるかも知れないって書いてますねぇ」
「知るかァ!…ん?何、一年Sクラスだと?」
「That's right.一年Sクラスです」

触れれば殺すとばかりに戦闘モードに切り替わった要が、車椅子の年寄りを前に勝ち誇った表情で顎を逸らしている。それを見上げ、呆れた表情の隼人は立て続けに立ち上がり、深々と息を吐いた。

「…大人げな」
「言いたい事があるなら大きな声でどうぞ」
「スイマセンデシタ」

暴れる要と隼人の喧嘩を仲裁する為にボルテージが上がっていた桜も、我に返ったらしい。若干引いている東條清志郎と川南北斗の二年組から囲まれており、恥ずかしげに顔を覆っていた。

「おい、魚の目」
「東雲です」
「そこの餓鬼共は貴様の教え子だな?」
「…ほんますいません」

結果は目に見えている。
残念ながら遠野一族が誇る鬼達の中でも、現在最も人生経験が長いのがこの男だった。当主である遠野龍一郎が病院を譲ったのが長男だったとしても、遠野家当主は未だに、この遠野夜刀と言うより他ない。

「確かに、天涯孤独に対して親の顔が見たいと言うのは言葉が悪かった。それに関しては謝ってやらん事もないが、発言には気をつけろよ平成生まれ」
「まだ若輩者を苛めたいんですか?いつまでも過去の栄光にしがみついて訳知り顔で説教をしたいなら、金持ちと暇人の道楽と言うべき選挙にでも出馬なさると宜しい。自分の生活だけで一杯一杯な俺には絶対に真似出来ない、崇高な志でもお持ちになっているなら」
「ほー。これでも現役時代は外科医を勤めてきた」
「それはそれはご立派ですね。俺としては貴方にだけは体を触られたくないですが」
「遠野総合病院と言う、まァ、親から継いだ小さな病院の院長だった程度のヤブ医者だわ」

廊下の温度が、果たして何度下がったのか。
嘲笑の表情で動きを止めた要の隣で、聡明過ぎる頭をフル回転させた隼人は、プロダクションが定期的に強制してくる人間ドックで、何度か足を運んだ事のある超巨大病院を思い浮かべたのだ。

「遠野、総合病院…?」
「おう、名乗るのが遅れたか。これは若いモンから馬鹿にされても仕方ない失態だ、歳を取ると名刺もろくに持ち歩かない様になる」
「いつまで乗ってるんですか」

表情を削ぎ落とした顔色の悪い要を横目に、足元が揺れた気配に視線を落とした隼人は、踏みつけていたドアの下から声が聞こえてきたので眉を跳ねた。

「退きなさい」
「わっ」

ガタンと音を立てて浮き上がったドアの下から、凄まじい笑みを浮かべた男前が乱れた髪を掻き上げながら現れる。微かに亀裂が入った眼鏡を見やり、恐ろしい眼差しを細めた男の口元には笑みが滲んだまま。

「貴方は私達を騙したんですね、遠野さん」
「何の事だ。近頃、耳が遠くなってきて良く聞こえんな」
「何を何処まで把握してらっしゃるんですか?」
「モーリー。夜刀殿に失礼な真似をしたら、幾ら弟でも叱るよ?」

笑顔の女が、眼鏡を投げ捨てた男の前に一歩踏み出した。

「…死人が生き返る筈がない。作り物のAIが公爵を騙るのはやめて頂きましょう、反吐が出ます」
「僕の体にはちゃんと僕のDNA配列がコピーされてる。18年前、娘の心臓が止まった時から」
「やめろと言っているんです。理解出来ませんか」
「どうしてそんなに不機嫌さんなのかな?冬臣が小さかった頃は、僕より君と仲が良かったのに。そうか。桔梗ちゃんは空蝉の数だけ子供が欲しいって言ってたけど、結局は四人だからねぇ。それで怒ってるんだ?」

些細な事で喧嘩していた隼人や要だけに止まらず、様子を窺っていたらしい桜や東條達も沈黙を守ったまま、彼らを眺めている。中に入れとジェスチャーを送った村崎もまた、珍しく眉を潜めたまま笑顔がない。まるで、いつもの彼ではないかの様だ。

「でも、宮様からお預かりした屋敷は埋まったでしょう?君が暮らしていた宵の宮には今、誰も居ないのかな」
「…やめろ」
「寂しいねぇ。弟妹が増えればもっと賑やかで楽しいだろうって、あの子はお義母さんといつも話してたんだよ」
「下らない。誰に聞いたか知りたくもありませんが、我が事の様に語るのはやめなさい。耳障りです」
「誰もいない離れは寂しいんだ。いつ死ぬか判らないからって、ずっと龍の宮に閉じ込められてると世界から切り離された気分になるそうだよ」

校舎裏手の惨状とは真逆に、校舎表側の喧騒とも似つかわしくない校舎の内側は、人数の割りに静かだった。キシリと車椅子のフレームが軋む微かな音が聞こえたが、未だに顔色が芳しいとは言えない老人もまた、口を閉ざしている。

「自分はきっと成人するのも難しいだろうって、覚悟していた子供はどんな気分だったんだろう。君には判る?僕には判ったのかな、自動演算で弾き出した僕のパーソナリティーの回答は『きっと寂しかっただろう』だけれど」
「…」
「聞いてる?一人ぼっちは寂しいんだ。死を覚悟する気持ちは理解出来ないけれど、孤独がどれほど辛いものか、誰よりも理解してる」

柔らかい声だけが響いている。

「誰にも見向きされないんだ。宝物の様に扱われたけれど、それが命令だったから。マザーの命令は絶対だった。僕はただの器。男を愛せない人が産めない代わりに、別の女の腹から産まれてきてしまった」

何処までも何処までも、誰に聞かせるでもない独り言の様な声音が。

「産んでやれなくてすまなかったって言われても、触れない息子を跡取りだなんて『馬鹿みたい』だよねぇ。うふふ、僕が育った所は綺麗な所だったけど、すすきが繁ってた宵の宮よりずっと、寂しい所だったんだよ」

感情が然程感じられない声音は、まるで朗読しているかの様だ。見知らぬ他人の物語を滔々と、テープに吹き込むかの様に。

「息をしてるだけで毒を吸ったみたいな気持ちになるんだ。わざわざ寄ってくる人間は信じられなかった。安い賃金で使われてる癖に自由そうな庭師の方が余程、まともな人間に見えたっけ」

幾つもの鼓動を異に返さず、とても静かだった。

「日本に憧れたんだ。僕と同じ年頃の王子様が、意中のお姫様を射止めたんだって。痺れたねぇ、日本の王族は英国とは少し違ってる様だけど、日本経済に於いて当時の王様は間違いなく帝王院鳳凰だった。彼の葬儀は世界中に報道された程だったから、若干18歳で財閥を継いだ帝王院駿河の噂は忽ち響き渡ったものだよ」

生命のない機械が奏でているとは思えないほど、穏やかに。誰かが止めるまでは恐らく、何ら淀みなく。

「ロイヤルファミリーの経済界には、18歳のジンクスがある。フランス、イギリス、最後にアメリカ大陸へ辿り着いた世界の支配者が、爵位を手放した時の話は伝説の様に語り継がれている。英国国家が殺せなかった男が、日本で死んだんだ」

だから日本は聖地なのだと、穏やかな声は歌う。聞いている誰もが舞台を見ているかの様な表情で見つめてくる事には、些かも構っていない。話の内容に反して、そこ声は楽しそうにすら感じた。

「悪魔を殺した日本に憧れたんだよ。あの恐ろしい我が家が殺せなかったターゲットが、侍と大和撫子が暮らしてるって言う島国でどんな死に方をしたのか。彼が死んで世界に絶望した神の従者は、絶望の果てに憎い敵への報復を考えたんだねぇ。CIA社員だった過去の肩書きを隠れ蓑に、海を泳いで渡った」

隼人だけは、まともに話を聞いている。
何処かで何かに繋がりそうだと思うものの、今一つの所で綺麗に繋がらない。少ないヒントで鮮やかな推理を導き出す魔法使いの様な真似が出来るのは、隼人が15年の生涯で知る限り、彼の祖父と父親だけだ。

「彼らは国籍を捨てたから、パスポートがなかったんだ。黒の皇国の住民に戸籍はないそうだよ。だってそう、僕らが彼らの主人の家と戸籍を燃やしてしまったから…」

死んだと思っていた祖父が生きていて、最強だと思っていた父親が実は同級生で実は学園長の実の孫で、つまりは帝王院財閥の正式な後継者にして祖父の双子の兄の孫でもあると知ったのは、ほんのさっきだった。それ所か、先月までは遠野俊と言う名前すら知らなかったのである。そして、知らなかった事を知ったのも、残念ながらつい最近の事だ。
此処まで吃驚するカードが揃えば、今後何が起きても手放しで受け入れられそうな気もする。何が最も驚いたかと言えば、学園長の養子である事は知っていた左席委員会初代会長、榛原大空の息子こそ山田太陽と言う一点だろう。

「でも僕は殺されなかった。違うか。表向きは殺された事にして貰ったんだ。一人の庭師が、若い頃に忠誠を誓っていた主人の家を焼かれた腹癒せに、彼の死後数年懸かりで敵討ちをした様に装って」

事実上、俊と太陽は血液関係のない従兄弟同士で、俊と隼人は血液関係のある再従兄弟の関係にある。人類皆兄弟ではないか。

「すぐにバレちゃったけどねぇ。僕ら女王の飼い猫より、ずっと怖い桔梗の家が僕を守ってくれた。お義父さんはお義母さんを亡くして脱け殻の様だったから、生き生きしてたっけ。正々堂々命を狙ってくるなら正々堂々殺せるって、そりゃもう、笑顔でねぇ」

暗殺者か、と。
眉を跳ねた隼人は、瞬いた。今の話の内容から察するに、何処かと何処かの家同士が睨み合っていたと言う筋書きだ。そして、家を焼かれた・爵位・黒の国の全てで連想出来るのは、当主をノアと呼ぶグレアム男爵家だろう。

「僕もこの国で死ねたんだ。良かった、初めて日本語を話した時の喜びと、きっと同じくらい嬉しかった筈だよ。お義父さんの部屋の掛け軸に書いてあったでしょう?明けゆく空は軈て緋を抱き、宵の果てに月を誘う」
「…もう、十分です」
「明の宮、陽の宮、月の宮、宵の宮。それら全ては『空』を現し、白日の王は皇に命を与えて下さる。僕はライオネルじゃなかった。死ぬ間際にはきっと、自由に空を駆ける空蝉の一匹になれてて」
「やめなさい」

グレアムはロンドンから迫害された。現王宮に住まう女王の姪に当たるセシル=ヴィーゼンバーグは、世界のクイーンとして度々名を連ねる一人だ。女性ながらに公爵家を現在まで継いでいる手腕から、サーライオネスとも謳われる様だ。
中央委員会副会長である高坂日向にとっては、祖母の立場にある。延いては叶二葉にとってもそれは、同様だろう。

「寂しいねぇ。桔梗ちゃんは君に家を継がせたいっていつも、」
「やめなさいと言っているんです!無駄話は懲り懲りですよ!」
「ふふ。怒った顔が桔梗にそっくりだ。やっぱり姉弟だねぇ」

くすくすと、鈴を転がす様なその声音が誰かに似ている事に気づいた隼人は然し、今や顔色を全て失った要がピアスをしていない側の耳を押さえて震えている事に気づくと、殆ど無意識に、黄色いブレスレットがはめられた右手を持ち上げたのだ。


「…洋蘭?」

けれど隼人の手が要の肩に触れる直前、有り得ないとばかりに零された要の声で、桜を囲んでいた二年生達も顔を向けてきた。

「流石。モーリーは未だに信じないのに、君には僕が判るんですか」
「…」
「喧嘩はいけません。解き放たれた羽根が再び戻る時、それは大地に孵る時でしかないんですよ。死んだ肉体から解き放たれた魂が向かう先は、天国か地獄だけ」
「アラレ、喋り過ぎる男はモテんぞ」

呟く様な夜刀の台詞にサファイアの瞳を丸めたアンドロイドは、首を傾げる。

「あれ?夜刀殿、急激に血圧が下がってますよ?うふふ、もしかして本当に死にそうなんですか?」

柔らかな声音で宣った女の仕草までも全てが、呆れるほどあの男にそっくりだった。
例えばそう、平凡のケツを揉みまくりながら人気のない地下へと全力疾走中の、あの性悪二重人格眼鏡鬼畜の事だ。
























「あ」
「「「あ」」」

その奇妙過ぎる光景を前に、高坂向日葵は感電した。
彼の聡明な思考回路の一部が断線してしまったと言った方が、今はより適切かも知れない。

「お前ら、んな所で何やってんだ。…理事長が困ってるじゃねぇか」
「気遣いは無用だ高坂向日葵。顔には出ていないだろうが、私としてはそれほど困ってはいない」
「そう言う問題では…」
「そうか」

最上階を目前に、最後の踊り場は自棄に広い。
それもその筈、リブラ寮北棟や中央管理棟にもある室内庭園の数倍は立派な、曰く空中庭園と呼ばれる一面ガラス張りの庭があるフロアは、コンクリート部分が少なかった。
聳え立つ塔の様な建物の、8階部分から急激に面積を減らし文字通り塔そのものの造りに変化している校舎は、新しいフロアが出来る度に巨大なエレベーターで階数を増やしていると言われていた。
最上学部エリアが正にその部分に当たり、高等部進学科と言えど立ち入る事は出来ないエリアとして知られている。男女比率が片寄っているとは言え、基本的に共学扱いの最上学部の理数キャンパスだけが帝王院学園内部に残っているのは、創設者である帝王院鳳凰が、現在の中央キャノンに大学部校舎を建設した事が理由の一つだと言われていた。

「山田大空、そんな所で何故膝を抱えている?子供らがそなたにつられて悲しんでいる様だが、腹でも減ったか?」
「…放っといて下さい。夫婦には色々あるんですよ」
「怒っているのか」

現在に至るまで増改築を繰り返しているティアーズキャノンが、今の形になったのは遡る事29年前だと学園史に残されている。現在45歳の高坂が在学していた時期が、丁度その頃だ。
高坂より6歳年上の嵯峨崎嶺一が中央委員会会長に選ばれたのは、高等部進級直後だった。一年生が会長に選ばれる事は、初代中央委員会会長である帝王院駿河以降初めての事で、随分話題になっただろうか。

「は!俺…この僕が怒ってるって?!何にも怒ってませんよ!」
「若かりし頃の秀皇の様な真似をする。日本語を用いるのであれば、一人称は統一する方が良かろう」
「ヤクザなんかと仲良くしてるジジイが偉そうに!」

嶺一が高等部卒業を控えた頃、受験と同時に留学を決めていた嶺一の後釜として指名された生徒は、異国の姉妹校から昇校したばかりの生徒だった。初めての本校以外の生徒の就任もまた話題になったが、当時から激務だった為に間もなく辞任を願い出て、また話題になったものだ。暫くは当時の副会長が会長代理として励みつつ、最上学部に残っていた前風紀局長の小林守矢が手を貸している光景を見た事がある。

「ネルヴァ、ヤクザと仲良くしてはならんのか?」
「さて、世界中のマフィアが跪く我らにその道理が通じるものか、興味はあるがね」

高坂が中央委員会役員として指名されたのは、最年少自治会長として持て囃された中等部一年の後期の事だった。実に7歳年上の小林が就活を始めた事で、中央委員会の職務に支障を来すと予想した学園長が、悪餓鬼だった高坂が脇坂と共に学園長室に忍び込んだ過去の出来事を引き合いに出し、拒否する事が出来なかったのだ。

「り…理事長にボスの気持ちが判って堪るかよ…!」
「そうだそうだ!」
「おみゃあら、ええ加減にせぇって。どえらい恥ずかしい感じになっとるだに?」

丁度その頃、最上学部施設の建設が急ピッチで進められる事になった。学園長の息子が初等部に上がる直前、高坂は14・15歳の頃の話だ。当時、会長代理としての業務を卒業まで何とかこなした副会長は、事実上の会長は帝王院帝都だと言った。

然し、高坂のみならず当時の在校生が彼の姿を見る事はなかった。
異国の姉妹校に通っていると言われていて、確かに当時の副会長は定期的に何処かへ電話を掛けては、難しい仕事の助言を貰ったり、時にはFAXで資料を送信して貰っていたりしたものだが、当時の中央委員会役員の誰もが、面識はないまま卒業した筈だ。

「良かろう、そなたらもついてこい。給湯室に保存されていたクラッカーなる菓子を見たシエが、パーチーをすると言っていた」
「クイーンには恐怖心が存在しない様で、心強いものだよ。リッツパーチーと言っていたか」
「そなたら、その犬の仮面は流行っているのか?」

チームエルドラドが悲しげな表情で囲んでいるワラショク社長は膝を抱えたまま、目の前の現実を受け入れられず現実逃避中のヤクザを尻目に、現実離れした美貌でダークサファイアの瞳を瞬かせている男を見上げた。

「スヌーピーも知らないんですか。これだから貴族は…」
「犬は判らんが、キテーちゃんは知っている。カイルークが拾ってきた白猫に似ている雌猫だ」

英語圏で産まれたとは思えないその発音に、ほぼ全員が感電したそうだ。藤倉裕也そっくりな美貌に冷笑を浮かべた辛党だけがゆったり、一言。

「DVDをデーブイデーと言う人種を知っているが、正に目の前に居たのだよ。こんな男に何十年も仕えてきたなんて、エテルバルド家唯一最大の恥かも知れない」
「巷ではBlu-rayが急速に増えていると聞いている。そなたの知識は些か古いのではないか、ネルヴァ」
「何かほざいたかね老害」

マフィアが恐れる前皇帝と前魔王の睨み合いは、階段の上から聞こえてきた爆笑で終わりを告げる。日本最大組織の組長は息子そっくりな美貌に諦めの笑みを浮かべ、ぽつりと一言。


「トシの笑い声は何歳になってもキョロちゃん、か…」

シリアスを一秒で壊す、正に最強唯一の鬼女だ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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